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物語は語られない  作者: 雲之下狐
第一章 -リアル・サバイバルゲーム-
2/13

第一部 

「ふわ……ぁ……」

 眠い目を擦りつつ、枕元の青い携帯電話を取った。恒例の悪戯メールだった事を確認すし、安眠妨害にも程があるだろ、と呟きながら携帯電話を閉じる。

 置時計を見ると、午前〇時ちょうど。早起きは三文の得という言葉に便乗し、布団から出ることに抵抗する体を強引に動かす。さすがにパジャマのままの外出というのも気が乗らないので、床に置いてあった藍色のジャージに着替え、コンビニに向かった。

「……はぁ。気晴らしに、散歩でもしておくか」

「それにしても、随分と静か……というか、不気味だな」

 一応街灯はあったが、繰り返し点滅するばかりで、正常に機能していない。いくら進んでも、すべての街灯がそうなっていた。日常的に見ることの無い景色は、恐怖心を募らせていく。

 肌寒い夜風に震えながら、路地を歩く。妙に静かな路地には、一人の足音だけが虚しく響いている。立ち読みをしようか、菓子を買おうか悩んでいると、すぐに目的地―第二の家である‐コンビニ‐が見えてきた。深夜という時間帯が幸いしてか、それともコンビニが近所にあるせいか。ともかく、見知った人間に会うこともなく到着した。

「やっぱり、暖をとるならここが一番だよな」

どんな時間帯でも営業しているコンビニを尊敬し、合掌をしてから自動ドアをくぐる。直後、見知った人間が商品棚の向こうから湧出した。

「な……なんで、お前がいるんだよ」

「あれ? どしたの、タカハル。高熱で学校休んだって聞いたけど」

 目の前にいるのは、黒崎メイというクラスメイトだ。黒髪ショートアを携え、まるで太陽のような笑顔を浮かべる。着ている黒色の服のせいもあってか、個人ではなく雰囲気の一部としてとらえてしまう程の、陽気な女子高生である。

 知り合いと話す事より重要な用があるのか、彼女は商品棚を漁りながら、横目でこちらを見ていた。

「ああ、あれは嘘だ。退学しようと思うほど学校に嫌気がしたんでな」

「なるほど。まあ、いつものやつね……」

 一つの皺もない黒色の制服。新品のような靴。この三つから、規則正しい生活を送っていることが分かる。日常的にそうなのだから、世間からすれば真面目な人間だと捉えられるだろう。

――と、冷静に観察できたのはそこまでである。確かに、彼女の目の前の人間は、日常的に学校を休んでいる。ただ、面と向かって『いつも』という三文字だけで片付けられるのは、どうしても納得できそうにない。

「ふむ、これはどうするべきだろうか」

 特に語る世間話もなく、本題を語る他になくなってしまった。商品棚を見ても代わり映えがないので、手を顎に当てて考える。

 正直、このまま家に帰って、今日のことを全部忘れたい。だが、昨今は世知辛い世の中。聞いておかないと、支配者の魔の手から逃げきる手段さえ分からないのである。

「あんたこそ、どうしたんだよ。こんな夜中にコンビニで買い物か?」

「えっと、それは……」 

 彼女は困ったように頬を掻きながら、周囲を見渡す。怯えるように商品棚に隠れるので、それに習うと、顔を寄せて小声で話し始める。

「今日、肝試しをすることになってさ。隆春が休みだって言っても、それなら余計に好都合だって言うんだよ」

どうやら自分は、学校に行くかどうかは関係なく、差別されているらしい。黒崎が買い物に来ている理由も、それに関連しているのだろう。

「おい、黒崎。早くしないとおまえも葉桜みたいに――」

 赤い長髪の男は、店に入るとすぐ怒鳴り声を出す。他人を見下すような目をするのは、学校の支配者である神谷龍二。成績は常時最底辺だが、いじめや暴力に関しては学校随一のネットワークを持っているのだ。孤立の原因の大部分は、こいつのせいだと言っていい。

