UMA捕獲作戦
カメラに写っていたのは人魚だとUMA研究家の虫州武史は言った。
人魚?
三条愛美にとって鼻で笑いたいほど現実離れした見立てだった。ぜったいなにか別の生き物との見間違いだ。しかしそうは思っても、ではなにと見間違ったのかと問われれば明確には答えられなかった。
三条にそこまでの海洋生物についての知識はなかった。水族館には何度か行ったことはあっても、さして詳しく知ろうなどという気持ちはなかったし、せいぜい水産物について人並みに知っているぐらいだ。
(それでも、いくらなんでも人魚だなんて……)
バカも休み休みに言え。
そう言いたくなるのが普通だ。だが公安調査官の名波綾羽への報告では、そんな気持ちを抑えつつ見聞きしたとおりを伝えなければならない。
電話口の名波は、はっと息を飲み込んで言った。
『……わかりました、引き続き調査を願います』
事務的な言葉とは裏腹に、どこか動揺を隠したような声だった。予想外の展開だったのだろう。けれどもそれはそうなのかもしれないとも思う。いくらなんでも人魚を見つけたなどと、三条自身そんなことを口に出したくもないぐらいだったのだから、たとえ職務といえど、なにが悲しくてこんな案件に真剣に取り組まなければならないのかと、名波は自嘲していたに違いない。ある意味気の毒ですらあった。だから三条からの報告に、職務とはべつの感情が見え隠れしてもおかしくはないのだ。
「それで……虫州さんがもし捕獲に成功したら、どうしましょうか?」
三条は尋ねた。
『そのときは夜の定期報告ではなく、すぐに知らせてください』
「名波さんは、それでどうするんですか?」
『対応しなければなりません。探偵である三条さんは、あくまで報告だけしてくだされば……。そのあとどうするかは公安調査庁の仕事ですから』
「……わかりました」
ケイゴと名乗った若者が思い出された。公安調査庁にわたしてはいけないと言った彼は人魚が見つかると予想していたのだろうか。それとも、アメリカや中国が介入してくると言っていたぐらいだから、人魚なんかではなくべつのなにかだろうか……想像さえつかないが。
そのケイゴはあれから姿を見せていない。彼の狙いがなんなのかも不明だ。どこまでのことを知っているのかも。
名波には話していなかった。本来なら伝えておく類の情報なのだろうが、なんとなく話すべきではないような気がして。彼はいったい何者なのか──。
謎は深まるばかりだった。国家機密とかいう〝錦の御旗〟を掲げられては迂闊な言動は命取りになりかねない。
ともかく三条は、この先どうなっていくのか推移を見守っていくしかない――目的がどうであれ、名波の言うようにそれが探偵の仕事なのだから。
翌日、虫州は早朝から民宿の庭を借りて罠の組み立てに忙しかった。昨日から一生懸命に作業していて、今日は二日目である。
アルミ製の檻だった。フレームを長方形に組んでボルトで留めていく。三条も手伝わされた。
だがその檻は中型犬が入るほどの大きさだった。カメラに映った人魚というのは、これぐらいの大きさだったろうか。
そういえば、人魚のミイラだと昔から伝わるもの――もちろん偽物で、当時の人が輸出用の工芸品として作ったといわれている──も、かなり小さかった。だからその程度のサイズでもじゅうぶんなのだと虫州が言えば、三条になにも意見はなかった。
(ま、どのみち捕獲してみれば人魚でないとはっきりするだろう)
こんな茶番に付き合っているのがどんなに虚しくとも、顧客からの依頼なのだからと辛抱するしかない。
完成した檻罠を乱暴に転がして強度を確認すると、ボートに積み込み、カメラを設置していたポイントに仕掛けに向かった。
虫州は嬉々としていた。ウェットスーツを着て海に飛び込むと、三条から檻罠を受け取り海中へと消えていった。
カメラに映った生き物が人魚だろうとなかろうと檻にかかるのはそれとは限らないわけで、他の魚がかかってしまうこともあるだろう。虫州の言うところの人魚にどれほどの知能があると想定しているのか、少し用心深かったらあんなものにかからないのではなかろうか。
