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捜索は聞き込みから

 スナック「アンナ」――駅前に建つ細長い雑居ビルの一階の、エレベーターの前を通った狭い通路の先にその店はあった。ピンク色の看板に明かりは入っていたが目立たない。が、こういう隠れ家的な雰囲気を好む人間もいるので案外繁盛していたりするのだ。

 午後八時すぎ。春には早いこの季節の夜はまだ寒さが厳しい。

 先野光介はコートの襟をあわせ、小脇にビジネスバッグを抱えた仕事帰りといった身なりで店のドアを開けた。

 カウンター席しかない細長い小ぢんまりとした店内は、間接照明が壁を照らしていた。

「いらっしゃいませ」

 そのカウンターの内側でママが迎える。七分袖の赤いタイトワンピースが目に痛いほどだ。四十代と見えた。

 開店直後のせいか客は他にいなかった。店内にはママしかいない。暖房がよくきいていて温かい。

「あれ? 一人? 奈音なおちゃんは休みかい?」

 気安く、初めて来る客ではないことをさりげなく装いつつコートを脱ぎ、目についた壁のハンガーにかける。

「そうなのよ……」

 先野がスツールに着くと、目の前にコースターとおしぼりを置いてくれる。

「お客さん、いつぶりですか?」

 ママの顔は、「はて? 見ない顔だな」と思い出そうとしているのがかすかに見て取れた。

 スナックのママは記憶力がいい。客の顔などすぐに憶えてしまう。慎重に話さないとボロが出る。あまりキョロキョロしないでおく。

「一ヶ月以上前だよ。そのとき以来だし、他の人と来ていたからあんまりしゃべれなくて」

「あら、そうでしたか……。それはサービスが悪かったわね。ごめんなさい」

 なにになさいますか、と訊かれ先野は水割りを注文する。無難なオーダーをし、あくまで特徴を消す。どこから怪しまれるかわかったものではない。

「今日はじっくり奈音ちゃんとしゃべれるかな、と思って来たんだけど」

「申し訳ありません」

「来週とかならいるの?」

「他のお客様にも聞かれるんですけど、奈音ちゃんは辞めちゃったんですよ」

「そうですか……それは残念――」

 コースターに置かれた水割りを口に含む。アルコールの適度な刺激が喉をおりていく。

「なんか事情があったんですか」

「ええ、それがね。お客様の一人がちょっと奈音ちゃんにつきまとっちゃって」

「ああ、それはよくあることですよね」

 先野はうなずく。

「で、故郷に帰っちゃったんですか?」

「いいえ。田舎には職がないと言ってたから、それはないと思いますよ」

「じゃあ、いまは昼間の仕事をしているのかな……」

「あら、そんなことまで打ち明けてましたか……」

「ん? いや、もう水商売はこりごりなんだろうと思って」

「そういうことですか。実は奈音ちゃんは昼間、派遣社員として働いていたんです」

「派遣社員……。へぇ……この近くで?」

「会計事務所とか言ってましたよ。ほら、時期的に忙しいところは、社員を雇わず派遣で乗り切るでしょ」

「まぁ、そうですよね……」

「でも、いまもそこで勤めているかどうかはわかりませんよ。なにせ引っ越しちゃったらしいから」

「引っ越し? しつこい客から逃げるために、ですか?」

 こいつは行方がわかったとしても比森と会ってはくれなさそうだ、と先野は感じた。そのしつこい客というのが、おそらく比森だ。

 借金を肩代わりしてくれた恩があるだろうから、そこまで心証が悪いとは思っていなかった。完全にストーカー扱いだ。

 女性は相対的に男性より弱い存在ゆえ自己防衛本能が高い。比森に〝危険〟を感じたのかもしれなかった。

 二人の年齢差が一回り以上あることから、こじらせてしまっているのか――。

 いずれにせよ依頼者から仕事を請け負った以上、右岡奈音を見つけ出して接触しなければならない。さがしだした上で、彼女の意向を確認するのだ。もしも本人が比森との面会を拒絶したのなら、いくら依頼人とはいっても居場所や連絡先を知らせたりはしない。それが元で殺人事件に発展しないとも限らないからだ。

