第四部
目を覚ますと、そこは建物の中だった。純白の壁やガラスの机などの内装だけでも、俺の家とは雰囲気が違うということが分かる。
「ずいぶんと早いわね。あと一時間くらいは寝ているはずなんだけど」
声の方を振り向いた先には、黒猫。彼女は、こちらに寄り添うようにして座っている。上を向いてしばらく考えた後、こちらを見て呟く。
「なるほど。お二人はそのような関係だったのですか」
気付くと、見知った少女がドアの隙間から顔を半分ほど出して笑っている。
「おはよう、紅葉。もう起きて大丈夫なのか」
「ええ。おかげさまで、体力が有り余っていますよ」
どうやら紅葉という名前の少女は元に戻ったらしい。殺人者を見た時のような言動は、もう無かった。
「そういえば、黒白はなんでこの子のことを知っているんだ」
「あなたが寝ているときに話を聞いていたのよ。少しは意識があったから、運ぶのを手伝ってもらってね。それより、もうそろそろ状況を確認した方がいいと思うのだけど?」
「ああ、分かったよ」
黒白は、なぜか反対の窓の方を見ながら話し始めた。
「その娘の本名は、斉藤紅葉。隆春の家で死んだ隼人の子供で、親が『人狩』という集団に致命傷を与えられたのを目撃している。能力は父親と同じ身体能力の強化で、さっきの体の光もそれに準じたもの……だったかな?」
聞いたことをそのまま言ったようで、黒白自身も理解できていないようだ。
「……ちょっと待て。それじゃあ、紅葉は目の前で父親を殺されたっていうのか?」
深呼吸の後、黒猫は平然と非常な一言を告げる。
「ええ、そうね」
「なんで、お前は……」
まるで無感情に、無関心に告げる彼女には、他人事としか見ていないように思えた。
「人間に殺された場合は、記憶を失って元の世界に戻ることができる。それに、この娘の親と会った時に頼まれたのよ。『泣かないでくれ。あの娘が悲しむといけないから』ってさ」
「……なあ、やっぱりこの世界でも、死者蘇生なんて出来ないんだよな」
「無理ね。この世界で死んだら、元の世界で生き返るようになっているから」
「……なんだよ、そりゃ。それなら、皆が集団自殺すれば解決じゃないか」
「そう簡単に解決すると思う?」
「…………」
確かに、集団自殺なんかで解決するのなら、皆すでにしているだろう。行われていないとすれば、何か致命的な問題があるはず。考えられる原因は三つ、時間、手段、場所だ。つまり、自殺という観点から考えられるのは、用いる物品や方法、行う場所、そして……
いくつかの候補が挙がったが、何一つとして自分でも納得できていない。それが世界の特性なのだから仕方ない、と納得し、一番可能性の高そうなものを選ぶ。
「元の世界に帰れる時間のせい、だよな」
彼女は、いつ帰れるかという点には触れていない。もし想像が正しければ、ここで死んだ人間の末路は……
ここで、あえて考える事を放棄する。ここは恐怖からではなく、単純に、紅葉の親がそうでない事を望んだからだ。彼女の顔には、影が一層濃く映ったように見えた。
「……ええ、そうね。確かに、ここで死んだ人間が戻れる時間は決められてない」
つまり、ここで死んだ人間が戻った場合、戻っても目が覚めるまでには時間差が生じる。それなら、たとえ元の世界に戻っても、死ぬまで目が覚めない可能性もあるということだ。
「ねぇ、葉桜隆春。力を貸してもらえるかな。私はもう、この世界の存在自体が許せない」
「当たり前だろ。この世界を壊したくて俺たちはここにいるんだから」
この時点で、目的はより強固なものに変わる。「命と引き換えにしてでも、な」と後で呟いた。彼女はこれが聞こえなかったらしく、紅葉の方を見て安堵している。
「とはいえ、少しばかり休憩が欲しいな。もうクタクタだよ。そういや、この家にトランプってあるか?」
「……ええ、一応あったはずだけど」
食器棚の中から、彼女はトランプを出してきた。だが、それは何か可哀そうな物を見るような眼で……
