3.鬼女紅葉 -実姉刺殺遺体冷蔵事件-
ボクはいつしか熱をもっていた。その対話に、議論に、妖怪師を名乗るこの男とただ言葉を交わすことに。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど、あれ、なんで説明がなかったんだよ? 埋めるか沈めるか燃やすか冷やすか、って話。地の神様がどうとかって言っていたけど、なんで、冷やすの説明だけしないまま流したのさ。ちゃんと全部言えばいいじゃないか。例を挙げるだけ挙げて、意味も無く話の内容を削る話し方って、好きじゃないよ」
「意味無く説明を省いたのではない。説明しないことに、意味があったからそうしたのだ。火だるま男の悲恋はもう終わった話だろう。今更掘り起こしても詮無きことだ」
「なんだよそれ、話さないことに意味なんてあるわけないじゃないか。人は妖怪と違って心を読んだりできないんだ、どんな小さなことでも話してくれなきゃ伝わらないよ。それにボクはなんであれ中途半端な話で終わるのが好きじゃないんだ」
「判然っているつもりだ。そもそも君にとっては価値の薄いだろう妖怪談ですら、君は最後まで私の話を聞き終わってから、ちゃんと自分の意見を表に出す。それは君の美点であり、好ましい人間性だ。だが、過ぎた興味は身を滅ぼすこともある。好奇心は猫をも殺す、そう覚えておくことだ」
「誉めてくれてありがと。でもボクの意見は違う。知ることに善悪はなくて、それを自分の中にどう取り込むかが重要なんだ。ナイフの使い方を知ったって、人を刺すことに使うか、親の為にリンゴの皮を剥くことに使うかはその人次第だろ。確かにボクは知識欲が他の人より強い方なのかな。それに、君の話は途方もなくて、善悪以前に聞くだけ無駄かもしれない。だけど、あまりに途方も無く常識から遠いから、そこに含まれるボクの考えの全く及ばない君の真実が刺激的で、ボクは多分、そのどんな一言も聞き逃したくないから、だから一層、聞くことができなかった君の話を今でも勿体無く思ってる……んだと思う。ボクの言葉はなんか変だね」
「そんなことはない。君の言った通り、言葉にしなくては何も伝わらないが、言葉にすれば何かは必ず伝わる。伝わりやすいか、伝わりにくいかの差があるだけだ。君の言葉は充分に伝わった。妖怪を知らぬ当時の君にはどう言っても伝わらないだろうと考えたのだが、それは確かに私の基準だったようだ。今……君がそう望むのであれば、その望みのままに」
「ボクは望むよ。……ボクの知らない全てを知りたいから」
「是非も無い。実例で示そう。冷す行為、それは実姉刺殺遺体冷蔵事件について、その犯人を指し示すこととなる」
「うぁ……ちょっと待って。刺殺とかめった刺しとか、そういう痛い話はボク、ダメなんだ。鮮血のイメージが強すぎて……」
「大丈夫だ、痛くはしない。まず言えば、犯人は被害者の実の妹だった。引越しの際に冷蔵庫を運ぼうとした作業員が、冷蔵庫の中に残っていた冷蔵物を出そうとして発覚した事件だ。妹と姉は親のいない二人暮しだった。地方の公務員を勤める姉と無職の妹。妹が姉に養ってもらっている形だったようだ。姉は出勤時に近所と挨拶を交わすこともあって評判も良かったが、妹の姿を見たことのある人間は少なかったという。姉が失踪して半年が経ち、家賃が支払えなくなった妹がその住居を移そうとした際に今回の事件が発覚した。犯人である妹が姉を殺害し、その遺体を冷蔵庫の中に保存していたのだと」
「なんで……二人きりの姉妹なのに……っ」
「なぜならば犯人は紅葉だからだ。そのことがすでに動機だ。だから、姉の遺体を冷した。犯人にとってはそうすること自体が犯罪の動機だったのだが、同時にそれは犯した罪を隠す行為、つまり死体を処理するもっとも隠蔽性の強い行為になった」
「……全然判然らないよ、紅葉って何?」
「昔話になる。鎌倉時代に紅葉という鬼女がいた。その出自は第六天の魔王の申し子であり、信州は戸隠山に棲んでいたという。人の子として生を受け、貧しいながらも才色兼備と評判の娘に成長した紅葉は、その美貌と才覚を生かし、時の権力者、源経基の寵愛を受けるに至る。一時はその権力を手中に納めるが、やがて追いやられ、もとの戸隠山に追放された。その後、経基との間に生まれた子、経若丸とともに暮らしていたが、その本性は恐ろしい鬼であり、山に迷い込んだ人間を啖ったという」
