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頭蓋破壊屋。




 身体を貫通し壁に突き刺さったボウガンの矢。壁から抜こうにもビクともしない。身体から抜こうにも痛くて動けない。


「うっ、あぁ…」


 情けない声は小さい。


「女の子だ。女の子。変だな、男が侵入してるって聞いたのに」


 男が近付き、髪を鷲掴みする。顔が見えた。お互い、顔が見える距離だ。

 やる気のない据わった瞳があたしを見る。


「変だなぁ。間違った? でも君、会社員でもないよね」

「ぅ、ああっ!」


 悲鳴が、闇を転がる。

 バグ・ナウで男の首を狙ったが止められた。左腕を壁に叩きつけられ、ボウガンを射たれる。2つの矢が、あたしの腕を封じた。貫通はしてないが矢に切りつけられ、痛い。

 どうする。動けない。畜生。


「物騒なものを持ってるね、君」

「っ……」

「俺、弥太部矢都(やたべやと)。君は裏現実者?」


 耳元で問われた。

 なるほど。こいつも裏現実者。


「殺し屋、なのかな?」


 うなじを撫でられ、囁かれる。手は背中に触れながら、徐々に下りていった。


「なら、君を殺さなきゃいけない」


 ターゲットが。ターゲットは狙われる理由を知っている。

 だからターゲットはビルにこもっていた。十八人の警備員と。だがそれは、全然安全ではない。

 裏現実者は簡単に警備員を突破する。

 だから。だから、この裏現実者を雇っていても。可笑しくはない。


「アンタ、誰に雇われてる」

「あ。喋った。多分君が狙ってるターゲットだと思うよ、これ通信機? 仲間がいるのか」


 なんとか声を絞り出して言う。あっさり彼は答えた。あたしの耳から通信機を取り踏み潰した。


「仲間はどこ? 愛子が言ってたっけ、男がいるって」

「愛子……? アンタは仲間がいるわけだ……何人?」


 質問を無視して、質問を返す。

 そうすると、グイッと背中に突き刺さる矢を動かされた。

「うぐぅっ!」と悲鳴を上げる。激痛にもう喋る気力がなくなった。

 仲間がいる。裏現実者の敵がいる。白瑠さんか幸樹さんが確認されている。知らせないと。誰かに誰か一人でも。でも、その術がない。

 その時。

 弥太部が離れた。

 視界に見えたのは、白瑠さん。

 白瑠さんが飛び掛かり、弥太部が避けた。


「いた。男の侵入者」

「……」


 白瑠さんだ。何故。白瑠さんがここにいるのだろうか。

 それにどうして。どうして白瑠さんの笑い声が聴こえないんだろう。


「白、る……さん……」


 あたしを見ていない瞳は、一点に弥太部を見ている。見ているんじゃない。睨んでいる。

 こんな白瑠さん。

 あたしは知らない。

 その表情は、知らない。

 睨み付けるその目。固く閉ざされた唇。深く寄せられた眉間。

 その表情を、その白瑠さんの表情を、あたしは見たことがない。

 なんで。

 そんな。

 顔をしているのだろうか。

 あたしには。わからない。


「ふ、あっ……!」


 白瑠さんは弥太部を睨み付けたまま、あたしの腕に突き刺さる矢を抜いた。


「おっと。それ、俺のおやつ」


 弥太部が黙って見ているはずもない。ボウガンを白瑠さんに向けて射った。

 白瑠さんはそれを避ける。

 あたしは腕を解放されたが、身体に刺さった矢が抜けない。これじゃあ動けない。


「……おやつ?」


 一瞬誰の声だかわからなかった。白瑠さんのあまりにも低い声が、弥太部に向けられる。


「おーやーつー。こんな若い殺し屋、きちょーだもんな」


 弥太部の軽い声。裏現実者は可笑しい奴ばかり。正常はいないのか。


「その口……引き裂いてやる」

「へっ。こわいこわい」


 白瑠さんの低い声を弥太部は鼻で笑い退けた。どうやら戦いが始まったらしい。

 視えないが音がする。

 自分でこの磔から抜け出さなければならない。

 一息つき、カルドに手を伸ばす。左腕がズキズキする。それよりも腹が重傷だ。

「んぐ……」悲鳴を噛み殺し、カルドで矢を力の限り切った。支えをなくして身体が倒れる。痛い。痛い。

 ゆっくり起き上がれば、二人の戦いが見れた。

 弥太部がチャクラムを投げる。白瑠さんは身を引いて避けた。弥太部が飛び道具ばかり使い、白瑠さんが近付けないようだ。

 白瑠さんの頭蓋骨破壊は触れないと使えないだろう。

 加戦しなくては。

 立ち上がろうとすれば。


「つーちゃん。短剣貸して」

「え」


 淡々と言われた言葉に思わず目を丸める。


「短剣一つ貸して。君は藍んとこに戻って手当てを。動けるよね?」


 ちらり。白瑠さんがあたしに目を向けて訊いた。


「でも、ターゲットが」

「ターゲットは幸が殺る」


 遮られた。


「でも、まだ敵がいて」

「それは藍に言って。そうすれば幸にも伝わるから。戻れ」


 強く。冷たく。突き放されるように言われた。

 その表情に笑顔なんてない。

 その顔にいつもの仮面はない。

 仮面はない。笑顔が仮面ならば、今の表情はなんだ?


