1.
私、小村響は本屋の一人娘。
もうそろそろお店を継ぐことも考え始めるお年頃。
一方、私の彼氏はおもちゃ屋で店員をしていて……。
「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」と「ある日の『上葛城商店街』」二話の「サーティ・イヤーズ・オールド」をふまえたお話となります。
これ単体でも分かるようにしているつもりです。
●登場人物
・小村響 : 登場作「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」、ちょい役「ふくれっ面の跡取り娘」
・西田 : 登場作「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」、ちょい役「ふくれっ面の跡取り娘」
・森田咲乃 : 登場作「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」「隣人はかぐや姫と呼ばれる」「ふくれっ面の跡取り娘」「ある日の『上葛城商店街』」
・野宮みこ : 主人公「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」、ちょい役「ふくれっ面の跡取り娘」
うーん。
私、小村響はただいま本屋の店番中。ではあるのだが、やってくるお客が少ないので、カウンターに本を並べて勉強なんてしていた。
うーん、よく分からん。
「なにやってるんですか、響さん?」
しまった、お客が来ていたか。
と思ったら、森田咲乃ちゃんだ。大学生のこの子は、特に用もないのにここへよく来る。
「ゴメンゴメン、ちょっと集中しすぎてた。なんか、計算がややっこしくって……」
「計算って、オギノ式の?」
「何言ってんの、サキちゃん!」
思わず叫んでしまった。この子、時たま下ネタを口走るんだよ……。
「あれ違った? ついにデキ婚を仕込みにかかったのかと思ったんですけど」
「んな訳ないでしょ? 簿記です。簿記の勉強中」
「母子? 母子手帳? あ、もう仕込みは完了なんですね」
「ちーがーいーまーすっ! なんでそう、私を妊娠させたがるのよ。帳簿の勉強をしてるの。今度、簿記の試験受けることにしてね」
お母さんからそういう命令を受けたのだ。言い逃れようとしたが、負けてしまった。
「へぇ、手こずってます?」
「そうねぇ、私って会社員時代は技術者してたんだけど、技術者って奴はお金の計算が苦手なのよ。そういうふうにできてるの。つまり、かなり苦戦中」
「技術者うんぬんは言い訳ですよね。でもそういう資格取るってことは、いよいよお店を継ぐ準備ってことですか?」
「まぁ、そうね。ちょっとずつ~、ってところかな?」
頬杖をしてため息をつく。
まぁ、別にお店を継ぐことに異論はないけれど。でも、こういうお金の管理だとか、いろいろと面倒くさそうではあるなぁ。
「西田さんはどうするんです?」
「西田君?」
「婿入りさせてお店手伝わせるんですか、やっぱり?」
「え? あれ? どうなんだろ? ていうか、彼と結婚するって決まったわけでもねぇ……」
「うわ、なんて余裕たっぷりな三〇才なんだろう。いいんですか? そんな考えなしの人生で?」
「う、うーん」
九才年下に人生の心配をされてしまった。
でもなぁ、西田君が結婚の決意を固めてくれるなんて、いつになるのやら……。
「ちょっとずつ考えていった方がよさげですよ? お店を継がない私が言うのもなんですけど」
そう言い残して、サキちゃんは帰っていった。
確かにその通りだなぁ……。
次の日、私は午後からお休みをもらっていた。本屋は私たち親子三人の他にも店員がいるので、多少余裕のあるシフトが組まれているのだ。
自室で簿記の勉強をしていたけれど、すぐに飽きてしまう。ちょっとおもちゃ屋にでも行ってくるか……。
おもちゃ屋には西田君がいる。私の彼氏さんだ。
「こんにちは~」
「おう、いらっしゃい」
入り口脇のカウンターから、店長の佐川さんが声をかけてくれる。もうずいぶん前からお年寄りだけれど、まだまだ現役だ。
西田君は小学生たちとカードを見せ合いながらわいわい話し込んでいる。デッキをどう組むだとかそういう話のようだ。
「西田、なんでそんないいカードばっか揃えてるんだよ」
「店員だからって、ズルしてるんじゃないか?」
「そんな訳あるか、俺は全部自腹で買ってるんだ。ただな」
と、西田君が言葉を切る。
「大人の資金力は、ガキどもとは比べもんにならんのさ」
にやりと笑う。実に大人げない。
「くっそっ! 西田のくせに生意気だ! 俺らにもおごれよな~」
「バカか、そんなんしたらキリがないだろ? お前ら絶対味をしめて群がってくるからな」
「一回だけ、一回だけだから、西田さん。お願いしますよ、今月厳しいんですって」
調子よく媚びへつらう小学生。そんなのに乗せられたらダメよ?
