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殺しの仕事。



 戻る道なんてない。

 後ろに引き返せない。

 誰も。どんな生き物でも。

 過去は引き返せはしない。



 夜は白瑠さんのリクエスト通り、ステーキの飲食店で夕食を食べた。

 白瑠さんは胃袋が一回り大きいのか、大盛りステーキをおかわりしていた。

 頭蓋破壊のエネルギーに回されるのだろう。どう見ても余分なお肉は見当たらない。

 お会計は払おうとしたのに白瑠さんが全部払ってしまった。

 笹野さんの家に戻ってからはそれぞれ顔を会わすことはなく部屋にいた。今日のレシートを全て暗算するには桁が多すぎた為、直ぐに断念。頭悪いんですすみません。

 服を詰めた棚の引き出しをあけて、服の一番下にレシートを束ねていれる。篠塚さんの名刺も置いた。

 別れるときに白瑠さんの言っていた注意を思い出す。


「枕元に武器を置かないと奇襲された時、足掻くことも出来ずに死んじゃうよー?」


 ひゃひゃっと笑う白瑠さんの笑みは、なんだか引っ掛かった。考えてもわからない為、ベルトからカルドを抜く。

 ひゅんひゅん。

 手首を回してカルドを振れば、そんな音が聞こえた。ラケットを持つとしてしまう癖だ。

 奇襲でもなんでもカルド一つで十分だろう。カルド一つで敵わないなら無理だ。

 一応ベルトはベッドに掛けてカルドを鞘に入れて枕の下に潜らせた。

 刃のままは流石に怖い。

 下手したら切断だ。

 奇襲されても白瑠さんがいるから大丈夫だろう。そう思っているからこそ眠れる。大体、まだ敵いません。

 あ、でも助けるつもりがないからこそそんな忠告をしたのかもしれない。

 やれやれ。

 眠くなり、あたしはベッドに身体を沈めた。眠りに落ちる感覚が気持ちよくそのまま目を閉じる。

 静かだった。

 夢を見ることもなく眠れていた。

 しかし、目が覚めたのはきっと物音に気付いたからで、あたしは虚ろな意識のまま眠りから覚めた。

 何分、否何時間か眠ってたらしい。そんな感じがする。

 ぞくっ。

 時間を確認する暇もなく、襲いかかった恐怖に震え上がった。芯まで血まで凍り付くような、死の恐怖。

 考えるよりも早く、あたしはカルドの柄を掴んだ。

 死の恐怖を抱かせる“何か”がそこにいた。

 生きる為の、正当防衛。

 あたしはカルドを振り上げた。

 キンッと弾く音。

 止められた。相手も武器を持っている。駄目だ。この体勢では押される。体勢を立て直さなくては殺られる。先ずは相手を押し退け、ベルトを掴み、反撃。

 そこまで思考が動いたが、聴こえた笑い声により中断された。


「んひゃひゃひゃあー」

「…………白瑠さん?」


 笑い声と同時に、緊迫感がふっと消えてしまう。その独特の笑い方は、白瑠さん。


「んひゃっ、いーねつーちゃん。中々だよ。敏感なんだね?いーことだよ、賢い賢い」


 本当に気付かなかった。

 白瑠さんが、あたしの上に跨がっている。どうやらベッドに侵入したからその揺れにあたしが目を覚ましたようだ。


「試したん……ですか……?」

「んー! 抜き打ちテスト! いざって時動けなきゃグサッだもんねー?」


 両手をついて笑う白瑠さんに脱力して押し退ける力がない。

 あれ、カルドを止めた武器を持っているように見えないのは目が覚醒しないせいだろうか。


「殺す気満々だったんですか……? あたし……それで気付いたんですけど」

「襲うなら殺す気あるっしょ! ……あ、つばちゃんの場合は別の意味で襲われる可能性があるかっ」


 ……突っ込む気力がない。

 のそのそとカルドを鞘に戻す。ああ眠いよ眠い。


「…………つーちゃん?」


 あたしの頭の横に手をついて、白瑠さんが顔を近付いてきた。

 近い近い。

 というか退きなさい。

 それを言う気力もない。


「つーちゃん? 寝ちゃった?」


 目、開いてますけど。

 先ず顔を近付けるのはやめてください。離れろ。


「眠い……です……今日はも……きしゅ……しないで……」

「キス?」


 ちげーよ。コラ。


「おやすみ……」


 瞼が重い。あたしはもう強制的に終わらせた。

 が、この中身が子供の大人は引き下がらなかった。


「えーっ! もうちょっと話そうよっ!」

「うぐっ」


 浮いていた腰をおろしやがった。腹に圧迫と重みがのし掛かり、苦しい。


「ちょ、はくっさ……」


 退けよ。まじで。眠らせろ。

 あたしはバシバシと白瑠さんの脚を叩いた。が身体はもう眠りモードで力が全く入らない。


「構ってよぉー」

「うげぇっ……」


 もう半場体重をかけられた。ただでさえ腹に乗られているのに次は首に両腕を置かれる。

 顔近い。締まる。窒息する。重い。この人殺す気だ。


「つぅーんちゃぁんー」


 今日散々構ったろうが。

 白瑠さんは揺れながら、あたしの髪をいじった。


「う……あしたに、して、よっ」

「んーんーっ」


 駄々こねるな。


「寝たいんです、明日にしてくださいよ」

「じゃあ添い寝しよっ!」


 …………。

 もういい。それで。

 寝かせてくれるならそれで。

 直ぐに白瑠さんは、布団の中に潜り込んだ。ギュッ、と首や腹に巻き付く腕は気にしない。白瑠さんの顔が近くても気にしない。

 眠ることがどんなことよりも最優先。男が況してや頭蓋骨破壊が趣味の殺人者が添い寝したって些細なことなのだ。

 人間寝なきゃ生きてけない。

 重くて、それ故に気持ちいい睡魔に身を委ねた。ポツンと落ちるように眠りに落ちる。




 目を覚ました時、隣に白瑠さんがいて心底驚いた。

 完全に昨夜の事を忘れていたため、悲鳴を出すところだった。

 すやすやと眠っている白瑠さんの腕を慎重に退かす。

 この人、ずっとあたしにしがみついていたのか。器用だ。

 眠れたあたしも。

「うにゃ」と白瑠さんは枕に頬擦りして寝息を立てた。ヨダレを垂らしそうな気持ち良さそうな寝顔。

 寝顔、可愛いな。

 寝てれば、可愛い生き物は多いものだ。

 あたしはさっさと部屋を後にする。廊下に出れば朝食の香りがした。

 笹野さんがいるかと期待したがいない。

 笹野さんの部屋をノックしてから開けると、空。

 もう仕事にいったらしい。

 この調子では暫く笹野さんには会えなさそうだ。

 深夜に白瑠さんが部屋に侵入したことを愚痴りたかったのに。とソファに雪崩れ込む。

 今日、白瑠さんのミッションがないなら買い物に行こう。食材の。外食ばかりでは身体に悪いし、仕方ない。料理を作ろう。

 出来るなら帰ってきた笹野さんにも作ってあげよう。一緒に住んでいるのに寂しいではないか。

 なんて……家族にもそんなことを思ったことがないのに、気持ち悪い。

 多分、他人だからこその気遣いだろう。世話になっているのだし。

 問題なのは、料理が出来ないということ。白瑠さんに毒味してもらおう。あわよくばその毒の効果で大人しくなってほしい。

