あたしが殺戮者。
紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い。
この色が好き。何故だろう。例え一面の血塗れでも嫌いにはなれない。
殺戮衝動。
二三回……否、もっとあった気がする。殺したい。切り裂いて血塗れにしてやりたい。そう思うことはあった。
勿論、頭の中で留める。あたしは他人を傷付けることは好まない。好んではいないはすだ。
でも最近、なんだか夜道で全く知らない人を殺してしまおうとか、考えてしまった。病んでるのか。
ちょっと孤独だなと思ったり現実に生きたくないとか、その現実逃避だろう。
知らず知らず追い詰められたらしい。
ついに────殺ってしまった。
真っ赤に濡れた手には、デザインカッター。
ガタンゴトンと揺れれば二三人、倒れた。電車の中。
血塗れだ。窓も床も天井も広告も、血に濡れていた。乗車している様々な人間は全員死亡。首を掻き切られたり、心臓を一突き。
生きてるのはあり得ないだろう。
あたしが殺した。殺ってしまった。
死刑確定の人数。終わったなあたし。
ちょっと理解できなかった。何故こんなにも、自分は冷静なのだろうか。逃げ惑う人間を一人一人切り裂いて殺して、死体だらけのこの場所にいるのに吐き気すら覚えない。同情も罪悪感もない。他人だものね。なんて冷たい人間に堕ちてしまったんだ。
運転手も殺してしまった。終点まで止まらない電車の中で自殺でもしようかな。
「うひゃあ〜ひゃひゃっ。こりゃすごいねぇ〜」
不意に沈黙を引き裂いた声に震え上がった。聴こえるはずない。だって生存者はあたしだけだと思っていたから。
いた。生きてる人間が。
殺している間の記憶は朧で確証はないけど、こんな目立った彼を見かけてない。
屍が転がる周りを見回す青年は血を浴びてない。淡い色の茶髪。綺麗な顔立ち。白いYシャツの袖は捲られ、色白の腕にはジャラジャラとアクセサリーがついていた。
白いズボンに黒いブーツ。
隠れてたにしろ見逃したにしろ、殺すしか選択が浮かばない。
だけどふと気付く。
狂ったような笑い声。何故笑っているんだ。怯えるわけでもなく、猫みたいに細めた目で笑っている。
彼は────────異常者だ。
「これ、貴方が殺ったの?」
とぼけて訊いたが、確実に殺ったのは自分だと自覚している。
「まっさかぁ! 俺なら脳ミソぶちまけてるよー」
死体の上で彼の笑い声が上がった。完璧異常者だ。
冗談ではなく、殺人は殺れるといったご様子だ。
大量殺人をしたあとに殺される?
彼を見た。彼には勝てない。
そう悟った。直感か。本能か。理性か。恐怖か。彼には勝てない。
彼は平然とスーツの男を踏んで近寄ってくる。
「で、何か?」
何の用かを訊いてみた。話し掛けてきたのは用があるからだと思う。多分。
殺す気なのだろうか。
「んひゃひゃっ、君がどんな人間かを知りたかったんだぁ」
ぺちゃと血を踏み鳴らして、彼は笑いかけた。
「中々いい感じじゃない?」
席に項垂れた女子高生の顎を掴んで上げて切り傷を見る。ぱっくり開いてるね。いい感じかどうかはわからないけれど。
その子さえも血溜まりに落とした。
「んふふ……」
にんまりと口元を吊り上げて彼は前に笑いながら立つ。あたしは座ってる。
カッターを握ったまま、彼をじっと見てみた。丸腰に見えるけど、カッターを振り上げたら瞬殺されそうだ。
「あたし、見た通りイカれた殺人鬼です」
「イカれてるなら俺も殺すだろー? 冷静ないい判断だよ。殺しは初めて?」
彼はその場に屈んだ。
いい判断だって。やっぱり彼には勝てそうにないらしい。
「初めてなはずです。記憶によれば」
正直、自信がなくなった。もしかしたら、頭だけじゃなくて忘れてるだけで殺ってたかもしれない。
「ふふふ〜。急に殺したくなっちゃったぁんだ?」
「……貴方も、相当狂ってるようですね」
「わかるぅ?」
狂ってる。あたしも彼も。
何故、平然にいられるんだ。何故、普通に話せるんだ。
何故? 何故? 何故? 何故?
いつからこんな人間になってしまったんだ。
あたしが目を逸らして考えていたら彼が立ち上がり、あたしの後ろの窓に手をついた。彼の顔が、間近になって驚く。
「ん〜まぁーまぁーだよねぇ〜」
……顔がか。
品定めするかのように見ている。やめてほしい。
不細工と言われるほど酷い顔ではないが、自信はない。彼の綺麗な顔とは比べられないだろう。ていうか失礼だ。
「ねっねっ」
あたしの気持ちを目から読み取っていそうなのに、あえて無視したように彼はあたしの耳元で囁いた。
誰も聞いてないのだから、耳打ちしなくていいのでは?
「生き方、教えてあげようか?」
予想もしなかった言葉に目を見開く。
生き方? 生かしてくれるのか?