虫州はなかなか上がってこない。カメラを回収するときよりも時間がかかっていた。
今日は風が穏やかだった。春が近いと感じられた。
(またしばらくここでの調査が続くのだろうな……)
仕掛けたカメラがなにも捕えなければ、せいぜい一週間程度で虫州もあきらめて引き上げるだろうと予想していたし、依頼者である公安調査庁の名波綾羽もそう言っていた。ところがその予想に反し、カメラは人魚(と虫州が信じるもの)を撮影した。こうなっては簡単にはあきらめないだろう。資金が底をつくまで粘るかもしれない。
虫州はUMAに並々ならぬ情熱を傾けている。その心理は三条には到底理解しがたいが本気度は理解できた。人生そのものを賭けているといっていいぐらいだ。身も蓋もない言い方をすれば狂人だった──少なくとも三条にとっては。
虫州が戻ってきた。いつもの倍ぐらいかかっていた。おそらく檻罠をどう仕掛けるかを検討していたのだろう。民宿の部屋でも図を描いて模索していたが、現場に行けばまた考えも変わる。
水中眼鏡を外した虫州はやや難しい顔つきだった。ボートに上がるのを手を引いて手伝いながら、
「どうでした?」
と訊いた。
「うむ……。罠の仕掛け方を何度か変えなければならないかもしれない。潮の流れとか考えて、あれでいいのかどうか……。とりあえず明日まで様子を見てみよう……」
そう答え、ボートの船外機を始動させる。
「今日のところは帰って検討だ。もうカメラの映像をチェックする必要もないからな」
「それじゃ、わたしはなにを……?」
「罠に人魚がかかるまでは、当面手伝ってもらうことはないが……」
そうだな……と虫州は、
「わしは古文書をもう一度読み込んでみようと思うが……。手伝うか?」
「古文書ですか……?」
どうやって入手したのか、ノートパソコンに表示させた古文書のコピーを熱心に読んでいるのを何度か見ていた。江戸時代かそれ以前に書かれたと思しき人魚にまつわる記録だという。虫州がこの時期この海で人魚捜索をしているのも、これら古文書の記述によって決めたのだと言った。単なる思いつきではない、研究熱心なところがあった。
「やめときます。わたしには読めませんので」
草書体やくずし字を読めるほどの知識はなかった。
「なんじゃ……読めんのか。使えんやつじゃの……」
それを読める人のほうが少ないでしょ……と思うが、ここはもちろん助手として、「すみません」と無能を認めるしかない。
「仕方ないな……」
船外機を操作しつつ虫州は思案する。ボートは波の穏やかな海面をすべるようにして岸へと向かっている。
「他に当面の仕事はないし……。どうしたもんじゃろ……」
古文書の読み方を享受するという考えはないらしい。
「じゃあ、ちょっと外出してきていいでしょうか……。あの……気分転換に……」
「む?」
意外な申し出だったようで、虫州は目をパチクリする。
「そうか……そうだな。まぁそれもいいだろう。どこへでも行くがいい。夜には戻るのじゃろ?」
「はい、もちろんです。先生の大発見が楽しみです」
「そうかそうか……」
ははは、と黄ばんだ歯を見せて笑った。
民宿では昼食も提供してくれた。長い逗留となるので、普段はしないが特別にサービスしてくれていた。
虫州は食事――というか、食べ物に関してはまったくこだわりがなかった。体を維持するために摂取するエサぐらいにしか思っていなくて関心がいちじるしく低かった。毎日同じものを食べていても一向に気にならない様子だった。
民宿の料理ゆえバリエーションは少ない。似たようなメニューでも虫州は気にならないのだ。もしかしたら自分がなにを食べているのか認識すらしていないかもしれないが。
けれども三条はそろそろ魚メインの和食以外のものが食べたくなっていた。このままあと何日も同じような料理が続くのかと思うと、ただでさえテンションの上がらない今回の仕事へのモチベーションもだだ下がってしまう。どこか気分の変えられるところで昼食をとりたかった。