 そうと決まれば行動だ。

 起きた白瑠さんと朝食を済ませてから、買い物に行くと言えばついてきた。

 バイクを断り、徒歩でスーパーへ。

 お菓子を大量に注ぎ込まれたが、まぁ気にしないでおこう。

 お会計は当然のことのように白瑠さんが出した。


「椿ちゃんが料理かぁー何つくってくれるのぉかなぁあ」

「期待しないでください。料理は出来ません」

「じゃあなんで作るの?」

「外食ばかりだと身体に悪いからです」


「あたしの料理の方が身体に悪いと思いますが」と小さく呟く。


「何を作る気なの? お肉やお魚やお野菜ちょこちょこ買ったみたいだけど」


 持ったビニール袋を見る白瑠さんは懲りずに訊いた。あたしに訊かれても。


「魚なら焼くだけでいいから……あとはなるように……」

「あははっ! 何そのアバウト!」


 ケタケタと笑い上げた白瑠さんに心の奥で、覚えてろよ後悔させてやると呟いた。


「あー、パソコンってあります?」

「パソコン?」


 ああ! と白瑠さんは笑って頷いた。



 笹野さんの家に戻るなり、白瑠さんは笹野さんの部屋に入っていき、ノートパソコンを持ってテーブルについた。


「いいんですか? 笹野さんのパソコンを勝手に借りて」

「いーと思うよ、ファイルとかいじんなきゃ。使うのはネットでしょ?」


 無断で使うのは気が引けたが確かにファイルをいじらなければ大丈夫だろう。

 座ってネット検索をした。

 簡単な料理のレシピを探す。横からリクエストが聞こえるが総無視。何が七面鳥の丸焼きだ。

 サラダならなんとかなる。

 あとは主役のおかず。というか大問題のおかずだ。

 とことこと白瑠さんは冷蔵庫を確認してある材料を読み上げてくれた。


「肉じゃが! 肉じゃががいい〜! ねーっ! つーちゃん!」


 結局、白瑠さんのリクエストにすることにした。

 昼は食パンがあった為、フレンチトーストを作って白瑠さんに出した。

 散々料理が苦手と言ったのに、白瑠さんは躊躇いなく食べてしまう。チャレンジャーなのか、バカなのか。


「んーっ! いいねっ! つばちゃん上手じゃんっ! 美味しいよ!」


 むしゃむしゃと一枚を食べたあとに、白瑠さんは元気よくそう言った。

 あたしは誰かの為に料理はつくらないから、寧ろつくれないから、そうやって褒められると顔を伏せてしまう。

 不意打ちだ。

 ちょっと嬉しいぞ。毒を盛るとか企んですみません。


「ありがと……ございます」

「んーんっ! 美味しい! 明日もフレンチにしてよ! んひゃあっ夕飯が楽しみだにゃ」


 ゴロゴロと喉を鳴らしそうな白瑠さんはまた一枚と食べた。

 あたしも食べる。

 うん。奇跡の成功だ。

 ランチを食べ終わったあとは、白瑠さんの武器講座を受けた。いかにこの武器で大ダメージを与えることができるか。

 感想は、面白かった。参考になった。

 夕食。三人分の肉じゃがを作ったのだが、自信は。あえて言わない。

感想は他人から訊こう。


「…………」

「………………」

「…………」

「………………」


 沈黙。すごい。白瑠さんが大人しい。毒で大人しくなったよ。さっきまで仔犬みたいにキャンキャン煩かった白瑠さんが大人しいぞ。深夜まで構ってと煩かった白瑠さんが大人しい。うん仕返しはできた。


「……すみません……」


 とりあえず謝罪だ。

 何をどう間違ってこの味になったのかは知っている。材料全て適当に入れたあたしが間違ってました。

 全て適当の結果、肉じゃが? と首を傾げたくなるような味になった。つまりは微妙。

 不味くはないが美味しくもない。どちらかと言えば不味い分類。あたしの失敗作。

 なんでも平らげてしまいそうな白瑠さんさえ、一口で止まっている。

 どうしよう。

 あたしは代わりに出すものを考えた。

 すると直ぐに白瑠さんが二口目を食べた。三口目とがむがむ食べ始めた。


「え、白瑠さん!? 無理して食べなくてもいいですよ、他の物を……」

「駄目だよ。せっかく椿ちゃんが作った料理だもん! 食べれるから!」


 にこっとした笑みのまま器に盛った肉じゃがを平らげた。


「作ってくれた料理を食べなきゃ! つーちゃん、ありがとう」

「……」


 礼を言われる程ではないのに。調子が狂うな、と唇を尖らせる。


「毎日食べるから、作ってね!」


 そう言って残りも食べてしまう。全くこの人は……。

 あたしは小さく「はい」と頷いてから、食べた。



 翌日も笹野さんとは会うことはなかった。本当に帰って来ているのか疑問に思うが朝食が置いてあると言うことは帰って来ているのだろう。

 今日は焼き魚。それを見下ろしてから、興味本意であたしは笹野さんの部屋に入った。ノックしたから別にいいだろう。許可はとっていないのだからどのみち不法侵入だけれど。

 ベッドは左側に置かれている。シンプルな机に昨日使ったノートパソコンがある。医療関係の本が並んであり、整っている。机の隣には、棚があった。棚の上には写真立て。


「だぁーめだよぉー、勝手に入っちゃ」


 それを視認する前に、白瑠さんの声が後ろから掛けられて震え上がる。


「え、いや……パソコンを借りに」


 後ろを振り返れば、白瑠さんは眠そうに欠伸を漏らしてドアに寄りかかっていた。

 あたしはすぐにパソコンに手を伸ばす。誤魔化しは通じなさそうだが。

「ふわわあっ」と白瑠さんは大欠伸をしただけで何も言わなかった。

 朝食を食べ、午前は武器講座を受け、ランチを作り食べて、夕食に向けて対談。

「ここは無難に──」と何度も白瑠さんがリクエストしたが、あたしが食べたくないと言う理由で却下する。

 しかしよく考えると食べたい料理がなかった。のでリクエストの一つにあったチャーハンを作ることにした。

 その結果は昨夜同様。

 沈黙。


「……」

「……」

「……何でだろうね」

「…………」


 何でかなんてわかりきってます。

 あたしがアバウトだからです。

 指定された量をきっちりと計るなんて、O型であるあたしには苦痛のことであるのだ。

 全ての原因はこの性分にある。

 最早ちゃんと料理をする気があるのかないのか。定かではない。


「んー! でもこの春巻きは美味しいよ! 美味い美味い!」

「……これはまぁ、食べれますね」


 無理しながら失敗作を食べていたが、白瑠さんの褒めた品に手を伸ばす。


「あたしの家庭での春巻きです」


 これを春巻きと呼んでいいのかは知らないが。

 ひき肉にみじん切りにしたニンニク、人参、玉ねぎ、それから塩コショウ、味の素を混ぜたものを春巻きの皮で巻いて細い棒状になったそれを揚げる。それだけ。

 好みでケチャップをつけたりする。

 それを白瑠さんは気に入って次々と平らげた。

 奇跡が起きました。


「うわーっ!? ちょ、白瑠さん! 全部食べないでください!」

「えー?」


 遅かった。気付くのが遅かった。

 最後の春巻きは、ゴクリと白瑠さんの胃袋にいってしまう。

 おい、こらっ!


