Good-by, my lost friend
去年卒業したばかりの小学校のグラウンド。橙色に辺りが染まっていく中、私達は一つのサッカーボールを追ってトラックの内側を駆け回っていた。
ゲームは四対四でコート全面使用、制限時間も何もなく、ただゴールにボールを入れればいいという単純なルールだ。要するに、お遊びサッカー。
人数が少ないのは偶々グラウンドにいた面子でチームを組んだからで、そのせいか私以外は皆男子。でもこの中で、私は結構できる方だった。その証拠に今足元には、味方から回されてきたボールがある。
「橋本ー、頼んだぞーっ!」
同じチームの山田が叫ぶ。了解、と私は心の中で呟き、ゴールキーパーと向かい合った。
あちらも腰を落として臨戦体勢だ。でも、絶対に取れないシュートをお見舞いしてやる。
私はゴール左上に狙いを定め、力いっぱいボールを蹴った。
サッカーボールは風を切りつつ、一直線に飛んでいく。そして豪快な音をたて、キーパーの頭上を飛び越えてゴールッ!
――とはならず、ボールはネットの上を飛び越えていってしまった。
皆が口をぽかんと開けて見守る中、それは敷地を囲うフェンスをも越え、学校脇の茂みに不時着した。
「……」
「……あーあ」
敵味方関係なく、無意識にお互いの顔を見回す。五時の時報が、気まずい空気の中を無神経に通り抜けた。
「……あ、オレ、もう塾の時間だ」
「俺もだ。じゃあな、俺達先帰るか」
敵チームだった二人が、そそくさとグラウンドから逃げていく。その後に続くように、残りの二人も鞄を手に取った。
「おれも、帰って宿題やらなきゃ」
「俺は母さんの手伝いする約束してたから」
「ちょっと待った、あんたらもボール探すの手伝ってよ」
私はその肩に手をかけ、前のめった体を無理矢理引き止める。しかし二人は困ったように眉尻を下げ、口を尖らせた。
「でもさ、あのボール飛ばしたのってお前らのチームじゃん」
「そうだよ、おれらは悪くねえもん」
「……つーわけで、後は頼んだ」
そう言うと私の手を振り払い、彼らは走り去った。後に残されたのは、私達四人だけ。
「……じゃあ、探すか」
音頭を取り、ボールの落ちた方向へ向かおうとする。が、他の三人は動こうとせずに渋い顔をしていた。
「ねえ、行こうよ」
「……あのさあ、こういうのは外に出した本人が拾いに行くべきなんじゃないの?」
「それに、あのボールって校庭に転がってたのだし」
「別にいーじゃん、戻さなくっても」
「じゃあ、オレら帰るからよ。また学校でな」
それだけ言うと、三人は脱兎のごとく駆け出した。
「待たんかいコラーッ、バカヤロー!」
叫んだが、三人は振り返ることなく校門の外に出て行く。その結果、私以外に校庭に立つのは、影を色濃くした鉄棒しかいなくなってしまった。
でもどうしよう。確かにあのボールはここに転がっていた物を勝手に使ったものだから、別段無くなったからといって私に問題は発生し得ない。しかし無くなったら無くなったで、多分他の人に迷惑がかかるだろうし……。
考えること約十秒。私はため息をつき、荒地に足を踏み入れた。
「もー、一体どこまで行ったのさー」
腰まである茂みを掻き分け掻き分け探すが、なかなかボールは出てこない。顔を上げると、二十メートル四方はあろうかという草っ原が私の周りをぐるりと囲んでいた。
こんなに広い場所を一人で捜索するなんて骨が折れる。だから、皆でやろうと言ったのに。
辺りも徐々に暗くなっていき、視界も狭まってきた。早いところ見つけないと、すぐにここは夜の帳に覆われてしまうだろう。
「あー、まったく。さっさと出てきてよぉボールぅ」
誰にぶつけるでもない不満を消えたボールに向け、私はその場にへたり込んだ。地面に腰を下ろすと、伸び放題の草が一層高く感じられる。
外から隔離された世界。こちらとあちらとを繋いでいるのは鴉の鳴き声だけだ。
途方に暮れて空を見上げていると、ふいに背後で草が動く音がした。視線を向けると、そこでは一羽の兎がちょこんと顔を出している。