「君は死刑……上手くすれば精神病棟に閉じ込められる……どちらにしろ自由はない。そんなの、嫌だろう?」
確かに嫌だ。牢獄も病棟も。そんなの誰だって嫌だろう。
しかし、この罪から逃れる方法なんてあると言うのだろうか? 否、逃れられない。これはあたしの罪だ。
罪を背負いつつも自由に生きる方法を、彼は知っているようだ。
「嫌だけど……何かあるの?」
「んふふっあるよぉ」
その笑みに、ゾクリと恐怖を感じた。
早かった。
あたしの握っていたカッターが彼に奪われ、躊躇なくあたしの首をそれで裂いた。抵抗は全く間に合わなかった。
痛みは感じなかった。熱い。手で押さえれば、生温かい血が溢れているのがわかった。
「はぁ……ぐっ……」
嗚呼、結局殺された。解ってたのに彼を信じてしまった。
なんて狂った奴なんだ。生きたいと思った瞬間に殺すなんて。
文句も言えず、あたしは前へと倒れた。誰のものかもわからない血が弾く。
視界の隅で、彼がカッターをハンカチで拭く姿が見えた。
「んーひゃ。生きてたら、迎えに来てあげるよ、ひゃひゃ」
ニッコリ、青年は顔を近付けて笑みを向けてから、ピシャピシャと何処かへと歩き去ってしまった。
残されたあたしは、時期に死体の仲間入りになるだろう。死体の皆はこんな気持ちで死んだのか、漸く同じ立場になって哀れんだ。
朦朧とする意識の中、電車が停まったのを感じた。彼が停めたのだろう。確認することもできず、あたしは闇の中に落ちた。
目を開けば、白い天井。
あたしは、大嫌いな病院にいた。病院のあの独特の雰囲気、匂い、空気が嫌いだ。暗く感じるし、病みそうな所だと思う。
でも横たわってるところが、死体安置室でないだけましだ。あたしは生きている。
首に嫌な痛みを感じながらも、起き上がってみた。なんだかいい感じの病室だ。テレビで見たような個室。相当大きな病院に運ばれたらしい。
「気分は?」
家族がいないか探したら、右側にパイプ椅子に座っていた見知らぬ男がいた。
「大丈夫です……」
医者には見えない。少し長い癖のついた長髪を束ねたダンディな感じの男の人は、茶色のコートを着ている。久しぶりに出したであろう声で答えれば、彼は立ち上がり懐に手をいれた。
拳銃? なんて構えたあたしは、相当病んでいるんだ。
「埼玉県警の刑事、篠塚だ。質問をしてもいいか…?」
見せられたのは、警察バッチだった。嗚呼、死刑だ。
なんて思ったけど、彼の目は被害者に気を遣うようなものだった。
あたしは首に手を置いて、とぼけてみた。
「なにが……あったんですか……?」
「……やはり覚えていないか」
篠塚さんは肩を落として、またパイプ椅子に腰を降ろす。
「あれだけの酷い光景…見てても思い出したくはないな…」そう呟くように言った。
「君は襲われ、首を切られたんだ。幸い浅く、死にかけたが医者が君を救った」
不意に浮かぶ彼の笑った顔。
殺す気はなかった? 否、恐らく死なない程度に切ったのか? それともテキトー……?
「あたし、電車にいましたよね……?」
「……ああ。息をしていた君をすぐに救急車で運ばせた。犯人は逃走中だ」
嗚呼、あたしは容疑者だと疑われていない。でも安心はできない。何かあたしが殺ったと言う証拠が出るかもしれない。
「犯人は、連続殺人犯だと思われる。我々は、頭蓋破壊屋と呼んでる」
「頭蓋……?」
「奴の手口はいつも頭を爆発させたように殺すんだが、今回は首や心臓だった。だが奴の指紋が見つかり、今回も奴だと踏んでいるんだ」
頭が爆発したような死体が見つかったなんてニュース、見覚えない。
だけど、あの狂った彼が頭蓋破壊屋のはずだ。
だって脳ミソぶちまけてるよって言ったもん。
「その指紋が君の座っていた後ろの窓にあったから、君が犯人の顔を見たと思ったのだが……」
見ました。物凄い間近で。
「何か思い出したら電話してくれ」
そう言って、刑事は名刺を差し出してくれた。
何だか悪い……。犯人はあたしだし、頭蓋破壊屋の顔を見たし、何より……篠塚さんは人が良すぎる。
普通なら被害者も疑うと思ったのに、なんて優しい刑事さんなんだ。
「他に知りたいことは?」
「……生存者は……?」
恐る恐ると言った感じに訊いてみた。刑事さんは一度も死人のことを話してない。全滅とか死体の山の中君がいたとか大量死体とか、その言葉を言っていない。
電車にいたことを訊いたのも、生存者を訊くためだった。彼は綺麗にあたしだけのことを答えたんだ。
怖がらせないように気を遣っているのだろうか。
「君だけだ」
そう短く答えた刑事さんは辛そうだった。嗚呼本当に優しい人だ。他の乗車した人間が死んだなんて、口にしない。
罪悪感がじわりと胸に広がって、顔を伏せた。生きた人間にならどうやら罪悪感がわくらしい。
「……俺はこれで失礼する。また来る」
ふと、頭の上に大きな掌が置かれた。篠塚さんのだ。また来る、なんて優しい言葉なんだ。
ジワアときて、涙がポロッと落ちてしまった。彼は見ないフリして、ポンポンと頭を撫でてくれる。
「……はい…」とあたしは小さく頷いた。
篠塚さんと入れ違いで、家族が入ってきた。あたしが明るくチャオーと言ってみたら、怒られた。ごめんなさい。
それから担当医が来て、今までの経緯を詳しく訊いた。
血を大量に流していて危険だったが、止血してなんとか命を留めたそうだ。深々と頭を下げて礼を言う。
暫くは安静にとのこと。3日眠っていて、篠塚刑事は3日待っていたらしい。もしも嫌なら無理して会わなくてもいいと言われたが、あんな優しい人拒めない。
出されたお粥を食べながら、どうしようか考えた。自首しようか。篠塚刑事に逮捕されるなら本望だ。でも牢獄は嫌だな。証拠がなければ、不起訴になるかな。
あの血溜まりとぱっくり開いた傷口を見たにも関わらず、お肉が食べたいと思った。お腹すいた……。
味っけのないお粥を噛み締めて、痛みと一緒に飲み込んだ。
目覚めた事を知って、友人が会いに来た。大丈夫だと笑ってみせてから病院怖いと洩らせば、怪談話になって夜眠れなくなってしまった。夜の病院は怖すぎる……。
「お前ほんと、生きててよかったよ」
翌日もまた来て、そう涙目で言われても、悲しくならないのは何故だろう。
あ、そっか唯一の生存者だけど犯人でもあるからか。
泣くなと笑い退けてやった。ていうか暇なのか君達?
