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新たな証言

 翌日──。

 乗ってきた社用車を時間貸しの駐車場に入れると、車外に出てから黒のコートを着込んだ。この駐車場から目的地まで歩いて二分もかからないが、スーツだけでは寒さに身が震える。

「さて、行くか」

 ひとり小さくつぶやくと、先野光介は歩き出す。行き先は盟田めいだ会計事務所である。

 闇金で聞き出した、右岡奈音みぎおかなおの元勤め先だ。派遣社員である右岡が、ほんのひと月ほど前まで働いていた。いまそこへ訪ねていっても会えないことはわかっているが、どこへ行ってしまったのかの手がかりは得られるだろうと踏んだ。

 クルマの通行量の多い大通りに面してビルが立ち並んでいるそこは、鬼牧おにまき市でも賑やかな場所だ。そこから一筋入った細い道路をしばらく進むと、小さなビルが軒を連ねる通りに出る。規模の小さな事業所が入る古びた雑居ビルのひとつを見上げると、「盟田会計事務所」と一文字ずつ貼ってある二階の窓を確認し、階段に進んだ。

 会計事務所と看板を掲げているほとんどが個人経営で、資格のある者が一人(助手がいてもせいぜい一人)でなんでもこなしている。突然行っても留守という場合もありそうだったから、あらかじめ訪問することを伝えてあった。もっとも、用件までは言っていない。招かれざる客だと思われたら事務所に通してくれないかもしれないからだ。

 階段を上がって二階の廊下に出た。L字型に曲がる廊下にいくつもドアが見える。同じぐらいの小規模オフィス用の部屋だろう。

 節電と称して照明を消してある薄暗い廊下を進み、「盟田会計事務所」のプレートをドアに見つける。

 コートを脱いで手に持ち、呼び鈴はないからノックをし、「どうぞ」という声を聞いてからノブを引いた。

 予想していたよりも小さな部屋だった。窓は奥に一つだけ。そこに「盟田会計事務所」の文字が裏返しに貼られている。その手前にデスクがあり、初老の男が座っていた。左側のキャビネットにはびっしりと書類がしまわれてあり、見返されることはほぼないのに一定期間の保管が義務づけられているのだろう。

 事務所には、他に誰もいない。

「すみません、電話しました先野です」

「ああ、はいはい。盟田です」

 会計事務所と同じ名前である会計士は立ち上がり、

「そこへおかけください」

 ドアのすぐそばにある応接セットを指し示した。先野のことを、新たに事業を起こした起業家かなにかだと思っているようである。

 会計事務所は、一度顧客になれば廃業するまでずっと顧客で居続けるから手堅い商売といえばそうなのだが、新規の顧客開拓に関してはそれほど得意ではない。あまり積極的に営業をかけていかないのは、顧客となりそうな対象がそこらに転がっているわけではないからというのもある。だからこうして訪ねてくると丁寧に出迎えてくれるのだ。

「どうぞ」

 コーヒーメーカーに作り置きされた残りを紙コップに入れて応接セットの低いガラステーブルに置くと、先野が座った茶色合皮のソファの向かい側に腰を下ろした。

「煙草はお吸いですか?」

 と言って、端の方に置かれた陶器製の灰皿まで指し出してきた。いまどき煙草を吸う人間も減ってきているのにこの対応は、やはり長年やってきているのだなと思わせた。

 先野は、つい、外用に着替えていた黒のスーツの内側から煙草を取り出そうとして思い留まる。ここは無遠慮な態度を見せないほうがいい。

「それで……お困りのことはなんでしょう?」

 盟田会計士はニコニコと笑顔をたたえている。六十歳ぐらいだろうか。白髪頭は後退して、どことなく「人のいいおじさん」という印象を与える。が、眼鏡の奥の目は仕事に関する自信にあふれた光を宿していた。