「それなら遠くへ引っ越しちゃったのかもしれないなぁ。気の毒に」

 同情の気持ちを込めた言い方をした。

「でもそこまで遠くとは言ってなかったわ。どこへ引っ越すとは聞いてないですけど、派遣会社は辞めてないから、通勤圏は同じでしょうね」

 ママとの雑談のなかで右岡奈音の情報をさりげなく且つできるだけ聞き出すことに、先野は集中した。怪しまれないよう細心の注意を払って。

 比森が知らなかったこともちらほらと聞き出せた。無論決定的な居場所に関する情報は得られなかったが、手がかりになりそうな事柄は知ることができた。収穫はあった。

 雑談しているうち他の客も来店し始めた。

 ママ一人では、いつまでも先野の相手ばかりしていられない。

(そろそろ潮時か――)

 従業員のプライベートなどそんなに知っているわけもない。あまりねばってもこれ以上の成果はないだろう。

「早く次の女性はいってくれるといいね」

 そう言い残して先野は店を出た。



   ☆



 そのドアの前で、原田翔太は待っていた。

 繁華街に建つビルのなかにあるそこはホストクラブ「クラブメゾピアノ」――右岡奈音が通っていた店である。

 時刻は午後六時。開店時間は八時からなのでまだ二時間もある。だが営業時間内では仕事の邪魔になるだろうと思ってこの時間から張っていた。

 店員の出勤時間帯なのである。探偵は待つのも仕事のうちだ。ビルのなかは通路といっても屋外ほど寒くはないのがありがたかった。

 スマホでゲームでもしながら時間を潰していると、原田とそう年齢も違わない若い男がエレベーターから降りてきた。

 茶色く染めた頭髪、キリッと整った眉、スーツの下のシャツはやや緑系。スラリとしたスラックス。その外見はホスト以外の何者でもない。

 男は原田のいる手前のドアの前で、ポケットからキーを取り出す。

「あのう……」

 そこへすかさず声をかけた。

「あ、求人を見て、来てくれたんですか?」

「え……? いや、その……」

 就職希望者だと思われたのも無理はない。若い男がこんな店にある用事といえば、それぐらいしかない。

「店長はまだ来てないから、店のなかで待っててくれないかな」

「あっ、はい……」

 どこか有無を言わさぬ圧力に負けて、原田はその男と店内に入る。

 真っ暗なフロアに明かりがつくと、意外と広い空間がそこにあった。観葉植物の植わった低い豪奢なパーテションで仕切られたソファ・テーブルが大小八つ。天井には非現実的なほど大きなシャンデリアがいくつもぶら下がり、営業時間内はおそらくそれだけが点灯してやや大人の雰囲気を演出するのだろうが、いまは普通照明が光って明るい。ミーティングや掃除などではこのほうがいいのだろう。

「そこへ座って」

 床一面に敷かれた毛足の長いカーペットの床を踏みしめて、原田が言われたソファに移動すると、店員は開店準備のためにキッチンへと入っていく。

「あの、ぼくは面接に来たわけじゃなくて、ここで働いているシャローさんに用があって来たんです」

 このままでは、下手をするとなし崩し的にホストにされてしまいそうで、原田は用件を口にした。

 店員はキッチンから顔をひょいと出す。

「シャローはぼくですけど……」

 困惑の表情で原田を見返す店員。その目は、いったいなんの用なのかと、あからさまに訝っていた。



 源氏名シャロー。彼が右岡奈音お気に入りのホストだった。

 借金の返済に負われるようになってからはホストクラブに通わなくなったが、一年前ぐらいまでは取り憑かれたように来店していた。そのときに夢中になっていたのがシャローだった。

 こういうのが好みなのか……と、原田は依頼者の比森と較べてしまう。いくら親しくなったといっても、スナックにやってくる中年おじさんよりホストの若いイケメンのほうがいいに決まっている。この勝負は始めから勝ち目のない闘いだ。もし右岡奈音をさがしだせたとしても決して比森になびくことはないだろうと、それを思うと依頼人が哀れに思えた。

 だが、そうかといって無駄なことをしているなどと、調査を勝手に打ち切るわけにはいかない。引き受けたからにはたとえ悲劇的な結果を迎えるのが確実だと予想できても完遂するのがプロの探偵たるもの。

