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紅色の黒猫。



 レッドトレイン再び。

 血塗れ電車でまた大量殺人が起きた。発見は夜。終電電車に乗車した十数名が惨殺。恐怖が再び日本を震わせる。

 大々的にニュースは、世界中にまで広がった。日本は厳重体勢になりざるおえない事態になった。

 各駅も電車の中も、警察や軍人がちらつく。

 日本は今。最悪な事態に陥っていた。

 表だけではない。

 裏現実も騒ぎになっていると言う。

 紅色の黒猫が、堂々と宣言したらしい。


「我は紅色の黒猫なり」


 事件を殺ったのは自分だと言いのけ、言いふらしているそうだ。


「…………」


 紅色の黒猫、本人のはずのあたしは最高に苛々していた。


「本当に椿お嬢じゃないの?」


 裏現実の情報を集めている最中の藍さんが、もう何度目かわからない質問をした。

 堪えて静かに否定していたあたしは、限界だ。


「あ、た、し、じゃなーっい!!」


 クッションを投げ付ければ、見事に命中した。


「あたしじゃないもん! アリバイあるもん! 昨日はウォッカに潰れてたもん!」


 子供が癇癪を起こしたように、ジタバタ跳ねたり蹴ったりクッションを殴ったりナイフで刺したりする。

 そんなあたしを変態な眼差しで見る藍さんと白瑠さんは幸せそうだ。コンチクショウ。


「なんでよ!? あたし殺ってないのに!!!」

「まーまぁー、椿ちゃん。落ち着きなよ。椿ちゃんじゃないってことは、まねっこだよまねっこぉ」


 あたしを眺めながら白瑠さんは陽気に宥めた。


「まねっこ……?」

「まねっこぉ。俺にもいたなぁーえぇーとぉー誰だったかなぁ」

「……まねっこ刑事」

「あ! そうだ刑事だぁ。俺の殺しを真似ようとしたまねっこぉ」


 んひゃひゃっと白瑠さんは笑う。


「まねっこ刑事とこの事件が何の関係があるんですか!?」

「椿お嬢。中にはねー、恐怖を抱く奴がいれば憧れを抱く奴もいるんだ。頭蓋破壊屋にだってファンは少なくない。椿お嬢に憧れを抱いて、真似たってことだ」


 白瑠さんと似た笑みを浮かべて、藍さんはわかるように言ってくれた。


「だって。椿お嬢はあの頭蓋破壊屋と同等の紅色の黒猫だもんね、ぐふふ」


 紅色の黒猫。裏現実で騒がれているのはそう。頭蓋破壊屋の陰があるからだ。

 噂がざわざわ。噂が噂が呼び、勝手にざわついているだけ。

 ざわついた元凶は。

 この二人だ。


「元はと言えばアンタが勝手に名前つけて噂を流すからだろうがぁああ!!!」

「うぎゃあああっ!!! ちょ、ナイフだけはナイフだけはタンマ!!」

「何が黒猫だ! てめぇが騒ぎを呼んでんじゃねぇーか!!」


 藍さんに掴みかかり、ナイフを振り上げる。藍さんは真っ青になってナイフを握る手を掴んだ。


「紅色の黒猫の名前をつけたのは、私ですよ」


 そこにリビングに入ってきた幸樹さんは言った。

「へ?」とあたしは呆気にとられる。


「幸樹さんが?」

「ええ、白瑠と藍乃介が口論していたので私がつけたのですよ」

「え。つまりは藍さんの単独犯ではなく、二人とも容認してたんですか!?」


 てっきり藍さんが一人で名前を決めて、情報を流したとばかり思っていた。


「ははっ? 僕が単独行動するのはハッキングと少女誘拐だけだよ」


 藍さんがムカつくほど爽やかに笑ったから、ナイフの柄で殴ってやった。


「帰ってきてくださったんですね、幸樹さん」

「緊急事態みたいですからね。それにしても……こんな状況にも関わらず」


 笹野さんがあたしに目をやる。とても興味深そうに見た。

 こんな状況にも関わらず、この変態に着ろと言われたんですよ。と藍さんの首を絞める。

 約束だから仕方ない。あたしは約束通り着てやった。

 黒のミニスカメイド服。頭には猫耳。スカートには尻尾。

 そして白瑠さん大好きなニーソ。

 そんな格好で藍さんの上に跨がっていたから、絞められているにも関わらずニマニマしている。

 白瑠さんなんて例のスカートとニーソの間に釘付けだ。


「つばちゃん。ちょこっと触っていーい?」

「あ、僕もーぐふふふ」

「お触り禁止だっつうの!!」


 バシッとあたしは藍さんと白瑠さんの頭を叩いた。

「いったぁい!」と涙目で訴えられる。当たり前だ。痛くしてんだ。

 二人から離れて、腕を組む。


「荒れてますね。椿さん」