「…………はい……」


 あたしは返事をしてから、左腕から短剣を抜き、白瑠さんに向けて滑らせた。

「エレベーターは向こう」とあたしに言い、白瑠さんは弥太部を視界に捉えながら受け取る。

 あたしは立ち上がり、白瑠さんの背後に向かって壁に沿いながら歩く。


「おっと。逃げんな」


 弥太部があたしに向かって何かを投げてきたが、全て白瑠さんが叩き落とす。


「破壊してやる。指を切り落として手首を切り落として腕を切り落として腹を切り裂いて頭破壊してやるよ」


 凍り付くような空気を。白瑠さんが。白瑠さんの存在が作る。


「……っこわい、こわい……」


 弥太部の声が強張ったように感じた。

 ドガッ。

 まるで。まるでハンマーを叩き落としたような音が響いた。

 向かって行った白瑠さんの手を、弥太部は避けた。その手が廊下に触れた途端にクレーターが現れる。


「っ!」


 弥太部は二つのチャクラムを投げ付けた。それも白瑠さんは短剣で叩き落とす。

 白瑠さんから距離をとる為、休まず弥太部は武器を投げ付けた。暗い中、見えたのはクナイや手裏剣。

 一旦、身を引いた白瑠さんはあたしに目を向けた。


「早くっ!」


 怒ったような口調に急かされて、あたしはまた歩き出す。

 矢が刺さったままズルズルエレベーターに行き、乗った。

 チリリリン。

 扉を閉めて、一階を押して、座り込めば首の鈴が鳴った。

 手を見れば、真っ赤な血。

 落ちる。浮遊感は、エレベーターのせいだろうか。血が流れているせいだろうか。

 ボォとしてきた。

 もう一度手を見る。真っ赤な血だ。腹から、腕から、流れている。大好きな。赤い紅い血。大好きな紅が、流れている。血が。ドクドクと。

 あの電車の中を思い出す。

 白瑠さんに殺されかけたあの時。

 白瑠さん。頭蓋破壊屋。狂った笑み。狂ったような笑い声。陽気な愉快そうな喋り方が彼。彼のはずなのに。

 どうしちゃったんだろう。

 白瑠さん。

 ぼんやり。考えて考えてみた。ぼやけた頭じゃあ考えられない。

 顔を上げて見付けた。監視カメラ。無意味に、何となく、手を振ってみた。

 意味ない。藍さんが見ているかどうかなんてわからないし、通信機はないのだから。

 フワッと吐きたくなる浮遊感に襲われて、エレベーターが着いたことに気付く。

 のそっと立ち上がり、カルドを握る。左右を確認。誰もいないようだ。

 あと少し。痛みを堪えて歩き出す。

 弥太部の他に愛子とか言う仲間がいるって言っていたが、幸樹さんは大丈夫だろうか。

 早く藍さんに伝えて、知らせてもらわなくちゃ。

 やっと玄関についた。ドアに寄りかかりながらも一歩。一歩と歩く。

 ワゴンが見える。

 ワゴンから藍さんが降りるのが見えた。何かを叫んでこちらに向かって走ってくる。

 どうしたんだろう。


「後ろっ!!」


 ぼけた頭じゃあすぐ理解できなかったが、振り向いた。女。女が短刀を振りかざしていた。

 素早くカルドで受け止める。

