1.
はぁ~、夏休みも終わって今日から新学期だ。憂鬱。
俺、清須吟太郎は、夏休みの間に引っ越ししてきた内染薫子を中学校まで案内することに。
この薫子は厄介な奴なのだ。うまく新しい学校に馴染めるのやら……。
「美少女、襲来」と「決戦、カブトムシ取り」の続きになります。これらを読んで薫子の人となりを分かっていると、理解が進むでしょう。
読んでいなくとも、話は通じるかと思います。
●登場人物
・清須吟太郎 : 酒屋の息子、登場作「ある日の『上葛城商店街』」
・内染薫子 : ランジェリーショップの娘、登場作「ある日の『上葛城商店街』」
・天笠宇都女 : 化粧品店の娘、登場作「ある日の『上葛城商店街』」
はぁ~、夏休みも終わって今日から新学期だ。憂鬱。
とはいえ、俺こと清須吟太郎の中学二年の夏休みは、家がやってる酒屋の手伝いでほとんど費やされたんだけど。
重い身体を引きずりながら家を出た俺は、商店街の中にあるランジェリーショップに向かった。
別に朝っぱらから女物下着を買うわけではない。夏休みの間に引っ越してきたここの娘さんを学校まで案内するよう、母さんから命令されたのだ。
でもなぁ、ここの娘さんはなぁ……。
店の裏手にある勝手口の呼び鈴を鳴らすと、内染薫子のお母さんが出てきた。
「ごめんなさい、もうちょっと待ってね。あの子ったら朝の準備にやたら時間をかけるのよ。薫子~、早くしなさ~い!」
お母さんが扉を開けたまま家の中に引っ込む。
転校初日から随分と余裕たっぷりだ。まぁ、まだ始業には間があるし別にいいけど。
「おはよ、吟太郎。薫子はまだなの?」
後ろから声をかけてきたのは商店街に住む同級生の天笠宇都女。こいつも薫子を誘うように言われたのか?
しばらく待っていると、優雅に髪なんて撫でながら薫子が現れた。
今日も相変わらずキレイだ。見た目だけ、そう見た目だけは。
「邪魔よ、あなたたち」
「散々待たせた挙げ句にその言い方かよ。せめて朝のあいさつをしろ、薫子。おはよう」
「おはよう、薫子ちゃん」
「……おはよう。何しに来たの? 私は忙しいんだけど」
それは知ってる。ていうか、こいつが待たせるから余計に忙しい事態になっているのだ。
「一緒に学校行こう。案内するし」
「イヤよ、あなたたちみたいな凡人どもと登校するほど物好きじゃないの、私は」
俺が誘ってもすげなく断る。
「ていうか、あんたのその制服なにさ? 前の学校の?」
「そうよ。ここのダサい制服なんて着る気になれないの」
言われて初めて気付いたが、ここの中学は紺色のセーラー服なのに、彼女はグレーのチェックのスカートを穿いている。胸元に付けてるのも赤い縞柄のリボンで、ここの中学のスカーフとは違っていた。これにベージュのベストを合わせている。
「そんな勝手が許されると思うの?」
「転校生だから仕方ないわ。まぁ、私はこれでずっと通す気でいるけどね」
「いいじゃん別に。それより早く学校行こうぜ、時間がヤバい」
セーラー服の彼女も見てみたい気がするが、それは今後の楽しみに取っておこう。
そして三人で学校を目指す。とはいえ、俺とウヅメが並んで歩く後ろから薫子がついてくるという形だが。
「あいつ、あんなんでうまく学生生活が送れるのかな?」
ウヅメが首を傾げながら言う。心配してるというよりも、非難の色が濃い。
「うーん、あの見た目だし、みんなちやほやしてくれるんじゃない?」
「最初だけは、ね。あんたも最初はデレデレだったけど、その日のうちに本性を知ったでしょ?」
その通り。人のことを汗臭い呼ばわりしたのだ、あいつは。俺のドキドキは一気に覚めてしまった。
「はぁ~、憂鬱だ。フォローするのが大変そうだよね」
ウヅメが背を丸めながらため息をつく。
「ああ、フォローする気でいるんだ? 仲悪いのに」
「ん? ん~、お母さんにそう言われてるからねぇ。仕方なく、仕方なく面倒見てやるのさ」
