3.
そして土曜日。
私が陸橋の上にある最寄り駅にたどり着くと、呼び出しておいた伊奈はもう来ていた。手を振ると振り返してくる。
「やっときた。咲乃、おはよう」
「伊奈、久し振り~。まだ約束の十分前だよ。何分前から?」
「二十分前」
「なんで毎回そう、余裕を見すぎるの?」
「人を待たすのが嫌なんだよ。これでも小心者ですから」
「見た目全然そんなふうじゃないけど」
この子、乗倉伊奈は私のたった一人の親友だ。高校二年の時に私の方から猛アタックしたのだけど、基本人間嫌いな子だから仲良くなるのにはものすごく苦労した。一緒にいるとすごく安心できる子。大好き。
会った当初の彼女は黒髪おさげの地味な子だった。その後、私プロデュースで大変身させたげて、今ではすっかりオシャレな女子になっている。
大学が別になったので会う回数が減ってしまっているけど、会うたびに彼女のオシャレは加速していた。
「伊奈、今日はなんかパンキッシュだね」
「ああ、これは彼氏の趣味に合せてるの」
「へぇ、音楽やってるの?」
「そうそう、アマチュアバンドのベース」
「……」
「ん? どうした、咲乃」
「え? 伊奈って彼氏いるの?」
「いるよ。あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてない聞いてない。え? 前に会ったのってバレンタインの前だよね? そん時何も言ってなかったよね?」
お互いに友チョコを渡し合うために会っていた。
「バレンタインの次の週に義理チョコ渡したんだよ。そしたら逆に告白されたんだ。見た目ヤバそうだけど、優しい奴だよ?」
「いや、優しいとかどうでもいいし。え? 親友に何の相談もなく彼氏作ったの?」
「まぁ、その場で返事したしね。私相手にガチガチに緊張してて、見てたらかわいくなっちゃって」
「いや、かわいいとかどうでもいいし。許せない! 私の伊奈を奪ったそいつは許さない!」
私は高々と拳を振り上げる。
「大きい声出さないでよ。自分だって彼氏いるじゃん」
「そうだけど、そうだけど、伊奈に彼氏がいるなんて認めない!」
「あのさ、もういい加減、私離れしなよ。高校卒業から何年経ったと思ってんの?」
「くぅぅぅ~、やっぱり一緒の大学にしとくべきだったんだっ! 伊奈の純血が~、伊奈の純血が~!」
わなわなと拳が震えてしまうのを抑えられない。
「でかい声でヘンなこと口走らないでよ。咲乃がそうやって私べったりだから大学別にしたんじゃん。つくづくよかったと思うよ」
「え? 何その言い方? 私と離れてよかったって言うの?」
「そうだよ。そうやって自立してくのが、正しい成長なんだから。何回も言ってるよね?」
「嫌だ~! 伊奈が遠くに行っちゃう~!」
私より大分小柄な伊奈にしがみつく。
「あーもー、ハタチ越してるくせに抱き付いてくるなって。で、何? ケーキでも奢ればいい?」
「伊奈が作ったお弁当が食べたい」
「高校時代みたく?」
うんざり気分を隠そうともしない伊奈。
「高校時代みたく」
こくりとうなずく私。
そうやって伊奈のお弁当を食べるのが、高校時代の私の楽しみだったのだ。懐かしい。
「分かった分かった。じゃあ、次、彼氏紹介する時にね」
「ヤダッ! 伊奈と二人っきりじゃなきゃ、ヤダッ!」
「ヤダとか、あんた何才だよ」
そのまましばらく伊奈に甘えているうち、ようやく私も落ち着いてきた。伊奈が持ってきた水筒のお茶を飲みながら、壁にもたれて時間を過ごす。
「ていうかさ、今回の作戦? あんなけ仲のいい佐伯さんと橘さんを引き離すんだっけ? そんなのの片棒担ぐとか、まっぴらゴメンなんだけど」
佐伯さんとは菜ノ花のことだ。私達と菜ノ花達は同じ高校の二学年離れた先輩後輩。だけど私以外の人間には万事よそよそしい伊奈は、結局最後まで菜ノ花達を下の名前で呼ばなかった。
「何でよ、そうするのが結局かわいい後輩達のためなんだから」
