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裏社会否裏現実。



「………」


 あたしは笑いを堪えていた。笑ってはいけないと理性が言うから堪えていた。

 そう、ニュースを放送している人達は真面目なのだから笑っては悪い。

 例え自分が真っ赤に染め上げた電車殺戮事件が「地獄行きレッドトレイン」と呼ばれてもだ。なんだソレ。C級映画のタイトルにありそうだ。誰だそんなタイトルつけた馬鹿者は。これ見て笑わないのだろうか、視聴者は。

 あたしは初めて自分のニュースを見て、必死に笑いを堪えていた。上空から映し出される電車の窓は赤黒い。大真面目に無惨な現場を説明するキャスターがいるが、その画面の下には赤い字で「地獄行きレッドトレイン」と表示されている。ふざけている、絶対。

 次に最新の情報が放送された。昨夜の出来事。


〔唯一の生存者である“山本椿”さん18歳が、〇〇病院に入院していましたが昨夜、犯人と思われる何者かによって連れ去られました。“山本”さんの護衛をした刑事が一人死亡しました〕


 自分の名前が出て、ピタリととまる。大々的に名前を発表された。誘拐されたと思った今、隠す必要がなくなったから警察が明かしたのだろう。わー有名人だ。なんて心の中で呟いたが苛々してきて顔の筋肉をひきつらせる。目立つのは嫌いだ。名前を出すなと殴り込みしにいこうか。これは半分冗談にしておく。

 チャンネルを回しても「レッドトレイン」のニュースしかやってない。好きなタレントが「酷すぎますよね…早く見つけ出して無事に保護してほしいです」と言った。

 あたしは無事です。そして殺してすみません。好きなタレントに酷いと言われたが、やはり56人を殺したことに罪悪感はわかなかった。

 本当に何でだろう。昔はニュースで殺人がある度、哀れんだ。そして殺人犯を貶した。その殺人犯になった今、変わってしまったのようだ。殺人犯だって、殺したことを後悔するだろう。だけど、あたしは後悔しない殺人犯のようだ。

 ソファの上で足を抱え、またチャンネルを変えていれば、後頭部に笑い声が落ちてきた。


「あ……おはようございます……」

「んにゃあ、おはよう、椿ちゃん」


 振り返れば、頭蓋破壊屋がいた。乱れたままの髪を見て、笑顔を見る。倒れるように、彼はソファを乗り越えて座った。座ると言っても背もたれに足を置いて逆さまの状態。

 この家はどうやら、頭蓋破壊屋の家らしい。一睡したが落ち着けなくテレビを勝手に見させてもらった、と説明して謝った。そんなこと謝る必要ないと笑って、頭蓋破壊屋は逆さのままテレビを見た。


「ゆーめーになったねぇ? 椿ちゃん」

「お陰様で。あの、名前訊いてもいいですか? まさか頭蓋破壊屋って名前じゃないでしょう? あたしは椿です」

「んっ! 名乗ってなかったね! 俺はぁんーとねぇ……白瑠だよぉん」

「はくる……さん?」


 んっ! と首を縦にブンッと振って頷く白瑠さん。喋り方からして可愛い。なんだか人懐こい感じにキュンとしたが、彼が人間の頭蓋骨を粉砕する異常者だと言うことが頭から離れてないからなかったことにする。


「日本人ですか……? てっきり外国から来たから違うかと」


 肌が白いし、顔立ちもちょっと日本人に見えないからそう思ってた。でも日本人のようだ。


「日本人だよぉ、日本育ちだったけど日本の社会が合わないと思ってぇアメリカ行ったんだけどぉ、やっぱり合わなくてそこで殺戮やってぇ殺って殺って殺って殺って、それから日本に戻ってきたんだぁ」


 足をブラブラと振りながら、無邪気な笑顔で白瑠さんは言った。笑顔なのに何故、こんなにもブラックな発言をするのだろうか。きっとシリアスな内容なのだろうが、省いて明るく言い退け笑う。うんそうか、と流すように頷く。


「俺が外国から来たこと、聞いたの? あのぉ……? えぇっと……? あの刑事……んっと……まねっこ……」


 起き上がって唇を人差し指でつつきながら、白瑠さんは何かを思い出そうとした。刑事とまねっこで充分だが、昨日の今日であれだけ弄んでいた佐藤をもう忘れたのか。あたしが教えると「あーそれそれ」と笑った。


「殺した奴は直ぐ忘れちゃうんだよねぇーひゃひゃ。幸樹ちゃんに度々注意されちゃうんだぁ」

「そうですか……。あたしは……とある刑事さんが、海外から追ってきたそうです」


 篠塚さんの名前を口にするのはまずいと思ったが、白瑠は知っていた。


「しーのちゃん? あの子熱心でかぁわいいよねぇうひゃひゃ」


 篠塚さんを可愛いと言って笑う。

 可愛い? 可愛い……? 確かに熱心さが純粋で可愛い、のかな。佐藤より可愛いものだ。生きてる人間の名前を覚えられるみたい。良かったね、篠塚さん。……良いのかな?


「200人殺したって本当?」

「数えてないからわかんない」


 それって多いの? と白瑠は首を傾けた。うん、結論はわからない程殺したようだ。名前も人数も顔すらも忘れるみたい。


「それで……」


 と、口ごもる。


「……生き方を教えるってどうゆうこと?」


 ここに来た理由。彼についてきた理由。生き方を教えると言われたからこそ、ついてきた。最も、連れてこられたの方が正しいのだが。

 白瑠さんは、にんまりと口元を両端つり上げて笑った。頬が押し上げられて目が三日月のような形になる。


「君は殺しがやりたいでしょ」


 直球に少々身構える。


「もう君は殺しを止められない」

「……止められない?」

「うん。今の社会の仕組みが馬鹿らしいと思ってるだろ?」

「……」

「世界なんてくだらないと思うだろ?」

「……」

「なのにその世界に馴染んでる赤の他人がいる。なんかどうでもいいけど殺したくなるだろ?」

「……」

「殺したって、罪悪感はない。快楽だけ感じる。そうだろう?」

「……」

「ぶっちゃけ、ムカつく奴を殺したい。相当思うだろう?」

「……」


 否定できない言葉の雨に、沈黙しか返せなかった。笑うチェシャ猫は、何もかも解ったような目であたしを見据える。


「一歩境界線を踏み越えた君は、もう二度と境界線の向こう側には引き返せない。境界線は君が電車に乗る前と、電車内で殺戮を始めたあの間だよ。覚えてる? 殺戮を始まる前の君は殺しには縁がなかったはずだ。ただただ他人事のように思っていたはず。ニュースにいる殺人犯を貶すこともあっただろう。だけどそれは境界線を踏み込む前の事に過ぎない」