「仕方ねぇ、そんな哀れなお前には、このカードをくれてやるぜ」
「サンキュー! お、ちょうど持ってない奴だ、でかした西田!」
「その代わり、これをもらう」
「え? 汚ったねぇ。まぁいいけど、こっちの方が欲しいし」
「いいなぁ、西田、俺にもくれよ」
「今日は店じまいだ。お前ら、塾はいいのか?」
「あっ! もうそんな時間か。今日は勘弁しといてやるぜ、西田!」
「西田、カードサンキューな!」
「次はちゃんは買えよ」
かまびすしい小学生たちが店を出ていった。
「お疲れ様、西田君」
「あ、来てたんだ、小村さん」
ややふくよかな身体を揺らしながら近付いてくる。
「うん、今日はお休みなの。相変わらず、子供がよく懐いてるね」
「まぁ、完全に舐められてるけどね」
それは見てたら分かる。
西田君は大人ぶってるつもりだけど、どっからどう見ても一緒になって騒いでるようにしか見えない。
でも、こんなふうに子供と対等の関係で遊ぶ彼のことが、私は好きだ。
「お前ももう少し、商売っ気を出さんとなぁ」
佐川さんがため息をつく。
「いや、長期的な視野に基づいた、囲い込み戦略っすよ」
抗弁する西田君。本当かよ。
「まったく、そんなんで店をやっていけるのやら」
「あっ! 店長、シーッ!」
慌てた様子で自分の口に人差し指を当てる西田君。なんだ?
佐川さんの方を見ると、向こうもこっちを見ていた。なんだか驚いたような顔をしている。
「西田、まだ言ってないのか?」
「いや、その……まだっていうか、そんな急な話でもないっすよね?」
「困った奴だ」
腕組みをして西田君を睨み付ける佐川さん。
私が問いかけるように西田君に向かって首を傾げても、向こうは頭をかくだけで何も言ってこない。
うーん、まぁいいか。
そうやって立ち話をしていたら、次第にお客さんの姿が増えてきた。
「じゃあ、いったん私は帰るわ。お仕事終わったら私のとこ来てね、西田君」
こうやって自然に部屋へ誘えるようになるまでの私の苦闘は相当なものだった。なにしろ私はヘタレなのだから。
それでももうお付き合いして一年半経つのだ。どうにかこうにかさりげなくを装って、声をかけられるようになった。心臓はバクバクだけども。
「お、おう」
そして西田君はいつも顔を真っ赤にして、さりげなくという私の苦心を台無しにしてくれる。
まぁ、いいけどもさ。
四階の自分の部屋から下を眺めていると、西田君の姿が見えた。こうして見張っておかないと、あの人は家の扉の前でうろうろしっぱなしなのだ。
「西田くーん、ちょっと待っててねー」
「お、おう」
手にはケーキの箱を持ってたな。最近、ちょっとだけ気が利くようになっている。いい傾向だ。
そして部屋に入れる。もう何回も来ているくせに、入るたびに「おお……」とか驚いたような声を出す。いい匂いがするなんて、小っ恥ずかしいことを前に言っていた。
そして西田君が買ってきたケーキを頂くことに。お酒はぐっと、我慢する。
「今日もお疲れ様」
軽くティーカップを掲げる。
「まぁ、疲れるってほどじゃないけどね。ガキの相手とかだし」
仕事はそれだけじゃないとは思うんだけど。
「やっぱり、子供の相手してる時の西田君は楽しそうだよ。よっぽど好きなんだね」
「そうかもね。あいつらは見てて飽きないよ」
「見てて、っていうか、一緒になって騒いでるんだけど」
少し意地悪く笑いかけてみる。
西田君は頭をかいて照れくさそう。
「おもちゃ屋さんは天職だ」
「かもね。あそこ以外で働いてる自分は想像できないな」
「そっか……。じゃあ、ずっとおもちゃ屋さんで働くんだね」
「あー、うん、そうだね」
なんか言い淀んだ。
さっき佐川さんが言いかけたのは、多分、店を継ぐとかそういう話だ。
佐川さんもいい年だし、西田君のことは店員として信頼してくれている。店を継ぐという話が出ても、不思議ではない。
でも、それを西田君は私に知られたくない……。
だって、私も本屋を継がないといけないから。
「いいんじゃない、ずっとおもちゃ屋さん。西田君にはそれが似合ってるよ」
「そうかな、ありがとう」
西田君は居心地が悪そうだ。あんまり私の目も見てくれない。
なんでここでちゃんと言ってくれないんだろうか。そしたら私も考えるのに。
ちゃんと言う? なんて言って欲しいの? ……私の方も、準備はできてないか。困った三〇才カップルだ。
結局気まずいまま、西田君は早々に帰ってしまった。
次の定休日、私は西田君の住むマンションを目指した。月に一回はそうやって彼の家へ行くことにしている。
さーて、今月はどんな有様になってるかな?
