空回る魔女(1)
昔から、比較的いろいろなことができる子供だった。政治が絡む勉学は嫌いだったが、そこは幼馴染が上手かったのでまあ良しだろう。彼の手柄は、自分の手柄だ。
彼と自分がいれば、大抵のことはできると思っていた。若かったわ、と思う。いや、むしろ幼かったのだ。
少女が彼を選ぶのは当然。彼が少女を選ぶのも当然。
そう思っていたあの頃。
当時はまだ魔王では無かった不器用な少年が望んだのは、当時はただの凡人と言われていた幼馴染の彼。自分も、当時はまだ魔法が得意なだけの女の子。
あの日。少年が彼を望んだ、あの日。
幼馴染を取られると思った彼女に、少年は耳打ちした。
「──お前の恋路は邪魔しない。協力する。とてもお似合いだと思う」
幼馴染が好きなだけの、女の子。
お似合いだ、と言われて素直に喜んだあの頃。
やがて各種のごたごたを経て、かつての少年が魔王となり、凡人と言われた彼が優秀な宰相となり、魔法が得意な少女は“薔薇の魔女”の二つ名を得た。
界層渡りができるのは、魔王と魔女。そのことで、宰相の彼を馬鹿にする輩もいたけれど、宰相は気にしなかった。代わりにそれなりの方法で魔王か魔女が直々に制裁を加えて差し上げた。ざまあみろだ。
魔王も魔王らしい風格と力を付けた。だからそろそろかな、と期待していた。
そろそろ、……そう。
結婚、までいかなくても。
せめて交際の申し込みとか。
(そんな甘い考えをしていた頃も、ありました。……はは)
ある夜のことだった。
すごく綺麗な夜だ。星が綺麗だった。
こんな夜の下で愛を誓われたら幸せだろうな、と夢見てしまうくらい。
いつものように遅くまで仕事をしている宰相のもとへ遊びに行く。
「真面目ね。そんなのテキトーにちょちょーいっとやって終わらせなさいよ」
机に腰掛けながら、パタパタと足を動かす。邪魔するなよ、と他の誰に接するよりも砕けた口調で文句を言われる。それすらも嬉しいなんて、末期だ。
だからまさかこの後に、ドン底に落とされるなんて、思ってもなかった。
「大体、僕が頑張ってるのは、きみのためでもあるんだぞ?」
「はい? あたし?」
自分を指差しながら、こてんと首を傾げる。幼さの残る動作とは正反対の、女性らしい曲線を描いた身体は、妖艶な雰囲気さえ漂わせている。そのアンバランスさが逆に周囲の目を惹いていることは、なんとなく自覚していた。彼に効果が無ければ、何の意味も無いのだが。
案の定、宰相は何も気にした様子は無く、「そうだよ」とだけ、ため息混じりに答えた。
何故こんなものが、魔女のためになる?
チラリと見た書類は、いつもと何も変わり映えの無い無駄に難しそうな内容だ。
訝しむ魔女に気付いたのだろう、宰相は顔を上げた。至って真剣な顔だ。
「お前が魔王妃になった時に、より良い魔界になっていた方が良いだろう?」
(………………魔王、妃?)
目が点になった。頭も真っ白だ。
魔王。魔王というと、今の魔王か? まさか自分がこの後、魔王になるというわけではあるまい。幼馴染のことはスゴイと思っているが、彼には頭脳はあるが力が無いのだ。魔王は務められない。
だから、つまり、魔王妃というのは。
魔女が彼の妻になる未来は望まれていない、ということで。
口が渇く。
まだ彼が何かを言っていたが、右から左に流れていく。聞いている余裕なんて無かった。
「だから、お前も妃になる勉強くらいして、」
パンッ、と頰を張る音がした。ああ、自分が殴ったのか、と冷めた頭で思う。
「あたしがいつ、魔王の妃になりたいなんて、言ったのよ……」
「は……? いやだって、魔王様のことが好きなんじゃ」
もう片方の頰を張った。フザケンナ! という言葉付きで。
その声が響いたのだろうか、それとも偶然か、執務室の扉が開く。
話題の的が立っていた。彼は、机に身を乗り出している魔女と、両頰を赤くしている宰相を見て、「なんだ? 喧嘩か?」とあくまで平静に言う。
そうよ聞いてこいつがね、といつもなら続いただろう。──今は、そんな気分ではなかった。
机から離れると、魔王の横をすり抜けて廊下に出る。
「おい!」
腕を掴んで、身体の向きを変えられる。
追ってきたのは、魔王だった。
扉を開けたまま。それだけ急いで追ってきてくれたのだ、この人は。
でも、この人は自分の望む人ではない。
本当に追ってきてほしいと願う人は、あの扉から、顔すら覗かせてくれない。その時間は十二分にあったろうに。
プツン、と。糸が切れた。
「あったまきたー! 何よ何よ、あんの馬鹿! 分からず屋! 唐変木! 良いわ、あたし、魔界なんて出ていってやる! 喧嘩ばっかのこんな界層、元々性に合わないのよ!」
それが最後の言葉だ。
魔女はその場で界層を渡り、それ以来魔王城には戻っていない。当然、魔王とも宰相とも会っていない。
そう、あれから何年も経ったのに、やっぱり追ってきてもくれないのだ。
──それで諦められる程度の想いであればよかったのに。
地上界に来て城を建てると、療養を始めた。なんにせよまずは冷静になることだ。そう思った。
どうすれば振り向いてもらえるだろう。
地上界は楽しかった。ご飯も美味しいし自然も綺麗だ。魔王だったら感動するのではないかと思った。わざわざ告げに行くことはできなかったけれど。
良いところだけれど、心にぽっかり開いた穴は、埋まらなかった。
彼じゃないと嫌だ。
でもあれから、もう随分と経っている。今更行ったところで、彼の隣には知らない人がいるかもしれない。それを見て堪えられるとも思えなかった。
そんな時だった。
「魔女さん、こんにちは! 実は小耳に挟んだ話があるのですが、……お時間よろしいですか?」
天使のように可愛らしく、それでいてどこか悪魔のような、金髪紅眼の少女が現れたのは。
魔女さん編。
一番おにゃのこ(恋愛)してる気がする。