 チラリとテレビに向けた白瑠さん。今流れてるニュースは単なる窃盗事件。プツリとテレビは消された。


「踏み込んだ今は殺人したって、死体を見たって、罪悪感なんてわかない。殺したいだけ殺す。無情に冷酷に残酷に。あっさり死んだ他人はまるで壊れた玩具としか思わなくなるんだ。脆い脆い壊す為の玩具」


 身を乗り出して、顔を近付けて、冷たく笑っていう彼から目を放さなかった。最後まで、黙って聞いた。

 人間は玩具。歪んでいる。彼も、あたしもだ。


「誰もが境界線に立たされる。誰もが踏みとどまる。だけど大抵の人間はカッとなって包丁で刺したり絞め殺したり! 殺った後に後悔してパニック! そいつらはただのバァーカ。俺達は違う。解るだろう?」


 腹に掌が押し込まれ驚いたが、ちゃんと聞いているかを確認しただけのようだ。じっと瞳の奥に問い掛ける白瑠さんは続けた。


「後悔も罪悪感も感じない。これが俺達の“普通”であり“正常”なんだ。ムカつく奴は殺したい。他人だって殺したい。誰でもいいから殺したい。他人に言わせれば“異常者”だとしても俺達はもう、人を殺さずにはいられない。殺さなくちゃ生きていけない。解るだろう? 自分が変わったと。解るだろう? もう、“普通の生活”なんて送れない。境界線を踏み出す前の生活をしたらどうなると思う? 家族も友達も知人も近所も、殺戮の対象だ。表社会の言う“日常”とその馬鹿げた仕組みに身体は心は拒絶する。お分かり? 俺達は殺人鬼、殺戮衝動はいつだって襲いかかる」


 もう、戻れない。

 もう、帰れない。

 境界線の向こうには、二度と引き返せない。殺人鬼、殺戮者、なのだから。まだあるのか、また白瑠さんが口を開いたがあたしの方が早かった。


「解りました」

「……」

「ありがとうございます」

「!」

「解らないことが……わかりました」


 悩み事なんて、あたしはあまり相談しない。それが大きいほど自分で抱え込む性格だ。どうして殺戮衝動が起きるのか、なんて訊くつもりはなかった。だってそれは自分の中の問題だから。他者がどうこうできるわけない。そう思えばもう他言しないのがあたし。

 白瑠さんの言葉で、解った。元の生活は無理だってことも、改めて解った。何故、罪悪感を抱かないことも解った。告げられてよく解った。わからないことを理解できた。そして、白瑠さんも一緒なんだと解った。もう一度、礼を言うと目を丸めた白瑠さんはパチパチと聞こえるくらい瞬きしてから「うん、そっか」と弱々しい声で頷く。


「表社会ってことは……あたしには裏社会を生きる方法を教えてくれるってことですか?」


 “裏社会”と口にするだけでも気が重い。あたし裏社会に生きなきゃいけないのか。裏社会と言えばマフィアだとか悪徳政治家とか暗殺者に殺し屋。殺人鬼ならば、生きやすい“社会”だろう。にんまり、白瑠さんは笑顔を取り戻して口元をつり上げた。


「裏社会? フッフッフッ! そんなものじゃないよっ! 裏社会じゃなくて“裏現実”!!」


 自信満々に、何か威張ったように言われた言葉は聞いたことのない単語。

「うらぁ…現実?」と聞き返す。何でもかんでも裏と付けていいのだろうか。


「夢があっても叶わないうざったいめんどくさい社会が“表現実”! 我慢せずに殺戮をする俺達の世界が“裏現実”!」


 白い歯を剥き出しにして笑う白瑠さんが正直、子どもに見えた。白瑠さんワールドかと思ったが、“表現実”に心が過剰反応した。

「夢があるのに叶わない」一体何人が夢を叶えようと破れたかあたしは知らない。街ですれ違う人々を見て「働いて楽しいのか?」と窶れた顔を見て疑問に思う。別に楽しくて働いているわけではないことは知っている。だけど昔夢があったと言うなら、その夢を諦めて好きでもない仕事をして生きていると言うなら、哀れだ。果たして夢を諦めてまで、好きでもない仕事をして生きる意味があるのか。夢を持たせておいて努力しても叶えさせないこの社会はおかしい。あたしは理解できない。

 恥ずかしながらも、夢が一つあたしにはあった。絶対、叶えられるわけでもないのは解ってた。叶えられるのは一握り。一握りに入るわけないと諦める人間になるのが嫌であたしは意地張っていた。だって、カッコ悪い。あっさり諦め、違う仕事で生きる為の金を稼ぐなんて、惨めで理解しがたい。だから、だから、社会が嫌いでも夢を叶える為に生きようとしていた。もう過去形だ。だってもう叶わない夢だ。サラリーマンやフリーターにならないだけ幸いだと思う。白瑠さんの笑いに我に戻された。