「ちょっと待て。この機会だから、大人数で遊びたいと思うのは、当然じゃないのか?」
「……疲れたのなら、休むべきではないでしょうか」
「右に同じく」
彼女達は「休め」と言いながら、なぜか箪笥を漁っている。そこに入っているのは服のわけで、つまり……
「一応聞いておくが、お前ら、俺に着替えがないと知っているよな」
「へ、へぇ。そうだったのですか……」
「なら、一人でトランプでもしていてよ。暇だろうし」
片方は申し訳なさそうにしていたが、案の定、もう片方は関係なさそうに言っている。やはり、二人とも知っていたようだ。騒いだところで何かが変わることもない、と納得し嘆息する。
「……ふぅ。分かったよ。早く行って来い、湯がもったいないだろ」
「じゃ、お言葉に甘えて」
「ほ、本当にすみません」
片方は少し悪びれていたが、二人は上機嫌で部屋から出ていく。見届けた後、ひっそりとその場から去る。
「……もう、行ったよな。あいつら」
一人でトランプをするくらいなら、戦術の幅を広げるために外を歩いていた方がいい。そう納得し、玄関に直行する。
「――――っ!」
ドアノブを握ったところで、体に軽く電流が走った。
「やっぱり迷子なのかな、俺」
戸を開いたはいいものの、ビル街のどこかとしか分からない。後は、散策してみる他ないだろう。どこに行くか頭を抱え悩んでいると、見知った通行人が一人。
「あんた、あれだけの啖呵を切っておいて、何をしているんだ?」
「そんなお前こそ、こんな所で油を売っていていいのか? 団長さんよ」
声の方向には、杖を持った男性が一人。人狩の団員――いや、団長は、なにやら憔悴しきっていた。これなら楽に勝てるかもしれないと思い、相手に見えないよう武器を取る。
「いやいや、自分はただ、あんたとの連絡手段が欲しかっただけですよ」
「連絡手段? 一体、何に使うんだよ」
この状況での情報交換というのは、彼が憔悴している原因と関係があるはず。それを向こうの団体の不調和と捉えるなら、交換というのも一つの手かもしれない。そう考え、携帯電話を放り投げる。
「ちょ……いきなり携帯を放る奴があるか!」
「いいんだよ、別に」
赤外線通信を終えたのだろう。自分とは違い、兎烏は丁寧に渡してきた。相変わらず無造作に受け取ると、彼は何かを言いたそうな目をしている。
「共同戦線でいきませんか、今だけは?」
「……いや、そりゃ無理だな」
「ちょっと、なんでまた急に」
「お前は、何の情報を持っている。ラスボスの情報がない限り、協力する気はないぞ」
こちらの予想が否定されない限り、いくら落胆されようと、この考えを変えるつもりはない。自分には、そう確固たる決意があった。
「俺の予想が正しければ、お前らの中に犯人がいる。お前はどうすればいいと思う?」
「……はぁ。まったく、どこから仕入れているんだ。そんな情報を」
彼は、来た時よりも憔悴して帰っていく。だが、これでいいのだ。これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかない。そう自分で納得し、背後にいるだろう彼女達に話しかける。
「お前はどうする、紅葉。『生』か『死』か、どちらを選びたい?」
「なんだ、知っていたのですか」
「当たり前じゃないか。紅葉はともかくとして、黒猫がこの手のイベントを見逃すはずない。あれだけ、この世界の破壊に拘っていたのだから」
それよりも、自分はまだ聞いていない。彼女の意志を。これでは、どうすればいいか誰にも分からないではないか。故に、改めて問いただす。
「それで、どっちなんだよ」
「あぅ………」
彼女は戸惑い、隣に助けを求める。だが、それは無駄だ。俺達は、紅葉の答えを待っているのだから。
「わ、私はその……できれば、生きたいです」
「……じゃあ、もう一回お風呂に行くわよ。冷めちゃったし」
「はい!」
彼女達は意気揚々と風呂に向かう。ただ一人、それを茫然と見つめるしかない男を残して。
「そうですか、また一人ですか。もういいですよ、一人でトランプしてますから」