「苛々しても事件は消えないよぉ? 別に椿ちゃんが犯人だって表で騒がれてる訳じゃないし、ほっとこうよ」

「そーそー、どうせただの三流だって。気にしてたらノイローゼになるよー」


 白瑠さんと藍さんが言う。あたしはギュッと黒い尻尾を握り締めた。

「ちょ、つばちゃん……尻尾切れるよ」と白瑠さんが尻尾の心配をするが無視。

 ギギギギ、と握って引っ張る。

 ズボッ。

 ソファに足を落とす。


「裏は騒いでんじゃねぇーかよ。はぁ? あたしに憧れ? 真似? ふはは! ばっかじゃねぇの? 胸くそわりぃっつーの!!」


 声を上げれば白瑠さんと藍さんがビクリと震え、後退った。


「紅色の黒猫だってわかってんなら裏現実者だな……? 探し出して犯人見付けてやる!」

「…見付けて、どうするのですか?」

「憧れじゃなくて恐怖を植え付けてぶっ壊して警察につき出す!! ついでになすりつけてやる!!!」


 黒猫メイドが腹黒いことを吐いた。

「お、お嬢……」と白瑠さんと藍さんがあたしをそう呼ぶ。


「ふふ、それはいい案ですね。表沙汰になったのなら犯人が見付けないと日本人は落ち着けませんからね」


 幸樹さんが笑って乗ってくれた。


「真似た犯人も憧れの紅色の黒猫に締め上げられるのは本望でしょう」

「文句は言わせません! きっちりとケジメつけてやらぁ!」

「……。白くん、つーのお嬢ってマジでお嬢の素質あるんじゃね?」

「……ん、藍くん。こぉ……うん。一回着物着てもらおうか」


 ブツブツと白瑠さんと藍さんが話す会話は聞こえないフリ。


「二人は!? 元はと言えば、二人のせいで噂が酷くなったんですよ! 犯人捕まえるの手伝ってくれるんですか!? くれないんですか!?」


 ギッと睨み付けて指差す。

 ビシッと二人は手を上げた。


「面白いから乗るぅー!」

「けじめつけるので乗るー! 偽者にも興味あるしー?」

「んひゃっ! 楽しそーだぁ! ひゃひゃひゃひゃっ! やろうか犯人さ、が、しぃ」


 不気味なほど、白瑠さんの笑い声が響いた。


「思い知らせてやんなきゃねぇ? 黒猫ちゃんの真似をしたらどぉなるかを。んひゃひゃひゃ」


 にんやり笑っていたが、どこか別を見る眼は冷たかった。


「お願いします……」


 そんな白瑠さんを見たまま、あたしは頷く。


「つばちゃん来てから、いい具合に面白くなるねぇ? 裏現実」


 一人だけで。楽しんでいる。

 そんな様子だった。




 紅色の黒猫。

 藍さんが流した情報は些細だった。血塗れ電車の犯人は頭蓋破壊屋ではなく、紅色の黒猫だということ。

 56人の人間の首を掻き切った。

 密室で、しかも小柄な少女が。カッターだけで。ただの三センチの刃だけで。

 そんな情報までは流していない。

 ただ。裏現実素人の若い人間だけ。

 それだけで、憧れを抱かれる。そんな奴。そんなバカ者。不快だ。見付け出して、あたしを教え、どんな感情になるかを、見定めてやる。

 狂った貴様に。狂った貴様を壊して晒して、恐怖で裏現実を語れなくして、表だけ罪を被せて警察に突き出してやる。

 先ずは藍さんに偽だと言う情報を流させた。それから情報元を探ってもらった。探って辿り着いたのは。


「……漫画喫茶……」


 東京にある小さな漫画喫茶だった。


「ふざけんなよ……現場の近くじゃねぇか」


 藍さんが突き止めた漫画喫茶を見回して毒づく。


「つばちゃん、昨日から敬語吹っ飛んでるねぇ」


 クスクスと白瑠さんが笑う。

 敬語は対人用だ。独り言だよ今のは。

 ふざけたことに現場のすぐ近くだった。なんていい加減。

 藍さんの話によれば、ここでアクセスして情報を流したそうだ。しかも犯行直後。全くもっていい加減だ。


「で。つばちゃん、どぉやって容疑者を見付けるのかな?」

「殺人鬼は血の匂いがする。白瑠さんは鼻がいいみたいですから探し出してください」

「なるほどぉ、それで同行に俺を指名したわけかぁ。んひゃひゃっいいよ? 殺人鬼さぁがし」


 同行者は選べた。やっと選択肢が与えられたのだ。

 幸樹さんも協力的だったが、殺人鬼には殺人鬼をと白瑠さんに同行してもらうことになった。

 現場付近ということもあって警察が聞き込みをしていて、一人では危険だから白瑠さんのバイクで来た。白瑠さんの運転なら、警察に見付かっても逃げ切れるだろう。

 当然あたしは女物の服だが、顔を隠すように帽子を深く被っている。これだけでバレないのだから案外わからないものらしい。

