表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/16

紅と黒の猫



懐かしい。

すごく、懐かしく感じた。

刹那だけ。

あたしは咄嗟に蓮真君を押し退けて物陰に隠れた。

息が上がる、脈が乱れる。

まずい。まずい。まずい。


「なに?知り合い?」

「知り合い、も、なにも……」


きょとんとする蓮真君。

悠長に説明している場合じゃない。そんな場合なんかじゃないのだ。

逃げなくちゃ。


「ごめん。あたし、逃げる」

「はっ?ちょ、ま」


あたしは直ぐに窓に歩み寄って開いて、飛び降りた。路地裏だから人気はない。表は警察がいるだろう。

だからあたしは表にいかないように路地裏を駆け出す。携帯電話を耳に当てながら。


「白瑠さん!」


悲鳴みたいな声であたしは呼ぶ。


「迎えに来てください!今すぐに!お願いします!!」


─────怖かった。

秀介から逃げたんじゃない、警察から逃げたんじゃない───篠塚さんから逃げたんだ。

逃げなきゃいけないと思った。

会いたくないと思った。

最後に会った、病室での会話だけでも胸が痛い。会ったら、会ったら、凄く痛いだろうから。

だから。

だから。

逃げなきゃ、と思った。




真っ白な病室。紅色の椿の花が、ポックリと落ちる。


「つーばぁーきー、ちゃん」


目を覚ます。病室なんかじゃなかった。与えられたあたしの部屋だ。

帰ってきたあたしは真っ先にベッドに倒れ込んで眠ってしまった。

起こすのは真っ白な白瑠さん。

騒がしい声じゃなくて穏やかな声であたしを呼んで起こす。指先で頬を撫でて、首を撫でる。チリンと鈴が鳴った。


「おーはーよーう」


にっこり、と笑いかける。

そんな笑顔に何も返さなかった。

起き上がったあたしの手を引いて白瑠さんはリビングに行く。

リビングには藍さんがいた。別に驚くことでもなんでもないけれど。

カーテンが閉まっているならもう夜なのだろう。


「おはよう、お嬢。今日はお疲れだったね。タヌキはわかったかい?」

「ええ、恐らくあの漫画喫茶の店長です」

「うひゃー店長?なぁんだ、どうりで店自体が血臭いわけだねえ」


あたしの異変を察して気遣っている二人は平然に振る舞う。変態でもそんな気遣いをしてくれるのか、なんてぼんやり冷たいことを思ったりする。


「お嬢?へーき?」

「……平気ですけど」


ソファから立ち尽くすあたしを見上げたから睨み付ければ「そっか」と藍さんは笑った。


「それでタヌキをどうするんだい?お嬢」

「そりゃあ取っ捕まえて命を狙ったわけを問い詰めるつもりですよ。人がいないところで捕まえようとしたんですけど…───」


そこに──篠塚さんが現れた。

篠塚さんはともかく、秀介のことを話した方がいいだろうか。もしかしたら二人が一緒にいた訳がわかるかもしれない。

そう思考が行き着いたあとに、ふと真っ暗になった。

不意に意識が途切れたのかと思ったが違う。単に部屋の明かりが消えただけだ。停電?


「血のにおいが骨まで染み付いた小娘だな。百に近い人数は殺している、人間殺しめ」


背後からそんな声が聞こえた。全く聞き覚えのない声。

瞬時にあたしはナイフを取り出して後ろに向かって振り上げた。

首があるだろう場所を狙ったが、手首を掴まれて止められる。

正確に手首を掴んだ?視えてるのか?

あたしは全くも視えないというのに、そんなまさか。

直ぐにカルドを抜き取って腹を裂こうと振り上げたが「わわっ」と白瑠さんの声がしてピタリと動きを止める。

そのあとに、部屋の電気がついた。

白瑠さんを振り返っている大勢だったからすぐに手にしたカルドが白瑠さんの服の腹部辺りが切れていることに気付く。


「あ、すみません、白瑠さん」

「といいつつ力を入れるな。とんでもない殺人鬼を育てているな、クラッチャー」


白瑠さんに謝りつつもあたしはナイフに力を込めたがびくともしない。

目を向けると、あたしの手首を握っている男がいた。

冷めたような目付きであたしを見据えた眼は、硝子細工のような妖艶で魅惑的だ。もっと奥を見ればビー玉を見ていると錯覚しそうになる。

人形みたいな白い肌。服装全ては黒に纏められているが、モデルのように決まっている。


「紹介するよ、椿ちゃん。ラトアだ」


ナイフを握るあたしの右手を白瑠さんは掴んで離させ紹介する。しかし、腰に手を回す必要は何処にあるのだろうか。左手にカルドを右手にナイフを持っていることを理解しているだろうか。


「んで、ラトア、この子は」

「見ればわかる。巷で噂の紅色の黒猫なんだろ」

「そーう、んひゃ、椿ちゃんだよ」


あたしの髪を弄んで白瑠さんは紹介した。

ラトア。鼻の利く奴。

幸樹さんが迎えに行った人。──人?人と呼ぶには少し── なにか──存在感が違う気がする。


「何をじろじろ見ている、小娘」

「…………」

「ほらほら、つばちゃん。みてみてー」


なんか不機嫌だこの人。

ラトアとか言うこの人とどう接するべきかを考えていれば横からナイフを白瑠さんに取られた。

みてー、と言われたので見たら、グサリ。ナイフはラトアの白い首筋に食い込んだ。

え?何してんだこの人?

助っ人で呼んだのでは?