「や、やあ小村さん。今月は別にいいよ」
「そうはいかないから。ちゃんと約束は守ってください」
やや強引に上がり込むと、すぐに異臭がした。
流しを見ると、うずたかく積まれたカップ麺の残骸……。
今月も、ヘヴィだぜっ!
「じ、じゃあ、お掃除するから西田君はどっか隅っこにいてね」
「お、おう、お手柔らかに……」
お手柔からにはこっちのセリフである。
何度言ってもこの人は家庭ゴミをゴミの日に捨てない。かろうじてコンビニ袋にゴミを入れるようになったが、まだまだお菓子の袋だとかが床に転がっている。
ぎろりと睨み付けたら首をすくめた。うん、ちょっとかわいい。
どうにか目に見えるゴミはなくなった。
さて、次は……と、今日はあそこも掃除するかな?
「ねぇ、ここ触ってもいい?」
「あ、うん、いいよ。壊さないように」
棚にぎっしり並べられているのはロボットのプラモデル。私たちが生まれる前からシリーズが始まっている、私でも知っている有名なロボットだ。
ちなみにこうして組み立てているのはごく一部で、何倍もの数の箱が押し入れに眠っていたりする。そこには飛行機のプラモデルも多く詰めてあった。
ホコリまみれのこれらプラモデルを、彼が持っているそれ用のハタキできれいにしていく。
さて、次が問題だ。西田君の方を見ると、すぐさま顔を背けてしまった。
美少女フィギュア……。
まぁ、いいけどもさ。彼女らの媚態も見慣れましたよ。
せっかくの美人がほこりで台無しになっているので、丁寧に丁寧に掃除していく。
さ、きれいになりました。
ちなみにこれら趣味の棚というのは部屋の四方にあったりする。つまり、このリビングはどこを見てもプラモデルかフィギュアがあるのだ。
そして別にある部屋はマンガ部屋。棚がびっしり並んでいて、いろんな種類のマンガが詰めてあった。
この部屋の一番奥にある棚は、肌色・アンド・ピンク色のマンガで占拠されているので、私は決して近寄らない。彼のエロマンガの趣味は割とマシとはいえ、あえて見る気にはならなかった。
もう一部屋寝室があるのだが、彼はリビングで寝ることがほとんどなので、そこは段ボール置き場と化している。パソコンの部品やらゲーム機やら家電製品やらは、きちんと箱を取っておく主義らしい。
この部屋には他にも闇が潜んでいそうな気がするが、彼の懇願によって私は立ち入らないことにしている。どうせエロでしょ?
ようやく掃除機をかけられる。ちなみにこの掃除機は、イギリスのメーカーのお高い奴だったりする。自分では掃除をしないくせに、買うものには変なこだわりを見せるのだ。
さて、こんなものか。
ぐるりと見渡してもこれっぽっちの達成感も得られないごちゃごちゃとしたリビングだが、私はすでに諦める術を身に付けていた。
「じゃあ、お昼はリクエストどおりカレーにするね」
「う、うん、何から何まで、ありがとう」
「いえいえ、好きでやってることですから」
こうして彼が自分のテリトリーに私を入れてくれることは、とても素晴らしいことだと思うのだ。
そしてリビングでカレーを食べる。昔ながらのとろりとしたカレーが西田君の好み。
「相変わらずすごいプラモデルだよね。物心付いた時には、あのおもちゃ屋、『サガワ』さんでプラモデルを買ってたんだっけ?」
「よく知ってるね?」
「いや、前に話してくれたよ?」
ちゃんと憶えておいてほしい。
「そうなんだよね、でも俺んちは割と厳しくて、お小遣いが足りなくて欲しい奴はいつも買えなかったよ。なんか変なパチモンで我慢したり」
「そしてその反動で今は好き勝手買ってると」
「う、まぁね。いい年してって思うかもしれないけど、俺にとっては何より大切なんだよ」
「その辺は……どうにか理解に努めてますよ?」
時にプレミアものだとかで信じられない値段のものをオークションで落札するけれど、私はぐっと我慢するのです。
でも、この人ってちゃんと貯金してるのかな? 先行きが非常に不安である。
先行きかぁ……先行きなぁ、私たちって、これからどうなるんだろうか……。
「小村さん、どうしたの?」
「あ、ごめんごめん、ちょっとぼおっとしちゃった」
「そっか、退屈な話だよね」
