4.妖怪師 -ソノ一切ニツイテ記録アラズ-
どう考えても不思議な訪れだった。それは奇妙な男だった。
『……妖怪師?』
『そう、妖怪師だ』
『へぇ……今って安倍晴明だ百鬼夜行だなんだって、いわゆる妖怪ブームだしね。流行に踊らされて、そういうヤカラが出てきたって驚きはしないけど。それにしたって妖怪師ってなにさ』
『絵師は心象を具現する者。技師は未来を実現する者。詐欺師は仮想を体現する者。医師は病魔を祓う者。ここまで言えばいくら君でも、妖怪師が何か判然ろうというものだ』
『全ッ然わかんないし! 君邪魔だからさっさと帰れよ!』
いきなり現れた妖怪師を自称する男に投げつけた言葉は、今でも覚えている。
その男が用件だけを告げ、目的を果たしてそのまま帰っていれば、二人の会話はそれ以上のものにはならなかっただろう。
名家……というほど名声もなくなったボクの住む屋敷だが、敷地面積だけはそこらの豪農に負けない広さを保っていた。人の手の入らぬ裏の山林も含めれば、一つの山が丸ごとウチの私有地なのだ。
どこで仕入れてきた知識か、妖怪師を自称する男は、山のどこかにあるという祠だか石仏だかを参りたいと申し出てきたのだ。
もとより私有地だかただの野山だか判然らないような場所だ。勝手に行って勝手に参ればいい、ボクが許可しない理由なんて全然なかった。
ただ、あんまり失礼なことを言われたものだから、その場の勢いで帰れと言ってしまった。
『それは困る、妖怪が去っていない石碑厭魅堂は現代では希少なのだ。非礼は詫びよう、どうか山林に立ち入ることを許可して頂きたい』
『でも君、怪しいし』
『名は黒川京輔と言う。学術研究の目的で訪問した次第だ』
『……はじめからそう言えばいいのに』
そう、思った。
奇妙な男ではあったが礼儀は弁えているようだし、何よりボクが、その男に少し興味を覚えた。
『いいよ。行っても』
『有り難い、礼を言う』
『ただし! ボクも連れてってよっ! 裏山にそんなのがあるなんて聞いたことないし、本当にあるのならちょっと見てみたいんだ』
『勿論構わない。場所の見当はついている。道案内に困ることもない』
『ウチの庭なのに、君に道案内してもらうっていうのは、立場が逆だね』
『その道のプロがここにいるのだ、任せればいい。蛇の道は蛇。そう覚えておくことだ』
『それ使い方あってるの?』
たわいもない話、それでいてどこか奇妙な会話。
それは確かに楽しかった。
『妖怪って何さ?』
苔蒸した山道を歩く。その日は折しもの晴天で、日差しは明るかった。
『本来の意味から言えば、夭い女の発する気を妖気と言った。男を惑わす女の色香というやつだ。それと同じくする気、つまり人を惑わせる気を放つ存在が即ち妖怪だ』
『なにそれ。じゃあ、女は妖怪なの? 男は狼?』
『そうではない。女から発せられる妖気。では、女ではない別のものが妖気を発したらどうか。気配を感じる。だが、それは女のものではない。女ではない、人を惑わす怪しい気配。それが妖怪だ』
『そうなんだ』
もちろん、ボクはその話を聞き流した。
聞き流したはずの、そんな会話ですら、ボクは瞭然と覚えている。
『そうだな……ではこういうのはどうだろうか』
『なに?』
『国道沿いの山林の袂で全裸の女性の焼死体が見つかった。発見者はタクシーのドライバー。あまりに山の近くで焚き火をしているから危険だと思って消防に連絡を入れたところ、実はそれは火を付けられた女性が燃えていた――』
そこに着くまでに聞いた途方もない妖怪談と長い山道に、ボクの頭と身体は悲鳴を上げていたけれど、心はなぜか昂揚していた。
石碑厭魅堂は、どこにでもある小さな地蔵堂に見えた。お地蔵様もいた。
――二度目の再会はボクのほんの気紛れだった。街に出たついでに、彼の妖怪師にもらった名刺のことを思い出して、ふと住所がこの辺りだった気がして、取り出してみたんだ。ちゃんと読んで驚いた。そこには「妖怪師 及び 探偵」なんて銘が打たれていたのだから。どうしても問いたださなくてはいけないと思った。そういう自分に関西の血を感じつつ、ボクはそこに記された住所へと向かった――
三度目はデートだった。
彼の目にはボクのこと、奇異な存在に見えたかもしれない。自分でも思った。出会ってたった三回目で、何をやっているんだろうと。そもそも彼はおよそ人に合わせるということを知らない風だから、誰かと二人きりで出かけるなんてしたことないに違いない。それが一つの楽しみでもあり、彼の慌てる姿を見たいと思った。あの淡白な男がどんな様子で来るだろうと。
――妖怪師はやはり妖怪師でしかなく、いつもの格好にいつもの調子だった。それは落胆でもあり安心でもあり、結局その日はデートでもなんでもなかった――
そして今日、彼を知り合って、少なからず同じ時を過ごして、自分の気持ちについて考えてみた、その今日。
