nullと金尾
〈春冷雨鵯の飛ぶ梢かな 涙次〉
【ⅰ】
月日は矢のやうに飛ぶ。
カンテラ&悦美の養女、君繪は早くも離乳期を迎へた。悦美は仕事に復帰、忙しく(暢気に見える悦美だが、カンテラの秘書、と云ふ職務はなかなかに多忙なのだ)手が離せない時には、由香梨と云ふ恰好のベビーシッターがゐる。カンテラはその方面に氣が回る方ではなかつたので、バイト料は悦美が渡してゐた。
養女と云へば、由香梨は杵塚の養女なのである。月々彼女に小遣ひを渡してゐた。小學生の由香梨には、そんなカネは身に余る、のかも知れなかつた。が、彼女の通ふ世田谷のフリースクールの近くに、昔懐かしいお汁粉屋があり、彼女は同級生にそこであんみつを奢つて、ぱあつと散財してしまふ。
「傍観者null」は、「あんな幼い子でさへ、カネ、カネ、カネだ。人間と云ふのは醜い者。魔界の方が遥かに友愛に滿ちてゐる」と嘯いてゐた。その實、魔界は、將來の蘇生にかけての出世慾に突き動かされた、【魔】たちの吹き溜まりなのである。nullは、自分の都合のよいやうにしか、物事を捉へない、惡癖の持ち主だつた。永遠に續く魂、それが、【魔】たちにとつての、流通貨幣なのだつた。
【ⅱ】
nullは、そこで、カンテラ一味の中で、誰が一番カネに困つてゐるのか、考へた。カネづくでその者を誘惑し、一味を瓦解させやうと企んだ譯である。
筆頭に挙げられるのは、杵塚であつた。彼にはバイク道樂と云ふカネのかゝる趣味があり、現在持つてゐる4台のバイクの維持費、駐車場代金、更には由香梨の學資の為の出費、小遣ひ、と、色々カネの使ひでがあるやうだ。
金尾と云ふ【魔】がゐた。人間の金錢慾を吸つて生を保つ、カネの【魔】である。彼は、「ウルトラ・シリーズ」に出てくるカネゴンのやうに、愛嬌のある姿はしてゐなかつた。如何にも人間たちのどろどろとした慾に塗れてゐるやうに、日頃は不定形の泥、なのだが、一旦人間界に用が生じると、ビジネスマンの如くぱりつとしたスーツを身に纏ひ、堅氣の者、としか見えない。
nullは、彼を杵塚に接触させた。
だが、杵塚は元ハスラーである。楳ノ谷汀から何がしかのカネは、貰ふ身分であつた。従つてカネには全く困つてゐない。nullにも、金尾にも、男女の機微は、分かつてゐなかつた。
【ⅲ】
にも拘らず、金尾は人間を饗應し心を支配する、彼のいつもの手口で、杵塚に当たらうとした。
勿論、杵塚はその手には乘らない。そればかりか、金尾は「貴様、【魔】だな!?」と詰め寄られ、返事に窮する始末- 普通人の杵塚だつて、日々の仕事の中で、【魔】の特徴の捉へ方を心得てゐたのである。
金尾のいつもの流儀は、脆くも失敗した。null様に何と云はれるか- 實はnullは、魔界では、さほど信用のある身ではなかつた。彼の冷酷さは見透かされてゐたのである。何をしでかすか分からない危ふさ、が彼にはあつた。
殺される... 金尾は、魔界を逃亡した。
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〈信頼を魔さへが持つて動くのは魔の常識か人に似てゐる 平手みき〉
【ⅳ】
だが折り惡しく、杵塚はその事をカンテラに告げた。然し、カンテラ「その魔物、仲間に慾しいねえ」杵「え!?」カ「だつて今や税金を納める『一般法人』なのだぜ、俺たちは。こまごまとした計算に、役立つとは思はないか?」さう云はれてみれば、杵塚には返す言葉はない。悦美が今までやつてゐた事を、彼女の多忙ぶり(彼女は何せ一児の母なのである)を見れば、肩代はりするスタッフの必要性が、何となく想像出來た。それに、普通に求人廣告を出したのでは、皆怖がつて応募はないだらう。
テオは、金尾が魔界を逃亡した事をキャッチしてゐた。魔界の掟については、テオはよく知悉してゐた。また、金尾は、スマホを持つてゐる、數尠ない【魔】なのである。SNSにさへ、顔を覗かせてゐる。テオにしてみれば、金尾の動きを摑む事など、児戲に等しい。
【ⅴ】
金尾は、あつと云ふ間に、ネカフェ難民に落ちてしまつてゐた。テオの誘ひ掛けは、彼にとつて、何とも有難いものだつた。
尾羽打ち枯らした成りで、金尾はのこのこと、カンテラ事務所に出頭した。自慢のビジネスマン・スタイルも、もはやよれよれである。まづは、じろさんにボディーチェックされ、型通りの捕縛を受けた。
いつもはカンテラが行つてゐる、「【魔】祓ひ」も、今回はじろさんが担当。金尾に大口を開けさせ、彼の魔性の塊を、手を突つ込んで拔き取つた。「此井秘術、【魔】魂抜き!!」
そして縛めを解かれた金尾。-杵塚は、魔界出身の者さへ包摂する、カンテラの間口の廣さに、感服せざるを得なかつた。「まあ、金尾くん。宜しく。今日からきみは、我がカンテラ一味の金錢出納係だ」
金尾は深く感謝し、nullとは大違ひな、人間界の代表・カンテラに、忠誠を誓つたのだつた...
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〈春雨や口を開けるもかつたるき 涙次〉
と、云ふ譯でカンテラ・サイドに新キャラが加はつた。今後とも、金尾を宜しく。これで、カンテラ、まづはnullに一勝目、である。そんぢやまた。
お仕舞ひ。