「うあっ」受け止めた衝撃に腹に痛みが走った。左手で押さえれば、その左手ごと傷を蹴られた。

 今まで感じたことのない強烈な痛みに悲鳴さえでない。

 痛い。身体が重い。


「椿ちゃ」


 視界の隅で藍さんが銃を構えた。だが女が投げたクナイによって弾かれる。

 だめだ。藍さんじゃあ勝てない。あたしは思ったが、藍さんは立ち向かおうとした。

 女と揉み合ったがすぐに蹴り飛ばされて倒れた。

 あたしは手放したカルドに手を伸ばしたが、女に阻まれた。

 腹に女の足が踏み下ろされる。


「うぐあっ!!」


 もう声が出ないとばかり思ったが出た。物凄く痛い。

 あたしと大して背は変わらなそうだが、歳上の女はあたしを睨み付ける。多分。愛子かな。


「どいつもこいつも! うちの大事な兄貴を狙いやがって! 殺し屋だろうが小娘だろうが一人残らず殺してやる!!」


 短刀が振り上げられる。

 殺される。そんな単語。頭には浮かんでこなかった。

 ただ痛くて。痛くて。

 何も考えられなかった。


「同感ですね」


 下ろされる前に。女が悲鳴を上げた。まるで引っ張られるように仰け反った。


「私も妹が大事ですよ。殺すつもりならば……ソレを殺すまで」


 細い包丁のようなナイフが女の首に刺さった。

 女の後ろにいたのは、幸樹さん。

 女を捨てて、あたしに手を伸ばす。


「意識を手放さないでください。聞こえますか?」

「藍さん……は?」

「無傷です。貴女の手当てをしましょう」

「う、ん……ターゲットは……」

「無理して喋らなくていいです。私が始末しましたから」

「お、お嬢! しっかりっ!!」


 視界に藍さんも入った。

 喋るのがしんどい。痛みはどれだっけ。

 瞼が重い。身体が重い。

 意識飛ばしちゃいけないから、目を閉じちゃだめだよね。痛いってなんだっけ。

 幸樹さんがあたしを抱え上げた。もう腕も上げられない。眠い。

 だらしなく垂れる腕から血がボタボタと落ちていく。

 一面が血の電車を思い出す。

 全身に。返り血を浴びたことを思い出す。

 あれ。走馬灯かな。

 視界さえもぼやけていく。

 真っ赤な。真っ赤な。血塗れ。

 落ちる。堕ちる。感覚。

 瞼が落ちる。

 紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い。全部が紅い。紅い電車の中で。揺れている。

 死んじゃおうか。

 このまま揺られて死ぬ。痛いってなんだっけ。

 とってもとっても。楽な死に方。

 紅い紅い紅い紅い紅い紅い。大好きな紅。

 誰もいない紅まみれの電車に一人。揺られている。

 紅い紅い紅い紅い紅い紅い。独り独り独り独り独り独り。

 何も聴こえない。

 あれ。誰かいる。立っている。この男の人。誰だっけ。いや。知ってるでしょ。名前はなんだっけ。嗚呼。そうだ。白瑠だ。真っ白なシャツ。血に濡れてない。笑っている。頭蓋破壊屋さん。笑っている。白瑠さん。

 あれ。

 白瑠さんは何処だ?