ボクは彼の妖怪師を呼びだした。場所は出会いの場所、石碑厭魅堂――
「来て、くれたんだ」
「……喚ばれれば現れる。妖怪師としてのたしなみだ」
「よかった。君に……話したいことがあるんだ。いや、確かめたいことっていうのが正しいのかもしれない。そんなに時間は経っていないのに、なんだか懐かしいな、この場所は」
「…………」
「単刀直入に言うよ。君はボクのことどう思っているんだろう? それを君の口から聞きたい。君との出会いはなんの脈絡もなかったけど、それからの日々は少なからず、ボクに影響を与えてくれた。ボクはね、とっても楽しかったんだ。どれだけとか、どのくらいとか、口で表現できるようなのじゃなくてさ。毎日がこう、明るいっていうかあたたかいんだ。今日は何があるんだろう。今日はどんなことが起こるんだろうって」
「…………」
「今までの日々がつまらなかったとは思わないけど、今ほどの高揚感はなかったよ。ただ、変化のないいつも通りの毎日が過ぎてゆくって思ってた。それが今は、昨日が終わって見たこともない今日が生まれてくる……そんな真新しい毎日を生きてる気分なんだ。そして、明日にはもっと新しいなにかを感じられる気がする。そんな毎日をくれたのは君だ。――だからボクはもっと君のことを知りたいんだ。教えて欲しい――ボクの知らない、君の、全てを知りたいから」
「…………」
「どう、したんだよ? なんで黙ってるのさ。いつもの、何も喋らせてくれない絶口調はどうしたんだよ……それとも、それが君の答え、なのか……」
「クッ、クククク……」
「……えっ?」
「ハハハハハ」
「な……に?」
「ハァーハッハッハッハッ!! こんな話があるのか。まさか獲物の方から檻の中に入ってくるとは思わなかった。私には狩人の素質もあるようだ」
「ナニをいってるんだ、キミは……」
「何が起こっているのか理解できないか。
いいだろう、お望み通り教えて差しあげよう。
私が何者であるか。
妖怪師とは何者であるかを。
『絵師は心象を具現する者』、そう言ったはずだ。
言葉の通り、絵師は絵を作る者。
ならば妖怪師とは?
妖怪に興味を持つ人間は妖怪を認めることができる。
妖怪を認めることができる人間は妖怪を理解できる。
……妖怪を口にする人間は、妖怪を作ることができる。
それが妖怪師だ。
火だるま男!
ドロール!
紅葉!
それらの妖怪は皆作られたのだ。
私とは別なる妖怪師に……人間に!」
「妖怪を作る者……? どういうことだよ。ありえない。居もしないものを作れるわけないじゃないか……」
「居もしないか。だが、心の中ではどうだろう。君は妖怪を信じないといいつつその話に興味を持った。興味があるが故に、知識を持った。そして、君はこう思ったはずだ。妖怪はいないとしても、そんな話があることは認める。妖怪はいないとしても、そういった心の有り様は理解できる。……そんな妖怪がいてもいい、と」
「そんな……ボクはっ! 違う、妖怪の存在を認めたわけじゃない! それが君の話だから……だから、理解しようとしたんだ……」
「同じことだ。君は妖怪の存在を否定しながらも、私の話を認め理解しようとした。それは妖怪を信じることと同義なのだ」
「……じゃあ、だからなんだって言うのさ……信じようと信じまいといないものには変わりないじゃないか!」
「ある。それは非常に大事なことだ。そう、私が妖怪師であるが故に」
「なん……だよ、それ……」
「私が妖怪を口にし、君がそれを信じたとき、君の心の中に妖怪は生まれた。もちろんそれだけでは妖怪は姿を現さない。なぜなら、妖怪は、喚ばれなければ現れないからだ。だからこそ、私(妖怪師)がこの世界に呼び出す。妖怪を作り出す。君は初めから妖怪を誕生させるための餌だったのだ。そして、私の獲物となる」
「ウソ……そんなのウソだ……ッ!」
「……ウソじゃない証拠を見せよう。この紅蓮に燃える腕が見えるだろう。黒々を突き出した衝角が見えるだろう。私はこの両の腕で君を抱きしめ、攫い、その肉を啖うだろう」
「ああ、燃えている……腕も、足も、炎を吹き上げている……」
「この炎は君の全てを焼き尽くす」
「ああ、いつの間に仮面を付けたんだい……その笑い泣く表情は……」
「攫ってゆく。もう君は戻れない」
「その、鋭い角は」
「人を啖う鬼の証だ」
――それは彼の話を聞いて、ボクが心のなかで想像した――創造した通りの妖怪の姿だった。
「…………そうか、君は妖怪になってしまったんだね――」
「そうだ、アナタの、全てを、奪う、ために」
「――うん」
「……だのに、なぜ、アナタは、微笑んで、いる、のだ」
「……それはね、嬉しいからだよ。君の想いが……」
「狂った、か! 今から、自分の、全てを、奪うモノに、対して、嬉しい、とは!」
