断罪の日の嘘
悪役令嬢と呼ばれたお嬢様の執事は、断罪の日にだけ嘘をつく
執事は、主に嘘をつかない。
私がこの家に仕えて十年、守ってきた決まりはそれだけだった。
紅茶が濃すぎれば濃すぎると言う。ドレスの色が似合わなければ、似合わないと言う。お嬢様の書いた詩が下手なら、下手だと申し上げる。そのたびにクッションが飛んでくるが、それでも言う。
「ノア。あなた、少しはお世辞というものを覚えなさい」
「覚えております。使わないだけです」
「……本当に、可愛げのない執事ね」
クラリッサ・ヴァレンティア様は、そう言ってそっぽを向く。公爵家の一人娘で、第一王子ユリウス殿下の婚約者。学園では「悪役令嬢」と呼ばれている。
理由は簡単だ。笑わないから。言葉がきついから。そして、婚約者である殿下が、最近は男爵令嬢のミレーヌ様とばかり過ごしているから。
嫉妬に狂った悪役令嬢。学園の誰もが、そういう物語を楽しんでいた。
お嬢様は、一度も否定しなかった。
*
卒業記念の夜会は、王城の大広間で開かれた。
シャンデリアの光の下、楽団の音楽が止んだのは、夜会が始まってすぐのことだった。
「クラリッサ・ヴァレンティア!」
殿下の声が、広間に響いた。
殿下の隣には、ミレーヌ様が立っていた。栗色の髪の、小柄な方だ。顔色が、ひどく悪い。
「貴様との婚約を、ここで破棄する!」
ざわめきが、波のように広がった。
お嬢様は、扇を閉じた。
「理由を、お聞かせいただけますか。殿下」
「とぼけるな。三日前の夕刻、学園の東の階段で、ミレーヌを突き落としたのは貴様だろう!」
殿下が、一人の男子生徒を前に出した。
「この者が見ている。あの時刻、貴様が東の庭にいたのを。階段は、庭のすぐ上だ」
男子生徒は、目を伏せたまま頷いた。
お嬢様は、何も言わなかった。
私は、知っていた。
三日前の夕刻、お嬢様は、確かに東の庭にいた。迎えの馬車の時刻になっても戻らないので、私が探しに行ったのだ。
そして、見た。
庭の奥の、薔薇の茂みの陰で。お嬢様が、ミレーヌ様を抱きしめているのを。
ミレーヌ様は、声を殺して泣いていた。お嬢様は、何も言わずに、その背中を撫でていた。
私に気づいたお嬢様は、唇に指を当てた。
黙っていなさい、と。
帰りの馬車の中で、お嬢様は一言だけ言った。
「あの子は、家に逆らえないの。だから、何も見なかったことにしなさい」
それきり、何も話さなかった。
ミレーヌ様の家は、借金を抱えた男爵家だ。殿下の後ろ盾を得るために、娘を差し出した。そして娘は、言われた通りに、殿下の隣で笑っている。
階段から落ちたなど、聞いていない。あの日のミレーヌ様に、怪我はなかった。
つまり、これは仕組まれた断罪だった。
「何か言うことはあるか、クラリッサ」
殿下が、勝ち誇ったように言った。
お嬢様は、まっすぐに殿下を見ていた。
庭にいたと言えば、なぜいたのかを問われる。ミレーヌ様と一緒だったと言えば、ミレーヌ様が泣いていた理由を、皆の前で暴くことになる。
お嬢様は、それをしない。
あの方は、そういう方だ。
ならば。
「恐れながら」
私は、一歩前に出た。
広間の視線が、一斉にこちらを向いた。
「殿下。三日前の夕刻、お嬢様は、東の庭にはおられませんでした」
「……何だと?」
「その時刻、お嬢様は、私と共に、学園の書庫におられました。卒業論文の資料を、探しておられたのです。書庫の係の方にお聞きいただければ」
嘘だった。
十年で、初めての嘘だった。
書庫の係の老人は、耳が遠い。誰がいつ来たかなど、覚えていない。調べられても、すぐには崩れない。
殿下の顔が、赤くなった。
「執事風情が、口を挟むな!」
「執事ですので。主の潔白を申し上げるのは、務めでございます」
声は、震えなかった。
背中に、視線を感じた。
振り返らなくても分かった。お嬢様が、私を見ている。
「……ノア」
低い声だった。
「あなた、今、何を言ったの」
「事実を申し上げました」
「嘘をおっしゃい」
広間が、しんと静まった。
お嬢様は、扇を握りしめていた。その指先が、白くなっていた。
「あなたは、十年、一度もわたくしに嘘をつかなかった。お世辞の一つも言えない、可愛げのない執事だった。……その執事が、わたくしのために、嘘をつくの?」
「お嬢様に、ではございません」
私は、殿下のほうを向いたまま答えた。
