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新たな依頼者、花浜

 もしかしたら失踪した右岡奈音は、マコトという源氏名で働いていた元ホストと駆け落ちしたのかもしれない。二人は同棲していて新しい生活を始めているのかも。

 そんなことを考えて迎えた翌朝、事務所で電話が鳴るのを待っていると、マネージャに声をかけられた。

「原田くん、ちょっと頼まれてくれない?」

 顔を向けると、

「ごめんなさいね。原田くんしかいなくて……」

 と、申し訳なさそうな表情でマネージャの硯山達護郎。相変わらず化粧が濃い。このメイクをするのに出勤前の慌ただしい時間にどれぐらいの手間暇をかけているのだろうかと、そんなどうでもいいことを思ってしまう。

「あっ、はい……」

 返事をしたものの、なんの準備もしていない。

 その日、事務所に出ていた探偵は原田翔太ひとりだった。三十人以上いる探偵はすべて外で調査中なのであった。事務所でする仕事もあるため、全員が出払ってしまっているというのは極めてレアな状況だった。

「お断りしようかと思ったんだけど、部長が受けさせてみろ、と言うから。あたしはまだ慣れてないから不安じゃないかと……」

 通常、依頼を受けるかどうかは電話での審査を経てから決定される。あまりに突飛で解決不可能な依頼案件は門前払いさせてもらうのである。

 審査を通過した案件は、どの社員に担当するのかを社内でスケジュール調整されたうえで決められ、やっと依頼者との面談となる。だがときどき飛び込みでやってくる客がいた。

 そうなると急遽対応する人員が必要となる。社内にいる探偵で応対できなければ、後日改めて相談いただくことになる。

 新人の原田を気遣っているのと、こんな頼りないのにやらせて会社の信用に傷がついたら困るというのと、両方の考えが見え隠れした。

「いえ、行きます」

 原田は即答した。いつかは経験しなくてはならないのだ。

「じゃあ、頼んだわ。あとで先輩を頼ってもいいから。でももし無理な依頼だと思ったなら断るのよ。1番ブースよ」

「はい」

 椅子から腰を上げ、原田は緊張しながら面談ブースへ行ってみた。

 新・土井エージェントの事務所には依頼者との面談をするためのブースが併設されてあった。事務所とは壁で仕切られた細長い部屋に、パーテションで区切られた六つのスペースに四人掛けのテーブルセットがおいてあり、客は事務所に入ることなくここで依頼内容を担当の探偵に打ち明けるのである。

 原田がどんな依頼人なのだろうと思って1番ブースに行ってみると、そこにいたのははっとするほどの色白の美女であった。厚化粧なんかではなくもともとの美形が際立っていて、見た感じすっぴんであるのにかかわらずひとめを引く美しさは、腕のいい絵師が描いた現実離れしたCGのようでもあった。染めているとは思えないほどナチュラルな金髪が背中に流れる。

 しばしその顔に見惚れてしまっていたが、我に返り、

「担当させていただきます、探偵の原田です」

 と、言って向かい側に着席する。

 これまではサブという立場で依頼者の話を聞いたが、今日は一人で対応しなければならない。誰にも頼れず、だが依頼内容を聞くだけならなんとかなるだろう。――そう思っていたが、のっけから緊張している。美人を前に、だらしないぞ、と気を引き締める。

 メインとして案件を任されても、マネージャが言っていたように、先輩を頼れるのなら気負うこともない。原田の頭のなかに、昨日のホストと較べて遥かにイケてない先野光介の顔が思い浮かんだ。

「さがしてほしい人がいるんです」

 依頼者は、この季節であるのに半袖のブラウスの胸元で手を組み合わせて懇願した。

「さがし人ですね……」

 原田はスマホのメモ帳アプリを起動する。指が震えてスムーズに操作できない。

「で、どんな人ですか?」

「マクイシセンキさんといいます。でも……名前しかわかりません」

「写真はありますか?」

「写真ではないですが……」

 依頼者は一枚の、手のひらに収まるほどのサイズの紙を出してきた。写真ではないと言ったが、そこには写真としか思えないほど精密な男性の顔が描かれていた。モノクロの細密画である。