 シャローは、訪ねてきた青年はらだが源氏名を知っているのに驚いていた。店のホームページにはホスト全員の写真と源氏名が載っているから知っていても不思議はないが、なんの興味があって――と首を傾げずにはいられない。

「で、ぼくに用件というのは……?」

 シャローはお茶を出してくれた。

「はい……。ここへ来たお客さんで右岡奈音さんという女性ひとを憶えていますか?」

 原田はスマホを出し、比森が写した写真を表示させる。

 シャローは目を近づけて写真をまじまじと見る。

 そして、

「警察のかたですか?」

 と問うた。どこか不穏な空気を感じたらしい。

「いえ、ぼくは興信所の者です」

 ごそごそとスーツの内ポケットから薄い名刺入れを取り出し、一枚を抜き取ってシャローに差し出した。

「興信所……? 探偵……ですか?」

 シャローは名刺を受け取り、隅々まで読む。

「――右岡さんはもうずいぶんのところ来てませんけど、なにかあったんですか? まさか殺人事件の容疑者とか?」

「探偵は警察とは違いますよ」

 国民的長寿アニメの存在がこういう誤解を生んでいる。あの番組は罪作りだ。ともかく、原田は話を進める。

「その〝なにか〟があったのかを聞きに来たんです」

「というと……」

「失踪しました。我々は右岡奈音さんの行方をさがしています」

「失踪……」

 そこへ、ドアが開いてべつの店員ホストが入ってきた。

「あれ……? 新しく入った男子かい?」

 整った顎髭を生やした、シャローより少し年上らしい青年は訊いてきた。

「この人探偵なんだって。右岡奈音さんって女性ひと、うちのお客様にいたでしょ? 行方不明なんだって。殺されてるかもしれない」

「そうは言ってませんよ!」

 原田は思わずソファーから立ち上がりかける。

「おはようございます」

「おはようございまーす」

 さらに二人、同時に〝出勤〟してきた。日が暮れているのに「おはようございます」は、この業界では普通デフォなのだろう。これから開店するのだから。

 シャローはその二人にも説明する。

「へえ、探偵さんが……」

 細い眼鏡をかけたホストが原田に舐めるような視線を送ってきた。

「探偵さんって、初めて会うよ!」

 もう一方のホストは青い目を輝かせる。顔は日本人なのでカラーコンタクトだろう。

 続々と店員が出勤してくる。ガランとしていた店内が急に賑やかになってきた。――だけでなく、ホストたちが放つ独特の雰囲気オーラがなんとなく妖しげで、原田は馴染めない。

 気がつくといつの間にか二十人ほどのホストに囲まれてしまっていた。探偵の原田に興味津々といった様子で。

「どうしたの、みんな? ミーティングを始めるよ」

 人垣の向こうからよく通る声がした。

「あっ、店長……」

「実は探偵さんが訪ねてきて――」

「新・土井エージェントの原田といいます」

 ホストたちの囲みをすり抜けて、来たばかりの店長の前に出る。

 店長といっても若かった。三十歳には届いていないだろう。口元に笑みをたたえた長身のイケメンが、どういう経緯でホストクラブを経営するようになったのか、そこには波瀾万丈なドラマがありそうだった。

 原田は改めて来店の目的を述べた。

 店長はうなずき、一応、「誰か知ってる?」と、見回す。一同、無反応。

「一年も前となると、うちは店員の回転も早いので……右岡さんはぼくも知っているお客様ですけど、もっぱらシャローくんと……」

「マコトくんなら知ってるかも……」

 シャローが思い出したように言った。

「ああ、そうだね――」

 店長はうなずいた。原田に向かって、

「半年ほど前に辞めちゃったんだけど、シャローくんといっしょに右岡さんのお気に入りだった男子がいました。連絡先はわかりますから、電話して聞いておいてもいいですよ。ただ、こちらもこれから開店時間ですので準備をしなくちゃいけないから、それは明日でもいいですか?」

「もちろんです。助かります。では明日、いつでもご連絡ください」

「ところで探偵さん――」

 店長は茶目っ気のある顔で、

「アルバイトでもいいから、ここで働く気はないですか? いいホストになれそうだし」

「えっ、いや、それは……遠慮します」

 この世界はなんか違う、と感じる原田だった。

「もし気が変わったら、いつでも来てください。歓迎しますよ」

 冗談なんかではないような気がした。

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