「いや、そうじゃないよ。私は西田君のことがもっと知りたいの。だから、今みたいな話もちゃんと聞きたいんだよ」
こういうことをしっかり言っておかないと、この人は分かってくれない。
同じような話は何回も聞いているけど、何回でも聞きたかった。
「そうなんだ……」
「だからもっと聞きたいな。西田君はプラモデルが好きなんだね?」
「うん、最近はやめてるけど、昔は『サガワ』のショウウィンドウに、お客が作ったプラモを並べてたんだよ。そこに自分が作ったのを置いてもらうのが夢でね」
「ああ、確かに昔はプラモデルが飾ってあったよね」
私も西田君も地元はここ。子供の頃の彼は駅向こうのマンションに住んでいた。
その頃は特に仲がいいわけではなかったけれど、同じ中学校の同学年だ。
「こんな田舎だから、そんなにレベルは高くないんだけどね。それでも俺のはなかなか置いてくれなかった。どうにか置いてくれたのが、中三の二月。あん時はうれしかったなぁ」
と、本当に幸せそうな笑みを見せる。
今の話は初めて聞く話。こうやって、私は西田君のいろいろを知っていくのだ。
「あれ? ちょっと待って? 中学三年の二月って、受験真っ只中じゃない。そんな時にプラモデル作ってたの?」
「うん、受験なんてそっちのけでね」
「西田君って、すごい私立高校受かったんだよね? それが片手間?」
ちなみにその高校は私も受けた。そして落ちている。
「まぁ、そんなたいした高校じゃないけど」
「いや、県で五本の指に入りますが。へぇ……」
よくよく思い出したら、その後この人は有名大学に進学していた。それも大学院を出ている。
なのに、今は田舎のおもちゃ屋の店員なのだ。そんなんでいいのかな?
「都会は合わないって言ってたよね? なんでだか聞いていい?」
彼は高校の途中に家族と都会に引っ越していた。それなのに、大人になってから彼だけまたこの田舎に帰ってきたのだ。
その理由を自分から語ることはなく、私もなんとなく聞くのを遠慮していた。
「そうだなぁ、うまく説明するのが難しいんだけど……。都会はね、車がいっぱい走ってるんだ」
「車が?」
「そう、毎日渋滞してて、うるさくて、ここは違うって思いがずっとしてた。そんな時、自分の部屋でパチモンのプラモを見つけたんだ。小さい頃、『サガワ』で買った奴。それで居ても立ってもいられなくなって、この商店街に来てみたんだ。そしたらここは変わってなかった。いや。道路がきれいなブロックになってたり、新しい店ができてたりで変わってはいたんだけど、でも、変わってなかったんだ」
「うん、分かる」
「あのおもちゃ屋も変わってなかった。店長……そん時はジジイって呼んでたけど、あの人も変わってなかった。相変わらずのジジイだった。ここだって思った。ここが俺の場所だって。だから会社を辞めて、ここに来たんだ」
「よかったね、あなたの居場所が見つかって」
「うん」
西田君が、照れたような笑みを見せる。
そっか、彼にとって、あのおもちゃ屋はそれだけ大切な場所なんだ。
西田君はずっとあそこにいるべきだ。うん、いるべきだ。
そして私はどこに……誰といたい?
「ねぇ、西田君。私ってさ、昔はおもちゃメーカーで設計やってたって言ったよね?」
「うん、言ってた。変身グッズだとかいろいろやってたんだよね。そのくせおもちゃのことには詳しくないんだ」
「そ、それでも試作品をあれこれいじってたから、こう見えて機械も電気もちょっとは触れるんだよ。おもちゃ屋さんで、おもちゃの修理もできたら素敵だと思わない?」
「まぁ、キミは本屋があるけどね」
「んー、私って、別に本屋を継がなくても大丈夫だと思うんだよねぇ」
「え? でも一人娘でしょ?」
「その辺、親の理解はあると思うんだぁ」
「へぇ……」
なんだか間の抜けた反応だ。私の言いたいことをこれっぽっちも読み取ってくれない。
「だからさ……」
「だから?」
「だからさぁ……」
「だから?」
「だから……あー、もー、分かりましたっ!」
「え、何が?」
こういう人なんだ、分かってるでしょ?
「二人でおもちゃ屋さんをやりましょう。きっといいお店になるわ」
そう言って、私は彼に微笑みを向けた。




