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断罪の日の嘘

作者: 黒い招き猫
掲載日:2026/11/08

悪役令嬢と呼ばれたお嬢様の執事は、断罪の日にだけ嘘をつく


 執事は、主に嘘をつかない。


 私がこの家に仕えて十年、守ってきた決まりはそれだけだった。


 紅茶が濃すぎれば濃すぎると言う。ドレスの色が似合わなければ、似合わないと言う。お嬢様の書いた詩が下手なら、下手だと申し上げる。そのたびにクッションが飛んでくるが、それでも言う。


「ノア。あなた、少しはお世辞というものを覚えなさい」


「覚えております。使わないだけです」


「……本当に、可愛げのない執事ね」


 クラリッサ・ヴァレンティア様は、そう言ってそっぽを向く。公爵家の一人娘で、第一王子ユリウス殿下の婚約者。学園では「悪役令嬢」と呼ばれている。


 理由は簡単だ。笑わないから。言葉がきついから。そして、婚約者である殿下が、最近は男爵令嬢のミレーヌ様とばかり過ごしているから。


 嫉妬に狂った悪役令嬢。学園の誰もが、そういう物語を楽しんでいた。


 お嬢様は、一度も否定しなかった。


   *


 卒業記念の夜会は、王城の大広間で開かれた。


 シャンデリアの光の下、楽団の音楽が止んだのは、夜会が始まってすぐのことだった。


「クラリッサ・ヴァレンティア!」


 殿下の声が、広間に響いた。


 殿下の隣には、ミレーヌ様が立っていた。栗色の髪の、小柄な方だ。顔色が、ひどく悪い。


「貴様との婚約を、ここで破棄する!」


 ざわめきが、波のように広がった。


 お嬢様は、扇を閉じた。


「理由を、お聞かせいただけますか。殿下」


「とぼけるな。三日前の夕刻、学園の東の階段で、ミレーヌを突き落としたのは貴様だろう!」


 殿下が、一人の男子生徒を前に出した。


「この者が見ている。あの時刻、貴様が東の庭にいたのを。階段は、庭のすぐ上だ」


 男子生徒は、目を伏せたまま頷いた。


 お嬢様は、何も言わなかった。


 私は、知っていた。


 三日前の夕刻、お嬢様は、確かに東の庭にいた。迎えの馬車の時刻になっても戻らないので、私が探しに行ったのだ。


 そして、見た。


 庭の奥の、薔薇の茂みの陰で。お嬢様が、ミレーヌ様を抱きしめているのを。


 ミレーヌ様は、声を殺して泣いていた。お嬢様は、何も言わずに、その背中を撫でていた。


 私に気づいたお嬢様は、唇に指を当てた。


 黙っていなさい、と。


 帰りの馬車の中で、お嬢様は一言だけ言った。


「あの子は、家に逆らえないの。だから、何も見なかったことにしなさい」


 それきり、何も話さなかった。


 ミレーヌ様の家は、借金を抱えた男爵家だ。殿下の後ろ盾を得るために、娘を差し出した。そして娘は、言われた通りに、殿下の隣で笑っている。


 階段から落ちたなど、聞いていない。あの日のミレーヌ様に、怪我はなかった。


 つまり、これは仕組まれた断罪だった。


「何か言うことはあるか、クラリッサ」


 殿下が、勝ち誇ったように言った。


 お嬢様は、まっすぐに殿下を見ていた。


 庭にいたと言えば、なぜいたのかを問われる。ミレーヌ様と一緒だったと言えば、ミレーヌ様が泣いていた理由を、皆の前で暴くことになる。


 お嬢様は、それをしない。


 あの方は、そういう方だ。


 ならば。


「恐れながら」


 私は、一歩前に出た。


 広間の視線が、一斉にこちらを向いた。


「殿下。三日前の夕刻、お嬢様は、東の庭にはおられませんでした」


「……何だと?」


「その時刻、お嬢様は、私と共に、学園の書庫におられました。卒業論文の資料を、探しておられたのです。書庫の係の方にお聞きいただければ」


 嘘だった。


 十年で、初めての嘘だった。


 書庫の係の老人は、耳が遠い。誰がいつ来たかなど、覚えていない。調べられても、すぐには崩れない。


 殿下の顔が、赤くなった。


「執事風情が、口を挟むな!」


「執事ですので。主の潔白を申し上げるのは、務めでございます」


 声は、震えなかった。


 背中に、視線を感じた。


 振り返らなくても分かった。お嬢様が、私を見ている。


「……ノア」


 低い声だった。


「あなた、今、何を言ったの」


「事実を申し上げました」


「嘘をおっしゃい」


 広間が、しんと静まった。


 お嬢様は、扇を握りしめていた。その指先が、白くなっていた。


「あなたは、十年、一度もわたくしに嘘をつかなかった。お世辞の一つも言えない、可愛げのない執事だった。……その執事が、わたくしのために、嘘をつくの?」


