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ある日の『上葛城商店街』  作者: いなばー
確かめさせて?(菜ノ花)
29/60

3.

 でも、愛するって具体的にどうするんだ?

 縁が望んでいるらしいこと……。うーん、アレか? アレだよな……。アレは避けて通れない。

 でも、具体的にどうするんだ?

 縁に聞いてみるのはやめておこう。やぶ蛇以外の何物でもない。

 かといって、他の知り合いに聞くというも……恥ずかしいな。

 ではググってみようとして思い留まる。ネットはカオスな世界だ。歪んだ知識が付いてしまうかもしれない。避ける、べきだ。

 創作物ならどうだろうか?

 以前、縁にガチの同性愛を描いた映画を観せられていた。

 でもあの時は隣で泣きじゃくっている縁が気になって、せっかくあったベッドシーンはイマイチちゃんと見れていない。悔やまれる。

 レンタルしようにも題名が思い出せない。

 じゃあ、マンガにしようか。きれいな百合というのを選べばきっと大丈夫。絵ならそんなにエグくもないだろう。

 そこでもう一度パソコンを立ち上げた私は、評判のいい百合物を探す旅に出た。

 アレの描写を含むものも結構あるようだ。今まで知らなかった世界……。

 ともかくいくつか選び出して通販サイトで注文する。商店街には本屋もあるが、やっぱり知り合いには知られたくなかった。

 翌日。


「菜ノ花~、荷物来てるよ~」


 しまった! 私が受け取るつもりだったのに母に先を越された!

 店の奥にある倉庫から飛び出して、引ったくるようにして母から荷物を受け取る。


「何買ったの?」

「え? 本。花の……本」

「へぇ……、そう」


 母は異様に鋭い人だ。頬を汗が流れたが、それ以上の追求はなかった。助かった……。

 店が終わり、夕食を手早く済ませた私は自室に籠もる。

 通販サイトの箱を開けると、まずは花の図鑑。擬装用に買ったものだ。

 そして、次……。

 女子同士が抱き合っているイラストが表紙のマンガ。百合マンガ。

 思わず生唾を呑み込んでしまう。この中にはどんな世界が広がっているのだろうか?

 ベッドの上に腰を下ろし、一枚一枚、丹念にめくっていく。

 マジかよ……。

 予想以上の世界がそこには広がっていた。

 あ~そうか~、そこなぁ。あいつペタンコなんだよなぁ。私もたいしたことないし。

 この辺は楽しめなさそうだ。え? 楽しむ? いや、楽しむんだろ? いやぁ、そんな余裕はないだろ。多分、無理だ……。

 えっ! こんなところを? 縁が私のを? もしくは私が縁のを?

 え~、どうだろ?

 大丈夫? いや、想像だけじゃ、ちょっと分かんないな。……とにかくちゃんと洗っておこう。

 え? こんな顔? こんな顔になっちゃうの?

 そんなに? そんなになの?

 縁のそういう顔って、見たことないよ……。どうなるんだろ、あいつ。ていうか、私も?

 んん? これは何やってんの? 女子同士じゃないの? どこをどうするの? あ~、肝心なところが描かれてない……。

 なんか、もやもやと不安だけが募っていく。


「何やってんの、あんた」

「きゃあっ!」


 いつの間にか部屋の扉は開かれ、そこから母が顔を覗かせていた。


「ちょっと、勝手に開けないでよっ!」


 やっぱりこの扉には鍵を付けるべきだったんだ。母が断固として拒否したんだけども。

 とにかくマンガはとっさに掛け布団の中に隠した。表紙は見られたか? 見られていたら、アウトだ。


「いや、ノックはしたよ? 何読んでたの? マンガ?」

「そう、マンガ。少女マンガ」


 どういうマンガかは判別不能だったようだ。まだ、セーフ。


「へぇ、どんなの?」


 母が一歩前に踏み出す。


「ちょっと待って!」

「何さ?」


 身体中からイヤな汗が吹き出している。

 ヤバい、これを見られたら私のサイゴだ。


「頼むからこっち来ないで」

「なんでさ?」

「いいからっ! そのまま出てって、頼むから」

「よく分からん奴だなぁ。なんでそんなに顔真っ赤なの? 風邪?」


 また一歩


「頼むっ! マジで頼んますっ! そのまま引き返してっ!」

「そう言われると、すごい気になるんだけど。なんか、エロいマンガでも読んでるんじゃないの?」


 にやりと笑いかけてくる。

 これはただのエロいマンガではない。

 縁が私を愛していることを、この母は知っている。私がこーいうマンガを読んでいると分かると、これから私が何をするつもりなのかも察してしまう。

 親にそんなのを知られるなんて、拷問以外の何物でもない。


「いいから、いいから、出てって。マジで頼んます」

「分かった分かった」


 ようやく母が引き返す。助かった。


「じゃ、頑張りなよ」

「うん、頑張る」


 母がばたんと扉を閉める。

 ヤベェ、絶対バレたっ!




