第三話
早足で帰路につく妻女。
申し遅れたが、港を背に見て、民家の並ぶ、いわゆる漁村である。
一方は海に臨み、三方を山が囲うその地理的条件といったら、かの鎌倉幕府を彷彿させるようではあるが、大幅に劣る人口から、やや小規模な村落と言っても嘘にはならず、そのくせ活気に満ちているというのは、先ほどの癇癪が良い例になる。
「彼女の言い分も よくわかるよ」
老人は公園のブランコに掛けるが、遊戯をするというわけでもなく、ただ、居るだけである。
「村の漁業を 大切にしてくれているのだ」
快晴の夜空と、それを仰視するテレスコープより、天体観測にやってきたとみた。
「……そうか 私はただ 自分の夫に辱めを受けたと感じているだけではなど考えたが」
話し相手に、もう一方、老人がいて、彼もゆるりと広場を徘徊するのみで、いずれもベンチに着こうとしないのは、中古で、ガタがきているからであり、足を休めたいとの思いはあれど、破壊するのは御免である、いっそ、何方かに拉がれてしまえといった調子であろうか。
「そうだとしたら 家に会しても 口なんてきけたもんじゃないかもしらんぞ ほら 君も遠視なら わかるんじゃないか 港やその先で まだ光が点いているやつらは おそらく全部そうだ 一 二 三 四 五 六 数えきれないので 大層な責任だな あいつは ご愁傷様だ」
その傍らで首を伸ばし、海の方を見遣る。
「……数えきれないこともないが」
「家内として怒るのは ごもっともだ」
引き続き海を眺め、眉間にしわを寄せると、蛍の如きちらつきが、瞳に泳ぐ。
「――ざっと いくら見える」
訊ねた。
「三十はいるぞ 気付けば 船乗りも増えたんだ 若い力で ここが賑わってくれるのは 本当にうれしいもんだな」
二人、顔を向き合わせる。顔立ちより、どことなく血縁のあるように思えるが、気のせいか。
「君 ――物が二つに見えることは」
憂いの帯びた言い様。
「最近はあまりない あまりないぞ」
「月を仰いでみろ」
いそいそと、望遠鏡に向かうのが、見当違いだったようで、あいやと口にして、引き留めた。
「違う レンズは通さずに 裸眼だ ほお 星が美麗だな 今日は」
二人して夜空を見上げる隣を、漁師が一人、近づいては、遠ざかる。
「月が いくつだ」
訊ねた。
「一つだ」
「本当か」
「いやしかし 今に二つに分裂する」
再び、顔を向き合わせた。含む微笑に、愛嬌がある。
「君よ それはだめだぞ 月が二つに分裂すると思うか」
「この俺の眼がおかしいか」
「月は不動だ」
「月を手にすれば そいつは不動産か」
まるで子供だと笑い飛ばし、一時間か、それより長く、夜の星を見上げる二人。