「笹野さんの分ー……」

「ん……まぁいいじゃん? ひき肉はあるし」

「同じ奇跡が起こせるとでも?」


 あたしは白瑠さんを睨みつけた。

 白瑠さんはただ笑い退けるだけ。

 大体、この人突っ込めよ。

 適量に材料をぶっ込むのを突っ込めよ。そして注意したまえ。 その夜は最悪だった。

 上機嫌な白瑠さんがまたもや、深夜に抜き打ちテストを仕掛けてきたのだ。

 今度ばかりはキレて、蹴り飛ばし怒鳴り散らして追い出した。

 入ろうとする度にナイフを投げつけた。その内、諦めたのか静かになってあたしはそこから気を失ったかのように眠りに落ちた。

 起きた時、何故ドアにナイフが突き刺さっているのか、真剣に考えてしまった。

 そうだ夜這いだ。

 あ。違う、夜襲の抜き打ちテストだ。

 ぶちギレて、白瑠さんを蹴り飛ばして追い出したのか。

 溜め息を吐き、あたしは支度をした。確か今日は直々に武器を持ち、相手してくれると言っていたはずだ。

 だが、しかし。

 白瑠さんは口をきいてくれなかった。まるで、というよりそのまんまだ。ソファの隅で膝を抱えて拗ねている子どもが一名。

 あたしは何したのだろうか。ただ深夜に女の子の寝室に入り、睡眠を妨害したから追い出しただけだろう。

あたしは悪くない。

 ナイフを投げたが、当たっていないのだから、悪くないはずだ。

 あたしは悪くない!

 暫く、あたしも白瑠さんの存在を無視していたのだが、子どもの態度にムキになっても仕方ない。諦めて話し掛けた。


「白瑠さん。お昼ご飯にしましょう」


 肩を叩いて声をかける。

 白瑠さんはしぶしぶといった感じで振り向き、テーブルにつく。膨れっ面をしたまま。

 まるで小学生の弟を相手しているようだった。


「ラーメン!? フレンチは!? フレンチがいいっ!!」

「食パンがないんですよ……」


 バッタバッタ、と机を叩いた白瑠さんが駄々をこねる。

 実はあたしは、笹野さんに白瑠さんの子守りを押し付けられたのかもしれない。

 駄々をこねた白瑠さんはあたしが作ったインスタントラーメンを口にした途端「絶品っ!」と絶賛してご機嫌になった。

 毒のせいでとうとう味覚が狂ったらしい。インスタントラーメンは適量にすることが出来ないから、失敗しないから故なのか。

 食べた後にご機嫌な白瑠さんが「食後の運動をしよう」と言い出した。

 互いにサーベルを持ち、いざ食後の運動。


「いやいや。待った。白瑠さん。食後の運動ならもっと……軽いのにしません?」

「軽いよちょーかるい」


 もっと常識的な食後の運動をしようと言いたかったが、裏現実者に常識的なものなんてないだろう。

 こいつ悪魔だ。

 絶対恨みを今晴らす気だ。

 カキンッとサーベルが混じりあった。白瑠さんが突いてきた為、下がる。

 サーベルは突くだけの剣かと思っていたが、切れるそうだ。

 こんな慣れないリーチで何するんだ。


「ちょ、白、るさ……ん!」

「ほらほらー反撃しなよー」

「ちょ、仕返しでしょ!? 昨日ナイフ投げた!」


 どんどん突いてきて攻める白瑠さんのサーベルを、なんとか弾きつつ後退ると壁。

 素早く廊下に向かう。

 白瑠さんは器用に壁に穴をあけなかった。すげぇ。

 このまま廊下を行けば玄関を出なくちゃ行けなくなる。広い場所で反撃。

 そう思考が行きつき、あたしは目にはいったドアを蹴り開けた。


「ナイフを投げたことは怒ってないよー!」

「ん、きゃ!?」


 まずった。

 白瑠さんにばかり気を配っていて、後ろのベッドに気付かなかった。

 脚をとられ、ベッドにダイブ。


「君、昨夜(きのう)なんて言ったか覚えてないでしょー?」


 白瑠さんは何の躊躇いもなくあたしの上に跨がった。サーベルの刃はあたしが動かないよう首に当てる。

 おっと……殺される?


「君はねぇー“うぜぇんだよてめっ! 変態! 寝かせろや! このクソ餓鬼!! 串刺しにしてやんぞ!”って言って俺を追い出したんだよ」


 あたしの真似だろうか、口調を変えて昨夜あたしが言ったであろう言葉を口にした。

 覚えてません。


「おっかしぃよねぇ、俺、君より歳上なのにぃ」

「すみません、ブチキレて、記憶にございません。餓鬼とか言ってすみません」

「それだけ?」

「串刺しなんて出来ませんすみません」

「違う違うちがぁう」


 のろい口調で白瑠さんは首を振り、顔を近付けた。他に何を謝るんだろうか。

 きょとんとしていれば、白瑠さんは言った。


「変態だよ、変態!」


 …………。

 謝るべきなのだろうか。


「俺、ただ添い寝したいって言っただけじゃあん?それを変態だなんて心外だぁ!」


 演技じみた風に白瑠さんがやれやれと肩を落とす。


「いや……えーと、すみません」

「変態? あれかなぁ、つーばきちゃんは、俺に犯されるとか思っちゃってるわけ?」


 あたしの謝罪を無視して白瑠さんはニヤニヤと笑みを浮かべた。

 え?

 なんだろう。

 この妙な危険な状況。


「んひゃひゃひゃひゃっ」


 この笑い方は、絶対によくない。非常によくない。この体勢でそれはよくない。


「え、と……」

「犯してあげようかぁ?」

「っ!!!?」


 頬に白瑠さんの長い舌が這った。ビクリと震え上がる。

 何考えてるんだコイツ!?


「ちょ、ちょっ白瑠さん!?」

「んー。可愛い反応、そそるねぇ」


 ぞわわっ。


「白瑠さんっちょ、あたし未成年ですよ!? 犯罪ですよ!?」


 おっと、やってしまった。

 ついに犯罪と言う言葉を使ってしまった。大量殺戮者に犯罪するな等、戯言だ。


「んひゃあ? 強姦はまだやったことなかったなぁんひゃひゃひゃっ」


 火に油。


「白瑠さん白瑠さん白瑠さんまじで勘弁してくだうひゃい!?」


 じたばたしたらサーベルが頬の皮を切った。それだけならまだしもその傷を白瑠さんが舐めたのだ。舐めたと言うより、吸った。

 だめだ。

 こんな経験ない為、対処法がわからない。

 強姦なんて……。え? 経験ないよね? あたしだけか?

