アナの葛藤
「任務だから……」
それが、彼女の口癖だった。
アナは今日も喫茶店の隅に座り、俺を観察していた。
黒髪にグレーの瞳、無表情な顔――ソ連からの“留学生”という肩書きの裏には、スパイというもう一つの顔がある。
「……そんなに見られると、コーヒー飲みにくいんだけど」
「任務だから」
「いや、俺、今ただのブレンド頼んだだけだよ?」
「その“ただの”が、何かを隠しているかもしれない」
「昭和の喫茶店に陰謀論持ち込まないで!」
アナは冷静だった。いつも通り、任務優先。
でも最近、彼女の目が少しだけ揺れている気がする。
「あなたの言葉、興味深いわ。未来を語る人間は、常に危険と隣り合わせ」
「いや、俺、Wikipediaで読んだだけなんだけど」
「それでも、あなたの言葉には力がある。……私には、ないもの」
「え?」
アナは一瞬、目を伏せた。
任務に忠実な彼女が、感情を見せるのは珍しい。
「私は、任務のために生きてきた。感情は、邪魔になるだけ」
「でも、感情があるから、人は動くんじゃない?」
「……それが、あなたの強さなのかもしれない」
「え、今のちょっと褒めた?」
「任務だから」
「それ、便利すぎる言い訳!」
そのとき、真由が喫茶店に入ってきた。カメラ片手にニヤニヤしてる。
「スクープ! “冷静スパイ”、革命の星に恋心かも!」
「やめて! その見出し、国際問題になるから!」
アナは真由を一瞥し、静かに言った。
「彼女、鋭いわね」
「え、認めた!? 今、認めたよね!?」
「……任務だから」
「もうそれ、照れ隠しでしかない!」
アナは立ち上がり、俺の前に立った。
「私は、あなたに興味がある。任務として、ではなく――個人として」
「え、今の完全に告白じゃない!?」
「……でも、任務は続ける。感情に流されるわけにはいかない」
「それ、ツンデレの“ツン”がスパイ仕様になってる!」
こうして俺は、アナの葛藤を目の当たりにした。
任務と恋のはざまで揺れる彼女――その視線は、冷たくて、少しだけ温かかった。
「……俺の昭和ライフ、スパイとのラブコメまで始まったか」