 日本の社会システムが大きく変わらない限りなくならないこの仕事は、同業他社との競争をべつとすれば、他の事業よりも安泰かもしれない。

 いただきます、と紙コップを手に取り、一口もらう。ブラックである。

「お一人で、切り盛りされていらっしゃるんですか?」

 まず先野はそう切り出した。

 ええ、まぁ……と、盟田はうなずく。

「たまに助手を雇ったりしますが、たいていは一人でなんでもこなします」

「そうなんですか。派遣社員とかいらっしゃるかと思いましたが」

「そうですね、ほんのひと月前までは……。でも急に辞めてしまいましてね。まぁ、若い人にはありがちなことですよ」

 過去にも何度かそんな目にあっているのか、それほど困った様子でもない。

「右岡奈音さん……ですよね?」

 その名前を口にした途端、盟田の口元から笑みが消えた。

「あなた……なにしに来たんですか?」

 フレンドリーな口調から、やや警戒心が出た声音に変わった。

「これは失礼……」

 先野はスーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、一枚を引っ張り出してテーブルの上に置くと相手側に向けて差し出す。

「わたくしは、新・土井エージェントという興信所から参りました、探偵の先野と申します。ある人から依頼を受けて、右岡奈音さんをさがしています……」

 盟田は名刺を取り上げ、しげしげと読む。

「彼女について、なにかご存知のことをお教え願えませんでしょうか」

 名刺から顔を上げ、まるで珍獣でも見るような目で先野の顔をうかがう。

「なにもないですね」

 ぴしゃりと言い切った。

右岡あのことは仕事上の付き合いだけで、プライベートなことはなにも知らない」

「行方不明なんですよ。ちょうどひと月ほど前です。ここを辞めてからすぐに行方がわからなくなっています。なにか言ってませんでしたかね?」

「なるほど、そういうことでしたか……。突然、来なくなって、音信不通……。仕事を途中で放り出して、どういうことなのかと思ったら……なるほどねぇ……」

 盟田は膝においた右手の指先で、とんとんと膝頭を叩いた。

「右岡さんの情報がとにかく欲しいんです。よく行く場所とか、友人関係とか、なんでもいいので、なにか憶えていらっしゃいませんか」

「探偵を雇ってまで、誰がさがしているんですか。恋人ですか?」

「まぁ、そんなところです」

 先野は比森の顔を思い浮かべた。間違ってはいないだろう。片思いだとしても。

「事情はわかりましたが、なにも言うことはないですね。ジェネレーションが違いすぎて、会話にもならなかった。それに本人も、ここには仕事をしに来ているという意識しかなかったと思う。そんな感じでしたからね」

 借金を返すために必死で働いていた、というのがその態度にも出ていたのだろう。そんな事情も、盟田は知らないのかもしれない。

 それに、と、やや上目遣いで言った。

「もう殺されているかもしれませんよ」

 盟田は煙草を取り出すと、使い捨てのライターで火をつけた。無遠慮に吐いた煙とともにニコチンの香りが広がる。

「探偵さんも、実はそう思ってるんじゃないんですか? すでに犯人の目星もついているとか……。警察は遺体が見つからない限り動かないって聞きますしね……」

 探偵というとすぐに殺人事件と関連づけようとする傾向はここにもあった。面白がっているというのではないのだろうが。

「彼女は人から恨みを買いそうな人でしたか?」

「それはわからないな。でも若いし、まぁまぁ美人だったし、痴情のもつれってのはあったかもしれんよね」

「それはないとは言い切れませんが、わたくしどもとしては、生死が不明であっても全力をつくして行方を捜索しなければならないんです、仕事ですので」

「もしも見つかったら、ここへ顔を出すように伝えてもらえますか。やむを得ぬ理由で無断欠勤したのなら、またここで働いてもいいと」

「承知しました」

「すまんね。なにも協力できなくて」

「いえ……。なにか思い出されたら連絡ください」

 先野は冷めたコーヒーを飲み干し、席を立った。

「ああ、そうそう……」

 帰ろうとしたとき、思い出してポケットからスマホを取り出し、操作。

「この人を見たことないですか?」

 画面を見せる。そこには写真のようによく描けた、青年の細密画が表示されていた。

「マクイシセンキという名前なんですが……」



 待ち合わせの場所として指定されたのは、よくあるチェーン展開しているコーヒーショップだった。全面ガラス窓のカウンター席からは、歩道の人通りや車道を行き交うクルマがよく見える。

