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鬼は殺人鬼。



 いつか来るかはわからない。だけれども、彼は近くにいる。

 あたしは手紙、否、遺言書を書いた。死んだらあたしの物は燃やしてほしい欲しいものは貰ってもいい、と家族に宛てる。あとは皆に向けて、今までありがとう。それで締め括った。その手紙を枕の下に入れる。

 昼を過ぎれば交代してくると刑事さんが部屋を出たから、ベッドの下のバックを取り出した。着替えることにする。

 上を脱いだ瞬間に扉が開かれた。秀介だ。


「あれ? 誘ってる?」

「この変態っっっ!!!」


 バックにあった漫画本を投げたら、受け止められた。


「何着替えてるの? マスコミがいるのに出掛ける気?」


 ベッドに腰掛けて、秀介は訊く。なんて答えよう。


「……着替えたかっただけだよ」

「……?」


 秀介は首を傾げて、あたしを見つめた。伺うように観察するように、見てくるから顔を隠す。


「着替えるから誰も入らないように見張ってて」

「あ……うん……」


 秀介が部屋を出てから、急いで着替えた。ジーンズを履いて、上着を着る。パーカーのポケットにメスを入れて、残ったアクセサリーをつけた。寝巻きを畳んで、バックに詰めてからベッドに潜り込む秀介を呼ぶ。


「病院抜け出す気?」

「まさか!」

「ふぅん。抜け出す時は俺も誘ってくれよ」

「誘いません」


 冗談のように言うが、冗談じゃない。絶対に誘わない。きっと死ぬ。道連れなんかしない。

 秀介ともお別れだ。短い間だったけど、楽しかった。


「本当に、彼氏になってもらいたかったよ」

「え? 本当に付き合おう。俺マジで告ってるんだけど」


 呟けば、秀介は笑う。あたしも笑ったけど、力ない。それに気付いて秀介が笑顔を無くす。


「……椿ちゃん?」


 眉間にシワを寄せて、あたしを凝視した。


「付き合わないよ、他の子にしなさい。それかミサさんとより戻したら?」

「ミサはもういいよ!」

「早いね、昨日泣き付いたくせに」

「俺、椿がいい」


 刑事さんが入ってきてパイプに座ったが、気に留めず話す。キッパリ言うもんだから、あたしは上手く笑ってみせた。


「ぶぁーか! あたしは相応しくないよ。他の子にしなさい」

「俺じゃあ不満!? 椿に釣り合わない!?」

「あたしが釣り合わない。君は顔が良すぎる。浮気する男は嫌いです」

「しないです。一筋だし!」

「軽いくせに。惚れっぽいし」

「絶対に椿だけを愛します。永遠に、君だけを見るよ」


 あたしの手を両手で握り締めて、目を見て言ってくる秀介。一途なのはわかる。真っ直ぐ見つめる黒い瞳は、余所見なんてしないだろう。最後に、あたしは彼を見つめた。眉の太さに睫毛の長さ、鼻の高さに唇の形、指で撫でたくなるような輪郭。

 薄い笑みで見つめるあたしを不思議に思った秀介は、怪訝に眉を伏せる。


「バーカ、大袈裟に言わないでよね。あたしそうゆうのにも弱いんだから。ぶっ飛ばすよ?」


 あたしは笑って、秀介の額を押し退けた。


「惚れちゃってよ!」

「馬鹿シュウ」


 笑ってあたしは相手をするのをやめる。笑顔の仮面を外さない。最後ぐらい完璧に笑おう。


「……つーちゃん、何か隠してない?」


 あたしの立てた膝の上に顔を乗せて、見上げながら秀介に訊かれたから、目を丸めてしまう。

「なにを?」と問うと彼は何も言わなかった。ただ答えるまで待つかのように、伺うように、見ている。

 あたしは溜め息をついてから、笑って秀介の頭を撫でた。


「今日はもう寝たいから、帰ってくれる?」

「……でも」

「ほら、シュウシュウ。じゃあね」

「っ……」


 無理矢理、ベッドから押し退けた。刑事さんにも背中を押され秀介は、部屋を追い出された。最後の心配そうな顔は、忘れよう。忘れよう。さよなら、秀介。

 君とは、恋愛したかった。病室じゃないところで、お喋りしたかった。もっと君を知りたかった。笑いあいたかった。でもあたしに恋愛する資格はない。さよなら、シュウシュウ。