「それは昔話じゃなくてお伽噺だろ。その、鬼女の、現代版ってわけ?」
「そして実在する人間でもある」
「妖怪の話じゃなくて? どっちなんだよ」
「以前の君であれば理解は難しかったろう。だが今なら理解できるはずだ。妖怪とは属性が先にあるものだと。『妖怪であり人でもある』属性を持つものを総じて鬼というのだ。故に鬼女紅葉は妖怪でありながら実在する人でもある」
「妖怪であり人でもある……」
「鬼が犯人である。それこそが冷やす行為へと繋がる。殺人の犯罪を隠す行為……埋める、沈める、燃やすという行為は別見地では祭祀であり、いわばその発覚を神に委ねる状態でもあるというのは以前に話した通り。だが冷やす行為は、その意味が前者とは全くかけ離れている」
「だから、その意味ってなにさ」
「君の家の冷蔵庫には何が入っている」
「えと……黒ナマ、極ナマ、一番搾り、マグナムドライ、グリーンラベル、端麗、プレミアムモルツ、ラガーとかかな」
「そうか。君の特殊な冷蔵庫は別として、通常冷蔵庫は食べ物を入れるものだ。もし死体を隠したければ、冷蔵ではなく冷凍する。ただ冷やすだけではやがて腐ってしまうから、人の心情としては冷凍するさ。だが、この犯人は冷やした。冷蔵庫で冷やす。そうする意味はただ一つだ」
「待って! だって、まさか、そんな……」
「悪い想像はしなくていい。真実はそんな想像を遙かに超えて美しい」
「ナニをいってるんだキミは」
「二人の姉妹は、仲良く暮らしていた。
どれほど仲がよいかといえば、姉は誰の目にも触れさせたくないほど妹を愛していたし、妹は姉がいなければどこにも行けないほど姉を愛していた。
愛は幸福。
愛は永遠。
愛は不滅。
そう信じる輩に目には奇矯に見えるかも知れない。
だが愛には無限の形にある。
愛は錯覚。
愛は執着。
愛は麻薬。
それもまた真実。
最愛の愛とは『愛すること以外何も出来なくなる』状態のことをいうのさ。
まさに、中毒患者のようにね。
姉は妹を愛していた。
大好きな妹と一時も離れたくなかった。だが、愛する妹を養うためには、働かねばならなかった。
姉にとって妹と離れる時間は苦痛でしかなかった。
自分と妹とが別の身体を持っていることすらも我慢できないほどに。
一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。
私もよ、姉さん。食べちゃいたいくらいあなたが好き。
それは素敵だわ。私はあなたに食べられたい――
遺体を冷やす行為とは、食べる行為に他ならない。
冷やして食べてしまえば、証拠は残らない。だから、事件は発覚しない。
肉に魚、あるいは野菜。人は食事をするとき、何を食べるのだろう。
カロリー計算、栄養バランス、味の好み……嫌いなものを我慢して食べもするが、基本的には自分の好きなものを食べるだろう。
そう、好きなものを食べるんだ。
もちろん人ならば、いくら愛していても同じ人間である相手を食べようとは思わない。
だけど紅葉は鬼だから。
鬼は人を愛するが故、その人をたべてしまうんだ。
殺意や、邪心すら及びも付かない――それは純粋な愛のかたちの一つとして」
「…………」
「この事件では妹は姉を冷やしたが、結局食べなかった。彼女は真の妖怪になりそこねた。その代わり人のままで生きてゆく。人として法の裁きを受けることになる」
「……それが、事件の真相だと……?」
理解できなかった。妖怪師の言う言葉が喩えその通りなのであっても、事実はヒトゴロシでしかなく、それは美しいことではない。
だというのにボクは。
「それが、全てだ」
それを美しいと感じた。
――ボクの知らない全てを知りたいから――
そう言ったボクの言葉に嘘はなかったけれど、正確じゃなかった。
今になって気付いてしまったんだ……ボクが知りたかったのは、知らない『何か』じゃなくて、それを話す『彼』のことだったんだと。
自分では理解できないことでさえ、彼がそうだというのならそう思えてしまう。
彼に共感する心が、あたたかい熱を持つ。彼の一言一言に高鳴る鼓動がある。
これって、恋……なのかな?
次に逢ったとき、あのおかしな妖怪師は一体どんな話を聞かせてくれるだろう。
どんな話だっていい。だってボクは、
――ボクの知らない、君の、全てを知りたいから――
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