「裏社会とどう違うんですか?」

「ひゃひゃっ裏社会とは一味違う! てか裏社会の次のレベルっかな」


 裏レベルってなんだろう。てかあたしは裏社会をスキップして、裏現実と言う更に未知でヤバい世界に入らなきゃいけないのか。


「裏社会は実在するけどもぉ……うひゃひゃ、裏社会の人間にも知らない秘密があってぇその秘密を知る者がぁ裏現実の人間? みたいなぁ」


 アバウト。なんで曖昧なんだろう。きっとあまり大差がなく区別するものがないのだろう。


「俺達みたいな人間が裏現実者」


 にぃっと笑う白瑠さん。それなら何とかわかる気がする。あたし達みたいな人間が裏現実者。


「ぶっちゃけ、最終的には殺し屋?」

「最終的には殺し屋、でぇす。だって殺しやんなきゃやってられないっしょ! 殺しも出来て金が入る! こんなピッタリな天職他にないでしょ」


 うひゃひゃひゃひゃあっと愉快そうに笑う白瑠さん。全くその通り。訊いたあたしが悪かったです。


「殺し屋ですか……そうですか……意外でも何でもないですが、その辺もプロの貴方が教えてくれるんですね?」

「そーゆーことぉー」

「それで、裏現実者の知っている秘密とは?」


 笑顔のまま頬をつつく白瑠さんの手を払い、あたしは気になった秘密を訊いた。首を傾けて白瑠さんはあたしを見上げるように、いわくありげな笑みを向ける。その瞳が妖しげに光った。


「んひゃあ、ひゃあ……欲張るねぇ、椿ちゃん。知りたい? ひひっそれはねぇ」


 あたしの興味を惹かせもったいぶり、白瑠さんは答えようとしたが遮る音が聞こえた。


「あーっ。幸樹おっかえりぃ」

「ただいま、白瑠」


 美味しそうな香りとともに現れた笹野幸樹により、秘密を聞きそびれてしまった。笹野先生は「やっと取り調べから解放されました」と溜め息を洩らして、抱えた袋をソファの後ろにあるテーブルの上に置いた。


「あ、の……お邪魔しています、笹野先生。昨夜はすみませんでした」

「昨夜? ああ、免許捏造の話ですか」

「なになぁに? 幸ちゃん免許捏造してたの?」

「冗談やめてください、白瑠」


 とりあえず昨日のことを謝罪しようと、ソファから降りて頭を下げると笹野先生は軽く笑った。白瑠さんも会話に加わる。


「それもですが……睨んだと言うか……完全に敵だと思ったので」

「椿ちゃんは殺しに来たって勘違いしてたんだよーん」

「通りで白瑠の手紙を見た時、怯えていたわけだ。別に気にしてませんよ」

「よ、良かった……。あの、それで……。しゅ……秀介、くんは……?」


 聞きたくない答えが返ってくると思って、ビクビクしながら訊いた。


「彼なら警察が駆け付けたので病室にこもりましたよ?」

「無事ですか!?」

「ええ」

「良かった……!」

「だから言ったじゃーん」


 無事と聞いて胸を撫で下ろせば、白瑠さんが笑いかけた。確かに昨日、殺さないとは聞いたが確認しなきゃ何が怒るかわかったものではない。


「秀介君の相手は骨が折れますよ……。首なしの死体が落ちるまで苦労しました」

「突っ掛かるねぇ? しゅーちゃんは。飽きないのかな」

「今回は椿さんを守ろうとしたみたいですよ、私が接触する前から接触してたようです」


 二人で秀介を話題に話していたかと思えば、二人してあたしを見た。「なんで?」と白瑠さんが丸めた目で訊いてくる。


「入院仲間と言うことで……仲良くなっただけですよ。お互い知りませんでした……秀介君もこちらの人間なんですか?」

「ふぅん? そっか。しゅーちゃんもこっちの人間だよ!」


 そうか、そうか。白瑠さんに出会ってからあたしは“裏現実”の人間としか知り合えないのか。別に人の輪を広げたいわけではない。寧ろ知り合うのは苦手だ。あ、篠塚さんは例外だ。


「フフフ……。秀介君は相当貴女のことで熱くなってましたよ? 白瑠が一体椿さんに何の用だって。椿さんは俺の物だとも言ってました」


 口元に手を添え、潜めて笑う笹野さんに「なっ」と震えるあたし。秀介め……知らないところで何言っちゃってんだ。


「え? 何? しゅーちゃんの所有物なの? つーちゃん」

「あたし物? 違います違いますきっと彼の戯言です」


 顔の前でブンブンっと左手を振って否定。いくらなんでも所有物はないだろ。この人実は天然? と白瑠さんを見下ろしていれば、視界にオレンジ色の物体が入った。あたしが好きなチーズバーガーだ。


「あ、ありがとうございます!」

「お好きだと聞いたので買ってきました。お腹空いたでしょう、たくさん買いましたので食べてください」


 笹野さんから差し出されたとわかりチーズバーガーを受け取れば、次はポテトやバーガーが幾つか入った袋を渡された。いつもなら「わーいありがとうございます!」とはしゃぐところだが、不可解な言葉が聞こえたから顔をしかめる。


「え? 誰から聞いたんですか?」

「貴女のお母様です」

「……母にいつ会ったんですか?」

「貴女の事を調べに家に伺った時ですよ」


 微笑みながら、笹野さんはさらりと答えた。その間にもあたしが抱える袋に手を入れて、バーガーを取る白瑠さん。


「な、んで……」

「見舞えに来れなかったようなので、貴女の容態をお伝えしたついでに調べさせてもらいました」


 どっちかと言うと容態を伝えるのがついでではないのか。あたしはバーガーを加えた白瑠さんを見た。


「昨日は焦ったよ、つーちゃん逃げ出しちゃうんだもん」

「そうですね、刑事はサイレンサーで発砲するわ、秀介君が邪魔をするわ、ちょっと手のかかりそうな子ですね」


 勝手に話題を変えられた。

 ちょっと、なんで調べたのさ? 白瑠さんの指示?

