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物語は語られない  作者: 雲之下狐
第一章 -リアル・サバイバルゲーム-
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第三部

「ここまでくれば大丈夫でしょう」

 遠くまで走って緊張がほぐれたのか、黒猫はゆっくりと息を整えながらつぶやく。

「そういえば、川上ってどうなったんだ?」

「彼は、尊い犠牲になったのよ」

 何の迷いもなく、白黒はそう答える。

「……縁起でもないこと言わないでくれ」

 他人の死には興味が持てないが、彼だけは別かもしれない。こんな見ず知らずの人間を助けるために、命を落としたのだから。とはいえ、これから先はどうする。川上の生死を遠くから確認することもできなければ、直接見に行くこともできないのだ。

 そんな事を考えつつ、手慰みがてらに携帯電話の開閉を続ける。

「こんなことなら、電話番号くらい聞いておけばよかったな」

 後の祭りというものだ。今更悔やんだところで、どうしようもない。

「だったら、携帯電話を貸しなさい。彼と私の分、登録しておくから」

「あ……ああ、すまない。――って、ちょっと待て。なんでお前が連絡先を知っている」

「初めて会う相手との情報交換なんて、別に、大した事じゃないと思うけれど」

「いや、大した事あ――」

 近くに、複数の金属音が聞こえる。その音は継続的な音ではなく、金属がどこかに衝突するような見知った音だった。

「やっぱり来やがったか」

 建物の物陰に隠れているためか、音が反響し、発生源の規模やその場所の状況くらいしか分からない。暫く隠れていたかったが、相手の情報がない以上、いつまでも隠れていることはできない。だから、俺達は建物の影に隠れながら、音の発生源に密かに近づく。

「やっぱり、か」

 目の前にいたのは、一人の知人によってフェンリルと名付けられた、狼の形をした魔物の集団。だが、襲われていたのは黒白や俺ではなく一人の少女だった。およそ小学生と捉えられてもおかしくないような外見の少女の傍には、体が足の方から透け始めている男性が一人倒れている。

「なあ、黒白。あの現象って、まさか……」

「ああ、間違いない」

 それは、この世界に来る時に起きた現象であり、今いるこの世界に閉じ込められることとなった原因でもある。かといって、その時とは状況が違うのだ。今起きているこれが元の世界と異世界を行き来する方法だとすると、帰る方法は……

 彼女なりに思うところがあったのか、それとも、同じ考えに至ったからか分からない。ちらりと黒猫の方を見ると、どこか悲しそうにその男性を見つめていた。

「まあ、人がどこで死のうと俺の知ったことじゃないな」

 そう言い聞かせ、倒れている男性のもとに駆け寄ろうとする自分を引き留める。

「弱者は引っ込んでいればいい」

「あ、おい。ちょっと待て……」

 まるで何かに憑かれたように走る彼女に対し、黒白に蔑まれてもなお隠れて過ごそうとした。だが、ある一人の行動の記憶が突き動かす。

 命がけで俺達を逃がした川上鉄郎。彼の目に映った俺達は、不思議な力を持つ若者か、異世界に迷い込んだ人間か、今となっては分からない。だからこそ、目の前の見知らぬ人間を助けるべきじゃないのか。

 未だ続く葛藤の中、仕方なく忠告をする。

「おい、早く逃げろ。死ぬぞ!」

 忠告が聞こえていないのか、少女は動かない。そして、両手を広げ魔物を受け入れるような姿勢をとっている。

「……まったく。冗談も大概にしてくれよ」

 少女に襲い掛かろうとする魔物を弾き飛ばしながら前進し、時折その少女の様子を見た。相変わらず、両手を広げ魔物を受け入れるような姿勢をとり、逃げる素振りすら見せていない。だが、先程とは違い笑っていたのだ。

「嗚呼、なんて素晴らしい日でしょう。辛い現実から永遠に遠ざかることができるのですから」

 殺されることに喜びを感じる、という異様な光景を見て一つの考えが浮かぶ。彼女は殺されたがっているのではないか、と。自ら死ぬことを望む人間がいる事は知っている。だが、それはどこか他人事で自分には関係がないと思っていた。