と思ったが、直ぐにある存在を思い出した。


「───吸血鬼?」

「大正解!」


いくらタヌキを見付けたからって、助っ人で呼んだ彼を殺すなんて意味がわからない。意味がわからない人だけれどこんな意味不明なことはしないだろう。

つまりは、刺したが死なない。死なない存在。それは吸血鬼。

白瑠さんより鼻が利いて当然なのだ。裏現実に存在する秘密。吸血鬼。

白瑠さんはすぐにナイフを引き抜いた。頸動脈を貫いているはずなのに血は吹き出ず、寧ろ傷は塞がって血一滴も出ずに完治。


「いつもいつも──何しやがる」

「んひゃひゃひゃ!だって楽しいじゃーん」

「貴様は狂いすぎだ、クラッチャー。頭のネジを嵌め込む努力をしろ」


そしてラトアは平然と喋って白瑠さんを睨み付けた。

「つばちゃんもやってみて」なんて白瑠さんが言うので首を横に振って断る。

確か一緒に苛めて遊ぼうとか言ってたっけ。生憎あたしそんな趣味はない。


「えー楽しいのに」

「フン、どうやら弟子は多少はまとものようだな」

「やだなぁ、ラトアくん。椿お嬢は純情な子だよ、白いニーソを履くような娘だ!」

「貴様は相変わらず少女好きなんだな、藍乃介」

「彼女はいたって見た目通りの娘だと、説明したでしょう?ラトア」


どんな娘だ。

とりあえず藍さんのおかげでラトアさんは変態じゃないことがわかった。

ラトアさんにコートを、と手を出す幸樹さん。

「おかえりなさい、幸樹さん」と言えば微笑が返ってきた。ただいま、と。


「おや?随分と疲れた顔をしていますよ。二人に手を焼いたようですね」


ラトアさんからコートを受け取った幸樹さんは顔を覗く。


「それとも進展がなかったのですか?」

「………いえ、ありましたよ。今日は命を狙われましてね、尻尾が出てきたんです」


あたしは首をゆるりと振って報告した。今日はまだ報告していなかったので当然知らない。


「それはよかったですね。ラトアも来たところですし、現在状況を確認しましょうか」


そう言われたので全員座って、現在状況を話すことになった。

何があったのか、誰がタヌキなのか、それからタヌキが仕留められなかった訳も話す。警察──それと秀介の登場を話した。


「タヌキですか。懐かしいですね」


そう幸樹さんはお茶を啜って洩らした。

「え?」ときょとんとした反応をしたのはあたしと白瑠さん、それから藍さん。


「糸目の男でしょう?少し前に仕事をした仲でしてね」

「まさか身近に接点が!お嬢!重要参考人を確保!」

「藍さん、テンションうざい」


さらりという幸樹さんを指差して興奮した藍さんを冷たくあしらう。ラトアさんというと、優雅にお茶を啜っていた。


「仕事仲間だったなら多少はご存知ですよね?」

「ええ、私が知る限り彼は誰かの真似事をするような男ではありません」

「……ですか」


ならばやはりタヌキが偽者とは限らないだろう。では、何の為に命を狙った?


「話し合いが通じる人ですか?直接の接触が可能ならば幸樹さんに頼みたいんです」

「話は通じる人ですから、何気なく近付くことにしましょうか」

「ふん、俺の出番はないようだな」

「そんなことありませんよ、ラトアさん」


ラトアさんに話す。


「明日はラトアさんも来てください。まだタヌキが黒と決まったわけではありませんので、客の中から裏現実者を貴方の鼻で見付けてもらいます」


言って思い出す。篠塚さんの存在。

明日は、いるのだろうか。


「ところで………警察と秀介くんがいたのですが、何故だかわかりますか?」

「あー、あの狩人の鬼?」

「ポセイドンか」

「秀介くんは大方、警察関係の裏現実者に依頼されて動いているのでしょう」


警察関係の依頼。少し考えればわかることだろう。秀介はそれが仕事なのだ。

人殺しの狩人。警察と共にレッドトレインの犯人を追っている。

「ふふ、椿さん追われてますね」と何処か楽しげに幸樹さんは笑う。秀介の名前が出る度にそんな反応をされるのだろうか。

秀介が追っているのは多分、二回目の血塗れ電車を仕出かした偽者の方だ。警察の協力をしているなら死体を確認しただろう、あたしの仕業ではないと知っているはず。あたしがそんな茶番をしないことも、『紅色の黒猫』の名前を言い触らさないことも、理解しているだろう。

あたしを狩らないと言っていたんだ、偽者を狩るつもりだ。気が変わっていなければ。


「警察もあの喫茶に行き着いたってことでしょうか?」

「狩人の鬼だってネットで言いふらしてるぐらい突き止めれるからね。ちょっと調べればわかるさ」

「んー、困った。警察が出入りすると行動範囲が狭くなる……」

「椿さんはともかく、私達は平気ですよ。警察より厄介なのは秀介くんですね。白瑠を見るなり飛び掛かります」

「白瑠さんはお留守番ですね」


漫画喫茶で暴れだす秀介が安易に想像できた。

ふと、ラトアさんが首を傾げていることに気付く。


「お前達はその小娘に仕切られているのか?」


そう問う。

仕切っているっていうか、一応話し合いなのですが。

ラトアさんの目線の先はさっきから黙ってニコニコとあたしの髪を弄る白瑠さん。


「そーだよ。今回は椿ちゃんの獲物だからね」

「でもさ、狩人の鬼が動いてるなら任せたらどうだい?」

「なんでですか!あたしが捕まえるんです!」

「ふん、ポセイドンと獲物の取り合いか。そんなとこまで似るとは傑作だな」


滑稽の間違いだろうと思う。鼻笑いをされたが不快ではない。口調的にはムカつく奴なのだろうが、白瑠さんが苛める対象のせいか。

確かに白瑠さん同様、これじゃあ獲物の取り合いをするようなものだ。

まぁ、白瑠さんと違って秀介を丸め込める自信はある。惚れた弱味と言うやつだ。


「ではあたしが秀介くんと話をします。幸樹さんはタヌキと。…そうですね、話が聞きたいです。盗聴機はありますか?」

「ぐふふ、勿論あるよ、お嬢」

「あっ!じゃあさじゃあさ!皆で藍くんのバンに乗っていこうよ!そこで盗聴!」


ねっねっ!と白瑠さんが騒ぎ出した。

もしもの為にも全員出陣することにする。全員が藍さんのバンでは逃走の際に不利だからと、幸樹さんの車と白瑠さんのバイクも動かす。

幸樹さんがタヌキと接触。話の内容は全て幸樹さん任せ。あたしが仲間かどうかを話すのも流れ次第だ。

警察が出入りしないか見張って警戒する。あたしは秀介が現れたら話にいく。

それで決定した。


「ねー、つばちゃん」


眠る前にナイフの整理をしていれば部屋に白瑠さんが方もしてきた。上目遣いで伺っているから、なんか変な頼みでもしに来たのかと身構える。またコスプレ着れとか?それとも明日はミニスカ穿けか?


