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1 人魚の町と不穏なカニ 

 空と海が溶け合う穏やかな風景が広がる。潮風が心地よく頬を撫でた。港町は活気に満ち、海沿いの食堂は喧騒に包まれていた。


 テーブルを埋め尽くす海の幸。ガイは歓喜の声を上げ、大盛りのパエリアをかき込む。


「うまーい!碧海領の蒼穹の港町(セルリアン・コースト)、サイコー!!」


「アクアパッツァも、うめぇ!こんなとこで仕事なんて、最高!!」


 隣では、同じように目を輝かせたリンが魚介を堪能している。


 だが、二人の平穏も長くは続かない。

 これは「先客」であるレオンが到着するまでの束の間の休息に過ぎないからだ。


 ―――二日ほど前のことだった。


 王都の目抜き通りから一本入った静謐な貴族街の入り口に、蔦に覆われた重厚なレンガ造りの建物がひっそりと佇んでいる。


 招かれた者のみがその扉を叩くことができると言う、アンティークショップ『星屑の天球儀(アストラル・オーブ)』である。


 店内に並ぶのは一級品の高級アンティーク。どれも一筋縄では手に入らない貴重な品だ。


 まるで美術館の展示品のように絢爛に飾られており、いかにも上級貴族の娯楽のための店だ。しかし、その実態はヴァランシエール侯爵家の長女エレオノーラが、美しすぎる妹、リリアーヌを保護するために私財を投じて設立した非公式精鋭組織――『天球の灯(スフィア・ランタン)』の拠点である。


 その一室で、エレオノーラにしては珍しく眉間に皺を寄せ、リンとガイに向きあっていた。


 扇子で口許を隠しているが、目元には隠しきれない不満の色がある。


「おいおい、なんだかご機嫌斜めだな」


「うぇぇ。嫌な予感しかないよ」


 いつもと異なる様子に、自然とリンとガイにも緊張が走る。しかし、敢えて軽口を叩いて先を促すと、エレオノーラは諦めたように、扇子をパチリと閉じた。


「ヴァランシエールの盾、碧海領にある蒼穹の港町(セルリアン・コースト)へ行きなさい」


蒼穹の港町(セルリアン・コースト)?あの『人魚』で有名な観光地か?」


 重たい空気で切り出された、あまりにも軽い目的地にリンが首をかしげた。


「魚介料理が美味しい港町だよね?もしかして、休暇くれるの?」


「バカ。そんな概念(もん)があるわけねぇだろ。…真珠が有名なんだよ、それじゃね?」


 ガイは思わぬご褒美を期待して、目を輝かせる。しかし、悲しいかな。リンによってすぐにその可能性は潰される。日頃の職場環境が伺い知れるというものだ。


「…真珠。そうですわね。うまくいけば、あの地域特有の『人魚の涙(プールス・ウニオー)』、それも薔薇色の極上が入手できますわ。…悪くはない」


 リンの言葉にエレオノーラは目を伏せて利害を計算する。そして最適解を弾き出すと、今度は迷いのない強い目で二人を射貫いた。


蒼穹の港町(セルリアン・コースト)にて、先行しているレオンと合流し、リリアーヌのために最高品質の『人魚の涙(プールス・ウニオー)」を、入手していらっしゃい」


 エレオノーラは、まるでティーカップの茶葉を選ぶような優雅さで、二人の運命を決定付けた。


 そして、いつも通りの魂から滲み出る尊大さで微笑み、悠然と手元の真鍮のベルを鳴らす。


「いま、全然違う内容の任務なのを誤魔化したよな、お姉様!」


「待って!任務はいいけど、そのベルでイカれた研究者を呼ぶの止めて、お姉様!」


 双子座のコードネームに相応しい息のあった叫び声は、残念ながらバァンと突き破られた研究室のドアの音に打ち消された。


 そこには、日光を避けてきたかのような蒼白な顔色と、異様な眼光を宿した男――カイルが嬉々とした表情で立っていた。


「お呼びですか、エレオノーラ様!!!今度は何をご所望で?」


 魔道具研究者は、特有の不健康さで、エレオノーラに詰め寄る。その手には、まるで生きたようにハサミをカタカタと動かす、禍々しい青色の『何か』が握られていた。


「リンとガイを海岸沿いの領地に向かわせます。貴方のカニの中に確か海辺での検証が必要なものが有ったわね?」


「素晴らしい!私の研究にここまで理解のある上司がこれまでいたでしょうか!!」


 感動にうち震えるカイルが、興奮しながら、手にしている二対のカニを差し出した。


「『清涼纏う空色の甲殻機(クリア・エア・シェル)』!」


「…うへぇ。名前だけで地雷臭しかしねぇよ」


 嬉々として語りだすカイルに、リンがうんざりと手を振る。


「黙って聞きなさい。装着時に魔導振動を利用し酸素を回収、体全体を薄い空気の膜で覆い、水中での呼吸を可能にします!」


「まぁ。…いつも機能は凄いよね、機能は」


 諦めたガイがなげやりに相槌を打つ。


「そうでしょうとも!深海にも耐えうる強度を持ち、更に今ならGPS機能付きのお買い得!」


 聞かされる二人の憂鬱など、カイルにとっては空気のように軽い。


 爽やかなセルリアンブルーの甲羅が、いかにも美しい海を思わせる。耳元をガッチリ固定するイヤリング型のカニであった。耳たぶを挟むためのハサミが不気味な鋭さを放っている。


「君たちがケンカしないように、二つ用意したからね。壊さないでくれたまえよ」


「「いらん!」」


 いかにも、リンとガイがいつも無理をして破壊すると言わんばかりに、胡乱な目をカイルに向けられ、甚だ不本意だと、二人は激しく拒絶した。


 そして、今。


 港町の食堂で海の幸を堪能する双子座の魔導士の目の前で、拒絶したはずの二対のカニがそのハサミを煌めかせているのだった。


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