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ある日の『上葛城商店街』  作者: いなばー
確かめさせて?(菜ノ花)
30/60

4.

 今日の夕ごはんは私が作った煮物。

 いつもは花屋が閉じてから夕飯になるので時間はかなり遅くなる。でも、今日は用事があるからと言って、私だけ先に済ませてしまった。

 両親には縁の家にお泊まりに行くとだけ言ってあるが、特に何も悟られてはいないようだ。いや、母辺りには勘付かれてる気もするけれど……。

 風呂に入ってかつてないほど入念に身体を洗う。ヤバい、すっごい緊張してる。

 まだ八時半か……。

 やることがない。うーん、もう一度予習しておくか……。

 ベッドに腰を下ろして百合マンガを開く。これと同じことをこれからするかと思うと、最初に見た時とは比較にならないほどの臨場感がある。

 と、階段をバタバタと駆け上る音が。ヤバい! すぐさま掛け布団の中にマンガを隠す。


「菜ノ花ぁぁぁっ!」


 鬼のような顔を真っ赤にして部屋に飛び込んできたのは咲乃先輩。

 この人には全てが終わるまで会いたくなかった。


「なんすか、先輩」

「なんすかじゃないよ! あんた、何する気さ!」


 つかつかとベッドまで来ると、私の胸倉を掴んで揺さぶってくる。


「やめて……やめてくださいって……私にはなんの話やらさっぱり……」

「嘘付けっ! 橘君と、する気なんでしょ?」

「するって何を?」

「こういうことをだよっ!」

「きゃーっ!」


 いきなり咲乃先輩が掛け布団を引っぺがした。少女同士が抱き合うイラストが描かれた百合マンガが露わになる。


「何するんすか、あなた!」


 身体で覆い隠す前に、咲乃先輩に引っこ抜かれた。

 そして持ち主の目の前でぱらぱらめくっていく羞恥プレイ。


「こういうことするんだ?」


 整った顔をした咲乃先輩のさげすんだ視線を受けると、非常にキツい。


「ていうか、なんで知ってるんですか?」


 母がチクったのか?


「橘君が私んとこに勝利宣言のメール送ってきたんだよ。動画付きの」


 何やってんだ、あいつ。


「いや、でも……これは私たちの問題ですから……」

「私は黙ってろってか?」

「いや~、まぁ~」


 この人が私たちのことをずっと心配してくれていたのはよく分かっている。それで縁がガン泣きさせられたり悲惨なことになっているのだが、まぁ、彼女の気持ちは嬉しく思う。

 でも、ここまで来たら、もう私たちだけの問題のはずだ。


「私と菜ノ花って、何年の付き合いだっけ?」

「え? さぁ? 同じ商店街で育ってますし、気付いたらもう一緒にいましたよね?」

「だよね。あの子よりずっと長いんだ。その間、あんたはずっと私の妹分で、後輩なんだよ。そりゃあ、昔の私は自分のことしか考えてない奴で、あんたなんか気にもかけてなかった。でも、あんたは私にずっと付いてきてくれてたんだ。なのに、今になって私の手を離れようっての?」


 咲乃先輩が鼻をすする。


「別にあんたを支配したいとかじゃない。あの子に取られるのがイヤだとか、そういうんじゃない。私はそう、古い価値観から抜け出れてないよ。女子同士が恋人とか結婚とか、そんなのあり得ないと思ってる。私みたいなのはまだまだ大勢いるよ? あんたたち、ホントに乗り越えていける気でいるの?」

「……ええ、私たちなら、大丈夫です」

「嘘付けよ! 分かってんのかよ! ホントに分かってんのかよ! 私にも分かんないよ! あんたたちに降りかかる障害がどんなものかなんて、想像も付かないよ! 笑顔で見送るなんて、できるわけないよっ!」