 先ずはここにいる殺人鬼。もしくは裏現実者を見付け容疑者として調べる。

 無論。いつまでもここにいるとは限らないので、アクセスした時間帯に誰がPCを使っていたかを聞き込みする。手順はそんな感じだ。


「んふふっ、いいねー探偵ごっこ! 解決しようぜワトソン君!」


 どっちかと言うと探偵より刑事よりだ。

 ていうかあたしが助手かよ。ホームズをやらせろや。あたしホームズ好きなんだぞ。キャラが。

 あたしが睨み付けていれば。


「あっ、つばちゃんはコナ○だね! 俺はキ○ド!」

「キ◯ドは、怪盗じゃん」

「え、じゃあ工○新一」

「どうして同一人物が一緒にでるの……」

「じゃあ○田一少年」

「案外漫画読むんですね……白瑠さん」


 雑談はこれぐらいにして、あたしは一歩踏み出した。同時にタックル……じゃなくて人がぶつかってきた。

 女の、人か。

 平日の真っ昼間だから学生ではないだろう。どうやらここの店員さんらしい。

 ひ弱かドジなのか、あたしにぶつかり倒れて抱えていた漫画をぶちまけた。


「あ、すみません……」


 あたしは直ぐに広い集めた。コナ○と○田一少年だった……。あとはちょっと古い漫画。


「あ、いえっ! ぶつかった私が悪いんです! すみません!」


 髪を赤めの茶髪に染めた女の店員さんは、深々と頭を下げた。

 いや、いいから漫画を拾おうよ。

 ドジだなぁと思いつつ名札を見る。

 猫山だって。可愛い苗字だ。

 くいくいっ。

 可愛い苗字の店員さんを全く気にしてない白瑠さんは、あたしの襟を引っ張った。リードじゃないんだから。


「はい」

「あ、ありがとうございます!」


 最後の漫画本を渡せば、にっこりと笑顔で礼を言われた。

 懐かしい。一般人の笑顔だった。

 ふむ。女の人の笑顔が、すごい懐かしく感じる。

 あれ? よくよく考えたらあたし逆ハー生活してない?

 軽い現実逃避をしつつ、白瑠さんについていった。


「アレ」


 白瑠さんの視線を追う。中年らしき男の背中。貧相な感じがするが、白瑠さんが嗅ぎ付けたのなら間違いない。裏現実者だろう。或いは殺人鬼。

 その男は個室に入っていった。あたしは白瑠さんと顔を合わせてから追う。


「いざっていう時は白瑠さんの名前を出しますね」

「つーちゃんの名前の方がいんじゃない?」


 ケラケラ笑う白瑠さんを無視して男の個室に入った。


「!? なんだ」

「しー。店内ではお静かにぃ」


 押し入れば、男が声を上げようとした。直ぐに白瑠さんが男の口を塞ぐ。

 無理矢理椅子に座らせて、あたしは机に腰掛けた。

 ナイフを取り出し、男の首に突き付ける。


「……違うかもしれませんね」

「だめだよワトソン君。勘で判断しては」


 なんとなくこうもあっさりと見付かるのは、呆気に取られてしまう。探偵だって落胆する。

 だからホームズ役はあたしだろ。


「正直に話してください。一昨日の夜は何してましたか?」


 答えはパソコンに打ち込め。とキーボードを叩く。

 白瑠さんに押さえ込まれ、あたしにナイフを突き付けられた男は答えるしかない。死にたいのなら話は別だ。

 仕事をしていた。

 と、返事が画面に出る。


「裏での名前と仕事内容を吐け。さもないと頭吹き飛びます」


 誰にも聞かれないように、ボソリと耳打ちする。何かこの状況を切り抜ける方法でも見付けたのか、先程よりも落ち着いてキーボードを押していく。

 あたしはそれを見て、幸樹さんの携帯電話を開いてメールを送信した。

 暫くして藍さんから返事がきた。一致。つまり、アリバイは成立。故に彼は犯人ではない。


「なぁんだ。スピード解決かと思ったのにぃ」


 あたしの顔を見ただけで白瑠さんは解ったのか男を放した。


「手荒な真似してごめんねぇ? 犯人探ししてるんだ、ごめんごめん。じゃあ行こうかワトソン君」


 助手かよ。

 白瑠さんは男の肩を叩いて謝り、個室をあとにする。

 あたしもついていく。

「お邪魔してすみませんでした」と一言謝り、頭を下げるのは忘れない。


「はい、次」

「ラッジャー」


 やっぱりあたしがホームズだろう。納得いかない。


「うむー。なんだかなぁ」


 天井を見つめて白瑠さんは項垂れる。


「この店自体、血生臭い」


 一点を見つめてぼやく白瑠さん。それはつまり。

 この店自体、裏に関わっているのか?