「勝手に死ぬのは構わないが、知り合いが死んじゃ気分が悪いな」

 故に、目の前の光景を拒絶する。だが、次の瞬間、受け入れざるを得ない現実が目の前に広がった。

「やっと、死ねる」

 少女が嬉々とした表情でつぶやいたそれは、生きることに絶望した者の言葉だった。

「黒猫!」

 倒れている男性を指差し、叫ぶ。彼女はその意図が分かったらしく、魔物の間をかい潜りながら進み、男性を抱える。うなだれていたためか、彼女は何回か持ち直していた。

その様子を見た後、少女を抱えて魔物から逃げる。足を魔物化し、建物の屋根から屋根に跳び移っていく。魔物は屋根に跳び移ることができないのか、降りてくるのを地上で待っている。

「さて、随分とスピードダウンしているんだ。速度もパワーも上の物体から、どうやって逃げようか」

 少しの間は、屋根の上を走ることで凌げるかもしれない。だが、商店街を抜けた今となっては、建物が少なくなっている。このままでは、逃げ切るのは難しいだろう。周囲には壊された建物の瓦礫が転がっている。かといって、金属を投げても粉砕されるほどの硬度を持った毛皮だから、それくらいでなんとかなる相手ではない。

「いや、触ることができないなら、触らなければいい。無駄に傷つく必要はないからな」

 金属のような毛皮を持つ相手に通用する手段は何か。それを発見することが、唯一の打開策である。

「ここは特殊な場所じゃない。俺達が日常的に見ているものは何だ。その中で使えるものと言ったら……」

 この世界は元の世界を基に作られた。それならば、日頃見てきたことが打開策になるだろう。減速し、周囲を見渡す。見えるのは庭や家だ。元の世界ならそこには当然、家庭生活が広がっているはず。

「さあ、害虫駆除と洒落こもうか」

 民家に侵入し、庭を漁る。ホースを持ち、魔物が来る方に向けて構える。そして、魔物が近づいてくると同時に蛇口を捻った。

「このまま、地獄まで飛んでいきやがれ!」

 ホースからは勢いよく水が吹き出し、押しのけるとまではいかないまでも、転ぶ魔物や、移動が遅くなる魔物など、こちらにとって有利な状況となった。

 商店街を抜けて住宅街に入ると、魔物特有の金属音はもう響かない。それに加え、人の気配すらなかった。

「ゴーストタウンだっけ? こういうの」

 俺達は周囲を警戒しながら建物の中に入った。そこは、元の世界では俺の家のあった場所であり、この世界でも変わらずそびえ立っている。周りの家とは違う和風のデザインだけに、派手な外装ではないにも関わらず目立っている気がした。

「しばらく、休んでいてくれ」

 放心状態の少女をソファの上に置き、黒白を待つ間に家の中を探索する。キッチンと食品棚を物色すると、何枚かの皿とお茶請け用として海苔の巻いてある煎餅を発見した。それらをテーブルの上に置き、少女の隣に座る。

「何で君は、あんなところにいたんだ」

 やはり、返答はない。答えるのが遅れただけかと思いしばらく待ってみても、それは同じだった。

「なあ……」

 少女の肩を持ち、軽く揺さぶってみる。その時に見えた瞳には、光が宿っていないように見えた。

 この瞳には、見覚えがある。虚無感や絶望感に本来の感情が蝕まれ、そのストレスによって思考が停止する。その後は、生まれ変わったと言える程に元の人間性が消え、偽りの新しい人間性に支配されるのだ。結果、ある者は現実から逃避し、またある者は虚無感や絶望感を抱えた新しい人間性のまま生きることになる。こうなってしまったらもう、自分自身で解決するしかない。

「さて、あいつは上手くやったのか……」

 少女から手を離し、煎餅を食べながら考え込む。辺りには、煎餅を砕くパリパリという軽快な音だけが鳴り響いていた。

「死にかけの男と殺されることを望む少女、か。見ず知らずの他人なのか、それとも……」

 俺はそれ以上言葉を洩らさない。その言葉が現実になる瞬間を思い浮かべてしまいそうだったからだ。

 数ミリほどドアを開けて外の様子を見るが、上手く撒けたのか魔物の影はない。黒猫が男性を運んで来るのを待ち、家の中に入る。

「へぇ。人の家に勝手に入るなんてずいぶんと悪いことするのね」

「ど、どうでもいいだろ。そこは」

 黒猫は予想外の一面を見つけたとでもいうのか、俺の方を見てにやりと笑っている。気絶している男を抱えながら笑う彼女は、どこか不気味に思えた。

「女の子は無事なの?」

「ああ、今はソファの上にいるはずだ」

 俺達がソファのある居間に戻ると、目の前の光景に目を疑った。部屋の至る所に焼け跡があり、戸がすべて破壊されていたからだ。加えて、少女がいたと思われるソファの上には、人型の焼け跡が残っている。