そう一人で呟きつつ、シャワーの音を聞きながら、トランプを配っていた。
次の瞬間、家の近くで爆発音が聞こえる。その方向は、俺達がさっきまでいた方向と一致していた。
「まさか、あいつまた……」
トランプを放り投げ、音のした方向に走る。そこには俺の頭をよぎった最悪の結末が広がっていた。
「なんだよ、これ。どうなってるんだ。どうしてここに水晶があるんだよ!」
水晶と、それに貫かれている死体。俺達は、その死体が誰であるかを知っている。それは、直前まで笑顔を振りまいていた友人で――
「ちょっと待て。なんでこいつが殺されなきゃいけないんだ。生きることを望んだこいつが……」
突然水晶が現れて人を貫くなど、もはや作為的としか言いようがない。
「それは、きっとコイツが知っている」
次の瞬間、俺達の頭上に、白いフードを被った人型の黒い物体が現れた。
「一〇〇〇人の選ばれた人間達よ、異世界にようこそ。さっそくで悪いが、君達が元の世界に帰るには、命を賭けたサバイバルゲームをしなくてはならない。フフ……つまり、自分以外の人間を皆殺しにするか、私を殺せばいいというわけだ。『音無黒猫』本人を」
「ふざけるな。なにがゲームだ。紅葉はそんなことのために殺されたっていう…の……」
その物体の言ったことに違和感を覚えた。自分を殺せば脱出できると言いながら、自分の名前を公表したからである。この提案には、こちらにとってメリット、閉じ込めた本人にはデメリットしかないのだ。どう考えても不自然すぎるし、作為的すぎる。
「確かに、私を殺せばこの世界から脱出できるだろう。だが、ここにいる人間の六割程は、悲惨な人生を送ってきたのだ。そう簡単にいくとは思わない方がいいぞ。フフフフ……アハハハハ」
その物体は、俺の意思を汲み取ったかのように話し始める。
「なあ、黒猫……」
返事はない。黒猫の方を振り向くと、しゃがんで震えていた。彼女は、歩み寄ろうとする足を踏み、逃げていく。
「……っ。ちょっと待てって、急にどうしたんだよ」
彼女が能力を使っていないためか、すぐに追いつき、腕を掴んだ。
「あいつの言っていたのは私の名前なの。だから……」
黒猫は口ごもってしまうが、彼女が言いたかったことは分かった。
「『一緒にいると狙われる』って言いたいのなら、別に構わないよ。それくらい覚悟して来たのだから。……それに、もう手遅れだ」
どうやって場所を知ったのかは分からないが、目の前に人狩特有の黒い服を着た人間が次々に来て、俺達を囲んでいる。
「そんな。なんでもう、ここが分かるのよ。ここは元の世界に存在していないのに……」
「そんなの、お前の名前を騙った真犯人のせいに決まっているだろうが。何を言っているんだ、今更」
彼女は目の前の光景に目を疑う。幸い、自分は大勢に囲まれることに慣れていたため、一足早く立ち上がることが出来た。黒猫を見ながら深呼吸をする。
「後は俺に任せとけ。一五年間人を避け続けて身に着けたスキルを、見せてやる」
「それ、自分で言って恥ずかしくないの?」
「ほ、ほっとけ……」
黒猫に手を貸して立たせると、反対の手で頬を掻いた。
「待ちくたびれたぜ。それで、死ぬ覚悟は決まったか」
どうやら、目の前にいる殺人鬼は丁寧に待っていたらしい。武器を構えてはいるが、襲ってはこなかった。
「ああ、まあな。そういえば、こういうシーンって互いが名乗り出ることが多いわけよ。それについてはどう思う?」
紅葉の持っていたナイフを拾い、切っ先を男に向ける。
「……分かったよ。特別にお前も烏兎って呼んでいいから、早く殺させてくれ」
彼は余程この会話に苦痛を感じたのか、少し涙目になっている。
「『カラス』に『ウサギ』ねぇ。ネーミングセンスが悪いと思うのは俺だけか?」
『黒』と『白』、『捕食者』と『被捕食者』。様々な意味に取れるが、それらは全て正反対のものになるからだ。
「この場合、私達が『烏』で、あなた達は『兎』でしょうね」
