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ある日の『上葛城商店街』  作者: いなばー
『虞美人草』の帰還(文香)
12/60

『虞美人草』の帰還

 梅雨時。

 傷心の私、赤木文香は久し振りに実家のある商店街に戻ってきた。そこは随分と寂れてしまっていて、私の心をいっそう暗くさせる。


 「ふくれっ面の跡取り娘」に出てくる母親の若い時の話です。

 「ふくれっ面」を読んでいなくとも意味は通じるかと思います。


●登場人物

・佐伯文香(旧姓・赤木文香) : 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」

・佐伯菜ノ花(文香の娘) : 主演作「ふくれっ面の跡取り娘」

・野宮佐登 : 「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」の主役である野宮みこの母。

・佐伯久秀 : 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」

・文香の母 : 登場作「ふくれっ面の跡取り娘」

 ここ数日降り続いていた雨もようやく上がった。

 庇から垂れ落ちる雨粒をなんとなく眺める。


「どうしたの? 母さん」


 娘が声をかけてきた。店のエプロンを着た彼女は、この春から正式な店員としてこの花屋で働き始めている。ここに至るまでには相当な紆余曲折があった。


「ん? もう梅雨も終わりだなって」

「だね。あじさいももうすぐ終わりだ」

「ん? そっか、そうだね」

「あれ? 花の話じゃないの?」


 私より随分背が高い娘が首を傾げる。この子は私と同じ顔のパーツを持ちながら、私とはタイプの違う顔付きをしている。

 私は見る人を惑わすような美形で、娘は見る人に親しみを覚えさせる顔形だ。そんな、見ようによっては間抜けにも見える娘の顔を眺める。


「何さ」


 じっと見すぎて不審がられた。


「いや、私もあんた程度の顔なら苦労が少なかったろうなってね」

「え? 喧嘩売ってんの? いやいやいや、お客が来ないからって暇つぶしに喧嘩とか勘弁してよ」

「私が喧嘩ふっかける時はもっと酷いよ? ぶっ潰すって言った時にはもう潰す準備は全部終わってるから」

「いや、なんの云われもなく潰されるのは勘弁なんだけど」

「ああ、ゴメンゴメン、ちょっと昔のこと思い出してた」

「へぇ、どんな話?」

「聞きたい?」

「うん、お客来なくて暇だしね」




   ×     ×




 私鉄・上葛城駅に下りたつ。

 陸橋の上にある改札口を抜けて東口へ。うっとうしい雨が相変わらず降り続いている。

 ため息をついたところで雨は止まない。そんなささいなことが私を苛立たせた。

 バスターミナルを迂回して商店街に入る。

 思わず息を呑んでしまった。大学を卒業してからほんの三年しかここを離れていないはずだ。なのに、場所を間違えたかと思うほどこの商店街は寂れ果てていた。

 バブル崩壊の余波がこんな田舎にまで襲いかかっていたのか? 私の気分はいっそう沈み込んでしまう。

 服屋も潰れているかと思ったが、ここは三年前と変わらない様子で店を開けていた。それを見て私は落胆してしまう。自分の実家なのに。

 中に入る気にはなれなくて、そのまま商店街の中を歩き続けることにした。

 意外な店まで閉まっている中、和菓子屋からは甘い匂いが漂っていて安心する。


「いらっしゃいませ!」


 この店の一人娘が出す声が懐かしい。


「ここは相変わらずだね」

「帰ってたの? 文香」

「今来たとこだよ、佐登ちゃん」


 同級生の野宮佐登は初めて会った小学生の頃から変わっていない。私はこんななのにね。


「その様子じゃ、『赤木』さんには顔出しせず?」


 私が実家と……母と折り合いが悪いのをこの子は知っている。


「まぁ、そうかもね。別にあそこに用があったわけじゃないし。ホテルも別に取ってるよ」

「なんだそりゃ。見た目はキャリア・ウーマンふうに変わってるのに、中身は成長せずか」

「ふん、キャリア・ウーマンふうねぇ……」


 今の私はスーツだ。昨日会社を出てからずっと着替えていない。


「今日、会社は?」

「有休取った。一週間」

「へぇ、いいねぇ会社員は。もう就職して三年だよね。外資系の金融機関ってどんなふう? 全然想像つかないけど」

「ロクでもないよ。屍肉を狙う奴ばっかのサバンナさ」

「ふーん、東京がサバンナなら、ここは砂漠かなぁ……」

「随分寂れたよね、もう一軒の服屋が潰れるとは」


 今までこの商店街には服屋が二軒あり、互いに張り合っていたものだ。向こうの方が店舗も資本も大きかったが、母は私も認めざるを得ないやり手なので五分以上に渡り合っていた。