「しゅーくんがいたってことはぁ、んー、えっと。あっ、しーのちゃん。しーのちゃんも居たでしょう?“レッドトレイン”だし」


思わず息を飲んだ。まさか。白瑠さんから彼の名前が出てきて焦りが走った。


「……ええ…。居ましたよ。それがどうかしたんですか?」

「ほら、しーのちゃんってつばちゃんの護衛もしたじゃん」


…そんなこと話した覚えはないぞ。


「それの配慮はないの?」

「配慮?何故ですか、篠塚刑事だって警察です。警察と違う警戒をしろというのですか?」

「んー、あのね、つばちゃん。しーのちゃんと話してるならわかるはずだよ。熱心でお優しいしーのちゃんが、帽子で顔を隠したぐらいで君だと気付かないわけないんだ。交番のお巡りさんと会っても“拉致された椿ちゃん”だってバレないけど、しーのちゃんは違うさ」


熱心で優しい。だから顔を隠そうとしたってバレてしまう。あたしのことをちゃんと覚えてる。あたしを今も探しているんだろう。あたしの無事を願っているんだ。彼は優しい人だから。

本当に優しい人なんだ。

白瑠さんもそれを知っているようだ。何かちょっかいを出したことでもあるのか。


「つまりは男の格好してもバレるから、何か対策を練ろと、そうゆうことですか?」


明日着ようとした服を掴む。


「格好はこっちで用意するよん。とりあえずー、しゅーちゃんとしーのちゃんは行動を共にしてるだろうからぁ、先ずは二人を離さなきゃ。俺がしーのちゃんを引き付けるよ」

「え?え?白瑠さんが…引き付ける?引き付けて頭を粉砕する気ですか?」


心底驚いてあたしは問う。まさかまさか。そんなことを許すか!ニコニコしてても許さないからな!


「でもしーのちゃんと顔を会わせられないじゃん?身柄を保護されちゃうよ。そうしないと幸くんがキツネと接触できないじゃーん」


秀介が幸樹さんに飛び掛かる光景が安易に想像できてしまった。それは困る。

…タヌキですよ。タヌキ。


「それにしーのちゃんは面白いから殺さないよぉん、ひゃひゃ」

「………………そうですね。じゃあ……」


言うのを躊躇った。

白瑠さんが殺さないと言うなら殺さないだろうが、どうも心配でならない。


「篠塚刑事が秀介くんといたなら、よろしくお願いします」

「んーひゃ、りょーかい」


いつもの貼り付けた笑みのまま白瑠さんはあたしの部屋から出ていった。

すごく篠塚さんが心配だ。

秀介と接触したときに守ってと頼もうか。それとも──。

ベッド脇の棚の引き出しの奥に隠した篠塚さんの名刺を取り出す。

連絡してようか。


「……ん?」


首を傾げて気付く。あたし、肝心なことを聞いていなかった。





翌日。東京で例の漫画喫茶の近くにいた。

あたしの格好は────ゴスロリだ。───や、ら、れ、た。


「男装より悪目立ちするじゃないですか!!」

「そんなことないさ!ぐふふ!東京でゴスロリは珍しくないさ!ぐふふーツボー」

「目を引くっつーんだよ!!!てめえらが楽しんでんじゃねえか!」


騒ぐあたしの格好はゴスロリ。真っ黒でフリルはこの前と違い紅色。勿論ニーソでブーツ。それだけならまだしも、腰のリボンの下には黒い尻尾が垂れてて頭には猫耳カチューシャ。

目立つ。どう考えたって目立つだろうが!アキバでも乙女○ードでもないこの場所に目立つに決まってんだろ!


「猫ゴス、ツボー」


白瑠さんと藍さんはもう至極幸せそうな顔であたしを眺めていた。そのまま天国に逝けばいい。

ラトアさんを見れば、哀れみの目で見ていた。無理矢理着せられた一部始終を見ていたんだ、彼が証言してくれればあたしは裁判に勝てる。この変態を二人死刑に出来ただろう。


「幸樹さんっ!!」


あたしはバンの外から見ている幸樹さんに泣きつく。


「く……可愛いですよ?…ふふ」


笑いを堪えきれてない幸樹さんは別の意味でツボっていた。み、見捨てられた…!


「いえいえ、見捨ててません。名は体を表すと言いますが……体が名を表してますね、ふふふ」


……確かに。幸樹さんのツボはそこかよ。

紅色の黒猫。多分あの二人はわざとだ。

巻かれて飾られた黒髪にも紅色のメッシュを入れられたし赤いカラコンまで渡された。なんであたしこんなに遊ばれてるんだろうか…。


「しかし些か猫耳は悪目立ちしますね。自分が『紅色の黒猫』だと言っているようなものです」

「えーいいじゃん。だってつばちゃんが本物だもん」

「そうですが、せっかく出た尻尾が怯えて引っ込んだらどうするんですか?」


バンの中に入って幸樹さんはカチューシャを取ってくれた。ぶー、と唇を尖らせつつも白瑠さん達はあたしをメイクした道具を片付ける。メイクもされた。あー落としたい。肩を落としつつも武器をしまい込む。ちゃんと配慮してくれたらしくナイフをしまい込むポケットが多い。助かるがせめて服装をましな物にしていただきたかった。


「警察はいない」


サングラスをかけたラトアさんがそう答える。一通り確認した幸樹さんも警察はいないと答えたので、行動を開始してもらった。

盗聴機をつけた幸樹さんが漫画喫茶に向かう。いつでも戦闘体勢に入れるように準備したあたし達は少し離れた駐車場で待機。

今日は蓮真君はいるだろうか?誰に会っても問題はないだろうし迂闊にあたしと接触しない──タヌキが行動を共にしてた、なんてチクったらどうしよう。

そう不安がっていれば、


「お久しぶりですね」

「……笹野」


幸樹さんがタヌキと接触した。

バンから四人でその会話を盗聴器で盗み聞きをする。

田村ことタヌキは猫山さんに奥の部屋に通すように言って、幸樹さんは移動した。

バンの運転席と助手席にはサングラスを掛けた藍さんと白瑠さん。太陽の光を避けて隅にサングラスを掛けたラトアさんが項垂れている。黒いイカついサングラスをかけた男が三人。怪しい。

