3.
でも、愛するって具体的にどうするんだ?
縁が望んでいるらしいこと……。うーん、アレか? アレだよな……。アレは避けて通れない。
でも、具体的にどうするんだ?
縁に聞いてみるのはやめておこう。やぶ蛇以外の何物でもない。
かといって、他の知り合いに聞くというも……恥ずかしいな。
ではググってみようとして思い留まる。ネットはカオスな世界だ。歪んだ知識が付いてしまうかもしれない。避ける、べきだ。
創作物ならどうだろうか?
以前、縁にガチの同性愛を描いた映画を観せられていた。
でもあの時は隣で泣きじゃくっている縁が気になって、せっかくあったベッドシーンはイマイチちゃんと見れていない。悔やまれる。
レンタルしようにも題名が思い出せない。
じゃあ、マンガにしようか。きれいな百合というのを選べばきっと大丈夫。絵ならそんなにエグくもないだろう。
そこでもう一度パソコンを立ち上げた私は、評判のいい百合物を探す旅に出た。
アレの描写を含むものも結構あるようだ。今まで知らなかった世界……。
ともかくいくつか選び出して通販サイトで注文する。商店街には本屋もあるが、やっぱり知り合いには知られたくなかった。
翌日。
「菜ノ花~、荷物来てるよ~」
しまった! 私が受け取るつもりだったのに母に先を越された!
店の奥にある倉庫から飛び出して、引ったくるようにして母から荷物を受け取る。
「何買ったの?」
「え? 本。花の……本」
「へぇ……、そう」
母は異様に鋭い人だ。頬を汗が流れたが、それ以上の追求はなかった。助かった……。
店が終わり、夕食を手早く済ませた私は自室に籠もる。
通販サイトの箱を開けると、まずは花の図鑑。擬装用に買ったものだ。
そして、次……。
女子同士が抱き合っているイラストが表紙のマンガ。百合マンガ。
思わず生唾を呑み込んでしまう。この中にはどんな世界が広がっているのだろうか?
ベッドの上に腰を下ろし、一枚一枚、丹念にめくっていく。
マジかよ……。
予想以上の世界がそこには広がっていた。
あ~そうか~、そこなぁ。あいつペタンコなんだよなぁ。私もたいしたことないし。
この辺は楽しめなさそうだ。え? 楽しむ? いや、楽しむんだろ? いやぁ、そんな余裕はないだろ。多分、無理だ……。
えっ! こんなところを? 縁が私のを? もしくは私が縁のを?
え~、どうだろ?
大丈夫? いや、想像だけじゃ、ちょっと分かんないな。……とにかくちゃんと洗っておこう。
え? こんな顔? こんな顔になっちゃうの?
そんなに? そんなになの?
縁のそういう顔って、見たことないよ……。どうなるんだろ、あいつ。ていうか、私も?
んん? これは何やってんの? 女子同士じゃないの? どこをどうするの? あ~、肝心なところが描かれてない……。
なんか、もやもやと不安だけが募っていく。
「何やってんの、あんた」
「きゃあっ!」
いつの間にか部屋の扉は開かれ、そこから母が顔を覗かせていた。
「ちょっと、勝手に開けないでよっ!」
やっぱりこの扉には鍵を付けるべきだったんだ。母が断固として拒否したんだけども。
とにかくマンガはとっさに掛け布団の中に隠した。表紙は見られたか? 見られていたら、アウトだ。
「いや、ノックはしたよ? 何読んでたの? マンガ?」
「そう、マンガ。少女マンガ」
どういうマンガかは判別不能だったようだ。まだ、セーフ。
「へぇ、どんなの?」
母が一歩前に踏み出す。
「ちょっと待って!」
「何さ?」
身体中からイヤな汗が吹き出している。
ヤバい、これを見られたら私のサイゴだ。
「頼むからこっち来ないで」
「なんでさ?」
「いいからっ! そのまま出てって、頼むから」
「よく分からん奴だなぁ。なんでそんなに顔真っ赤なの? 風邪?」
また一歩
「頼むっ! マジで頼んますっ! そのまま引き返してっ!」
「そう言われると、すごい気になるんだけど。なんか、エロいマンガでも読んでるんじゃないの?」
にやりと笑いかけてくる。
これはただのエロいマンガではない。
縁が私を愛していることを、この母は知っている。私がこーいうマンガを読んでいると分かると、これから私が何をするつもりなのかも察してしまう。
親にそんなのを知られるなんて、拷問以外の何物でもない。
「いいから、いいから、出てって。マジで頼んます」
「分かった分かった」
ようやく母が引き返す。助かった。
「じゃ、頑張りなよ」
「うん、頑張る」
母がばたんと扉を閉める。
ヤベェ、絶対バレたっ!