 あたしは寝たフリをした。だけど、彼は来なかった。夜にくるのだろうか。夜になるまで色んな事を考えた。これは実は警察の罠。本当はあたしを容疑者として見張っていたとか。なら刑事を殺そう。なんて戯言だ。

 夕飯を飲み込んで、じっと扉を見つめた。最悪なことに最後の夜に警護するのは佐藤刑事。篠塚刑事だけじゃないだけましか。あたしと死ぬなんて哀れだ。コツコツと時間は過ぎていく。早く殺しにくればいいのに。考える暇を与えないで。後悔を募らせないで。


「寝ないのかね?」

「……そのうち寝ますよ」


 消灯の時間はとっくにすぎた。佐藤刑事が気になったらしく訊いたが、冷たく返す。ムカムカして手が疼く。殺したい。殺したい。


「気分が悪いのか?」

「そんなんじゃない……ほっといてください……」


 もう黙れ。両腕を胸の前で組んで固定する。こうでもしなきゃポケットからメスを出して、彼の首をかっ切っちゃう。想像して、紅が恋しくなった。殺したい。だめだ。殺したい。だめだ。

 まるで制御不能のもう一人の自分がいるみたい。ドクドクドクドクと心音が思考を埋め尽くす。殺したい。だめだ。殺したい。だめだ。殺したい。だめだ。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。

 ガラッと扉を開く音に我に返った。

 目に映るのは、笑みをにんまりと貼り付けた青年。透けそうな薄い茶髪、白い襟つきシャツの長袖は折られて、細い手首に黒い紐のアクセサリーが巻いてあったり銀色のブレスレットが垂れていたり、灰色のズボンは黒いブーツの中にしまわれている。その異常者が、あたしに笑いかけた。


「んひゃひゃ、迎えに来たよ」


 あの声。間違いなく彼だ。

 電流が走ったかのように震え上がった身体。恐怖。首が痛む。反撃も考えたが、やはり彼には敵わなそうだ。殺される。


「なんだ! 君は!」


 だめ、それを言いかけたが届かなかった。

 立ち上がった佐藤刑事の首を掴み、壁に叩き付けた。あんな細い身体にどうしてそんな力があるんだ。


「んひゃあ? 君は……ふぅんふふんっ。佐藤刑事君ねぇ? 君一人彼女の護衛? ははんっ」


 ニヤニヤ笑いながら、彼は刑事のバッチを取った。


「お前が……! 頭蓋破壊屋!?」

「んひゃっスカルクラッチャーって呼んでよ。そっちの方が気に入ってるんだぁ」


 顔色を変えた佐藤刑事に笑いかける。異常者だ。刑事まで殺す気が。顔を見られたなら殺すか。

 佐藤刑事が懐に手をいれた瞬間、彼は頭突きした。額と壁に後頭部を叩き付けられた佐藤刑事は小さく呻いたがなんとか踏みとどまる。

 今しかない。あたしは真っ直ぐに扉に走っていった。「あ」と彼が声を洩らしたが、佐藤刑事が飛び掛かったのか凄い音が聞こえた。あたしは振り返らず走った。暗い廊下を裸足で走る。ペタペタと走ってしまっては相手に丸わかりかもしれないが。逃げることしか出来ない。