 藍さんからそんな情報はなかったはずだ。


「ほらあれあれ」


 あたしの思考はまるきり無視して、白瑠さんは裏現実者を見付けたのかあたしの手を引く。

 漫画の棚の前で読む本を選んでいる長身の男。スッと彼を挟んであたしと白瑠さんは立った。

「ちょっと聞きたいことあるんだけどぉ」と馴れ馴れしくも白瑠さんは腕を回す。あの腕を振り払うのは無理だろう。


「な、ず、頭蓋破壊屋!」

「んにゃ? 俺知ってんの? 会ったことあるっけ?」


 どうやら、この長身の男は白瑠さんと顔見知りらしい。でも白瑠さんの記憶力は相変わらずだから彼のことを訊いてもわからないだろう。


「安心してください。危害を加えるつもりはありません。一昨日の夜何をしていたかを訊きたいだけです」


 あたしが質問する。なら話は早い。頭蓋破壊屋は効果的だ。

 帽子を深く被っても若い女だとわかるので長身の男は困惑の色を隠せないでいる。

 あたしの存在は頭蓋破壊屋に比べたらどうでもいいでしょ、と一言言う。


「一昨日……?こ、ここにいたが……」

「……確かですか?」

「あ、ああ……」

「それは……夜ですか?」

「あ、ああ……夜は大抵ここで過ごしている……仕事がない限り」

「しけてんね」


 白瑠さんがハッキリと思ったことを言った。男はギョッとした顔をする。

 あたしは気にせず、思考する。この男になら犯行は可能だ。

 この喫茶にいたなんて言う嘘はないだろう。

 つまりは容疑者。


「ズバリ訊きます。貴方は紅色の黒猫ですか?」


 ズバリすぎて、白瑠さんが目を丸めた。男は仰天。


「ま、まさか! んなわけないだろ……オレは違うぞ!」


 ブンブンと首を振ってまで否定。何を言い出しやがる、と言った表情だ。


「……そうですか。残念ですね。実は紅色の黒猫さんを探しているんです。一昨日、ここにいた人間を……教えてくれませんか?」


 あたしは肩を竦め慎重に問い掛けた。


「例の電車のか……? ここに……? ……まぁ、いいが……」


 紅色の黒猫がいる可能性があると知り、男は苦い顔をする。それだけならまだしも自分の首に手を回す頭蓋破壊屋に、青ざめた。

 男の名前は、多度倉春吉(たどくらはるよし)