「……そうじゃない。そうじゃないよ! 君は言ったね……火だるま男は愛するが故にすべてを忘れて女を抱きしめてしまったんだと。こうも言ったよね、ドロールは子供が好きなだけなんだと、鬼は純粋な愛のかたちの一つとして人をたべてしまうんだと……だからボクは嬉しいんだ。全てを奪うという君の言葉こそ、君にとっての愛の形なんだ。今、君はボクの全てを想ってくれているんだと感じたから。それが君の本当の気持ちだと思うから」
「バカ、な。何を、言い出す。それは、錯覚、だ」
「ううん、錯覚なんかじゃない。君との付き合いは短いけれど、それでもボクには一つだけわかったことがあるんだ。それは君の言葉に嘘やごまかしが一欠片も含まれていないってこと。だから、ボクはどんな突拍子のない妖怪話も、事件の真相も、それは君の偽りのない見解だと思ったから、理解しようとした。共感できたんだよ。だから判然るんだ。だから嬉しいんだ」
「…………」
「ああ、そうか、何で君はそんな姿になってしまったのか、やっと判然った……ボクのせい、なんだね? ボクがあんなことを言ったから――」
「違、う!」
「『ボクの知らない、君の、全てを知りたいから』――そんなことを、ボクが言ってしまったせいで、君は自分を偽ることができなくなったんだ。君はバカだ……大バカだよ! ボクなんか騙し通しておけば良かったのにっ! それなのに、それなのに、君はボクに応えるために、ボクに全てを教えてくれたんだ、自分が何者であるか、自分が妖怪になってまで……そんなのバカ正直にも程があるじゃないか」
「違、う!」
「泣いて、いるの? なんで? ボクが君の心を傷つけてしまった? ……ああ、その涙はそうじゃないんだね、君は自分が理解されることを恐れていたんだ。心が真っ直ぐすぎるから、自分の道を曲げることができない。でもボクのことを想ってくれている。だから、ボクを奪う君は、自分の道を変えられない代わりに、ボクの望みを叶えてくれた……君の全てを教えてくれたんだ」
今ボクは、彼の全てを知ることができたんだと思った。
そう思うと、自然に涙が溢れてきた。
「君の心は清廉すぎる。美しすぎるよ。……さぁボクを攫って。君が望むのなら、ボクは受け容れたい」
「なぜ、アナタは、そう、なのだ。なぜ、私を、受け容れる」
「ボクたち同じこと言ってるね。ボクたち、実は似たもの同士だったのかも」
「ああ、そう、かもしれない。だが、お別れだ」
「……うん」
ボクは目を閉じずに、妖怪師を待った。
最期の瞬間まで彼を見ていたかったから。
今この瞬間、世界のすべてと君とが、ボクの中では同等の存在だよ。
君にならボクのすべてをあげていい。
だから、彼に奪われるのなら、それでいいと思った。
燃え盛る泣き笑いの仮面の下で、小さな、とても小さな声が聞こえた気がした。
そして、彼は自分自身の身体を抱きしめて、激しく火を噴いて燃え上がった。
ボクはどうすることもできず、舞い上がる火の粉から、身を守ることしかできなかった。
妖怪師の最後の言葉「○・○・○・○・○」。
なんて言ったんだ、聞こえない、聞こえないよ。
声を枯らして叫んで、涙は止めることができず。
――そして、彼は消えた。
彼との別れの後、ちょっとだけの時が過ぎた。
一人の人間がこつ然と姿を消した『旧名家私有地内探偵失踪事件』は、地方のニュースにすらならなかったのでいまだに誰にも知られないままでいる。
この事件の謎は、何年経っても解決されないまま、大きな氷山の下の方、深い深い海の底に横たわり続けることだろう。
そしてボクはまた、ここに来ている。
小さなお地蔵様に手を合わせて、立ち上がる。
山深いこの地蔵堂に訪れるものはボク以外いない。
勿論、これは愚かな考えだと思う。
ただもう一度彼に会いたいというその想いだけで、愚かな選択をしているんだと。
でも、それがボクにとっての全てだ。
それがどんなに愚かな選択でも、彼と同じ道を同じ速度で進んでいるボクに迷いはない。
『妖怪師は妖怪を作る者だ』
あの日消えた、彼の言葉。
妖怪を語る者がいて、妖怪を信じる者がいて、そこに妖怪師がいれば、妖怪は呼び出されるのだと。
誰かが妖怪のことを……彼のことを話し続け、いつか誰かの心のなかに彼が生まれたならば――
最後の言葉が聞こえなかったから。
ボクは中途半端が好きじゃないって、そう言ったじゃないか――
だから、
ボクは、
「――キミに妖怪の話を聞かせてあげる。無感動な、口のうまい、でも自分に嘘を付けずに消えてしまった優しい愚かな妖怪の話を」
これはボクと、妖怪師を自称する変わった男との別れと――そして、また出会うための物語だ。
おわり。
短編なりに色々詰め込んでみたので、濃口のお話になってるのではないかと思いますが、いかがだったでしょうか。
この終わり方がハッピーエンドととられるかアンハッピーととられるのか、作者にはわかりませんので教えてもらえると嬉しいです。