そこにゴスロリ少女がいるのもまた怪しかったり。


「本当に漫画喫茶の店長をしていたんですね」

「出鱈目言ったと思ったのか?笹野はどうなんだ。まだ医者をやってるのか?」

「ええ、勿論です。表の仕事はともかく、裏の仕事の方はどうですか?最近」

「何を訊くんだ。最近は疎かさ。君こそどうなんだい?」

「活発とは言えませんがそこそこ、ですね」


お茶でも出されたのかコトンと物が置かれる音が聞こえた。それなりに裏の話に持っていってる。


「巷で噂の紅色の黒猫と違って、ね」


その名前を出した。


「そういえば、紅色の黒猫が二回目に殺戮した現場はこの近くですね」

「ああ──そうだったね。全く、とんでもない新人が現れたもんだ」


含み笑いをしてタヌキは言う。


「本当ですね。噂では頭蓋破壊屋に並ぶ存在だとか…。私達は肩身狭い思いをしてしまいますね」

「別に頭蓋破壊屋のように有名になりたいわけではないだろう。会わないうちに野心でも芽生えたか?」

「まさか。本心ではありませんよ」


きっと幸樹さんは微笑んで肩を竦めただろう。


「雑談はいい。こんな世間話をする為に訪ねてきたわけではないんだろ」

「おやおや。私はたまたま来ただけなんですよ?それともお邪魔でしたか?」

「そんなことはない。世間話が出来て楽しいさ。だが、何の用もないのに漫画喫茶なんかに君が来るとは到底思えない。オレに用があるんだろ?遠回しはやめてくれ」


だろうな。昔の仕事仲間が突然来たのがたまたまなんて信じないのだろう。


「つーばーちゃーん」


飽きてきたのだろう。シートに項垂れた白瑠さんが手招きする。少しは辛抱しろ。

ヘッドホンから幸樹さんの息を吐く音が聴こえた。


「実は、私に妹が出来たんです」


そう幸樹さんは切り出す。

タヌキは「妹?」と聞き返した。当然想像してるのは赤ん坊だろう。


「とても可愛がっていましてね。溺愛をしてるんです」

「……ふーん。そうか、妹、ね。その可愛い妹とオレとはどんな関係があるんだい?妹の自慢話か?」

「ふふ、まあそんなところですね」


クスクスと可笑しそうに笑う声は、あたしに向けられているのだろうか。

妹。ふうん。そう言うか。


「その可愛い妹が昨日命を狙われたんです」

「命だって?裏にか?なんでまた」

「それはよくわからないんです。なんであの子が……」


わざとらしく溜め息をつく幸樹さん。


「妹は無事なのかい?」

「ええ、それなりに教えてるので返り討ちにして無事でしたよ」


「は?」とタヌキは間抜けな声を出した。やっぱり生まれたての赤ん坊だと思い込んでたに違いない。


「おいおい、妹の歳はいくつだよ?」

「ん?確か十八でしたね」

「十八の妹?」


「ええ、可愛い十八の妹です。タヌキも見かけたことあるかもしれません。数日前からここに出入りしていますから」


それだけで十分だった。十分すぎるくらいだ。昨日で十八の少女で殺されるはずが返り討ちにした人間が何人いるのだろう。何人いようがタヌキの心当たりはあたしだけだ。

沈黙が落ちる。緊迫の刹那。

耳を立てるあたし達も緊迫を味わう。


「───可愛い妹が出来たんだな、笹野」


沈黙を破ったのは、タヌキだ。


「君とこんなところで殺しあいをしなきゃいけないのかな?」

「それは場合によりますね。今日はあくまで話に来ただけなんですよ、タヌキ。可愛い妹の命を狙ったわけを訊きに来たんです」

「わけ……ね。それを聞いたらどうするんだい?」

「妹は話し合いでの解決を求めてます。命を狙わないと約束してくれるなら私は大人しく帰りますよ」

「勘違いしないでくれ、笹野。あの娘が君の妹だと知っていたなら手出ししなかったさ。些細なことなんだ。謝る。申し訳ない。少々店で騒いでたから」


嘘つけ。それだけの理由で毎回客を殺してるとか言うのか。

しかし、容易く頭を下げたようだ。


「つーばぁーちゃーん」

「なんですか!」

「しゅーちゃんとしーのちゃんがいたよ」

「え?…え!?」


いいとこなんだから黙ってろと思ったが暇で呼んだわけではなかった。フロントガラスを見れば並んで歩く二人を視認。漫画喫茶に向かっているとこだ。


「行きましょう!白瑠さん!」

「ひゃーい!」

「藍さん、他の警察に警戒をしてください。ラトアさんは盗聴を聞いててください」

「了解、お嬢」

「承知」

「非常事態だけ連絡をください」


大まかにあたしは指示を残して白瑠さんと藍色のバンを降りた。


「ねーねー、つーちゃん」

「嫌です」

「まだ何も言ってないんだけど」

「どうせろくなこと言う気だったんでしょ」

「ろくなことじゃないよぉ、これが終わったらその格好でデートしようって言おうとしたんだよ」

「それがろくなことなんですよ」


そういつもの調子で会話しながら二人のあとを歩く。


「それでどうやって二人を引き離すんです?」

「しゅーちゃんにつーちゃんを見付けさせるんだよ」

「どうやってです?」

