1.
私、佐伯菜ノ花は高校卒業後すぐに実家の花屋で働き始めた。それでも学生時代の親友たる橘縁とは変わらず仲が良い。
縁は私のことが本気で好きだけど、私はそれを受け入れられない。
私は、自分自身の中に大きな問題を抱えているのだ……。
「ふくれっ面の跡取り娘」と、「ある日の『上葛城商店街』」の一話「後輩救出作戦!」を踏まえた話になります。
説明はしているので、これ単体でもお楽しみいたたげるはずです。
なお、百合描写があるのでご注意ください……。
●登場人物
・佐伯菜ノ花 : 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」
・橘縁 : 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」
・森田咲乃 : 登場作「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」「隣人はかぐや姫と呼ばれる」「ふくれっ面の跡取り娘」
・佐伯文香 : 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」
私、佐伯菜ノ花は高校を卒業してからすぐに実家の花屋で働き始めた。
それからもうすぐ四ヶ月になるか。
学生時代から家の手伝いはしていたので、市場への仕入れだとか仕事の内容は少し増えたものの、それも含めてすぐに慣れた。
学生時代のことを時々思い出す。呑気にテストだとかに頭を抱えていたあの頃。友達といつも一緒にいて、わいわいと騒ぐ日常。
あれがずっと続くと錯覚していたけれど、時期が来て卒業してしまうと本当にあっけなく終わってしまった。
でも、あの頃の親友は今も変わらず親友だ。
ああ、今日も来た。
なぜか入り口の前で立ち止まる。
「ごめんください! どなたですか? 私、佐伯菜ノ花さんの恋人の橘縁と申します! それはようこそいらっしゃいました、どうぞお入り下さい! ありがとう!」
一人であいさつしてから店の中に上がり込んできた。
「ぐぬぬぬぅ……。いきなり吉本新喜劇かよ……」
しかもどさくさ紛れに私の恋人だとか。
「最近、昔のにハマってんねん」
橘縁は今日も朗らかな笑顔。最近は少し大人びたファッションをするようになった。大学で服飾の勉強を本格的に始めたのが、いろいろと本人を変化させているのだろう。
「あんたって、根っからの関西ローカルだよね。そのきつ過ぎる方言とか」
「うちの母方は生粋の大阪人やからなぁ。うちも大阪生まれで、お祖母ちゃん子やし」
「田舎生まれで悪かったな。見た目白人のくせに、大阪弁丸出しは違和感すごいんだよ」
輝く金髪に琥珀色の目。さらにはきれいに整った彫りの深い顔をしているので、ヨーロッパ映画辺りに普通に出てきそうなのだ。
「この見た目は父方の先祖還りやしなぁ。ていうか、なんでそんな絡むん? 仕事でイヤなことでもあった?」
そう言って、私の顔を覗き込んでくる。こうやって、何よりもまず私のことを考えてくれる。それが縁。
「そういうわけじゃないけどね。なんか、呑気なあんた見てると腹立つ。人が労働に勤しんでるのに」
「ええ~、うちかてショップでバイトしてんで? 学業も大変やし」
「まぁ分かってるけど。今日も遅いけど、大学でなんかしてたの?」
「うん、自主的に服作ってんねん。いつか、なのちゃんのも作ったるわ」
「楽しみにしてるよ」
そう言って笑いかけてやると、本当にうれしそうな笑顔を見せてくれる。
「そんでな、次のなのちゃんのお休みの日、デートせぇへん?」
「デート? 普通に遊びに行くんじゃなくて?」
「デート。カップルで半額にしてくれるケーキ屋さん、見つけてん」
「女子同士じゃ、カップルにはならないでしょ?」
「なのちゃん、もうそういう時代や、おまへん(違います)でっ!」
私の両肩をがしっと掴んでくる。
「うーん……」
「うちら、キスも交わした仲やん」
今度はすり寄ってきた。私が着ているエプロン、汚れてるんだけど。
「いや、あれは友達同士が遊びでやるキスでしょ?」
「うちはその都度、愛を感じとります」
「そりゃあんたの錯覚だよ」
「ヒドッ! なのちゃん、酷いわ……。うちとはただの遊びやってんな……」
よよよ……とわざとらしい泣き真似。
「縁が一方的に私のこと好きだって言ってるだけじゃん。私の方に愛はありませんから。あくまで友情です」
「ぶ~、なのちゃんの愛が欲しい……」
「私の方に愛はありませんから」
大事なことなので、二回言う。
怨みがましくこっちを見つめる縁。その目には、深い悲しみが込められていたが、私はそれに気付かないふりを決めこむ。
「まぁええわ。でもデートはしよ? つかの間の恋人気分を味合わせてぇな」
「いいよ、別に。私もケーキは食べたいし」
「ホンマ! ありがとぉ!」
いきなり首筋に抱き付いて、頬にキスをしてくる。
「あーもー、店の中でそういうことすんな」