「椿お嬢!」


 藍さんの声。一点が視れない。視界が揺れる。藍さんがあたしを呼ぶ。


「椿さん! しっかりしてください!」


 幸樹さんの声。汗を拭う手が血に濡れている。藍さんと一緒にあたしを呼んでいる。

 そこに。白瑠さんがいない。

 白瑠さんは何処だろう。

 また瞼が落ちる。


 じりりりりいりりりりり。


 耳障りな警報の音にまた目を開く。なんだ。この音。

 自分の腹が見えた。包帯が巻かれている。もう手当てがされたようだ。血が。滲んでいる。


「椿っ!!!」


 また呼ばれた。顔を上げれば、白瑠さん。

 白瑠さん。白瑠さんなのに真っ赤だった。真っ赤だった。血で真っ赤。見たところ返り血だろうか。


「椿! 大丈夫!? 生きてる!?」


 心配している眼差し。あたしの顔を覗く。生きているように見えないのかな。

 変なの。変なの。白瑠さんが変なの。

 白瑠さんの手があたしの頬に触れた。あたたかい。あったかい。あったかい。

 そっと右手を上げる。

 上げた右手で白瑠さんの頬に触れた。あたしの手も。白瑠さんの手も。真っ赤。血塗れだ。


「………真っ赤……真っ赤ぁ……」


 声が出た。声が出せた。こんな状況で笑うべきじゃないのに、笑ってしまう。

 だって。可笑しいんだもん。

 白い服を汚す白瑠さん。変なの。真っ赤な白瑠さん。変なの。笑顔じゃない白瑠さん。変なの。血相かいてる白瑠さん。変なの。

 変なの。どうしちゃったんだ白瑠さん。変なの。


「……うん。つばちゃんと一緒、真っ赤だよぉ……んひゃ」


 驚いたように目を丸めた白瑠さんは自分の手を確認。それからへにゃあっと白瑠さんは笑った。

 ギュウッと、あたしの右手を握り締めて、安心したように笑った。

 あ。

 白瑠さんがいた。

 いつもの白瑠さんだ。

 笑ってる。

 白瑠さんだ。

 あたたかい手が握り締められる。


「白瑠! 早く乗りなさい! 血が足りません、病院に、藍!」


 幸樹さんが怒鳴るように言う。白瑠さんは直ぐに乗り、扉を閉めた。


「びょ、いん……嫌い」

「何言っているんですか」


 幸樹さんの声がした方を向いたら、案外幸樹さんは近くにいた。

 ぺしっと呆れた顔で頭を叩かれる。怪我人なのに。

 ちょっと笑いを洩らす。そうすれば幸樹さんも笑った。安堵した微笑であたしの頭を撫でてくれる。

 嗚呼。あったかい。

 あったかい。

 眠りへと落ちた。




 次。目を覚ましたら、あたしの部屋のベッドの上だった。右腕に点滴。病室じゃないだけ、嬉しい。


「つーばちゃん? 生きてる?」

「死んでるように見え……んぐっ……」

「ぎゃ!? 椿お嬢大丈夫!?」

「わわっつばちゃん! 死んじゃ駄目だよ!!」

「うる……痛っ」

「騒がしいです、出ていきなさい二人とも」


 左右でわーわーっと騒ぐ白瑠さんと藍さんを叩いて、幸樹さんは黙らせた。二人は追い出されまいとベッドにしがみつく。


「具合はどうですか? 寝ててもいいですよ。傷は縫いましたが、喋ると痛いでしょう」


 また喋ると痛い怪我だ。

 幸樹さんは手をついてあたしの顔を覗く。


「大丈夫……です……。すみません……迷惑かけて」

「いいえ。迷惑なんてかけてませんよ」


 幸樹さんは微笑んで首を振った。


「そ、そうだよ! 僕のミスなんだ……ごめん! あの女が監視カメラで見てて……裏現実者がいること気付けなくて……本当にごめん! 僕のせいだ!」


 右側にいる藍さんが、頭を深々と下げて謝る。その顔が苦痛そうだ。


「違います……あたしが気を抜いてたから。通信機が」

「それも僕のミスなんだよ……」


 慌てて説明しようとしたら、情けない声を出して藍さんが項垂れた。

 いや。あたしのミスなんだって。通信機に気をとられてて射たれたんだから。

 そう言いたいが、腹が痛い。腹が痛くて喋れない。

 宥める方法。ああそうだ。右手を伸ばして、あたしは藍さんの頭を撫でた。

 目を丸めた藍さんは、涙目であたしを見つめる。

 やめてくれ。イケメンの涙目は弱いんですよ。なんで黒縁眼鏡を取ってるんだ。


「ううん……俺が悪いんだよぉ……大仕事なんかをやらせたからだよ……俺が悪いんだよ、ごめん……」


 そして左側でも同じことを言い謝罪する白瑠さん。なんだかじめじめしたオーラが、あたしにまで影響してきそうだから扇いで退けたい。が。左手はズキズキするので使えない。


「あの……白瑠さん……。あたしの不注意ですってば」

「俺が持ってきた仕事のせいで……」


 嗚呼なんだか。


「僕のせいだ……適当な階に行けなんて言ったから……」

「俺のせいだよ……俺がさっさとつばちゃんのところに行けば……」


 うざいぞ。このじめじめ。

 あたしより先にじめじめするんじゃない! 迷惑かけたあたしが拗ねたいわ! こら!