冷静になって考え直してみると、私は何バカなことをやらかしてるんだろうか……。
予習なんて学校の授業では一度もしたことがないくせに、な。
まぁいいや。得るものはそれなりにあったし、いよいよ行動に移そう。
縁にメッセージを入れる。「明日、昼から休みもらったんだ。ちょっと川まで散歩行こうぜ」とかできるだけ軽いかんじで。
わざわざ散歩に誘うのは不自然かな?
いや、あいつのことだ、深く考えずにしっぽを振って飛んでくるはずだ。
案の定、縁の奴は昼前に現れた。
「大学のサークルは大丈夫だった?」
「一回くらい、だいじょーぶっ!」
まさにしっぽを振る飼い犬だ。こういうところがかわいらしくもある。
今日の縁は白いワンピース。上に薄いピンクのカーディガンをふわりと羽織っている。シンプルなデザインが、縁によく合っていた。
このワンピースって……。
「もしかして、私が縁に花屋を継ぐって言った時の服?」
「もしかせんでも、そやで。うちがなのちゃんに告白した時の、ワンピース」
「へぇ……」
去年の七月の末。深夜のバスターミナルで。
縁と同じ大学に行く約束をしていた私は、それを破って花屋を継ぐと縁に告げた。その直後、縁は私に自分の想いを告白する。
偶然なのだろうか? でも、今日にふさわしい気がした。
「ど? 似合てる?」
くるりとひと回転。裾がふわりと広がる。
「うん、かわいいよ」
「へへ、ありがと」
思ったままを言うと、素直に喜んでくれた。
そのまま私の家で昼ご飯。
適当にうどんで済ませようとしたら、服が汚れるからと縁はナプキンを要求してくる。まぁ、いつものことだ。
「さーて、行こうか」
仕事着だったので一応着替えておく。とはいえ、ジーンズはジーンズなんだけど。
「川岸デートや」
「あ、デートなんだ?」
「そや、デートやで」
と、にこやかな笑顔を向けてくる。
まぁ、その方がいいのかな?
上機嫌な縁はいつものように腕にしがみついてきた。
川は駅とは反対方向に歩いていって、途中で曲がった先にある。歩いて渡れそうなくらいの細い川だけど、堤防の上が遊歩道になっていて近辺の人が散歩だとかウォーキングだとかをよくしている。春になると桜がきれいだ。
そこを縁とのんびり歩く。
「そんで、うちのデザインが褒められてん。まだ一年やのにやるなぁって」
「へぇ、将来有望だ」
女子大の服飾の学科に通う縁は、サークルも服飾デザイン関連のところにしているのだそうだ。
夏休みも活動しているので熱心なサークルな様子。
「そやなぁ、アパレルで働けるよおになったらええなぁ」
「縁の夢だもんね」
「うん、うちには他にも夢があるねんけどな」
「へぇ、何?」
まぁ、何を言うかは読めるけど。
「なのちゃんのお嫁さんっ!」
と、小首を傾げて媚を売ってくる。予想通りだ。
「まぁ、ねぇ、そういうのもいいかもねぇ」
「え? 拒否せぇへんの?」
「ん? ああ、拒否するよ、拒否。今はまだ、拒否」
「ん~? なんか今日のなのちゃん、おかしない?」
「そうかな?」
「なんかヘンや。デートのお誘いもしてくるし」
「いや、ただの散歩だよ? 縁が勝手にデートにしてるだけでさ。あ、あそこのベンチに座ろうか」
「うん」
空いていたベンチに並んで腰かける。
隣で楽しい大学生活について語り続ける縁。
私はこの子を大切に想っている。
これはただの友情なのだろうか。それとも恋愛感情に変わり得る? こうして隣り合っていてもよく分からなかった。
私は縁を愛せるのか? ただ話をしているだけでは確証が持てない。
確かめたかった。
本当に縁を愛せるか、確かめたい。
「ねぇ、縁」
「何、なのちゃん」
「私は人を愛せない。それは知ってるよね」
「うん、知ってる。そんでもうちは、相変わらずなのちゃんを愛してんねけどな。そしてプロポーズする」
「それを私は断る。人を愛せないのにそんなのしたら、お互いが傷付いて全部が台無しになってしまうから」
「……うん、そうやなぁ……」
縁が遠くを見る。その眼差しには、少し悲しげな色が混じっている。今までずっと、縁にはこんな目をさせてきた。
「でも、縁なら気付いてるかもしれないけど、私はちょっとだけ変わってきてるみたいなんだ」
「うん、うちを見る目も、ちょっと変わってんで」
「やっぱりそうか……」
「なんか迷ってるふうに見える。なんか悩みがあったら、うちにちゃんと言うてな? うちら、隠しごとなしやで?」
心配げな表情でこちらを見てくる。
「……じゃあさ、縁のことを聞いてもいい?」
「ん? なんでも言うて。なんでも答えんで?」
そう、優しく微笑んでくれた。
私には、まず縁に聞いておくべきことがある。少し気が重い質問だが、どうにか口にした。
「縁って、私相手にエロいこと考えてるんだよね?」
途端に縁が顔を背ける。あ、もうちょっと聞き方を考えるべきだった?