平らな胸を押して引き剥がす。
縁がぴょんぴょんと店の外まで跳び下がった。
「ほな、デートな! また電話するし!」
「はーい、気を付けて帰りなよ」
手を振りながら遠ざかる縁に、こちらからも手を振ってやる。
デートか、久し振りだな。
しばらくして、今度は咲乃先輩が現れる。この人は同じ商店街に住んでいて、以前は同じ高校で先輩後輩をしていた。
「こんばんは、先輩。大学帰りですか?」
「うん、そう。橘君とすれ違ったから顔出してみたの。相変わらずあの子と会ってるんだ?」
そう言って、首を少し傾げる。相変わらずの美貌だ。
「そりゃあ、会いますよ、親友同士なんだから」
「親友ねぇ……。いつまでもそれもどうかな?」
「え? いやいやいや、いつまでも親友でなんの問題もないでしょ?」
「普通はね。でも、キミらは普通じゃないもの」
「いや、普通の親友同士ですから」
ここで咲乃先輩がため息をつく。ちょっと憂い顔なのが、いっそう美しさを際立たせる。
「キミらはフツーの親友同士じゃないでしょ? だって、橘君はキミのことを本気で好きなんだから」
「まぁそうですけど……でも、それでも私達は変わらず親友ですから」
「うーん……」
「先輩、そうやって私達の邪魔するのやめてもらえますか? どうやっても私達の仲は引き裂けませんよ?」
「うーん……。ていうかさ、私がキミらの仲に反対するのは橘君がガチ百合だからだけど、それだけじゃないんだよね」
「え? そうなんですか?」
「まぁ、私も気付いたのは最近なんだけど。キミらの仲を引き裂くのが無理として、じゃあ、そこからどうなるの? って考えたらねぇ……」
またため息。
「普通に親友としてやってくだけですけど」
「菜ノ花って、結婚する気はあんの?」
なんか、話がずれた。
「結婚ですか? まぁ、花屋を継ぐとして、一人で店をやるのは大変ですから、誰か引っ張ってこないといけないとは思ってますけど」
「ああ……あくまで労働力なんだ……」
「まずはそうですね」
「結婚て、どういう人同士がするのかって分かってる?」
「ん? 愛し合う男女?」
「私もそう思う。そして、菜ノ花がそういう相手を見付けられるとはとても思えない」
随分な言いようだ。でも……。
「自分でもそう思いますねぇ」
「橘君はどうなんだろう? 一生菜ノ花に片思いし続けて終わるの? 結婚もせずに」
「え? どうなんでしょ? 考えたことないですけど」
というよりも、考えたくないことだ。考えないようにしていた。
「伊奈曰く、橘君の恋愛感情は友情に昇華できるらしいんだよ。前に、そうやって橘君を説得してたし」
咲乃先輩の親友たる伊奈先輩にもそんな心配をかけていたのか……。
「そうなればいいですよね。縁も他に両想いな人を見付けて幸せになれる。あんまし想像つかないけど……」
「私も想像つかない。あの子の愛はやたら大きすぎるんだよ。キミが今みたいに何も考えてないのも問題だし。もうちょっとちゃんと考えた方がいいよ? いいかげん大人なんだし」
真剣な顔で言ってくれる。
「今のままじゃダメなんですかねぇ」
「私的にはお勧めできないけどさ、キミとあの子が恋人同士になって、一生添い遂げるって方法もあるにはあるんだよ」
「え? そんな可能性を考えてるんですか? 先輩」
思わず目を剥いてしまう。
「私の方がキミらの将来について真剣に悩んでるんだよ。でもさ、菜ノ花って橘君と恋人同士になれると思う?」
「女同士で恋人って、おかしいですよ?」
「いや、いったんその古い常識を取っ払った上でさ」
「それでも無理ですね。縁もそれを知ってますけど」
「だよね。キミの友情はすごい強固だけど、どうあっても恋愛には発展しえないんだよ」
「友情と恋愛は別でしょ?」
「まぁ、別かもね。でも、菜ノ花の場合は違う理由で恋愛にはなり得ないんじゃない?」
私は黙り込んでしまう。その辺りのことは、あまり考えたくないのだ。
「今みたいな先の見えない状態でホントにいいのかな? ちゃんと考えといた方がいいって、手遅れになる前に」
「……うん、そうですね……」
「深刻にならない程度に、真剣に悩みな」
咲乃先輩が私の肩を温かく叩く。
そして、手をひらひらと振りながら自分の家へと帰っていった。
夕飯の後。食器の洗い物を片付けて振り向くと、食卓では母が一人で帳簿を付けていた。
そのまま母を見ていたら、しばらくして向こうが顔を上げる。
「どうした?」
作業を中断して母が言ってきた。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
「ん?」
一度唾を飲んでから口を開く。
「私って、どっかおかしいかな?」
「おかしいよ」
母は真面目な顔をしてそう言った。
「やっぱそうだよね……」
「ちょっと座りなよ」
「うん」
母の前の席に座ると、母は使っていたノートパソコンを脇に避ける。
「あんたは人を愛せないんだよ」
「うん、私は人を愛せないんだ」
二人、お互いから目を離さない。