そこにノック音が聞こえてきて、皆で扉を見た。その扉を開いたのは、篠塚刑事だ。
彼はあたしの友人を見ると。
「邪魔だな、出直す」
「あっ、用があるなら入ってください。仕事でしょ?」
遠慮しようとしたから、あたしは慌てて止めた。何なら友人なんて追い出しますけど。
「いや……今日はプライベートで来ただけだ。体調を知りに」
首を振って入ってきた彼の手には、果物のバスケットがあった。
流石に怪訝に思う。もしかしたら優しさは、演技であたしを疑っているのかもしれない。
「そんな気をつかわなくても……喜んで食べます」
「食べるんかい、喜んで」
ナイスツッコミ。
「これぐらい当然だ。元気そうでよかった、じゃあな」
あたしに渡すなり、笑って彼は部屋をあとにした。それが演技なら曲者だ。
あたしの演技を見抜いていても、可笑しくない。
盗聴機あったりして。ちょっと確認でフルーツバスケットを見た。あの頭蓋破壊屋を知ってから、警戒しまくりだ。
不意に皆があたしを見てることに気付く。じっと今のは誰か、を問う目。
「刑事さん。しぶくてイケメンだよね」
あたしは疑問に答えてやって笑う。なんだか安心したように、皆に笑顔が戻った。まさか彼氏とか思ってないよね? いくらなんでもあんな歳離れた人とあたしが付き合うわけないだろう。
「刑事ってあんな感じなんだ? かっこいー」
「見舞いなんて、親切だね」
「つーちゃん食べていい?」
マイペースだな、と思いつつショートの安ちゃんに林檎をあげる。
「すごい優しい人なんだ、気を遣って、事件のこと慎重に話してくれるの」
そう言うと南ちゃんとまこと君が反応を示した。皆も気を遣って事件のことは訊いてこなかったけど、タイミングを掴んだらしい。今だ。
「椿は事件のこと覚えてないんだよね?」
「うん」
「何か聞いてない?」
「何かって……?」
妙な質問だ。あたしは首を傾げて伺う。
「ニュース見てないの?」
「怖がるから見せるなって、医者が言うから禁止なの」
置いてあるテレビに目を向ける。医者が母に精神的に参ってしまう為、見せない方がいいと言ったから見せてもらえない。
「犯人が全く捕まってないんだって。テロとか色々ニュースでいってるけど、ほんとのことは警察も発表してなくてわからないんだ」
テロとは心外だ。こんなことを思うあたしが犯人です、南ちゃん。
あまり情報が出てないようだ。警察も頭蓋破壊屋だと思っているのは明かしてないよう。
篠塚さんは、あたしに言ってよかったのだろうか。それとも引っ掛け?
「何か聞いてない……?」
「特には……あたし以外皆死んだってことぐらい……」
頭蓋破壊屋の事は、言わない方がいいだろう。彼女達の為だ。
あんな狂った彼の事を知ったら殺されてしまうかもしれない。流石に友人が死ぬのは嫌だ。
「ほんと……椿が生きててよかった」
その話はもういいよ。被害者を殺したことを思い出して、自己嫌悪に落ちちゃう。
「あたしの名前は出てた?」
山本椿と言う名前が連呼されるニュースなんて見たくない。
「ううん出てなかった」
「女子高生(18)って出てたよ」
からかうようにまこと君が言った。そうか名前は出てないか。
「まさか殺人犯が椿を狙うとか言わないよね……」
南ちゃんのその言葉に苦い顔をする。
迎えに来るとか言っていたんだ、来そうだ。
もしかして人間を弄んで殺して楽しんでるかもしれない。あたしの最期は脳ミソ粉砕か。
「それで刑事さんが来てるかも」
安ちゃんが、あたしの肩を撫でて心配してくれる。それも有り得るかもしれない。優しさが演技ではなければ。
「次来たら訊いてみる」
「……なんか心配になってきた、泊まってい?」
「大丈夫だよ!」
思わず声を上げた。
泊まるな、殺されるぞ。頭粉砕されて。なんとか説得して泊まることを阻止した。
彼女らが帰ったあと、メロンを一人で平らげる。お腹が満たされた気分だった。
翌日、篠塚さんが来るのを待ったがきっと仕事中だろう。今日は来ないようだ。見舞いも来ないようだから、あたしはベッドから降りた。久しぶりに病室を出て廊下を歩く。やっぱり大きな病院だ。
外に行ってみたいな、と渡り廊下の窓を見たらなんだか下に人盛りができていた。なんか嫌な予感。
「取材陣だってさ」
後ろから声が聞こえてビクリ震えて、振り返った。
「大量殺人事件の唯一の生存者がいるって嗅ぎ付けたらしいよ」
窓に腕をついてそれを見下ろす同じくらいの歳の松葉杖をついた男。情報をありがとう、と小さく礼を返す。
「アンタ、初めてみた。来たばっか?」
「一週間前かな、ずっと病室にはいってた」
「一週間? 事件の時と……? ああ……」
あ、口を滑らせてしまった。事件発生日と同じと知り悟ってしまった彼は頷く。
「へぇそっか、君かぁ」
「……わかってると思うけど、誰にも言わないでね?」
「わかってる。俺は秋川秀介、見ての通り骨折で入院。その首は名誉の負傷?」
「山本椿、首裂かれて救われて閉じ込められてる」
何が名誉の負傷だ。笑わせようと冗談言う彼に、肩を竦めて返す。
「で、どんな奴だった? 殺人鬼」
「……見てないよ」
ニヤニヤと訊いてくる秋川秀介に嘘をつく。
「なぁんだ、そっか。そうだよなぁ見てたら警察が彷徨いてるもんな?」
「……どっちでも心配だから殺しにくる、かな?」
恐る恐る訊いたら、すぐに頷かれた。
「多分な、テロの目的が電車にいた人間を皆殺しなら殺す気だろう。殺人犯だって捕まる気がないなら、殺しに来るんじゃねぇの?」
躊躇いなく秋川秀介の予想を言われて、青ざめる。出来れば会いたくない、頭蓋破壊屋。やっぱり殺しにくるのかなぁ。
ポン、といきなり肩に手が置かれて「きゃああ!」と病院にも関わらず悲鳴を上げてしまった。振り返れば、目を丸めた篠塚さんがいた。
「すまない……驚かせて」
「あ、あたしこそ……」
大声を出したことを謝る。ああ恥ずかしい。
「ん、じゃあね椿ちゃん。また」
秋川秀介は杖をつきながら、あたしから離れていった。また会うつもりなのかな、戸惑いながらもまたねと言ってみる。
