1.
俺、高瀬佑哉は魚屋でバイトをしていた。
そこには同じ中学だった桜宮恵がやってくる。
彼女は魚屋の店員の三治が気になるようで……。
「ある日の『上葛城商店街』」の、「はじめての店番(恵)」を踏まえています。
説明はしてあるので、読んでいなくともお楽しみいただけるかと思います。
●登場人物
高瀬佑哉 : 登場作「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」、「ある日の『上葛城商店街』」の「はじめての店番(恵)」
桜宮恵 : 登場作「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」、「ある日の『上葛城商店街』」の「はじめての店番(恵)」
勝田三治 : まともに出てきたのは初めて。
彼女は部活帰りにやってくる。
夏休みなのにずっと練習があるらしい。彼女の高校の吹奏楽部は随分熱心なようだ。
「こんばんは、高瀬君」
「おう、らっしゃい! 桜宮」
桜宮恵とは中学が同じだった。学年でも有名な美人だ。
最近は暑いので艶のある黒髪を後ろでひとつにまとめている。肌が上気しているのは暑さのせいだけだろうか?
「高瀬君がお魚屋さんでバイトって、なんか似合ってるよね」
「そう? どういうイメージなの、俺って?」
「うーん、頭使うより身体動かす方が合ってそう?」
「それって、遠回しにバカって言ってる?」
苦い顔をしてみせると、素で驚いた顔をしてくる。
「え、イヤなの? 中学の時はずっとバカバカ言われてたのに」
「ひでぇ」
この子は天然で酷いことを言う。
「おいこら、佑哉! 美人相手にデレデレしてないで、ちゃんと働け!」
「び、美人だなんて……ありがとう、三治さん……」
顔を真っ赤にしながらも、否定はしないらしい。まぁ、そういうのがこの商店街の流儀ではある。
「じゃあ代わるね、桜宮。おーい、三治さん代わってよ、俺がそっちやる」
「えっ! いいのにいいのに!」
わたわたと手を振る彼女だけど、口元がうれしそうに緩んでいるのを俺は見逃さない。
「おい、サボるなよ、佑哉! 悪いね、恵ちゃん! 今日も珍しいのが入ってるよ!」
彼女は普通のスーパーなんかでは売ってないような雑魚を欲しがる。商店街にある友だちの家からの帰りにここで扱ってる雑魚を見つけ、それから通ってるとのこと。
俺にはよく分からんから。店長の息子にして右腕の三治さんに押し付ける言い訳は、一応ちゃんとある。
そして今日も、俺は名前も知らないような魚を買って桜宮は帰っていく。とても幸せそうな顔をして。
恋をしてると女の子ってああいう顔になるのか……。野郎の場合はどうなんだろ? 鏡を見て確かめる気には、なれないけれど……。
「いや~、やっぱり恵ちゃんはいいねぇ。かわいいし、気立てもいい。あえてああいう小魚を欲しがる玄人はだしなとこがさらにいい!」
などとベタ褒めをする三治さん。あまりに呑気でムカついてくる。
「掃き溜めに鶴って奴だ」
「おいっ、この商店街が掃き溜めみたいな言い方すんな!」
頭にゲンコツをねじ込んできやがる。
「いてて、やめろっての!」
やたら体格がいい上に、こいつは加減てものを知らない。
抵抗して手を振り回しても、簡単にいなしてしまう。
「わははは、涙ぐんでいやがる」
大口を開けての快活な笑い声。
「うるせぇよ」
俺はこの男に勝てそうもない。そう考えたら、泣きたくもなる……。
中学の時は別に気になる存在というわけではなかった。
彼女の白い足がたまらんとか、中学生らしいバカなことを友だちと言い合ったりはしたが、逆に言うとその程度。
友人の幼馴染みの、その友人。たまに一緒に遊ぶことはあったけど、普段は特に話もしない。そういう関係だ。
高校も別だったし、ほとんど彼女のことは忘れていた。
そんな中、困って泣いていた彼女を助けてやるという出来事が。今年の五月のことだ。
彼女が最後、俺に見せてくれた笑顔……。大輪の花のようって奴……。
それが、俺の心の中にずっと残ってしまう。
とはいえ俺は動き出さなかった。あてもないし、勇気もない。ただ、想いだけを抱えていた。
駅向こうに住んでいるはずの彼女を商店街で見つけた時、俺はようやく行動に移す気になる。その場で声をかけるのではなく、彼女が通っているらしい魚屋でバイトを始めるという形でだけど。
自分がここまでヘタレだとは思っていなかった。
中学時代はバカと呼ばれるようなお調子者だったのに、いざという時には何もできない。
それでも少しずつ近付いていこうと思った。彼女に好きな人がいると気付くまでは。
魚屋の三男坊、勝田三治。恵の好きな人。
本人に直接聞いたわけではないが、バレバレだ。
彼女の気持ちに気後れして、その邪魔をしないように気を使ったり。そんな日々。
ああ……今日も来た。
「おっ! らっしゃい! 桜宮」