 遠くで大きな音が聴こえて思わず振り返ったと、同時に前に人の気配があると気付いた。その人に捕まった。


「っ!!」

「椿! 俺だよ」


 震え上がったが、秀介だった。あたしを捕まえているのが、秀介だったと知って混乱する。


「な、なんでっ!?」

「なんでって……俺の部屋の前だぜ?」

「なんで出てるの!?」

「物音がしたから……何かあったのか?」


 コツン、と足音が耳に届いてあたしは凍り付く。

 秀介を隠さなきゃ。頭の中で叫び声がした。あたしは部屋に秀介を押し込んだ。


「椿!?」

「絶対に出ちゃだめ! お願いだから!」


 あたしはピシャリと扉を閉める。お願いだから出ないで。強く念じてから走り出す。

 そうしたら何か光るものが見えた。それが足元に突き刺ささり、驚いて倒れる。床にはメスが食い込んでいた。飛んできた先に目を向ける。


「だめですよ……? 廊下を走っては」


 ガラス張りの窓の月の光の下に現れたのは、笹野先生だった。その手にはメス。


「逃げる必要はないでしょう?」

「な……んで……貴方が…?」

頭蓋破壊屋スカルクラッチャーに頼まれてたんです、君が生きているかどうかを確認に」


 ニコッと笑って言った。知り合いと言うわけか。まさか頭蓋破壊屋に仲間がいたなんて思ってもみなかった。


「君の作品は上出来でした。初めてにしては躊躇なく切り裂いていましたね、椿さん」


 作品? 死体のことだろうか。ああもう、あたしは殺人鬼に縁があるのか。


「免許偽造でしょ、先生」

「本物ですよ」


 医師免許は剥奪されるべきだ。メスを投げ付ける医者は全て。死体を作品と呼ぶ殺人鬼には不要だろう。否、持たせてはならない。


「安心してください、警察は誰一人貴女の事を疑っていません。被害者全員の返り血を浴びただなんて知らないようですから」

「……」

「ああ、君が犯行に使ったカッターなら私が持ってますよ。お返ししましょうか? なんなら……これで警察の方を殺ったらどうでしょう? 実に返り血を浴びる君の姿が見てみたい」


 こいつも異常者だ。相当狂っている。しかも医者の分際で殺人鬼。

 どうする? お望み通り殺人ドクターの返り血を浴びようかと考えたが、医者相手にメスで対抗はフリだ。あちらはプロであたしは素人。睨み付けていれば、秀介の病室の扉が開かれた。

 まずい、と絶望感が広がる。秀介に、聞かれた。あたしが殺人犯だと知られた。

 表情のわからない顔で、秀介はあたしに歩み寄る。

 秀介を、殺さなきゃいけない?

 それは嫌だ。でも殺したい。ドクドクと心臓が暴れる。やめて。混乱させないで。秀介も、何も言わないで。秀介がしゃがんだ瞬間、身構えた。


「なぁーんだ、つばきゃんがアレ殺ったんだ」


 上から振ってきたのは、怯えた声でもなく批判する声でもない、秀介の明るい声だった。顔を上げれば、いつもの笑みであたしを見ていた。


「首をスパッと? 俺も死体を覗いたけど、かなりの返り血を浴びただろ。すげっ」

「……」

「しかもカッターだけ。60人を電車の中とはいえ一人で殺ったなんてすげぇな!」

「56人ですよ」


 言葉が出なかった。秀介までもが何故かあたしの殺戮を褒めている。立ち上がって笑って言った60人にちょっと傷ついた。20人だと思いたかったのに56人殺したようだ。そんなにいた覚えがない。


「君が彼女にちょっかい出してると聞いていましたが……何の用ですか? 秀介君」

「るせーよ、ドクター。お前こそ椿に何の用なんだ、あ?」


 あたしの前に立って、秀介は笹野と向き合った。知り合いのようだ。まさかと頭が一つの推測を出す。

 秀介も、異常者。

 殺しを褒めた時点で異常者確定だ。咎めせず笑って、何故笹野と向き合う?