 原田翔太はらだしょうたはスマホの時計表示を確認する。約束の時刻までまだ十五分ほどあった。普段ならスマホゲームで時間を潰しているところだが、重要な証言者と待ち合わせているとなると、いつ来るだろうかと出入り口のほうを見てしまう。ときどき入ってくる利用客はいるが、当人ではないようだ。

 午前十時五十分、スマホに着信。

『いま、着きました。どの席でしょうか』

 通話しながら入店してきた男がいた。青年、といっていい年齢だろう。

 原田は、

「こっちです」

 と、大きく手を振った。

 気づいてくれた。

 脱いだコートの下はカジュアルなセーターで、しかしシックな色合いがファッションセンスの良さがうかがえる。さすがは元ホストである。

 いまはもうホストクラブを辞めているが、髪型にはそのなごりが漂い堅気の仕事はしていないという雰囲気をどことなく放っていた。芸能人だと言われたら、ああそうかと納得してしまうかもしれない。

「どうも、お待たせしてしまったようで。帆村ほむらと申します」

 と、原田の隣のスツールに腰を下ろす。

「いえ、先に来ていたのはこちらの勝手ですから。探偵の原田です」

 あらかじめカウンターテーブルに置いていた名刺を帆村の前にスライドさせた。

「飲み物を買ってきましょう。ホットコーヒーでいいですか?」

「いや、それは悪いですよ」

「経費で落ちますから気にせずに」

「ああ……では、ごちそうになります」

 原田はスツールを降り、注文レジへと向かう。

 ホットコーヒーが出てくる間、チラと帆村のほうを見ると、原田の名刺を珍しそうに見ていた。

 小ぶりのトレーに乗ったコーヒーを持って、カウンター席に戻った。

「どうもすみません」

 帆村は礼を言った。

「では、さっそくですけど、話を聞かせてもらっていいですか?」

「はい、どうぞ……」

 少し緊張しているのがわかった。

「右岡奈音さんについて、ですよね……?」

「はい、そうなんです。ホスト時代のお客さんだったそうですね」

「ええ、そうです。もう半年以上前のことですけど、贔屓にしていただいていました」

「常連客だったそうですね」

「はい。アフターもありました」

 アフター。営業時間外での接待である。

 ホストクラブの営業時間は深夜に終わる。帆村が働いていた「クラブメゾピアノ」の場合は深夜一時まで営業していた。

 営業終了と同時に客は帰るが、常連客の一部は、そのあと特定のホストとべつの店、バーなどに出かけてデートをする。それがアフターである。もちろんこれも有料の業務活動だ。……ということを知ったのが最近の原田である。

 マコトという源氏名でクラブメゾピアノにいた帆村は右岡奈音に気に入られ、たびたびアフターに付き合っていた。そこまで親しくなれば、彼女のプライベートな情報も多く知ることとなっているだろう、というわけである。

「右岡さんの消息の手がかりになるような……そうですね、たとえば出身校とか、よく行くお店とか、そういうのは知りませんか?」

「その前に、ひとつ確認したいことがあります」

「なんでしょう?」

「右岡さんをさがしてほしいと依頼してきた人のことです。見つかったら、居場所を伝えるんですよね?」

「なにか思い当たることでも?」

「依頼者は、比森さんという人ですよね?」

「どうしてそれを!」

 驚きを隠せなかった。ベテラン探偵なら、いくら心で仰天しようと態度に出ない。が、原田は若かった。

「やはりそうでしたか……」

 帆村はひとつ息をついた。

 原田は、しまった、と思ったがもう遅い。

 帆村は告げた。

「比森さんとは昨日会いました。そのとき、ホストクラブの店長から電話があって右岡さんの名前を出てしまったんですが、比森さんはすごい勢いで僕に詰め寄ってきたんです。どんな関係なのかってね……。あの人の右岡さんへの固執ぶりは尋常じゃなかった……。その態度を見てぼくは、右岡さんが見つかっても比森さんに会わせるべきではない気がするんです。右岡さんが失踪したのは、比森さんから逃げるためじゃないかって思うんですよ……」