 なんて心配させたあたしが言えるわけもない。


「やめなさい。自分を責めるなら他所でしなさい。椿さんが眠れないでしょう」


 幸樹さんが大きな溜め息をついて二人の頭を叩いた。またもや追い出されまいと、二人はベッドにしがみつく。


「あー、ターゲットは殺ったんですよね? 幸樹さんが」

「はい」

「何階にいました?」

「十階」

「……まじか」

「そうです」


 あたしが十三階で弥太部と会い、その下にターゲットがいたのか。


「そう言えば。白瑠さん。どうして十三階にいたんですか?」

「ん? つーちゃんが自分のとこ確認したから、一緒にターゲット探そうって言ったの聞こえなかった?」

「聞こえませんでした……ノイズが酷くって」


 一番の疑問を白瑠さんに訊いた。理由は白瑠さんの自由奔放にあったらしい。そのおかげであたしは助かったみたいだ。

 じゃあもう一つ。


「白瑠さん。真っ赤でしたが、弥太部をどうやって殺したんですか?」

「んにゃ? やたべ?」


 白瑠さんはきょとんと首を傾けた。

 あれ。あれあれ。もう忘れちゃったのだろうか。


「弥太部? 弥太部って、弥太部火都?」


 藍さんが目を丸めて訊いた。


「いえ。弥太部矢都と名乗ってましたが」


 かと? 弥太部はヤトって言ったよね。ちょっと傷が痛くなり声が震える。


「まじか。弥太部矢都を雇ってたんか? ターゲットは」

「そのようですね……」

「知っているんですか? 弥太部矢都」

「ええ。一人だけだったんですか?」


 一人だった。


「一人って? 弥太部は一人でしたが……愛子って仲間がいると言ってました」

「愛子はターゲットの妹の名前だな」

「玄関で私が殺った女ですね。他に男は?」

「いえ……見ませんでしたよ」


 なんだかわからないな。何にかあるのだろうかと首を傾げながら、幸樹さんと藍さんを見る。


「ねー、ねー。皆で何の話をしてるの?」


 そこに話題に入れない白瑠さんがあたしと幸樹さんの顔を伺う。


「弥太部ですってば、あの男!」

「……だれ?」


 白瑠さんは眉毛を歪ませ、心底わかっていないような顔をした。

 ……この人、海馬に異常があるのだろうか。


「ボウガンの」

「……ん?」

「クナイの」

「……んん?」

「……チャクラムの」

「しらなぁい」


 あれ? この人あたしが怪我を負った原因さえも忘れたのか?