「そ、それはうちのプライベートに属することかなぁ~」
声が震えている。もうバレバレだけどもね。
「なんでも答えるって言ったくせに」
ちょっとすねたみたいな言い方をしてやった。
縁がちらちらとこちらに視線をやる。どうやら迷っているようだ。
私は縁の言葉を待つ。
縁が大きく咳払いをし、私の方へ身体を向けてきた。
「はいっ! 橘縁は、佐伯菜ノ花ちゃん相手にエロいことを考えとりますっ! 結構頻繁だすっ!」
顔が真っ赤だ。でも、この答えではまだ不十分。
「それって、どのレベル?」
「どのレベル?」
「いや、キス止まりとかあるじゃん」
「え? あーうー、最後まで……かな?」
無駄にかわいらしく小首を傾げる。
「やっぱりか……」
つい、ため息をついてしまう。
いや、ホントはこの回答が欲しかったのだが。
「ち、ちゃうでっ! アブノーマルなんはないで?」
手をわたわたと振って弁解してくる。
ん? ちょっと誤解させてしまったか。ヘンなことを言ってきたぞ。
「いや、アブノーマルは考えてなかったけどね」
「うう……」
がっくりとうなだれて身を縮こまらせる縁。
ちらりと上目遣いで見てくる。
「軽蔑する?」
「まさか、好きな相手にそう思うのは当たり前のことでしょ?」
「ホンマ!」
顔を上げて明るい笑顔。こうやって、ころころと表情を変える縁が好きだ。
「まぁ、いきなりガチで襲いかかられたら困るけどさ」
「い、いや、そんなんせぇへんで?」
キョドってる縁の方に、私も身体を向けた。
「縁。私ってさ……」
「ん?」
縁も琥珀色の瞳で私を見る。
「私って、もしかすると、人を愛せるかもしれないんだよ」
「うん……そんなかんじやね」
「私、これから自分がどうなるのかがまるで分からないんだ……」
「つらい?」
顔をのぞき込むようにして聞いてくる。
「ううん、そうじゃないんだ。もしかすると全部がうまくいくかもしれない。そういう予感がある。でも、全部がダメになるかもしれない。そう考えると恐くなる……」
縁と視線を交わし合う。この子の視線を受けると安心できる。
大丈夫。縁となら、きっと大丈夫。
「私は本当に人を愛せるのか。愛したい人を愛せるのか。それを確かめたい。後になって傷付けるのはイヤだから、最初に最後まで行って確かめておきたいんだ」
「さい……ご……」
自分の膝の上に置いている縁の小さな手をぎゅっと握る。縁がびくりと身体を硬直させ、頬を赤く染めた。
周囲の雑音が、ふっと消える。
「だから縁、確かめさせて?」
はっきりと、そう言えた。
縁は固まったままずっと動かない。ただひたすら見つめ合う。
私の言葉は届いたのだろうか? どうしようもなく、不安が高まっていく。
しばらくして、ようやく縁が口を動かした。
「……うち?」
「そう、縁」
「……最後まで?」
「最後まで」
「……マジで?」
「マジで」
あくまで真剣な表情で縁に言う。
「マジでっ!」
いきなり目を見開いた縁が叫ぶ。
「危ない危ない!」
そのまま仰け反って後ろに倒れそうになったので、慌てて腕を引っ張る。
引っ張り寄せた縁の身体を抱き止めると、向こうは私の胸の中でうつむいた。
「ダメ、縁?」
やっぱりいきなりすぎたか。
でも、後回しにはしたくなかった。よく分からないまま愛したふりをすれば、いつか必ず二人の関係は破綻する。後に引き延ばせば延ばすほど、より深く縁を傷付けるはずだ。
だから新しい関係を始める前に、彼女をちゃんと愛せるのか二人で最後まで行って確かめたかった。