 まだ秀介の方が可愛い。

 いや、まじで秀介は可愛かったが。唇を奪うなんて可愛いもんだ。

 この目の前の子どもガキなんて、操まで奪おうとしているのだから。

 サーベルを持っていない手であちらこちらを触りまくる。

 サーベルを持ってあたしのサーベルを持つ手を押さえ込んでいる。故に互いに使えるのは片手。

 しかし、あたしの片手ごときが白瑠さんに敵うわけない。


「っ……!」


 白瑠さんの唇は今度、あたしの耳をもてあそんでいる。

 擽ったくって気持ち悪くてなんだか。なんだか……変な気を起こしそうだ。

 とりあえずヤバい。

 あたしの理性が。


「ふふ……耳、性感帯」


 何故秀介とこの人はわかるんだ。


「他にどこが性感帯なのかなぁ?」


 しかも同じことしてるよ。

 耳元で喋りながら服の中に手を入れてくる。

 もう限界だ。


「あはははっ、つばちゃん可愛いなぁ、真っ赤」


 真っ赤にもなるわ。

 蒸気が出るくらい顔は熱い。赤くなったであろう頬をまた舐める白瑠さん。


「白瑠さん、あたしに手を出したら笹野さんに泣きつきます。笹野さんが何もしてくれなかったら、出ていきます。料理ももうやりません」


 ピタリ。

 利いたのか、白瑠さんは手を止めて目を丸めた。手はかなり際どいところにある。

 暫くして白瑠さんは起き上がって腕を退ける。

 その顔が残念そうなのは無視だ。


「……ちょっとだけ」

「だめだ」


 何がちょっとだけだ。

 ちょっとってどこら辺だ? いや、別に好奇心なんて微塵もないぞ。これっぽっちも。

 本当に残念そうに白瑠さんはあたしの上から退いた。ぷくーと頬を膨らませてる。


「……添い寝は?」

「襲われた相手に許可すると思ってるんですか」


 起き上がって乱れた服を直す。直すと言ってもズボンとワンピースだけなので大して乱れてない。

 白瑠さんは落ち込んだ。落ち込んだと表現していいのかはわからないが黙り込んだ。


「あ、えーと……今日のご飯は何がいいですか?」


 そう言えば、白瑠さんはパァと輝いた顔で振り返った。


「ハンバーグがいいーっ!」


 子どもだこの人。

 真剣に、そう思った。




 白瑠さんのリクエスト通り、無難にハンバーグを作った。添える野菜も忘れない。じゃがバターも作ったがコイツは失敗した。

 それでも食えると白瑠さんは平らげた。

 笹野さんの分はラップをして白瑠さんの手が届かない場所へと置いといたので大丈夫。


「んひゃあー!美味しいー」


 絶対この人今までろくなものを食べてこなかったに違いない。

 絶賛する白瑠さんは信用しないようにしよう。あたしの味覚も信用できないから笹野さんには毒味をしてもらわなくては。

 ごめん、笹野さん。

 そう呟きながらあたしは白瑠さんが寝室にこもったあとに笹野さんの夕飯の支度をした。

 そう言えば笹野さんはいつも何時に帰宅しているのだろうか。病院からここじゃあ車で二時間かかるらしいが。

 壁に秒針を進ませるシンプルな時計を眺めながら考えた。

 チクタク、時計の音しか聴こえない。

 チクタク。

 チクタク。

 チクタク。

 チクタク。

 チクタク。

 チクタク。



 いつしか、他の音が聴こえてきた。

 それで目を覚ました。

 どうやら寝てしまったらしい。

 うっすらと目を開くと、部屋は光りに照らされている。もう朝のようだ。

 カチャカチャと振動まで伝わる音はすぐ近く。コーヒーのいい匂いがする

 テーブルに腕を乗せて眠っていた。肩には毛布がかけられている。

 あたしは肩の毛布を掴んで顔を上げた。

 目の前には、数日ぶりの笹野さんがいた。

 ノートパソコンを開いて、片手に持ったコーヒーカップを口元に運び飲んだ。

 カチャカチャとした音の正体はキーボードだった。

 あの気品のある微笑であたしを見た。


「おはようございます、椿さん」

「……おはようございます、笹野さん……」


 視線を落とすとテーブルの上には、別の料理が並んでいた。朝食だ。

 ハンバーグは見当たらない。


「ハンバーグ。美味しかったですよ。料理、出来るじゃないですか」

「……あれは……偶然上手くいったんです」


 丁寧な口調で言われて、照れくさくなり髪をいじって顔を伏せる。

 ちゃんと食べてくれたらしい。

 椅子に背中を預けて、時計を見上げた。9時だ。いつもなら笹野さんが出勤している時間。


「お仕事は?」

「休みですよ」


 なんだ……と落胆する。

 てっきりもっと会えないとばかり思っていたのに。


「寝たのですか?」

「はい?」

「白瑠と、寝たのですか?」


 笹野さんの唐突の質問に固まる。

 60人の人間を殺してあれだが、あたしは。純粋です。下ネタを男と盛り上がって話せるゲス女ではありません。


「この前一緒のベッドで寝てましたよね」

「起こしてくださいよ……。眠気に負けて添い寝を許しただけです。何もされてません。……昨日は犯されかけました」


 最後の部分を聞いて笹野さんは吹き出した。口元に拳を当て笑った姿は、大人の魅力とやつが出ている。笑われてるが悪い気はしない。


「白瑠も男ですからねぇ? 許してあげてください、ふふっ」

「ヤられてたら許しませんよ。侵入した上にヒトの睡眠妨害したので追い出したら拗ねて押し倒されました、どうにかしてください」

「へぇ? その気になった白瑠をどうやって止めたのですか?」


 うん。軽くスルーされたぞ後半の台詞。


「笹野さんに泣きつくと」

「それは残念」


 何が。


「でもそれで白瑠がやめるとは思いませんね」

「味覚が可笑しくなったらしくあたしの駄目作の料理を作らないと言ったらやめてくれました」


 笹野さんはクスクスと笑った。

 器用にあたしと喋りながら、笹野さんはパソコンのキーボードを叩いていく。


「あ、笹野さん。パソコンお借りしました、ありがとうございます」


 お礼がまだだった。

 あたしが礼を言うと笹野さんは「いいえ」と微笑んで首を振った。

 一体今なにやっているかを訊くと、笹野さんは手を止めコーヒーを飲んだ。


「有給休暇を取ったので、裏の仕事を探しているところです」

「裏?」


 目を丸めて首を傾げる。

 裏。では殺しの仕事か。

 笹野さんはちまちま仕事を探してやっていると白瑠さんは言っていたな。


「今夜、白瑠は貴女を連れて出掛けると思いますよ。仕事が入ったらしいですから」

「え?」


 それは初耳だ。

 なんで白瑠さんとずっといたあたしは知らないんだろうか。


「笹野さんは別の仕事を?」

「ええ。そうですよ」

「見てもいいですか?」

「どうぞ」


 笹野さんの許可を貰ってから、立ち上がり背中に回った。笹野さんの肩越しから見えたパソコンの画面は何処かのサイトを開いていた。

 背景は黒でオカルトサイトみたいなデザインのサイト。


「ネットなんかで仕事を探すんですか? 所謂、裏サイト? 大丈夫なんですか?」

「はい。他の人間にはアクセスできませんよ。知り合いのハッカーが守っていますからね」


 なるほど。裏サイトは犯罪目的に依頼などが書き込まれて以前ニュースでも騒がれていたやつだ。

 こちらは裏は裏でも裏現実サイトらしい。

「知り合い、よりも友人ですかねぇ」と笹野さんは付け加えた。


「へー? ハッカーも裏現実にいるんだ……。その友人を通じて仕事を見付けるんですか?」

「ええ、名の売れない殺し屋はこれか、自ら交渉に行くしかないのです」


 名の売れない殺し屋。

 笹野さんが?