「殿下に、でございます。主には、嘘をつきません。それは、今日も変わりません」
お嬢様が、息を呑んだのが分かった。
「……屁理屈だわ」
「はい」
「本当に、可愛げのない……」
声が、途中で途切れた。
そのときだった。
「――おやめください!」
細い声が、広間を裂いた。
ミレーヌ様だった。
殿下の腕を振りほどいて、前へ出ていた。肩が、小刻みに震えている。
「クラリッサ様は、わたくしのために、何も言わずにいてくださいました。今度は執事様まで、嘘をついて守ろうとしてくださっている。……もう、守られてばかりでは、いられません」
ミレーヌ様は、息を吸った。
「クラリッサ様は、書庫になど、いらっしゃいませんでした」
殿下が、目を見開いた。
「ミレーヌ、何を」
「東の庭に、いらっしゃいました。わたくしと、一緒に」
ミレーヌ様の目から、涙がこぼれた。
「わたくしが、泣いていたからです。……父に、殿下の言う通りにしろと言われて。クラリッサ様に罪をかぶせる芝居をしろと言われて。できない、と思って、庭で泣いていたら」
声が、詰まった。
「クラリッサ様が、黙って、抱きしめてくださったんです。何も聞かずに。わたくしが、あなたを陥れようとしている側だと、知っていたはずなのに」
広間が、凍りついた。
「階段から落ちてなど、おりません。全部、嘘です。殿下に、そう言えと」
「黙れ! 公爵家の後ろ盾など、もう要らんのだ!」
殿下が、叫んだ。
その一言で、広間の誰もが、殿下の狙いを理解した。
男子生徒が、青い顔で後ずさった。広間の隅で、誰かが衛兵を呼んだ。
ミレーヌ様は、お嬢様の前で、深く頭を下げた。
「申し訳、ございません。クラリッサ様が黙っていてくださったのに、執事様まで、わたくしのために嘘をついてくださったのに」
お嬢様は、しばらく黙っていた。
それから、扇でミレーヌ様の顎を、そっと持ち上げた。
「顔を上げなさい」
「……クラリッサ様」
「謝ることなど、何もないわ。あなたが自分で言ったから、意味があるの」
お嬢様は、そう言って、ほんの少しだけ、口の端を上げた。
学園の誰も、見たことのない顔だった。
お嬢様は、殿下に向き直った。
「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします、殿下。……いいえ。わたくしのほうから、お断りいたしますわ」
扇を開いて、優雅に一礼する。
「ごきげんよう」
*
その後のことを、少しだけ。
ユリウス殿下は、偽りの断罪を企てた責任を問われ、王位継承権を弟君に譲ることになった。ミレーヌ様の父君の男爵は、借金のかたに娘を差し出した件で、爵位を返上した。
ミレーヌ様は、ヴァレンティア公爵家の預かりとなり、今はお嬢様の話し相手として屋敷にいる。毎朝、お嬢様と並んで、紅茶を飲んでいる。
そして私は、今日も紅茶を淹れている。
「ノア」
「はい」
「この紅茶、少し濃くないかしら」
「濃いです。申し訳ございません」
「……そこは、ちょうどいいですと言うところよ」
「嘘になりますので」
お嬢様は、カップを置いた。
「あの日は、ついたくせに」
「断罪の日だけです」
「では、次の断罪の日まで、あなたは一度も嘘をつかないのね」
「はい。お嬢様が、もう二度と断罪されないように、お仕えいたしますので」
お嬢様は、何も言わなかった。
窓の外を向いて、紅茶を一口飲んだ。
その耳が、少しだけ赤くなっていたことは、申し上げないでおいた。
嘘ではない。
黙っているだけだ。
お読みいただき、ありがとうございました!
主人のために、たった一度だけ嘘をついた執事と、その嘘に気づいてしまったお嬢様のお話でした。
現在、同じく「お嬢様と執事」の長編も連載しています。
『「光るだけ」と笑われた没落令嬢、ツギハギのローブで魔法学院に挑む ~なけなしの金で買った奴隷執事は、なぜかわたくしより強いらしい~』
光ることしかできない魔法に悩む没落令嬢と、彼女のために嘘をつき、本当の力を隠している執事。
その嘘に、お嬢様は少しずつ気づき始めていて――。
二人がそれぞれの場所で成長していく、魔法学院とダンジョンの物語です。
よろしければ、こちらも覗いていただけると嬉しいです。
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