「ああ、あれは赤木さんが潰したんだよ。生き残りを賭けて本気出しちゃった」

「あの人のやり口も大抵酷いからなぁ」

「文香だって酷いじゃない。『商店街の虞美人草』さんの暴虐は、今でも商店街の語り草だよ」

「私には美学があるよ。でもなぁ……そうやって手加減したのがいけなかったのかなぁ……」

「どうした? なんかあった?」

「ん? ん~、いやなんでもない」


 和菓子屋には分からない話だ。


「そっか。これからの予定は?」

「特に? ホテルでゴロゴロするつもり」

「なんだそりゃ、ゴロゴロなら東京でもできるじゃない」

「今はあそこにいたくないんだよ。うーん、同棲相手と喧嘩した?」


 あんまり言いたくないことなんだけど。


「同棲ねぇ。今でもあの人ひと筋だと思ってたけど」

「あの人って?」

「忘れたの? じゃあさ、大学行ってきなよ。暇つぶしに」

「うーん、大学かぁ。まぁ、暇つぶしにはなるかな?」

「ホテルで悶々とするよりか、余程いいって」

「そうだなぁ、明日でも行ってみるかな?」

「じゃあ、今日のとこはウチの和菓子でも食べてよ。何でも好きなの言って。奢るし」


 友人は言わなくても何かを察してくれたらしい。素直に好意に甘え、和菓子を奢ってもらった。




 翌日も雨。そんな日に外出しなくてもよさそうなものだ。けれど私は傘を手にし、着たきりのスーツで母校を目指した。なぜだかそうしたかったのだ。

 電車を乗り継いで大学の最寄り駅まで行く。そこから目的地まではそこそこ距離がある。四年間通い続けた坂道をてくてく登っていった。

 その途中で足が止まる。目の前にあるのは花屋。

 私はここでバイトをしていた。懐かしく思い出される。


「ん? 文香さんか?」


 軒下で商品の手入れをしていた大男がこっちに気付いた。


「久秀君、こんにちは。久し振り」

「そんなところで突っ立ってないで中に入れ。今、店長はいないけど、すぐに帰ってくるよ」

「うん、そうする」


 ああ、ここは少しも変わっていない。私だけが変わり果てている。


「店長のハーブティを飲むか?」

「うん、あのマズい奴ね」

「ん? ん~」


 曖昧に誤魔化した久秀君が店の奥のキッチンに消える。

 そっか、まだ好きなんだな、店長のこと。

 大学時代のいろいろがゆっくりと思い出されてくる。あの頃の私は光輝いていた。なんでだっけ?

 カップを二つ、久秀君が持ってきた。


「で、どうしたんだ?」

「ん? ちょっと有給取ってぶらぶらしてるの。一週間も休み取ったんだよ。こんなの初めてだ」

「どうした? 何かあったのか?」


 久秀君が大きな身体を折って私の顔を覗き込んできた。私は横を向いて避ける。


「たいしたことじゃないよ」

「そうは思えない。随分とつらいことがあったんだろう?」

「へへ、久秀君って、意外に人のことよく見てるよね」


 私はもう鼻声になっていた。


「言ってみろ、それで少しは楽になる」


 ちらりと前を見ると、久秀君はじっと私を見ていた。いつも通り、実直な目だ。


「じゃあさ、ちょっと泣いちゃうけど、いい?」

「ああ、好きなだけ泣け」


 途端に今まで抑え込んでいた感情が噴き出した。

 強く机を叩く。


「畜生畜生畜生! あいつら、あいつら、あいつら! この私を罠にハメやがって! みじめに地べた這いつくばらせやがって! 恋人面しやがって! 女々しく嫉妬しやがって! あいつら絶対に許さない! 絶対許さない! 絶対許さない!」


 悔し涙に濡れながら、何度も机を叩いてしまう。怒りで表情は歪み、声は上ずってしまっている。そんな私を、久秀君はずっと見つめてくれていた。


「男なんて全員クソだよ。実力ないくせにプライドだけは一人前でさ。若い女の私が一人勝ちしてるのが我慢ならなかったんだ。みんなして裏で手を組んでハメやがった。その中には付き合ってる男までいやがった。この私が……この私が、あんな連中にっ!」