「お嬢様に、ではございません」


 私は、殿下のほうを向いたまま答えた。


「殿下に、でございます。主には、嘘をつきません。それは、今日も変わりません」


 お嬢様が、息を呑んだのが分かった。


「……屁理屈だわ」


「はい」


「本当に、可愛げのない……」


 声が、途中で途切れた。


 そのときだった。


「――おやめください!」


 細い声が、広間を裂いた。


 ミレーヌ様だった。


 殿下の腕を振りほどいて、前へ出ていた。肩が、小刻みに震えている。


「クラリッサ様は、わたくしのために、何も言わずにいてくださいました。今度は執事様まで、嘘をついて守ろうとしてくださっている。……もう、守られてばかりでは、いられません」


 ミレーヌ様は、息を吸った。


「クラリッサ様は、書庫になど、いらっしゃいませんでした」


 殿下が、目を見開いた。


「ミレーヌ、何を」


「東の庭に、いらっしゃいました。わたくしと、一緒に」


 ミレーヌ様の目から、涙がこぼれた。


「わたくしが、泣いていたからです。……父に、殿下の言う通りにしろと言われて。クラリッサ様に罪をかぶせる芝居をしろと言われて。できない、と思って、庭で泣いていたら」


 声が、詰まった。


「クラリッサ様が、黙って、抱きしめてくださったんです。何も聞かずに。わたくしが、あなたを陥れようとしている側だと、知っていたはずなのに」


 広間が、凍りついた。


「階段から落ちてなど、おりません。全部、嘘です。殿下に、そう言えと」


「黙れ! 公爵家の後ろ盾など、もう要らんのだ!」


 殿下が、叫んだ。


 その一言で、広間の誰もが、殿下の狙いを理解した。


 男子生徒が、青い顔で後ずさった。広間の隅で、誰かが衛兵を呼んだ。


 ミレーヌ様は、お嬢様の前で、深く頭を下げた。


「申し訳、ございません。クラリッサ様が黙っていてくださったのに、執事様まで、わたくしのために嘘をついてくださったのに」


 お嬢様は、しばらく黙っていた。


 それから、扇でミレーヌ様の顎を、そっと持ち上げた。


「顔を上げなさい」


「……クラリッサ様」


「謝ることなど、何もないわ。あなたが自分で言ったから、意味があるの」


 お嬢様は、そう言って、ほんの少しだけ、口の端を上げた。


 学園の誰も、見たことのない顔だった。


 お嬢様は、殿下に向き直った。


「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします、殿下。……いいえ。わたくしのほうから、お断りいたしますわ」


 扇を開いて、優雅に一礼する。


「ごきげんよう」


   *


 その後のことを、少しだけ。


 ユリウス殿下は、偽りの断罪を企てた責任を問われ、王位継承権を弟君に譲ることになった。ミレーヌ様の父君の男爵は、借金のかたに娘を差し出した件で、爵位を返上した。


 ミレーヌ様は、ヴァレンティア公爵家の預かりとなり、今はお嬢様の話し相手として屋敷にいる。毎朝、お嬢様と並んで、紅茶を飲んでいる。


 そして私は、今日も紅茶を淹れている。


「ノア」


「はい」


「この紅茶、少し濃くないかしら」


「濃いです。申し訳ございません」


「……そこは、ちょうどいいですと言うところよ」


「嘘になりますので」


 お嬢様は、カップを置いた。


「あの日は、ついたくせに」


「断罪の日だけです」


「では、次の断罪の日まで、あなたは一度も嘘をつかないのね」


「はい。お嬢様が、もう二度と断罪されないように、お仕えいたしますので」


 お嬢様は、何も言わなかった。


 窓の外を向いて、紅茶を一口飲んだ。


 その耳が、少しだけ赤くなっていたことは、申し上げないでおいた。


 嘘ではない。


 黙っているだけだ。


お読みいただき、ありがとうございました!


主人のために、たった一度だけ嘘をついた執事と、その嘘に気づいてしまったお嬢様のお話でした。


現在、同じく「お嬢様と執事」の長編も連載しています。


『「光るだけ」と笑われた没落令嬢、ツギハギのローブで魔法学院に挑む ~なけなしの金で買った奴隷執事は、なぜかわたくしより強いらしい~』


光ることしかできない魔法に悩む没落令嬢と、彼女のために嘘をつき、本当の力を隠している執事。

その嘘に、お嬢様は少しずつ気づき始めていて――。

二人がそれぞれの場所で成長していく、魔法学院とダンジョンの物語です。


よろしければ、こちらも覗いていただけると嬉しいです。


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