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妹の恋文は、三年間ずっと私が書いていました。追伸のない手紙を一通出したら、辺境伯様が帰ってきました

作者: _mon_mon_
掲載日:2026/10/03

妹の恋文は、三年間ずっと私が書いていた。


言い訳をさせてほしい。最初は一通だけのつもりだった。


「お姉様、お願い。三行で手が止まるの」


妹のミアは便箋を前に、本気で泣きそうな顔をしていた。


相手は北の砦に赴任中の辺境伯、クラウス・ヴェルナー様。祖父同士が決めた婚約者で、顔合わせは一度きり。お戻りは三年後。それまで月に一度、手紙を交わすのが両家の取り決めだった。


「『お元気ですか。私は元気です。寒いのでお体に気をつけて』。……ほら、終わっちゃった」


「終わったわね」


「リーゼ、書いてあげなさい」


母が刺繍から顔も上げずに言った。


「あなたは字がきれいなんだから。姉でしょう」


姉でしょう、は我が家の万能の接着剤である。たいていのものは、これで私にくっつく。


「でもお母様、それは嘘になります」


「署名はミアにさせます。なら嘘じゃないわ」


そういうものだろうか。


そういうものではないと思うが、私は筆を取った。


断れなかった理由は、姉だからではない。


慣れていたからだ。


私には前世の記憶がある。日本という国の、小さな会社の総務だった。


社長の年頭挨拶。専務の弔電。部長の詫び状。営業部の年賀状、四百枚。


全部、私が書いた。全部、他人の名前で。


自分の名前で書いた文書は、たしか一通だけある。退職届だ。


下書きのまま、出す前に死んだ。


生まれ変わって伯爵家の長女になり、今度こそと思っていたら、これである。


人は、得意なことから逃げられない。


   ◇


一通目は、三行を三十行にしただけだった。


砦は寒いと聞きます。こちらは庭の柿が色づきました。姉が梯子から落ちかけました。


書き終えて、余白が気になった。


前世からの癖で、私は余白が残ると何か書かずにいられない。


『追伸 柿は渋柿でした。姉は落ちかけ損です。』


ミアが末尾に、ミミズがのたくったような字で署名をした。


ひと月後、返事が来た。


前半は、型どおりだった。


『ミア嬢 お手紙拝受しました。当方つつがなく。』


三行で終わっている。似た者同士かもしれない。


ところが、その下に続きがあった。


『追伸へのお返事』


と、わざわざ見出しがついている。


『渋柿は、皮をむいて軒に吊るすと甘くなります。砦では兵が毎年やります。梯子は、誰かに押さえてもらってください。』


私は三度読んだ。


それから、庭の柿を全部むいた。


二通目の追伸には、干し柿の出来を書いた。三通目には、読んだ本のことを。四通目には、領地の水路の修繕が遅れている愚痴を。


追伸は月ごとに長くなり、半年後には本文の三倍になった。


辺境伯様の『追伸へのお返事』も、同じだけ長くなった。


砦の冬のこと。兵の喧嘩の仲裁のこと。水路なら石工より先に測量だ、という実に正しい助言。雪の朝に、狐が門の前で伸びをしていたこと。


変わった方だ、と思っていた。


なぜ本文に書かないのだろう、と。


二年目の冬、私は自分が、月の半ばから郵便馬車の音に耳を澄ませていることに気づいた。


三年目の春には、気づかないふりができなくなった。


これは妹の婚約者だ。


そして私は、妹の名前で、この人を騙している。


   ◇


「もう書かないわ」


お戻りがひと月後に迫った日、私はミアに言った。


「次の一通で最後。それから、あの方には本当のことを申し上げるべきよ」


「だめ!」


ミアは真っ青になった。


「ばれたら婚約が流れるわ。お父様に殺される」


「あなた、あの方と結婚するのよ。干し柿の話を振られたらどうするの」


「……干し柿?」


「三年分、読んでおきなさいと言ったでしょう」


「読もうとしたのよ。でも長いんだもの。特に追伸が」


反論できなかった。


ミアは両手を揉んで、扉のほうをちらりと見た。


扉の外には、護衛騎士のヨハンが立っている。妹が子どものころから、ずっと。


その視線の意味に、私はもっと早く気づくべきだった。


最後の手紙は、短く書いた。


お戻りをお待ちしております。道中お気をつけて。


余白がたっぷり残った。


手が勝手に『追伸』と書きかけて、止めた。


書けば、また騙すことになる。


ミアが署名をした。


私は生まれて初めて――前世を入れても初めて――余白を残したまま、封をした。


   ◇


辺境伯様は、予定より二十日早く着いた。


馬を三頭乗り継いだそうだ。


応接間には両親とミア。私は呼ばれていない。廊下に立っていた。行儀が悪いのは承知している。


扉は薄い。


「ミア嬢。干し柿は、今年もうまくできましたか」


「は、はい! とても、あの、柿でした」