 冷静になって考え直してみると、私は何バカなことをやらかしてるんだろうか……。

 予習なんて学校の授業では一度もしたことがないくせに、な。

 まぁいいや。得るものはそれなりにあったし、いよいよ行動に移そう。

 縁にメッセージを入れる。「明日、昼から休みもらったんだ。ちょっと川まで散歩行こうぜ」とかできるだけ軽いかんじで。

 わざわざ散歩に誘うのは不自然かな?

 いや、あいつのことだ、深く考えずにしっぽを振って飛んでくるはずだ。

 案の定、縁の奴は昼前に現れた。


「大学のサークルは大丈夫だった?」

「一回くらい、だいじょーぶっ!」


 まさにしっぽを振る飼い犬だ。こういうところがかわいらしくもある。

 今日の縁は白いワンピース。上に薄いピンクのカーディガンをふわりと羽織っている。シンプルなデザインが、縁によく合っていた。

 このワンピースって……。


「もしかして、私が縁に花屋を継ぐって言った時の服?」

「もしかせんでも、そやで。うちがなのちゃんに告白した時の、ワンピース」

「へぇ……」


 去年の七月の末。深夜のバスターミナルで。

 縁と同じ大学に行く約束をしていた私は、それを破って花屋を継ぐと縁に告げた。その直後、縁は私に自分の想いを告白する。

 偶然なのだろうか? でも、今日にふさわしい気がした。


「ど? 似合におてる?」


 くるりとひと回転。裾がふわりと広がる。


「うん、かわいいよ」

「へへ、ありがと」


 思ったままを言うと、素直に喜んでくれた。

 そのまま私の家で昼ご飯。

 適当にうどんで済ませようとしたら、服が汚れるからと縁はナプキンを要求してくる。まぁ、いつものことだ。


「さーて、行こうか」


 仕事着だったので一応着替えておく。とはいえ、ジーンズはジーンズなんだけど。


「川岸デートや」

「あ、デートなんだ?」

「そや、デートやで」


 と、にこやかな笑顔を向けてくる。

 まぁ、その方がいいのかな?

 上機嫌な縁はいつものように腕にしがみついてきた。

 川は駅とは反対方向に歩いていって、途中で曲がった先にある。歩いて渡れそうなくらいの細い川だけど、堤防の上が遊歩道になっていて近辺の人が散歩だとかウォーキングだとかをよくしている。春になると桜がきれいだ。