「また柄にもなくいい先輩ぶって。元々は自分のことしか考えてない奴だったのに」
「伊奈と出会って、私は大きく成長したのですよ」
「そんなこと言って、いっつもロクでもない結末ばっかでしょ?」
「うるさいなー。じゃあ、何で来てくれたの?」
「咲乃が呼ぶからじゃん」
「いーなー!」
不承不承ながらも呼び出しには必ず応じてくれる。これぞまさに親友だ。
「だからくっついてくるなって。ガチ百合のことは正直よく分からないけどさ、あの二人ってもうこれからの進路は違ってるんでしょ?」
「そうだよ、菜ノ花は実家の花屋さんで働いて、橘君は大学行くの」
「じゃあ、自然に距離も取れるようになるよ。私達みたく」
「え? 私達はゼロ距離でしょ?」
いきなりびっくりするようなことを言ってきた。
「んなわけないじゃん。最近は一ヶ月くらい空くでしょ、会うの」
「伊奈が会ってくれないんじゃん」
「それが普通なんだよ。そうやって、いい距離になってくんだよ」
「高校時代が一番よかったけどなぁ」
大学も面白いけど、高校はもっと楽しかった。伊奈と一緒に笑い合っていたあの頃の夢を今でもよく見る。
「あれは特殊な環境だったかな。彼女達もその高校生活を終えて、これから新しい道をそれぞれ進んでくんだよ。放っておいても大丈夫だと思うけどね、私は」
そう言って、伊奈が笑いかけてくる。ケバい化粧をしているけど、確かに私の伊奈だった。
「でもねぇ、相手はガチ百合なんだよ。向こうは本気で好きなんだ。放っておいたらマジでヤバい」
「うーん、恋愛はホントよく分らんです。そんな私に何ができるの?」
「これからデートする男女を後ろから見守るんだよ。私ひとりじゃさみしいから伊奈を呼んだの」
「えっ! さみしいから? それだけ?」
「それだけ。アドバイザー的なのは期待してないから、しょせん伊奈だし」
「ムカつく、こいつムカつく」
伊奈の怒った顔も、私は好きだ。
菜ノ花に言っておいた集合時刻は、私達のさらに三十分後だ。五分前に菜ノ花は現われた。よしよし、言っておいたようにミニスカートを穿いている。
まずはあいさつ。
「似合ってるよ、菜ノ花」
「こんな短いの、マジで勘弁なんですけど」
そうは言っても膝上十センチくらいだ。菜ノ花の場合、制服のスカートの方が短いでしょ?
ちなみにこのベージュ色をした裾がふわりと広がるサーキュラースカートは、橘君が選んで買ったものの一度も穿いていないというものだ。木曜日、菜ノ花の部屋に押しかけた私が、タンスの奥から発掘した。
「ていうか、何そのタイツ。生足を指定したよね、私」
白タイツなんて穿いている。
「いや、生足は勘弁してくださいよ」
だから制服の時も生足だよね? この子の恥ずかしさのツボがよく分からない。
「タイツでもいいんじゃないの? 好きな男子は多いらしいよ」
心優しい伊奈が助け船を出す。
「でもこれから来る奴は生足派なんだよ。菜ノ花、そこのトイレで脱いでこい」
「はぁ? 冗談でしょ?」
「冗談なんかじゃないっての。いいから脱いできな」
ぎろりと睨み付けてやると、後輩はぶつくさ言いながら駅構内のトイレへと消えていった。
「容赦なしだ」
「今回のデートは何としてでも成功させねばならんのですよ」
力強くうなずく私。
しばらくして戻ってきた菜ノ花に、今日の心得を言い伝えておく。
「とにかく相手は初デートに浮かれまくってるから。それをうまく受け止めるように」
「でも私、きっとドン引きしちゃいますよ?」
「ドン引き禁止」
「ええ~っ!」
この世の終わりみたいな顔をする菜ノ花。いいデートにする気はあんまりないようだ。
「咲乃の相手ができてるんなら、大抵の相手は受け入れられるはずだから、佐伯さん」
「そうですかね。ていうか、すごい格好ですよね、伊奈先輩」
伊奈が嫌そうな顔をする。彼氏に合わせてるらしい自分の格好に、まだまだ馴染んでいない様子。