「俺みたいに差別するってわけか? 龍二」

「なんだ、お前もいたのか。あいかわらず空気みたいな存在感だな」

 何を言われようと、別に構うことはない。高校とは違って、ここには店員がすぐ隣にいる。暴言を言われ慣れていないアイツは、自分よりも早く限界が来るだろう。だから、少しくらい強気に出ても問題ないはずだ。

「……空気な俺を発見できる時点で、あんたも十分空気じゃないのか?」

「なんだと、テメェ!」

 彼は拳を振り上げるが、そこでふと殴る動作を止める。さすがに、自分の掌握していない人間の前で蛮行はしないようだ。

「……チッ。明日は、焼きそばパン三個だ。忘れるなよ」

 神谷は不愉快そうに囁くと、扉を壊すかと思う程勢いよく開ける。舌打ちをすると、なぜか律儀に扉を閉め切ってから出ていった。それにしても、不良は焼きそばパンを好むというのは、ある種の伝統なのだろうか。

「クラスのみんなに、少しくらい同情してもいいだろうか……」

 これでは、さすがにパーティーとは言えない。むしろ、一斉処刑と言った方が近いだろう。どうやって逃げようか考えているクラスメイトが、目に浮かぶ。

「あわ、あわわわ……」

 金色の長髪を持つ店員は、強盗にでも会ったかのように、レジの向こうで頭を抱えている。震えた声をしていたが、もしアイツが日常的にここに来ればどういう反応を示すのだろうか、少し興味が湧きつつあった。

「これ、ください」

「……ふぇ?」

 そんなことはお構いなしに、黒崎は、店に置いてあった一三個もの花火セットをレジに置いた。少しは自分で買えばいいものを、と呟いた時から、被害者がもう一人増えたのだと実感する。

「……容赦ないな、あんた」

「そう?」

日常的に神谷の支配下にあるためか、これだけの事があっても、彼女は動じていない。

「え……っと、五一七四円になります」

 店員はレジから頭と腕を出し、慣れた手つきで数えていた。

「今日はゴメンね。また明日!」

五一八〇円を出し、なぜかお釣りの六円を俺に渡す。そして、駆け足で去っていった。

「……六円じゃ、何も買えやしないよ」

これで募金でもしろとでも言うのだろうか。使い道が分からなかったため、募金箱にそれを投入。

『また明日』と言われても、名前を忘れる程興味のない学校になど行く気も起きない。それに、自分からいじめられに行くなど正気の沙汰ではない。家の中でも外でも気分が晴れないのなら、家で大人しく寝ていた方が得だ。そう思い、俺は重い歩調で帰路についた。

 白い封筒。

 見たものをそのまま表すならこの言葉に尽きるだろう。

 だが、それだけだ。その中には何も入ってはおらず、当然ながら、何の目的で置かれているのか見当もつかない。

「……最近、封筒なんて触ったかな」

 黒い長髪の俺は、所々が真紅に染まった服を着ている。昼間ならともかく、今は薄暗い深夜だ。周囲から見たら、本物の血が付いた服と間違えられても仕方がないだろう。

「さすがに、これは趣味が悪くないか?」

 自分が言うべきではないと思うが、この行動の意味を理解することは出来そうにない。

新品の封筒なんか置いても怖がるどころか、感謝するだけである。分からないままというのも腑に落ちないので、頭を掻きながら拾い上げた。月光に透かしたり、手に持っていたライターで炙ってみたりするが、何の反応もない。

「友達なんていないからな。こんな時にどうすればいいか、相談も出来やしない」

 誰も触っていないのに移動する封筒。そのような不可思議な物体にも関わらず、遠い昔に見た様な既視感を覚えるのは何故だろうか、想像もつかない。

「何か重要な事でも、忘れているのか? 俺は……」

 ふと思い出したのは、金髪と銀髪の少女。

 何年前かに公園で会ったことは覚えている。だが、詳しい時間帯、何があったのかなど、知らない間に抜き取られたように、その記憶だけが欠落しているのだ。

「まさか、あいつらじゃないだろうな」

 唯一の知人を疑いたくはないが、他に関わりを持った人間など記憶にない。許してもらえるかは別だが、違っていたら、素直に謝っておくとしよう。

「こんな俺ごときにいたずらをして、何が楽しいのか」

 単なるいたずら。そう片付けようにも、必要最小限しか人と関わらず生きてきたため、犯行の理由など思いつくはずもない。考えれば考えるほどまとまらなくなり、収集が付かなくなる。