縁が肩を震わせてる。泣いてしまった? マズい、どうしよう。
「縁?」
「くっくっくっくっくっ……」
「縁?」
不意に私をはね除けるようにして立ち上がった縁が、両拳を握りしめて高々と天に突きだした。
「やったーっ! 愛の勝利やぁ~っ!」
満開の笑顔でもって、馬鹿でかい声を空に響かせる。
私も立ち上がった。
「じゃあ、いいんだね、縁?」
「当たり前やんっ! この日を六年待ち望んでてんでっ!」
「よかった」
お互いにほっとした表情を浮かべる。
縁が私の手を両方握ってきたのでこちらも握り返す。
すると縁はぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「縁……」
「長かった……長かったわぁ、なのちゃん……」
「うん、長い間、待たせちゃった……」
一歩近付き、縁を抱き寄せる。私の肩に頭を預け、縁は震え続けた。
ああ……私はこのか弱い少女になんて酷い仕打ちをしてきたのだろうか。
そういう想いが滲み出てきて私の胸をさいなんだ。
「なのちゃん、ありがとう。うち、メチャ幸せや……」
縁が私の背中に手を回し、ぎゅっと強く抱いてきた。
手にした幸せを逃さないように、ぎゅっと。
「これからは……これからは二人で幸せになろうね」
そう、これからは二人で幸せになる。絶対に、幸せになる。
すると縁が顔を上げてきた。
「違うで、なのちゃん」
「え?」
「うちはな、今までも幸せやってんで。なのちゃんと一緒におる間、うちはずうっと幸せやってんで」
人懐っこい笑顔を向けてくる。この笑顔を私に向けてくれる喜び。
私の視界が滲む。涙があふれ出て止まらない。
「私も……私も縁といる間、ずっと楽しかった。……幸せだった。私を好きでいてくれてありがとう、縁。ありがとう……ありがとう……」
上ずった声でありがとうを続ける。そんな私の背中を、縁は優しく撫でてくれる。
よかった……縁で本当によかった。
この子となら、どこまででも行ける。きっと行ける。二人、手を携えて歩んでいこう。
しばらくして、二人とも落ち着いた頃合いに縁が身体を離す。名残惜しそうに、私の左手を握りながら。
私はぐいと目の周りを右腕で拭くと、後ろを向いて川の先を指さした。
「じゃあさ、隣の駅の近くに一軒あるでしょ? ここからなら歩いて行けるし、今から行こうよ」
「え?」
「値段はネットで調べといたし。ごきゅう……」
「ちょお待って、ちょお待って、なのちゃん!」
「え? なにさ?」
「うち、この日を六年待ち望んでてんけどっ!」
顔を赤くして睨んでくる。なんで怒っているか分からない。
「だよね。だから早く……」
「なのちゃん、なのちゃん、ちょっと待ってください。もっとこう、もっとこう、ムードとかそういうの……」
「宮殿みたいな部屋もあるらしいよ」
「ちゃいます! そぉゆうんは求めてまへんっ! もぉ~っ、もぉ~っ、この子は、もぉ~っ!」
なんか、地団駄を踏んでいる。
そしてびしっと私を指さしてきた。
「今日の夜十時! うちの部屋に来てっ!」
「え? うーん、分かったよ。十時?」
「十時! うちはもう帰るし。なのちゃんはここで十分待機なっ!」
「うん、よく分からんけど、分かった」
ぶりぶりと怒っている縁が、一人でさっさと元来た道を戻っていく。
と、急に振り返る。
「今日の夜ごはん、魚とか肉の塊とかあかんで? にんにくはもっての他やしなっ!」
「はぁ、分かりました」
またくるりと背を向けて、縁が去っていく。
今日、ブリが安いんだけどな……。