「頭蓋破壊屋が狙ってるようだが……何でだよ? 頭蓋破壊屋は何処だ!?」


 あたしをチラリと見た秀介の顔に、闘争心が見えた気がする。口元をつり上げてるが、なんだか興奮を抑えてるようにも見えた。


「直接彼に訊いたらどうですか? どちらにせよ、そこを退いてください」

「嫌ーだね。俺、椿を守るから」


 前にも言われた言葉を耳にして思い出す。

 真剣な目で、あたしを殺しに来る者から守ると言ってくれたあの時。

 振り返って、もう一度秀介はあたしに「守る」と言った。


「ふふ……守る? なら私と向き合わず手を引いて逃げたらどうですか。貴方の敵は、私ではない」

「は? 椿狙ってんなら、俺の敵だし。てめぇ潰して、クラッチャーも……潰してやらぁ!」


 秀介は何処から出したのか、手に槍のトライデントを握って、笹野に飛び掛かった。笹野が投げるメスを弾き、トライデントを振り下ろす。

 異常者がこの病院に三人。自分を入れて四人。早く出ないと入院患者が被害にあう。異常者に構ってられない。あたしは立ち上がり、彼らに背を向けて走り出した。


「待ちなさい! 危険です!」


 笹野のそんな声が聴こえた気がしたが、秀介の攻撃で掻き消された。

 階段を駆け降りて気付く。出口には刑事が待機している。もしも篠塚刑事と会ったら、彼まで殺されてしまう。どうしようと答えが出ず立ち尽くす。屋上に逃げ込んで、やはり殺してもらおう。そう思い、階段を登ろうとしたが足音が聴こえて咄嗟に逃げ出した。

 何処かの部屋に飛び込み、息を潜める。この気配は、頭蓋破壊屋ではなさそうだ。

 笹野? 秀介を殺したのか?

 必死に叫び声を押し殺す。もしかしたら看護婦かもしれない。だっているはずなのだから。

 確認しようと床に手をついて移動しようとした時だった。手が人の肌が触れて震え上がった。目を凝らすと、看護婦が倒れていた。この部屋はナースステーションだ。まさか奴らは看護婦も医者も殺したのか? そう思ったが手首に指を当てれば脈を打っていた。外傷もなさそう。ただ眠らされただけのようだ。

 こうなると表にいる刑事もやられているかもしれない。篠塚刑事が……。

 確認しよう。窓から玄関が見れる。あたしは気配を確認してから、ナースステーションを出た。

 気配が消えた。誰もいないようだ。夜の病院は、一時の静寂を取り戻していた。そっとガラスを覗き込む。下にはパトカー。報道陣が数人。騒いでない様子からして刑事は生きているようだ。篠塚刑事が生きてる可能性は高い。ほっと息を吐いて、屋上に行くと決意して動き出した。

 プスッ。その時、聞こえてきた音と同時に左腕にピリッと痛みが走った。押さえれば、ぬるっとしたものに触れる。あたしの、血だ。


「……佐藤刑事……?」


 何が飛んできて何があたしの腕をかすったかは、すぐにわかった。佐藤刑事がこちらに向ける銃。それには銃声を消すサイレンサーがつけられて、その銃口はあたしに向けられていた。


「動くな」


 佐藤刑事は、それだけ言う。

 額には頭突きされた痕が残っていたが、死体ではないらしい。頭蓋破壊屋を銃で撃ち殺したのか。彼は撃たれても死ななそうだが、いないならそう考えるのが妥当だ。

 どうやら異常者は五人らしい。サイレンサーをつけてるなんて、暗殺者がすることだ。もう諦めて問いただそう。


「何の真似ですか」

「君は餌だ。頭蓋破壊屋を誘き出すための、な。逃げられては困る」


 誘き出す? 彼はまだ生きているらしい。何処にいったんだ?


「随分、熱心な刑事さんですね。餌を使うなんて」


 頼むから、これ以上警察嫌いにさせないでくれと溜め息をつく。

 あたしは餌。頭蓋破壊屋を誘き出すために、彼はあたしについていただけだ。あくまで彼の単独だと言ってほしい。

 なんて災難。頭蓋破壊屋絡みではないか、全部。笹野も秀介もこの暗殺刑事も。苛々してきた。


「頭蓋破壊屋を殺したいんですか?」

「まーな」

「よければ理由を教えてください。餌にされる意味がわかりません」

「理由は簡単だ」


 然り気無くポケットに手を入れて問う。

 ニヤリと悪党のような下品な笑いを浮かべる佐藤刑事は答えた。


「君が生きているからだ。奴は獲物は殺す、完璧主義者なんだ。必ず君の元に現れると安易に予測できた。おかげでやっと彼に会えたよ、ありがとう。彼に会えるなんて光栄だよ!」


