4 小さな強敵現る
「……お兄様、お兄様……!」
応接室に足を踏み入れた途端、耳をつんざいたのは幼い少女の悲痛な叫びだった。
ネーレイド子爵は、泣きじゃくる娘のマリーナを力なく抱き寄せている。
その顔は憔悴しきっており、海を治める貴族としての威厳は影もなかった。
「何か分かったか?」
レオンの問いに、子爵は重く首を振った。
「いいや。だが、奴らの狙いは明白だ。我が家に伝わる……『異能者』の資質をもつ者を、他国へ売り飛ばすつもりだろう」
子爵の言葉に、リンとガイが顔を見合わせる。
「ネーレイドに伝わるって、子爵の先祖が人魚だっていう、あの伝説か?」
「たしか、人魚の涙は真珠になるって話だよね。だから人魚の血を継ぐネーレイド家は、常に上質な真珠を取り揃えられる……とか」
子爵家の伝承、薔薇色の宝石眼。
「この家の血筋には、落とした涙が真珠になる能力を持つ者が生まれる」
「ホントに真珠を落とすっていうのか?おとぎ話じゃねぇの?」
リンが胡散臭そうにレオンを見る。
「……二百年に一度だ」
レオンが短く答えた。
「しかも発現は十歳前後。今回の件と、時期が合いすぎてる」
一瞬の間を置いて、視線だけを子爵へ向ける。
「……そうだな、子爵?」
今はまだ兆候はない。だが、もし攫われたマリウスにその資質があれば、その涙は一国をも動かす富を生むことになる。
小さく頷いた子爵の握りしめた掌が、悔しさに細かく震えていた。
「……昨夜、近海に現れた『沈黙の海蛇』の残党を追っていた隙を突かれた。屋敷の警備を潜り抜け、嫡男のマリウスが連れ去られたのだ」
「うわあああん! 兄様ぁ、兄様ぁ……っ!」
マリーナの泣き声が一段と大きくなる。
「攫われた坊っちゃんも、ここにいる嬢ちゃんも、タイミング的にはその『目』の可能性がある。だから狙われたってわけだ」
レオンの険しい表情は変わらない。
「分かるな、リン、ガイ……」
それなりに長い付き合いだ。レオンの視線の意図を察し、リンとガイの眉間にじわじわと皺が寄っていく。
「俺は坊っちゃんを攫った連中を締め上げに行ってくる。お前らはこの泣きわめく嬢ちゃんを何とかしとけ。あと、たぶんこっちも狙ってくるから護衛な」
「やっぱり!!!」
双子の叫びが重なった。
結局のところ、幼い子供の相手が面倒だから押し付けたのだ。外部の人間には分からなくても、身内には透けて見える。
そもそも、このギルドの頂点に君臨するエレオノーラからして、妹のリリアーヌのためにしか動かない女だ。
今回の任務だって、薔薇色の真珠という実利で釣られたに過ぎない。
やりたいことしかやらない。やりたくないことは、絶対にやらない。
誰の何を見習えば正解なのか分からないほど、ここはエゴイストの巣窟だった。
完全に行き場をなくしたリンの目の前で、マリーナが火がついたように泣き叫んでいる。
外堀を埋められ、ストレスが限界に達した魔導士が、幼女に向けて放った言葉はあまりにも無体だった。
「泣くな! こっちだって泣きてぇんだよ!!」
極限まで目を見開いたマリーナは、一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で硬直した。
そして次の瞬間、これまでで一番の大声で叫んだ。
「うわあああん! この人、きらいぃぃぃ!!!」
まさに、強敵との戦いの幕開けであった。お互いにとって。