 今この時間に居る者で、一昨日の夜にも居た者は五人もいた。


「暇人なんだねぇみんな」

「暇を潰すための店じゃないんですか? あたしは利用したことないんスが」


 個室に入り、白瑠さんと一緒に整理した。

 サラリーマンらしき男。ギャル女。学生服の少年。眼鏡をかけた地味なお姉さん。ダサい服の青年。

 多度倉さんの話が本当ならば、容疑者だ。


「ふぅん……一応五人だねぇ。先ずはその五人の中で裏を見付けていこっか」

「いや。六人ですよ」


 白瑠さんが出口を見張りながら足を振る。あたしは訂正させた。


「多度倉さん」

「えー? あの人違うっしょ。あの反応は嘘じゃないよぉ。ビビってたじゃん。ズバリ言うのは良かったよぉ」

「嘘には見えなかったのはあたしも同じです。憧れでやったとは限らない。ただ真似たって線も捨てられないでしょう」

「あーね。確かにそうだね。悪戯みたいな。その場合もつーちゃん怒る?」

「怒りはおさまりませんね」


 笑いを堪えながらも、白瑠さんは先程購入したお菓子をバクバクと食べていく。


「深夜は五時間で千円くらいですから……誰でも利用できる。どう容疑者を絞ろうか」

「裏現実者に手をあげてもらおうよ」

「強引手段ですね……」


 めんどくさいから頭蓋破壊屋の名前を出して、反応した者に話を訊こうか。店内自体血のニオイがするなら、白瑠さんの鼻は宛にはできない。


「あ、つばちゃん。ドリンクの方に三人集まってるよ」

「あ? じゃあ……話に行きますか」


 腰を上げて、セルフサービスのドリンクの前にいる容疑者三人に近付いた。


「こんにちは」


 小さく、素っ気なくあたしは声をかけた。元々知らない人に話し掛けるほどフレンドリーではない。

 あれ。白瑠さんにやらせるべきではなかったかと後悔。

 しかし運よく三人は振り返ってくれた。

 サラリーマンとダサい服の青年と地味なお姉さんは戸惑いながらも会釈した。ほっとする。


「仲が良さそうですね、お友達ですか?」


 にしては年齢がバラバラだ。


「あ、まぁ……なんといいますか。ここで知り合った共通の趣味を持った友人ですかね」


 おどおどしつつサラリーマンの男は言った。糸目。気が弱そう。


「共通の趣味ですか?」

「あ、漫画やゲームです……」


 自信なさげに地味なお姉さんは言った。全ての髪を後ろにまとめた髪型。洒落ているとは言い難い服装。


「どんなゲーム? PC?」


 白瑠さんが話題に入る。笑顔を向けるのは、ダサい青年。


「……流行りのRPGです……」


 ちょこっと退いて青年は答える。三人の共通はひ弱そう。根暗。自分からは喋らないタイプだ。

 こんな三人で仲良くやっているのか。……どうやって? ちょっとした疑問点。


「へぇ……毎日のように来ているんですか?」

「今週は……ほぼ。ね?」

「はい……」


 そうか。何も犯人が一人とは限らないだろう。この三人が共犯。……なんて。


「そうですかぁ、仲がいいんですね? 失礼ですがお仕事は?」

「……僕は、大学生です」

「見ての通りの……サラリーマンです」

「漫画家のアシスタントです」

「あたしは探偵です」

「俺は怪盗キ○ド!」


 だからなんで怪盗が探偵といるんだよ。

 ふざけて言ったら、怪しい者を見る眼差しを向けられた。

 愛想笑いで軽く会釈してから飲み物を購入。

 個室席に戻ろうとすれば、本棚の間を歩く学生くんを見付けた。


「白瑠さんは、容疑者が帰らないように見張ってください」


 白瑠さんに指示をしてあたしは学生くんに近付いた。

 学生くんは漫画を熱心に探している。チラチラと気付かれない程度に伺う。

 漫画を手にとっては戻す。

 嗚呼遅いな。待っていられなくなってあたしは話し掛けた。


「何探してるの?」


 静かに話し掛けたのにギョッとした顔をされる。


「……どっかで会ったことあるっけ?」


 ぎくり。おっとまずい。

 さっと髪で顔を隠す。


「ううん。初めてだよ」

「……ふぅん……そう」


 良かった。気付かれなかった。

 そうだ。あたしにはそのリスクがあるんだよな。ひやひやする。


「何か探してるなら手伝うよ。暇だし」

「でも……彼氏といただろ」


 見てたのか。怪訝そうな顔をされる。


「勘違いしないでよ、逆ナンじゃないよ。それにアレはお兄ちゃんなの」


「ふぅん……そっか」と興味なさげに学生くんは本棚に目を移す。


「よく来るの?」

「……まーね」

「学校は?」

「お前こそ」

「あたし中退したの」

「……ふぅん」

「何探してんの?」

「面白そうな漫画を探してんだ」


 淡々と会話を交わしていく。


「あたし、恵って言うんだ。よろしく。どんな漫画が好みなの?」


 手に取った漫画のヒロインから偽名をいただき名乗る。

「よろしくって……友達になろうってこと?」と学生くん。

 名乗ったんだから名乗れよ。


「別にどっちでもいいけど。よく来るならまた会えるでしょ」

「ふぅん。まぁいいけど。ナタクだよ。暑苦しいスポ根とうざい少女漫画以外なら読む気起きる」

「ナタク君。じゃあ少年漫画のこれは?」

「それはもう読んだ」

「じゃあ……古いけどこれとか。ナタク君、夜とかいる?」

「これは読んでない……。居るよ、没頭してれば。他にやることないし」


 高校生だろ。勉強は勉強。

 なんて面倒だからツッコミはいれない。

 ならよかったと笑みを向ける。


「……お前、どっかであった? 見たことある気がすんだけど。同じ学校だった?」


 目を細めてナタク君が首を傾げる。ギクリ。


「まさか。東京の学校じゃなかったよ。ナンパにありがちな台詞言わないでよ。じゃあまたね」


 あたしは顔の前で手を振って背を向けた。

 ふぅ……。危ない危ない。


「あ。恵。サンキュ。この漫画読んどくよ。じゃあ」


 勧めた漫画をナタク君は掲げて礼を言って背を向けた。

 彼は一番まともだな。うん。

 ダンッ!

 何かを叩く音が響いた。

 しんっと嫌な沈黙に包まれる。

 何の音だ? と客が見回すが、音の出所がわからない。

 なんだろう。

 首を傾げながら、白瑠さんの元に戻ると。


「つばちゃん。ギャルの子が帰っちゃったよ」

「な。なんで引き留めないんですか!?」

「だって。見張れって言われただけだもん」


 言い訳すんな!