「うわあぁぁっ!」

ひとまず考えを中断し、居間に戻る。テーブルの上にある置時計を見た。秒針のないそれは、加速と減速を繰り返しながらぎこちなく回転し、見る者に時間を教えている。

「……はぁ。そろそろ、修理にでも出すか」

 時刻は午前二時ちょうど。丑三つ時まっただ中、幽霊が一番多く出現する時間帯。加えて、さっきから続く不可思議な出来事のせいで、恐怖感は募る一方だ。ほんの少しまとまりかけていた考えは、ここで霧散する。

「まさか、本当に幽霊は出ないよな……」

 ポケットの奥底で眠っていた携帯電話を手に取る。四角い金属の感触が、妙に懐かしく思えた。

「電話なんて持っていても、話す相手がいないんだよな……」

 あの時会った少女に、電話番号かメールアドレスでも聞いておくべきだった。そう後悔しつつ、慣れた手つきでボタンを押していくが、最後の番号を押す直前に動きを止めた。携帯電話の光で、冷蔵庫のメモが照らし出されたからだ。

『生活費だけは振……おく……ら、後は……で頑張り………。あ……うだ。しば…く旅行に行……ら一人で……』

 冷蔵庫に貼ってあるそのメモは、色落ちしてほとんど見えなくなっていた。要約すると、『生活費を振り込んで旅行に行ってくるから、後は自分で頑張れ』とのことである。随分な放任主義も、度が過ぎると呆れてきてしまう。

「まったく、いつになったら帰ってくるんだよ。うちの親は……」

 携帯電話に登録されているのは一件だから、母親に頼る以外方法はない。だが、所在も知らない母親に頼るというのも、どこか負けた気がする。そうなると自分で解決するしかないが、あいにく、そこまでの知識は持ち合わせていない。それが現実にならないよう祈りながら、携帯電話をしまう。

「頼むから、幽霊になって出てくるなんてことだけはしないでくれよ」

 そんなことを考えながら置時計を眺めていると、部屋の窓が叩かれ、戸が軋んでいる。

 この時間帯に来る奴は大抵、幽霊とか泥棒とかの異常な奴だけだから、誰が来たのか興味はないが、無視だけは出来そうにない。とりあえず、窓越しに話してみる。

「そこに誰かいるのかい? それならここを開けてくれんかね。プレゼントをあげる相手を間違えてしまって困っているのじゃよ」

 カーテンの向こうから呼ぶ人物は、どうやらこちらが見えていないらしい。疑問を解決するには、いい機会だ。異常な『物』は異常な『者』に返せばいい。これで、不思議なことからサヨナラできる。そんなことを考え、窓を開けに向かった。

「あれ? これは一体……」

 そこまで歩くことはできなかった。まるで見えない何かに縛り付けられているような、そんな感覚に包まれる。それでも、全力であがき続けたが、ある瞬間に気付いてしまった。

――その乾いた声の主は生きていない、と。

 たしかに人間の声だと判別はできるが、それはどこかで作られたような機械的な声。加えて、今目の前で声の主の影が徐々に揺らぎ始めたのだ。どう見ても、これは異常としか言えないだろう。

「まあ、別にいいじゃろう。宛先でも書いておけばいつかは……」

「…………」

 この声に呼応するかのように封筒が青白く光り始めた。その光が輝きを失っていくごとに、文字のような形を形成し、凝縮される。「相当面倒がっているな、コイツ」と呟き、相手の反応を待った。ものの数秒ほどで収まったその現象に唖然としていると、影のいた場所あたりからまるで木の枝が折れたような音がする。