よれた灰色の毛並み、折れ曲がった耳。そして、どこか気だるげな雰囲気を漂わせる茶色い目。その姿を見たとき、私の心臓がドクリと高鳴った。
「……ピョンすけ?」
思わず名前を呼ぶと、その声に反応するように耳をピクリと動かす。間違いない、私はこの子を知っている。でも、そんな、まさか――
小学一年生の頃、私は飼育小屋に住む兎と遊ぶのが好きだった。初めのうちはいろいろな兎を撫でていたけれど、しばらく経つとある一羽と一緒にいる事が多くなってくる。それが、おじいちゃん兎のピョンすけだった。
いつも独りぼっちで、昼休みの飼育小屋開放時に児童が入ってきても隅でポツンとうずくまっている。その、生きることを憂いているような瞳が気になり、私は毎日のようにピョンすけに会いに来た。
飼育委員のお兄さんいわく、彼は誰にも懐かなかったらしい。しかし私が隣に座りよれた毛並みを優しく撫でると、逃げもせずに目を細めてくれた。クローバーが大好きで、目の前に差し出すと一心不乱に口を動かしていた。それがいとおしくて、よく校庭から大量にむしっては持っていったものだ。
しかしもうすぐ春になろうかという寒い日の朝、飼育当番がやって来ると彼の姿が見当たらない。よくよく小屋の中を見渡すと、地面の隅に深い穴が掘られていたのだ。
ピョンすけがいない事を不思議に思って尋ねると、飼育委員のお兄さんがそんな内容の話を簡潔に説明してくれた。そのとき、不意に私は理解した。ああ、彼は死んでしまったのだ、と。
初めて感じた死。それは鈍い刃物となって心に突き刺さった。
あれから六年。それは希望を持つにはあまりに時間が経ちすぎていて、例え脱走して生き延びていたとしてもとうに寿命を迎えてしまっているだろう。なのに、今見ている現実は……。
目を皿のように見開いて硬直していると、不意にピョンすけは私に背を向け、だっと草の合間に消えていってしまった。
「待って、ピョンすけ。行かないでっ」
彼を見失わまいと、必死でその後を追う。草を踏み倒し、手を伸ばしても届かない場所を走っているピョンすけの姿を追い求めながら。
それは長い時間か、もしくは一瞬の出来事だったのか。ふいに高い草が途切れ、ぽっかりと開けた空間に私は飛び出した。
草木もなく、茶色い地面がむき出しになった見通しのよい場所。隠れるようなところもないのに、私の前にいたはずのピョン吉はどこにもいない。
唯一の色味は、中心部に青々と生い茂ったクローバーの群落。その上に、探していたサッカーボールが寂しげに転がっていた。
「……あった、よかった」
ほっとため息をついて、ボールを取るため腰をかがめる。その手が緑の葉に触れたとき、ふわりと柔らかな温もりを感じた。
なめらかで、どこか懐かしい優しい感触。それはまるで、ピョンすけを撫でたときのようで――
……ああ、そうか。ここで、彼は死んだんだ。
何の前触れも無く、六年前のあのときのように私は悟った。ただ、違ったことが一つある。それはじわじわと胸が苦しくなって、目の奥が熱くなってきたこと。
私は地面に跪き、体を丸めてその痛みを耐える。
大きな涙が一粒、土に吸い込まれていった。
Good-by, my lost friend.
お読みいただき、ありがとうございました。
こちらは高校の頃に、当時所属していた文芸部のコラボ企画で、漫画研究部の方に漫画を描いてもらったものの原作です。
とても素敵な作品にしていただき思い入れがあるものだったので、こうして日の目を見ることができて嬉しく思います。
本当にありがとう鯵之ちゃん!!あの漫画は今でも宝物です!!
多少手直しをしたとはいえ、昔書いたものなのでお見苦しい点も多々ありますが、温かい目で見ていただければと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。またどこかでお目にかかる機会がありましたら、どうぞよろしくお願いします。