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公安調査庁

 虫州武史は民宿の部屋にこもったまま出てこない。三条愛美に〝人魚〟の監視をまかせ、自分は資料の読み込みに専念していた。

 子供用のプールに入れられた檻のなかで、未知の生物である人魚はおとなしい。

 人魚、と言っているが、ただの新種の生物ではないか、と見ているうちにやはり三条はそう思えてきた。地球上ありとあらゆる場所が調査されつくしたいまもなお新種の生物は発見されている。個体数や棲息域が限られていると、人間に見つからずにこんにちまでいたというのはあるだろう。この〝人魚〟もそんな生物のひとつではないかと。そう考えるとUMAハンターというのはまっとうな生物学者だとの解釈もできる。ただ、イエティとかツチノコとかいうからバカにされてしまうだけで。

 では、となると、公安調査庁の出方はなんだろう……三条は疑問に感じる。新種の生物を国家が保護するという理屈ならわかるが、しかし担当部署が公安調査庁は違うだろう。ただの生き物に公安調査庁が関わろうとするわけがない。

(となると……もしかしたらゴジラでも発見するかもしれないと、その可能性を考えて?)

 だとすれば他国が興味を示すというのもうなずけた。うなずけたが……それはなかなかに非現実的な考えではないかと、そんなことを真面目に考慮するなどどうかしている――その可能性がゼロとは言わないが。

 と、そんなとりとめのないことを思っていると……プールのなかで動きがあった。

 シームレスな変化は気づきづらい。だから、いつのまにかそうなっていたことに驚愕する。

 檻が消えているのだ。

(えっ?)

 犬用ケージぐらいの大きさのアルミ製の檻が、どこへいってしまったのか、まるで巧妙な手品のように消失していた。

 プールのなかには〝人魚〟だけがゆうゆうと泳いでいたのだが、さらにそれが変化しだした。

「あっ、……あっ?」

 喉の奥で声がひっかかってしまったかのように一言も発せられない。

 人魚が巨大化していくのだった。それだけではない。形も変形して、プールに張った水面より高くなって体長が伸びていく――まるでCGアニメでも見ているかのように、みるみるうちに人間の姿へと変わっていったのである。鱗が衣服へと変化していき──しかもそれは三条の着ているものと酷似していた──やがて、プールのなかに立っているのは……若い人間の女だった。

 女が目を開く。瞠目し絶句する三条をまっすぐに見つめる。整った顔立ちは現実離れしているほどである。ついさきほどまであのグロテスクな魚だったとはとても思えない。

(そんなバカな……)

 眼の前で起きた現実を脳が拒絶する。夢でも見ているような気分だった。

 我に返り、これは知らせなければと思い出し、しかし虫州を呼ぶべきか、それとも先に依頼主である公安調査庁の名波綾羽に電話すべきか迷った。

 そのとき、

「あなたは誰?」

 いましがたまでUMAだった、三条と同じ服装の女が口をきいた。よく通る、澄んだ自然な声だった。その声が三条に問いかけた。

(ああ……わたしは世にも奇妙な世界にまぎれこんでしまったのだろうか……)

 最近たまたまネットのサブスクで見ていたテレビドラマを思い返した。

 女は小首を傾げている。その仕草だけでも惹き込まれてしまいそうな所作だった。名だたるメイクアップアーティストが競い合って作り上げたような完璧な美が、そこにはあった。口元には小さく笑みが浮かび、まっすぐに見つめられると瞳のなかへ吸い込まれてしまいそうだった。

「わたしは……」

 三条は彼女の質問に答えようとした。眼の前に立っているのは果たして言葉が通じる人間なのか――怪物と会話しようとしているかのような畏怖がこみ上げる。

「とうとう捕獲したか――」

 そこへ背後から声がした。三条が振り返ると、そこには――。

「あっ……」

 ケイゴだった。

 神出鬼没というか、気配もなく現れて、まるで忍者のようだ。数日前の夜に現れたときも突然出てきて音もなく消えた。あのときのことは、もしかしたら現実にはなかったことなのかもしれないとさえ思ったほどであった。初対面のときと同じ服装が、どこか不自然にも感じられて。

「いったい、あなたは何者なんですか?」

 三条は詰問した。

 ケイゴは、この人魚について虫州以上に知っているようだった。三条は、この件に関して誰よりも「知らない」人間であると自覚した。歯がゆくて仕方がない。依頼者の名波綾羽にしてもすべてを語っているようではなかったし、自分の知らないうちになにが進められているのか。むろん知る必要がないといわれればそうかもしれない。探偵として求められた仕事がこなせればそれで問題ない、と主張されたら確かにそのとおりなのだが、どこか納得がいかない。部外者だといえばそうに違いなく、もしかしたら安全のために情報を秘匿されているとも受け取れるが、たとえそうであっても──と、三条は隠されたなにかを知らずにはいられない。すでにこの世ならざる現象に遭遇している。それを目にしただけでも、もう後戻りはできないような気がするのだ。

三条たんていさんが見ているものは正真正銘、本物の人魚ですよ。でもそれは人間が管理してはならないものなんです。その能力は人間を惑わせてしまう。すぐに開放してあげないと大変なことになってしまうんです。ぼくはそのために遣わされました」