視線を戻すと、そこにはもう影は見えない。いや、戸を開けて確認しても足跡や髪の毛など、さっきの影がいた痕跡すらも残っていなかった。

「なんだったんだよ、今の」

 人間ならば、こんな芸当はできるはずもない。だが、もし『あれ』だったとしたら

――『幽霊』だとしたら――可能なんじゃないか。 

 これに気付いた瞬間、好奇心に支配され、『逃げる』という選択肢が脳内から排除される。

「やっとだ、やっと俺にも友達ができる」

 どんな噂でも、不確定な物ほど注目度は上がる。その分熱が冷めるのは早いが、多くの人に知れ渡るなら、別に気にすることはない。

持っていた封筒を見る。先程までの眩い光は収まっており、そこには光と同じような青白い色で『桜公園』と書かれていた。文字通り二本の桜が、訪ねてくる人を待ち構えるかのように、公園の入り口でそびえ立っていることから名付けられたという。そこで何をしたのかは思い出せないが、八年ほど前、金髪と銀髪の二人の少女に出会ったことは覚えていた。

『丑三つ時』、『幽霊』、『夜桜』。

 どこか非日常を感じさせるこれらを前に息を荒げ、靴箱に隠してある新品のカメラと果物ナイフを持つ。「防犯用に」と近隣の人々に言ってあるが、誰が見ても明らかに私用で購入した物である。これが見つかれば、何を言われても弁解はできないだろう。だが、そんな事を気にする余裕はない。

「幽霊だろうが知ったことか。地の果てまで追いかけてでも、話のネタにしてやる」

 封筒に書いてあった場所へと、ひた走る。いくら夜中とはいえ、今はもうすぐ夜明けだ。道中に誰もいないのは不自然だったが、気にしている場合ではないだろう。のんびりしていたら、こっちが不審者扱いされてしまう。

「ふむ……」

 街灯もない暗闇の中、商店街を経由して公園に行く。その考えを、商店街の入り口付近で一枚の白い紙が遮った。そこには『工事中につき通行止め』の文字。なぜか達筆で書かれているそれは、ロープに貼り付けられている。だが、辺りを見回してもどこにも工事の跡はない。

「こんな張り紙なんて、意味があるのかね……」

 今から工事が始まるのか、それとも、何か公言出来ない事が起きているのか。

この紙を無視して進むのはたやすいことだ。そこに物理的障壁はなく、常識という観点での警告文しかなかったのだから。だが、念のために警戒しておく方がいいだろう。今日は、不可思議な事が起こりすぎている。

 何の躊躇もなくロープを飛び越え、商店街に侵入した。商店街とはいっても、ここはあまり発展してはいない。良く言えば趣があり、悪く言えば代わり映えしないのだが、とにかくあるのは食品店や理髪店が数軒だけ。そのおかげか、暗闇の中の街並みは静寂に包まれており、淡い月明かりだけが差し込んでいる。

「……絶好の幽霊日和だな、畜生。驚かすのが好きだからって、驚かされるのが好きだとは限らないんだよ」

 通り抜けようとすると、視界の隅で何かが光を放っていた。揺れ動くそれは、ふと目を離すと消えてしまいそうなほどの淡い光を身に纏い、暗闇を照らしながら徘徊している。それはこちらを振り向き、ゆっくりと近づく。

「……今日は、厄日だな」

 またもや金縛りにでも会ったように、動くことは出来なかった。それでも、容赦なく『それ』は近付く。歩く度にたなびく銀色の髪は月光を反射し、妖しく光っている。

「パジャマの女幽霊!」

 近づいてそれの輪郭が分かると、驚きのあまり見たままを叫んでいた。なぜこの言葉が出てきたのかは分からないが、今は目の前の物体の対処が最優先事項である。細かな一挙動にまで警視し、逃走の準備をする。

 ピンクのパジャマを着てさまようそれは、その言葉を聞いた途端、ただならぬ様子で走り寄る。

「え……ちょっと。どこなの取って、取ってよ!」

「いや、『取って』と言われても……」

 幽霊を怖がるというしぐさには、どこか人間味があった。そのままにするのも可哀そうに思えたので、ふぅ、と嘆息した後適当に取ったフリをする。幽霊はそれを見届けた後、憑き物が落ちたように大人しくなる。