「殺気をぶつけるとか」

「殺気ってどうやって出すんです?」

「え?殺してやるーて念じればいいんじゃん?」

「篠塚刑事まで振り返ったらどうすんですか…」

「んー、じゃあこうしよう」


強引だが白瑠さんが提案したそれでいくことにした。

あたしは先回りして喫茶の出口に立つ。見つめた人混みから秀介達が来るのを待った。

そして二人の姿を確認する。

「…盗聴機つけられてないわよね」とちょっと盗聴機がつけられている可能性が過ったが白瑠さんの合図を見て直ぐに行動した。

人混みの中、篠塚さんを白瑠さんが無理矢理引っ張り注意を逸らす。そしてこちらを向いてる秀介にあたしが手を振って注意を向ける。

強引すぎたがなんとか上手く行った。篠塚さんはそのまま人混みに消え、秀介はあたしだと気付いて直ぐ様駆け寄る。

篠塚さんは白瑠さんに任せるしかないのだが、心配だ。


「椿!……そんな妬くなよな」


駆け寄るなり何故か照れたような、否自惚れたような顔をした秀介。


「ゴスロリで対抗しなくても椿が一番可愛い!」

「別にリサさんと対抗してません」


あたしはさらりと否定する。どうしてそんな都合よく解釈できるのか、あたしには理解できない。妬いてもいない。


「話があるの。ちょっと歩かない?」

「いいけど。その前に」

「?」


にこにこと秀介は笑顔であたしを見る。なんだ?とあたしは首を傾げた。

そうすればきょとんとする秀介。


「まさか忘れたの?」

「なにが?」

「つけなかったらキスする約束したじゃん!」


……あ。完全に忘れてた。

そういえばそんな約束していたな。


「してくれねーの?俺すげー楽しみにしてたんだけど」

「するよ、します。約束は守る主義なの」


あたしは仕方なくキスをすることにした。機嫌よく目を閉じてキスを待つ美少年にキスをするというご褒美。

あれ。思ったより恥ずかしいぞ、これ。

当初は唇にする予定だったがチキンハートの為に頬にしようとしたが「ほっぺにちゅーなんてオチはやめてくれよ」と釘を刺される。

あたしは腹を決めて秀介の唇にフレンチキスをした。

離れた瞬間に気付く。

隣に立つ蓮真君の存在に。

………まずいものを見られてしまったぞ。

目を丸めて立ち尽くす蓮真君があたしを凝視する。言い逃れできない状況。寧ろ彼氏ですと紹介しておこうかな…。男で遊んでるなんて思われたくないし。


「知り合い?」

「え…ああ、うん…。ここでたまに会うんだ」


秀介が蓮真君を見て訊くから漫画喫茶を指差して答える。那拓だと言うよりはいいだろう。裏現実というのも勿論、だめだ。


「椿、ここに通ってんのか?まさか例のやつを…?」

「それについて話したいの、行きましょう」

「あ、うん。……」

「……。またね、椿」

「へ?あ…うん、またね」

「…………」


秀介は頷いたが何故か蓮真を睨み付けるように見た。睨み付けられたからか、蓮真君も対抗するように見る。

すぐに蓮真君は視線を外してあたしと秀介の間を通ってからあたしに声をかけた。てっきり無言を突き通すかと思ったから吃驚だ。あとで話そう、という意味だろうか。

蓮真君が行ってからあたしは歩き出した。遅れて早歩きで秀介は隣の位置につく。

「さっきの餓鬼とは親しいのか?」とむっすりした顔で訊いてきた。


「は?餓鬼って……彼は16よ」

「童顔だから餓鬼なんだ!」

「貴方だって小顔の童顔じゃない」

「椿!逸らさないで答えろよ!親しいのか!?」

「怒鳴らないでよ。知り合いよ?あの喫茶で会って漫画の話を少しする程度の仲だから親しいとは言い難いわ」

「怪しい!椿がそんな交流をするわけない!」

「煩いなぁ……なに?妬いてんの?」

「妬いてるさ!!」


あまりにも煩くて軽口を叩いたつもりが、はっきりと言われて面食らった。


「好きな女に他の男と親しくしてんだ、気が気じゃない。すげえ妬くよ。親しげに「またね」なんて目の前で言い合ったのに妬かないわけないだろ」


真っ直ぐな眼で秀介はあたしに言う。その真剣すぎて真っ直ぐすぎる言葉に思わず失笑した。


「シュウ。あたしはただ、偽者の足取りを追って彼にそれとなく聞き込みをしてるだけよ。親しくなんかない」

「……そうだったの?」

「そうだよ。昨日も実はあの店に居たけど……ほら、シュウは刑事といたから…窓から逃走したの」

「あー……うん。篠塚刑事と一緒にいた。あれ?さっきまで一緒にいたんだけどな……」


なんとか嫉妬から気を逸らせた。今の今まで完全に篠塚さんのことを忘れていたらしい。後ろを振り返るが見えるわけない。

今頃どうしてるだろう…?大丈夫かな……。


「二回目の血塗れ電車はあたしじゃないってわかってくれてるよね?」

「もっちろん!椿があのあと直ぐにそんなことするわけないってわかってたさ。言い触らすのもつばきゃんらしくなかったから、偽者だと確信してたぜ。ミサからの仕事が終わったから警察のコネ使って手伝いを始めたんだ。椿も裏表で暴れられちゃ困るだろうと思ってな」