「あいつ、まさかまた……」

 どういう仕組みなのかは分からないが、想像が現実となるこの世界だ。どんな現象が起きても不思議ではない。地面に残っている焼け跡を追おうとするが、焼け跡は家から数歩出たところで途切れていて出来なかった。

「……くそっ。なんで、なんでいなくなるんだよ。外よりもここの方が安全だって分かりきっているのに。なんで……」

 記憶がなくなった人間は、最後の記憶のある場所に行こうとすると聞いたことがある。その原因を紐解けばある程度の理由なら分かるが、それを知る手段はない。

「それは、この男性が知っている。私は部屋の外で待ってるから、ゆっくり話すといい」

 黒白は無関心そうにつぶやき、無造作に床にその男性を置いた。

「あんた、なんてことを……」

 彼女は両手を広げ、俺の前に立つ。その瞬間、俺の怒りは恐怖へと変わっていた。

 その手は、夕焼け空のように赤く染まっている。だが、それはお世辞にも綺麗とは言いにくい物だ。元となったのは人の生命力の一部であり、原動力。つまり、血液。そして、目の前には動かない四〇歳代くらいの男性が一人。

 この瞬間、予感は確信に変わった。彼は確かに生きている。だが今、この瞬間に世界に殺されるのだ、と。うつ伏せになっている男性の腕を持ち、仰向けにする。胸部から腹部までの深く長い切り傷によって、とめどなく流れる血液が服を染めていた。

「……む……は、ぶ……」

 そのままでは聞き取れず、男性の口元に耳を寄せる。すると、にわかには信じ難い言葉が聞こえた。

「娘は、無事か?」

 目の前の男性は、死にゆく最後まで自分の娘のことを心配していたのだ。それと、この言葉から察するに彼の娘もここに来ているらしい。

「すみません。俺には何とも……」

「そうか……」

 彼は残念そうにしていたが、どうすることもできなかった。

「何か伝えてほしいことはないですか? 見つけたら伝えておきますよ」

 彼はゆっくりと笑顔を作り、最後の一言を振り絞る。

「……生き延び、ろ」

 この言葉を最後に、男性は息を引き取った。体は次第に小さな光の粒となり、霧散する。

「なあ、黒白。お前はなぜ平気なんだ。なぜ、人が死ぬことに慣れている」

 黒白は男性の死体のあった傍に来て、平然と部屋の中を物色していた。

「人間は、死ぬ時に自分の願望を強く持つ場合がある。それが怨念となり、この世界を形成したのよ」

 思いが現実になるという現象は、元いた世界で実現しないということもない。病気が治ると信じ続けていると、本当に病気が治ったという例がある。その人物の限定的に強い願望が事象を上書きしたのだ。

「分からない? ここは『幽霊』によって、つまり、強い願望を持って死んでいった人間が集合して形成された世界だって言っているの」

「ちょっと待て、黒猫。幽霊は、魂の具現化した姿だろう。宗教によって考え方は違うのだから、願望を強く持って死んだら幽霊になるなんて無理じゃないのか」

 確かに、異なる宗教には異なる教えがあるのだから、世界を作るほどの大人数が同じ考え方を信じるわけがない。それに、幽霊なんて不確定要素だけでこの世界が創られたのなら、いつ壊れても不思議ではないのだ。

「それなら、『幽霊』という現象になった多くの人間を集めればいい。そこで幽霊となる資格を得た人間が多く死に続ければ、この世界は安定する。それが私の家系の持つ霊能力であり、この世界のできる原因よ」

 数多くの死を見続けたせいで、感情を抱かなくなる。それが、黒白が人の死を見ても平然としていられる理由であった。彼女はそっけなく答えると、食器棚の中にあったマッチ箱を取り出す。