 あふれる涙を拭おうともせず叫ぶ。


「サキちゃん……」


 咲乃先輩……サキちゃんは小学校の女王だった。男子を泣かし、上級生を泣かし、時には先生すら泣かした。

 弱い私はそんな彼女に憧れて、ずっと後ろをついていった。

 でも、サキちゃんには子分が百人以上いて、私なんかは下っ端の下っ端だ。遠くで燦然と輝いている、それがサキちゃんだった。

 ある時、彼女は他のグループのボスと決闘することになってしまう。場所は近所の児童公園だとか、子供っぽかったけど。

 サキちゃんは黒い日傘を差したまま男子と向かい合い、右ストレート一発で相手を泣かしてしまう。大勝利。

 でも、相手の男子は卑怯者だった。先生にチクったのだ。

 サキちゃんは決して自分の非を認めなかったという。

 それでも罰を与えなくてはということで、彼女は廊下に立たされることに。

 先生たちは配慮が足りなかった。サキちゃんが立たされた校長室の前の廊下は南向きで、そこに立たされると日に当たってしまう。そのことに、気付かなかった。

 サキちゃんは日焼けを何より気にする少女だ。外でやる体育は必ずサボったし、常に日傘を差していた。日焼け止めも常備して。

 あんなにいた子分は誰一人として校長室に近寄らない。でも、私はどうしても気になったので、彼女の日傘を持って校長室の前まで行った。

 サキちゃんは泣きながら廊下に立っている。怒られたのが悲しいからじゃなく、こんなことで日焼けしてしまうのがイヤで悔し泣きしていたに違いない。

 私は彼女の隣に立ってずっと日傘を差し続けた。校長先生に許してもらうまでずっと。

 そしてようやく解放されたサキちゃんは、私に向かって初めて声をかけてくれた。

 「ありがとう、キミ、名前は?」もう八年同じ商店街に住んでるのに、そんなことを言う。私が「三年二組の佐伯菜ノ花」と答えると、「雑草みたいな名前だね」と笑った。

 それから、私は彼女の隣にいることを許されるようになる。以降今まで、私は森田咲乃の一番の妹分で、後輩だ。

 そのサキちゃんが、私の頭を胸に収めて泣いていた。

 私も彼女の背中に手を回す。


「ごめんなさい。ありがとう。でも、もう決めたんです」

「そうなんだね」


 サキちゃんがぎゅっと腕に力を入れた。彼女の甘い匂いを感じる。


「縁の奴は、とても大切な存在なんです。あいつに感じている気持ちがなんなのか……友情なのか、恋愛感情なのか、今もまだ分かりません。でも、それでもいいと思ってるんです。あいつを愛したい。大事なあいつを、どんな形でもいいから愛したい」

「愛するだけなら、いろんな形があるよ」

「できれば、あいつの望む形で愛したいんです。今まで想いに応えられなかったからとか、そういうんじゃなくて、あいつの喜ぶ顔が見たいから。それが、私の幸せだから」

「あの子のために、自分を犠牲にする?」

「違うと思います。私も望んでるんです。あいつを近くに感じたい。あいつの望むようにすれば、あいつに一番近付ける。私の方こそあいつに触れたいんです。今までは、どうしても触れられなかった。私の心は欠けていて、足りなくて、ずっとあいつに触れられなかった。向こうは触れてくれているのに。でも、今なら触れられると思うんです。きっと触れられる。触れたい。あいつに触れたい……」