 鬼と恐れられる秀介を相手に時間稼ぎをしたのなら、十分手練れだと思っていたのに。


「こーきくんはぁ名を売る気ないからねぇ」


 眠そうな白瑠さんの声。

 大欠伸をしながら白瑠さんが、あたしの座っていた椅子に腰を下ろした。

 名を売る気がないから、笹野さんはネットから仕事を探す。

 対しての白瑠さんは有名らしい。まぁ表側の刑事達が知ってるくらい派手にやっているから当然か。


「頭蓋破壊屋で有名な白瑠さんは向こうから仕事がくるってわけですか?」

「そーゆーことぉー」

「腕利きの方が確実に遂行してくれる、成功確率は高い方がいいでしょう?」


 ふむ。

 何よりもプロの方が安心だ。

 笹野さんに相槌を打っていれば、パソコンの画面が変わった。どうやら仕事が決まったらしい。

 住所が見えたが白瑠さんが口を開いたため、視線を向ける。


「今夜はねぇー仕事依頼したいって言うぅーヤクザのとこに行くからね」

「……ヤクザですか」


 なんか嫌な響きだ。


「大丈夫大丈夫っ。ただのヤクザだよーお? 裏現実に足突っ込んでる」


 何が大丈夫なのだろうか。

 全く謎だ。あたしはまだまだ平凡人の模様。


「出向くんですか? 危なっかしいですね」

「まー、その分信用は厚くなるはずですよ。少なくてもネットよりは」


 笹野さんはあたしを振り返ってそう答えた。

 白瑠さんは白瑠さんで朝食を食べ始めている。自由人め。

 あたしも食べようと笹野さんの隣に腰を下ろす。

 そんなあたしの行動が意外といわんばかりに目を丸める白瑠さん。

 え? なにか?


「残念でしたね、白瑠。椿さんを抱けなくて」

「ぶふっ!!」

「ぎゃーっ!!」


 笹野さんが然り気無く言ったら、白瑠さんは口に入れたものを吹き出した。


「もぉ、やだなぁ幸樹。食事中だよ」

「食事中に吹いてる貴方に言われたくないですよ、白瑠」


 ご飯粒をパソコンから退ける笹野さんがやれやれと肩を竦める。

 汚いな!


「いきなり未成年に欲情して、どうしたんだい?」

「えー? そりゃあ、つばちゃんが可愛いからぁ。押し倒したらつい」


 にまっ、と白瑠さんはあたしに向けて笑いかける。…寒気が。


「おやおや。それはそれは。秀介君が聞いたらどんな反応するのでしょうか?」


 笹野さんはあたしに目を向けて、意地悪に笑った。だからもう秀介は忘れてくれ。


「なんならナースの制服を持ってきてあげましょうか? 似合いそうですよね」

「うわぁ! いいねぇそれっすごくそそるよ!」

「私もまぜていただきましょうか」

「ちょっと! やめてくださいよ! 冗談は! 食事中ですよ!」


 完全に食欲が失せた。

 二人してとてつもないことを話すから食えやしない。

 白瑠さんが乗り気なのが恐ろしい。


「無理矢理なんてしたら出ていっちゃいますよ」

「えー? つばちゃんったら、真っ赤になると凄い可愛くて食べちゃいたくなるんだよー? 誰だって押し倒したくなるよぉ」

「真っ赤になって欲情する男は、最近出会った貴方ともう一人だけですよ。因みにもう一人の名前は教えません」


 キッパリとあたしは吐き捨てる。

 異性に抱きつかれたことは……まぁ、あるとして。唇を奪われたり押し倒されたりは、初めてだ。すみませんね!

 真っ赤になると可愛いとからかわれたのは山ほどあるがな!


「そぉーなのぉ? 最近の若者の好みはわかんないねぇ」

「白瑠さんだってまだ若いじゃないですか……」


 オッサンみたいなことを言わないでほしい。うん。

 午前は笹野さん達と他愛もないことを話した。多分世間話。

 途中から裏現実の世間話が出て、ちょっと困った。


「なにやら集団がかき集められてるそうですね。一体何が目的なのでしょう」

「さーねぇ。でも名の知れた殺し屋ばっかだから、暗殺部隊みたいなもんとかかなぁ?」


 何やら裏現実で妙な動きをしているらしい。それも名の知れた殺し屋ばかりが集まって何かを企んでいるとか。


「手を組んで仕事とか珍しいんですか?」


 ジュースを注いだコップを渡して、あたしは会話に入った。


「珍しくはないよ。でも一人の方が報酬は多いからね、仲間割れも生じる。そんなリスクを負うぐらいなら一人でやるのが殆どだよ」


 珍しく真面目な口調で白瑠さんは答えて、ポテトチップスの袋を開ける。


「問題は数だな、五人以上の腕利きな殺し屋が集まるのは驚きだ。どうやらそいつらは何だかチームを作ってるみたいなんだよ。近い内に虐殺が起こりそうだねぇ」

「大金持ちが確実に成功してほしくて集めたって可能性は?」

「可笑しいのは依頼者がいない(、、、、、、、)、と言うことなんですよ。依頼者がわからないのは珍しくないのですが、どの情報屋も依頼者の存在が掴めていない」


 笹野さんは強調して言った。「まるで、ではなく依頼者はいない」と。

 これはただ事ではないようだ。


「何かまずいんですか?」

「それはそいつらの出方次第さ。油断ならない奴が一人、コイツがきっとリーダーだな。俺とは仲が悪い奴でねぇ、もしかしたら俺に喧嘩売るかもしれない」


 あくまで一つの可能性だ、と白瑠さんは言った。その雰囲気はただならぬ感じ。

 仲が悪く油断できない奴が、殺し屋を集めているのならかなりまずいのでは。

 あたしが苦い顔をすると笹野さんは優しく笑いかけた。


「大丈夫ですよ、彼はそんな冷酷ではありません。私や貴女には被害がこないと思います。喧嘩を売るなら、白瑠だけ被害を受けるでしょう」

「あーよかった」

「ちょっと、二人が冷酷だよぉ」


 おどけたように言ったが、白瑠さんは無表情。ポテトチップスをパリパリ食べていく。


「違う可能性は?」

「単なる暇潰し」


 は?

 暇潰しだと?

