第五部
「……おまえ、生きていたのか」
「話は後だ。移動しないと、もうすぐ囲まれるぞ」
川上は目の前の建物を指差し、躊躇なく入っていく。俺達もそれに習って入った。そこには、灰色の猫のような物体が丸くなっている。
「ニャンの用だ、鉄よ。ずいぶんと大勢の人数を連れているじゃニャいか」
「ああ、今回はその用件で来たんだ。しばらくここにかくまってくれないか」
「褒美はちゃんと持ってきたニャか」
「ほら、これだろ」
川上はポケットの中から白い袋を出すと、猫に与える。長方形の板に張り付いている半円柱状の物体は、板を残して一瞬で前から消えた。
「まあ、悪くないニャ」
猫は目を擦りながらゆっくり身を起こすと、手招きする。
「奥に行っていてくれ。俺はこいつと話がある」
どうやら、今の手招きは川上に対してだったらしい。彼は前の扉を閉め、去っていった。盗み聞きというのも悪くはないが、現時点でするべき事ではないだろう。
「時間がない。いきなり本題から話すぞ」
ここで語る本題とは、この世界で俺達が逃げる事に関係している。現時点においては、犯人捜しよりも重要なことだ。
「『なぜ、俺達がいた場所がわかったのか』、だよね」
「勝手にセリフを取るんじゃない」
「ハハ、ごめん。つい癖で」
窓を開け、空にナイフを掲げる。空からの光でそれは、仄かに赤く染まっていた。といっても、ずっと夕焼け空が変わらないのだから、それが当たり前なのだが。
「奴等も言っていた通り、温度に決まっているはずでしょう。何を今更……」
「確かに、それも間違いではないだろう。だが、偶然あんな大人数がお前の家に押しかけるなんて有り得ないよな。お前に兄弟や姉妹、知人がいて、そいつもこの世界の創造に関わっているんじゃないのか?」
「……まったく、君には隠し事が通じないのか」
彼女はようやく諦めたらしく、呆れた顔をして嘆息する。
「だから言っただろ。俺には『人を避けるためのスキル』ってやつがあるんだよ」
「ええ、そうね。確かに『ノア』は、私と姉と一人の協力者で創った。それも、騙されてね」
黒猫は、髪の毛を触りながら吐き捨てるように言うと、「ふぁ――……」と、敷いてあった布団に転がって背伸びをする。
「あの猫は何をもたもたしているのだろう。追われていると知っているのに」
「……なんか、非常に似合っていると思うのは俺だけか?」
黒猫の服装はパジャマなわけで、彼女の下には布団がある。よく見ればごく一般的な家庭の光景だ。布団の上に寝転がる黒猫を見て、少し安堵した。
「話は済んだか、バカップルども」
川上は勢いよく扉を開き、部屋に入ってくる。その手には、煎餅の乗った皿があった。
「お前こそ、あの巨大な猫はどうしたんだよ」
「問題ないさ。扉の向こうで聞いているからな」
「問題ない……のか? 扉の向こうで盗み聞きをしている時点で、十分問題な気がするが」
「あのわがまま娘なら気にする必要はない。早く会議というやつを始めようじゃないか」
知り合いとはいえ、ぞんざいに扱うのもどうかと思うぞ、川上よ。
「諸君、仲間外れは止めてもらおうか。こう見えても私は寂しがりやなウサギなのだよ?」
「…………いや。猫だろ、お前」
「いやいや、これは被り物なのですよ。本当の私は……」
足元からガサゴソと物を漁る音が聞こえ、猫のフードを被った人間が顔を出す。
「人間なのですよ」
「……諦めろ、子猫」
「ちょっと、鉄まで何言っちゃってくれるのさ」
謎の少女と川上は面識があるらしい。どこか親しげに話している。
「こいつらは俺達と違うのさ。心に大きな闇を抱えているんだ。諦めろ」
「へぇ……。まあ、そのくらいの情報は知っていたけど」
彼女は不敵な笑みを浮かべ、俺を見つめる。
「ちょっと待て。俺達の個人情報が『そのくらい』なら、お前はこの世界について何でも知っているんじゃないのか」
「いやいや。私は、何でもは知らないし、知らないことがあるから脱出せずにいるのだよ」
人の個人情報までも知っている彼女が知らないことなどあるのだろうか。
「死んだ人間は、生き返ることはない。だが、もしも、その手段があるとしたらどうする?」
その言葉を最後に、彼女は姿を消す。彼女が、死者を生き返らせるという手段を知りながら、あえて教えないように思えた。今ここで追求すれば、教えてもらえるのかもしれない。だが、教えないのには相応の理由があるはずだ。こいつに追求するのは後でもいいだろう。
「あいつは参加しなくていいのか」
「まあ、あいつはいいんだよ。情報屋だから、どこからでも情報ぐらい仕入れるだろ」
「……おい。今、サラッと重要な事を言わなかったか」
「気のせいじゃないのか」
少しでも情報が欲しいこちらにとっては、その言葉は無視できないものだ。だが、鉄郎は平然と受け流す。
「情報屋っておかしいだろ。それならなぜ、俺達に情報を売らなかったんだ。もしかしたら、紅葉も生きていたかもしれないじゃないか」
「なあ。その情報の中には、人を生き返らせる方法ってあるよな?」