「私のことは放っといて。とにかく相手の言うことを、うんうんって興味深そうに聞いてればいいから。そうしたら相手は機嫌よく時間を過ごせるよ」
「あれ? 何で伊奈がそんなテクニック知ってんの?」
「テクニックってほどじゃないって。私だって、大学に入ってからいろいろと人付き合いしてるんだから。傍若無人な咲乃よりかは余程マシだと思うよ?」
「私の知らない伊奈が……私の知らない伊奈が……」
そうこうするうち、菜ノ花の三十分後に設定した後藤が来る時間が近づいてきた。
「あー、なんか緊張してきた。今気付きましたけど、私って相手の男子の顔、知らないんですよね」
「今さらかよ」
いつ気付くかと思ってたんだよね。
「いいじゃん、どんな男子か楽しみにしてな」
「咲乃先輩、絶対私で遊んでますよね?」
「失礼な」
そして約束の時間の十分後に後藤が現われた。
「後五分遅かったら、私帰ってたよ」
伊奈は時間に厳しい。
後藤はマトモな服なんて全然持っていないのだが、かろうじてマシな奴をメッセージを使った画像のやり取りで見つけ出しておいた。それをしっかりと洗濯してどうにか清潔っぽくするよう命令したのだが……。
まぁ、赤点ではないかな、かろうじて……。
後藤を見た時、菜ノ花は「へぇ」とだけ声を漏らした。どうやら悪い印象は抱かなかったようだ。
「こ、こ、こ……」
「お前はニワトリか」
「あ、いや、こんにちは、菜ノ花さん。俺、後藤春明、よろしく」
「はじめまして、後藤さん」
「春明さん」
私が訂正してやる。
「あ、春明さん」
少し顔を赤らめて菜ノ花が言い直す。うわ、こんな初々しい菜ノ花は初めて見た気がする。
「いいね、それ」
後藤がいきなり菜ノ花の足元を指さした。嫌な予感しかしない。
「やっぱ、生足だよね!」
などと歯を見せた笑顔。
菜ノ花が隣にいる私の方を向いて、これ以上はないってくらいの苦い顔をしてみせた。
「ゴーゴー!」
私は構わず菜ノ花をけしかけた。
菜ノ花が後藤の方に顔を向ける。
「生足……お好きなんですね?」
スルーすればいいものを、バカ正直に応対する菜ノ花。
「うん、君の足、ちょい太めだけど、それはそれでイイ感じだよっ!」
などと親指を突き立てて笑顔。
菜ノ花が、さっきと同じ顔をして私に無言の訴えをしてきた。私も親指を突き立てて笑顔。
さて、出足最悪だが先に進めないといけないだろう。私は一歩前に出て、両手を腰に当てる。
「さ、デートだ。でも君達だけじゃ、ぐだぐだなデートになるのは目に見えてる。私達がうまくサポートしたげるから、スマホを繋ぎっぱにしとくように」
と、マイク付きイヤホンを二人に貸してやる。
「そんな回りくどいことするくらいなら、一緒に来てくださいよ」
「それじゃあ、デートにならないでしょうに」
「まぁ、そうか」
菜ノ花が後藤を見て、小さくため息をついた。後藤は意味もなく満面の笑み。私が伊奈の方に目をやると、向こうは他人事を決めこんで肩をすくめた。
さてデートだ。まずはバスターミナルをぐるりと回り込む。五メートル前を歩く男女の声は、スマホを通して聞くことができた。
『君って、森田先輩と同じ高校だって?』
『そうですよ。あの人が三年の時、私が一年です』
『女子高生の森田先輩かぁ。どんな制服だった?』
『セーラー服です。先輩、かなり似合ってましたよ。髪は今と違ってロングでした』
『画像とか持ってない?』
『あー、その頃は携帯でしたから、今持ってるスマホにはないですね。家に帰ったらありますけど』
『じゃあ、今度送ってよ、メアド教えるし』
『いや~、勘弁してくださいよ。勝手なことしたら先輩からどんな罰を受けるやら』
『黙ってりゃ大丈夫だって』
『でも、この会話は全部向こうに筒抜けですからねぇ』
はっとした顔で後藤が振り向く。バカじゃねーの、こいつ。
「ていうか、さっきから咲乃の話、オンリーだよね」
「会話の糸口……だと思う……」
「にしては、すごいがっついてるよね」