 原田は見とれてしまう。

「すごくよく描けてますね。写真みたいに……」

 どうやって描いたのだろうと思う。すごい技術である。

「手がかりはこれしかありません。これでさがしてもらえるでしょうか?」

 吸い込まれてしまいそうな双眸でまっすぐに見つめられて、原田はどぎまぎしてしまう。

 もちろん、と胸を叩いて返答したいところだったが、これだけでさがしだせる自信はまったくない。優秀な探偵なら可能かもしれないが、と原田は先輩探偵の名前を思い浮かべる。

 まだまだ新人の原田にとって先輩諸氏は眩しいばかりの存在だ。一見不可能だと思えるような案件を見事に完遂するのを目の当たりにして、早くこのような頼りがいのある探偵になりたいと願う。と同時に、そうなれるだろうかという自信のなさが交互に去来するのだ。

「どれだけ時間がかかってもかまいません。お代は支払います」

 依頼者は、なにか小さなものを指につまんでいた。さっきの絵もそうだったが、ハンドバッグも持っておらず、いったいどこから出してきたのか、手品でも見ているようだった。

 テーブルの上にそっと置かれたそれは白い光沢のある玉だった。

「これは……」

 原田は顔を近づけてみた。

「真珠……ですか?」

 はい、とうなずく依頼者。

 この真珠がどれだけの値打ちがあるのか原田にはとんと見当がつかない。しかし相当な値段で取引される代物なのだろう。そうでなければ、こんなところで出して見せたりはしない。実際、照明に照らされたその真珠は鮮やかな螺鈿らでんが虹色に輝き、高価そうに見えた。

「せっかくですが、現金なら受け取れますが、さすがにこれでは……」

 当然ながら、興信所としては現物で支払ってもらうわけにはいかない。そんなことは常識ではないかと社会人初心者の原田でさえも認識しているが、この依頼者はどこかそんな浮世からは離れた、住む世界の違う人のように感じられた。