 まだ白瑠さんに喧嘩売るの方がましだ。実力なんて知らないが、白瑠さんに喧嘩売るとなればそれ相応それ以上の力をつけるはずだから凄いはず。

 それが、暇潰しなんて。意味がわからん。


「あとは大量殺戮とか? 大物と対決するとか? まぁ可能性なんて無限にあるさ。大半は暇潰しだろうね、あいつの考えはそんな感じだよ」


 やれやれと白瑠さんは演技じみた風に手を振り、ポテトチップスを全て平らげた。わお。一人でもう食べちゃったよ。


「つまりは何か事を起こしてくれないと彼らの目的がわからないってことですね」

「そーゆうこと。まぁ、椿ちゃんは心配しなくていいんだよ」

「わかってますよ」


 あたしは別のポテトチップスを開けて食べた。


「その人ってどんな人なんですか?」


 関わることなんてないと思ったが興味本意で訊いてみた。

 白瑠さんと睨み合うような人間なんていないと思っていたもの。一体どんな奇人なのだろうか。


「アイツ? アイツぁねぇ……食えない奴だよ。気持ち悪いねぇ、ニヤニヤしながら真っ赤になるんだ。何考えてるかわかんない奴だよ!」


 真っ赤になる以外、白瑠さんが当てはまるのは気のせいだろうか。


「俺に何て言ったと思う? “お前のその人間の頭を粉砕する手は自分に使えるのか”って! バッカだよねぇ! アイツ相当イカれてんだよ!」

「因みに自分に使えるんですか?」


 訊いたら白瑠さんに冷たい目を向けられた。怒ってる。

 とりあえず謝罪して、ポテトチップスを差し出した。白瑠さんは受け取り、バリバリと食べた。


「何度か彼は白瑠と獲物を取り合った仲なのですよ。白瑠を怒らせる才能の持ち主なんです」

「それはそれは……貴重な逸材ですね」

「でしょう?」


 笹野さんは愉快そうに笑った。あたしは白瑠さんの冷たい目から避けて、笹野さんの影に隠れる。

 白瑠さんを怒らせる珍しい存在か。会ってみたい。

 でも逆撫でされるのは、勘弁してほしいものだ。

 名前も知らない彼のことはひねくれた策略家、とあたしの頭の中にインプットされた。


 ランチまで白瑠さんは不機嫌だったがフレンチトーストを出せば機嫌を直してくれた。

 うん。単純だ。

 笹野さんもいつもの調子で褒めてくれた。笹野さんが言うなら、出来栄えは上々だな。

 午後は仕事にいく準備をした。

 服装はまた白瑠さんの服だ。身体中にナイフを仕込む。ブーツの中にも底にもダガーナイフ。

 勿論、あのベルトもつける。腕にもホルダーをつけてナイフを装着。これなら大丈夫そう。


「腕は動かせるね?」

「はい。問題ないです」


 完全武装。なんだか兵士になった気分だ。

 パーカーを着れば武装は隠れた。パーカーは凄いな。マシンガンを入れててもバレなさそうだ。

 髪を束ねて、その中に針を入れられた。ピッキングに使うそうだ。念入りだな。


「様になりますね。はい」


 笹野さんがあたしに帽子を差し出す。女の子の帽子だ。妹さんの物だろうか。

 そんな物を仕事に使っていいのか。

 笹野さんの顔を伺っていれば微笑んで無理矢理被らされた。


「じゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい。生きて戻ってきてくださいね」


 笹野さんはそう明るく笑ってあたし達を見送った。

 死ぬかなぁ。

 なんて現実逃避しつつもあたしはバイクの後ろに乗った。

 またもやノーヘル。次は無理言ってでもヘルメットを買ってもらおう。

 エンジン音を轟かせ、白いバイクが風を切る。

 数時間と飽きるほど走ったあと、目的地についたらしい。

 空はもう真っ黒だ。

 バイクを降りれば、一つのビルの前にへと白瑠さんは歩む。

 ビルの入り口にはスーツに身を包んだ男が二人。銃を隠し持っていそうな顔だ。


「頭蓋破壊屋だよ」


 その一言を言えば中に入ることを許された。非常に中に入りたくなかったが、白瑠さんに手招きされては入るしかない。

 通された部屋には、スーツの男達が十人はいるだろうか。高そうな黒皮のソファが二つ。部屋の奥には男達が囲む机があった。

 その机の前にいるのが恐らくお偉い人だろう。


「君が頭蓋破壊屋かね?」

「うん。君が毅春風組の組長でいいのかな」


 白瑠さんに声をかけたのは、依頼者である毅春風組の組長。

 黒い着物を身に付けた中年の男性。顔の右頬には唇にかけて切り傷があった。

 その組長は頷いてから、あたしに目を向ける。

 白瑠さんは何も言われていないのに、ソファにどっかり座ってあたしを引っ張り座らせた。


「そのお連れは?」

「俺の相棒さ」

「相棒……ね」


 じろじろ見られたが、あたしは口を開かない。喋らなくていいと言われている。

 笹野さんにも喋らない方がいいと言ったのだ。

 帽子を深く被っているから女だとバレていない。バレたら、からかわれるだろう。

 恐らく組長はこんなチビで若そうなガキが頭蓋破壊屋の相棒とは。とかなんとか思っているのだろう。

 相棒ではない気がする。


「仕事はなんだい? 毅春風組の組長さん」


 白瑠さんが本題に話を持って言った。

 組長は顎で指示して部下の一人でソファの前にあるテーブルに写真を置いた。


「雲山華組の組長だ。そいつを消してもらいたい」

「ふぅん? 組同士の争いか。彼だけでいいだね?」


 白瑠さんは写真を手にして見たら、あたしに渡してきた。写真にはまだ髪が黒い中年男性。隠し撮られたものだ。ヤクザ同士の抗争らしい。


「彼を殺してくれればいい」


 毅春風組の組長は、そう一言頷いた。

 可笑しいな。白瑠さんはあたしの為に一般人の殺しの依頼を探していたのではないのか? 変だなぁ。


「りょーかぁい。じゃあ明日にでも始末するよ」

「それがな。どうも問題が起きてしまったのだよ」

「問題?」


 組長が「つれてこい」と言えば、拘束された男が部屋に入れられた。

 酷く怯えた彼は暴行されたのか傷だらけだ。


「彼は雲山華組に寝返ったんだ。裏切りおって、殺しを頼んだことをチクったのだよ」

「それはぁ、問題だねぇ? 隠れられる前に見付けて片付けなきゃだ。今すぐ片付けにいくよ」


 つまりは警戒している。なんとも殺りづらい状況の上に身を隠されては遂行が困難。

 急げ、と言うわけか。

 白瑠さんが立ち上がると組長は言った。


「裏切りはどうしても許せなくてねぇ……。金は出すから、そやつを今ここで殺してくれぬか? 君が本当に頭蓋破壊屋かどうかを知りたい」


 裏切りが出た。

 だから白瑠さんのことも疑っている。

 この部屋に脳みそをばらまけなんて言うとは。やめた方がいい。しかし口を開く気がない為、言わない。


「んひゃあ? わかったよ」


 白瑠さんは軽く笑って、その裏切り者の前へと歩み寄った。

 ガクガクと震える男が見開いた目から涙を落とす。


「助けてくれっ!! 死にたくないっ!! 頼むっ……! 許してくださいっ組長ぉっ!!!」