 じぃと見ていたが、空腹感に負けて座ってチーズバーガーにかぶりついた。数日ぶり。そして美味しい。


「つばちゃんが病室飛び出したあとあのぉ……まねっこ刑事がサイレンサーで撃ってきたからびっくりした! 病室でたら幸樹に会ったから鍵閉めてもらって手分けしてつばちゃんを探したんだぁ」


 なるほど。物凄い音の正体は、佐藤がドアを破る音だったのか。もう白瑠さんは佐藤の名前を忘れた模様。


「俺、二階一階って降りたんだけど見当たらないから上にいるのかなぁーて五階いったら見付けたの」


 それで接触。なるほど。なるほど。うんうん頷きながら食べていたらピクルスまでかじってしまって「うえっ」となる。歯でピクルスを噛みあとは飲み込んでから「ぺっ」と包み紙にピクルスを飛ばした。

「ピクルス嫌いなの?」と白瑠さんがそのピクルスをパクリと食べた。一度口に入ったものだが、本人は気にしてないようだからつっこまなくてもいいか。


「食べられなくもないですが……チーズバーガーを味わってる時に邪魔するソイツは嫌いです」


 あたしはチーズと肉を口の中で堪能している時に、邪魔をするピクルスが嫌いだ。急に味を変えないでほしい。あたしはチーズと肉を味わいたいのだから。だから、毎回ピクルスは除外させる。


「そう? 人間の中に熊がいるようなもんじゃん。楽しくならない?」


 殺しがか? 数人の人間の中に熊一匹。白瑠さんは楽しく殺していそうだが、例えが当てはまっているようには思えないのはあたしだけか。人間だけではなく一味違うものを殺すのもいい、と言うわけなのだろうか。そう解釈しよう。


「あたしは……きっとなりません」


 一個目を食べ終わり、二個目に手を伸ばそうとした時に気付く。テーブルに置かれた包み紙が3つ。もう白瑠さんはバーガーを3つ食べたらしい。いつの間に。今はポテトを食べている。


「あ、取り調べ……どうでしたか?」

「どうって?」

「疑われたりしませんでしたか?」


 笹野さんは、先程まで取り調べを受けていたらしい。ちょっと気になったので訊いてみた。


「病院関係者は薬で眠らされていたことになっているので疑われてませんよ。犯人は一人で貴女を連れ去ったと思い込んでますから」


 まだまだあたしは容疑者に浮上していないらしい。そうなると優しい篠塚さんが心配しているだろうか。胸が痛む。


「そんなことより、ミッションやろうよ。新参者のつーちゃんが慣れるように」


 ふりふりと手を振って、白瑠さんがあたしの注意を引いた。その手であたしのバーガーから出ているピクルスを摘まんで口の中に放る。


「ミッション?」

「うんうん。殺しも2週間やってないっしょ?」


 ミッション=殺し。と悟る。殺せと言われて殺せるだろうか心配になるが、あたしはそのミッションの内容を訊いた。パクリと完食。満足満足。


「知り合い殺し」


 目を見て笑顔でそう言われる。あたしは一時停止。

 下手をするとあたしは、他人の質問に答え忘れることがある。流石に目の前で目を合わせた白瑠さんの今の言葉をなかったことにできない。


「知り合い……ですか?」

「うん、家族でも親友でも友人でも知人でも隣人でもクラスメートでも後輩でも先輩でも先生でも、一人でも十人でも百人でもムカつく奴でもそうじゃない奴でもいいから、殺せばいいよ」


 つまりは、知り合いならば誰であろうと何人であろうといい。ただ単に殺しをやれなら知らない人間でもいいのでは? と思ったがきっと白瑠さんには考えがあるんだとその疑問は奥にしまった。


「知り合いか……んーと……」


 と目を逸らして考える。友人や家族やクラスメートやムカつく奴を思い浮かべるが、気が進まない。簡単に切り裂く光景を想像できるが、なんだか気分が悪くなる。


「知人は無理そうです」

「ムカつく奴、いるだろっ? 殺したい程うざぁい奴!」

「だったらもう殺してると思います」


 無理と言っても笑って、標的を決めるよう促す白瑠さんにそう返す。殺したい程、と言われても大して出てこないのは興味がないからだと思う。確かにムカつく奴はいる。うざいと思う奴もいるが、わざわざ殺しにいくほどでもない。と言うか面倒くさい。そして殺したあとに知り合いの死体を見たら、今度こそ吐きそう。


「やっぱり無理です」

「えぇーっ!!」


 子どもが駄々こねたような声を上げるからびっくりする。


「知人か他人を殺すの、何が違うんですか」

「殺しを見られた時、殺せるようにならなくてはいけませんからね」


 答えてくれたのは笹野さん。なるほど。んー、それじゃああたしにはできっこないようだ。安ちゃんや南ちゃんをそのシチュエーションに出してみたが、殺せる気は全くない。


「無理ですね。もう二度と会いたくないし」

「ぅえー」


 さよならの手紙も置いたし、顔見知りなんかともう会いたくはない。会う必要もないだろう。白瑠さんは納得できないと顔を歪める。拗ねたような感じ。


「仕方ありませんよ、白瑠。彼女はまだ未熟者です。あまり急かすのはよくないですよ、知り合い以外にしてあげなさい」


 笹野さんが優しくそう言い、あたしに林檎を差し出した。熟した林檎。

 赤だ。

 紅。

 まるで血で塗れたような紅を親指で拭おうとしたが、その紅は林檎の皮。見惚れる程の紅に、あたしは両手で持ちまじまじと見つめた。こんな林檎、初めて見た。綺麗な紅だ。光を放つ紅が好きだ。血の雫とか、口紅だとか、紅い車だとか。

 ふと、見いったあたしを、林檎の向こうにいる白瑠さんがいわくありげに笑みを浮かべていたことに気付く。


「ふひゃあひゃあっ、じゃあそぉしようかーぁ。よしっ着替えて着替えて、武器もあげるからぁ」

「私も手伝うべきですか? 寝たいのですが」

「幸樹は寝てていーよ、俺がついてるからぁ」


 ちょっと待て。

 何かあるだろう。

 ただならぬ嫌な予感は、先程の白瑠さんの笑みが頭から離れないからだ。何かを企んでいる白瑠さんと、二人きりにしないでほしい。なのに笹野さんは疲れたような欠伸を洩らして寝室に向かう。そして中に入った。ああ、笹野さん!