 完璧殺人者の間違いだろう。そしてお前は完璧異常者だ。

 どうやら頭蓋破壊屋に憧れを抱いているようだ。気持ち悪い。こんな奴に利用されるなんて吐き気がする。完璧に狂ったイカれ野郎。


「今回の殺しはいつもと違っていたのが驚きだったが、君が生存していたことに感謝する」

「……あたしが生存してたのは、あたしが」


 どうやらあたしが殺ったとは知らないらしい。そんなに好きなら、初めての殺しと“奴”の殺しの区別くらいしろ。そう文句を言うついでにあたしは、自白した。


「あたしが56人の首を裂いた犯人だからだ。ど阿呆。警察の目は節穴か? ああん?」


 苛々が募って、口調を尖らせる。目を丸めた彼は傑作だった。ざまあみろ。


「頭蓋破壊屋の殺しと間違えるなんて……ばっかじゃない?」


 思いっきり嘲笑ってやったら、銃弾が飛んできた。頬に痛みを感じて、また苛々が募る。嗚呼殺したい。メスをギュッと握り締める。


「通りで。彼の殺人現場にはいつも脳みそが散らばっていたのに、今回あそこは綺麗な血だけで染められていた訳だ。なのに凶器は見つからなかったのは、何故だ?」

「アンタの彼が、あたしから奪って切りつけたんだよ」


 殺したい。その口、黙らせてやりたい。


「そんな君を殺し損ねたのは、驚きだな。君を追って何処かに行ってしまったよ」

「へぇ、フラれたんだ。よかったね」

「自白したと言うことは、私を殺す気なのだろう?」

「はぁ? あ、彼だ」


 自白した相手を殺すのはお互い様だ。あたしは佐藤の後ろに目を向けた。

「何!?」と安易に信じた彼が、振り返り銃口を向ける。あたしは踏み込んで佐藤と距離を詰めた。


「殺すに決まってんだろ!」


 にんまりと口元をつり上げて、メスを振り上げる。空振り。身を引いて避けられてしまった。

 あたしは動じず直ぐに次の手を考える。指でメスを持ち変えて振り降ろした。

 しかし、腕を掴まれ止められる。額に銃口が突き付けられた。引き金を引く指が見えた。咄嗟にもう片方の手で銃口を退ける。それから足を顔面目掛けて振り上げた。佐藤はあたしの手を放し、身を引いて避ける。


「ハッ。騙されたな。あの人数を密室の中、殺すことが貴様にできるとは思いもしなかった」


 現に出来てしまいました。

 正直自分でも驚きだ。火事場のばか力というやつか。今のも自分がこんなに動けるなんてびっくりだ。


「さっき逃げ出したのは何の為だ?」

「決まってんじゃん、クラッチャーから逃げるためだよ。アイツには勝てないだろうからねっ!!」


 メスを投げ付けて、あたしは走り出した。


「私にも勝てないと思っているのか!」


 銃弾が飛んでくる気配が感じる。が無視して振り返り、二発目のメスを投げ付けた。

「うぐ!」と聞こえた悲鳴に笑みを洩らす。当たったようだ。


「アンタには勝てると思ってるよ、銃がなければね」


 銃は厄介だ。あたしは階段を駆け上がった。勝てないと思ってたら、飛びかかったりしない。

 四階、五階と登る。この病院は広い。駆け回れば撒ける。鬼ごっこなんて嫌だが、銃に勝る武器を見付けて、ボコボコにしてやろう。病院にある凶器。手術室になら楽しそうな物がありそうだ。

 五階について、反対側の階段へと向かった。銃を奪って撃ち殺すのも悪くない。隠れて不意打ちを喰らわそうか。もう殺したい衝動の制御はしない。


「み」


 背後に気配を感じた。振り返るより早く引っ張られ、口を押さえられる。


「ふぐ!?」

「つけたぁーつぅばきちゃん」


 頭蓋破壊屋の声。のろまで陽気な声で、あたしを抱き締めるような形で影の中に座った。ゾッとしたが、今のところ何かしてくる様子はない。直ぐに口から手を放してくれたが、あたしの身体に腕を回したままだ。


