これはなにかの陰謀か?
ノートパソコンの14インチの画面には、変化のない退屈な動画が表示されていた。床の間のある、昭和の雰囲気を色濃く残す民宿の和室で、三条愛美はそれをじっと見つめていた。倍速で。
自称UMAハンターである虫州武史が海中に仕込んだカメラがとらえた動画である。陸から近い水深数メートルほどの場所に設置されたカメラには、ときどき魚が横切るぐらいで取り立てて注目するようなものは映り込んでいない。
どういう情報を元にしてここで網を張っているのか三条にはわからないが、虫州には考えがあってのことだろう。聞いてもはぐらかされるばかりで、おそらくそこまでは言えない事情があるのかもしれないと、三条も深くは尋ねなかった。
そもそもUMAなどという得体の知れない生き物などこの世にいない、と思っている。新種の生き物はいるだろう。そんなものなんかではなく、いるかいないかと噂される生き物の存在は正直眉唾物だ。そんなものを追いかけている虫州の気が知れなかった。
UMAの存在なんか信じていなくても、画面になにかが横切るたびに静止画面にして検証した。そして、結果ただの魚であったりクラゲやタコなどの海洋生物だったりしてまた作業に戻る。
もう三日もこんな仕事を続けているのだ。その姿勢からも、虫州が真剣に向き合っているのがわかる。これが、幻のダイオウイカの姿を求めてなどと、ドキュメンタリー番組の取材クルーよろしく根気よく取り組んでいるのならまともな研究者だといえるのだが。
「交代しよう」
目がつらくなってきた頃、スマホのアラームが鳴って、仮眠から目覚めた虫州が声をかけてくる。この作業は二時間もすればかなり疲れてくる。交代できるのはありがたかった。
三条は、はい、と返事をして、ノートパソコンの前から退く。
「先に休んでいて、いいぞ」
「そうさせていただきます」
午後十一時。和室にはすでに布団が二組敷かれていて、いつでも眠ることができた。
よく知らない男と同じ部屋というのは、最初こそ抵抗があったが、虫州がなにもしてこないとわかって以降は気にしなくなった。そもそも突然押しかけてきたのはこちらなのだから、同じ部屋だからといって文句を言えるような立場ではないのだ。小娘じゃあるまいし、と二十七歳の三条自身も肝がすわっていたこともあって、なんとかなる、と割り切った。
動画のチェック作業を引き継いでいる虫州を残し、三条はふすまを開けていったん部屋を出る。本来なら虫州一人であの作業をし続けるはずだったのだから、情熱というのは凄まじいエネルギーを産み出すものなのだと感心するばかりである。
廊下を進み、靴をはいて玄関を出た。
月が天頂に白く輝いていた。上着は着ていたが冷え込みは厳しく、ぶるっと身が震える。
スマホを取り出し、通話アイコンをタップ。コール音が二回で相手が出た。
『はい、名波です』
三条に調査を頼んだ依頼主、公安調査庁の名波綾羽である。
「今日もなにも発見はなかったです」
『なにか気づいたことは、なかったですか?』
「あいかわらず、なにをさがしているかは言ってくれません……それとなく探りを入れてはいるのですけど」
『まだ警戒されているのでしょう』
「もう三日目ですよ。いっしょの部屋で寝起きして――」
『まだ三日目。あせらないことね……』
「本当に、これ、公安調査庁が首をつっこむ案件なんですか?」
『まえにも言ったけど、その可能性があるからです』
狂人の道楽に付き合っている、というのは言いすぎかもしれないが、つまりはそういうことなのだ。名波が公安の職員を使えないといった理由は――。こういう案件だからまともに職員を出せないのだ。その代わり予算は計上されているから探偵にやらせている……。
三条はわずかにため息をつき、
「今日の報告は以上です。また明日に報告します」
通話を切った。
満月を見上げる。満月だからそろそろ出てもいい頃だと虫州は言っていた。その意味するところはわからない。
こんな中身のない報告をいつまで続けなければならないのか。
虫州があきらめて引き上げるのがいつになるのか、長くてもせいぜい一週間と見当をつけていた。結果なにも見つかりませんでしたという報告を最後にこの案件は終わりとなるに違いないと予想して──ふと、視界の端になにかが動いた。
物陰からゆらりと出てくる人影。三条は緊張した。
「誰っ?」
頼りない街灯の下に現れたのは二十歳ぐらいの若者だった。三条にとってみれば坊やといっていい年頃の男の子だった。青いダウンジャケットを着込んだその男の子は、どこにでもいる大学生のように見えた。
「すみません、お願いがあってきました……」
藪から棒に、そんなことを言った。おどおどしたところのない、しっかりとした声音だった。
「ぼくはケイゴと言います。もしも海中でなにかが見つかっても公安調査庁にわたしてはいけません」
「!……」
公安調査庁という単語が出たことで三条は警戒した。
(こいつはなにかを知っている……!)
ケイゴと名乗った男の子はさらに言った。
「これは政治的な問題に発展します。周辺各国、中国やアメリカ、もしかしたらロシアも介入してくるかもしれませんし……強硬な手段を使ってくる可能性もあります」
三条は眉をひそめた。
(なにを言い出す?)
