素晴らしい予感
友人と話しているうちに、うちはヘコんでしまう。
さらに森田の奴は、うちが不幸になるなんて言ってくる。
だれがなんと言おうとも、うちはなのちゃんを愛し続けるんだ。
「ある日の『上葛城商店街』」の「自分では光れない月だけれど(菜ノ花)」、「今日も、あの人に(縁)」の続きです。
前作を読んでいる方が、理解は進むかと思います。
なお、縁視点ですが、地の文は標準語訳しております。
若干の百合描写を含むのでご注意ください。
●登場人物
・橘縁 : 大学生。菜ノ花が好き。 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」
・佐伯菜ノ花 : 花屋の店員。縁の親友。 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」
・森田咲乃 : 大学生。菜ノ花の先輩。 登場作「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」、「ふくれっ面の跡取り娘」
・佐伯文香 : 花屋。菜ノ花の母。 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」
・樹里 : 初登場。縁の大学の友人
・早紀 : 初登場。樹里の恋人
ムカつく。イチャイチャイチャイチャしやがって……。
温厚なお人柄のこの橘縁も、そろそろ我慢の限界だ。
「もぉ、ええ加減にしてぇやぁ」
「何怒ってんの、縁?」
うちが抗議しても樹里は平然としてやがる。
隣にいる自分の彼女の肩に手を回し、何やら愛を囁いていた。
大学に入ってからの友人であるこの樹里は、なんというか奔放な人なのだ。
「うち、帰んで? そんなんやったら」
「なんでさ、せっかくあたしの彼女、紹介してやってんのに」
ていうかこいつ、さっきから相手の胸を揉みまくってるんですが。
そりゃあ、あんなけの巨乳なら触り心地は最高なんでしょうけどもさ。
でも今いるカフェはうちたちの大学からも近いんだ。他の学生の視線もあるというのに……。
「でも縁さんって、本当にかわいいね。お人形さんみたい」
彼女さん、名前は早紀さんだっけ? 樹里に胸を揉まれても平気な顔をしてうちに話しかけてくる。この人、名前がうちの大っ嫌いな奴に似ているから余計に好かない。
と、いきなり樹里の奴と早紀さんがキスをした。しかも、ディープな奴。
「何やっとんねん、あんたら!」
いらだちながらキツく言ってしまう。
「嫉妬すんなって。愛するもの同士なんだから、キスしてもいいだろ?」
「時と場所を選んでください」
「あたしたちは、愛おしくなったらいつでもキス、なんだよ」
樹里の奴がいやらしく笑みを向けてくる。
なんか、本気で腹が立ってきた。うちもなのちゃんとお店でキスとかするけれど、それはこの際脇に置いとこう。
「愛おしいっていうか、ただのハツジョーやん」
「違うって、愛の発露だよ。お子様な縁には分かんないかな?」
同い年のくせに……。
「ていうか、樹里ってうちのことが好きなくせに」
口を尖らせて言ってやる。
しかし早紀さんは片眉を上げただけ。
「いつの話してんだよ、縁」
「でもホンマやん。うち、樹里に告白されたもん」
「告白っていうか、ただのナンパじゃん」
まぁ、ナンパなんだけども。
大学の構内で声をかけてきたのだ。うちの大学は女子大なので、当然声をかけてきた樹里も女子。
後で自分で言っていたが、彼女は両方いける人なのだそうだ。
「それっていつの話?」
早紀さんが樹里に聞く。
「五月だよな?」
「うん、そう、五月」
「なんだ、大昔じゃない」
ころころと笑う早紀さん。
「しかも、その場で振られたしね」
そう、その場で断った。うちには好きな人がいるのだと言って。
そしたら次に、友だちになろうと言ってきた。話をしてみると結構面白い奴だし、友だちなら別にいいやと思って友だちに。以降、仲よくやってきた。