「白瑠、昨日殺り合った人間くらい覚えておきなさい。弥太部火都の弟、椿さんに深傷を負わせた裏現実者です」


 叱り口調で幸樹さんは教えてやった。白瑠さんは目を丸めて、ぱちくりと瞬きする。


「あー、あーん、アイツね。うん」


 思い出したのか、なんとも曖昧な声で頷いた。そのまま白瑠さんは何も言わない。


「いや、あの、白瑠さん。だから……どうやって殺したんですか?」


 同じ質問をすれば、視線を落とした白瑠さんの目があたしに向けられた。

 その顔に笑顔がない。

 じぃっと白瑠さんがあたしを見た。何を考えているかわからない目。真っ直ぐに見ているのに、読めない。


「白瑠さ」

「指を切り落として腕を切り落として腹を切り裂いて頭をぐっちゃぐちゃにした」


 ただの台詞を吐いたかのように、白瑠さんは答えた。

 淡々と。当たり前のように。


「切り裂いたっていうかめった刺しにしたから返り血浴びたんだ」


 それから白瑠さんは椅子から腰を上げ、あたしに背を向ける。


「一眠りするよぉーおやすみぃ」


 そのまま部屋を出ていった。

 扉が閉じられたあとに、シンと沈黙が落ちた。

 どうやら驚いているのは、あたしだけじゃないらしい。


「あの、あたし……怒らせましたか……?」

「さぁ……? 白瑠の怒ったとこ見たことねぇ。あんな白瑠初めてみた」


 戸惑った様子の藍さんが首を横に震える。


「…………椿さんに怒っていませんよ。気にすることありません」


 扉を見つめていた幸樹さんは、にっこりとあたしに笑いかけた。そうかな……。


「白瑠さんが笑わずに人を殺すなんて、思いもしなかった……白瑠さんを怒らせるのは前に話していた人だけだと思ったのに」

「……私が白瑠でも、激情していましたよ」

「え?」

「いえ。何でもありません。私も一眠りします。何かあったら天井にでも物を投げてください。駆け付けます」


 幸樹さんはさっさと話を終わらせて、あたしの部屋をあとにした。

 物を投げろか。新しい……斬新だ。


「藍さんは眠らなくていいんですか?」

「うん。へーきへーき! ていうか、病的な椿お嬢がツボだからもうちょっと眺めたいっていうかぁ」


 藍さんは、寝なくてもへっちゃらと言わんばかりの笑顔で言った。今見なくとも、暫くはベッドの上だろう。


「いやぁー椿お嬢の寝顔は可愛いねぇ? ぐふふ。まさに天使の笑顔、ツボーふふっ! もう食べちゃいたかった!」

「藍さん、寝れないならあたしが殴って眠らせますよ」


 藍さんは丸めていた背中をピンと伸ばし、口を閉じた。

 ちょっとしてから「それにしても……」と頬杖をついて口を開く。


「白瑠が殺した相手を忘れるのは珍しくないけど……武器の名前を言っても思い出せないなんて……返り血まで……。頭に血でものぼってたんだろうか……」


 まるで独り言のように、藍さんは前方の壁を見つめた。いや、独り言だ。

 ぐふふ。といい顔が台無しになる笑いを洩らしてあたしに向かい合う。

「林檎食べる?」と訊いた。

 昨夜から何も食べていない。今は時計の針が真上を向いている時間。食欲があるのかと問われれば、悩むが一応腹に入れておこうと頷いた。


「ねぇ、藍さん。白瑠さんはどのくらい裏現実で恐れられてるんです?」

「ん? なにそれ。白瑠の恐ろしさを知らないってこと? お嬢ちゃん」


 林檎を持って部屋に戻ってきた藍さんに訊いたら、怪訝そうな顔で返された。


「そりゃあ人間離れした白瑠さんは怖いと思いますよ。でもあたし、最初に会った裏現実者は白瑠さんでしたので、まだ裏現実のレベルってやつがわからないんです」


 あたしがそう白状すれば「なるほどねぇ」と藍さんは何度も頷いた。


「レベルねー? みんなバラバラだからどこを区切ればいいかわかんないなーんー。初めて会った白瑠を……レベル100にしようか! んで弥太部矢都がレベル50だ。幸樹もそこらへんかもしんないな」

「白瑠さんと幸樹さんの差が激しいですね……。まぁ、幸樹さんは名の売らない殺し屋ですもんね」

「あははっ! 名の売らない殺し屋? いーねぇ! いーねぇツボ! まさに幸樹はそうだね。でもそこそこ売れているよ、実力は確かだからね。串刺しドクターって依頼人は呼ぶよ」

「それはそれは……知り渡って欲しくない名前だ」


 椅子に腰を落として笑いながら、藍さんは果物ナイフを取り出した。

「ちょっと、藍さん。皮剥く気ですか」と訊くと「え? 皮剥くっしょ」と驚かれる。

「いやいや。皮食べれますから」と反論。

「えーえー。僕は皮を剥く派だよ。僕が食べれない!」とわがままを返される。お前も食べるのかよ。

 そのままじょりじょりと皮を剥き始めた。


「白瑠の頭蓋骨破壊は喰らったら終りだ。頭に一撃喰らったらゲームオーバーだからね。誰だろうと気が向けば殺す。狙われたらジ・エンド。映画みたいなホラーの怪物みたいなもんなんだよー。ジェイ○ンとかフ○ディとか。あれはまだましだよね、ナイフとかチェーンソーとか。まだ目に見える武器がいいよ。白瑠は素手だ、素手で頭が爆発なんて見たくなかったよねー。人間こわっ! て感じ。白瑠が人間だってのがまた恐いよねー?」


