2.
相変わらず店で働いていると、夕方になってから大学帰りの縁が現れた。
「なのちゃ~ん、結婚しよ~っ!」
「聞き飽きたよ、それ」
抱き付こうとするのをその胸を押して食い止める。
最近になって、縁は私にプロポーズをするようになった。人を愛せない私が断ると分かっていて、何度でも求婚してくるのだ。そうすることが彼女にとっての幸せらしい。
こうやって、人を愛せない私そのものを愛してくれる縁。私にとって、とても大切な存在だ。
「今日のどお?」
拒絶されてもめげない縁が私の前でくるりとひと回転する。ウェーブのかかったロングのブロンドがなびく。
縁は父方の先祖還りによって見た目完全に白人。今日はデニム地のショートパンツにクリーム色の薄いセーター。とてもよく似合っている。
「うん、かわいいよ」
「やった!」
思ったままを言ってやると、表情を緩めて喜んだ。
「なんか、毎回褒めてやるのも飽きてきたな。たまには駄目出ししてやろうかな?」
「ええ~、そんなイケズ言わんとってぇな~。なのちゃんに褒められたくて毎日頑張ってんのに……」
「あんたもかわいいって言われるのが当たり前になってるでしょ? たいして嬉しくもないんじゃない?」
「そないなことあらへん! 愛してる人にかわいいって言われたら、そのつど嬉しいんやっ!」
拳を振って主張してくる。こうやってこいつは臆面もなく愛してると言ってくる。
「へぇへぇ、その愛してるも聞き飽きたよ」
と、私は縁の愛してるをいつもは冗談として受け流す。冗談なんかじゃないって知っているけれど。
「ええ~、何で今日はそんなイケズなん? うちなんか悪いことした?」
「いや、そんなんじゃないんだけどね」
もし私が人を愛せるようになっていたら? 縁との関係はどう変わる?
さっきの男子が去ってから、ずっとそんなことを考えている。
考えているうち段々と怖くなってきた。
縁の愛を受け入れてハッピーエンド? 受け入れていいの?
縁はあくまで親友として、他に愛する人を見つけるべき? あるいは出会ってしまう? そうなった時、縁はどうなる?
目の前に茫漠と広がる世界に足が震えてしまう。
「なぁ、今日、なのちゃんとこにお泊まりしてもええ? 一緒にお話しよ?」
そう言って、縁が私の身体にしがみついてくる。
鋭い縁に心の揺れを読み取られてしまったか? でも、今は一人になりたかった。
「また今度ね。今日は早く寝たいんだよ」
「ぶぅ~、つれへんなのちゃん。なんか寂しぃわぁ」
両手を私の背中に回して離れようとしない縁。そうすると、お互いの身長差から向こうの髪が私の口元にかかってしまう。縁のよく梳かされた髪から柑橘系のいい匂いがする。
「こらぁ~っ!」
この声は……。
「なんじゃ、森田ぁっ!」
私に抱き付いたまま縁が怒声を上げる。睨み付けている相手は森田咲乃先輩。縁の天敵だ。
「こんばんは、咲乃先輩。大学帰りですか?」
「そんな異常な状態で普通に話しかけてくるな。なに店先で抱き合ってるんだよ。人がヘンな目で見てくでしょ?」
咲乃先輩が私たちを指さしてくる。確かに通行人の視線を感じるけど。
「まぁ、この花屋ではよくある光景ですし」
「そやそやっ!」
縁がいっそう強く抱き付いてくる。そろそろ痛いんだけど。
「女子同士が抱き合う光景がデフォルトな花屋ってなんだよ。あのさぁ~、ホントによろしく頼んますよ~。菜ノ花も橘君をもっとちゃんとしっかりと拒絶しなよ」
と、橘縁を睨み付ける。
「いや、私が拒絶するのはあくまでこいつとの結婚ですから。私たちの友情は相変わらずですよ?」
「友情ちゃうて、愛やて」
背を伸ばして私の唇を奪おうとする縁。それをかわす。
「ほら、その辺からもう見解の相違が出てるじゃない。橘君はあくまで菜ノ花の身体を狙い続けてるんだからね」
「か、身体ちゃうわ! 愛やっ!」
真っ赤になるが、それでも離れようとしない。
「愛・イコール・肉体関係でしょうに」
「そうなんですか?」
いきなり生々しいことを言い出したぞ、この先輩。でもそうなのか? 愛ってそういうもの?