「ほれっ、これ俺の」


 白瑠さんは、あたしに服を渡してきた。これに着替えるのか。あたしは肩を落として、自分が寝た寝室に向かった。ベッドと棚しかない素っ気ない部屋。起きてから興味本意で探ったが何もなかった。棚の中もない。どうやらあたしに用意された部屋らしい。そこで着替えた。まずパーカーの中にある物を出す。昨夜つけていたアクセサリー。パーカーをベッドに脱ぎ捨てる。それからジーンズを脱ぐと、紙切れが落ちた。


「あっ…………」


 拾うと、それは篠塚さんの名刺だった。ジーンズを脱ぎかけた状態でベッドに座り込む。篠塚さんの名刺を見つめながらのそのそ脱ぐ。

 篠塚さん……。

 あたしは白瑠さんのズボンを履いて、アクセサリーを鷲掴みにした。男物の上に身長差のせいで足が裾からでないが気にせず歩き、棚の引き出しに名刺とアクセサリーを入れる。ベッドに戻って裾を折ってから、上も着替えた。やはり男物だから大きい。でも嫌いじゃないファッションだから気にしない。アイドンケア。

 あたしのパーカーより一回りサイズの大きいパーカーを腕に掛けて、戻ると先程と光景が変わっていた。

 ソファとテレビの間にあるテーブルには、色んな形のナイフが置いてあったのだ。どうやら満足げに笑う白瑠さんが用意したらしい。

「おいでおいで」と手招きした白瑠さんにソファに座らされ、ズボンの裾を綺麗に折られた。なんか恥ずかしい。


「じゃ! 好きなもの選んで」


 これをか? 何を選べと? 愚問だ。勿論、殺しに使う凶器だろう。


「椿ちゃんは、裂くのが好みだろう?」

「なんでそう思うんですか? 今までは手元にあったから……」

「でも銃で殺さなかったじゃん」

「……あれは、白瑠さんの殺しが見たかったからですよ」

「注射器だってあっただろ? メス持ってた」

「……」


 むぅ、と黙り込む。だってナイフ系が妥当ではないか。そうゆう考えが、だからこそ裂くのが好みになるのだろうか。だからここは引き下がる。あたしだって頭に銃を突き付けたい。楽だろうに。


「色んな形がありますね……」

「好みでもしっくりくるのでもいいから、一つ選びなよ」


 そう言って白瑠さんは、ナイフを一つ手にしてあたしがテーブルに置いた林檎に突き刺した。それをあたしに差し出す。あたしは受け取り、ナイフをとってそれを眺めながら林檎にかじりついた。瑞々しい果実が口の中に広がる。

 鋭利な刃は光を放っている。カッターよりは殺しやすそうだ。でも銃の方が……。

 もう一口林檎をかじる。甘い。

 鋭利な刃は、15センチの長さのがあれば5センチの短いナイフもあった。時折、白瑠さんがその名前を教えてくれる。プッシュダガーとかフィレナイフにサバイバルナイフにランボータイプ。刃の形の名前だとかなんとか。プッシュダガーは刃と柄の間が細く指に挟んで突き刺すのにいい感じだ。振るのも、まぁいい感じ。だが、どうせなら刃が長い方がいいとあたしはテーブルに戻す。


「いいんだよ、てきとーで。どれも殺しに使えるから」


 飽きたのかそう急かす白瑠さん。なら白瑠さんが選んでくれればいいのに。彼はベルトらしきものを弄っていた。まさかあたしにつけるとか言わないよな……そのベルト。

 疑問に思ったが、あたしは武器選びをした。刃の長さ、形、デザインで好みなのを選ぶ。


「これにします」

「ふぅん? カルドか、いい趣味だねぇ」


 嫌味のようにも聞こえた気がするが、どうなのかは白瑠さんの様子じゃあわからない。白瑠さんはあたしが持ったナイフ(カルドと言うらしい)を無視してテーブルにあるナイフを幾つか取った。それをベルトについたホルダーに入れていく。


「はい、立って」

「え? ……え?」


 背中を押されて仕方なく立つと、案の定ベルトを巻かれた。ベルトを巻かなくちゃ正直ズボンが落ちそうなのだが、何も白瑠さんがつけなくてもいいだろう。恥ずかしい。

 あたしを子ども扱いしてます?

 黙ったまま項垂れてみる。ベルトをきつく締められたあと、背中を向くように体を捻られ、お尻の方で何かをしている。

 恐らくホルダーの位置を整えているのだろう。じゃなかったら蹴りをお見舞いしている。


「よし。あとはカルド」


 そう言えば、カルドを握ったままだった。後ろから伸びた白瑠さんの手に渡せば、くいくいっと多分ホルダーか何かに入れられた。


「はい、自分で抜いてみて、カルドとプッシュダガーを」

「こうですか?」


 見えない背中に手を伸ばして、カルドの柄を探して掴む。それを抜いてから、もう片方の手でホルダーにあるプッシュダガーを抜いた。


「違和感は?」

「ないです」


「じゃあ戻して」と言われたので、元の位置に戻す。おお便利なベルトだ。次に座ってと言われたので腰を下ろす。ちょっと気になったが、ホルダーはそれほど邪魔ではなかった。

「まさかこれで行くんですか?」いかにもこれから殺しにいきます的な格好に苦い顔をする。

「パーカー着ればバレないよ」と白瑠さんは笑った。あ、なるほど。だからパーカーも渡したのか。あたしの身長ならば、白瑠さんのパーカー1つでスッポリとホルダーは隠れるだろう。