あまりに唐突すぎた。
「ちょっと待ってよ。どういうことよ。いきなり外交問題を振られても、わたしはただの民間人で――」
「だからこそ頼めるんです。国家の手にわたしてはいけません」
「わたしはなにも知らされてないのよ。いったい、みんな、なにを見つけようとしているの……?」
「そうでしたか……。では、なにも見つからないことを祈ります……」
男の子が闇に退いていく。
「あっ、ちょっと待って」
三条は追いかける。こんな中途半端で会話を勝手に打ち切られても、もやもやが残るばかりではないか。気になって眠れなくなる。
が、道路に出ても、暗がりにはなにも潜んでいなかった……。
(なんて逃げ足の速い……)
が、走り去っていった気配はなく、まるで煙のように消えてしまった。
(幽霊……?)
まさか、とは思うものの、半ばそうではないかと疑われた。
彼はこの世のものではない――そんな消えかただった。
二の腕が粟立った。それは寒さのせいだけではなかった。
翌日も同じルーチンである。
二台のカメラが撮影した動画をチェックし終わった昼頃に、カメラのSDメモリとバッテリを交換するため、今日もまたモーターボートで沖に出た。
いまだカメラはUMAらしき生き物を捕らえていない。こんなことを続けていても、未来永劫、撮影に成功なんかしないのではとは口に出して言えなかった。三条は、熱狂的なUMAマニアで虫州の狂信者である、というのを演じなくてはならないのだ。
冬の海風に当たりながら、三条は昨夜のことを思い返していた。ケイゴと名乗った男の子のことである。
国家……つまり公安調査庁にUMAをわたしてはならない、と言っていた。
(UMAが見つかれば名波に報告することになる。そうすれば公安調査庁がそれを横取りに来る、ということだろうか……)
でもそうさせてはいけない、という。外交問題に発展するなどと大袈裟な話をした。
ネットでしばしば騒がれる荒唐無稽な陰謀論などまったく信じてはいないが、三条はそんな類のものに巻き込まれているのではないかと、世にも奇妙な物語の世界に迷い込んだような気になってきていた。
ケイゴ……。その顔を思い浮かべ、
(彼はいったい何者でなにを知っているのだろう……もしや第三国のスパイ……?)
中国やアメリカを出し抜こうと某国から差し向けられた工作員……。
(いやいや、いくらなんでもそれは……)
否定しかけたが否定しきれない。頭のなかでぐるぐると思考が巡る。
カメラを仕掛けた位置にボートが到着した。あらかじめウェットスーツを着ていた虫州が海へと飛び込む。用意してきたアクアラングの酸素だっていつかは底をつく。その時点で、おそらく調査は終了せざるを得ないだろう。成果がないまま終了なら、もう国家の関わりも消滅するはずでなんの懸念もなくなるのだが……。
海中に潜っていく虫州を見送ると、三条は交換用のバッテリーとSDメモリを確認した。
そして数分後……。
カメラを元の場所に仕掛け終えた虫州がボートに戻ってきた。
虫州から二台のカメラを受け取り、バッテリーとSDメモリを交換する。この作業ももう慣れたもので三十秒とかからない。海水にかからないよう、回収したそれらをジップロックに入れる。このSDメモリをまた民宿の部屋で明日の昼までにチェックすることになるのだが、犯罪捜査の過程で防犯カメラの映像をチェックしている警察官もきっとこんな感じなのだろうな、とその苦労を思った。探偵の仕事も刑事と重なる部分があるわけで、今後、こういう仕事も増えてくるような気がした。
「よし、帰るぞ」
しかしそんな地味な作業が待っているというのに、虫州はうきうきと楽しそうだ。
三条は小さくため息をついた。
ところが。
そこそこ豪華ではあるものの、毎日同じの民宿のメニューにも飽きてきて、半ば腹を満たすだけの気分で夜の食事を終え、撮影された動画をチェックしていると――。
(ん……?)
なにか白い影がカメラを横切ったのでスローで確認した。
海洋生物のなかには三条のよく知らない、あるいは知っていても泳いでいるところを見たことがない生き物がいて判断がつかないため、いちいち虫州にチェックしてもらっていた。
「虫州先生、これはなんですか?」
風呂から戻ってきたところを質問した。
見たことがない生き物だった。魚ではないようにも見えるが、魚のようでもある……。
「見せてみろ」
浴衣の裾をめくり、虫州がノートパソコンの前に陣取る。
動画をスロー再生。停止。逆転再生。コマ送り。
「むむむ……!」
虫州がこれまでにない声を発して画面を凝視している。その目は見開き血走っていた。
「どうしました?」
心配になって三条は声をかけた。
「三条くん、きみはなんてラッキーなんだ……! わしが何十年も追いかけてきたのにもかかわらずこれまで見ることがかなわなかったというのに、きみはわずか数日で世紀の大発見を目撃することができたんだぞ」
満面の笑みを浮かべ、立ち上がって両の握りこぶしを頭上に突き上げた。
「やったぞー! ついに発見した!」
「なにがですか!」
ここに写っている生き物は本当にUMAなのだろうか。別の生き物を誤認してやしないのか。だいたい、世界中にあるUMA伝説のほぼすべてが他の生き物を見間違えているのだ。早合点しているのではないかと、興奮する虫州を冷静な気持ちで見る。
「なにがだと?」
虫州は、明らかな証拠を見てもなおわからない三条にじれったい感情をぶつけた。
「わしの著作を読んでいたならわかるだろう? 決定的ではないか。これがなにかわからんのか?」
その迫力に三条はたじろぐ。著作は読んでいたがわからなかった。たぶん虫州本人でしかわからないのだろうと思えた。虫州の脳内にあるイメージ画像がはっきり焦点を結んでいても、そんなものが他人にわかろうはずがなかった。
当惑する三条に、虫州は、その存在をこの世に定着させるかのように力強く言った。
「これが、人魚だ!」




