恋慕する魔王(3)
魔王は街近くに降り立つと、侵入を試みた。検問を正面突破すると騒ぎになるので、隙を見て外壁を乗り越える。何メートルにも及ぶ壁であったが、魔王の前ではさしたる障害ではない。
屋台のような店がつらつらと並ぶ通りを物珍しげに眺めながら歩く。商人たちは活気があり、歩いているだけで笑顔で声を掛けられた。静かな村とはまた違う良さがある。
「よっ、にーさん男前だね。安くしとくよー」
景気が良さそうなふくふくした顔をした男に、腕を掴まれる。何を売っているのかと思えば、どうやらフルーツのジュースのようだ。大きな種の上部を切って飲むらしい。
多少の好奇心が出てきて、「ひとつ貰おう」と言うと、わざわざ奥にあった種を持ってきて、目の前でスパンと切った物を差し出してくれた。短く礼を言う。
代金を弾んでから「この街に勇者がいると聞いたが……」と訊ねると、気前よく情報を教えてくれた。
「そういや、さっきも元気なお嬢ちゃんに訊ねられたねぇ」
「銀髪で翡翠の瞳をした美少女か?」
「美少女っていうか、……いや、その子かな」
店主は苦笑気味に肯定すると、「その子を捜しているのかい」と訊ねる。
「あぁ」
「へえぇ、ま、頑張んなよ。なんか、剣士の兄さんにゾッコン、って感じだったからねぇ」
「…………」
その情報は欲しくなかった。
顔を曇らせた魔王を不憫に思ったのか、「兄さんも負けないくらい綺麗な顔をしてるじゃないか。男前の方向性は違うが……いけるいける!」と必死にフォローしてくれる。ありがたいことだ。宰相もこのくらい親身になってくれたら良いのに、あいつは「それはいいから仕事を……」としか言わない。
「爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ」
「ん?」
「なんでもない。こちらの話だ」
悪い癖が出た。ふるふると顔を振る。
さて、こうしてはいられない。少女を捜さなくては。魔王は最後にもう一度礼を伝え、屋台を後にした。
屋台の店主が言うには、少女が来たのはつい先程のことのようだ。
ということは、運が良ければまだ近くにいるだろう。
──それにしても人が多い。
地上界というのは忙しない。街の中心に進むにつれて、人の波は大きくなり、彼らの足はだんだんと早くなっていく。左右に立ち並ぶ屋台になど目をくれていないようである。
これでは人攫いが出ても、誰も立ち止まらないだろう。納得しながら、大通りから伸びた路地の先を見た。ズリズリと引き摺られていく子供は、既に意識を失っている。
「……構っている暇は無いのだがな」
困った。
頭を掻きながら、路地に足を踏み入れる。──もうひとつの足も、同時に。
「ん?」
「お?」
顔を見合わせた。凡庸な顔立ちの……これは、まだ少年か。綺麗な茶髪は、手入れが行き届いているのか、癖が無い。
羨ましいものだ。魔王の髪は、放置していると尖るのだ。これも癖っ毛のひとつなのかもしれないが、それにしたって何故尖る。長年の謎である。
そこまで考え髪を触っていたが、少年の「あっ……ちょおっと待ったそこの野郎!」と奥の人攫いに叫んだことで、我に返る。自分の髪の謎を追求している場合で無かったことを思い出す。
気付かれたと焦った男連中は、こちらを見た。が、敵は二人のみだと気付いたようで、途端に油断が走る。
あちらは、ひい、ふう、みい……六人いる。
こそこそと話している算段は、聞こえないとでも思っているのだろう。確かに魔族で無ければ聞こえなかった。
話を要約すると、ついでに男二人も捕まえて売ってしまおうぜ、ということらしい。冗談じゃない。
「……いや、だが、聞こえていても、いなくても、やることは同じか」
「はい?」
少年は、突然喋り始めた魔王に、訝しげな顔を見せた。これを味方として信じていいのだろうか、という迷いにも見える。
「あんたさ、戦えんの?」
「ああ、俺の身を案じてくれているのか。貴方は優しい人間なのだな。だが、平気だ。街中とあっては本職の武器は扱えないが、副職も得意だ」
口で言うより実戦で示した方が効果的か、と考える。現に今、目の前の少年の瞳は、説明する前と変わらず疑心に満ちたままだ。
「しかし、細い路地というのは、動きにくい」
言いながら、一歩踏み出した。トン、と跳躍して、降り立ったのは人攫い集団の背後だ。
「こうして囲んでしまえるという利はあるが」
距離を詰めると、腹に固めた拳を一撃。前方向に傾きそのまま倒れていく男の腕から、子供を回収して放り投げる。「なんで投げる!?」と少年の悲鳴が聞こえた。仕方なかろう、そちら側の方が大通りに面しているのだから。
早々に一人ダウンした集団は、目の前の男を“格上”と踏んだらしい。それぞれが物騒な獲物を取り出し、後退を始めた。細い少年の方が突破しやすそうだと踏んだらしいが、おそらく無理だろう。
魔王は、少年を一瞥する。あれは、一見すると弱そうに見えるが、かなりの手練れと見た。戦闘自体に慣れている様子は無いが、とにかく圧倒的な力差があるのだ。
案の定、そちらに向かった男が一人、宙を舞った。ドシャ、と魔王の背後で落ちる音がした。
「あ、やっべ、あんたらマジで弱過ぎて力加減が難しい……っ!」
子供を片手で抱えつつ、やりすぎたじゃんかー! と怒る彼。弱過ぎると言われても、と人攫いの顔色が悪くなる。
魔王は一歩前に出た。
「個人的な恨みは無いが、たまには痛い目を見ることは必要だろう。ただし俺は急いでいるから、あまり時間が無い。悪いな」
とりあえず謝っておく。謝ればそれで済むとは思っていないが、一応。
人攫いの腹に肘鉄を食らわせ、唸ったところで別の一人に回し蹴り。背後から近付き獲物を振り上げた男は、駆け寄ってきた少年が肩を掴んで振り向かせると、相手の額に頭突きをしていた。残る一人は、二人同時に蹴りを食らわせて、ゴール。
妙な達成感に、パシン、と手を合わせる。
「勇者殿!」
離れたところから、誰かを呼ぶ声がした。勇者という単語に首を傾げると、先程手を打った少年が、「やべ」と慌て出す。
「俺、あんまり目立つなって言われてたんだった!」
「奇遇だな。俺もあまり目立つわけにはいかないんだ」
再度顔を見合わせると、子供を大通りに置いて、人攫い集団をぐるぐるに縛って、すたこらとその場を逃げ出した。
勇者と魔王が共に逃げるというのは、考えてみたらシュールだなと思ったが、背に腹は変えられない。
共闘。もしかすると最強タッグかもしれない。