「そっか……。菜ノ花はいっつも自分で決めてしまう。お花屋さんを継ぐのも自分で決めてしまった。結局私は、駄目な先輩なんだよね」

「そんなことないですよ。サキちゃんがいなかったら今の私はありません。サキちゃんはいつも私のことを考えてくれる。いつも、感謝してるんです」

「そうかな? だといいけど……」


 サキちゃんが腕の力を緩め、私から離れた。

 鼻の頭を赤くした美人が、私の目をじっと見つめてくる。


「私は応援しないよ?」

「……はい」

「一週間は顔も見たくない」

「……すんません」

「あ、でも結果は知りたいかも」

「じゃあ、メッセージで送りますよ」

「うん、じゃあ帰るよ。洗面所貸してね。これでも商店街で一、二を争う美人ですから、みっともない顔で外は歩けないのです」


 そう言って、ようやく微笑んでくれた。私も笑みを返す。

 扉まで歩いていったサキちゃんは、最後に振り返ってこう言ってくれた。


「私はいつまでもあんたの一番の姉貴分で、先輩だからね。それは、何があっても変わらないから」




 時間が来たので家を出る。

 いつもとは違う、縁がバイト先のショップで見つけてくれたジーンズを穿いて。

 まだ帰宅途中のサラリーマンやら学生の姿がちらほら見えた。

 軽く会釈しながらそういう人とすれ違っていく。

 縁と出会ったのは中学一年の入学式の日。

 新しい教室に入ったところでいきなり抱き付いてきた。「キミ、メチャ好みやわぁ、名前なんての?」順番が滅茶苦茶だ。

 大阪弁丸出しの見た目白人にいきなり抱き付かれ、私は正直恐怖を感じてしまう。

 なので最初の一週間くらいは奴から逃げた。それなのに奴は必死に食らい付いてくる。

 そもそもなんでそんなに私にこだわるのか聞いてみても、本人は首を傾げるだけ。さっぱりわけが分からない。

 縁は中学と同時にこの町に引っ越してきた。だから、友達なんてものは一人もいない。

 私にこだわるあまり他の友達を作るきっかけを失った奴は、早々に孤立してしまう。元々孤立してしまいかねない見た目をしているのに……。

 その日、縁は珍しくまとわりついてこなかった。一日用心したが、ついぞ姿を見せない。

 ようやく諦めたかと清々していたら、放課後になって私の机の前に現れた。

 「何?」と邪険に聞くと、「うちのこと、キライ?」と聞き返してくる。

 面と向かって他人を拒絶するのはどうかとも思ったが、いい加減縁の干渉に頭が来ていた私は、「大嫌い」と答えてしまう。

 「そっか……」縁はそう言ってうなだれた。

 もう諦めてくれるのかと思ったら、すぐに顔を上げて「どおやったら、好きになってくれる?」とまた聞いてくる。

 ここで妥協したら負けだと思った私は、「キミを好きにはなんない」と言ってやった。

 そこでめげるかと思えば、縁の奴はにぃっと笑い、「んーん、なのちゃんは、うちのこと絶対に好きになんで?」などと言う。

 その、悪戯が成功したガキンチョみたいな笑顔は、一晩中私の頭の中から消えてくれなかった。

 あいつが何を考えているのか分からない。

 よくよく考えてみると、縁は別に悪い奴じゃない。むしろいい奴。ちゃんとした奴だ。

 お金持ちの縁はかわいらしい小物をいっぱい持っていた。それ欲しがる女子は何人もいたが、毅然とした態度でそういう女子は近寄らせない。ぼっちのくせに、媚びて友だちを作ろうとはしないのだ。

 見た目がやたらいいので上級生の男子なんかが声をかけてくるが、それは歯牙にもかけない。「うちには好きな人がおるから」などと言う。うまくやればちやほやしてもらえるのに、それを拒否する。

 あいつは悪い奴じゃない。むしろいい奴。ちゃんとした奴。

 段々と、あいつの相手をしない私が悪者のような気がしてきた。

 翌日、また例によって私にまとわりついてくる縁に、「いいよ、友だちになったげる」と言ってしまう。

 「やったっ!」縁はいきなり抱き付いて、頬にキスしてきた。

 これが、私にとっての全ての始まり。

 それからの奴の侵食は素晴らしいものがあった。あっという間に私の隣を定位置にするようになり、親御さんたる私の両親に挨拶を済ませてしまう。

 ゴールデンウィークになる頃には、縁の家に泊まりに行くような仲になっていた。本来、母の締め付けが厳しくてお泊まりなんて許されていなかった私だが、奴は母にうまく取り入って私の外泊許可を勝ち取ったのだ。