 そこを縁とのんびり歩く。


「そんで、うちのデザインが褒められてん。まだ一年やのにやるなぁって」

「へぇ、将来有望だ」


 女子大の服飾の学科に通う縁は、サークルも服飾デザイン関連のところにしているのだそうだ。

 夏休みも活動しているので熱心なサークルな様子。


「そやなぁ、アパレルで働けるよおになったらええなぁ」

「縁の夢だもんね」

「うん、うちには他にも夢があるねんけどな」

「へぇ、何?」


 まぁ、何を言うかは読めるけど。


「なのちゃんのお嫁さんっ!」


 と、小首を傾げて媚を売ってくる。予想通りだ。


「まぁ、ねぇ、そういうのもいいかもねぇ」

「え? 拒否せぇへんの?」

「ん? ああ、拒否するよ、拒否。今はまだ、拒否」

「ん~? なんか今日のなのちゃん、おかしない?」

「そうかな?」

「なんかヘンや。デートのお誘いもしてくるし」

「いや、ただの散歩だよ? 縁が勝手にデートにしてるだけでさ。あ、あそこのベンチに座ろうか」

「うん」


 空いていたベンチに並んで腰かける。

 隣で楽しい大学生活について語り続ける縁。

 私はこの子を大切に想っている。

 これはただの友情なのだろうか。それとも恋愛感情に変わり得る? こうして隣り合っていてもよく分からなかった。

 私は縁を愛せるのか? ただ話をしているだけでは確証が持てない。

 確かめたかった。

 本当に縁を愛せるか、確かめたい。


「ねぇ、縁」

「何、なのちゃん」

「私は人を愛せない。それは知ってるよね」

「うん、知ってる。そんでもうちは、相変わらずなのちゃんを愛してんねけどな。そしてプロポーズする」

「それを私は断る。人を愛せないのにそんなのしたら、お互いが傷付いて全部が台無しになってしまうから」

「……うん、そうやなぁ……」


 縁が遠くを見る。その眼差しには、少し悲しげな色が混じっている。今までずっと、縁にはこんな目をさせてきた。


「でも、縁なら気付いてるかもしれないけど、私はちょっとだけ変わってきてるみたいなんだ」

「うん、うちを見る目も、ちょっと変わってんで」

「やっぱりそうか……」

「なんか迷ってるふうに見える。なんか悩みがあったら、うちにちゃんとうてな? うちら、隠しごとなしやで?」


 心配げな表情でこちらを見てくる。


「……じゃあさ、縁のことを聞いてもいい?」

「ん? なんでもうて。なんでも答えんで?」


 そう、優しく微笑んでくれた。

 私には、まず縁に聞いておくべきことがある。少し気が重い質問だが、どうにか口にした。


「縁って、私相手にエロいこと考えてるんだよね?」


 途端に縁が顔を背ける。あ、もうちょっと聞き方を考えるべきだった?