「うーん。おい、後藤、私の話題は禁止だ。菜ノ花のことを聞け」
『いや、森田先輩の画像はすごい価値があるんすよ。セーラー服なら、絶対他の先輩に高値で買い取ってもらえますって!』
「そんな話を本人にするな。いいから、菜ノ花の話をしろ」
『はぁ』
頭をかいてから菜ノ花の方を向く後藤。菜ノ花はにこにこしている。あいつはやたら愛想がいいのだ。
と、後藤が菜ノ花の胸を指さした。
『君のそれって、パット入れてる?』
「おいこら、後藤!」
私の怒鳴り声に前の二人が肩をびくつかせる。
『いやだって、パットなんて邪道じゃないっすか』
「パットは女子のたしなみだ! ていうか、いきなりそんなこと聞くな!」
『いや、そこ重要っすから』
菜ノ花が私の方を向き、後藤を指さしながらとびっきりの苦虫を噛み潰したような顔をする。
私は手を振りながらにこやかな笑顔でもって応える。
菜ノ花が前に顔をやる。
『あー、これ、パット入ってます』
何、律儀に答えてるんだ? あの女。
『そっかー、残念だー』
『やっぱりそうなんですか?』
『いや、俺は別に巨乳じゃないとダメだってわけじゃないよ? でもね、パットなんかで誤魔化そうって根性がダメだって思うんだ』
拳なんて振りながら力説している。
ちなみに菜ノ花がパットを入れているのは私の指令によるものだ。普段の彼女にパットを着ける習慣はない。ファッションの一部としてパットがいかに重要か散々説いてやったけど、結局あいつは理解できなかった。今日はただ言いなりになって着けてきたようだ。
『はぁ、すみません』
菜ノ花がうなだれ、無様に会話が途切れる。
そんな悲惨な状況のまま、商店街に入っていった。
我等が『上葛城商店街』は、歩行者天国になっている道に面して何百メートルか続いていた。こんな田舎にある商店街にしてはなかなか賑わっていて、ピーク時には多くの買い物客でごった返す。アーケードがないのは良し悪しで、今日みたいな晴れの日だと気持ちよく買い物ができていいものだ。
昼前の土曜日なので、お客はそんなに多くはないかな? それでも方々のお店から威勢のいい店員の声が聞こえてくる。
私は八百屋の娘で菜ノ花は花屋の娘。菜ノ花は高校を卒業してすぐ実家の花屋で働き始めたが、私の方は小さな頃から家業は手伝っていない。なんとなく八百屋の仕事はする気になれず、親もそんな私の意志を尊重してくれている。そうして好きなように大学まで行かせてくれているのだから、ありがたい話だ。
まず商店街の入口には信用金庫と薬局がある。
「うわ、後藤君、薬局を超物欲しげに眺めてるよ?」
「今日のお前にはカンケーねーよ」
何考えてんだ、あいつ。
あまりにもガン見しすぎて菜ノ花に気付かれたようだ。
『薬局に何か用事ですか?』
『いや、あの、その、違う。喫茶店。そう喫茶店! ちょっと寄ってく?』
薬局の隣にある喫茶店で誤魔化した。
『いいですよ。ここはクリームソーダーがお勧めです』
後藤が焦る理由は菜ノ花には伝わらなかったようだ。菜ノ花は菜ノ花で心配になってくる。
『でも俺はチョコパフェが食いたい気分だな』
『チョコパフェあったかな?』
などと入っていった。私達も続いて。
結局菜ノ花はクリームソーダー、人の話を聞かない後藤の奴はチョコパフェを頼んだ。
「伊奈、何する」
「ブレンド。なんか、落ち着いた喫茶店だね」
「大分古いよね」
「高校の時にバイトしてた、メイド喫茶まがいとは大違いだ」
「いや、あれも普通のカフェじゃない」
「咲乃が私を騙して引きずり込んだんだよね。私、すごい人見知りなのに。高校時代はそんなんばっかりだ」
「えー? 最後は伊奈も楽しんでたじゃん」
「まぁ、そうかも」
『菜ノ花さんって、今までどんな男と付き合ってきたの?』
人が穏やかに思い出話に花を咲かせていたらこれですよ。
『いや~、私、男子とお付き合いしたことないんですよねぇ』
菜ノ花も何、ご丁寧に答えてるんだよ。