でも今はまだ八月だぞ? そんな大昔でもあるまい。
「三ヶ月は大昔なん?」
「そうだよ、三ヶ月前の色恋沙汰なんて大昔だよ。縁みたく六年も引っ張ってる方がおかしいんだ」
うるせぇ。
「六年てなに?」
「この子、中一の時からずっと同じ女子が好きなんだよ」
「そぉゆうん、勝手に言わんとってくれる?」
「いいじゃん、いい話なんだし。相手は女子に興味ないんだって。でも、この子はずっと好きで居続けてんの」
「へぇ、いい話じゃない」
うちとなのちゃんの関係を、そんな簡単にいい話にして欲しくはなかった。
簡単な仲ではないのだ、うちたちは。
「でもその子もずっと彼氏作ってないんでしょ? 縁が負担になってるんだ?」
「そんなんちゃうもん」
睨んでやっても樹里はちっとも気にしない。
「縁さんも他の子と付き合ってみたら? 案外簡単に忘れられるかもよ?」
「そんなことする気はありまへんっ! うちは、ずっとずっとなのちゃんを好きで居続けるんやっ!」
もうイヤだ、ここにいたくない。ぐいっと残りのアイスコーヒーを飲み干す。
「なぁ、縁。あんたは視野が狭くなってるよ。ホントの幸せってなんだろ? もっとよく考えた方がいいよ?」
「うちの幸せは、なのちゃんを想い続けることやっ!」
「そんな報われない恋は、お互いを不幸にするだけだって。幸せってのは、ふと見た道の脇にも転がってるもんなんだよ?」
「うちは真正面だけ見とくんやっ! ほな、さいならっ!」
「おい、縁ってばさ……」
うちはもう樹里の方へは顔を向けず、そのままカフェを出てしまう。
樹里はいい奴だけど、恋愛観だけは気に入らない。
あんなけ言われるとヘコんでしまう。なのちゃん成分を補給しなくては……。
地元の駅を出て西に行くとうちの家だけど、今日は東の方へ曲がる。この先の商店街に、なのちゃんの家たるお花屋さんがある。
「橘君、また菜ノ花?」
嫌な奴に声をかけられた。振り返ると両手を腰に当てた森田咲乃が立っていやがる。
「そや、愛するなのちゃんに会いに行って、何が悪いねん」
ぎろりときつい視線を送ってやる。こいつはしょっちゅう、うちをガン泣きさせる、ロクでもない女なのだ。
森田が深いため息をつく。
「まぁいいや。そこまで一緒に行こうか」
「なんでワレと歩かなあかんねん」
「まぁまぁ」
森田の奴が馴れ馴れしく肩を組んでくる。そしてそのまま連行するみたいにうちを押していく。
「またうちとなのちゃんの仲を妨害する気なんか?」
「ん? ん~、今日はやめとく。なんかキミ、元気なさげだし」
う……そういうの、分かるのか?
「うちはずっとずっとなのちゃんを愛してんねや」
「うんうん、いつもそう言ってるよね」
「誰にも邪魔はさせへん! うちの愛は絶大無比、永久不滅やねんから!」
森田がいない側の腕を振り上げる。
「キミはね。キミはそうかもね」
「何、その含み?」
「菜ノ花はどうなんだろ? あいつって、ちょっと人と違うとこあるよね?」
「なにそれ?」
森田がうちの顔を覗き込むようにしてくる。真剣な表情。
「キミが気付いてないとは思えないけど」
「なんのことやろ?」
うちはすっとぼける。
「言いたくないけどさ、あいつって、絶対人に心許さないでしょ?」
「そないなことあらへんで? うちのこと、ちゃんと好いてくれてんもん」
「まぁ、私にもなついてるよ? でもなぁ、なんか最後の壁があるんだよ。気付いたのは最近だけど、考え直してみると昔っからなんだ」
この女、意外に鋭い。
そう、なのちゃんは普通の人とはちょっと違う。
人を愛せない。なのちゃんはそういう人だ。
どんなに好ましく思う相手でも、愛情を注ぐことができない。最後の最後で愛せないのだ。
そんな態度を取られると、相手は壁を感じもするだろう。
なのちゃんはうちを大切に想ってくれていた。とてもとても大切に想ってくれている。
だけど、うちの全部を受け止めてはくれない。最後の最後で身をかわしてしまう。