「…………」

 原田はしばし言葉をさがした。そして言った。

「ご心配はわかります。安心してください、右岡さんにしっかり意思を確認して、会いたくないということでしたら、いくら依頼人が望んでも情報は開示しません。これは当社のコンプライアンスに関わることですので。もしDVによって人権が侵害されるようなことになれば、――いえ、場合によっては殺人に発展する可能性もありますので、そこは絶対にだいじょうぶです」

「そうですか……それを聞いてほっとしました」

 帆村はコーヒーに口をつける。

「右岡さんに真相を聞くためにも行方をつきとめたいんです」

「わかりました。でしたら、お教えます」

 帆村はうなずいた。ポケットから紙片を取り出した。

「知っているのは――」

 帆村はメモを書いてきていた。昨日から少しずつ思い出しながら書いてきたのだ、と帆村。

 原田はそれをスマホのカメラで撮影した。そのすべてが手がかりとなるわけではないだろうが、協力的でありがたかった。そこには、客とはいえ、もう関係ないと切り捨てられない人情があった。

 どんな女の子なのか、趣味や、好きな食べ物、ファッション、音楽、ドラマや映画、友人関係、子供時代の思い出……それらを知るにつれ、確かにその人が存在しているのだと、実体を伴って浮かび上がってくるようだった。都会に出てきた寂しさは、もしかしたら本人が気がつかないうちに彼女の心を疲弊させていたのかもしれない。

「探偵さん、必ず右岡さんを見つけて……できれば助けてあげてほしい。おそらく彼女は苦しんでいます。アフターができるほどの常連客になるには相当通い詰めていなければならないです。お金もかかるし、それで借金をつくったんならぼくにも責任があります。きっと肩代わりしてもらったことに負い目を感じたんでしょう。ぼくは仕事でやっているのに彼女は本気で……。それがわかっていたから少し罪悪感がありました。だからこんな仕事、いつか辞めようと思ってたんです……」

「そう思いつめないでください。そういうことはあるかもしれません……。借金さえなければこんなことにはならなかったかも。しかし真相はまだわからないんですから……」

 きっと見つけ出しますよ、と原田は胸を叩いた。

「──どうか大船に乗ったつもりで」

「お願いします」

「それはそうと――」

 原田は、スーツのポケットから一枚の紙片を取り出した。例の、依頼者が描いたという細密画だ。

 あまりにも手がかりがなく、会う人会う人、手当り次第に尋ねていた。もちろんそんなさがし方で知っているという人物に出会える可能性はゼロに等しいだろうが、いまのところそんな方法しかないのが現実であった。

「これは写真ではなくて絵なんですが、名前は――」

「幕石さん!」

「知ってるんですか!」

「僕のいまの仕事のパートナーです。僕たちも、その人をさがしてるんですよ」

「そうなんですか!」

 驚いた。まさかここでこの人物を知っている人に出会えるとは。

「なにをしている男性ひとなんですか?」

幕石閃輝まくいしせんきさんは、楽曲提供者……作詞作曲家です。――そうですね、たぶん探偵さんの世代なら聞いたことはあると思いますよ」

 二十三歳の原田翔太は、どんな音楽だろうかと、すごく興味をひかれた。

「そして幕石さんの元上司が、比森さんなんですよ。昨日、比森さんの家に行ったのは、幕石さんがいなくなる直前に会っていたのが、その比森さんだったからなんです」

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