「こんばんわ、高瀬君」
そう言いながら、桜宮はまず三治さんを探す。でも残念、今は他の客の相手をしている。長話が好きなおばさんだ。
「悪いね、ちょっと待っててね」
「え? ううん、いや別に? 今日もいろいろあるね」
「そうだろ? 俺は未だに名前覚えられないのばっかりだ」
「これはニギスだね。唐揚げにするとおいしいんだよ」
「へぇ」
今度俺に作ってくれよ。そんなこと、言えるわけもなく。
「じゃあ、これにしようかな? このニギス頂戴、高瀬君」
「え? 俺でいいの? もうちょい待ってたら……」
「う、ううん、いいのいいの。大丈夫」
でもなんか口元が引きつって笑顔に徹しきれていない。
「三治さんと話するの楽しみにしてんのにな、桜宮」
「ええっ! そそそそ、そんなことないよっ! そんなことっ!」
胸の前でぶんぶん手を振って否定してくる。
そうやって顔を真っ赤にして焦ってるところが……くそっ、かわいいじゃねぇか。
「でも、すごいキラキラしてるぜ? 三治さんと話す時の桜宮」
「ええっ? 意地悪……意地悪だよ、高瀬君」
口を尖らせて睨んでくる。そういう仕草がひとつひとつが、俺の胸を高鳴らせる。
「とにかくこれをくださいませ、意地悪なお魚屋さん……」
「はいよっ! 毎度ありっ!」
手早く言われた魚を包んでいく。
代金を受け取り、お釣りを返す。そして魚を渡して……。
「あのさ、桜宮……」
「ん?」
「あのさ……三治さんだけどさ……」
「う、うん……」
三治と言っただけで、彼女の顔は赤らむ。
「いや、あー、桜宮のこと、かわいいかわいいっていつも言ってるんだぜ?」
「えええっ! くぅ……、そ、そうなんだぁ……」
「三十近いおっさんのくせに、女子高生に鼻の下伸ばすとかなぁ」
「あ、三治さんて、年いくつなの?」
さりげなく相手の情報を引き出そうとする桜宮。ぜんぜんさりげなくないけど。
「二十七って言ってたっけ? 俺等の十コ上だな」
「そっか……もっと若いかと思ってた……」
「残念?」
「年の差なんて関係ないよ? って、違う違う!」
俺の意地悪な言い方にいちいち慌てふためく。
「ていうかさ、桜宮。あの人……」
「ん?」
すごい興味津々といったふうに身を乗り出してくる。
「格闘技の選手だったんだってさ」
「うん、知ってる。格好いいよね」
その言葉ににやーっとしてやると、また桜宮の顔が赤くなる。
「違う違うって! じ、じゃあ、お魚ありがとう。また来るね」
「おう、次は三治さんと話せるといいな」
「ええっ? も、もうバカッ! やっぱりバカだ、高瀬君!」
怒ったふりをして、桜宮は帰っていった。ホントかわいいよ、あいつ。
ああ……でも今日も言えなかった。
「お? 美人とたっぷり話せてよかったな、佑哉」
いつの間にか後ろにいた三治さんが肩を組んできた。
「やめろって、魚くせえ」
「魚屋がなに言ってやがる。楽しそうに話していやがって、初々しいのう」
「はあ? そんなんじゃないって、桜宮の方は」
「お前の方は?」
などとにやにや笑い。
「俺はどうでもいいだろ? ほら、お客だぞ」
「らっしゃい! 今日はハマチが安いよ!」
愛想よくお客の方へ行った。俺の気も知らないで……。
そして閉店。閉店後の片付けまで手伝わせやがった。バイト使いが荒いぜ。
と、家への上がり口に置いてあった携帯から通知音。
「おい、三治さん。メールだぞ、麗奈さんから」
「お、おい、勝手に見るなよ!」
「通知は見えるんだよ」
慌てた様子で飛んできた三治さんが携帯に取り付く。
「なんて?」
「前にご機嫌伺いした、その返事。ていうか、お前には関係ないだろ?」
「俺に愚痴ってたくせになに言ってんだよ。で? いつ離婚するの?」
「縁起でもねぇこと言うな! 今はただの……ただの、冷却期間なんだっ!」
「なるほどね……。離婚するならするで早くしとけよ。年取ってから独身になったら、次の相手見つけるのに苦労するぞ」
「うるせえバイトだなぁ」
と、ヘッドロックをかましてくる。携帯からは手を離さずに。
「いてて、やめろって、あんたの技はシャレにならないんだよ!」
「力関係をはっきりさせといてやる」
「で、実際のとこはどうなの? 麗奈さん、まだ怒ってんの?」
「んー、実家でごろごろしてたら大分頭も冷えてきたみたいだ。もうちょっとだな……」
ここを出てもう三ヶ月になるらしい。俺がバイトをする前からだ。
ようやくヘッドロックが解除される。
「女を殴るとか最低だよね、あんたも」
「殴ってねぇよ、構えただけだ。これでも元格闘家、一般人を殴ったりはしないんだよ」
「愁傷な心がけだ。じゃあ、俺はもう帰るぜ」
「おう、今日もありがとな」
「金のためさ」
三治さんは結婚している。嫁さんは実家に帰ってるけど、まだ縁は切れてない。
俺はそれを、桜宮に言い出せないでいる。あの子の笑顔が曇るのを見たくないから……。