 楽しい楽しいお泊まり会だった。今まで食べたことのないお菓子を頬張りながら話は尽きない。

 縁はずっと大阪に住んでいたが、祖母の住むフランスに何度も行っていた。この田舎から出たことがほとんどない私には、縁の話す海外の話はとても魅力的。

 代わりに縁は地元の話を聞きたがった。引っ越してきて間がない縁は、まだまだ心細かったようだ。次の日に近くを案内してやる約束をする。

 朝方まで二人で笑い合う。この子と仲よくなれてよかった。私は心底そう思ったものだ。

 などと油断させておいて、縁の奴は寝ている私の唇を勝手に奪いやがった。これが私のファーストキスだ。

 キスされる直前に私は目覚めていた。奴の気配を真上に感じていると、縁はそっと「好っきゃで、なのちゃん……」と呟いて、キス。

 ただのゴッコ遊びだと私は思い込んでいたが、この時すでに、縁は私のことが本気で好きだったのだろう。今なら、そう分かった。

 以降丸六年以上、縁は私を愛し続けている。

 その想いに私は五年以上気付けなかった。

 このバスターミナル。

 去年の夏、ここで縁は私に告白をした。

 あいつの透き通るような眼差しは、今でもまざまざと思い出すことができる。

 今までずっと言わずにいた気持ち。私が言わせなかった気持ち。それを、あいつはついに口にした。

 あの細い身体のどこにそれだけの勇気が宿っていたのだろうか。

 なのに、私は縁の愛を受け入れなかった。愛していないのに愛を受け入れるわけにはいかない、そう思ったのだ。

 そんな私に対して縁は何も求めてはこなかった。

 自らの望みを、か細い胸の内に押し込めて。

 縁の胸の内はどんなだったろうか。私は彼女になんという仕打ちをしたのだろうか。

 でも、私は彼女の望みを聞くことができた。

 今年の七月初め。一年もかかって、ようやっと。

 結婚したい。

 愛してもらわなくてもいい。結婚しよう。

 そう言ってくれた。

 今思えば、これが大きなきっかけ。

 ためらいのなくなった縁の全力の愛を受け、私の心の内にそれまでなかった大切な感情が生まれる。

 人を愛せるかもしれない。そう思えるところまで私は来た。

 これから二人は新しい関係を迎えるだろう。

 きっと素晴らしい関係となるに違いない。

 今までだって、そうだったのだから。


『乗りますか~?』


 ベンチの前で立っていると、バスの運転手から声をかけられる。


「いえ、すみません」


 私が頭を下げると、バスは扉を閉めて動き出した。

 私も再び歩き始める。この先にいる、愛おしい縁を想いながら。




 駅のある陸橋を越え、駅向こうにある高級住宅地に入った。しばらくして見えてくる和洋折衷の豪邸が、縁の家。

 呼び鈴を鳴らすと出てきたのは彼女の母親だった。縁が出てくるものと思っていたので焦ってしまう。

 お母さんは純日本風の顔立ち。縁の口元は彼女譲りだ。

 縁の部屋がある離れが見えてきたところで、お母さんが立ち止まった。


「今日は大事な話があるから離れには近付かないでくれ、ですって」


 と、お母さんは微笑み、そのまま姿を消す。なんとなく後ろめたく思ってしまう。

 月が明るい。

 母屋と離れを繋ぐ廊下は板敷きで、歩くたびに、ぎぃぎぃと音がする。

 この音は縁の部屋の中にいても聞こえてしまう。

 もう縁は私がそこへ向かっていると知っている。

 そう思うと、私の緊張はどこまでも高まった。

 今まで二人は親友。縁の奴は最近になって親友という関係を拒否し、プロポーズをしてくるようになったが、私はずっと親友のつもりだった。

 でも、この廊下を渡りきると、私たちは新しい関係を迎える。

 私はちゃんと縁を愛することができるのだろうか? もしできなかったら?

 今さらのように恐れが沸き上がってきた。

 引き返すなら今?

 いいや、前に進もう。縁が待っている。私も望んでいる。

 廊下を渡りきると和室を洋間に改装した縁の部屋。

 扉にかけられた、『ゆかり』と子供の字で書かれたプレートに思わず微笑んでしまう。

 ノックするとそっと扉が開く。

 中には初めて見る桃色のパジャマを着た縁が。

 金髪をひとつの三つ編みにまとめている彼女は、頬がほんのりと朱に染まっている。


「来たよ、縁」

「おいでやす、なのちゃん」


 そう言って微笑む縁は、今まで見たどの縁よりもかわいかった。



(確かめさせて? 終)

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