 もう一度強く机を叩く。

 吐き出すだけ吐き出したら、気分も鎮まってきた。


「色目を使って情報集めたとか抜かしやがって。私の美貌はそんな安かないよ。知ってるでしょ、久秀君も?」

「そうだな、そういう女の使い方は嫌いな人だ」

「そうだよ。男どもが勝手に寄ってくるだけで、私から何かするなんてないんだ。キミ以外にはね」

「ん? んー、そうだったな」


 困った顔をする目の前の大男を見ているとなんだかうれしくなってきた。


「へへ、なんか久秀君は相変わらずだ。私は東京で汚れちゃったけど」

「そんなことはないだろう? 文香さんも相変わらず文香さんだ。さめざめ泣くんじゃなくて、ひたすら怒ってるんだからな」

「まぁ、それが私って人だから。そっか、そうだよね、これが私だ」

「東京ではいろいろあったんだろうけど、文香さんの肝心なところは何も変わっていない」

「そうかな? ありがとう……」


 そこで目の前のハーブティに気付き、何も考えずに口を付けた。


「げふっ! このマズさ相変わらずだ!」


 思わず吹き出しそうになる。


「い、いや、俺の淹れ方が悪いだけだ。店長が悪いわけじゃない」

「そうやってかばうんだ?」

「あ、う……」


 久秀君はここの店長が好き。その人はとっくの昔に結婚してるのに、ずっと諦め切れずにいじいじ横恋慕をしている。

 私は何度も諦めるように説得したけど、彼の恋心を覆せなかった。

 だから、私の想いも彼は受け入れてくれずじまい。私はこんなにもキレイなのに、いい加減なことはしたくないからって取り合わないのだ。すごい屈辱だった。


「はは……なんか、思い出した」

「何を?」


 まだまだうろたえている久秀君。


「私、キミのことが好きなんだ。思い出した」

「いや、俺のことは諦めてくれって何度も言っているだろう?」

「でも好きなんだよ。なんで忘れていたんだろう、こんな大切な気持ちを」

「気持ちはうれしいが、俺は……」

「そうそう、私がどんだけアピールしても久秀君はつれないんだ。へへ、懐かしいや」


 私はすっくと立ち上がった。


「でも、私は諦めない。絶対に振り向かせてみせるから」

「え? いや……」

「じゃあね! 絶対に迎えにくるから!」


 気持ちがすっきりとした私はさっさと店を出た。




 帰りの電車の中で思い付いた。

 花屋をやろう。久秀君と花屋をやるのだ。きっと楽しいに違いない。

 でも、そうするには大きな障害がある。

 私はもう一度商店街に足を踏み入れた。そして服屋『洋服の赤木』の前に立つ。


「入り口に突っ立つのはやめて。邪魔よ」


 店の中から出てきた母がいきなり攻撃してきた。でも、私はめげない。


「私、花屋をやるから。ここの跡なんて継がないよ」

「はっ! 何を言ってるんだか。あなたはここを継ぐって決まってるの。東京で五年間社会勉強をしたら、その後はずっと服屋よ」

「そんなの私は認めない。私はやりたいようにやるっ!」


 母がきつい視線を向けてくる。ここまで人を呑み込むみたいな迫力がある人は東京にもなかなかいない。


「そんなのは認めないわ。なんだったら、今すぐこの店で働かせてもいいのよ。会社どころか業界にいられないようにしてやるから」

「ぐぬぬぬぅ……」


 母がそうしなくても、今の私は会社の中に居場所がなかった。でも、それを悟られてはいけない。


「あなたは私の掌中から逃れられないの。独立だなんて諦めなさい」

「それでも私はやるっ! 私は愛を貫くっ!」

「愛?」

「そうだっ! 私は愛する男と花屋をやるっ! 絶対やるっ!」


 そろそろ周囲に野次馬が集まってきているが、私は気にせず主張する。


「はっ! 愛ごときで店が経営できれば世話はないわ」


 母が簡単に私の愛を否定する。この人はいつも私を否定する。でも、ここで負けるわけにはいかない。


「そんなのやってみないと分かんない!」

「やってみないと分からないのただのバカよ」

「ぐぬぬぬぅ……」


 言うことがいちいち正しい。実にやりにくい相手だ。でも、私は負けられない。


「言いたいことはそれだけ? だったらすぐに東京に帰りなさい。今はまだ、あなたが戻る時ではないのよ」

「この商店街!」

「何?」


 母が虚を突かれた顔をする。


「この商店街、今にも潰れそうだけど」

「そうね、栄枯盛衰だわ。私の服屋には関係ないけどね」

「そうかな? 周りがしみったれてたら、この服屋にも影響は避けられない。違う?」

「む……」


 母の顔から少しだけ余裕がなくなった。チャンスだ。


「でもだからってハハにはどうすることもできない。ハハは今まで自分の店のことしか考えてなくて、他のお店とは衝突しがちだったから」