「マスコミが嗅ぎ付けた、あまり病室を出ない方がいい」
「あ、はい」
手を差し出された。思わず手を置いたら、手を握られ引かれる。
おお…手を繋いでしまった。病室に戻ってベッドに腰掛ける。
「あの……今日はお仕事で?」
「ああ。マスコミが騒ぎだしたからな、念のため護衛を置くことになったと知らせにきた」
ゾクッと寒気がして腕をさする。警備がつくことになっちゃった。少し沈黙。
言葉を探して、慎重に情報を取り出してみよう。嘘かどうかはわからないが、ないよりはいい。
「頭蓋破壊屋のことは……公表していないみたいですが……彼は、生存者を殺しに来ると思いますか?」
とりあえず、彼は頭蓋破壊屋のことを知っているのだからどうかを訊いてみた。
「わからないが可能性があるのなら君を全力で守る」
警察でも、彼には勝てないと思う。そして彼は来る。気分が変われば別だと思うけど、来るはずだ。
「その犯人は……一体何人殺したんですか……?」
「……奴のことは口外しないでくれ。人数は……わかっているだけでも200人だ」
うわっ、本物の異常者だ。あたしは少なくとも20数人。彼は十倍以上殺している。勝てないと思うわけだ。
「大丈夫だ、守る」
「……はい……」
頭にまた篠塚さんの手が置かれた。
うん、優しい人だ。演技じゃない。良い人間だ。こんな人を殺さないで欲しい。頼んだらやめてくれるだろうか。逆に殺しそう。今すぐにでも扉を開いて……。
そう思ったら扉が開かれて、思わず震え上がった。
「山本椿さんですね」
「は、はい……」
スーツの男の人が入ってきた。後ろにも二人いる。
「東京都の刑事だ。君に質問があるそうだ」
「佐藤拓人です。事件について聞いても構わないかね? 医者と親御さんからは許可をもらっている、君さえよければ」
キリッとした刑事らしい人が、警察バッチを見せた。本格的な質問が来そうだ。「はいどうぞ」とあたしは心の準備をして頷いた。
刑事さん達は病室に入り、早速質問をしてきた。篠塚さんがパイプ椅子を譲ったが、断って佐藤刑事は仁王立ちする。なんか嫌だ。
「君は何処に何しに、電車に乗ったんだい?」
「気分転換に、買い物しに向かっていたんです」
正直に答える。自白するつもりは、今はないからそのうち嘘をつくだろう。
「乗車した時、誰かと口を交わしたか?」
「……誰も」
「最後の記憶は?」
「……〇〇駅を通りすぎた、時……でしょうか」
そのあと、ぼぉとして気付いたら殺戮を始めていた気がする。
この時、自分を分析してみた。演技ではないけどきっと記憶が欠けてるように見えてるはず。
殺戮のことを言わないでおけば、記憶がないせいにできる。矛盾を拾われなければ。
「その時の記憶は全く、ないんですね?」
無言で頷く。思い出して首をさする。
紅い紅い紅い紅い血。危うく脳内に入ってしまうところだった。
「誰か、怪しい気な人や集団を見ていないかい?」
見ました。「見てません」と首を横に振る。怪しい人は頭蓋破壊屋だけ。あと犯人のあたしか。
「君は恐らく犯人と話したはずだ。全く思い出していないのかい?」
思い出せ、と言いたげな目付きで睨まれる。あたしは首を横に振った。
「無理に思い出させてはいけないと、医者に注意されているぞ」
篠塚刑事が、助け船を出してくれた。佐藤刑事は腕を組んで、今度は篠塚刑事を睨み付ける。
「君はアイツを捕まえたくないのか?」
「捕まえたいに決まっているだろ」
「わざわざ外国から追い掛けてきたのに、身元さえわかっていない。手掛かりは彼女だけだろう」
なんだか険悪ムード。ギッと二人は睨みあった。人気者だね、頭蓋破壊屋。
「篠塚刑事は外国から来たんですか? 何故東京と埼玉の刑事が一緒に?」
険悪ムードを割って、あたしは純粋の疑問を口にする。知る権利はあると思います、後者は。
「ここ数年、奴が日本で事件を起こしているからアメリカから来たんだ。奴は色んな所で事件を起こしているから、東京都の警察も来たんだ」
篠塚刑事は素直に答えてくれた。なるほど。満足して頷く。
「すみません、思い出せなくて」
深々と頭を下げたら、篠塚刑事は慌てて顔を上げるように言った。
「いいんだ、ゆっくりで。辛いのなら思い出さなくてもいい」
嗚呼、本当に優しい人。慈悲深い目であたしを見つめてくれる彼に、罪悪感が膨らむ。
「最後に、恨みを買うような心当たりは?」
ちょっと苛ついた口調で、佐藤刑事が尋ねた。ないと答えれば溜め息をついた。
「では、今日から君の安全を守る為、我々警察は待機する。君の病室に一人、出口に二人裏口に一人、表に車の中で二人、刑事が待機するから安心したまえ」
「病室に、もですか?」
思わず、苦い顔をする。篠塚刑事は兎も角、他の刑事とこの密室にいなくてはならないのか。そして悪ければ、その刑事と一緒に死ぬのか。嫌だ。「君の安全の為だ」と言われれば、何も言い返せなくなる。
あたしの病室には、刑事さんが順番に待機することになった。気だるい。見知らぬ人と沈黙の中にいるってなんか電車の中みたいだ。
ああ、殺したい。
心の呟きにハッとなる。
おいおい、まじかよ。刑事の前で、ていうか刑事相手に殺戮衝動を起こしちゃだめだ。慌てて手を擦る。
気を抜くと病院にある武器になるものが何処にあるかを考えてしまう。
殺戮衝動を紛らわす為に、頭蓋破壊屋の事を考えた。
今日来たらどうしよう。刑事さんは殺さずにあたしだけを殺してください。言える自信がない。
消灯の時間。来るか来るかと待っていたが、その夜訪問者は来なかった。
お肉が食べたい、とか思いながらお粥を食べる時には篠塚刑事が待機してくれてちょっと嬉しかった。彼とはもっと話したい。
他愛ない話をした。好きな物を次の見舞品として持ってきてくれるって。あとは友人の話。家族の話。色々訊かれたから、話した。話したらストッパーが外れて、ペラペラと話してしまう。
実は警察が嫌い。顔も知らない父親が警察関係の人間だったからだ。種違いの弟と妹がいるが今は母子家庭。思えばそれも病む種だったんだろうか。話したらち、ょっと楽になった。篠塚さんは真剣に聞いてくれた。
