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ある日の『上葛城商店街』  作者: いなばー
私は本屋の店員さん(響)
21/60

2.

 私と西田君、二人で仲よくおもちゃ屋さんをやる。そう決めてしまうと、身体が一気に軽くなった。

 これから二人はずっと一緒。西田君からちゃんとしたプロポーズを受けるのは当分先にしても、私たちの未来は確定したのだ。

 両親は驚くかな? まぁ、今までそんなに強く跡を継ぐよう言われたことはないし、元々いったんは家を出て会社勤めをしていたのだ。ちゃんと頼めば案外あっさりと認めてくれるはず。

 そうだなぁ……、ちょっとそれとなく、話をしてみようかな?




 西田君の家から帰った私は、夕飯の時に両親と話をしようと考えた。

 あ、意外と緊張するな……。


「響ちゃん、西田君の部屋は相変わらずすごかった?」


 お母さんが話しかけてきた。

 私は口が軽いので、彼の悲惨な生活は軒並み親の耳に入っている。彼の印象が悪くなると気付いた時には手遅れだった。


「相変わらずすごかったわよ。どうにか人が住めるようにはしてきたけど」

「おたく青年とお付き合いするのも大変ねぇ。結婚したらさらにね」


 お母さんは、先走りがちな人である。前に西田君と会わせた時も、彼に結婚を前提にした話を吹っかけてきた。あの時は西田君がヒかないよう、取り繕うのが大変だったな。


「でも彼なら、マンガコーナーを充実させてくれそうだな」


 もう随分頭髪が寂しいことになっているお父さんが言う。

 ん? マンガコーナー?


「彼が店長になったら、商品は軒並みおたくっぽくなりそうねぇ。そういう専門店になったらなったでいいのかしら?」


 ん? 店長?


「いやー、それだと今までのお客が困ってしまうぞ。せめてワンコーナーに留めてくれないとなぁ」


 ははは、と笑うお父さん。

 んんん~~~?


「ていうか、西田君が店長になるとは決まってないんじゃないかな~」


 私が牽制しても、両親は首を傾げるばかり。


「なんで? 二人、結婚するんでしょ? 西田君がぐずぐずしてるだけで」

「いや、それもどうかな?」

「なんで? したくないの? 結婚」

「いや、したいけども。彼の意志とか……」

「そんなのは、ガーンと押してしまえばいいんだよ」


 お父さんが威勢よく言う。自分だって、お母さんにはぐだぐだなプロポーズしかできなかったくせに。


「西田君があんなんだから、響ちゃんが頑張らないと。ていうか、ちゃんと頑張ってる?」

「いや、頑張ってはいるわよ。だから今日も彼の家に押しかけたんだし」

「まだまだね」

「まだまだだな」


 両親揃って首を振る。うるさいなぁ。


「とにかく、結婚はまだだし、お店継ぐとかもまだまだ不透明よ?」

「母さん、西田君が店を継いでくれるとなったら、一週間くらい休みを取るか」

「いや、だから跡を継ぐのは……」

「そうねぇ、いい区切りだから改装しましょうよ。その間に私たち夫婦でどっか旅行に行くの」

「いや、改装には賛成だけど……」

「思い切って海外に行くか!」

「いや、話を聞いてくださいよ……」


 ダメだ、勝手に盛り上がってどんどん話を膨らませている。

 確かに、今までずっと頑張ってお店をしてきた両親に、海外旅行をプレゼントするのはとてもいいことだとは思いますよ?

 でも、前提条件が……前提条件が……。


「どうした、響。顔が青いぞ」

「あ、やっと話を聞いてくれるのね。あの……私がこのお店を継がないって選択肢はあるの?」

「継がない? 継がないつもりなの?」

「え? そうなのか? 初耳だぞ」

「いや、そんなに迫ってこないで?」


 ぐいぐい顔を近付けてくる両親を手で防ぐ。


「なんだ、冗談か」

「タチの悪い冗談ね」


 ようやく顔を引く。


「冗談……かな?」

「だって、響ちゃん、他にやりたいことなんて何もないでしょ?」

「え? いや~」

「会社だって、当時の彼氏について行っただけだしな」

「ぐっ……」


 その彼氏とは結婚したけど、すぐに離婚した。そして会社内に居場所がなくなって、この商店街に戻ってきたのだ。

 やりたいことなんて何もない……。

 そう、確かに小村響はそういう女だった。

 本屋でマンガコーナーを担当しているくせにマンガは特に好きではない。

 おもちゃメーカーで設計をしていたのに、元になった特撮番組やアニメは特に詳しく知らない。

 大学の学科は友達と一緒のところ。機械工学なんて特に興味があったわけではない。

 ああ、サークルもそうだったな。一番熱心に誘ってきたゴルフサークルに入ったんだ。特に好きでもないのに……。

 小村響は特にやりたいことなんて何もなく、その場その場の雰囲気に流されて生きてきた。

 私は本当におもちゃ屋がやりたいのだろうか?