「ちょ、ちょっと待て。あんた、何する気だ。まさか……」

 聞かなくとも、彼女が何をしようとしているかくらい分かる。ただ、唯一のくつろげる場所にそれをされる事を、信じたくなかったのだ。

「そう。そのまさか、よ」

 彼女はマッチに火をつけ、地面に置く。火はゆっくりと、しかし着実に勢いを増す。

「さあ、急いであの男性の娘を捕まえましょうか」

「ちょっと待て。お前、何を……」

 黒猫は肩に俺を抱え、楽しそうに笑い空を跳ぶ。空中で波紋のような物を発して静止し、その度に加速していく。一応気にはしているのか、時折俺の様子を確認している。

勢いを増した火は、容易に家を飲み込んでいったが、自分にはそれを見つめることしかできなかった。

「この世界に来た人間は、必ず何か強い力を持っている。あなたの黒い炎よりも簡単で、誰でも持っているけど人の思いによっていろいろな形になる『超能力』ってものを」

 彼女はある程度進んだところで停止し、話しかける。

「なら、あんたの能力は空を跳ぶってことなのか?」

「……違うわ。正確には、『どんな物でも足場にする』、よ」

 超能力は、人の思いによって性質を持つ。彼女の言った言葉には、そのような意味が込められている。

「……あんたは、いったい今まで何を経験してきたんだ」

 現実に苦しみ、そこから逃避するべくこの能力を持つ。そのことがわかっているからこそ、聞かずにはいられなかった。『どんな物でも足場にできる』という能力は、どんな物も足場にできなかったからこそ得た能力だ。能力を得た経緯は分からないが、そこには必ず能力の元となった経験があるはずである。

「すぐに、分かるわ」

 彼女はそんな思わせぶりな言葉を言った後、口ごもる。そして、少女がいた場所へと急降下していった。



「……っ。なあ、もうちょっとマシな方法くらいなかったのか」

 トラック同士が衝突した時のような轟音と共に、着地した。その衝撃で砂埃が空高く舞い上がり、地面の大きな窪みがその規模を物語っていた。

「あるわよ。数十パターンくらいは」

「お前なあ、そんなにあったなら――」

「二人称が崩れているよ、少年君。君が言う二人称は『あんた』ではなかったのかい」

 俺に指をさしたその女は嘲笑こそしていたが、その表情に余裕はなかった。

「でも、またもや狂暴化してしまったことは、不正解とは言えないと思うけれどね」

「……なるほどな。そういうわけか」

 黒猫が見つめる先には、やはり、見たことのある光景が広がっていた。金属の音を鳴り響かせながら、それはゆっくりと近づいている。だが、この光景には一ヶ所だけ大きく違う点があった。狼型の魔物は集団ではなく一匹だが、同じく物陰に隠れて、少女が魔物に襲われている瞬間を見ている人間がいるのだ。

「なんだ、あれ。変質者か」

「ここで見ている私たちも大概だと思うけれど……」

「……まあ、そこはいいんじゃないかな。助けようとして追いかけてきたってことで」

「どっちにしろ、ストーカーには変わりないよ?」

「……それを言わないでくれ」

 目の前の人物達に聞こえないよう、小声で話す。本来なら、目の前の人物に見つかることはなかっただろう。だが、その安全な空間は突如崩されることとなった。背後にある整備されていたはずの道路から、木の枝の折れた音が鳴ったのである。

「誰だ!」

 後ろを振り向くと、そこには何本もの木の枝が落ちていた。一ヶ所だけに集中して落ちているそれは、明らかに作為的な行為だと判断できるだろう。

「いったい、誰がこんなことを……」 

 その光景に夢中になって考え込んでいると、そこにあった危険を直視できなくなっていた。そして、体中に漂う妙な浮遊感によって現実に引き戻される。なぜか、体を動かすことができないでいた。

「特殊な麻痺毒なんだから、数一〇分は動けないはずだ」

 目の前の人物達は、二人とも黒い服で全身を覆い、何かの組織的な雰囲気を放っている。

「な……なんか、すごくデジャブなんだけども……」

「そりゃあ、自分でやったんだから覚えているでしょうね」

「おまえら、あの女の知り合いか」

 彼らは、俺の首筋にナイフを押し当てている。これで脅迫のつもりかは知らないが、この危機的状況でも笑いが込み上げるだけだった。

「お前ら、この状況が分かっているのか。答えなきゃ、俺の捕まえた魔物に喰われるんだぞ」

 呆気にとられたのか、目の前の人物たちが少し硬直したように見えた。

「それは分かっているよ。体が動かないうえに、魔物の前に人間がいるのに食べられてないんだから」

 その言葉を聞いて右手を動かそうとするも、手に力が入った様子はない。まるで、感覚そのものが削ぎ落とされたような感覚を覚える。

「なあ、黒猫。超能力が簡単に使えるというのなら、俺が使えてもおかしくないよな。なんで俺だけが使えないんだよ」

 能力がうまく使えれば、この状況から脱出できると思っていた。だが、その目論みは早くも崩れることとなる。何度も願った。体が動いてほしいと。だが、その望みが叶うことはなかった。