 情けないほど声を上げた。まるで悲鳴だ。

 誰もがそんな悲鳴を聞き流す。

 白瑠さんは縛られた彼の首を掴み上げて立たせた。


「ばぁいばぁーい」

「っひぃい!!!!」


 一瞬で終わった。

 男の頭は破壊され、爆発したかのように残骸は壁に貼り付く。

 部下である男達に動揺が走る。たじろぎ。青ざめ。吐く者もいた。恐怖で震える者もいる。

 一人だけ。動じていない者がいた。

 組長だ。

 頭の残骸が貼り付いた壁を満足そうに見てから、あたしを観察するように見た。

 半場呆れたあたしは動じてはいない。それが良かったのか、満足そうに笑みを浮かべた。


「ありがとう。頭蓋破壊屋。では、仕事を頼むよ」

「オッケー。終わったら金を取りに来るから用意しておいてねぇ」


 白瑠さんは手を振り、ドアを開いた。あたしも立ち上がりドアに向かう。

 不意に背後に気配を感じた。

 ポケットに入れていた手を抜き、背後に立つ男の首に当てた。握ったナイフを。

 背後にいた一人の男が凍り付く。片方の手には宙に浮いたまま。もう片方には写真。


「忘れ物だよ。相棒君」


 組長が言った。愉快そうに。

 ただターゲットの写真を渡そうとしただけのようだ。

 あたしは黙ってナイフを下ろし、写真を取って待っている白瑠さんと一緒にその場を後にした。


「すごい組長でしたね」

「ん? 何がぁ?」

「部下は皆貴方にびびってたのに彼だけは笑ってましたよ」


 流石は組長と言ったところか。

 白瑠さんは大して興味がないようで、バイクに跨がった。あたしは写真を見てからポケットに入れて乗り込む。


「徹夜になりますか?」

「帰るまでそうなっちゃうねぇ」


 何だか楽しげな白瑠さんの身体にしがみつけば、バイクは走り出した。

 一時間で辿り着けた。

 深夜だからかなのか、人気がしない街中だ。


「作戦はあるんですか?」

「部下は蹴散らして頭を潰す」


 シンプルな作戦。

 最早作戦ではない。訊いたあたしがバカだった。

 バイクを降りて、歩く白瑠さんの後をついていけば、一台のリムジンが目に入る。

 そこで白瑠さんが止まれの合図で手を上げた。


「あれ?」

「うん。間に合ったみたいだね。俺が部下を引き付けるから、つばちゃんはターゲットだけに集中して」

「あぁ……はい」


 どうやらあたしを援護してこの仕事を成功させるつもりのようだ。

「準備は?」と訊かれ、深呼吸。「大丈夫です」と頷いた。

 ニッと笑った白瑠さんはリムジンに向かって歩き出す。

 あたしもついていく。片手は背中のカルドを握る。もう片方はポケットのナイフを握る。


「こんばんにゃー! 雲山華組の組長はいるかぁい?」


 そう陽気に話し掛けた相手は、リムジンの隣に立つ四人の男。


「なんだ貴様は」

「んん? 俺はねぇ届け物をしに来たんだよ」

「届け物だと?」

「うん。地獄行きチケットをね」


 白瑠さんはそう男に告げて、蹴り飛ばした。


「なんですか今の。ダサいです」

「そーお?」

「てめぇらっ!!」

「殺し屋が来たぞ!!」


 ビルの中にいる仲間に伝えたのか、一人が声を張り上げた。

 その男を白瑠さんは顔面を掴み、粉砕する。

 他の三人がたじろぐ中、頭のない男の懐から銃を抜き取った。


「チャカだぁ」

「こいつっ……!!」


 男達が銃を取り出し、こちらに向けてくる。だが、白瑠さんの方が早かった。

 ドカドカドカッ。

 銃声三発が命中。彼らは倒れた。銃の腕前も中々だ。


「つばちゃん、裏口から行きな」


 白瑠さんはそう指示した。

 言われた通り向かう。

 始まったのか銃声が響いた。

 裏口は無警戒ですんなり入れた。どうやらほぼ表に向かったらしい。

 部下達を白瑠さんが引き付けている間に上にいるであろうターゲットを殺そう。


 上に階段を上がっていく。

 ドアに男達が立っているのを見付けた。あの部屋にいるようだ。

 カルドを取り出す。もう片方にはダガー。

 カウントをして、飛び出す。

 一人にダガーを投げつけ、もう一人を切りつける。

 他の男達が銃を構える前にドアを開き、中に入る。

 鍵をつけて侵入を阻止。

 素早く中にいる人物を確認。

 いた。

 写真の男だ。


「殺し屋め!」


 雲山華組の組長は素早く日本刀を抜いた。

 面白い。日本刀を相手にするのか。思わず笑ってしまった。

 カキンッ。

 日本刀とカルトが交わり弾く。

 一筋縄ではいかないようだ。

 カルドより長い刀を振り、攻めてくる。距離を置きながらカルドで防ぐ。

 ナイフを投げ付けるが避けられた。

 ふむ。一般人相手は激楽だ。

 白瑠さんのように動揺させる技はない。なんとか隙を作り、殺らなければ。

 ドアが蹴り破られるのも時間の問題。

 距離を取り、睨みあう。

 あたしはカルドを握る左腕のホルダーからナイフを取り、構えて向かった。

 左手のカルドを振り下ろす。無論、刀で受け止められた。

 それはわかりきっていたこと。

 もう片方のナイフを、振り上げた。

 惜しい。

 肩を掠めただけだ。


「く、うっ!」

「ぐっ」


 雲山華組の組長に蹴り飛ばされた。窓の下の壁にまで飛ばされる。


「いってぇな……」


 立ち上がると、ドアが蹴り開かれた。

 銃を構えた大男と目が合う。

 素早くあたしはテーブルを踏みつけ、盾にした。

 しかしテーブルごときでは弾を防げず、貫通する。


「ちっ」


 貫通した弾が割った窓から外に出る。弾丸の雨だ。落ちる前に壁にナイフを突き刺し留まる。

 帽子が落ちた。ああ最悪。

 そう長くは持たない。

 直ぐにあの大男が確認で窓を覗いた。腕に力を入れてその大男に蹴りをお見舞いしてやる。

 ナイフを取り、中に戻り倒れた男の首を裂く。銃を掴み、ドアにいる男達に発砲。

 ターゲットがいない。

 ちっ。逃げられた。

 廊下に出た瞬間、先程とは比べ物にならない弾丸の数が飛んできた。腕にナイフがなければ腕はやられていた。

 直ぐに部屋に引っ込む。

 出口は窓しかない。

 残念ながら四階だ。

 白瑠さんのように降りたら足が折られてしまう。

 窓を覗くと手を振る人影が見えた。

 白瑠さんだ。

 あの人あんなところで何しているんだろうと、一時停止する。

 停止している場合ではない。発砲してきて身体が思わず動き、落下。

 幸い、白瑠さんが受け止めてくれた。

 まだ生きてます、笹野さん。


「うひゃっひゃっ、血液はあるかい?」

「ありますあります。組長の首取り損ねました」


 動揺しつつ、頷いて報告。

 白瑠さんはいつもの調子で笑い、あたしに帽子を被らせた。


「らしいねぇ、バイクで追いかけましょーか」

「白瑠さんは表にいたんじゃないんですか……」

「リムジン動かして、裏から行っちゃったんだよぉ」


 なんだその子どもの言い訳のような口調。