「……ふぅ。幽霊が怖い幽霊なんて、随分と新鮮だと思わない?」

「なっ――――!」

彼女はその言葉を発した途端、自慢げに目の前を指差す。そこは、俺の足元。おそるおそる見てみると、彼女と同じく足が消えている。その瞬間、脳裏にある考えが浮かぶ。

「これが、幽霊の正体ってわけかよ。まるで……」

「まるで、地縛霊みたいだ」なんて発現することはなかったが、彼女はまるで、全て見透かしたように笑う。ひとしきり笑った後、妙に真剣な、引きつったような顔で話し始めた。

「今すぐ、今すぐここから立ち去りなさい。戻って来れなくなるわよ」

 こちらに向かって指されている指は、どこか震えて見えた。この現象が分かっているからこそ、恐怖しているのだろうかもしれない。『戻ってこれなくなる』なんて断言した事には、疑問が残る。体はすでに半分以上が消失しているため、『体が戻らなくなる』と言うならば分かる。では、なぜそう言ったのだろうか。それが分かっているならばなぜ、目の「……ふぅ」

尽きる事のない疑問を整理するため、大きく嘆息をした。ここで、大きな疑問の塊が目の前にいる事に気付く。そう、名前、住所、滞在理由――それら全てが謎の少女だ。

「あんたは、逃げないのか?」

「私は、私にしかできない事をするためにここにいる。だから、私は――」

 この現象に巻き込まれたくないため、確固たる覚悟を持つ彼女をよそに帰路に着こうとする。だが、そこまでの覚悟を持って何を成すのか、気になり始めていた。

「一応聞いておくが、あんたはここに残ってどうするつもりだ?」

 彼女は相変わらず凛とした態度をとる。だが、その眼には憤怒の炎が宿った気がした。

「世界を、壊しに行く」

 そんな発言をする彼女は覚悟を決めているが、当然ながら、自分はその理由を知らない。いや、もしかすると忘れている記憶の中にあるのかもしれない。そう考え、覚悟を持った理由を問い詰める。

「そもそも、この世界の存在意義って何だよ。壊す理由は何だ。それに、その世界は存在する価値ってあるのかよ。余程のことがない限り、俺はお前をこの場から連れ出すからな」

 聞き飽きたと言わんばかりに、目の前の少女は退屈そうな顔をする。

「何の意味もないよ、その世界は。数少ない人間の道楽のために作られ、その世界の維持のために今も大量に人が殺されているだけの、殺戮の蔓延する世界なのだから」

「お、おい。あんた何を……」

 どこに持っていたのかは知らないが、彼女は右手に持つナイフを左手の人差し指に当てた。切り傷からは血が滴り落ちていたが、気にも留める様子もなく話し続けている。

「たとえその世界を作ったとしても、利益どころか、失ったものの方が大きいのよ」

 少女は傷つけた指を俺の目の前まで持っていく。

「異世界との繋がりを持った時点で、私は人間ではなくなった。だから、人間に戻るために、私は世界を壊す」

 傷ついていたはずの指は目の前で復元を開始し、ものの数秒で元に戻った。彼女が言っている事が本当なのか、冗談なのかは分からない。だが、この現象が、常軌を逸していると判断するには十分な物だった。

「悪いが、俺もここに残るぜ。目の前に大きなスクープがあるのに見逃す事は出来ないよ」

 この先にどんな現実が広がっているのかは分からないが、それでもここよりはマシだろう。普通、異世界というのは現実とかけ離れているのだ。何にせよ、このふざけた現実から脱却できるのだから、ここで逃げる方が馬鹿げている。そう考えたところで、揺らいでいた気持ちは確固なものに変わる。彼女はその返答を予想していなかったらしく一瞬驚いたような表情を見せた。

「そう……」

 彼女は悲しそうな顔をしていたが、どこか幸せそうにつぶやいた。

「面白いな、君は」

「お互い様だろ、そんなの」

 消えてしまうまで、俺達は光に包まれながら、互いを見て笑い合っていた。

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