「正直、こんなことになって母に迷惑かけてしまって……気が重いです」
「君が生きているだけで、お母さんはいいと思う」
本当に本当に優しい。自分の家族のことも話してくれた。あたしはまじまじと篠塚さんの顔を見つめる。
綺麗な顔立ち。笑うと穏やかな表情が気持ちいい。
「あ、あの頭蓋破壊屋をずっと追ってきたんですか?」
会話が一時中断した昼飯に、あたしは訊いてみた。
「六年前から追っている」
六年前から、あの人は殺しをやっているのか。若そうなのに。
「外国にいたのに、わざわざ追い掛けて日本に?」
「ああ、転属してまで奴を捕まえたいと思ったんだ。子どもから女年寄りも容赦なく殺している殺人鬼……野放しにできないからな」
眉間にシワを寄せた篠塚さんは、執念深いんだ。
その言葉にギクリとする。あたしも野放しにできない殺人鬼。いつかは知られてしまうと思うが、嫌われたくない。
落ち込んだ矢先に、交替を知らせに佐藤刑事が来た。次は佐藤刑事だと言う。最悪だ。篠塚刑事は表玄関に行ってしまい、さよなら。
佐藤刑事は黙々と新聞を読んでいる。ランチを食べ終えたあたしは、やることもなく黙り込む。一番居たくない。佐藤刑事は被害者も疑えるタイプ、下手を踏むと容疑者になる。だから黙るしかないのだが、篠塚刑事との楽しい時間の後だと沈黙が重苦しい。あと何時間こうしなきゃいけないんだろう。
なんとかこの場を出る口実を考えてベッドから降りた。
「何処に行くんですか?」
「友人に来ないようにと電話をしに行ってきます」
「私も行こう」
「いえ、大丈夫です。人も多いだろうし」
やんわりと断れば、引いてくれた。よかった、目的は離れることだもの。あたしは携帯電話を持って病室を後にした。
時間稼ぎにふらふらとゆっくり廊下を歩く。のんびりと通り過ぎる病室の表札を見ていれば、秋川秀介の名前を見付けた。彼も個室。
ちょっと挨拶してみようか、と時間稼ぎのつもりでノブに手を伸ばした瞬間に開いた。
ビクッと後退りすると、中から金髪の美女が出てきた。黄緑色の瞳であたしを一瞬見た彼女は背を向けて歩き去る。
なんだ、とあたしは病室に目を向けた。病室にはベッドの前で立ち尽くす秋川秀介が見えたが、その顔はただならぬ表情。不味いことに目が合ったが、幸いスライドドアは閉まってくれた。明らかに話し掛けられるような空気ではない。
金髪美女は怒った風で、秋川秀介は落ち込んだ様子。何があったかなんてあたしには関係ない。逃げよう。
あたしは直ぐ様、病室に戻った。
「早かったですね」
「ちょっと……マスコミみたいなのがいたので逃げてきました」
「マスコミに見つかってもとぼけた方がいいですよ」
なんだか他人事のように佐藤刑事は言った。わかってるし、と思いながらもベッドに潜る。結局少ししか解放されなかった。
次はなにしようか、と考えていたら扉が乱暴に開かれた。思わずあたしも刑事さんも震え上がる。扉を開いたのは秋川秀介。
「椿ちゃーんっ!」
泣きそうな声を出したかと思いきや、迷わずベッドに飛び込んであたしの胸に抱き付いた。ぎょっとあたしは固まる。
「君! いきなりなんだ人前で!」
佐藤刑事が立ち上がって真っ赤になりながら怒るが、秋川秀介は離れるどころかギュッと胸に顔を埋めてきた。
「フーラれーたぁー! 慰めてぇー」
「慰める! 慰めるからはなれっ……ぐほっ!!」
耐えきれず大声を上げようとしたら、痛みに襲われた。首の傷口が開いてしまって噎せる。噎せる度に痛みがして涙が出てきた。
「椿ちゃん大丈夫?」
お前のせいだ。なのにあたしは担当医に怒られた。包帯を巻き直され、鎮痛剤も飲んだ。もう大声を張り上げないで安静にしろとのこと。
「で……あの金髪美女、カノジョだったの?」
「うん、そうなんだよ……別れよっていきなり来てさぁ、酷くない? 俺もう生きてけないよぉー」
身体を起こして話題を戻せば、秋川秀介は眉毛を垂らしてベッドの上で項垂れた。
「はい? あの人いなきゃ生きてけない?」
「ミサがいなきゃ生きてけないー!」
じゃあ死ね。死んでみろ。なんならその金髪美女のミサさんの前で自殺してみろ。後悔させてやれる。何て酷い言葉が浮かんだから振り払う。
「今現に生きてるから大丈夫でしょ。別れの理由は?」
「仕事で怪我したから……カッコ悪いって。こんなヤワ男とは嫌だって」
ズバリと言ったな金髪美女。性格きつそうだ。
「俺ダメ男ぉおっ!?」
「止めろ、止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ、頼むから止めてくれ」
嘆きながらベッドに上がり込んでまたあたしに抱き着こうとしたから、精一杯出せるだけの声で止める。あたしを叫ばせて殺す気か。
「昨日会ったばかりなんで君のことは知りませんが、骨折くらいでダメ男だとは思いません」
本当に昨日会ったばかりなのに、なんで慰めてるんだろう。肩を叩きながら、あたしの意見を言った。怪我をするような仕事じゃないなら話は別だが。
「本当……?」
「フラれたくらいで泣く方がカッコ悪いよ」
涙目でうるうる見上げられる。可愛い顔。小顔で整ってるイケメン。本当は泣いてると可愛いと思う。
「よりを戻したいなら連絡をしたら? 忘れようと思うならあたしは応援する」
あたしが出来ることは特にないけど。上手くすれば彼がいることにより、刑事との二人きりから解放されるかもしれない。うん我ながら酷い人間だ。
「椿ちゃん……優しい……」
「え? 普通の人ならこう言うでしょ、ねぇ刑事さん」
「そんなことでメソメソするなら、甘やかさない方がいい」
刑事に話を振ったあたしが悪かった。
「もっと冷たいこと言うと思った……」
「ああ冷たいこと言われたいマゾですか? 生きてけないならカノジョさんの目の前で自殺したらどうですか」
「流石にそれは無理ですすみません」
はっはっはっ、とあたしが感情なく笑ってやったら頭を下げた。
「じゃあさ、苦しくなったら……ここ来てもいい?」