 西田君はおもちゃ屋をやるべき。でも、私はそれにくっついていっていいの? お父さんお母さんの願いを振り切るだけの、強い想いが私にはあるの?

 私はもう、何も言えない。


「本当に店を継ぎたくないのか、響?」


 お父さんが私の顔を覗き込んでくる。


「そんなことないよ。お父さんお母さんが頑張ってやってきた本屋じゃない。私が跡を継がないでどうするの?」

「そうか、よかった」


 二人揃ってにっこり笑みを見せてきた。




 はぁ、どうしよ……。西田君にはおもちゃ屋をやろうって言っておきながら、両親には跡を継ぐなんて言っちゃった……。

 西田君はおもちゃ屋を継ぐべき。私は本屋を継がないといけない。じゃあ、私たちはどうなるの?


「どうしたんですか、響さん?」


 あ、またぼおっとしてしまった。今は勤務中だ。

 和菓子屋の看板娘がカウンターの向かいで首を傾げている。

 この子は高校二年生だ。


「ごめんごめん、みこちゃん。今日は何を見にきたの?」

「はぁ、参考書ですけど。なんか、浮かない顔してますね」

「そうかな? ちょっと寝不足なのよね。年取るとそういうのがモロに顔に出るんですよ」


 寝不足は本当だ。昨日はよく眠れなかった。


「まぁ、お体を大切に。ついでになんかマンガも買おうかな? 響さん、ちょっとした空き時間に読めるようなのありますか?」

「そうね、四コママンガならいつでも読めていいかも。萌え以外にもいろいろあるよ」


 と、カウンターの中から出て四コママンガコーナーに行く。


「萌えって奴が未だに分からないんですけど、何なんですか、あれ?」

「いや~、私もニュアンスが掴みきれてないのよねぇ。ダメよね? こんなマンガコーナーの店員」


 バツが悪くなりながらみこちゃんの方を向く。

 みこちゃんは軽く肩をすくめる。


「まぁ、仕方ないですよ、特殊な世界ですから」

「こんなんで本屋を継いでもいいのかな、って時々思うわ。みこちゃんはもういつでも継げるってかんじだけど」


 この子はずっと小さい頃から和菓子屋を継ぐと言っている。


「そうですね、最近は会計の勉強もしてますし」

「あ、簿記三級?」

「ええ、前に取りました」

「負けた……。私は今苦戦中よ。やっぱり親御さんに言われて?」

「いいえ? 必要ですから」


 当たり前のように言う。この子なら確かに自分から取るだろう。はぁ、この意識の差よ。


「みこちゃんが和菓子屋さんを継ぐのって、親御さんの意向もあったり?」

「うちの親は何も言いませんよ? 他にやりたいことがあれば店は継がなくてもいいとか適当なこと言ってます」


 マンガを眺めながらみこちゃんが言う。へぇ、そうなんだ。


「でも、みこちゃんは和菓子屋さんを継ぐんだ?」

「ええ、生まれた時からそう決めてるんで」


 こっちを向いて、にっと笑顔を見せてくれる。


「さすがねぇ……」


 思わず深いため息なんてついてしまう。

 私にここまでの想いはない。


「うーん、四コマってだけでもいっぱいありますね。どれにしたもんだか」

「せっかく読むんだから、普段知らない世界の話はどうかな? これなんかは美術系の高校を舞台にした話よ」

「うーん、興味沸いてきませんねぇ」


 あくまで自分の世界にしか興味がないのか。どこまでもガチだなぁ……。


「じゃあ、こっちは? 自分ちがお店の子の話だよ。あ、同じ作者で京都の和菓子屋が舞台のもあった、これね」

「へぇ、和菓子屋。じゃあ、これにしてみます」


 そして二人でカウンターへ。


「じゃあ、これ、マンガと参考書。勉強も頑張ってね」

「選ぶの手伝ってくれて、ありがとうございます。やっぱり響さんはちゃんとした店員さんですよね」

「そうかな、ありがとう」


 そして手を振りながらみこちゃんは出ていった。

 うわ、一三才年下に気を使われてしまった……。




 同じ商店街の一人娘なのになんでここまで違うかな? 圧倒的な意識の差を見せられて、そのまま終日ヘコんでしまう。

 店が終わった後、片付けをしていると西田君が現れた。こうして急に来るのは極めて珍しい。


「どうしたの?」

「あ、あの、ちょっと今から俺んち来てくれない?」

「え? あ、うん、いいよ。あ、ちょっとだけ準備させて」

「あ、うん、下で待ってる」


 え? なんだろ? 乙女心がときめいて仕方がない。

 とにかく手早く準備を済ませて階下にいる彼と合流する。


「なんか珍しいね、こうして誘ってくれるのって」

「あ、急に迷惑だったよね?」

「ううん、まさか。うれしいよ。とても、うれしい」


 彼の腕に手を絡ませる。ちなみに私たちは同じ背丈だ。

 私たちを呆然とガン見してくる商店街の若い衆は存在しないものとして扱い、彼との甘い時間に心を浸らせる。


「あ、あのさ……」


 商店街からまだ出ないうちに西田君が話を切り出してきた。彼の緊張が腕からも伝わってくる。

 まさか? まさか? ついに? ついに?