「はい、カツラはないからこれで。じゃあ行こうか」


 最後に白瑠さんに帽子を渡された。カツラよりはましだ。あたしは髪をまとめあげて帽子を深く被った。


「女の子って髪を隠すだけで別人に見えるねぇ」


 白瑠さんはあたしを下から見上げて、そう感心したように笑った。



 一体何処で何をやるかを教えてもらえないまま歩かされた。何をやるか、は当然ミッションと言う名の殺しだとわかってはいる。それはとてつもなく不吉な予感を匂わす。

 あの笑みは絶対に良からぬことを考えているに違いない。

 全く知らない道を歩いていけば、駅通りに出た。交番を何食わぬ顔で横切ったあと、白瑠さんは迷わず駅の中に入る階段を上がった。

 言葉を失う。

 何かを言おうとして、諦めて階段の前で挙動不審になる。嫌だが、ついていかなくてはならない。だけど嫌だ。多分他が見たらあたしはきっと情けない顔をしているだろう。

 あたしはやけくそで階段を駆け上がり白瑠さんの隣に立った。


「白瑠さん! 嫌です! 嫌がらせですか!?」

「んー? なぁんのことぉ」


 腕を掴んで言えば、変わらない笑み、と言うかとぼけた笑みで首を傾げた。

 この男……。

 殺意はわくが行動にはでない。決して。例え彼が丸腰であたしの腰にナイフがあろうとも、彼には絶対に敵わないのはわかりきっている。


「今からっ……何をやるんですか……?」


 怒りを押さえながら、あたしは訊いた。ギッと睨み付けるのは忘れない。相手はそれを見て楽しんでいるであろうが、別にいい。もう既に白瑠さんは楽しんでるはずだ。


「だぁれでもいいよ、殺っちゃって? んひゃ、好きな奴を」


 白瑠さんはそう言い、周りを注目するように手を振った。

 よりによって、駅でか?

 否、違う。

 白瑠さんは、すぐに切符を購入した。訂正だ。

 よりによって、“電車”でだ。

 買うなり、あたしの手を引いて改札をくぐる。冗談ではない。またあたしに電車内で殺戮をしろと言うのか? やってしまいそうだ。

 ニュースで「地獄行きレッドトレイン再び!」と流れそう。あ、ちょっと気が紛れた。

 そうだ落ち着け。何も白瑠さんの口から電車内で大量殺戮をしろとは言われていない。

 ただ一人を、殺せばいい。適当に選び、殺す。それだけのこと。

 深呼吸。

 ホームで電車が停まる。扉が開き、乗り込む。

 嗚呼、あの日を思い出す。

 電車に乗り込めば、すぐ近くにあった席に座るよう促された。端の席。あたしが端で隣に白瑠さん。

 昼間なのに、沢山乗車していた。ギュッとあたしは袖に隠れた手でズボンを握り締める。

 落ち着こう。落ち着けば大丈夫だ。

 ガタンゴトン、絶妙に揺れて走る電車。その揺れは気持ちよくて眠くなる。そのせいなのか、肩に白瑠さんの頭が凭れた。

 寝る気か。呆れて溜め息を洩らす。勿論、白瑠さんに聞こえるようにわざと大きく洩らした。

 効果はなし。沈黙。揺れる音。人の気配。息遣い。話し声。本を捲る音。携帯電話をいじる音。音楽がイヤホンから洩れる音。

 帽子の下で眉間にシワを寄せる。全ての人間が出す音が苛立ちを覚えさせる。

 電車と言う空間は、誰もが自分があたかもいないかのようにする“無”の空間。沈黙をして赤の他人の注意をひかないようにする、そんな空間。

 あたしは常日頃、そんな感じだ。歩いていようと店にいようと教室にいようと友人達といようと、まるで自分がいないかのように沈黙する。そうしたいからだ。

 だからこそ、沈黙しない奴らに苛立ちが抑えきれない。


「……。……」


 駅につき、人が入れ替わりして、また発車。今時の女子高生三人組が二つ離れたドアに立った。

 帽子の鍔越しからその三人組を睨み付ける。きゃぴきゃぴとはしゃぐ声が耳障りだ。

 何が楽しいんだ。貴様らは何のために生きている?

 しょうもないことで大笑いする為か? 嗚呼ムカつく。殺したい。

 殺したい。

 殺したい。

 音を立てるここの人間を殺したい。


「ん……」


 白瑠さんが動いて身、体を強張らせる。落ち着け落ち着け。

 大量殺人はまずい。もう止せ。

 きっとあたしの理性がそう言うんだ。

 唇を噛み締め腕を胸の前で組む。全ての音を無視しよう。殺戮衝動は堪えろ。

 たった一人でいい。たった一人だ。

 だけれど、その一人を選ぶ基準はなんだ?

 この前は電車にいた全てを殺した。選択はしてない。たった一人を選び、そして殺すのだ。どうやればいい?

 難しい。その選んだ一人の人生を奪うのだ。慎重に。

 待て。

 この前はそんなこと考えていなかった。だからこそ殺せたのかもしれない。

 考えればあたしは殺戮衝動を抑え込めるのでは?

 そう思ったが、白瑠さんに話されたことを思い出すと無理があるかもしれない。

 一度踏み外した。そして56人も殺めた。

 あたしには刑務所か死しかない。

 うん。殺るしかない。

 あまり考えず、一人を決めればいい。

 深呼吸して、こっそり赤の他人達を見た。

 殺してみたいと直感したらにしよう。殺す映像を見たらにしよう。

 ただただじっとした。電車が停まり、また動き出す。人が乗ったり降りたりした。白瑠さんもあたしも動かない。次第に人が減っていった。女子高生もいない。

 かなり減った。空席が多い程、人が減ってあたしは安堵の息を洩らして肩を落とす。白瑠さんがつらそうに唸ったが知らない。

 あたしが選ぶまで寝てる気なのか、頭蓋破壊屋さん。

 隣の扉が開くと聞いたことのあるような声が聞こえた。耳障りな男達の笑い声。誰だっけ。顔をあげて盗み見。不良染みた格好の男達は向かいの扉の前でたまった。座ればいいものの……。

 ちょっと数人、見覚えがあった。でも違うかもしれないと顔を下げる。

 と言うか、違ってほしいと願った。


「あ、ていうかさ。最近ニュースにやってるやつ知ってる? 電車で惨殺事件」

「あー知ってる知ってる。60人殺されたってやつでしょ」


 56人だバカ野郎。

 つか、いきなり前触れもなく話し出すな。


「あれ一人が生き残ったけど、病院で犯人に連れ拐われたって言ってたじゃん。そいつうちの学校の奴だったんだよ!」

「すげーまじで?」


 こいつ……。バカか。

 ベラベラと被害者の話するな。オレは知ってまぁす、てか?