首を傾けて見上げてくる秋川秀介。ずるい。そんな可愛い顔で黒い瞳で見上げられたら、断れないではないか。
「うん、いいよ」
そう頷けば、嬉しそうににへらと笑みを溢した。どうやら新しい友達ができたみたいだ。
そのまま話をすれば、彼は一個歳上だと言うことがわかった。元恋人とのどうでもいいのろけ話を聞かされたが、佐藤刑事と二人きりよりはまし。
翌日も、秋川秀介は病室に来てくれた。フラれたばかりだと思えないくらい明るく笑いかけてくれる。左足を骨折してるなんて嘘みたいに元気。
「秋川君は、いつまで病院に?」
「俺はまだ一週間いなきゃだめって言われてる」
「それにしては元気だね」
「……秋川君って呼ぶのやめね?」
「じゃあ秀介君」
「君付けじゃなくてさもっと可愛げに」
なんだ可愛げにって。
「ちゃん付け?」
「ニックネームで呼びあおうよ!」
「ニックネーム……友達にはつーちゃんって呼ばれたりするよ」
「つーちゃん? 可愛い〜」
「怒るよ」
刑事さんの存在がないかのように、二人で話した。あたしはベッド。秋川秀介はベッドに腰掛けている。
「俺はつーちゃんかつばきゃんって呼ぶね」
「つばきゃん却下」
「俺にもあだ名つけて、つばきゃん」
だから却下って言ってんじゃん。秋川秀介は決定してしまったらしい。肩を落として、彼のニックネームを考えることにした。
「シュウシュウは?」
「シュウシュウ?」
「秋川の秋はシュウとも読むでしょ」
苗字の頭と名前の頭をとって、あだ名にするのも定番だろう。気に入ったらしくパッと彼は顔を輝かせた。
「うん、決定! つばきゃんとシュウシュウ!」
「やだってば……つばきゃんは。なんかバカップルみたい」
あたしがそう言った途端、笑顔は砕けたように消えた。しょぼーんと目を伏せるシュウシュウ。
「……ミサとも、こんな風に呼びあえてたらな……」
一気にじめじめしだした。ああ正直にウザいと思った。
「それはやめた方がいいと思うよ」
「そうかなぁうまくいってたかもしれない……」
「じゃあ電話してきたら?」
「うん! してみる! ついてきてつばきゃん!」
急にまた表情を変えた彼が立ち上がった。そして手を引かれる。
「待てどこいく?」
「電話するだけです、すぐ戻りますから」
慌てた刑事さんを昨日の佐藤刑事ように丸め込んで、秀介と部屋を出た。
「刑事。四六時中いるの?」
部屋を出た途端、そう訊いてきた。
「うん。マスコミにバレたなら犯人にも知られて、殺しにくるかもしれないって」
「……椿ちゃん、こんな状況なのにビビってないね」
「あーうん……まだ来てないから?」
ふーん、と秀介は前を向いた。これを訊くために部屋から連れ出したように感じるのは気のせいだろうか。
刑事の前でこの話はできないから、今訊いても不思議ではないが、急に真面目な雰囲気になったのが気になる。
秀介の横顔は何処かを見据えるような目付きだった。その黒い瞳があたしに向けられる。
「俺が守ってやるよ」
そう不意打ちで微笑みられて、胸がキュンとした。
だからずるい。いきなりかっこいい顔をするなんて。
こんな人に愛される人はきっと幸せ者だ。と思ったがフラれてるんだこの人と思い出す。
「あたしより、まず元カノを考えたら?」
冷たく言ったら、落ち込んだように頭を下げた。公衆電話でかけた秀介だったが、一度も電話に出てくれなかったらしく、落ち込んだ。
あたしは「明日があるさ」と勇気づけた。うん気休めばかりでごめんよ。
夜になって今日のことを振り返ったら、何してんだろうと思った。仮にもあたしは殺人鬼だ。殺人鬼なのに秀介と仲良く喋ってる。いつかバレた時、秀介が傷付いてしまうのでは? 自己嫌悪に陥る。
苛々する。ムカつく。情けない。なんて馬鹿なんだ。嗚呼殺したい。
またきた殺人衝動に、堪えきれずベッドから起き上がる。待機している刑事は眠っていた。音を立てずにベッドから降りて、あたしは病室を抜け出し暗い廊下を歩いた。
今度は病院にいる全ての人間を殺してしまいそう。手の感覚がおかしい。勝手にピクピクする。
あたしが足を止めたのは、倉庫室。その中に入って凶器になるものを探した。
メスに注射器。それぐらいしかないがメスだけでも十分だ。
「そこで何してるの?」
女の人の声に、ビクリと震える。暗かった視界が、懐中電灯により照された。あたしは袖の中にメスを三本隠して、振り返る。
「すみません……鎮痛剤を探してて……」
「貴女は山本さん……。そういう時はコールしてください」
看護婦さんは肩を落とし、棚から鎮痛剤を取ってからあたしの背中を押した。あたしはもう一度謝ってから、その部屋を出る。
付き添われ病室に送られた。あたしの病室は何故か明かりがついていた、どうやら刑事が起きたらしい。
部屋の中を見れば、篠塚刑事もいた。
「何処に行ってたんだ!」
「す、すみません……鎮痛剤を探してて……」
「痛むのか?」
「ちょっとだけ」
怒られたが、怪我の事を心配してくれた。鎮痛剤を飲んだ後、看護婦さんに寝なさいと促されて、ベッドに潜り込む。
「もう勝手に抜け出したりするな。狙われているんだから」
「はい……ごめんなさい」
強く言って、篠塚さんはあたしの頭を撫でた。撫でられながら、枕の下にメスを移動させる。鎮痛剤のおかげが落ち着いて眠くなった。瞼を閉じて眠りに落ちた。
紅い。紅い。紅い。紅い。
紅が見たい。
気だるい中、目を開くと。
「おはよう!」
秀介の笑顔があった。一気に、眠気が吹っ飛んだ。
「近い。おはよう」
「うへへっ」
「……いつからいた?」
「五分前から寝顔見てた」
「頭ぶつけて忘れて」
起き上がると、篠塚さんもいることに気付いた。
「おはよう。声をかけたんだが、起きなくて朝食は片付けられたぞ」
「おはようございます……すみません」
篠塚さんにもどうやら寝顔を見られたらしい。恥ずかしいが、悔いなく死ねそう。こんな優しくて顔のいい異性と知り合ったのだから。
篠塚さんと秀介を眺めながら、もう人を殺さない努力をしようと思った。だけど夜になったら、また自己嫌悪に陥って衝動に負けそう。そう思うと溜め息が落ちた。