予想以上だった。あたしを狩るどころか偽者をあたしの為に狩るつもりで自ら手伝いに身を乗り出しただけだ。ちゃんとあたしの仕業じゃないことまで理解してくれてる。


「ありがとう。でもいいの。あたしがなんとかケリつけるから」

「いや、手伝う。椿だってまだ偽者を見付けてないんだろ?………ああ、頭蓋破壊屋とドクターも動いてるから俺が邪魔なんだな」


鋭かった。厳密に言えば“俺達”だ。

秀介がいると白瑠さんと幸樹さんが自由に動けないし、警察と篠塚さんがいるとあたしが自由に動けない。

正直言って、ありがた迷惑なんだ。

困ったような仕草で一度黙り込んだ秀介は口を開く。


「警察にあの喫茶に出入りした人間が犯人だっていう情報を与えちまったんだ。悪いが今更撤収はできない。暫く聞き込みが続くし篠塚刑事も何度も出入りするつもりだよ」


秀介は篠塚さんの名前を出した。


「躍起になってる。犯人を捕まえようと焦ってんだ、あの人。“拐われた椿”を見付ける為に」


あたしを、見付ける為に、躍起になってる。

犯人であるあたしじゃなく、被害者であるあたしを見付ける為にだ。

彼はあたしが血塗れの真犯人だと知らないのだから。


「………篠塚さんと」

「うん?」

「あたしの話をする?」

「……よく、ね」

「心配、してるでしょ」

「……ああ、すげえしてる」

「顔を合わせた時なんて言ったの?」

「椿を一緒に探すって…言った。ごめん」

「…謝る必要はないわ。妥当だもの」

「………あの人、自分を責めてた」


自然と落ちた視線を秀介に戻す。


「守るって約束したのに自分は守りきれなかったって」

「………あの人、優しいから」

「ああ、優しい人だ」


また視線を足元に落とす。狭い路地で壁に背を凭れながら向き合う。

優しい人。バカだ。その優しさを向ける相手を間違っている。優しさが無駄だ。


「んー、俺はどうすればいいんだ?邪魔しねーから手伝わせてくれよ、椿の力になりたい。いや、クラッチャーとドクターを辞退させろ。俺が代わりに手伝うから!」

「残念ながら二人の方が秀介より必要なの」

「ガン!…いやいや!狂った殺人犯相手は俺の方が得意だ!俺に任せてよつばきゃん!それとも自分の手で葬りたいわけ?」


再び降りた沈黙を破ったのは秀介。なんとか手伝わせろと食い下がるがあたしは首を振る。


「殺さないわ。ただ……利用するだけ」


あたしはそれだけを言う。


「…?ふーん……。でもなー」

「あたしが片付けるから、手出ししないで。お願い」


渋る秀介にあたしは手を添えて上目遣いで頼んだ。


「…………それって下手に出て頼み込んでるんだよね?」

「え?うん…そうだけど」


真顔でそんなことを訊かれた。なんか嫌な予感。


「今の上目遣いとツーショットを写メらせてくれたらお願いをきく!」

「そのかっこいいケイタイを刺し壊すぞ」

「ツーショットで我慢する!」


嫌だ。だいたいあたしは今朝藍さんと白瑠さんのケイタイを蹴散らしたんだぞ。幸樹さんには問答無用に撮られたけど。

「振り返りゴスロリ」とか微笑む幸樹さんに削除してと頼んだが無理だったのでなんとか白瑠さん達には送らないでくれと交渉した。


「なっ?なっ?いいだろ?」


るんるんした眼で十字架のデコレーションがしてある黒いケイタイを構える秀介。かっこいいなぁいいなぁ。

「悪用しないでよ」と言って致し方なく了承した。


「しないよ」

「俺の彼女だって嘯くくせに」

「椿は俺のだもん」

「君の所持品になった覚えはない」

「俺は椿の所持品だぜ」

「どあほ」

「愛してる」


ちゅ、と不意打ちに頬にキスをされた瞬間にカシャンと盗撮防止のシャッター音が響いた。


「お!つばきゃん、綺麗に撮れたぜ!送るよ、アドレス頂戴」

「…あたし、ケイタイないの」


壁に手をついてケイタイの画面を見せる秀介。見事にあたしの頬にキスをする秀介が綺麗にぶれなく映っていた。傑作なショットだ。

欲しい気もするがケイタイがない。


「は?パシってるくせにケイタイも買ってくれないのかよ、あいつら」

「いや、パシられた覚えはないんだけど……。これからねだるつもり」

「じゃあ買ったら送ってよ、アドレス教えるから」

「今度会ったらでいいじゃん」

「えー。次はいつー?」

「知らないよ」

「じゃあデートの約束しよ」

「嫌だ、めんどくさい」

「つばきゃん!」


項垂れて言えば秀介は声を上げる。なんだ、煩い。


「俺とキスをした仲なのに恋人だと認めてくれないしさー、椿ぃー、俺と付き合いたいんだろ?」

「いや全然」


あたしはきっぱり言って首を振った。秀介はこれ以上ないくらい驚愕の表情をする。リアクションがでかい。


「そんなツンデレなことを…!」

「ツンデレじゃねーし」

「ツンデレだよ。付き合ってないとか言いつつキスをしたじゃん」

「あれは取引での単なる手段だもん」

「それがツンだ!」

「刺すぞ」


デレてなんかない。あたしにツンがあってもデレなんてない。断じて!


「椿、俺は愛してる」

「………」

「すげえ愛してる」

「聞き慣れた」

「明日デートしよう」

「あたしと会話する気ある?」

「え?してるじゃん。明日デートしようぜ、遊園地行って買い物して俺が今泊まってるホテルで一泊してけよ。一日一緒に過ごそう」

「秀介、君押し倒せばものにできると思ってるでしょ。寝れば付き合えると思うなよ」

「なっ……!そんなやましいこと目論んでない!変態じゃねーんだから!つか、付き合ってるから寝るんだろ!いやいや、キスしたら付き合うだろ、普通」

「キスごときで心は動かないわよ」


もしかしたらあたしは変態二人のせいで男不信になっているかもしれない。まぁ幸樹さんの件もあるけど。

やっぱりまだ秀介を受けきれなくて、付き合う気にはなれない。

白瑠さんの敵だし。あたしは殺人鬼で秀介は狩人。不釣り合い。あたしが誰かを愛せるわけがないんだ。


「そりゃあ変だな。キスを奪われるとか、そうゆう手に弱いはずじゃなかった?つばきゃん」

「そうだっけ?」

「そう言ったじゃん」

「どーだったかなぁ。じゃああたしは帰るね」


両手をついてあたしを閉じ込める秀介から逃げるようにしゃがんで抜け出す。

そう言えばその手に弱いって言ったようなないような。


「さっきの餓鬼と会うんだろ?」

「はあ?帰るのよ、あの子と会うのは喫茶。今日は行く気分じゃないの」

「喫茶に行く度に会うのかよ……俺はたまにだっていうのに……俺も出入りするからな!」


……………。

蓮真君と接触する機会がなくなるじゃないか。


「約束したばかりでしょ、それじゃあクラッチャーとドクターが出入りできなくなるわ」

「飛びかからないって誓う」

「君が頭蓋破壊屋と肩を並べて漫画を読む光景が浮かばないんだけど」

「誰があんな奴と肩を並べるかーっ!!」


約束守る気あるのか、お前。

幸樹さんに返し損ねた携帯電話が震動する。秀介に背を向けたまま開いて確認すると、藍さんからのメール。内容は「撤収」だった。

何かあったのか?


「シュウ。急ぐから、またね?」

「あ、うん。またな」


振り返って笑いかければ、秀介はニカッと無邪気に笑い返してくれた。少し歩いて立ち止まる。


「秀介、もう一つ頼んでいい?」

「なに?」

「…篠塚さんのこと頼むね」

「……うん。わかってる」


秀介は当然のように頷いた。あたしが篠塚さんに対して悪びれてることをちゃんと知ってるから。

笑って話したあの病室を思い返しながらあたしはその場をあとにした。



「どうかしたんですか?」


バンは変わらず駐車場に在った。中に入れば何故か藍さんと白瑠さんがダラーンと項垂れている。

幸樹さんはもう戻っていた。


「警戒されてこれ以上話を続けられませんでした。でも何か裏がありますね」


微笑んで幸樹さんは答える。だろうな。


「じゃあとりあえず撤退しますか」

「そうですね」

「………」

「藍さん?…どうかしたんですか、この二人」

「嫉妬だろう」

「?」


ラトアさんは太陽の陽射しを嫌そうに避けて答えた。は?嫉妬?なんか今日はやけに聞く言葉だな。


「お前さんも罪な女だな」


何故か軽蔑した眼差しを向けられるラトアさん。はい?罪?

首を傾げていれば、じとりと白瑠さんと藍さんがあたしを見ていた。


「なんです?」

「………」

「………」

「二人は置いて、私達は帰りましょう。ラトア、椿さん」


幸樹さんは車を取りに先にバンを降りて行った。


「……まぁ、放っておこう」


あたしはそう決めた。決めた矢先にがしりっと肩を掴まれる。


「冷たいよつばちゃん!」

「ドライだよお嬢!」

「あーもう、なんですか。何項垂れてるんです、五秒で話さなきゃ構いません」


詰め寄ってきた二人に溜め息をついて言えば、急に真っ暗になった。

白瑠さんに抱き締められた。


「…………………?……………なんです?白瑠さん」


意図が見えない。白瑠さんに意図があるとは思えないけど。


「むぅー…………」

「五秒ですよ」

「秀介とキスしたの?」

「……………」


身体中の血が凍り付く。

最初は困惑の波が押し寄せて、波と一緒に血が引いていった。


「あっ…………の………ぅ…………べ…弁解をさせてください」

「そんな余地はありませんよ」


やべー。なんかやべー。言葉に詰まりつつも言うと、ぐいっと後ろに引っ張り込まれた。

にっこり、笑いかける幸樹さんがあたしを見下ろす。思わず笑みを返すがひきつっている。


「さぁ、帰りますよ?」

「っ、っっっ!!ちょっと!あたしっ……待った!!あたし…まだ聞き込みします!!」


幸樹さんに手首を握られバンから降ろされたがあたしは踏み留まった。腕が引き切られるぐらい痛いが踏み留まる。家に帰ったらされるであろう拷問に比べたら全然ましに決まっているんだ。

撤収って。その為か!