「あたし追います。さっきの三人の名前を聞き出してください。忘れないでくださいよ」

「やだなぁ生きてる人間の名前は忘れないよ、多分」


 多分じゃねぇか。あたしは苛々しつつも、店を飛び出した。えーと。ギャル。ギャル。

 ギャル、苦手なんだよなぁ。

 不自然な金髪にピンクのリボンをつけたギャルに「あの!」と声をかける。


「このブレスレット、落としませんでしたか?」


 自分が今までつけていたブレスレットを振り返ったギャルに問う。


「そんな趣味してない、違うし」


 わかってるよ。あたしもお前みたいな幼稚な趣味はしてねぇよ。と苛々しつつも笑顔を向ける。


「あ、そうですか……すみません。つかぬことを伺いますが、いつもあの喫茶を利用してるんですか?」

「暇なときわね。それが何よ?」

「いえ。聞いてみただけです、これからあたしも利用しようと思っているので。たまにお話ができる相手が欲しいなぁと思ったので良かったら。恵っていいます」


 精一杯。普段の自分と比べたら、気持ち悪いくらい愛想を振り撒き名乗らせる。名乗ったら名乗ってくれるだろう。常識な人間なら。


「あっそ、いいけど別に。かなみよ、苗字は真田」


 そう大してあたしに興味無さそうに名乗られた。名前がわかったらこちらのものだ。適当に会釈して戻る。

 漫画喫茶に戻り、白瑠さんと合流して多度倉さんを捕まえた。


「な、なんだ、まだ用なのか!?」

「暇なら手伝ってください。今いる五人以外に一昨日の夜にいた客が来たら名前を聞き出してください、それか裏現実者かどうかがわかるなら確認して」


 ビクビクした多度倉さんに頼む。選択の余地はないのだけれどね。パシリを頼む。


「は、はぁ? お、オレだって仕事が」

「あたし達がまた来るまででいいので」

「お願いねぇ?」


 断ろうとしたので遮り言い、白瑠さんは有無言わせぬ笑顔で頼んだ。

 多度倉さんは、無論逆らえない。

 これでいい。

 一先ず家に帰ろう、と白瑠さんのバイクで帰宅。喫茶は多度倉さんに押し付けもとい代わりに見張ってもらう。

 今のところ容疑者に上がった六人を、藍さんに調べてもらう。


「あーぁ。スピード解決しなかったなぁ」

「したら苦労しませんよ」

「裏現実者に手をあげてもらえれば良かったのに。しかもほら、多度倉くんにさぁ言ったみたいに“この中に紅色の黒猫はいますかぁ”って言えばいいじゃん」

「だから! 何も憧れを抱いて真似たとは限らないんですよ! 引っ掻き回してケタケタ笑っているイカれヤローっていう線もあるんです!」


 玄関に入り、飽きたのかしつこく白瑠さんにもう一度言いながら廊下を歩いた。


「いいじゃん、動機なんてぇ。殺ったのは間違いないんだし、反応はするでしょ?」

「逃げられたらどうするんですか!」

「そんなの問題じゃないよぉ。どうせ三流、簡単に殺せるよ」

「殺しちゃだめですよ! 殺されるより苦しい目にあわせるんです!」

「こわいこと言うなよぉワトソン君。この前みたいに幸樹に“これ誰のピアスなの?”って畳み込まなきゃ! 犯人はお前だ! って俺やってみたぁいぃい」

「ホームズにはなれないですね、白瑠」


 リビングについて幸樹さんはそうやって笑った。


「それにあの時は証拠品があったから、確信して椿さんは拗ねた。今回は証拠品と容疑者が揃っていないですよ」

「浮気の証拠品ね」

「あーはいはい。私は椿さんしか愛しませんよー」


 白瑠さんが訂正したら、幸樹さんは顔色変えずにあたしに嘘つく。もっと上手く言ってほしいものだ。

「今上がった容疑者です」とあたしはメモをソファにいる藍さんに渡した。

 その顔が。何故だか浮かない。


「ちょっと藍さん……。藍さんまで飽きたとか言いませんよね?」

「んー……。だってさーお嬢? こんなのさーこんなのさー。ただの刑事ごっこじゃん。僕は飽きたよ。やだよ」


 ハッキリと飽きたと言いやがった。本気で言われたのがマジムカつく。


「そんなに調べるの面倒ですか? ならいいですよ」


 あたしはむっすりと子供みたいな態度でそっぽを向く。


「や、やだなぁ。そんな可愛い反応を僕の隣でしないでよー」


 何故だか涎を垂らしそうな顔をしやがった。

 こんな態度が効果的だとは思わなかった……。

 そう言えばあたしは藍さんが好みの少女なんだっけか。


「藍さん……自分でもロリコンだって言ってましたが。ロリコンの対象ってもっとこう……幼い子じゃないですか? 小学生とか中学生辺りじゃないですか?」


 ロリータコンプレックス。ロリコン。少女が趣味。少女以外論外。

 どんなナイスバディーの美人よりも、少女を選ぶ少女趣味の藍さん。


「いや、僕のストライクゾーンは未成年までだから。つーのお嬢はドストライクだぜ☆」


 藍さんは爽やかな笑顔で言いのけた。ビシッと親指まで立てられる。

 殴っていいですか。


「俺、藍くんが5歳の女の子を着せ替えしてるのみたことあるぅ」

「私なんて中学生にお金まで出して着せ替えさせているのを見ましたよ。赤子にだって涎を垂らすロリコンですよ、藍乃介は」


 正真正銘の変態だった。

 自他共に認める変態だった。


「少女と言うか……そうですね。未成年に見える150センチ以下の美女ならストライクなんですよ、藍乃介は」

「ちょ、まるであたしが150センチ以下みたいな言い方ではないですか!」


 ……あれ。あれれ。

 沈黙したぞ。皆あたしを凝視して沈黙しちゃったよ。

 あれ。どうしたんだろう。視界が霞んできた……。


「と、とりあえず……少女であるあたしの……頼みが……聞けないんですか……」


 落ち込みつつなんとか顔を上げて、藍さんを見上げた。

 どうしてだか胸が痛いよ。


「………………」


 何故だか藍さんは。涎をたらたらたらたら垂らしそうな顔をしていた。

 ていうかもう涎が垂れている。黒縁眼鏡イケメンが涎を垂らした。

 ……寒気が。悪寒が。憎悪が。

「ぐ……ぐふふふふふ……ツボ……じゅるっ」と笑いながらやっと口を開いてくれた。涎も拭いてくれた。


「あー勘違いしないで、お嬢。僕は降りるなんて言ってないさ。やるよやる。でも、ね。お嬢」


 身構えたが様子からして真面目な話らしい。ロリコンだと言うことも真面目に言うから気は抜けない。


「多無橋氏の伝言」

「……あっ」


 すっかり忘れていた。

 そう言えば、伝言があったのだ。


「怪我が治ってから言おうと思ったけどコレじゃん。でもさっきまたメールが来てさ。君に仕事の依頼だ」


 目を丸める。

 あたし?

 あたし指名の仕事?