「どうした? 悩み事?」
「ううん、ちょっとたるいだけ」
「何か買ってこよう、何がいい?」
「んー……何がありますか?」
「購買行ったことないの?」
「うん、ない。マックのチーズバーガーが食べたいな……」
「はは、わかった。買いに行かせてくる」
「あ、ありがとうございます!」
我が儘を篠塚さんは笑って、引き受けてくれる。仲間に頼むのか、部屋を出ていった。
「まさかずっと病院から出されるもん食べてんの? 腹すかね?」
「ぎゃ! ちょっと触んな!」
いきなり腹を摘まんできたから叩く。あたしだって肉が食べたいと思うし足りないよ。おかげで痩せた気がするよ。
でも喉の傷が痛むから、お粥を食べているんだと威張って言ったら笑われた。
「それにしても……さっきの刑事さんとは妙に親しそうだな」
「え? 篠塚さん? そう見える? 他の刑事よりは仲良いと思う」
篠塚刑事以外、優しく笑いかけてくれる刑事はいない。何故そんなことを訊くのかと首を傾げていれば、じぃーと彼はあたしを見てきた。
「なんか、妬いちゃう」
「へ? あっ」
顔が近い。そう思っていたら、彼が肩に頭を乗せてきた。腹に腕を回してキュッと締め付けるのは百歩譲れたが……。
「やめろ! 首はっちょ!」
「んー?」
んー? じゃない。叫ばないようもがくが、秀介の唇が包帯の部分についたのを感じてピンッと固まる。トドメにふーっと耳に息が吹き掛けてきた。限界だ。
「んきゃああっ!」
「わあ!? びっくりしたぁ」
「びっくりしたって……おまっ……バカッ!!」
悲鳴を上げたことにより、秀介は離れた。怒りながら、あたしは涙目で耳を急いで擦った。
「あーもうっ! かゆいっ! ムズムズする! 馬鹿シュウ!!」
もう赤くなるほど耳をさすっていたが、ムズムズしてきた。秀介のせいだと怒ったのに秀介はじっと見ていたかと思えば。
「耳、感じるんだ?」
「お前、本当にぶっこ……ぶっ飛ばすよ?」
にやっと面白そうに笑うから、危うくぶっ殺すと言いかけてしまう。あたしの場合、冗談じゃなくなる。言ったら、枕の下のメスを取り出しちゃう。
「え〜なになに? あと何処が性感帯なんー?」
こいつは違う意味で危険だ。よくよく考えれば、男女がベッドの上ってヤバくないか。
「彼氏にどこチュッチュッされたら感じちゃうの?」
「下ネタは余所で話してくれる? 彼氏いないし」
「え? いないの? まじで?」
睨み付けて答えれば、秀介は目を丸めた。いると思っていたことの方が驚きなんですけど。
「椿ちゃん可愛いのに……こんな美人同級生、ほっておかないでしょ」
そっとあたしの髪を耳にかけて言った秀介。似たようなことを言われたことはある。美人だとか彼氏がいないのはおかしいとは言われたことあるが、その度お世辞はやめろと一蹴する。
勿論、会ったばかりの人間にだってそうする。“はず”なのだが、できなかった。真っ直ぐ黒い瞳で見つめて、本心を言った彼に思わずときめいてしまったのだ。髪を耳にかけた仕草も綺麗な顔にも、心臓がドクドクと高鳴った。頬に熱が帯びるのがわかったが、沈黙したら気まずくなる。
「あ、あたしは……普段っ……愛想悪いから……あんまり人と接しないから……その……だから可愛くないし…………」
あたしがモテない訳を話した。もう熱が、頭まできたらしい。結局。口を閉じた。
気付くと秀介はポカーンと目を丸めてあたしを見ていた。次第と頬が赤くなって、表現できない表情になる。
「っ、椿ちゃん可愛い〜もうっ俺きゅんってきた!! ああ惚れてもいい!!?」
「きゃっ! 抱きつくなって! あたし死ぬわ!? ちょっやめろって!」
あたしの顔を両手で押さえ込んだかと思えば、抱き締められた。頼むから、スキンシップは止めてくれ。叫んでまた傷口開いて、怒られるのはごめんだ。死ぬと言えば、秀介は離れた。「もう可愛い〜」とデレデレした笑みで言ってくるから睨み付ける。
篠塚さんが戻ってきて、やっと朝食が食べれた。お肉。噛み締めて味わう。美味しすぎて笑みを溢してたら、見ていた篠塚さんと秀介に笑われた。
「椿ちゃん、すごい美味しそうに食べるね」
秀介がポテトを然り気無くとって食べてそう言う。
「看護婦にバレないようにな」
篠塚さんはポテトを貰うと言って、食べて笑いかけた。至福の時。死ぬなら今がいい。だけど殺人鬼は来ない。
代わりに来たのは、あたしの友人だった。ああ来るなって電話をし忘れてた。
「椿!」
「こんにちは……」
最初にあたしに挨拶した三人は、次にベッドに腰掛ける秀介を見た。大人の篠塚さんには先ず挨拶。
秀介はパッと笑顔を浮かべたあと、立ち上がった。
「初めまして! 椿の彼氏です!」
「コラッ! 何言って……嘘だよ!? 違うからね!? 違いますからね!?」
明るすぎる笑顔で嘘をつくから、皆信じて一斉にあたしを見た。あたしは慌てて否定。特に篠塚さんに。
仲良くなったと紹介したら、南ちゃんとまこと君にニヤニヤした笑みを向けられたが無視。篠塚刑事のことも紹介して、もう来なくていいと伝える。
そうしたら今日だけお喋りしようということになったので、秀介も混ざって夕方まで話をした。秀介はあたしのことをしつこく訊くから正直焦った。
「椿は好きな人の前だとすごい笑顔だから、すぐ真っ赤になるし」
「へー可愛い〜真っ赤なつばきゃん!」
「煩い!」
「はは、名前通り可愛い顔になるんだな。椿の花が咲いたみたいだ」
躊躇いなく話されて大慌てしてたら、篠塚さんが会話に入ってきた。篠塚さんに可愛いと言われ、あたしは爆発的に真っ赤になってしまう。それをからかわれたので、布団の中に隠れた。篠塚さんが言うのは反則だろう。そうしたら、布団ごと秀介に抱き締められたから蹴り飛ばした。
「あ、そうだ、そこにあるバックとってくれない?」
「これか? ほい」
南ちゃんにバックをとってもらった。母に持ってきてもらった物。あたしが多分捨てられない物。殆どを詰めてもらった。あとは退院の日に着る服が入っている。その中に、アクセサリーがあるから取り出した。
「これあげる。貰って」
