恋慕する魔王(4)
「へえぇ、あの子の知り合いなのかぁ」
なし崩し的に勇者に、追い求める少女の話をすると、記憶に残っていたのか、本格的に驚いた顔をされた。
彼女とは知り合い以上になりたいのだが、なかなか人生ままならない。
そんな愚痴を話すと、不憫そうに肩を叩かれた。
「剣士殿も彼女を手元に置いとくつもりは無いみたいなんだ」
「食うだけ食って捨てるということか」
「あ、いや、食ってもな──いやあの」
勇者の顔が何故か赤くなっている。手でパタパタと顔を扇いだ。「俺、こういう話は免疫無い」と純粋っぷりをアピールしている。勇者は困った顔で「マジでいつも“いい人”止まりなんだよ」と眉尻を下げた。彼の未来に幸あれ、と願わずにはいられない。
「とにかく、だから、今は俺のパーティにはいないんだけど……でもあの子、何度も来てるから、その内また来るんじゃないかな」
「そうか。さすがは彼女だ」
困難から逃げずに立ち向かう姿に、じんわりと心が温かくなる。魔王が顔を綻ばせると、勇者は曖昧に笑った。
「ところで、剣士殿は噂通りなのか?」
「あー、噂っていうと……女癖が悪い……とか?」
頷くと、勇者が押し黙った。何か、いろいろと考えているのであろう間があった。
「好みに入ると、まあ……うん」
「好み? 好みというと?」
「えっ……えっと、そうだな、まあ、む、胸が大きい、とか、……むっちりした感じの女の人が好きみたいだな!」
最後はヤケクソ気味だった。
むっちり。
それはあのしんなりとした身体には当てはまらないだろう。ホッと安堵する。
しかし彼女の魅力が分からないとは、それはそれで腹立たしい。どちらにせよ腹立たしい。
「剣士というからには、剣が得意なのだろうな」
「そうだなぁ。いけ好かないけど、剣の腕はすごいなって思う」
できれば認めたくないのか、眉を寄せながら勇者が答えた。どうやら勇者一行も一枚岩というわけではないらしい。逆に魔王軍が一枚岩かと言われると、これもまた違うので、人のことは言えないのであるが。
「俺も剣が扱えれば良いのだが」
「練習すればいいじゃん」
「……職業柄、そうもいかないのだ」
いっそ本気で逃げてしまおうか、魔王職。
深々とため息を吐く。強いやつが好きだ、と彼女は言った。特に剣士が良い、と。まさしくそれはあの剣士に当てはまる。
ギリッ、と拳を握る。非常に腹立たしい。
「あの子の前で、剣士殿よりも強いことが証明できればいいのにな。剣よりも俺の方が強いんだぞー、って!」
「……なるほど」
目から鱗だった。確かに彼女が慕う剣士を正々堂々撃破すれば、彼女に自分の強さをアピールできるかもしれない。それはいいアイデアだ。御誂え向きに、彼は勇者の一行で、自分は魔王だ。嫌でもその内、見えることになるだろう。
勇者に屈することなく、堂々と対応する自分を見れば、“覗き魔”(いつも裸を見るからなのか、そんな呼び方をされるようになってしまった。いやまあ確かに見たいのは見たいが)から昇格し、別の評価をしてもらえるかもしれない。
人間側からしたら、勇者が魔王に負ける、というのは、まさしく悪役・絶望の文字が似合いそうな光景であるのだが、魔王はそのことには気付かなかった。
「貴方には悪いが、そうさせてもらう」
「え、俺? いや、俺は別にあの子をどうこうしようって気は無いよ」
……そうだった、魔王は目の前の彼が勇者だと知っているが、勇者は目の前の相手が魔王だとは知らないのだ。
正直に告白するべきだろうか。こちらだけ知っているのは、卑怯ではないか。
(だが……)
正体をバラすということは、今後の情報提供者を失うということだ。少女の情報が何も手に入らないなんて、無理だ。耐えられない。本気で無理。
「すまない」
「や、だから」
「彼女をよろしく頼む」
頭を下げた。そして続ける。
「あと、また様子を教えて欲しい。俺はもっと強くなって、剣士殿を倒せるまでになるから」
真剣な様子に、心を打たれるものがあったのか。勇者は胸に手を当てて「任せろ!」と叫んだ。罪悪感が増幅される。しかし、恋に多少のズルは必要だ。
「会っていかなくて良いのか?」
勇者に問われて、微かに表情を崩す。彼が敵でなければよかったのに、とどうしようもないことを考えた。
「ああ、会えば我慢できなくなる」
我慢できずに、その場で剣士に戦いを挑みそうだ。それでは、この美しい街の景観を壊してしまう。
どうせなら、魔王城で戦いたい。戦闘の途中で書類が燃えてしまっても、不可抗力だと言い張れる。……宰相にはねちねち文句を言われそうだし、結局やらねばならぬことに変わりはないのだが。
勇者と別れ、通りを歩いて行く。
「あれ、お前なんでここにいるんだ?」
愛おしい者の声がした。
キョトンとした愛らしい顔に、縋り付きたくなるのを、咄嗟に抑える。
「……偶然、寄ったんだ」
「ふうん。でも、ちょうどよかった。挨拶ができないなと思って、少し気になっていたんだ」
気にしてもらえていた!