うちのわがままはなんでも聞いてくれる。ケーキを食べよう、アイスを食べよう、たい焼きを食べよう。あ、夕ごはんが入らない。じゃあ、帰ろうか。
楽しみにしていたお食事を、あっさりと諦める。甘い時間を過ごしたいうちの気持ちを簡単に見過ごしてしまう。気持ちが届かない。
なのちゃんはお花屋さんで働くか、うちと大学に行くかでずっと迷っていた。そしてお母さんと話し合った結果、お花屋さんで働く決心を固める。
うちは今ではその決断を受け入れていた。
でも……でも、なのちゃんがお花屋さんで働こうと決めた時、うちのことは頭の中になかったんじゃないか? そういう考えたくもないことを、一時は考えてしまった。だって、なのちゃんはそういう人だもの。
あの子は時に残酷だ。とても残酷な顔を覗かせる時がある。
それでもいい。それでも、うちはなのちゃんを愛している。ずっとずっと、愛していくのだ。
「それはあれやで、森田のことはそんなに好きやない言うことやで」
うちはムリに森田を攻撃する。
「そうなのかなぁ……。キミに対してもそうなんだよなぁ……」
「んなわけあらへん。うちらは相思相愛なんや」
イヤなことを……、この女はイヤなことを言いかねない。
頼む、言わないで……。
「私がキミをガン泣きさせるじゃん? あの子はすぐにキミをなだめるんだけど、時たま諦めるんだよ。泣き喚いてるキミを、横でぼんやり見てるんだ。そういう時の菜ノ花の……」
「やめてっ!」
うちは森田に背を向け、耳を塞ぐ。聞きたくない。聞くのが怖かった。
「ゴメン、悪かったよ。でもさ、キミはホントにちゃんと考えた方がいいよ? 女子同士だからとか、それ以前の問題として……」
「聞きたぁないっ!」
「まぁ、ねぇ……。私の言うことなんて、聞くわけないか。でもね、なんだかんだでキミとも付き合い長いしさ、不幸になるのを見過ごしたくないんだよ」
「うちは不幸ちゃうっ! なのちゃんと一緒にいるんがうちの幸せなんやっ! ワレが勝手に不幸とか決めんなっ!」
背を向けたまま怒鳴る。早く向こうへ行ってくれと願う。
「分かった分かった。じゃあね、また今度泣かしたげるよ」
「二度と顔見たぁないっ!」
「そういうわけにはいかないんだよ」
最後にそうつぶやいて、森田は先に歩いていった。勝手なことばっかり、聞きたくないことばっかり言いやがって。
つらい気持ちを引きずりながら、どうにかお花屋さんにたどり着く。なのちゃんの笑顔をひと目見たかった。
「よう、縁ちゃん。菜ノ花は今配達だよ」
なのちゃんのママンたる文香姐さんが言う。
「ほな、待たせてもらいますわ」
心を挫かれたが、今は待つしかない。
お店の中に入って、並んでいるお花をなんとなく見て回る。
白いお花がいくつも咲いている鉢があった。儚げなようで、どこか凛とした強さを感じさせる花だ。
「きれぇ……」
「エーデルワイスだよ」
後ろから声をかけてきたのはなのちゃんだった。
「お帰りやす、なのちゃん」
「これね、ダメになりかけてたのを、私がここまでにしたんだよ」
「へぇ、なのちゃん、ちゃんとお仕事してるんや」
「当たり前だ」
なのちゃんが私の頭に拳を振り下ろしてくる。イテ。
「育てるのが結構難しい花なんだけどね。愛情をいっぱい注いだら、どうにかこうにか、きれいな花を咲かせてくれました」
そう言って、にっこりと笑顔を見せてくれた。
この笑顔を見るだけで、傷付いたうちの心は癒やされる。
「愛情か……」
「愛情って、私がヘンだよね。愛のない女なのに」
頬をかいて、少し気まずそうな顔。
なのちゃんは自分が人を愛せないことを気に病んでいる。そんな彼女を、うちはひたすら愛し続けるんだ。
「んーん、そないなことあらへんで。このお花は、なのちゃんが愛情をたっぷりかけたから、ここまできれぇに咲いたんや」
「うん、ありがと」
お互いに微笑み合う。
なのちゃんがふと気付いたように声をかけてくる。
「縁、ちょっと目を閉じて?」
「ん?」
顔にゴミでもついてる?