 てか、知り合い確定じゃん。白瑠さんにバレる?

 心配したが白瑠さんの反応はない。


「え? 誰が?」

「ほらっ! 目が大きくて丸くって、黒髪で、まーまーいい顔のくせにネクラで陰湿なやつ。クラスにいたじゃん!」


 カッチーンと頭にきた。鍔越しから睨み付ける。知り合い確定だ。どうせ聞いてるんでしょ、白瑠さん。

 学校が同じだけで知り合いとは限らないが、クラスが一緒ならば嫌でも知り合いだ。白瑠さんはこれが狙いだったのか? 有り得ない。そうだったら、とんでもない。


「ああ、あのボーとしたくっらぁい奴? アイツの声聞いたことないんだけど」

「話したことねぇじゃん。オレ、ニュースで見てちょービビったし! 学校行ってるやつらの情報だと学校にマスコミ来てるってよ!」

「まじか!? じゃあ映りにいかねぇとな!」

「絡もうぜ!」


 ゲラゲラと笑う奴らの下品な声に、苛々はピークに昇りつつあった。下等な不良だ。人の迷惑も気にせず暴れる。俺様は偉いんだ、そんな感じで威張って歩く。

 クラスで一番関わりたくなく一番嫌いな人間だ。担任の先生の肋を折ったことのある黒髪の生徒とそのニットを被った悪友。どっちも名前を忘れた。

話したくないのはてめぇらが嫌いだからだ。てめぇらの注意をひかないように沈黙していたんだ。暴力で捩じ込む貴様らなんかいないように振る舞っていたんだ。

 あたしをネタに笑うか。

 そうかなら、あたしも笑ってやろう。暴力で捩じ込めないことをあたしが教えてやろう。


「──うっせえっ!!!!」


 あたしは沈黙を破り、大声を上げた。その車両にいた誰もがあたしに注目する。

 白瑠さんは身体を起こして、欠伸を一つ洩らしてから背伸びをした。


「あ?」


 低い声を出して、一人が舌打ちする。大きな身体に腰パンするズボンは、ヤンキー愛用のスエットだ。カッコ悪い。そのファッション、あたしは理解できない。

 忽ち、彼らはあたしを取り囲んだ。


「なんか文句あんのか……あん!?」


 ドカッとあたしの足元を蹴っ飛ばす不良。あたしがナイフを持っているとも知らないで、なんて単純な奴らなんだ。

 隣で白瑠さんが笑いを洩らしている。


「てめぇ! 何笑ってやがんだ!」

「んーん? べぇつにぃー」


 自意識過剰なのだ。ただ目をあわせただけで「ガン飛ばした」と絡んだり、ただ笑っていただけなのに「てめぇ今オレを見て笑っただろ」と絡む。自意識過剰。自分がそんな存在だと思っているからこその過剰反応。

 なんて哀れな奴らなんだ。


「あぁ!?」

「ぐだぐだと煩い。関係ねぇなら口にするな。たかがクラスで話したこともねぇ奴の話を……すんじゃねぇよ」


 白瑠さんは関係ない。あたしも低い声でそう静かに言い放った。


「ハッ! てめぇこそ関係ないだろ!」

「ぷっ」


 不良の言葉に、白瑠さんは吹き出した。気持ちはわかる。こんな目の前で、しかも睨み付ける為に顔を見せているのに話題の本人だと気付かず“関係ない”と言うのだから笑ってしまうだろう。


「ちっ! てめぇら今あやまんねぇとぶっ殺すぞ!?」

「こっちの台詞だ、土下座しねぇと……ぶっ殺すぞ?」


 普通ならば、今までならば本気ではない言葉を放つ。

 嗚呼、やっぱりあたしは変わったなと思った。

 電車が停まる。何も言わずあたしも白瑠さんも立ち上がった。先に不良達が降りて、あたし達も降りた。

 幸い、誰も止めにはこなかった。

 そして幸い、駅は閑散としていて見渡しても誰もいなかった。


「んひゃあひゃひゃっ」


 白瑠さんは、腹を抱えて笑い出した。


「いちにーさんしーご、かぁ? いいんじゃない」


 相手は五人。五人か。なんとかなるだろう。


「はぁ? てめっ、気持ちわりぃんだよ!」

「相手はあたしですよ、クラスメートさん」


 白瑠さんに殴りかかろうとしたそいつにあたしはそう言った。単細胞らしく「は?」と全くわかっていない顔をする。本当、笑える。


「この顔を見たんだろ? ニュースでも」


 見えるように鍔を上げて見せた。


「あっ! てめぇ……!」


 やっと気付いてクラスメート二人が目を丸める。


「なんで、お前……」

「わかんない? てめぇら単細胞だなぁほんと、頭悪すぎ!」


 あたしは挑発で吐き捨ててやった。勿論、殴りかかるよう仕向けたのだ。

 案の定、二人とは違う不良が一人あたしに向かってきた。

 あたしは左に一歩動いたあとに、背中のカルドの柄を掴み、振り上げた。ただ、振り上げた。

 狙ったわけではなく、ただ首筋を切ったんだ。

 彼の首筋が切れた傷から。血渋き。

 べちゃり、顔についた。

 嗚呼、紅だ。


「……だから、57人目の被害者になる……」


 ドサリと倒れた死体。凍り付いた空気にあたしは呟いた。


「うっ、うああぁあああっ!!」


 一人が悲鳴を上げる。あとの三人は足が鋤くんだのか、今起きた光景が理解できたないのか、青ざめて立ち尽くしたまま。悲鳴を上げた一人はこの場所から逃げようとしたが、白瑠さんが首を掴んで捕まえた。