ウヅメも大概素直じゃないよな。夏休み中は何回か一緒に遊んだと聞いている。そうしてる間に情が沸いたに違いなかった。
俺も同じ商店街の人間として、フォローしていかないといけないんだろうなぁ……。
ウヅメはクラスが違い、薫子はまず職員室に顔出しをするらしい。二人と別れて自分の教室に入ったら、中ではだらけきった中学生どもが蠢いていた。
「よう、高原、久し振り」
「おう、おはよう清須。宿題やった?」
「やった、ていうか、やらされた。うちの大人はみんなして厳しいんだよ」
両親の他に、祖父さんまで厳しかった。このご時世にげんこつ余裕だったりする。
「俺はもうちょい残ってる。だりぃ~、学校だりぃ~」
高原が机の上に寝そべる。まったくもって同意だ。
「しかもこのクラスの潤いのなさ」
「まったくだ。かわいい女子なんて一人もいやしねぇ」
高原が言うと、隣の席の女子がぎろりと睨んできた。こいつもそんなにかわいくない。
「まぁ、お前も他人様のことを言えた義理じゃないけどな。その寝癖とか」
そういう髪型かと疑ってしまうほど、毛が逆立っている。しかし俺の指摘を受けても直そうとしない。
「ここの女子相手に気取ってどうするよ。こんなんでいいのさ、こんなんで」
「それもそうか。潤いがほしいぜ、潤いが……」
ぼやきながら教室を見回したら、グラウンドに面した窓際の列の最後尾に、一学期にはなかった机を見つけてしまう。うわ~、もしかして……。
「転校生かな?」
高原が俺の視線の先を見て言ってくる。
「ロクでもないことになりそうだ」
「せめて女子が来ることを祈ろうぜ。どんなのが来ても今の面子よりかはマシだろうしな」
高原のセリフにまた隣の女子が睨んできた。この女子、実は高原のことが好きだという噂があったりする。高原は気付いてないし、シャクに触るので俺も教えてやらないでいるが。
憂鬱な予感を抱えながら、俺は最後尾の真ん中らへんにある自分の席についた。転校生の隣でないのだけがまだ救いだ。
チャイムが鳴り、先生がやってきた。古賀紗月先生は二十八歳の独身女性。服は常にジャージで髪は雑に後ろで束ねただけという色気のない人ながら、今まではこの教室で一番の美形だった。
「おはよ~、お前ら。夏休みは楽しかったか? 先生はほとんどを仕事に費やしたぞ~」
聞いてないのに余計なことを言った。
「夏のアバンチュールとかなかったんですか、先生には?」
前の方の席にいる男子がさらに余計なことを言う。
「そんなんあるか。同窓会でも結局誰も捕まえれなかった。お前ら、ちゃんと今のうちにコネを築いとけよ? 大人になって嫁き遅れたら大いなる助けとなるはずだ」
とても素晴らしい助言をくださる女教師。
放っておいたら二十八歳独り身の愚痴を延々聞かされることになりそうだ。
「先生、そんなことより転校生が来るんじゃないんですか?」
「そんなこと! 男に恵まれない私の悲運をそんなこと呼ばわり?」
クラスの良心、学級委員長たる綾小路さんの発言に傷付く紗月先生。
それでも自分の仕事を思い出したらしく、こほんと軽く咳払いをしてみんなを見回す。
「男子ども、歓喜しろ。今回の転校生はスゴいぞ?」
見た目だけはね。中身もある意味スゴいけど。
そんな実態を知らない男子たちは色めき立つ。
「入れ、内染」
先生の声を受けてすっと扉が開いた。そして女子が一人、ゆったりと教室に入ってくる。
ウエーブのかかった艶やかな黒髪は胸にかかる長さ。切れ長の目はよく研がれた刃物のようで、不躾に彼女を見るものを容赦なく斬り捨てそう。背はすらりと高く、制服の上からでもほっそりとした身体のラインがよく分かった。そして雪のように白い肌は、うっかりと彼女に触れるのをためらわせる。
教卓の前まで優雅に歩んだ彼女は、クラスメイトたちの方を向くと教室の端から端までを軽く見回した。
生徒たちが一斉にどよめく。
高原なんて今さらのように頭のトサカを抑え付けていた。それを妬ましげに睨んでいる隣の女子などまるで視界に入っていない。