 とりあえず降ろしてもらい、追跡する為にバイクを取りに向かうことになった。

 路地から出ようとしたが、白瑠さんにナイフが飛んできて止まる。


「……んぅ?」


 そのナイフを軽く避けて、白瑠さんは振り返った。


「止まりやがれ!! 頭蓋破壊屋!」


 酷く、懐かしく感じる声にあたしも振り返る。

 そこにいたのは、秀介だった。

 黒いジーパンにジャケット姿。

 片手にトライデントを握り、白瑠さんを睨み付けている。


「ありゃりゃあー? しゅーくんじゃん。早いねぇもう骨折治っちゃったの?」

「てめえの足をへし折ってやる!」


 軽い口調で白瑠さんは、秀介に話し掛ける。秀介は変わらず睨み付けた。


「秀介君……」

「! 椿っ!!」


 名前を呼べばあたしだと気付き、秀介は目を丸める。


「椿! 無事か!?」


 その言葉にズキッと胸が痛んだ。


「てんめぇ! クラッチャー! 椿に何の用だ!? さらいやがって!」

「何って。世話してあげてんの。裏現実の新参者だからねぇ」


 白瑠さんは躊躇いもなく、隠そうともせずに答えた。


「あぁ!? てめえ勝手に引き込んだのか!」

「56人殺して裏現実に入らないわけないじゃーん、ひゃひゃっ」

「……」


 ギロリ、と白瑠さんを睨み付ける秀介。

 あたしにチラリと目を向けてから秀介はまた白瑠さんを見た。


「椿を返せ」

「んぅ? やぁーだっ」


 低く言った台詞を、白瑠さんは悪戯な笑顔で断る。


「椿は俺のものだっ!! 返しやがれっクラッチャー!!!」


 ブチキレて秀介は、怒声を張り上げた。

 あたしは顔をひきつらせる。


「えー! つばちゃんはしゅーくんの物なのぉ?」

「違います違います違います! 秀介君! 君の物になった覚えはありません!」

「クラッチャー! てめぇ! 俺の椿を気安く呼んでんじゃねぇ!」

「あたしの声聴こえてる!?」

「椿と俺は付き合ってる!!」

「えー!? 本当!?」

「違います! 付き合ってません! 秀介っ! デマを堂々と言い切るな!」

「椿は俺と付き合うんだろ!? 付き合いたいって言ったじゃん!! 俺達恋人!」

「いっ、言ってないもん!!!」


 三人で声を上げる。

 夜の路地は、異常に響いた。

 何故か勝手に秀介は恋人にしている。言ってないもん。真っ赤になって否定する。


「白瑠さん先に行ってください!」

「え、でも……」

「白瑠さんしかバイク運転できないでしょ! 失敗する気ですか!」


 きつく言えば白瑠さんはしぶしぶと歩き出した。あたしの初仕事が失敗なんて嫌だ。


「待てっ!」


 追おうと踏み出した秀介に、先程飛んできたナイフを投げ返す。

 グサリと秀介の足元に突き刺さった。

 あたしが立ち塞がるのを見て、秀介は眉間にシワを寄せる。まるでこの状況が理解しがたいと言いたげな表情だ。


「椿……」

「仕事中なの」

「……殺し屋かよ。やめろ、こっちにくるんだ椿。間に合う、帰ろう」


 秀介は武器を持っていない手を差し出した。


「帰る場所なんてないよ。帰って刑務所に入れって?」

「椿が犯人だなんてバレてない! 南ちゃん達が帰ってくるのを待ってる!」

「血まみれになったのを忘れて南ちゃん達と笑えって? 無理よ。殺しちゃう」


 あたしが首を振れば、秀介はもう南ちゃん達の名前を出さなくなった。

 あたしはカルドを秀介に向ける。


「構わないで。忘れて。あたしは白瑠さんについていくから。それを許さないのなら」


 許さないのならば。


「あたしを殺して」


 冷たく、吐き捨てた。

 酷いことを言ったかもしれない。いや、言ったんだ。

 好意を抱いてくれて、守ると言ってくれた秀介にこんな仕打ちは、酷い。

 わかっている。

 わかっているからこそだ。あたしのことは忘れるべきなんだ。

 これは秀介の為と言い聞かせて、本当は自分を守る予防線。

 秀介が心配してくれるだけで痛む。優しい人間に想われる罪悪感。劣等感や自己嫌悪に押し潰されたくないから、突き放す。

 やめてくれ。近寄るな。離れてくれ。痛いんだ。

 カランッ。

 トライデントがコンクリートの上に落ちた。秀介は手を差し出したままあたしを見つめる。


「来て」


 そう言った。


「ここに来るだけでいい」


 それだけを言う。

 何を企んでいるんだ。

 その瞳はただあたしが近付くのを待っている。

 見つめて、見据えるように、哀れんだような苦しそうな瞳。

 爆発音が轟いた。白瑠さんが仕留めたのだろうか。


「早く……アイツについていくのは許すから!」


 頼むと秀介は辛そうに言った。

 刹那だけ考えて、秀介の元に歩み寄る。静かに警戒しながら、秀介の元に来た。


「!?」


 ぐいっと引き込まれる。

 思わずカルドを掴む手を振り上げようとしたが、その手首は握り締められ、固定された。もう片方の腕は背中に回され、締め付けられる。

 苦しいくらい、抱き締められた。


「アイツについていくのは……許すから……許すから……。死ぬな! 誰にも殺されるな! それだけは……それだけは許さないからなっ!」


 ギュッと抱き締め、秀介はそう苦しそうに言った。あたしも苦しくなる。

 喉の奥が痛い。胸が痛い。


「俺は……俺が帰る場所になる。だから……死ぬな、椿。椿……好きだ……」


 あたしの頬を両手で押さえ、秀介は真っ直ぐあたしの目を見た。

 やめてくれ。


「好きだ」


 そんなことを、言わないでくれ。

 真っ直ぐな瞳を見れず、顔を伏せる。

 すぐに秀介の唇が重なった。押し付けられ、口付けをされる。

 秀介の温もり。

 変わらない。

 あの病室にいた時と、変わらない。

 あたたかい温もり。

 身を委ねたくなる。

 激しくも優しいぬくもり。


「椿……」


 甘く名前を口にする秀介があたしの弱いところを撫でる。耳を、首を、うなじを。

 思わず声を洩らす。

 秀介はまた、あたしを抱き締め引き寄せる。

 その時、バイクのエンジンが耳に届いて、咄嗟に秀介を押し退けた。

 路地の向こうにバイクに乗った白瑠さんが見えた。

 あたしはそっちに向かって走り出す。


「椿っ!!」


 秀介が追い掛けてくる。

 振り返らずバイクに乗り込むと、直ぐに白瑠さんはアクセルを回して走り出す。


「椿ぃっ!!!」


 秀介の声は、轟くエンジン音によって掻き消されていった。

 耳は風を切る音とエンジン音しか聴こえないはずなのに、秀介の声が幻聴として聴こえた。


 椿。

 死ぬな。

 俺が帰る場所になる。

 椿。

 好きだ。

 好きだ。

 椿。


 彼も。酷いことを。言う。


「あたしを殺して」


 小さく呟いた言葉は風に掻き消された。



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