「あれれぇー? 逃げちゃうの? ぶっ殺すんだろう? 逃げる奴は……俺が殺してあげる」


 笑って言う白瑠さんが、また更に恐怖を植え付ける。捕まった金髪の不良が、ガクガクと震えた。わかるぐらい、汗が落ちている。


「て、てめぇらっ……人殺し……!! 狂ってやがるっ!!」


 黒髪の不良が叫んだ。

 バカかこいつら。否、バカなんだ。

 そんなの、一目瞭然だろ。


「知ってる」


 白瑠さんはおどけたように笑って、あたしは冷たく吐き捨てた。

 たじろぎしたあと、黒髪の不良がバタフライナイフを取り出して雄叫びを上げながら向かってきた。

 やはりそれぐらい持っているのか。

 特にあたしは驚きもせずにそいつの顔面を蹴った。


「あたし、嫌いなんだ。てめぇらのこと。黙っていりゃあ……死ななかったのに。哀れだね、アンタ」


 まるで人事のようにあたしは言う。顔面を蹴った男が倒れたあと、一人が向かってきた。それを一歩下がって避ける。

 背中を向けたそいつは「殺される!」そう青ざめた顔をしてあたしを振り返った。うんそうだよ、殺される。

 あたしは容赦なく、カルドを振り下ろした。スパッと切れる首。カッターと違い、もっと力を入れれば首を切り落とせるかもしれない。

 58人目を殺して、そんなことを思った。


「うあぁあああああっ助けてぇっ!!!」


 もう一人が白瑠さんと違う方向へと走り出した。助けを求めて。

 あたしはプッシュダガーを、その背中に投げつけた。

 背中に命中。「うっ!」と彼は倒れた。あたしはゆっくりと歩み寄る。

「ひぃ!」まだ息のあるそいつは情けない悲鳴を上げて這いつくばったまま逃げようとした。

 あたしは、その背中を踏みつけて、首を切り裂く。

 無情に。何も考えず。ただそう短剣を首筋に当てて、引き上げただけ。

 血は吹き出し、命を奪う。

 振り返り、顔面を蹴った男に目を向ける。


「な、な、なっ……なんで……なんで殺す、んだよ……なんで……」

「ムカつくから」


 ガクガク、先程の威勢が消え去った蒼白の顔の男。その表情は少しの疑問と巨大な恐怖だけだ。

 些細な疑問にあたしは答えた。


「ムカつくからぶっ殺す。君達も好きでしょ? よく言うでしょ?」


 そうあたしは嘘っぱちの冷えきった笑顔を向けて言った。


「傑作でしょ? こんなあたしに……殺されるなんて!」


 カルドを振り上げ、心臓に振り下ろす。心臓に命中。

 彼は、動かなくなった。

 本当、傑作だ。

 学校では、無関係にならなくちゃいけなかった。暴力じゃあ勝てない相手だったのに、一回り小さいあたしに殺されるなんて。笑える。

 あたしは暫く足元に広がる紅を見つめていた。無情に。だけど惚けたように。好きな血の紅を見つめた。


「いやだぁ! 助けて! 頼むっ! 死にたくないっっ!!」


 嗚呼、まだいたのか。と思い出す。白瑠さんが捕まえたままの不良。

 情けない声を上げる彼を振り向いた瞬間。


 ぶぁああんっ。


 頭が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 べちゃべちゃ、と頭だったそれがあたしの前に落ちる。

 うぇ。吐き気を覚えた。

 大量の血は平気だ。だけどこの頭の残骸は無理だ。

 あたしは口元を押さえて目を逸らす。逸らした先には首のない死体のズボンを漁る白瑠さんがいた。

 何やってんだこの人。

 深く考えないようにして、あたしはプッシュダガーを取りにいった。


「財布の中身もとったら?」


 死体から抜き取ったあとに、白瑠さんにそんなことを言われてきょとんとする。

 見れば、ちゃっかりと白瑠さんは死体どもからお金を拝借していた。

 うん、まぁ……殺したあとにお金を盗るなとは、言えない。

 あたしは仕方なく足元の死体のポケットを探った。

 つっても不良の財布なんて薄い。大して入ってなかった。


「はい、これは椿ちゃんに」


 すると白瑠さんが手に持っていた札束をあたしに渡してきた。


「え……でも」

「死人には不要だし、椿ちゃんが殺したから椿ちゃんの」


 笑ってあたしの顔についた血を拭ってくれる白瑠さん。


「あ……すみません、服汚して」

「構わないよー?」


 なら良かった。あたしは着ているシャツで顔を拭く。短剣を戻し、帽子を深く被り直してその場を後にした。


「知り合い殺し完了ー」


 んひゃひゃ、と楽しげに白瑠さんは笑う。あたしは黙ったまま白瑠さんの隣を歩いた。

 まだ気持ち悪い……。

 ていうか、あの時何故。

 何故笑ってしまったのだろうか。

 冷たく、ただ無情な顔で殺せばいいものの。

 単なる怨恨殺人に嫌気がさす。

 もう、誰でも殺せるかもしれない。そんな異常者だ。

 あたしは、冷たい。

 冷たい、人間。

 否、人間以下かもしれない。

 狂った殺戮者。


「あーそうそう」


 白瑠さんが不意に振り返った。二歩前で後ろ向きに歩きながらあたしに笑いかけた。


「“裏現実”にようこそ」


 両腕を広げ、狂った笑みで白瑠さんは言った。

 楽しげに愉しげに面白そうに可笑しそうに愉快そうにやっぱり狂ったように、笑っていた。


 表現実者の知らない世界。

 黒くて紅くて曖昧で正確で闇で光でわかるようでわからない世界。

 殺しを肯定する裏現実世界。


 戻れない、境界線のこちら側。




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