「……モテるみたいですね」

「んー? ああ、ミラー君のこと?」


 殺さないんですか、の質問は後回しにしてあたしは刑事のことを訊いたのだが、なんだかわからない単語を出した。暗くてよく見えないが彼を振り返る。


「佐藤刑事だよ。俺を真似て殺してんだー多分10人殺したかな、一年前から」

「よっぽど病んでるデカですね」


 あいつ今殺すべきだ。犯人に憧れて殺しをやるなんて。人間とはなんとも馬鹿げた生き物だ。なんて思うあたしが言えることではない。


「それで……貴方のこれからの予定は?」


 ポケットの最後のメスを握りながら、訊いた。


「俺の予定は君を連れ出すことだよ」


 んひゃひゃと笑いながらそう答える。思わず声を上げた。


「あたしを殺すんじゃないんですか!?」

「えー? 迎えに来るって言ったじゃん。生き方教えてあげるって」


 あたしの耳に、そう息を吹き掛けるように言った。確か言っていたな。まさかそれが本当だったなんて。戯言じゃなかったなんて。本当に生かしてくれるのか、彼は?


「俺が殺すと思ったの? それとも殺されたいの?」


 腹に腕がキュッと巻き付けられる。不敵に耳元で笑い彼は顔をすりよせてきた。更なる密着に息を止める。


「ふふふ……もったいなぁいからついてきなよ」


 よくわからないが、ここは一応頷こう。それから一つ頼みを訊いてもらおう。


「なら被害者を出さずに連れ出してください、お願いします」

「うん、殺しに来たわけじゃないからね」


 簡単に、彼は了承して頷いてくれた。なんだ、頼めば聞いてくれるではないか。呆気に取られたがすぐに立たされた。


「さて、何処から出ようか」

「裏口も表も刑事がいますよ」

「なぁんだ、じゃあ横の窓から出ようか」

「……は?」


 そんな単純なのか。手を引かれながら瞬きをした。迷いなく頭蓋破壊屋は、裏でも表でもない横の窓に向かう。まさか飛び降りるつもりだけはないだろうな、五階だぞ。

 その時。繋いだ手に痛みが走って思わず彼の手を振り払った。彼は「あっ」と間抜けな声を出してある方を見た。手には血が溢れる。あたしもそっちに目を向ければ、佐藤刑事が見えた。また撃たれた。ムカつく。


