No Way
「好き」
遠く霞む姿に、私は呟いた。
[その事実、気付かせないで、私に]
同じ部屋で、隣に座って。
私と貴方はいつもそうしていた。
他愛もないことで笑って、幸せを感じていた。
暑い日も、寒い日も、飽きずに私たちは傍に居たんだ。
それが当たり前で、不変の日常だと思っていた。
私が見上げるのと同時に、貴方は私を見下ろして微笑んで。そして無言で手を差し出すの。
ただ目を合わせればよくなって、でも愛情は言葉でも伝え合ったはずだった。
だけど、何でだろうね。
私は今一人で帰り道を歩く。寂しいから貴方の好きだった歌でも歌って。
貴方の帰ってこない冷たい部屋を、私一人で待っている。
いつからそうなったかなんて分からないけど。
本当は私、気づいてたのかも。貴方が素っ気なくなったのも。少し前から「好き」って言うのもキスするのも私からだったのも。
でも私は気付いても、貴方に気付いて欲しくなかった。貴方がその事実に気付いてしまったら、本当に終わりだと思った。
我が儘も言えなくなった私は、ただ笑顔で貴方に接するしか出来なくなった。
それが駄目だったの?
ベッドで二人裸で横になる。
貴方はその時だけ、昔の貴方だった。
優しく私の言葉を聞いて、柔らかく相槌を打って、丁寧に私の髪を撫でて。
その大きい手が背中に触れているのも、貴方の胸に顔を埋めているのも、全部今は私だけ。
でも心の中は心地よさと違和感で半分半分だったの。
なんで涙が溢れそうになるのかな。なんでこの状況がセフレみたいなんて思うのかな。
貴方にぶつけたい言葉は沢山あった、でも文句を言ったら大事なこの時間も無くなりそうで。
私はもう一秒、と貴方を繋ぎ留めるためにキスをした。
『今日はごめん』
いつも同じ部屋に帰ってきたはずなのに、貴方はふらりと立ち寄るだけの場所になった。
分かった、なんて物分かりの良い女を演じた私は惨めで。
洗面台の鏡に映る私は、幸せなんて微塵も感じられない酷い顔をしていた。首を振って、少し伝った涙を、顔を洗って誤魔化した。
「都合の良いオンナ」
それで良い、だから傍に居たい。
その気持ちは簡単に崩れた。初めから二番目だったわけじゃない、私が一番だったのにって。
貴方が好きだと笑っていた場所に足を運んだ。
私も貴方に教えられてから、気に入ったから。
風が涼しくて、優しく慰めてくれるようで。
「私は貴方だから好きになったのに」
どうして道を違ってしまったのだろう。でも貴方の居た場所でも答えは見つからなかった。
この場所、これから違う子にも教えるのだろうか。せめてひとつくらい、私と貴方だけのものを作ってくれないだろうか。
あの日二人で見た景色より、心なしか物寂しく見えた。
色々な手を尽くした。貴方を繋ぎ留めるために頑張ってきた。
でも私は分かっちゃったの。
これ以上は駄目なんだろうなって。
「最後に一つ、お願いがあるんだけど」
「何?」
「貴方が一番好きって言った場所、私以外の人に教えないで」
その場所を私が好きだと知っている貴方は、優しく笑って頷いた。
最後まで、悪者になりきれなかった貴方が愛しい。
「ありがとう」
「俺の方こそ、今までありがとう」
「こっちこそ」
だけどあっさりした別れに、私は下唇を噛んだ。腕や袖を掴んで引き止めたい気持ちを、必死に堪える。
涙も我慢した。溢れたら、貴方の姿を見れなくなる。記憶の中でも鮮明に留めておきたい。
貴方が霞むまで私は背中を見続けた。
少しの間だけ、戻らない過去にすがりつく私を許して。
きっと今時が戻っても、同じ過程、同じ結末を選ぶ私を許して。
今の私は、貴方が貴方であるから好きになったから。
「愛してた」
数秒前に消えた姿に、私は呟いた。