『そっか、モテないんだ』
『ていうか、あんま興味ないんで、男子とか』
『俺なんて興味津々なのに大学一年が終わった今に至るまで彼女なしだよ。はぁ……』
『そうですか、モテないんですね』
『いや、モテないってことないよ? ただ俺が気に入る女がいなかっただけで。ホントはモテるんだから、ホントは』
『分りました。分りましたから、顔を近付けてこないでください』
『その点、君はなかなかいい線行ってるよ。結構気に入った』
『はぁ、ありがとうございます』
『明日、俺の部屋に遊びにこない? 格闘技の録画が結構あるんだ。昔のK1とか』
『いや、格闘技はちょっと……。ていうか、いきなり男子の部屋もいかがなものか』
『気は使わなくていいよ、俺一人暮らしだし』
『むしろ余計に勘弁ですね』
『君、ガード堅いね』
お前ががっつき過ぎなんだよ。
参った。積極的にアタックしていく奴がいいと思って後藤を選んだのに、予想以上のバカだった。菜ノ花は早くも引いている。
そんなこんなで微妙な話をして過ごし、喫茶店を出ていくことに。と、後藤がもぞもぞとズボンのポケットを探り始めた。
『あれ? 財布がない』
『じゃあ、私出しときますよ』
『お、悪いね』
軽く手を上げて奢られる後藤。ダメだ、あいつ。とにかく外へ。
『お、出てきた財布。いつもと違うポケットに入れてたよ』
『そうですか、よかったです』
『じゃあ、行こうか』
え? お財布出てきたのに奢られっぱなし? そうなの? それでいいの?
胸の中がもやもやしながらも尾行は続ける。二人は私の家たる八百屋の前まで来た。
『おっ! 菜ノ花ちゃん、デートかい?』
と、私の父さんが威勢のいい声をかける。なんか、気恥ずかしい……。
『まぁ、そんなとこですよ』
『あの金髪の子とは付き合ってないって、やっぱり本当なんだ?』
『そうですよ。とんでもないデマですから、それ』
みこちゃんが訂正して回った効果はあったようだ。でも今言う話じゃないよね、父さん。
一方の後藤は野菜を丹念に眺めていた。
『お、兄ちゃん、いいガタイしてるね! 肉だけじゃなく野菜も食べて、バランスのいい身体作りしなよ!』
『その辺はバッチシっすよ。マネージャーが厳しく指導してくるんで』
私のことです。
『お、いいねぇ~。何か買ってくかい! 今日はカボチャが安いよ!』
父さん、今デート中だよ?
『よし、じゃあカボチャ二つ。菜ノ花さんも何か買ってく?』
『いや、今はいいです』
そしてなんで買うの、後藤?
伊奈が隣にいる私の肩を揺する。
「買っちゃったけど止めないの?」
「もういいや、なんか疲れた」
やたら大きなカボチャを二個もぶら下げて先に進む二人。しかも何も考えていないらしい後藤は、菜ノ花がいる側の手で袋を持っていた。菜ノ花の生足に何度もカボチャが激突する。
『いや~、いい買い物したよ』
『よかったですね』
『でも俺、料理できないんだよね。菜ノ花さんはできる?』
『ええ、得意ですよ。家の食事もよく作ってますし』
『お、いいね。じゃあ、このカボチャ、料理してくんない? 俺の家で』
『いや~、春明さんの家は勘弁してくださいよ』
『君、ガード堅いね』
だからお前がひねりなしでがっついてるんだよ。
『菜ノ花さんがモテない理由が分ってきたよ』
『はぁ』
『君はガードが堅すぎるんだ。もっとこう、構えずにきてよ』
『はぁ』
どんだけ上からなんだよ。なんか、今すぐあいつをぶん殴りたくなってきた。
それでも二人は呑気な商店街デートを続ける。
『お、化粧品だって。菜ノ花さんって、化粧はするの?』
『今まさにしてますよ?』
『え? そうなの?』
後藤がぐいーっと顔を菜ノ花に近付ける。近い近い。
『分んねぇ』
難しそうな顔で首を傾げる。
『え? かなりしてますよ? アイラインとか』
『そうなの?』
また近付いた。くっつく、くっつく。そして菜ノ花の目尻にいきなり指で触れる。