「ふん、だからどうしたの? この店ひとつでもやりようはいくらでもあるわ」

「やせ我慢はやめな! 商店街は共存してこそ、その力を発揮できる。今のままじゃ、この服屋もいずれ沈むっ!」

「む……」

「私ならできるっ! 『商店街の虞美人草』の名を轟かせた私のカリスマなら全員をまとめ上げることができるっ! 四十八人の親衛隊が私の後ろにいるのを忘れるなっ!」

「どうするっていうのよ」

「そんなの今から考える! でも私はきっとやり遂げる。私は花屋としてそれをやり遂げるっ!」

「なんてうぬぼれ……」


 私は周囲を見渡す。


「あんたら、このままでいいのか? 苦労して作り上げてきた商店街をこのまま潰してもいいのか?」


 野次馬をしていた商店街の連中がお互いの顔を見合わす。


「私についてこい! 全員まとめて助けてやるっ!」


 どよめき。

 商店街の連中がどよめいた。「さすが『虞美人草』!」「文香ちゃん、やっぱ最高だ!」みんなが声をかけてくる。

 私はまた母に向かう。


「どうよ? ハハにはない人望が私にはある。さぁ、私のやりたいようにさせな! それがハハのためでもあるっ!」


 母がため息をついた。勝った?


「あなたが愛する男って、久秀君のことよね?」

「え? なんで知ってるの?」


 母なんかに好きな男の話をするわけがなかった。


「私はなんでも知ってるのよ。二年以上も追いかけてモノにできなかったんでしょ? 店を開く以前の話よね」

「ぐぬぬぬぅ……」


 余裕の表情で私を見下す母。


「いいわ、好きにすればいい。大見得を切ったくせに男の方に断られて話が潰れるだなんて実に滑稽。生意気なあなたにはいい薬になるでょうね」

「と、とにかく認めてくれるんだね?」

「ただし、二千万円寄こしなさい」

「えっ! 何それ?」

「わがままをするには相応の代償が必要なの。たったの二千万円じゃ、今までの養育費にもならないけどもね」

「ぐぬぬぬぅ……」


 私には貯金がある。母と戦争になった時の軍資金として働いて稼いだお金はひたすら貯めていたのだ。

 二千万円、あるにはあるが、大きすぎる……。


「ほらごらんなさい。しょせんあなたの覚悟なんてその程度なのよ。大人しく服屋を継ぎなさい」

「分かったよ! 二千万円払ってやるよ! そして私は花屋だっ!」

「ほう……」


 母が驚いたように少し仰け反った。


「私の愛の力、見せてやるよ!」


 胸を張って母に宣言する。

 しかし二千万円も払えば花屋の開店資金がなくなってしまう。給料がやたらいい外資系金融機関とはいえ、後二年は懸命に働かなくては。

 そしてなによりもまず、私にはやらないといけないことがある。




 一週間の休みを終え、私は東京に戻って会社に出た。

 休んでいる間に溜まった雑務をこなしているとクズ野郎どもが話しかけてくる。


「ヘイ、文香。あんな失敗しでかしておいて、よくもまぁ、会社に出てこれたもんだな?」

「ホントだぜ、とんだツラの皮だ」


 こうやって様子をうかがいにくるところがいかにも小心な小物だ。


「私の失敗じゃない。あんたらがハメたんだ」


 連中の方は向かず、作業を続ける。


「おいおい、証拠はあるのかよ」

「証拠? そんなの必要ないね」


 ここで私は振り返り、連中をびしっと指差した。


「テメェら、今日中に全員まとめてぶっ潰してやる。覚悟しな!」


 口の片端を上げた笑み。




   ×     ×




 話終えた私は久秀君が入れてくれたアイスコーヒーに口を付ける。


「で、全員ぶっ潰したんだ、その日のうちに」

「当然じゃない。休んでる間に仕込みは終わってたからね。連中、会社どころか業界にも居れないようにしてやったさ」

「うわっ……」


 目の前でイスに座っている娘が顔をしかめる。


「段ボール箱抱えてビルを出てく連中を見たら胸がすーっとしたね」

「そりゃあ、するでしょうね」

「そしてそのまま私は働き続け、二年後に花屋を開いたんだ。久秀君も大分手こずったけどどうにか落としてね」

「さらに商店街の復興もやったんだよね?」

「そうだよ。大見得切っちゃったからちゃんと責任持ってね。最初のうちは東京で働きながらだから苦労したよ」

「相変わらずすごい馬力だ」

「あの日、久秀君と会ってなかったら私の人生どうなってたんだろうね。時々考えるよ」

「じゃあ、その連中にも感謝じゃない? 母さんが休むきっかけになった訳なんだし」

「そんな結果オーライは許せるか」


 何を寝ぼけたことを言う。

 久秀君がいて、娘がいる。そして自分の花屋がある。きっかけを逃さず掴んで幸せを築き上げたのは私の実力だ。異論は認めない。


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