やっぱりあたしの服に盗聴を仕掛けて、聴いてやがったな!うわああ!やべー!

帰りたくない。すげえ帰りたくない。帰ったら死ぬ。ぜってえ死ぬ!


「ほーう?タヌキに警戒を強めた矢先に聞き込みですか。おやおや、こちらから尻尾を出して掴まえてもらうつもりなんですか?」

「あ、はははは!動揺してる今だからこそ相手の尻尾を掴まえられるんじゃないですか!?」

「おやおやそうですか、では私達も同行いたしましょう」

「いやいやあたし一人の方がいいですよ、皆さんいたら警戒をされるじゃないですかあ!?」

「ふふ、そう言って、何でしたっけ?童顔の学生の心を盗みに行くんでしょう」

「あっはっは!そんなわけないでしょうお兄ちゃん!!」


すげえやべー!!

絶対怖い笑顔があるから視ない。視たら死ぬ!終りだ!畜生!ご褒美の一つだけでこんな目に遭うのかよ!?

助けてラトアさん!

ラトアさんは知らんぷりを決めてクラウンに乗り込んだ。畜生…あとで刺し殺してやる!!

こうなったら───…!


「!」


あたしは幸樹さんの顔を目掛けて踏み留まった右足を振り上げた。幸樹さんは顔を引いて避けたが、そんなことをしなくても蹴りは決まらない。狙ったのはバンの扉だ。

バンの扉を蹴り閉めた。

腕を軸に蹴りをやったので捻った形になり握られた手首を外すことに成功。あとは迷わず逃走。

車やバイク相手に走って逃げ惑うつもりはない。あたしは漫画喫茶に駆け込んだ。


「……おやおや。また命でも狙われたんですか?笹野の妹さん」

「……………」


入るなり出会したのはタヌキ。皮肉を言われたので、にっこりとだけ笑顔を返しておいた。

息を整えながら店内を歩き回る。それから蓮真君の姿を見付けるなり腕を掴み、個室に引き込む。

「なんだよ」と不機嫌そうに洩らす前に口を押さえ込んで携帯電話の画面を見せる。

“盗聴機がついてるから話さないで。一緒に探してくれない?”

はぁ?とわけわからないと言う顔をされたが、この可愛い童顔の学生くんは手伝ってくれた。

盗聴機の形は見たことがあるからわかっている。幸い盗聴機は直ぐに見つかった。

胸元のフリルの下だ。

くそう…あの少女趣味の変態め。

握り潰そうかと考えたがそれで突入でもしてきたらどうしよう。いやいや、いくらなんでも揃って突入して事態を悪化するようなことしないだろう。……しないよね?

どうすんのそれ?

と蓮真君は携帯電話の画面を見せる。ちょっと待てとジェスチャーした。

…あ。多度倉さんにあげよう。そうしよう。他人を苛めてストレス発散といこう。

あたしは個室を出た。そうすれば、猫山さんと鉢合わせした。


「……え?わっ!?びっくりしました!ゴスロリだぁ!お似合いですね!」

「あ、ああ…うん。ありがとう」


一瞬あたしかどうかわからなかったらしく凝視したがわかったようで驚いたまま褒める。あたしは愛想笑いを返した。


「わぁ……かっこいいドレスですね。私のバイト代じゃあ買えないくらい高そう…」


だろうな。あのロリコンはいくらでもつぎ込むから。嗚呼でも手作りだっけ?オーダーメイドの方が高いか。

「欲しいな……」と猫山さんはあたしの着た服を物欲しそうに見つめた。


「仕事はいいんですか?」

「あっ、いけない。ではごゆっくり」


なんかめんどくさいと思い追い返した。振り向いた瞬間に盗聴機を制服のエプロンにつける。猫山さんは微塵も気付かずに行ってしまう。


「お前って意地悪だな…」

「なんとでも言ってよ」

「男たらし」

「……それは嫌だ」

「あの彼氏、昨日刑事といたじゃん。どうゆうこと?」


あたしは肩を竦めながら店の隅に向かった。


「初めにいうと、あたしは手段の為ならコスプレもするし異性にキスだってするの」

「へー。そのゴスロリも手段の一つ?」

「そう。お兄ちゃんが外出を許してくれないならコスプレをすると約束するし、ストーキングしなければ次会った時にキスすると訳する」

「……………。よくわかった。椿が苦労してることが」

「……ありがとう。お姉さん嬉しすぎで涙出る」


本当に視界が霞んできたよ。


「愚痴なら聞くよ、椿」


年下に慰められるあたし。本当この子、癒される。すげえノーマル。


「さっきあたしがキスした子はね、あたしが好きなんだって」

「うん」

「でもあたしは付き合わないって言うんだけど……諦めなくてあたしと付き合ってるって言い触らしてるの」

「……そっか」

「盗聴機ついてたじゃん。もう筒抜けでお兄ちゃん達がさぁ……嗚呼、帰ったら死んじちゃう…」

「つまりは逃亡してきたの?」

「うん。無理矢理連れて帰ろうとしたから…逃げてきた」

「……………どうすんだよ?」

「どうしよう」


涙目で項垂れる。帰れない。すげえ帰れないよ。


「嗚呼、時間巻き戻らないかな」

「戻らないな」

「宇宙人襲来しないかな」

「襲来しないな」

「ドラゴンが人類滅ぼさないかな」

「滅ぼさないな」

「地球が太陽に衝突しないかな」

「衝突しない。お前、現実逃避が膨大だな。なんだよ、宇宙人襲来って」

「だって………怖いもん」


にこにこにこにこにこ、と笑顔の怖い威圧感で拷問を受けるんだぜ。怖いだろ。

そう言えば本当、同情されて頭を撫でられた。この子超優しい。


「とりあえず居場所はバレてるから…逃げれるとこまで逃げてやる」

「お前って徹底的に逃げそうだな」

「面倒くさくなるまで逃げるよ」

「根性ねーな」


ここに居続けるのは色々まずい。兄と称して幸樹さんが連れて帰ってくるに違いない。寧ろ、タヌキを味方につけようかな。おや現実逃避?