『あ、ホントだ。手に付いた』
『そりゃあ、付きますよ』
後藤が自分のズボンに指をなすり付けた。一方の菜ノ花は菜ノ花で、化粧を崩されても気にする様子はない。
「あんなんされたら、私なら金的だよ」
化粧に割と命を懸けている伊奈が顔を歪める。
ちなみに菜ノ花は化粧ができないので、今日は文香の姐御にしてもらっているはずだ。私が姐御にそう頼み込んでおいた。
さて、さすがにそろそろ口出ししないとマズそうだな。
「止まれ止まれ~、後藤、ちょっとこっち来い」
前の二人が立ち止まり、不思議そうな顔で振り返る。そして後藤だけこっちに。
「お前、何考えてんの?」
「かなり頑張ってるっすよ」
「全然ダメ、全然ダメ。菜ノ花ドン引きじゃない。もっとこう、相手の気持ちに立って会話を進めてくださいよ」
「こういう時は、男がぐいぐい引っ張ってかなきゃ!」
「あんた一人で突っ走ってるだけだし。とにかく、相手のリアクションをよく見ろ。相手を楽しませるべく全力を尽くせ。分った?」
「つまり、今まで通りでオッケーなんすね?」
「もういいや、行けよ」
ダメだ、あいつはどうしようもない。作戦は失敗かー。どうしよ……。
とにかく交代で菜ノ花も呼ぶ。
「言いたいことはいろいろあると思う。正直すまんかった」
「え? いや、結構楽しんでますよ?」
「え? そうなの?」
「春明さん、面白い人じゃないですか」
「そうなんだ……、あの体たらくで菜ノ花的にはオッケーなんだ」
「ああいう芸風だって分かれば全然オッケーですよ」
「じ、じゃあ、引き続きお楽しみください」
「はいー」
足取り軽く後藤の方へ戻っていった。
「男女のことはよく分かんないよ、咲乃」
「私もだよ、伊奈」
二人で顔を見合わせため息をつく。
この後二人はスポーツ用品店に入っていった。後藤がテーピングテープを切らしているらしい。ていうか、デートのついでで買う必要ないよね?
『うわ、すごいですね、なんか痛そう』
『固定してたらそうでもないよ』
店の中で話をしているので入口から覗いてみると、どうやら後藤が腕まくりしてテーピングされている肘を見せているようだ。
『え? 触っていいんですか? お、すげえ! 固いですねぇ』
なんだか菜ノ花は興奮気味である。あいつ、私の筋肉趣味を気味悪がるくせに。
さらに様子をうかがうと、調子に乗った後藤が力こぶを作り、それを菜ノ花がキャッキャと触り始めた。
「あれって、仲良くやってるって解釈でいいのかな?」
「だね。どうやらこの作戦はうまくいきそうだよ」
私はホッと息を漏らす。
今まで男っ気のなかった菜ノ花であるが、このデートを通じて男子と過ごす楽しさを知ることができただろう。こういうデートをさらに繰り返せば、今までみたく橘君とべったりとはいかなくなるはずだ。その隙を突いて二人を引き剥がせば任務完了である。
一方、こうして男子とデートすることで、商店街にあった菜ノ花と橘君が付き合っている疑惑も払拭することができたようだ。多くの店員がデートする菜ノ花に冷やかしの声をかけていた。
全ては計画通りだよ。
そんなことを考えながらお店の外で菜ノ花達を待っていると、横にいた伊奈が話しかけてきた。
「で、お昼ご飯はどうすんの?」
「その先の定食屋さんだよ」
「え? あんな渋い定食屋さん? サラリーマンとかが入り浸るようなとこだよね?」
「でもこの先にあるのは、ラーメン屋、お好み焼き屋、串カツ屋くらいだしねぇ。どれも初デートじゃ厳しいでしょ?」
「商店街デート、難易度高ぇ」
伊奈が顔をしかめる。
それにしても菜ノ花達はいつまでスポーツ用品店で油売ってるんだ? お腹空いてきたんだけど。
「あ、ヤバいなぁ、咲乃……」
様子を見にお店へ入ろうとした私の袖を伊奈が引いてくる。
「どした、伊奈?」
「あれ、橘さんだ。商店街に今入ってきた」
「マジで!」
確かに橘君だ。目立つ金色の髪をなびかせながらこっちに向かって突進している。