「………………断ってください。今は偽者を吊るしてなぶってあぶって刺して切って折ってやらなきゃいけないんです!」

「そんなことより仕事でしょー」

「そんなことよりっ!!?」


 今のはツッコミが欲しかったのだけれど、この際いい。


「元はと言えばですねっ!」

「わかってるわかってるよ!! 短剣しまおうか? 僕が元凶なのはよぉおくわかってます! 今夜やっちまって明日から犯人探しに……ねっ? 多無橋氏は、僕のお得意様でもあるんだ」


 昨日と同じ台詞を言おうと短剣を出したら、咄嗟に藍さんは下がり両手を振った。

 苦笑しながら藍さんは言う。

 どうやら藍さんの立場上苦しいらしい。殺し屋と依頼人の間にいる。


「つばちゃん。藍くんの顔を立ててあげなよ。初の指名の仕事を蹴っちゃうなんて大物ぉーんひゃひゃ」


 膝掛けに座って白瑠さんが、あたしの髪を引っ張った。

 女の髪を引っ張るものではない……。でも痛くはなかった。

 そのまま白瑠さんに引き寄せられる。

 白瑠さんの目当ては傷を隠したチョーカーだった。

 チリリリン。

 指で鈴を鳴らす白瑠さんはご機嫌な笑顔で見下ろす。

「……でも、怪我治ってないし」とか言い訳。

「二度目のレッドトレインをしたのにですか?」幸樹さんが意地悪を言う。

 そうか。多無橋さんはそれで催促のメールを送ってきたのか。


「多無橋さんに言わなきゃ、あれは偽物だって」

「直接言ってきなよ。会う約束はしたぜ」


 びし、とまた藍さんが指を立てた。

 勝手に決めたのかよ貴様。


「わかりました行きますよ行きます! だから藍さん容疑者を調べてください!」


 少しだけ考えてから、あたしは諦めて仕事を引き受けることにした。自棄だ。


「オッケーオッケーオッケー! プリティなガールの椿ちゃんの為に仕事中に調べあげる!ぐふふっ」


 藍さんは約束してくれた。

 絶対だからね。と睨み付ける。

「よしじゃあつーちゃん行こうか!」白瑠さんが同行してくれるのは必然だった。


「そぉだね。つばちゃんの為に俺より鼻のきく奴を紹介してあげるぅ」

「鼻がきく人?」

「んー。前から紹介するつもりだったぁよっ」


 そう言いながら、また白瑠さんはチョーカーの鈴を揺らす。見上げるのが辛くなった。首痛い。


「では彼を連れてくるのは、私の役目ですね」


 幸樹さんが頷く。今の言葉だけで誰のことかわかったらしい。

 一体誰だろう。

 二人は教えてくれそうにもないのであえて聞かなかった。

 多無橋さんに会う前に、藍さんと容疑者調べ。名前と特徴を話してほしいと言われた。

 外見や第一印象を話す。一通り話したところで、藍さんが「あのさ」と我慢していたように溜めてから話し出した。


「学生のナタクってさぁ、苗字?名前?」

「名前……だと思うけど。あたしも偽の名前を言ったから名前だと。それが?」

「ん。ああ、いや。ただ気になっただけだよ、ちょっとね。裏現実にナタクっていう苗字の危険人物がいるからさ」


 なんだかただならぬ雰囲気で、あたしの書いた字を見つめた。ナタク君は普通に見えたけれど。


「あー、でも学生なんだよね? じゃあ違うね。うん」


 無理矢理自分を納得させたように藍さんは頷いた。


「多度倉氏も、僕は知り合いだ。白瑠も会った気がするんだけどね。アイツが忘れるのは当たり前かな、あんま売れない、けれどコツコツやってる殺し屋だよ。除外してもいいんじゃない?」

「そこにいたなら犯行は可能です」

「仰る通りですね、椿刑事」


 藍さんは肩を竦めてまたパソコンに向き合った。容疑者だと思うやつは容疑者だ。

 アリバイがなければ、容疑者。

「全く、監視カメラがあったらいいのに」ごもっともな意見だ。監視カメラさえあればなんとか絞れたはずなのに。あの店にはない。会員制でもない。


「初めて裏現実での危険人物なんて聞きました。参考に教えてください。ナタクってやつ」

「うん? ナタク。ナタクねーうん。そんなの知る必要ないよ」


 興味が沸いたから訊いたら、首を振られた。その藍さんの顔が何とも言えない表情だ。嫌そうに苦笑して言いたくなさそう。


「でももしもは起こりうるだろうから……」

「いやー。まさかね。だって学生だし……ああでもあり得るか」


 ぴたりと藍さんの動いていた指が止まる。


「産まれてもって裏現実で生きた人間はいる。マフィアの子供がいるように。あの鬼もまたそうだな、秀介くんだっけ? 僕達のように表から裏にきた人間とは違う初めからいた人間ってのはね、桁が違うんだ」