味方につけたら今後便利そうだが、あの人嫌いだしなぁ。

これも全て秀介のせいだ。


「次会ったら可愛い顔を殴っ……いや、叩いてやる」

「アイツ、嫉妬深いだろ」

「ん?よくわかったね」

「ぼくに敵意剥き出しの目を向けてた」

「あー、あの睨み合い。うん、すごい敵意してたよ。ふぅ………君は、暫くここに来ない方がいい。尻尾を捕まえられそうだから」


「ぼくは用なしってこと?」と蓮真君。


「お兄ちゃん達も動くし、さっきの…狩人の鬼って呼ばれてるあの子も出入りするの。それじゃあ君の正体がバレるでしょ」


もうこっちで尻尾を捕まえられるから用なしと言えば用なし。否、多度倉さんとは違うか。これからも連絡をとるつもりだ。


「アイツが狩人の鬼?」


蓮真君は目を見開いた。

知っているようだ。当然か。顔はともかく、名前くらい知っていても可笑しくないだろう。

「あんな奴がかよ…」と苦い顔をする。聞いていたイメージをぶち壊してしまった模様。いや、実力はそれ相応なんだから軽く見ちゃいけないよ。とかちょっとフォローしてみた。


「ぼくも正体がバレて騒がしくなるのは嫌だから、出入りしないようにする」


そう蓮真君は従ってくれた。


「終わったら連絡するわ」

「ああ、じゃあその時に剣道を教えてやるよ」

「うん、よろしく」

「うん」


最後に蓮真君は「その格好。似合ってて可愛い」と言った。


「名は体を表す。紅色の黒猫」


漆黒の身体に紅色をつけた。紅色の黒猫。紅色を浴びた黒猫。



 また窓から逃走をして人混みを避けて一人で歩いた。何処に行こうかと迷ったが結局、帰り道を歩んだ。

何処にも行く場所がないと言う事実。

猫ならもっと、隠れ場所とか色々あるはずだろう。フラーと消えては帰ってくる。自由気ままな猫。

あたしはそれになりたかった。

でも不器用でうまくできなくて──なりきれなかったんだっけ。

目立つ帽子をとってくるっとして着飾った髪とメッシュを解いて捨てる。怒られたらお金を渡せばいい。

髪ゴムはないので代わりに首につけたチョーカーで髪を束ねる。そうすると首の傷が目立つがそれは襟で隠せた。

帰る手段は電車だから顔を髪で隠して俯きつつ、駅に入り電車に乗り込んだ。帰宅通勤ラッシュで混んでいる電車なら服はともかく誰もあたしの顔を見ないだろう。

それに、身動きもできない満員電車なら殺戮衝動に負けたりしない。

だけど流石に満員電車はキツかった。本当に身動きができなくなるようにぎゅうぎゅうだ。通勤帰りのサラリーマンや学生ばかり。溜め息が落ちる。

ガタンと揺れる度に人とぶつかる。それが不快だが、箱に閉じ込められては為す術はない。

なんて空言だ。

殺戮をやれば解放感を味わえるだろう。モラルなんて、容易くて脆い。

どん、と誰かと背中をぶつけても知らないふりだ。こんなぎゅうぎゅうでも他人が他人、皆が知らないふりをしている。

他人だらけの箱の中。

もしかしたら、この場で殺戮をやっても、きっと、誰も抵抗しないんだと思う。

あの時と同じように。

あの電車と同じように。

殺戮は成功してしまうんだろう。

ぼんやり、と思った。

なんだったかな。嗚呼、そうだ。それが人間の心理だとか。


「───…」


ぼんやりと見つめた真っ暗な窓ガラスを見て気付く。背中を合わす、後ろ姿。

癖のついた黒髪を束ねて、くたびれたコートを着た男の人。

凍り付いた。息が止まる。

動けなくなった。

ガタン、ゴトン。

揺れる音しか聴こえない。

ガタン、ゴトン。

ガタンゴトン。

ガタンゴトン、ガタンゴトン。


「……」


口を開こうとして、でも言葉は何も出なく、何も言えなかった。

篠塚さんは革吊りを握ったままうたた寝をしている。垂れた首が揺れるのがわかった。

──嗚呼、疲れてんだね、篠塚さん。

──ちゃんと睡眠をとらなきゃ。

目の前の窓ガラスに映る暗い顔が微かに笑った。儚げに弱々しく俯きながら。

ガダン。

電車が停まった。

目の前のドアが開き、数人が降りる。

あたしは。

振り返って。

その背中に。

抱き付いた。

締め付けるようにギュッ、と起きても構わない。ただ、今だけ。ほんの一瞬だけ。

泣きたくなった。


「!」


目が覚めて反応をした篠塚さん。あたしは腕を放して後ろに歩み、電車を降りた。


「待てっ!」


篠塚さんがたった一瞬だけあたしの手に触れたが、すり抜ける。

振り返った時にはもう遅く。扉は閉まった。

背を向けたままあたしは眼だけをそこに向ける。こちらを見る、篠塚さん。

こちらと、あちらの、境界線。

電車が動き出す。

篠塚さんが何か口にした。

ちょっと振り返った横顔だけで、もうあたしだってわかったらしい。


「椿!」


聴こえるはずもない声が、聴こえる。

ガダン、ゴトンと線路を走り風を起こす。髪が乱れたから掻き上げて直してから、駅を後にした。

歩いて帰るにはまだ距離があるが駅にいては警察に捕まる。駅から離れて、行かなくてはならない。

それぐらい、いいか。

あたしはそんなリスクを侵したんだから。

 警察に遭うことなくあたしは幸樹さんの家に辿り着いた。あのあとだから、拷問も適当に流せそうだ。

あーあ。何てバカなことをしたんだろう。

篠塚さんには、あたしは死んだと思わせることが最善策だった。なのにひょっこり顔を見せるなんて。

あーあ。バカなことをやっちゃった。

後悔しちゃったっても、もう手遅れだ。

一人歩いてたあたしを、一体どう解釈するのかが見物だ。

自嘲の笑いを洩らして、扉を開く。

家は妙に静かだった。

嵐の前の静けさ。

ちょっと怖じ気付いたが、何処にも行く宛がない上に警察があたしを探しているだろうから引き返せない。

リビングに入れば、全員が揃っていた。

一体どんな拷問道具を用意して待っているのかと思ったら、皆が囲っていたのは藍さんのパソコンだけ。


「お嬢…………盗聴機を一体何処に捨てたの?」

「え?」


最初に口を開いたのは藍さん。

妙に空気が重い中、コーヒーテーブルに足を置いてニヤニヤ笑う白瑠さんだけは楽しげだ。

一体何事だと思っていればパソコンから、声が聴こえた。


「わかった。笹野も、笹野の妹も殺そう」


盗聴機が拾った音声。

間違いなく、タヌキの声だった。

嵐の前の静けさ。



裏現実紅殺戮を覗いていただきありがとうございます。

次で一先ず終わりです。

そして続編も気が向いたら載せますのでお気に召したらどうぞ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