俺達は顔を見合わせ、腹を抱えて笑った。わざと逆の事を言ったからか、見る者全てが不機嫌そうにしている。
「お前ら、構えろ」
男が言葉を言うのを待って、「やれやれ、物騒だねぇ」とキメ顔でつぶやく。
「さあ、ショータイムだ」
烏兎を指差し、笑みを浮かべる。
「遠距離部隊、撃てー!」
俺の目線から望みを察したのか、彼女は俺の腕を掴んで跳ぶ。俺達のいたところには爆発音が鳴り響き、土煙が覆っていた。
「……温度探知で発見できません。逃げられました」
「絶対に逃がすな。半径五〇〇メートル圏内に包囲網を張れ」
烏兎の指揮の元、約半数の人狩が四方八方に散っていく。どうやら、まだ俺達を発見できていないらしい。何十倍の人数もいるのになぜ、いまだに発見できていないのだろうか。
「俺の勝ち、だな……」
皆の警戒が緩んだのを確認すると、烏兎はどこか物悲しい顔をした。
「アハハ、何がお前の『勝ち』だ。全ては俺の手の平の上だぜ?」
「思いっきり悪役のセリフじゃない、それ」
空に鳴り響くはずのない声に驚き、人狩達の多くは恐怖する。だが、烏兎だけは笑みを浮かべていた。
「空を探せ、今すぐに」
「だから、無駄だって。『犯人は現場に戻る』んだよ」
烏兎達が視線を戻すと、そこにはさっきまでいなかった俺達が互いを見合い笑っている。この光景に、彼らは唖然とする。
「あいつら、揃いも揃って馬鹿じゃないのか? 勝つ自信がなかったら逃げるのは当然なのになぁ」
「まあ、そう言ってやるな。あまりにもかわいそうじゃないか」
腹を抱えることは止めたが、俺達は依然として笑顔は崩さない。
「全員、構えろ。今度こそ逃がすな!」
逃げようとする俺達を殺すため、彼らは剣を取る。だが、こちらが臆することはなかった。いくら巨大な集団だといっても、今ではその数割しかいない。それに加え、彼らは共通の目的で動いているわけではなく、恐怖に支配されて行動しているだけである。だから、新たな恐怖を煽ってやればすぐに、それは崩れていく。
「その音無黒猫とは私のことだ。もし生き延びたいのならばかかってくるがいい」
彼女は高らかに叫ぶと、俺の手を握り人狩の中に向けて走る。俺達はアイコンタクトの後、一人で人狩に向かっていく。
「もちろん、覚悟は出来ているよね?」
黒猫は襲い掛かる人狩の腕を掴み、俺に襲い掛かる他の人狩に投げつける。人狩が襲い掛かってくる瞬間に投げられたそれは、肉の切り裂かれる鈍い音を立てて崩れ落ちた。彼らは、武器を振り回していた己の仲間によって殺されたのだ。
「お前ら、この世界から脱出するって大義名分のために、あいつを殺そうとしているんだろ。じゃあ、お前ら……なぜ仲間を斬っているんだ?」
俺達は、各々の武器をしまう。だが、それは服従の証などではない。この人間達に恐怖を与えるのに必要ではないと、そう判断したからだ。
「それはお前らが勝手にしたことだ。殺人鬼であるお前らを殺すために、尊い犠牲となっただけである!」
「ククク……アハハハ。尊い犠牲? そんなわけあるか」
「何……?」
烏兎達は、手に力を込める。中には、その手から血を流す者もいた。
「『本当かどうかもわからない情報に騙された』なんて言い訳は通用しない。それでも、あなた達は自分で人を殺すことを選んだのだから……」
「だから、本当の殺人鬼なんてのは、決まっている」
「そう。お前等だよ」
烏兎達を指差し、嘲笑する。
「また、会えるといいな。馬鹿の集団さんよ」
「待て!」
俺達は笑って商店街の中に走っていく。そして、数十軒ほど走ったところで足を止めた。
「ねえ、次はどうすればいいの?」
「何をどうしろって言うんだ? 能力も発動しないし、紅葉も死んだ。これ以上、万策尽きた状況で、頑張る必要なんてないだろ……」
「まったく、あんたは……」
黒猫は嘆息し、蔑む。
「それで、君はいつまで隠れているつもりなの? 川上」
「なんだ、もうばらすのかよ。せっかく驚かそうと思ったのに」
黒猫の殺気立った声に怯えながら出てきたのは、かつて俺達を守って死んだはずの人間だった。