「そうですか……」

 彼女はすごくがっかりした。この真珠で依頼を受けてもらえると本気で思っていたようだった。

「あの……それなら、どこかの買取店で現金にしてもらえると思いますが……」

 普通なら追い返してもおかしくないところを、原田は提案した。ニセモノでないのなら問題はない……はずだが。

「それはどこにあるんですか?」

 彼女は顔を上げた。

「ええっと……」

 原田はスマホで検索する。すぐに数店ヒットした。

「では、この真珠を現金で買い取ってもらえたら、依頼を受けてくださるんですよね」

 スマホの画面を見て、依頼者は表情を明るくする。

 現金を用意してきてもらえれば、手がかりは少なくとも断るような案件ではない。

「ただ、さがしても見つからない場合がありますよ」

 カネを受け取った以上はさがし出してもらわなければ困ると言われても、できないときはある。それでも費用は発生する。

「いくら時間がかかってもいいです。代金は払います。どうか見つけてください」

 いきなり両手を握られた。柔らかな手の感触が原田の脳を直撃した。

「わ、わかりましたっ……」

 つい、大きくうなずいてしまった。

「ありがとうございます」

 彼女はうれしそうに、これでなびかない男はいないだろう、というぐらいの嫣然たる笑みを返した。

「では……お名前と連絡先を教えてください。あとで調査報告をしますので」

 声が裏返ってしまった。

 個人情報を書いてもらうA4サイズの用紙をテーブルの上に置いたが、彼女はきょとんとした顔で用紙の枠線を指でなぞりボールペンを手に取ろうともしない。

「これはなんですか?」

 と、訊いてきた。

 沈黙が二人の間に流れた。

「ええっと……書けないん……ですか?」

 確認するように尋ねた。

 首を傾げる依頼者。またも沈黙。

「あ……じゃあ、ぼくが書きます」

 原田はボールペンを取った。

「では、お名前をおっしゃってください」



 事務所内に戻ってきた原田は、デスクにつくとぼんやりと頬杖をつく。まるで龍宮城から帰ってきた浦島太郎のように、なにも手をつけられないでいた。

 そんな原田の机にマネージャがやって来た。任せはしたが気になっていたのだ。

「どうでした?」

「あ、はい……」

 はっと我に返ったように顔を上げ、

「さがし人の案件でした」

「あら、そうだったの。普通の案件だわね。もっとへんな依頼だったらどうしようかしらと思ったから」

 とても不可能だと思えるような無茶な依頼なら断るという選択もある。いくら名探偵だとおだてられても、できないことはできない。

「そうなんですが……ちょっと変わった人でした」

「変わった……。まぁ、この仕事をやっていれば、ちょっと変わった人に当たることはままあるわよ」

「それはそうかもしれませんが──」

 原田はさっきの依頼人を思い出す。花浜はなはま、と名乗った。

「スマホも所持ってなくて、住所もないんですよ」

「えぇ? じゃ、どこに住んでいるのかしら。というより、それじゃどうやって調査内容を報告すればいいのよ」

「それが、何日かに一度、ここへ訪ねてくるそうです……」

「いまどきスマホも持っていないなんて……小学生じゃあるまいし」

「二十歳ぐらいの女の人でした……」

「そんなに若くて興信所を利用してくるなんて珍しいわよね。けっこうお金もかかるのに」

「真珠で代金を払おうとしていました」

「母親のを持ち出してきたのかしら。それともどこかで盗んできた……? だいたい住所がないなんて、おかしいわよね。なにか言いたくない事情があるとしても、なんかヤバいお客さんじゃないかしら?」

 マネージャは人差し指を顎にあて、髭剃り跡を指先でごりごりとなでる。追い返したほうがよかったかもしれない。

 そんなヤバイ人のようには見えなかった、と原田は言いかけたが、この仕事をやりだして、人は見かけによらず腹の底には真っ黒な闇が渦巻いているのだというのをたびたび目にしてきた。マネージャの言うように、関わってはいけない案件だったかもしれない。

「まるでどこかのお姫様ね……」

「そう! そんな感じでした!」

 我が意を得たり、と膝を叩くような勢いで原田は立ち上がる。

 世間を知らない美しいお姫様。まさしくそんな印象だった。真っ白で黒い部分などなにひとつない純粋なお嬢様。

「で、原田くん一人でなんとかさがしだせそう?」

「あ……いや、それは……」

 現実をつきつけられ、トーンダウンした原田は、花浜から借りた写真のような絵を見せた。

「手がかりは、これと名前だけなんです」

「写真……じゃないわよね。すごいクオリティだわ……」

 マネージャは絵を手にとって、しげしげと眺める。

「なかなかの好青年じゃないの」

 娘に来た見合い写真を見た母親みたいに言った。

「でも手がかりがたったこれだけだと厳しいわね。普通はそれ以外にも、なんらかの個人を特定する資料を提供してもらうんだけど、そんな話になってた?」

 面談の段階ではさほど情報がなくとも、あとで自宅などを訪れて、警察の家宅捜索のように手がかりをさがすこともある。

「いえ……そういう話はなかったです」

「それじゃ難しいんじゃない? 原田くん一人だとかいう以前の話よ。やはり誰か先輩を頼ったほうがいいわね。三条さんならさがしだしてくれるかもしれないけど」

 三条愛美さんじょうまなみは新・土井エージェントのエースだった。社内外から評判が高く、常にいくつもの案件を同時に担当しているという〝売れっ子〟だった。まさに敏腕探偵というにふさわしい二十七歳である。彼女にかかれば、他の探偵が匙を投げてしまうような案件も粘り強く取り組み依頼人の期待に応える。

「そういえば、三条先輩はどうしたんですか? ここ何日か見ませんが」

 原田は改めて事務所内を見回す。三条の机は数日前からあるじがいない。忙しいとはわかっているが、何日も姿を見ない、というのはこれまでのところなかった。

「ある案件で調査中。内容はちょっと言えないけどね」

 マネージャは軽くウインク。

「そりゃあ依頼内容は守秘義務があるから――」

 原田がそう言いかけると、

「そうじゃないの。これはそんじょそこらの案件じゃないのよ」

 マネージャは、周りに誰もいないにも関わらず声をひそめる。

「特別なお客様からの案件だから、それを任せられる三条さんはやっぱりうちのエースよね」

 ベタ褒めし、遠くを見る目。

「はぁ……」

 原田は気のない反応。マネージャの言うところの「特別なお客様」が何者なのか想像すら及ばない。長く興信所に勤めていれば、そういう訳アリの顧客に遭遇するものなんだろう、と思う程度。

 それよりも、三条に頼れないとなると誰に相談するのがいいか、それを考えなければならなかった。


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