「あのさ……」


 頑張れ! 頑張るんだ、西田! この際ロマンティックでないロケーションは気にしないっ!


「俺たち別れよう……」


 え?


「何それ?」


 立ち止まって彼から離れてしまう。


「いや……小村さんは本屋を継がないといけない……。俺とおもちゃ屋とか、ダメだよ……」

「そんなことないよ。私は……私は西田君と……」


 西田君とどうしたいの?

 今ここで、本屋を捨てておもちゃ屋を取ると、言い切る意志の強さが、私にはない。


「俺は……おもちゃ屋をしたい。あそこは俺の、居場所なんだ」

「うん、分かってるよ。でも……だから、私も……」

「いや、キミは本屋を継がないといけない。ご両親がずっとやってきた本屋なんだし……。みんな、キミが継ぐものと思ってる……。でも俺は、本屋は継げない……」


 私は西田君に本屋を継いで欲しいなんて思っていない。そのことを伝えないと……。でも、じゃあ、西田君が本屋を継がないとして、本屋はどうなるの? 頭が混乱してわけが分からない。

 西田君が口を開いてしまう。


「だから別れよう。今まで楽しかったけど、でも別れよう。ゴメン……」


 西田君が私に背を向け、とぼとぼと一人で歩きだした。

 ダメだ……彼を行かせてはダメだ……。全部が、なにもかもが、終わってしまうっ!


「イヤッ!」


 出せる限りの声を張り上げていた。自分でも驚くほどの。

 彼が振り返る。


「絶対にイヤッ! あなたと別れるのは絶対、絶対、イヤッ!」

「でも……どうしようもないんだ、そうするしか……」


 彼は泣きそうな顔をしていた。私はとっくに涙が止まらなくなっている。


「絶対にイヤッ! あなたとは絶対に別れないっ!」

「でも、キミは本屋を継がないといけないんだ……。俺以外の誰かと結婚して……」

「そんなのあなたが決めないでっ! 私のことは、私が、決めるっ!」

「どうするっていうんだよ……」


 西田君が両手で頭を掻きむしる。今にも崩れ落ちそうだ。

 私は駆け寄り、両拳を彼の肩に振り下ろす。


「あなたは私とずっと一緒にいるのっ! そう決まってるのっ!」

「でも……本屋が……本屋はどうするんだよ……」


 本屋? 両親の顔が思い浮かぶ。本屋で過ごしてきた日々も。朝は早い、本の束は重い、エロマンガなんて触りたくもない。なのに、次から次へと本屋への想いがあふれ出て止まらない。一度に十冊以上マンガを買う子がいる。マンガの話を振ったら止まらなかった。参考書選びを手伝ったら、後で成績を報告してくれた子。笑顔がとてもかわいかった。小学生のくせにラブレターを寄こした子もいたな。丁重に断ったら泣いちゃったんだ。

 こんなにも大きな存在だと思っていなかった。特に好きってわけじゃないはずなのに。手放せない。手放してはいけない。


「本屋は継ぐ。本屋は継ぐって、そう決まってる……」

「だったら……、俺達は別れるしか……」


 違う……違う……そうじゃない。そうじゃないだろっ!


「私たちは別れないっ! 本屋は継ぐっ! あなたはおもちゃ屋! 私は本屋! でも、私たちは離れないっ! 絶対離れないっ!」

「そんなのって……」

「そうするのっ! 決めたっ! 今決めたっ! 私はそうしたいのっ!」


 何度も何度も彼の肩に拳をぶつける。

 私はずっと流されて生きてきた。なのに今、私の胸を灼いているこの想い。この想いは本物だ。私は見つけ出した。自分がどうしたいのか、見つけ出した。これは、誰にも覆せない、私の意志だ。


「分かった……分かったよ……」


 西田君が私の拳を受け止める。彼の目にあった迷いの色は消えていた。

 私たちは大丈夫。私たちは大丈夫……。

 見つめ合ううち、どちらからともなく、唇を重ねていた。




 一連のやり取りは商店街の真っ只中で行われたのを、翌日になって思い出した。


「いや~、見たかったな~。誰か録画してないかな~」


 朝の早いうちから本屋に現れた森田咲乃は終始ニヤニヤ顔。


「人の一世一代を見世物にするんじゃありません」


 つんと横を向いてやる。耳まで真っ赤になっているのは自覚している。


「響さんは本屋さんを継いで、西田さんはおもちゃ屋を継ぐ。そして二人はずっと一緒。つまり結婚する?」

「まぁ……そのうちに? そうなればいいよね?」

「なーんか、すごい欲張りですよね。意外だ」


 サキちゃんがカウンターに肘をつく。


「そうなのよ、私は欲張りなの」


 開き直って胸を張る。

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