それが、ほんの微かなものでも、嬉しくて仕方がない。そうか、と返す声が弾んでしまったのは、仕方ないだろう。
「ごめん、オレ、これから剣士殿についていくために村を出たんだ。だからもうお前に村を案内することはできない」
まるで告白を断られているようで、身が張り裂けそうになる。喜びから一気に悲しみへと突き落とされる。
この娘は、まるで悪魔のようだ。
「……分かった」
魔王は一言だけ返した。それが限界だった。これ以上ここにいると、自分は何をしでかすか分からない。だから、早々に踵を返した。
「あ、おいっ」
焦ったような声に、まだ何かあっただろうか、と痛みに耐えながら肩越しに振り返る。彼女は困った顔をしていた。
「……悪い、なんでもない」
我慢するような顔はあまり好きではないと思った。彼女には似合わない。
手を伸ばす。銀の髪にそっと触れる。
「貴方に幸あれ。そう願う」
囁くように言って、背を向けた。今度は止める声は無かったし、止められても振り返る気は無かった。
──少女の“幸”の中に自分の存在を含めるためには、魔王として、やらなければならないことがたくさんあった。
まずは宰相の説教を聞くところか。
そう考えると早速逃げ出したくなったが、向かうところができた今、そうするわけにはいかない。
よし、と覚悟を決めて、──不意に視線を宙へ放る。
「ところで、貴方はそんなところで何をしている?」
ひゅう、と風が吹いた。
「バレてしまいました」
困ったような顔をした女性が、風の中から姿を現した。魔王が「久しいな」と声を掛けると、「お久し振りです」とほわほわした笑顔が返ってくる。
「何故ここに? 貴方が天界から下ってくるなど、なかなか無いだろうに」
「少しばかり、そうですね、……サボっています」
彼女には似つかわしくない単語に、目を見張る。が、ことサボりに関しては寛容である魔王は「そうか」とだけ言って特に追及はしなかった。
“そういう日もある”。
これが魔王の持論だ。
「貴方は真面目過ぎるから、たまには羽目を外していいと思うぞ」
「ありがとうございます」
穏やかな笑顔と、その美しい声は、これまで様々な人の心を癒してきたはずである。少しくらいのサボりは許されるだろう。
「あの……」
恥ずかしそうに彼女が口を開いた。
「あに様には、どうかご内密に」
「ああ。そういえば、今は魔王城に滞在していたな。よろしい、その願い、聞き入れた」
彼女の顔が安堵に変わる。身内にバレるのは嫌だったのだろう。自分も宰相にはバレたくないからよく分かる。
「どうか、よろしくお願い致します」
その言葉に、多少の違和感を覚えた。
兄への報告を控える以外の、何か別の期待の色を見る。その正体がハッキリする前に、彼女はふわりと浮き上がると、掻き消えてしまった。近くにはいるのだろうが、どこにいるのかは分からない。おそらく今度は呼んでも姿を現してはくれないだろう。
魔王は首を傾げたが、まあいいか、と魔王城へと帰還した。案の定、宰相にはこってりと絞られた。
◆恋慕する魔王 了
読んで頂きありがとうございます。
この話でちょうど3分の1に到達!魔王様編も終了です。
次は宰相さんなので、引き続き出番がありますけども。
本人視点ではただのサボリ魔ムッツリですが、宰相さん視点なら、……うーん。