 藍さんはホラー映画が好きらしい。

 藍さんにしてみれば、ジェイ○ンやフ○ディよりも白瑠さんはランクが上。

 確かに白瑠さんが同じ人間なんて驚きだ。サイボーグとかじゃないんだ……。


「藍さん、ちょっとそれ失礼じゃないですか?」

「ん、大丈夫。本人に言ったことあるから」

「…………そしたら?」

「ケタケタ笑われた」


 この程度では怒らないのか。あの人は。

 地雷がわからない人だ。


「心が広いんでしょうか……」

「あるいは狭いんじゃないかな」


 心が広い、ではなく狭い?

 一つの紐のように皮が剥けていたが千切れた。あたしはそれをむしゃむしゃと食べた。


「うわ、皮を食べる人初めて見た」

「林檎の皮は食べれますよ。駄目です、好き嫌いしちゃ」

「うぇー」

「真っ赤に熟してるでしょ」

「真っ赤好きだね、椿お嬢」


 あたしだってこんな風に林檎の皮を食べるのは初めてだ。でも幸樹さんが買ってきた林檎は、奇妙なほど真っ赤で綺麗なんだもん。


「真っ赤。赤。紅。返り血。林檎。ルビー。ガーネット。レッド。レッドトレイン」


 皮剥きを続けながら、藍さんは呟く。最後のは聞き流せない。


「聞いたんですか? レッドトレイン」

「うん。ニュースも見たよ。裏現実はみーんな愉快そうに笑っているさ、みんな一体誰の仕業かを知りたがってんだ」

「まじですか? どこのばかが大量殺人をやらかしたって、感じ?」

「まー、それもあるね。日本は恐怖に震えてるから」


 裏現実者がどう思っているのかは実に興味深い。


「頭蓋破壊屋がやったって噂が最初たった。でもあとから違う(、、)という噂がたったんだ。それからはざわめきだね。頭蓋破壊屋ならばそう、みんなは納得するんだ。どうしてかは言わなくてもわかるよね?」


 頭蓋破壊屋だから。

 彼が何を起こしたって、当たり前。可笑しくない。そう思われる存在。


「だけど違うとなるとみんな吃驚だ! だって頭蓋破壊屋だと噂されたのに違う。それでみんなこう思ってる」


 ぐふふ、と藍さんはニヤニヤと笑う。なんだか意地悪な目付きであたしを見た。

 しゃり、と皮を剥いた林檎を切り分けもせず噛み付く。こら。


「頭蓋破壊屋に並ぶ存在なんじゃないかってね」


 その台詞は、ギョッとするほどとんでもないものだった。


「ちょ、なに? なんそれっ! あたしが!? みんな頭可笑しいでしょ!」

「だって、頭蓋破壊屋の次に浮いてきたレッドトレインの犯人は名前もどんな人間さえもわかってないんだ。そう思うのが妥当だろう?」


 あたしの反応が面白かったのか凄い笑顔で笑う藍さんは楽しげだった。


「わかるわかる。わかるよー? 白瑠の恐ろしさのあとにそんなこと言われちゃね。でも実際そうだ。だって君の寝顔なんてツボるほど可愛い可愛い。その君がだよ? カッターで56人! 僕が調べたところー高校生男子が6人リーマンが16人その他が19人。男が何人かって? 41人だ! どいつも裏の存在を知らない、知らないけれど君よりは体格も身長も上。なのに、なのにだよ? 君たった一人に殺されたんだ!」