笑顔で振る舞ってはいたが、鉄郎の肩に乗っている右手は狼型の魔物の足の形へと化している。それは、今にも切り刻もうとしていると感じられるほど震えていた。
「……ええ、一応」
予想外の方向からの返答に動揺を隠せず、右手は元の人間の物へとなっていた。どうやら自分だけが知らなかったそれは、皆が口を閉ざさなければならない程なのだろうか。
「それにしても、これからどうするんだ。俺達が追われていることは変わらない――」
建物の外の足音が聞こえた。気配を消しているつもりなのか、その音は、布が擦れる時のように小さな音しか発していない。よほど警戒していなければ普通は聞こえないため、俺がそれを聞くことができたのは、単に、持っているスキルの影響だろう。
「もしかして、もう敵に見つかったの?」
「いや、それはない。索敵中心の団体なら、俺に気付かれる事なく派遣できるはずだ。おそらく、近くを通っただけだろう。それより……」
「問題は、次に逃げ込む場所ね。隠れる場所は、ここしかないのだから」
「……隠れる場所がないってどういうことだ。お前ら、自分の住んでいる家くらいあるだろう?」
「今はもうないのよ。全焼して跡形もなくなったわ」
「全…焼……」
あまりの意外さに、川上の脳の許容量が限界を迎えたらしい。頭上からは白い煙が上がっている。人のいないこの世界で火事が起こるなど、滅多にないことだからだろう。
「お前ら、一体何をしたんだよ」
「別にいいじゃない。私が作った建物なのだから」
「建物? どういうことだ。そこは世界と言ってもいいんじゃないのか」
建物、つまり建造物も世界を構成する因子には含まれるだろうが、世界と呼ぶには存在の大きさがあまりにも違いすぎるのだ。疑問を抱いたからといって、不思議ではないだろう。
「それは、聞かないでやってくれるか」
なぜか話に割って入ってきた川上は、ナイフの切っ先を俺に近づける。
それ以上は聞くな、と警告しているのだろう。
「分かっているさ。俺だって、これ以上人の事情に首を突っ込むのは止めたいからな」
川上はその言葉を聞くと、ふぅと短く息を吐いてナイフを下ろす。質問を止めたということは、川上もその事実を知っていたということだ。そうなると、一人だけが仲間外れな気がして、妙な疎外感を覚えた。
彼がナイフをポケットにしまおうとすると、金属同士が擦れ合うような音が鳴り響く。慌ててナイフを取り出すと、それには鎖が絡みついていた。鎖の先端には分銅のような金属の塊が付いており、ナイフと絡み合ったそれは、どこか鎖鎌を彷彿とさせる。
「なあ、お前らは自分の知らないものって持ってないか。ほら、例えば、買った覚えも貰った覚えも拾った覚えもないのに身近なところにある物とかさ」
川上は鎖を手に取り、前に掲げる。
「俺と子猫は、この鎖を拾った直後にこの世界に来た。偶然そばにいた二人もの人間が被害に会うなんてことはありえないんじゃないか」
見知らぬ物を拾った直後に異世界に飛ばされるということを聞いて各々思い出すことがあったのか、ポケットをまさぐり、思い思いの物を出す。
「いや、二人じゃない。おそらく、ここにいる全員、いや、この異世界にいる全員がその条件に当てはまるんじゃないか」
俺は胸ポケットから封筒を出し、目の前に掲げる。その瞬間、疑問に包まれ不確定だった考えが確信に変わった。鎖と封筒が出した光は呼応し合い、徐々にその輝きを強めていく。そして、眩しさに耐えきれずまばたきをした瞬間、それらは跡形もなく消え去る。
「これで、確定だ。この事件の首謀者は、『何らかの理由』があって、俺達に殺し合いを強要しているということだな」
「それなら、少しでも人数が多い方がいいよな?」
「……ええ、そうね」
「好きにすればいいのじゃ。心のままにのう」
「……まったく。お前ら、武器を渡せ。使い物にならないくらいのナマクラに仕上げてやるよ」
そう言うと、川上は強引に武器を奪い、ポケットから黒光りした金属のような物を出す。
「witch kiln(魔女の窯)」
川上の右手の先に円盤状の物体が出現し、中心の部分が消滅した。そして、その部分が溶岩のように紅く輝いている。
彼は奪い取ったナイフと黒光りした金属のような物をその中に入れると、空に放り投げた。
それはしばらくの間滞空し、俺達の足元へと四散する。
「元の世界じゃ存在しない業物だ。無駄にすんじゃねえぞ」
四散した物体の光が落ち着き姿を現すと、俺達は莞爾として笑いながらそれを拾う。それは元の銀色ではなく暗く沈んだ黒色となり、銀色のナイフではなく身の丈ほどの黒剣と化している。
「なんていうか、お前だけ妙に常識人だよな。こういう時には金銭ぐらい要求してもいいんじゃないのか?」
「いや、それはお前が異常なんだよ」
「……ふむ。それは素直に認めておこう」
「認めるのかよ!」
俺達はひとしきり笑った後、輪になって剣を重ねる。
「それでは、行こうではないか。この世界を壊し、死者を生き返らせる旅に」
その瞬間、爆発音と共に建物が破壊され、日の光が差し込む。
そして、彼らは夕日の中へと消えて行った。