「もー。俺、君には用ないよ?」

「私にはありますよ、スカルクラッチャー」

「なぁに? まねっこ刑事さん」


 銃口を向けられても、笑顔を絶やさず頭蓋破壊屋は佐藤を見た。

「貴方とこうして話せるなんて……」と興奮した顔の佐藤と言ったら、変態の何者でもない。


「一体何を使って、人間の頭を粉砕しているのか知りたい!」

「んー?」

「ハンマーを使っても同じように脳みそが吹き飛ばない。一体どんな武器で!?」


 ああ気色悪い奴。こんな奴に怪我負わされたと思うと、腹が立ってしかたない。殺しちゃおう。排除しちゃおう。殺っちゃえ。

 まるでもう一人の自分と入れ替わったように、身体は何も考えずに動いた。


「! 君に用はっ……!?」


 向かえば佐藤に銃を向けられたが、銃口が向いてなければ怖くない。押し払い、メスを振り上げた。佐藤は左手を犠牲にしてあたしを蹴り飛ばす。


「っ……!!」

「ヒュー、やるねぇ。てかよく大人しく入院出来てたね。殺したくて殺したくてウズウズしてなかったぁ?」


 腹を蹴られたが、紅い血を見て直ぐに痛みは忘れた。紅だ。頭蓋破壊屋が茶化すように言った。なんでわかったんだ。


「まだ持っていたか!」


 佐藤はまた銃口を向けて発砲。あたしは転がって、銃口から避ける。


「つーばちゃん」


 頭蓋破壊屋の声が、銃弾の雨を止ませた。


「……なんです?」

「被害者は出すなって言ってたけど、コレは被害者には入らないでしょー?」


 あたしの前に立ち、にんまりと言った。つまり、自らコレ、彼を殺すようだ。ちょっと自分で殺りたかったが、深呼吸して抑え込み、頷く。

「うん。待ってて」と頭蓋破壊屋は佐藤と向き合った。

 頭蓋破壊屋の背中を見る限り、頭を粉砕するような武器は見られない。あの日同様に丸腰の彼だが、味方だと思うと心強いと感じる。

 本当にこいつ何者だろうか。


「んにゃー俺の殺し方を知りたいのかぁい? じゃあその身体に教えてあげる」

「私を見くびらないでもらいたい」


 どうして佐藤が殺されない自信があるのか、理解できなかった。


「ふぅん?」


 彼が軽い足取りで踏み出したかと思えば、側転して佐藤と距離を詰めて拳を振り上げた。あまりの早さに驚いたが佐藤は身を引いて避ける。「んひゃ」と笑った頭蓋破壊屋は外したことを、さも気にしてないように回し蹴りをした。顔に向かってきたそれを佐藤は膝をついて避ける。空回りした足を先程まで置いていた場所に戻す頭蓋破壊屋は、遊んでいるように見えた。

 銃口を向けて佐藤が反撃に出る。が、容易く彼が長い足で蹴り飛ばした。それがあたしの元に転がる。


「俺がねぇ、殺しをやる時はねぇ」


 銃を取りに行こうとする佐藤の行く手を塞いで立つ頭蓋破壊屋が口を開く。直ぐに拳を振った。首を曲げて避けた佐藤だが、今度は足を突き上げられ腹に入った。


「ぐっ!」

「色んな武器使うよー?」


 佐藤の反撃を避けながら、頭蓋破壊屋は笑う。

 確実に遊んでいる。弄んでいる。

 佐藤刑事の構えを見る限り何かを心得てるようにも見えるが、頭蓋破壊屋は物ともせずに軽く身体を捻っただけで避けていった。

 佐藤が拳を振っても、頭蓋破壊屋には掠りもしない。たまに彼の攻撃が決まるが、大ダメージではない。手を抜いている。どうして遊ぶんだ。さっさと殺すなら殺せ。


「打撃系の武器だったり剣だったり銃だったり」

「……っ、銃ではあんな風にはならない」

「まーね」


 パリーン。

 プスプスと軽い音がしたあと、穴が空けられたガラスは弾き割れた。「あ」と頭蓋破壊屋が見るのはあたし。袖の上から銃を持つあたし。待たせるな、あたしはムッとした顔を向けた。


「んひゃあひゃひゃっ。もう飽きちゃったの? 短気ちゃんだなぁ」


 笑い声を上げる頭蓋破壊屋は動じてない。ガラスを割ったことで、恐らく下にいる刑事が気付くだろう。あたしは無言のまま指紋をつけていない銃を思いっきり割れた窓に投げ付けた。これなら確実に異変に気付くはずだ。


「しょーがないなぁーひゃひゃひゃっ!」


 そう言った彼の動きが変わった。ブゥンと重い風を切る音がした後に、ドスッと佐藤の脇腹に蹴りが入れられた。


「ごほっ!!」


 今度は休む暇を与えず、佐藤の肩に踵が落とされる。肩を強打、そして冷たい廊下に叩き付けられた。


「んひゃあっ」


 足元に倒れた佐藤を見下し、ケラケラと笑う頭蓋破壊屋。彼に“玩具”と認識されたら、終りだ。弄ばれ、殺される。圧倒的な力を見せ付けられるなら潔く命を差し出した方がましだ。

 あの電車の中で攻撃しなくてよかった。心底安堵する。やっぱり彼には敵わない。


「くっ……!」

「よいしょっと」


 頭蓋破壊屋は、佐藤の髪を掴んで立たせた。望み通り、頭を粉砕させる気なのだろうか。

 一体どうやって? まさか素手で?