と、うちの唇に、柔らかいものが押し当てられた。
温かくて安心できる、この感触は……?
「はい、終わり」
目を開けると、少し顔を赤らめているなのちゃんが。
「え? キス?」
「うん、縁、なんか元気ないし。ちょっとした、おまじない?」
などと照れ笑いをする。
なのちゃんは滅多に自分の方からキスをしてくれない。いつもうちからするか、うちがせがむか……。
前にしてくれたのは、森田の奴にガン泣きさせられた時。先輩たる森田にマジ切れしたなのちゃんが、当てつけでキスしてくれたんだ。
……当てつけはともかく、なのちゃんはいつもうちのことを考えてくれていた。
いつもは嫌がるキスも、うちが本当に困っていたらしてくれる。そういう人だ。
「ありがと、なのちゃん……」
「うわ、縁、顔真っ赤だ。そんな反応されると焦るんだけど」
首の後ろをかいているなのちゃんの胸に、うちは頭を押し当てる。
優しくうちを受け止めてくれるなのちゃんの両手……。
ああ……うちはこの子が好きだ。愛している。どうしようもなく、愛している。
「なのちゃんからのキス……うち、幸せやわぁ……」
「うーん、なんなんだろ? ヘコんでる縁を見てたら、なんかこう……」
うちは顔を上げ、間近からなのちゃんと目を合わせた。
そして、聞いてみる。
「愛おしくなった……とか?」
「愛おしく? ……愛おしく、だ。……うん、それがしっくりくる」
そう言って、何度もうなずく。
「そっか、うれし……」
なのちゃんをぎゅっと抱き締めると、向こうは頭を撫でてくれる。
うちが愛おしい。人を愛せないはずのなのちゃんが、うちを愛おしく思ってくれた。
うちの中にある予感が沸いてくる。とても素晴らしい予感だ。
なのちゃんは人を愛せない。これまではそうだった。
でも、いつまでもそうとは限らない。
うちが愛情を注ぎ続ければ、いつかなのちゃんもきれいな花を咲かせるのかも。きれいなきれいな、純白の花を。
「なぁ、なのちゃん。このお花、うちが買てええ?」
「ん? 育てるの難しいよ?」
「育て方教えて。大事に育てるわ」
「じゃあ、そうしてくれる? 縁がいつも見てくれるんなら、私もうれしいよ」
「うん」
そしてうちは、なのちゃんの愛情が注がれたお花を買うことに。
「あ、そうだ縁ちゃん」
なのちゃんがお花を包んでいる横から、文香姐さんが顔を出してきた。
「こいつの花言葉、いいのがひとつあるんだ」
「へぇ、なんだすん?」
「『初恋の感動』」
「へぇ……」
なのちゃんと目が合ってしまい、赤くした顔をお互いに背けてしまう。
脇でにやにやしている文香姐さん。
『初恋の感動』か……。ええ、この六年、忘れたことはありませんよ?
気まずい雰囲気の中、どうにかお花を受け取った。
「これ重いし、家まで送ってくよ」
「ホンマ? じゃあ、お願いするわ」
「余計なことを言う母さん、行ってくるよ」
「はいよ、お幸せにね」
相変わらずにやにや笑いの姐さんに見送られてお店を出る。
なのちゃんが右手に鉢をぶら下げたので、うちは空いた左腕にしがみついた。
「重いって、縁」
「ええやん、うちはこぉしていたいんやっ」
「わがままなお嬢様だ」
二人、並んで道を歩いていく。これからも……。