「そんなの、ここがゲームの世界だからに決まっているだろ」

「ゲー……ム」

 非常時の時には、現実逃避ほど怖いものはない。『ここはゲームの中であり、クリア状況が分からないからあらゆることを試すほかない』という思想は、人殺しすら可能にさせる場合もある。だからこそ、今この場に隆春達を殺そうとしている人間がいるのだ。

「まあ、黙っているならそれでもかまわないさ。この殺人を見逃してくれるってことなんだからなぁ!」

 そいつはナイフを少女の首筋に当て、動きを止める。命乞いでも待っているのかも知れないが、今の彼女に期待しても無駄だ。死にたがっているのだから、殺してくれということはあっても、命乞いをすることはないと断言できる。

「早く、殺して」

 恐怖のあまり萎縮している男の手を取り、心臓のある位置まで持っていく。

「これはゲームだよ。死んだって元の世界に戻るだけなんだから、楽しもうよ。ね?」

「……ああ、わかったよ。おまえの父親と同じ所に連れて行ってやらぁ!」

 男はやけになってナイフに力を込めるも、なぜかナイフの刃先はまったく動いていなかった。

「父親と同じって、どういうこと。もしかして、あなたたちが殺したの?」

 少女の髪が徐々に赤く染まり、体が薄ら光っているように見えた。

「あ、ああそうだよ。俺がナイフで動きを止めて、後ろにいるあいつの捕まえた魔物で殺してやった。あいつは面白かったなあ。最後まで『娘は俺が守る』とか格好悪いこと言っちゃってさあ。今どき時代遅れだって」

「ねえ、殺すことってそんなに楽しいの? それなら私も混ぜてもらおうかな。あなたの惨殺に……」

 少女はにっこりと笑ってナイフを奪い取ると、その男の首筋に軽く刺した。刺された場所から少しずつ血が流れ続けている。

「ふ……ふざけるな。人を殺し殺されることが、楽しいわけがないだろ」

 殺すことが楽しいというのなら、自分の目の前で死んでいった人間が『生きろ』と言うわけがない。生きることを望んでいる人間が、死ぬことを楽しめるわけがないのだから。

「許さ、ない。許さな、い。……ユルサナイ」

 体を黒い霧が覆い始め、一つの思考以外が排除される。

「う、嘘だろ。毒が効いているのに、なんで動けるんだよ」

 ぎこちない動きで立ち上がると、黒い霧がフェンリルと名付けられた魔物の形となり体中に纏わりついていた。

「ウガアアァァァッ」

 もはや魔物と言った方が近いかもしれない自分は、魔物のもとに一瞬で跳び、首筋に向けて腕を振り下ろす。魔物は黒い光を発して一瞬で消滅した。何の音もなく静かに消滅したため、当事者以外は誰にも認識することが出来なかった。

「去レ。デキレバコロシ……たく、ない」

 魔物を操っていた人間のもとに跳び、首筋に鋭く尖った爪を突き立てる。体とは違い、心にはまだ人間らしさが残っているらしく、殺すことに躊躇してしまった。

「す、すみませんでしたー!」

 魔物を操っていた人間はよほど慌てていたのか、足元にポーチを置いたまま逃げていく。ゆっくりと少女のいる方に歩いていくと、手元に黒い光が凝縮し、剣の形になる。

「アハハ。やっぱりゲームって面白いね。最後の大逆転があるんだから」

 この様子を見ていた少女は、ナイフを持ちながら笑っている。その相手は身の危険を感じたのか、周囲を見回して逃走経路を探していた。

「死んじゃえ!」

 少女が相手を切り殺すより早く、ナイフと男の間に黒剣を割り込ませると、大きな金属音が鳴り響いた。

「やめろ。こんなやつは殺す価値もない」

 あらかじめ持っていたナイフで少女を牽制し、黒剣で相手の右手を斬る。斬られた右手からは勢いよく血が噴き出した。

「うああぁぁぁっ――!」

「欲望が現実になる世界だ。その怪我を治療することができる能力者ぐらい、簡単に見つかるだろう。それより、早くどこかに行ってくれるか。おまえを殺したくなってくる」 

「畜生、覚えていろ。いつか必ず殺してやる」

 男は、斬られた右手を抱えるようにして逃げて行った。

「あ、アハハ……」

「お、おい。大丈夫、か……」

 少女は突然体の光が消え、倒れこむ。自分も体の光が消えて人間の姿に戻り、過度の疲労感と倦怠感に襲われた。

「まったく。格好悪いな、俺……」

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