ベッドの上に散らばせて見せる。「いいの?」と訊かれたから笑顔で頷く。あとペンとキーホルダーもあげた。
「わーいもらったぁ」
「でもいきなりどした?」
「ん? 要らないからだよ?」
あたしは笑い退けた。要らないでしょ。死んじゃうんだから。
最後に話せて本当によかった。今までありがとう。最期に手紙くらい書いておこうかな。そんなことを笑顔の裏で思いながら、昔の笑い話を持ち出した。
もっと笑いあいたかったな、なんて切なさが込み上がったが安ちゃん達は帰っていった。何も知らず、笑って手を振って帰っていった。
秀介も夕飯を食べるために自分の病室に戻った。
あたしは閉じられた扉を、ボォと見つめる。
「どうかしたのか?」
篠塚さんがあたしのその様子に気付いたのか、声をかけた。
「え、あ……どうして?」
「何か思い詰めた顔をしているように見えたが……大丈夫か?」
パイプ椅子から立ち上がり、篠塚さんは顔を覗いてきた。そう言われたら嘘つけない。
「……もしもの時……会えなくなるのは残念だなと思ったんです……居心地よかったので」
いくら居心地が良くても、ずっとは一緒にいられない。だから正直、あたしは嫌っている。いつかは無くなると思うと苦しくて腹立たしくなるから。多分、あたしの青春だった。あちらこちらと遊びにいってばか騒ぎした仲間。悪友とも言う。
そんな場所があると、弱くなると知った。彼女達と会う前は独りでも平気だった。なのにその後は孤独を感じて、涙が出た。あたしの今までの涙の理由なんて、なんで新しい父親に愛されないんだろうって嘆くことぐらいだったから腹立たしかったんだ。
独りだということに泣くなら、死んでしまおう。そんな馬鹿なことは数えきれないほど思った。もう、そう思わなくなると思ったら軽くなったようで寂しくなったようで、わからない。多分相応しい言葉は“複雑”。
「君は死なない」
あたしの両肩を掴んで、強く篠塚さんは言った。
「俺が死なせない。だからそんなことを考えるな。わかったか椿? 君は凛々しい花だ、生きていける。殺させない」
まるで闇にさす光だ。彼の揺るがない瞳を見てそう思ったから、思わず笑みを洩らして「はい」と頷いた。
でもね、でもね、篠塚さん。椿の花って、自らポックリと落ちちゃうんだよ。
あたしは悲観的だ。闇の中に立って、紅い色を探してる。光は眩しすぎる。
居心地が良すぎる場所では、ポックリと落ちるのが怖くなるからやめて。
早く来て。殺人鬼さん。早く早く早く早く早く殺す気なら早く殺して。
願ったのに夜に開かれた扉に立っていたのは、秀介だった。
「……どうしたの?」
「……椿ちゃん……」
刑事さんが眠っているから、小声で訊いたら秀介は泣きそうな声であたしを呼んだ。それからのそのそとベッドに上がり込んだ。
待て待て待て、お前何して……。声が出せず止めることが出来ずに、秀介の侵入を許してしまう。
「悲しくなったからギュッとして?」
強引にあたしの腕の中に入り、背中を預けてくる。そんな、こんな時間に甘えにくるな。殺人鬼がくるかもしれないのに。そう思ってるけど叫べないし冷たくあしらえない。
彼が満足するまでそのままにすることにした。眠るつもりはなかったから。
「……つばきゃん、心臓ドクドクして早い」
「煩いなぁ……こうゆうの弱いんだよ」
しーんとしたあとに秀介に言われて、真っ赤になる。異性とこんなことするの久しぶりだし、胸キュンするのだ。心臓が早くなるのも当然。
「弱い?」
「君みたいなイケメンにこんな風にじゃれられると卒倒しそう」
「好きになっちゃうってこと?」
なんか正直に頷いたら、面倒な話に行きそうな気がするが、頷いた。
「ほんと? 俺に惚れちゃう?」
コラッ! いきなり秀介が振り返って、身体を此方に向けてきた。それからぐんぐんと顔を近付けてきたから後ろに行くが、壁にいきつき左右を秀介の両腕で塞がれる。
「俺を好きになって、付き合おう?」
「なっ……何言って」
月の光に照らされた秀介の顔を見て、言葉を詰まらせる。その瞳が、本気?
「付き合わないよ……」
「だめぇ?」
「だめ、だめだめ」
頑なに首を横に振る。そんな捨てられた仔犬みたいな顔で見つめられても、首を縦に振りません。
そうしたら、拗ねて口を尖らせた。
「だいたい別れたばっかで他の女とつ」
「スキあり!」
説教してやろうとしたら、唇を押し当てられた。唇に。ボンッと真っ赤になってぶん殴ろうとしたら、すたこらと秀介は逃げていってしまった。あいつめ……!
ぐっと怒声を堪えて、枕に頭を戻した。付き合おう。一週間前のあたしならオッケーしてたかもしれない。秀介のようないい男と付き合えるなんて幸せだ。
しかし、あたしは殺人鬼。そして、殺されるかもしれない。恋をするなんて、ましてや付き合うなど、いけないことだ。だめだ、秀介の為にも。
だから早く殺してくれ。頭蓋破壊屋。
「おはようございます」
目を覚ましたら気品ある微笑が、一番に飛び込んできた。知らないお医者さん。胸の名札には、笹野幸樹とあった。
「おはようございます……笹野先生」
なんでこの人はいるんだろうと、考えを張り巡らせた。
「驚かせたかい? 奇跡の生存者を一目見たかったんです。すみませんね」
「え……いや別に……」
あんまりいい気分ではないが、気にしないように起き上がる。
「怪我の調子はどうですか?」
「大丈夫です」
メスが紛失した話じゃなくてよかった。胸を撫で下ろしていれば、笹野先生があたしに紙切れを差し出した。紅い紙。
「これ、君に渡してくれと頼まれたんです」
「あ、ありがとうございます……」
まさかと受け取る。開けばそこには、一行だけ文字があった。
今日迎えにくるよ。
その言葉にゾクリと肩を震わせた。
「これ……誰から…………?」
「明るそうな青年からだよ。茶髪でしたね」
彼だ。
ありがとうございます、と一度礼を愛想よく言うが、内心は怯えきっていた。
来る。今日。落ち着こうと深呼吸。誰にも迷惑をかけずに、彼に殺されにいかなくちゃ。願っていたならだから怯えるな。終わらせよう。終わりにしよう。