 凝視していたら、彼が佐藤の背をガラスの方に向けた。あたしは二人の間が見える位置に膝をついている。あたしがよく見えるようにその位置に立ったのか、真意はわからないがこれなら何をするかわかる。


「剣では喉を切ったり手を切り落としたり、打撃武器で腕と手を潰したりするけど、トドメはねぇ」


 んひゃあひゃひゃっ、と笑って頭蓋破壊屋は言った。


「“素手”だ」


 よ、と口から発しられた瞬間。

 頭蓋破壊屋のもう片方の手が佐藤の額に打ち込まれた。ただ打ち込まれたように見えた。あたしにはそう視えたのに、佐藤の頭は吹き飛んだ。粉砕されたように吹き飛んだ。普通の腕力ならばそんなこと有り得ない。“普通ならば”頭蓋骨ごと粉々に何てならない。“普通の腕力ならば”有り得ない。況してや見た目はただの青年に、“普通以上の腕力”があるとも思えない腕が、人間の頭蓋骨を粉々にして眼球さえも跡形もなく脳みそと共に吹き飛ばすなんて、人間業ではない。

 頭を無くした佐藤の身体は崩れるように、無惨な頭を追うかのように、五階の窓から落ちていった。

 その殺し方で付けられた頭蓋破壊屋と言う名を持つ彼は、ただ平然に、いつもの笑みのまま、首を無くした身体を冷酷な目で見送る。

 白いシャツはおろか、掌さえ、指先さえも汚れてはいなかった。粉砕させた手に返り血も浴びず、殺した。この男は一体何なんだ。

 飛んだ脳みそを見て、気持ち悪くなったが巨大な疑問が忘れさせてくれた。


「さぁ、行こうか」


 何事もなかったかのように、あたしの元に歩み寄った彼が触れてきて驚く。ビクッとしたが気に留めない彼は、あたしを抱き上げた。体重は言えないが、どうして軽く持ち上げられるんだ。あたしはお姫様抱っこを気にするより、恐る恐ると彼の二の腕に触ってみた。


「ひゃあーかゆいよ〜つーばちゃん」

「ど、どうやったんですか? 今の」

「えー? 見せた通りだよ」


 にぱっと笑って見せる彼。視ていた。視ていたが、信じられない。

 一体何の種があるんだ。腕の肉はそれ相応に引き締まっているようだが、それでは納得できない。あたしの肩を握る手に、衝撃波を出す何かがついているかと思ったが何もない。

 ふと気付く。真っ直ぐ彼は窓に向かっている。


「えっ? えっ? えっ? ちょ、待って! あの、あの人仲間なんでしょ? 笹野先生」

「幸樹くーん? 幸樹は車で来てるしぃ一緒に出ない方がいいっしょ、この病院の人間だからねぇ」

「あの人! 秀介君と戦ってて……!」

「しゅーちゃん? 神出鬼没だねぇひゃひゃっ」

「お願い! 彼を殺さないで!」

「んーん? ……心配しなくても、幸樹は秀介君を殺さないよーん」


 秀介は殺されない。それを聞いて安心する。どうやら笹野先生が、彼を中にへと手引きしたらしい。安堵している内に窓の前に来た。


「さてさて、行くよぉ?」

「行くって地上の下の地獄にですか?」

「んもー心配性だねぇ椿ちゃんは」


 真剣に言ったのに、笑い退けられた。本当に五階から飛び降りるつもりだ、この異常者。


「椿!!」


 階段の向こうから、篠塚さんが呼ぶ声が聴こえた気がする。

 頭蓋破壊屋は、窓を飛び越えた。味わったことのない最大級の浮遊感に襲われる。ゾワゾワと血の気が引く中、落下。悲鳴さえ出ないくらいのスリル。ジェットコースターが好きなあたしでも、これは二度と味わいたくないと思った。

 真下へと一瞬という速さで落ちたにも関わらず、着地は大した衝撃はなかった。まるで猫の着地のようにタンッと頭蓋破壊屋は着地したのだ。そして平然と歩き出した。


「頭蓋破壊屋さん、頭蓋破壊屋さん。血液を上に置いてきたみたいです」

「ひゃっひゃっひゃっ! 椿ちゃん面白いねぇ!」


 地上は騒がしい音を立て、異常者の笑い声を響かせる。一面の夜空は静寂を守っていた。これからの始まりを見守るかのように。

 頭蓋破壊屋は笑う。笑う。生き方を教えると。笑う。笑う。笑う。笑う。



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