民宿に戻った。ここへ来たときに使って以来乗っていないクルマのエンジンをかける。民宿の駐車場を出た。
トヨタの白いコンパクトカーである。三条のマイカーではなく新・土井エージェントの社用車だ。車内には、架空の会社名のロゴのマグネットデカールが何種類か乗せられていて、車体側面に貼り付けてカムフラージュに使われたが、いまはなにも貼っていない。
海岸道路に出た。
海辺の町はクルマがなければ生活できない。公共交通機関は乗り合いバスぐらいしかなく、その便数も日に何本といった具合なので不便きわまりなかった。
日本中どこもそうであるが、発展している大都会以外はどんどん廃れていく。地元の人が日常的に利用する店舗は減っていき、代わりに旅行者をターゲットにしたレジャー向けの店舗ばかりが目立っているのを見ると、どこかちくはぐな印象を受けた。
海岸線にそってカーブが続く道路でクルマをしばらく転がす。
カーナビの表示をちらちらと見て、なにかよさげなレストランでもないかなと思っていると、前方の開けたところにぽつんと建っている小洒落た建物が見えてきた。ライトブルーの屋根に真っ白な壁は垢抜けて目を引く。シーフードレストランの看板。
(シーフードか……)
魚はさんざん食べてきた。洋食とはいえシーフードはちょっと遠慮したい気分だったが、通り過ぎてしまうのもなんとなく惜しい気がした。このまま進んでも当分なにも見つからないかもしれない。
ほんの数秒逡巡したのち駐車場にクルマを入れた。あまり迷うのも時間を無駄にするだけだ。直感を信じた。
まだ開店時間をすぎたばかりで正午には早い。店内に入ると客はほんの数人ほど。クルマにダウンジャケットを置いてきても暖房がきいているからちっとも寒くない。
海の見える席についた。すかさずメニューをもってくるウェイター、
「お決まりになりましたらお呼びください」
と去っていく。
上から下まで、じっくりメニューを読んだ。パエリアやアクアパッツァという単語が並んでいる。
ツナと海藻のサラダと小エビとイカのピザ、鰆のカルパッチョを注文した。
窓から見える海は穏やかで、明日もこうならいいなと思う。
手持ち不沙汰で窓からの景色でも写真に撮ろうかとスマホを取り出した。ここ毎日見ている海だったが、観光気分で写真を撮ったりはしていなかった。
そういえばメールが入っていた。社内共有メールである。探偵全員の協力を得られるよう情報共有することは、しばしばあった。
メールをくれたのは原田翔太。入社してまだ一年目の、駆け出しの新米探偵である。他の先輩探偵のサブについてOJTで仕事を学びつつこなしている。そんな後輩からメールが来ているということは、案件をひとつ任されているのか……。
メールには写真と見まがうほど精巧に描かれたモノクロの似顔絵が添付されていた。名前は幕石閃輝。若い男であった。この人の行方を追っていた。
似顔絵と名前以外に手がかりはなく、こんな情報だけでさがそうというのが土台無理な話だ。いくら優秀な捜査員であっても苦労しそうで新人の原田には荷が重そうに思えた。協力はしてあげたいが、街中で調査しているならともかく、こんな海辺の誰もいないところで仕事をしていても……。
見つかるはずがない、と思ったとき、ひとつテーブルをはさんだ先の席にいるカップルに目がいった。背を向けている女、そして、こちらを向いて座っている男……。
三条はなんどもスマホの画面と見比べた。
似ている……というレベルではない。絵が精巧なだけあって、ごまかしがきかない。そっくりそのままだといえた。
(しかしまさかこんなところで……人違いかもしれない……)
そうは思ったが、一応は確認しないといけない。
席を立ち、そのテーブルに近づいた。食事を終えたばかりのようだった。
「あの、ちょっとすみません……」
三条は緊張しつつ声をかけた。