 学生なんていたんだ。サラリーマンにその他……? あとは女の人。覚えてないんだよね。誰の顔も。覚えてない。


「武器がただのカッターだ。しかもデザインカッターで刃が3センチもないやつ。男達が取り押さえれば君はお陀仏だった。なのになーのーにぃ。56人殺害! なーんでだ!」


 爽やかな笑顔で藍さんは言った。

 なんでだろう。知らない。ただ。うん。出来てしまったのだ。それだけのこと。


「……あたしと白瑠さんが似た者同士だから」

「あぁ、だから、みんなが思っていることは妥当だろう?」


 前に白瑠さんと幸樹さんが言っていた。

 藍さんはフッと笑う。

 頭蓋破壊屋とあたしは存在が同等。

 似たような者。殺戮者。

 ……複雑だ。

 落ち込みながら、林檎の皮を食べていれば。


「ぐふふ……ぐふふふふふふっ」


 藍さんが不吉な笑いを洩らす。


「レッドトレイン。それにあの白瑠が乗ってた。これはこれは凄いだろ。それから拾われて裏現実。ぐふふ……。頭蓋破壊屋の激情。ふふ。んーふふ。面白いなー面白い。うん!」


 またブツブツ呟く藍さん。

 今度は意地悪な感じではなく。どこか楽しげな笑みを浮かべていた。楽しくて楽しくて仕方ない。そんな笑みだ。

 目の前のプレゼントの箱が今すぐに開けたい。そんな子どもの笑み。


「椿お嬢様は、これからどんなことを起こすんだろうねー?」


 妖しげな黒い瞳で、藍さんはあたしを見上げた。

 この人。この人は。この人はちょっと。狂っている。

 どんな比喩を使えばいいかなんて、バカなあたしにはわからないけれど。

 本当に。なんだかわからない人だ。

 よく知らない故か。何を考えているんだ。その黒い瞳で。何を考えているんだろう。


「椿お嬢は天使かな。いや、黒猫かなー?」

「……あたしは不吉を呼ぶのか」


 あたしはつっこんだ。藍さんはニヤニヤと笑うだけ。

 不吉を呼ぶ黒猫かよ。


「黒猫ー、赤、紅、レッドトレイン、ルビー、ガーネット、林檎、苺、トマト、石榴ー」


 ブツブツと林檎をかじりながら、藍さんは独り言を続けた。

 あたしは枕に頭を乗せて無視をした。

 無防備に寝る気はないが独り言に構うつもりもない。

 天井を見つめたまま、ぼんやりと考え事をした。

 考える考え事を考えた。

 もう暫く、ベッドの上だから。






「ねぇ、つーちゃん。時々ぼんやりしてるけど。何考えてんの? え。もしかして悪い病気?」


 三日後。

 白瑠さんしか家にいなく、暇を持て余していた頃にいきなり訊かれた。

 あたしがぼんやりしてたのがそんなに珍しかったのか。それとも暇潰しか。どちらにしろ、病気は失礼だ。


「暇だと思っていただけですよ」

「なら俺とお喋りしよーよ!」


 こちとりゃ怪我負ってんだ畜生め。

「はぁ、そうですね」とあたしは話題を考えた。


「白瑠さん」

「んう?」

「白瑠さんはあたしと……」

「……つーばちゃんと……?」


 三日前に話した藍さんとの会話を思い出して、何て言おうかと言葉を考える。

 同類。似た者同士。同じ存在。


「白瑠さんはあたしと……似たような存在だと思いますか?」


 戸惑ったような口調で言ってしまった。仕方ない。あとには退けない。


「いや、あたしは白瑠さんと似たような存在だと思いますか?」


 うん。こっちの方がしっくりする。

「んー」と刹那だけ間が空いたあとに白瑠さんが頷く。

 良かった。怒った反応はしていない。逆に気をよくした様子だ。


「ひゃー、そんな話になるとは思わなかったな。ん。でもねぇ」

 チェシャ猫の尻尾みたいに揺れて、にんやり笑う白瑠さん。


「そうかもしれない」


 白瑠さんはそう答えた。


「つばちゃんと俺は似た者同士だ」


 その笑顔は、冷たい笑みではない。


「似たような存在だよねぇんひゃっ。本当にそんな感じだ」


 そうだな。


「全然違うけどぉ、おんなじ。手が真っ赤な殺戮者だ。そーゆー存在だよねぇ、俺とつばちゃんは」


 嬉しそうだった。




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