「私のことは好きだよね?」
「うん、母さんのことは好きだよ。父さんも」
「縁ちゃんや、サキちゃんも」
「うん、縁も咲乃先輩も大好きだよ」
「でも、それは愛とは違うんだ」
「違うね、違う。愛って奴がどういうものか分からないけど、でも、私は誰も愛していない。それは分かる」
そう言って、首を横に振る。
「うん、そうなんだよ。母親としてすごく残念だけど、あんたから愛されてるって感じたことは一度もないんだ」
「まぁ、好きになったのも最近だけど」
「そう、好きになってくれたのは分かる。よく話しかけてくれるし、私の前でもリラックスしてくれてる。でも、それだけ。それ以上の、あるはずの親子の情ってのがないんだよ、あんたの場合」
テーブルを軽く、指で叩く。
「母さんにしたって、お祖母さんとは仲が悪いよね?」
「仲が悪いなりに愛情はあるんだよ。いざという時、頼りにできるのはあの人だしね。もう亡くなった父のこともずっと愛していたし、久秀君も愛してる。正直、あんたの時はヤバかったけど」
「私がお腹にいる時から生まれてすぐの頃は、私のことを愛してないって疑ってたんだよね?」
「うん、疑ってた。でも違ったんだ、ちゃんと愛してた。後になってそれを確信したんだよ」
「どう確信できたの?」
母が首を傾げる。
「うーん、言葉にするのは難しいな……。相手を自分と同じかそれ以上の存在に感じられるんだよ、愛してると」
「ああ、私はそれはないわ。みんな私にとって大切な人たちだと理解はしてるけど、それ以上を感じることができないんだ」
「分かり合いたいとは思うのにね。私にもそう言ってたし」
「大切な人とは分かり合いたいよ。でも、どんなにお互いの心が近付いても、最後の最後で私は自分の心に誰も触れさせないの」
「ほとんど無自覚だよね。分かり合ったつもりのこっちも、なんか物足りなく感じるんだ。気のせいで片付けちゃうけど」
軽くため息をつく。
「やっぱそうだよね。どうにもみんな遠いんだよ」
「そもそも、自分のことも愛してないっぽいけど」
「うん、嫌いではなくなったんだけどね。それでも自分のことを、ダレだコイツって、ときたま思う」
「そっか……。やっぱり私のせいかな?」
「違うよ」
「でも、菜ノ花がお腹にいる時も生まれてからも、私はあんたに愛情をかけてなかった。愛し方がよく分かってなかったんだよ。それがいけなかったんだ」
母がうなだれてしまう。
「違う、それは違う。私がおかしいのはそういう奴だからだよ。そう運命付けられてるんだ」
「運命か……。でも、乗り越えられないことはないはずだよ」
「そうかな? 私はずっとこのままだと思うよ。いろんな人が私のことを愛してくれる。でも、私は愛を返せない。縁ってさぁ……」
少し声が上ずる。
「うん」
「縁は私のことを本気で愛してくれてるんだよ。私がその愛に応えられないって分かってるのに、ずっとずっと、愛してくれてるんだ」
「うん、あの子は本物だからね」
「ときたまつらくなる。どうつらくなるかっていうと、縁の気持ちが分からないのがつらいんだ。この子はこんなにも私のことを愛してくれてるのに、この子が今どういう気持ちでいてくれているのかが分からない……。私にとって一番大切な子なのに、そう分かってるのに、どうしてだか愛せない。気持ちを根っこから共有できない。膜越しにしか彼女に触れられないんだ」
「うん、つらいね」
「いっそ、憎んだ方が楽になるって気すらする」
「それはダメ。絶対に、ダメ」
「だよね……。でもどうしよう。今のままじゃ、誰も幸せになれない……」
私はうなだれてしまう。
「ううん、縁ちゃんは幸せだよ。愛せる人がいるってことは、それだけで幸せなんだ。ただ、向かい合うだけでいいんだよ。あんたはあの子から逃げないで、ただ、向かい合うようにするんだ」
「でも私は幸せになれない。愛を感じられないのに幸せになんてなれるわけがない」
「いいや、愛と向かいあっていれば、幸せになれるよ。自分では光れない月でも、太陽の光があれば明るく光れるんだ。悲観すんな」
そう言って、母は微笑んでくれる。
「でも、あいつと付き合うのもなぁ……。本当は愛してないのに付き合っちゃダメだよね?」
「別に恋愛だけが愛じゃないよ。友情を突き詰めた親愛も立派な愛だ。こっちの方が分かりやすいかもね、あんたの場合」
「そうなんだ」
「あんたらにはいろんな可能性があるんだからね。これからどうするかは下手に焦ったりせずじっくりと考えな。二人とも幸せにならないと、私は許さないから」
冗談っぽく睨んできた。
「うん、分かった、よく考えてみるよ」
「よし、じゃあ行け。明日も仕事は忙しいぞ」
「ありがとう母さん、いろいろ教えてくれて」
そう言って私は立ち上がる。
「うん、私だってあんたを愛してるんだからね」
「ゴメンね、私こんなんで」
「そのゴメンは二度と言うな。縁ちゃんにも言っちゃダメだから」
「うん、分かった」
母は優しい笑みを、私に向けてくれた。