「んなわけあらへんっ! うちの愛は純愛なんやっ!」
「でもそうやって抱き付いてハァハァしてるんじゃない」
「ち、違うもん……今はハァハァしてへんもん……」
「でも、前にハァハァ言ってたよね?」
こいつは私の汗の臭いがヘンに好きで、やめろと言うのに嗅いできてはハァハァ言うのだ。
それ以外にも、私の枕をくんかくんかしたいとか、意味不明なことを言っていた。
「あ、あんなん、冗談に決もてるやん。う、うちは清い清い純愛やも~ん」
と。視線を逸らす。
でも、縁は例の告白の時、「ときたまエッチなことも考えんねん」と言っていた。
そっか……。なんか妙に納得してしまった。確かに愛にはそういう側面があるに違いない。
「ほら、滅茶苦茶焦ってるじゃない。菜ノ花、引き剥がしな。そいつは邪な情念でもって菜ノ花に抱き付いている」
「ち、違うもんっ! そんなん違うもん!」
相変わらず離れようとはしない縁だが、その目からは涙があふれそうになっている。
「縁、悪いけど、私は縁とそういうことする気はないよ?」
「分かってるわ! 分かってるから、うちかて我慢してるんやんっ!」
「あっ! 白状した!」
咲乃先輩がびしっと縁を指さした。
「うぇぇぇぇぇんっ!」
ついにガン泣きした縁が地面にへたり込んだ。
「泣いて誤魔化そうとすんなっ! この痴女めっ!」
追撃を加える咲乃先輩。縁を上から見下ろす。
「いや先輩、もう許してやってくださいよ」
「決定打は菜ノ花が与えたんだけどね」
「うっ」
それにしても、今の縁の発言……。そっか、やっぱり我慢してるんだ……。前からヤバそうな気はしてたけども……。
それよりかわいそうな縁をなだめないと。しゃがみ込んで泣き喚いている縁の頭を撫でてやる。
「お~よし、お~よし、泣くな~、縁~」
「とにかく菜ノ花は気を付けるように。ガチで襲いかかってくるのも時間の問題なんだ」
「うぇぇぇぇぇんっ!」
「せんぱ~い」
下から睨み付けると咲乃先輩が肩をすくめた。
「じゃあ、菜ノ花に免じて今日はこの辺にしとくよ。はぁ、ガチ百合の相手はホント疲れる」
ぶつくさ言いながら去っていく。
まぁ、あんなんでも一応私たちの心配をしてくれているのだ。もうちょっとやり方を考えてほしいけど。
「ほら縁、咲乃先輩は帰ったよ。もう泣き止んで?」
「うち……うち……邪とかそんなんちゃうもん……」
メイクが溶け落ちて悲惨な顔になっている縁が呟く。
「分かった分かった、純愛純愛」
「うん、うち、純愛やし……」
ふらふらと縁が立ち上がる。私も一緒に。
こいつを送ってやりたいけど、今店には私しかいない。
「一人で帰れる?」
「うん……。あの、なのちゃん?」
「ん?」
こうやって咲乃先輩にヘコまされた後、大抵縁はキスをねだってくる。
心の中で、ちょっと身構える。
「ん……、なんもあらへん。また来るわ」
「うん、気を付けて帰りな」
あれ? 今日はキスはなしか。
いや、別にがっかりとかそう言うんじゃないんだけども。
夕飯の時、母が思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ、私のヤマユリあるじゃん、あれもうすぐ咲くよ。どうにか今年に間に合った」
「へぇ」
花屋と私たちの住む家は同じ建物なのだが、その屋上に母はビニールハウスを建てていた。
とはいえ片手間で売り物になるような花を育てることはできず、もっぱら母が自分の趣味に使っている。
「種からの奴だよね? 何年かかった?」