 説明に困った様子で藍さんは顎をさする。

 秀介の言葉を思い出す。

 俺もおんなじ。

 家族が嫌いと言う質問にそう笑って返した秀介。

 産まれてからずっと。裏現実者。裏現実者の親を持つ子供。


「ナタクは結構有名な家系の名だ。数年前から、ナタクっていう奴らは危険人物だって言われてる。どう危険かなんて……説明できやしないけど…。ナタクに関わるのは避けるべきだ。これは僕の忠告だ。味方でもヒヤヒヤする相手だ、敵にしてもいけないよ」


 秀介からナタクに思考を戻す。きつく藍さんはあたしの頭に叩き込むように言った。


「まぁ……学生って歳のナタクなんて聞いたことないし違う可能性は大だから、その子に警戒はしなくていいと思う。ナタクなら学生なんてやってないと思うしね。やっぱり気にすることないよ、お嬢」

「……そうですね。藍さんの情報を信じます」


 あたしの返事を聞いて藍さんは話を終えたのか、また指が動かし始めた。

「因みに」とあたしは続ける。「ナタクの漢字は?」


「刹那の那に、拓殖の拓。那拓」


 那拓の話は、それっきりだった。

 ナタク君以外の素性は調べられた。偽りはなく、裏現実者ではないだろうと藍さんは推測する。

 夕方になって、あたしは白瑠さんと仕事に向かった。

 紅いコート。藍さんがまた作った物だ。今回はスカート、ではなく短パンにした。

 足が出てるだけで、白瑠さんと藍さんはご機嫌。因みに黒のニーソだ。

 バグ・ナウをつけ、カルドを腰に、腕には短剣を、コートの中には大量のナイフ。ブーツにも仕込みを忘れない。

 三週間ぶりの仕事だ。

 先ずはホテルで待ち合わせしている多無橋さんに会い、仕事の詳細を訊く。ついでに誤解も解いておこう。

 白瑠さんはあくまであたしのサポートをしてくれるだけだから多無橋さんに顔を出さないそうだ。頭蓋破壊屋がサポートなんて、聞いたら混乱させてしまう。

 エレベーターに乗り込み、約束のスイートルームに向かう。

 たかが、話をするだけなのにスイートルームって。金持ちってやつは。

 指定された部屋にノックした。

 直ぐに開かれる。

 見覚えある女性。スーツ姿。多無橋さんの秘書だ。

「お待ちしておりました」と中へと通された。


「やぁ、紅色の黒猫さん。また会えて嬉しいよ」


 多無橋さんは部屋に立って出迎えてくれた。短髪で人が良さそうな眼鏡の男の人。


「こんばんは。ご指名頂きありがとうございます」


 ペコリと会釈する。

 一応白瑠さんのように接することは出来ないから、口調はかしこまる。


「ふふ。Iの言う通り、ドライだね」


 Iは藍さんのこと。イニシャルなのかどうなのかわからないが藍さんはIと名乗っている。

 ……ドライだろうか。

「まぁ、座って」と言われたのでソファに腰を下ろした。


「それで……仕事の内容は?」

「ああ、標的は隣にいるよ」


 手っ取り早くすませようと本題に入ったらさらりと言われてしまった。

 隣かよ。何考えてんだこの人。


「驚かないでくれ。今夜は取引で呼び出したのだからね」


 なるほどね。取引、か。


「それまで時間はある。話をしよう、Iから聞いたよ。例の電車も君がやったそうだね」

「……はい。ですがこの間の二度目の血塗れ電車はあたしではありません」

「そうなのかい?」


 仕返しができた。多無橋さんは目を丸める。


「はい。偽物でしてね……今、探しているところです。見付けて犯人に仕立てあげるつもりですので、終わるまで、次の仕事は引き受けません」

「ふふっそうなんだ。うん、辛抱しよう」


 ちょっと生意気な口調だったが、多無橋さんは笑って応えた。

 ソファの背凭れに身を預け「しかし」と付け加える。


「被害者と思われていた君が犯人だなんて、ね?」

「……」

「ああ、これはIから聞いてはいないよ。こちらで勝手に調べただけなんだ。テレビで見たよ、写真の君に見覚えがあったからね」


 調べたんだ、とそう答えた。

「綺麗な顔立ちだから。印象に残りやすい、しかも似た顔はいなさそうだ」とあたしの顔を眺める多無橋さん。

 あたしは自然に警戒を強める。

 この人は、敵か味方か。

 おちょくっているのか。


「私は産まれる前から、こちらの世界の住人なんだ。うん、だから言わせてもらおう。裏現実へようこそ」


 人のいい笑顔を浮かべてそう言った。可笑しいな、片足突っ込んだ人じゃなかったっけ?

 藍さんのバカ。

 本名言ったってよかったじゃん。素性バレバレ。


「年相応に拗ねた顔をするんだね。殺しは年相応ではないけど」

「年相応の殺し方なんてないでしょ」

「そりゃそうだね」


 おかしそうに小さく多無橋さんは笑った。あたしは目を背ける。


「君には期待をするよ、紅色の黒猫さん」

「……ありがとうございます」


 なんか嫌な人に気に入られたらしい。金持ちってやつは。大人ってやつは。元々裏現実者ってやつは。

 こんな面倒くさいやつらばかりなのだろうか。

 裏の顔だけの人間達。

 那拓は一体。どれくらい。

 危険なのだろうか。

 ちょっとした。興味が沸いた。




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