「人魚って……本当に実在したんですね……」

 目の前で見たからには信じないわけにはいかないだろう。それでもまだ心のどこかで信じ難い気持ちが燃え残った炭のようにくすぶっていた。

「遣わされたって、どこから?」

「その説明はあとです」

 ケイゴは質問には答えず、

「さ、花浜はなはまさん……。いっしょに逃げましょう」

 と、手を差し伸べる。 

 花浜……。三条はその名に聞き覚えがあった。虫州も言っていたが、それ以前にどこかで……。

「花浜さん! あなたは幕石さんをさがしているんですか?」

 思い出した。後輩探偵の原田翔太からのいっせいメッセージで知らせてきた案件に、その名があった。さがしている人の似顔絵が送られてきて、そこに依頼者の名前もあった。それが花浜だった。

 幕石閃輝らしき人物は偶然に立ち寄ったシーフードレストランで発見した。記憶喪失ということで、その現場では本人かどうかの確認が取れなかったが、原田がそのあと老人ホームに行って職員から話を聞き、どうやら幕石閃輝に間違いないだろうというところまでは聞き及んでいた。

「幕石閃輝さんが見つかったんですか?」

 はっきりとした言葉で言って花浜は目を見開く。二本の脚がプールから出て、水をしたたらせながら三条に近づく。三条と同じデニムの裾が膝上まで水で濡れていても歩きにくそうな様子もない。

「はい……。でも記憶喪失で……」

 近づく花浜に、やや気圧される三条。

「三条さん、それよりも早くここから逃げましょう──」

 そこへケイゴが割り込んできた。焦っていた。

「――公安調査庁がやってきます。彼らに花浜さんをわたしてはならない」

 なんで公安調査庁が花浜を捕獲しようとするのかの理由や、ケイゴがそう確信している根拠など、三条にはわからないことが多すぎた。わからないでは、どう行動するのが正しいのかも判断できない。顧客は公安調査庁だから、それに協力しようとするのが正しいのだろうが、しかし依頼されたのはあくまで虫州の行動とその結果を報告するのみであり、それ以上は探偵の分を超える。したがって、公安調査庁が花浜に害をなすようなら、道義上それに賛同できなくても契約不履行にはならない――という理屈も通らないではない。虫州がこれまでの人生を費やしてようやく捕獲したUMAをここですぐに逃がしてしまうのは気の毒な気もしたが、かといってこのままではおそらく国に奪われる。それがどういう意味をもつのかはわからない。国のやることだから国益に即した行為なのだろうが、そういうマクロな視点でこの状況を捉えるのは違うと、三条の心は訴える。

「逃げるって、どうするの?」

「海に帰ってもらいます。幸い、檻から脱出できたからよかったです。あとは――」

「なんだ、おまえたちは!」

 突然、虫州の声。

 振り返ると、民宿の建屋から全身白い防護服に身を包んだ見知らぬ男たちがどやどやと何人も出てきた。虫州がそれを押し留めようとするが、かまわず裏庭に立ち入ってきた。

「おお、これは……!」

 虫州が人間の形態に変化している花浜に目を丸くした。

「素晴らしい! まさしく文献のとおりだ! 感動だ!」

 こんな場合でも、研究者は研究対象が第一なのだ。

 しかしこの物々しさは、感動にうち震える虫州などおかまいなしであった。

(この人たちが公安調査庁?)

 三条の頭のなかに疑問符が乱れ飛ぶ。想像の遥か上をいく展開であった。

「対象を二体発見、これより確保する!」

 防護服の男のひとりが声高に叫ぶと、全員がいっせいに駆け寄ってきた。

「逃げるぞ!」

 ケイゴが叫んでいた。

 が、裏庭から敷地外へと続く動線にもすでに手が回っていて、防護服の男が何人も待ちかまえていた。そちらへ足を向けようとしたケイゴは、二人がかりで取り押さえられている。肩を押さえつけられ、地面に膝をつく。

 動きが早い。連携も鮮やかな、訓練されたプロの動きだった。防護服を着ているからといって保健所の職員というわけではなさそうであった。

 公安調査庁はどうやら本気のようだった。

 電話口での名波綾羽のやる気のなさそうな応対からはおよそ想像のつかない、本格的なやり口だ。この本気度から、諸外国が関心をよせていると言ったケイゴの言葉に突然真実味が増した。少なくとも人魚なんかバカバカしくて、もとより真面目に取り組む気はなく、「やってます」感だけの態度とはまったく違う。いまのこの状況に戸惑うふうもなく、すべては事前に想定しているようだった。

 あっという間に花浜は――そして、三条も防護服の一団に捕まっていた。

「ちょっと待ってよ、なんでわたしが――」

 三条は抵抗しようとしたが、両側から男二人に腕を押さえられ、引きずられるように連行される。

 裏庭に救急車が後部ドアを開けた状態でバックしてきて、停止。

 否も応もなかった。三条と花浜の二人は見事な手際で荷物のように車内へ押し込められた。

 ケイゴはその場に留め置かれた。両側から肩を押さえつけられて動けず、その顔は渋面だ。思ったよりも公安調査庁の動きが早く、対応が遅れてしまったのが悔やまれた、といった状況。

 ハッチバックが閉じられると、救急車は直ちに発進。けたたましいサイレンが、のどかな海辺の町に鳴り響いた。

「ケイゴさん!」

 三条の叫びも届かなかった。

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