「そ、それはうちのプライベートに属することかなぁ~」


 声が震えている。もうバレバレだけどもね。


「なんでも答えるって言ったくせに」


 ちょっとすねたみたいな言い方をしてやった。

 縁がちらちらとこちらに視線をやる。どうやら迷っているようだ。

 私は縁の言葉を待つ。

 縁が大きく咳払いをし、私の方へ身体を向けてきた。


「はいっ! 橘縁は、佐伯菜ノ花ちゃん相手にエロいことを考えとりますっ! 結構頻繁だすっ!」


 顔が真っ赤だ。でも、この答えではまだ不十分。


「それって、どのレベル?」

「どのレベル?」

「いや、キス止まりとかあるじゃん」

「え? あーうー、最後まで……かな?」


 無駄にかわいらしく小首を傾げる。


「やっぱりか……」


 つい、ため息をついてしまう。

 いや、ホントはこの回答が欲しかったのだが。


「ち、ちゃうでっ! アブノーマルなんはないで?」


 手をわたわたと振って弁解してくる。

 ん? ちょっと誤解させてしまったか。ヘンなことを言ってきたぞ。


「いや、アブノーマルは考えてなかったけどね」

「うう……」


 がっくりとうなだれて身を縮こまらせる縁。

 ちらりと上目遣いで見てくる。


「軽蔑する?」

「まさか、好きな相手にそう思うのは当たり前のことでしょ?」

「ホンマ!」


 顔を上げて明るい笑顔。こうやって、ころころと表情を変える縁が好きだ。


「まぁ、いきなりガチで襲いかかられたら困るけどさ」

「い、いや、そんなんせぇへんで?」


 キョドってる縁の方に、私も身体を向けた。


「縁。私ってさ……」

「ん?」


 縁も琥珀色の瞳で私を見る。


「私って、もしかすると、人を愛せるかもしれないんだよ」

「うん……そんなかんじやね」

「私、これから自分がどうなるのかがまるで分からないんだ……」

「つらい?」


 顔をのぞき込むようにして聞いてくる。


「ううん、そうじゃないんだ。もしかすると全部がうまくいくかもしれない。そういう予感がある。でも、全部がダメになるかもしれない。そう考えると恐くなる……」


 縁と視線を交わし合う。この子の視線を受けると安心できる。

 大丈夫。縁となら、きっと大丈夫。


「私は本当に人を愛せるのか。愛したい人を愛せるのか。それを確かめたい。後になって傷付けるのはイヤだから、最初に最後まで行って確かめておきたいんだ」

「さい……ご……」


 自分の膝の上に置いている縁の小さな手をぎゅっと握る。縁がびくりと身体を硬直させ、頬を赤く染めた。

 周囲の雑音が、ふっと消える。


「だから縁、確かめさせて?」


 はっきりと、そう言えた。

 縁は固まったままずっと動かない。ただひたすら見つめ合う。

 私の言葉は届いたのだろうか? どうしようもなく、不安が高まっていく。

 しばらくして、ようやく縁が口を動かした。


「……うち?」

「そう、縁」

「……最後まで?」

「最後まで」

「……マジで?」

「マジで」


 あくまで真剣な表情で縁に言う。


「マジでっ!」


 いきなり目を見開いた縁が叫ぶ。


「危ない危ない!」


 そのまま仰け反って後ろに倒れそうになったので、慌てて腕を引っ張る。

 引っ張り寄せた縁の身体を抱き止めると、向こうは私の胸の中でうつむいた。


「ダメ、縁?」


 やっぱりいきなりすぎたか。

 でも、後回しにはしたくなかった。よく分からないまま愛したふりをすれば、いつか必ず二人の関係は破綻する。後に引き延ばせば延ばすほど、より深く縁を傷付けるはずだ。

 だから新しい関係を始める前に、彼女をちゃんと愛せるのか二人で最後まで行って確かめたかった。

 縁が肩を震わせてる。泣いてしまった? マズい、どうしよう。


「縁?」

「くっくっくっくっくっ……」

「縁?」


 不意に私をはね除けるようにして立ち上がった縁が、両拳を握りしめて高々と天に突きだした。


「やったーっ! 愛の勝利やぁ~っ!」


 満開の笑顔でもって、馬鹿でかい声を空に響かせる。

 私も立ち上がった。


「じゃあ、いいんだね、縁?」

「当たり前やんっ! この日を六年待ち望んでてんでっ!」

「よかった」


 お互いにほっとした表情を浮かべる。

 縁が私の手を両方握ってきたのでこちらも握り返す。

 すると縁はぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「縁……」

「長かった……長かったわぁ、なのちゃん……」

「うん、長い間、待たせちゃった……」


 一歩近付き、縁を抱き寄せる。私の肩に頭を預け、縁は震え続けた。

 ああ……私はこのか弱い少女になんて酷い仕打ちをしてきたのだろうか。

 そういう想いが滲み出てきて私の胸をさいなんだ。


「なのちゃん、ありがとう。うち、メチャ幸せや……」


 縁が私の背中に手を回し、ぎゅっと強く抱いてきた。

 手にした幸せを逃さないように、ぎゅっと。


「これからは……これからは二人で幸せになろうね」


 そう、これからは二人で幸せになる。絶対に、幸せになる。

 すると縁が顔を上げてきた。


ちゃうで、なのちゃん」

「え?」

「うちはな、今までも幸せやってんで。なのちゃんと一緒におる間、うちはずうっと幸せやってんで」


 人懐っこい笑顔を向けてくる。この笑顔を私に向けてくれる喜び。

 私の視界が滲む。涙があふれ出て止まらない。


「私も……私も縁といる間、ずっと楽しかった。……幸せだった。私を好きでいてくれてありがとう、縁。ありがとう……ありがとう……」


 上ずった声でありがとうを続ける。そんな私の背中を、縁は優しく撫でてくれる。

 よかった……縁で本当によかった。

 この子となら、どこまででも行ける。きっと行ける。二人、手を携えて歩んでいこう。

 しばらくして、二人とも落ち着いた頃合いに縁が身体を離す。名残惜しそうに、私の左手を握りながら。

 私はぐいと目の周りを右腕で拭くと、後ろを向いて川の先を指さした。


「じゃあさ、隣の駅の近くに一軒あるでしょ? ここからなら歩いて行けるし、今から行こうよ」

「え?」

「値段はネットで調べといたし。ごきゅう……」

「ちょお待って、ちょお待って、なのちゃん!」

「え? なにさ?」

「うち、この日を六年待ち望んでてんけどっ!」


 顔を赤くして睨んでくる。なんで怒っているか分からない。


「だよね。だから早く……」

「なのちゃん、なのちゃん、ちょっと待ってください。もっとこう、もっとこう、ムードとかそういうの……」

「宮殿みたいな部屋もあるらしいよ」

「ちゃいます! そぉゆうんは求めてまへんっ! もぉ~っ、もぉ~っ、この子は、もぉ~っ!」


 なんか、地団駄を踏んでいる。

 そしてびしっと私を指さしてきた。


「今日の夜十時! うちの部屋に来てっ!」

「え? うーん、分かったよ。十時?」

「十時! うちはもう帰るし。なのちゃんはここで十分待機なっ!」

「うん、よく分からんけど、分かった」


 ぶりぶりと怒っている縁が、一人でさっさと元来た道を戻っていく。

 と、急に振り返る。


「今日の夜ごはん、魚とか肉の塊とかあかんで? にんにくはもっての他やしなっ!」

「はぁ、分かりました」


 またくるりと背を向けて、縁が去っていく。

 今日、ブリが安いんだけどな……。


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