1.火だるま男 -国道沿い全裸焼殺事件-
この物語はフィクションであり、実在の個人・事件とは関わりがありません。
――これはボクと、妖怪師を自称する変わった男との別れと出会いの物語だ。
「国道沿いの山林の袂で全裸の女性の焼死体が見つかった。発見者はタクシーのドライバー。あまりに山の近くで焚き火をしているから危険だと思って消防に連絡を入れたところ、実はそれは火を付けられた女性が燃えていたんだそうだ。発見現場は山の中といっても通行量の多い国道からそう離れていない道の脇で、大型トラックもよく休憩している、人目がないとは決して言えないようなところだ。実際、第一発見者のドライバーも近くを通りかかってその火に気付いたのだから、まさに発見してくださいと言わんばかりの状況だ」
「そんなことがあったんだ……可哀想に。でもどうなんだろう、それってやっぱ他殺なのかな? 自殺じゃないよね」
「警察は他殺だと見ている。自分に火を付ける焼身自殺という言葉もあるが、それはパフォーマンス的な要素が大きい。己の存在を衝撃的に見せるもっとも代償的な行為だ。正確にはその手に燧火を握り、そして最後に火を付けるまでの己の姿を見せるところに意味がある。譬えば法輪功の起こした天安門事件は有名だ。炎に焼かれて死ぬというのは、生きながら獣に喰われるというのと同等のもっとも苦しい死に様だろう。それを行う意志の激しさを見せることが焼身自殺の意義。炎は意志だ。それは死を己の中ではなく己の外に見せる行為だから、一人で行うものではなく目的の場所で行うことになる」
「死によって自分を消したいと願うのではなく、自分を見せたいと願うってこと?」
「そう。だから今回の事件は逆説的にも自殺ではありえない。被害にあった女性もそんな激しさを持っていたとは思えない悪い評判の一つも上がったことのない人物だそうだ。そして、女性の全身にはガソリンがかけられていた。全裸であるということは強姦されて殺されたとも考えられる」
「じゃあなおさら可哀想だ。酷い目にあって殺された上に焼かれるなんて、三重の罪悪だよ」
「正確にいうなら、殺された上に焼かれたのではなく焼いて殺されたのだろう。女性の肺は炎を吸って焼き爛れていたそうだ。もし、死んでから焼かれたのであれば、呼吸は止まっているので肺に炎を吸い込むことはない。そして、国道沿いでそんな事件が起こっていたにもかかわらず、逃走する犯人の目撃例は全くあがっていないから警察も楽な仕事じゃない」
「そんな……酷い……」
「殺人とは程度や方法に寄らずそれだけで残酷なものだよ」
「でもなんでそんな一番残酷な方法で?」
「まず、犯人としては殺したのならその後処理を考えなければいけない。人は殺人を恐れないのに、その後の生活を恐れるからね。見つからないためにはどうにか隠したい。なかったことにしたい。本当に隠すという行為を考えればそれなりの行動が必要なのに、それを一瞬でも早く手放すことによって関わりが少なくなるという幻想を抱いてしまうものらしい。埋めるか沈めるか燃やすか冷やすか。それすらせずにただ山に投げ捨てるというお粗末な結論を出す人間が多くいるのは、その殺人が衝動的なもので意図したものではないからだ」
「じゃあ焼殺は殺人と死体処理を効率よく行うためだっていうのか。それに投げ捨てられた死体って言うのも、よくニュースで見るよ。みんな衝動的に人を……? 衝動で人を殺す事件ばかりの国なんて恐くて歩けないよ」
「焼殺の件は少し置くとしてそれは少し違う。一つの殺人のニュースが流れたなら、犯人が一人で被害者が一人。人口一億二千万人の国なら確率的に二人合わせて七千万分の一。それは天文学的数値と考えるべきだ。例えるならそれは、隕石が落ちてきて頭に当たったら死んでしまうから恐くて外を歩けないと言っているようなもの。それを杞憂というのだ」
「そっか、きゆう」
「だが真実を言えば、人の起こす事件とは決して天文学の世界の話ではなく、確かに己の目の前にあるできごとだ。本当に隠された殺人は発覚せず、衝動的な殺人だけが発覚する。ニュースとは発覚した事件しか流さないから、全ての事件は投げ捨てられた死体の話題ばかりになる。一の事件の裏に十の誰も知ることのない事件が眠っていると思っていい」
「なんだそれ。思いたくもないよ」
「ニュースに限らず、全て世に広く伝わる事柄というものはそれが属する事柄の氷山の一角でしかない。逆に言えば、重要度の薄い事柄が、更に薄く引き延ばされて伝えられている。海面下の大きく重大な部分は、自分から冷たい海の中に潜っていかなければ知ることはできない。そう覚えておくことだ」