「五年かかった。芽が出たのが二年目で、そっからちょっとずつ育っていって、ようやくだ」
「ご苦労様だよね。球根からならもっと早く咲くのに」
秋に植えて、次の年の夏前くらいに咲くはずだ。
「まぁ、趣味だからね。せっかく生えたのを雑草と間違えて処分しかけたり、いろいろあったよ。それでつくづく思ったんだけどさ、あんたってユリみたいなもんなんだね」
「そういうと、なんかガチ百合みたいで引っかかるけど」
「いやいや、あんたはただ、時間がかかってるだけなんだよ。今は花が咲いてないけど、咲く準備は着々と整ってるんだ。なにしろ栄養はたっぷり注がれてるんだからね」
「縁の愛情?」
「まぁ、縁ちゃんの愛情がメインかなぁ、親としては若干悔しいけど。で、今はまだ咲いてないけど、ある時ぱあっと花開くんだ。すごいきれいな花が咲くと思うよ?」
「だといいよね」
縁の愛を受けて、今はまだ人を愛せない私も人を愛せるようになる。愛を花開かせる。
そうなれば、どんなにかいいだろう。
「もうつぼみくらいはできてそうだけど」
「そうだね、ちょっと予感はする」
「うん、きっときれいな花が咲くよ」
母が優しい笑みを向けてくれた。
その日の夜。私はベッドに横たわり、ぼんやりと一枚の写真を眺めた。
高校の入学式の日、縁と二人並んで撮った写真だ。セーラー服が懐かしい。
普通に並んで撮るはずだったのに、急に背を伸ばした縁が頬にキスしてきた。そこを撮られてしまった、そう言う写真。
縁は幸せいっぱいといったふうで、まさに輝かんばかり。
縁とは中学で出会ったが、高校も同じがいいと言って志望校を私に合わせてきた。なのに私の成績が怪しくて、合格できるかどうかは微妙なライン。縁先生のマンツーマンの特訓によってようやく合格することができた。
そんな二人の努力が実った喜びに満ちあふれている。
高校の三年間は本当に楽しかった。学祭で縁謹製のメイド服を着せられたり。体育祭は最初の競技で転んだ縁の世話で終わった。試験勉強で助けてもらうと私をモデルにした撮影会。水着だけは断固として拒否する。
放課後も一緒に遊び歩いた。縁は服を選ぶのに時間がかかるので、何回も着替えて私に見せてくる。今思えばああやってファッションショーをするのが目的だった。
お互いの家にも泊まり合ったものだ。朝まで語り合うこともあれば、すぐにどっちかが寝落ちしたりも。あいつは五回くらい寝ている私の唇を奪った。もしかしたら、気付いてないのはもっとあるのかも。
私は縁が大好きだった。縁はそれとは違う意味で私が好きだった。ずっとずっと、中学の頃からだ。
高校三年の夏にあいつから告白されるまで、私はそれに気付けなかった。
私は人を愛せない人間。だから私の心にあるのは常に友情しかなかった。それしかあり得ない。
じゃあ、もし私が人を愛せていたら、そうだったら縁を愛していた? 縁の愛に、愛を返せていた?
分からない。
友情と恋愛感情がどう違うのか、今の私には分からない。
縁は私にとってなによりも大切な存在。今までずっとそうだったし、これからもそうに違いなかった。
そんな縁の全てを私は受け入れたい。
全て……そう、全て。
思えば七月の始め、縁のプロポーズを受けた時から、私は一気に変わり始めた。
愛してると告白してもそれ以上は望まなかった縁が、自分の望みを打ち明けたあの時から。
彼女の光輝く愛によって、私の人を愛する心は生み出された。
縁が育んだこの花は、縁に捧げるためだけにある。
あの子の全てを受け入れよう。
佐伯菜ノ花は橘縁を愛せる。きっと愛せる。
だから、前に進む。