「水路の測量は」


「すい……ろ?」


「先月の手紙に、石工の親方と喧嘩をした、と」


「け、喧嘩などいたしません、私!」


沈黙。


母の咳払い。父が茶器を置く音。


私は自分の袖を握りしめた。


ここで逃げれば、ミアが一人で嘘の責任を負う。書いたのは私だ。


他人の名前で書いたものの後始末を、他人にさせてはいけない。前世で一度も守れなかった決まりを、私は今、守ることにした。


扉を開けた。


「失礼いたします」


両親が凍りついた。ミアが、助かったという顔と、終わったという顔を同時にした。


窓際に、背の高い方が立っていた。日に焼けて、旅装のままで、手紙の印象よりずっと無口そうな人だった。


「長女のリーゼと申します。辺境伯様に、お詫びしなければならないことがございます」


「リーゼ!」と母が言った。


「三年間の手紙は、すべて私が書きました。妹は署名をしただけです。お咎めは、どうか私に」


言ってしまった。


膝が震えた。退職届を出せなかった女にしては、上出来だと思う。


辺境伯様は、少しも驚かなかった。


「存じています」


「……え?」


「一通目から。署名だけ、字が違いましたので」


応接間じゅうの目が、ミアに向いた。


ミアは自分の手を見た。


「わ、私、そんなに字が」


「ええ」と辺境伯様は気の毒そうに言った。「かなり」


それから私のほうを向いた。


「本文と追伸は同じ手でした。署名だけが別人です。ですから私は、ミア嬢には三行でお返事をし、残りは」


懐から、紙の束を出した。三年分の、私の手紙だった。角がすり切れていた。


「追伸を書く方に、書いていました」


「……なぜ、当家にお尋ねにならなかったのですか」


「尋ねれば、手紙が止まると思いました」


辺境伯様は目を伏せた。


「卑怯でした。お詫びするのは、私のほうです」


『追伸へのお返事』。


あの見出しは、変わった癖ではなかった。


宛名だったのだ。


「先月、追伸のない手紙が届きました」


辺境伯様の声が、初めて少し揺れた。


「何かあったのだと思いました。病か、叱られたか、それとも、私の返事が長すぎて嫌われたか。砦で二十日待つより、馬を三頭潰すほうが早かった」


「潰したのですか」


「いえ、三頭とも元気です。言葉のあやです」


真面目な方だ。手紙のとおりの。


父が、ようやく声を取り戻した。


「へ、辺境伯。この件は当家の落ち度で、婚約は、その」


「婚約書をお持ちしました」


辺境伯様は、古びた羊皮紙を卓に広げた。


「三年前、署名に気づいた晩に読み返しました。祖父の字です。大雑把な人でして。『ヴェルナー家当主は、ハルトマン家の娘を妻に迎える』。――どの娘か、書いていません」


ミアが息を呑んだ。


私より先に意味が分かったらしい。こういうときだけ、妹は速い。


「お、お姉様でいいんですか!? 私じゃなくて!?」


「ミア、言い方」


「だって、私、ヨハンが」


言ってから、ミアは自分の口を両手で押さえた。


廊下で、鎧ががしゃんと鳴った。


母が額に手を当てた。


「でも、妹より姉が先に、いえ、姉が妹の縁談を、そんな順序の」


「奥方」


辺境伯様は丁寧に言った。


「三年分の手紙の礼は、書いた方に申し上げたいのです。署名をさせた方にではなく」


母は口を閉じた。


生まれてこのかた初めて、「姉でしょう」が何もくっつけなかった。


「リーゼ嬢」


辺境伯様が、私の前に立った。


「返事は急ぎません。ただ、一つだけお願いがあります」


「……何でしょう」


「手紙をください。今度は、あなたの名前で」


   ◇


その夜、私は机に向かった。


便箋を前に、三行で手が止まった。


おかしい。年賀状四百枚を三日で書いた女である。


他人の名前なら、いくらでも書けた。社長の抱負も、専務の哀悼も、妹の恋も。


自分の名前で書くとなると、最初の一字が出てこない。


前世の私は、とうとうそれを出せなかった。


窓の外の軒に、去年の干し柿の縄がまだ残っていた。


私は筆を取った。


『クラウス様


お返事を申し上げます。


はい。』


三行で終わった。


似た者同士かもしれない。


少し考えて、末尾に署名をした。


リーゼ・ハルトマン。


自分の手紙の末尾に書くのは、二つの人生で初めてだった。思ったより、画数が少なかった。


余白が、たっぷり残っている。


今度は、手を止めなかった。


『追伸 今年の柿は、あなたがお戻りになってから一緒にむくつもりで、まだ木に残してあります。梯子は押さえてくださいますか。


追伸の追伸 ミアとヨハンのことは、両親には私から話します。得意なのです、他人の用件を書くのは。


追伸の追伸の追伸 追伸が本文より長いのは、前世からの癖です。直す気はありません。』


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