「黙れ、お前! だーまーれー!」
黒板をばんばん叩いてみんなを黙らせる紗月先生。これ以上先生を苛立たせたら容赦なく黒板を引っ掻いてくる。それを教え子たちは知っているので、取りあえず口を塞いだ。
「よし、いい子たちだ。じゃあ内染、自己紹介しろ」
と、チョークを渡す。
その瞬間、転校生は眉をひそめたが、それに気付いたのは俺だけのようだ。ああいう手が汚れる奴はあいつの好みじゃないはず。
それでもまだ大人しくしている転校生は、黒板に内染薫子とふりがな入りで自分の名前を書いていった。
そしてクラスメイトを改めて見回した後、自己紹介。
「内染薫子よ。私のことは内染さんと呼ぶように。馴れ馴れしく下の名前で呼び捨てなんて、私が認めた人しか許さないから」
ウヅメの奴が薫子と呼び捨てにしているのは認められたからではなく、勝手にそう呼んでいるだけだ。
「そう、私は自分が認めた人としか友達になる気はないから。ただの凡人には一切興味がないの。凡人どもは迂闊な真似をして私に話しかけないように」
ああ……初っぱなからトバしているなぁ。クラスメイトの何人かは首を傾げ始めている。
「以上よ」
傲然と胸を張って、自己紹介というかこの学校での生き方を宣言した。ぼっちしか約束されていない道を一人で歩くつもりらしい。
「趣味とかは?」
今の宣言にも動じない先生がマイペースに聞く。
「そうね、どく……いいえ、女子としての自分磨きかしら?」
「自分磨きねぇ……。ていうか、化粧してるよね?」
間近にいる先生の指摘。当然校則違反である。
「当たり前よ。化粧は女子としてのたしなみ。あなたも少しは頑張らないと、その薄化粧では年齢を誤魔化しきれてないわよ」
「うるさいなぁ、私はありのままで生きてるの。年を誤魔化すつもりはありませんから」
「そういう開き直りは女子としての寿命を終えたっていう宣言と同じだわ」
「まだまだ終わってません~。現役バリバリだし」
なんか、黒板の前で言い争いを始めたぞ? 十四歳と張り合う二十八歳。実に大人げない。
「先生、その辺の醜い争いは二人っきりの時にしてください。始業式が始まりますよ?」
学級委員長の方がはるかに大人である。
「ちっ! 覚えていやがれ、内染。じゃあ、その窓際の列の最後尾に座るように」
「却下。あそこには座らないわ」
「え? なんで?」
「言わないと分からない? あんな日の当たる席にこの私が座るわけないでしょ? 日に焼けてしまうわ」
「お前、すげぇな」
怒るよりまず感嘆してしまった先生。
「もっと真ん中にして頂戴。廊下側もうるさくなるからダメよ」
「うるさくなる?」
「そうよ。これから私目当ての男子が他のクラスからもやってくる。廊下側だとそういう連中の相手をしなくちゃいけなくてかなりウザいのよ」
「なるほど、一理ある。じゃあ、真ん中の列……加藤、お前窓際行け」
「ええ? 私も女子ですよ? 日焼けしちゃ~う」
と、俺の隣の女子が言う。こいつはさっぱりした性格なので、「しちゃ~う」とか言い出すキャラではない。
「お前はすでに真っ黒だろうが、サッカー部。いいからお前は窓際な」
「は~い」
俺も手伝って、窓際と席の場所を入れ替える。
「あそこならいいな?」
「そうね、上出来よ」
「じゃあ、あそこに。ああ、ちょうどいいな。清須、商店街の仲間の面倒ちゃんと見てやれよ」
「へ~い」
あの先生は美形のくせに逆らうとキツいので大人しく言うことを聞く。ていうか、どのみち俺が面倒見るハメになるのだ。
「余計なお世話よ。私は一人で生きていけるから」
そう言って、さっさと自分に宛がわれた席についた。
「よろしくな、薫子ちゃん」
「学校ではそんなふうに馴れ馴れしく呼ばないで」
「商店街でならいいの?」
薫子は返事を寄こしてこない。でも、ちょっとだけ頬が赤くなった気がする。どこまでも素直じゃないのだ、このお姫様は。