「まあよくものを知ったことをいう。よほど深く潜っているんだね、君は。じゃあ今回の女性の焼死体が見つかった事件はどうなのさ。君の話では埋めるか沈めるか燃やすか冷やすっていう『それなりの行動』をした死体は見つからないんじゃないの。でも、生きながら焼かれたってことは、タクシーのドライバーは今まさに燃えているところを発見したんだよね。何よりも早い事件の発覚。それじゃ君の話に矛盾するよ」
「それは今回の事件がその実、事件ではないからだ。言うなれば、逃れようもない定められた一つの終着点――私はこの事件の犯人を知っている」
「なっ、どういうことだよそれ」
「私の言った『それなりの行動』とは殺人を犯し、その死体の処理方法を考えた場合どういった行動が必要かについて論じたものだ。例えば死体を埋めると言う行為は、別の見地から見れば地の神に供物を捧げている状況でもある。土葬された死者が安らかに眠るように、土に埋めるという行為は地の神に死者を捧げる行為でもあるのだ。そして、神というものは総じて貪欲なものだから、一度捧げられたものをそうそう返さない。神という単語は自然という単語に置き換えてもいい。偶像的な意味ではなく、概念的な喩えでの神だ。神に捧げられた供物は、人が己からその行為を告発しない限り見つかることはほとんどないのさ。
同じように沈めるとは海の神に供物を捧げる行為であり、燃やすとは火の神に供物を捧げる行為となる。だから見つからない。だが、今回のこの『事件ではない事件』は死体を隠すための焼殺ではないのだから、どうやっても時と共に目に触れることになる。判然ったかい」
「そこじゃない! 君が犯人を知っているというところを聞いているんだ! 犯人は誰なんだ、知り合いなのか?」
「そちらの話か。それは失礼、犯人は妖怪火だるま男だ。あいにくと知り合いではないよ」
「ナニをいってるんだキミは」
「そう……多分それは単なる不幸だったんだ。
あるところに愛し合う一組の男女がいた。
男女の愛は本物で、互いが互いを尊重しあい、助け合う、そんな関係だったんだろう。
だが女には一つだけ不満があった。
男は決して女を抱かなかったからだ。
初めは優しさだと思った、次に恥ずかしがっているからだと思った、そして恐れているからだと気付いたんだ。
男は女を抱くことを恐れている。
だが、なぜ恐れているのか判然らなかった。
以前に失敗した思い出があるのか? そんなことは気にしなくてもいいのに、だって私は貴方を愛している。
失敗を恐れないで、どんな行為も受け止める。
そう言った。
だが、男は女を抱かなかった。
その拒絶は痛みとなって女を刺した。
それでもなお愛するが故、痛みはやがて苛立ちとなり、怒りとなった。
その日、ドライブの途中で女と男は同じ話題で口論となり、国道沿いの茂みに車を止めた。
女はいつものように、玉なし、インキン、チコウ野郎と男を詰る。
男は嵐の去るのを耐えるのみだ。
責める言葉は感情の高ぶりを生み、女は全ての着衣を脱ぎ捨て、男に迫った。
今ここで抱いて、そうすれば許してあげる、と。
だが、男は動かなかった。
その感情の高ぶりが衝動を生むのなら、まさにその時女は衝動的に行動したのだろう。
私を抱かないなら、この場で死んでやる。
そう言って、その全身にガソリンをかぶったのだ。
その手に揺れる炎は、いつ気化したガソリンに引火してもおかしくない。
炎は意志だ。強い意志だ。
そこまでして自分を求める女の意志の激しさに男はやっと気付いたのだ。
そして、女を追い込んだ自分を呪った。
女の、こんなにも激しい自分への愛を知ったのだ。
それは不快ではなかった。むしろ、何ものにも代え難い最高の気分だった。
男は全てを忘れ、ただ、女を抱きしめた。
男も女に決して劣ることのない激しさで女を愛していたから。
そうして、女も喜びを涙に変え、ひしと男と抱き合ったんだろう」
「…………」
「だが、ただ一つの不幸、男は妖怪火だるま男だった。抱き合った瞬間、女は炎に包まれ、男は炎の中へ姿を消した。それは男女が愛する限り、絶対に回避する術のない、純然たる愛の結果だったんだ。火だるま男を愛した女の定められた未来だったんだよ」
「それが、事件の真相だと……?」
遠く空を見上げる裂帛の妖怪師は、やはり揺るぎない言葉で答えた。
「それが、全てだ」
妖怪師の名は黒川京輔といった。