第八話 ソーマの街
国境の街ソーマは人口二万の港町である。海に面した南側を除く三方に、高さ十五m、厚さ五mの城壁を持つ都市だった。街の東側に城があり、軍人の居住区になっていた。
アレンは街と城を繋ぐ門の近くの一軒屋を国から借りて住むことにした。
アレンの家は石造りの二階建てのこぢんまりした四LDKの四角い家。家具は付いている。
だが、軍人が家族と使用人と住むのには狭い。また、門の近くであり、五月蝿いとの理由で人気がなかった家だった。荷物もほとんどないので、引っ越しは、すぐに終わった。
アレンが引っ越した翌日に、アレンの家を訪ねてくる男性があった。
男性はソーマの街でよく着られる緑色のカフタン(長袖の前開きのガウン)を着て、下にはクリーム色のシャルワール(ゆったりしたズボン)を穿き、銀のバックルがある革のベルトをしていた。
髪は短い黒髪で、短い髭も生やしている。年齢は三十代後半くらいで、彫の深い顔をして、褐色の肌をしていた。
「ここが、賢者のアレン先生のお宅ですかな? 私はこの街で穀物商を営むエルマンです。今日は、お願いがあって来ました。」
(昨日、引っ越して、今日の来客か。これは、事前に俺がこの街に来る情報を知っていた人物だな。身なりも良さそうだし、この街の名士だろうか?)
「私が、ザビーネ様より賢者の称号をいただいたアレンです。よかったら上がっていきますか」
「それでは、失礼します」とエルマンは穏やかな笑みを浮かべて家に上がった。
イリーナが家にいたので、チャイを出してくれた。
チャイを飲みながら、五分ほど他愛もない話題をする。
エルマンが感じの良い顔でお願いする。
「さて、本題に入りましょうか。アレン殿は、皆にはない不思議な力を持っているとか。また、輝く星の如き深遠なる叡智をお持ちだとも、聞いております。そのお力と知恵を、お貸しください」
アレンはエルマンのにこやかな表情を見て心の中で身構える
(こういう風に持ち上げてくる人物って、要注意だぞ)
「どう褒められるようと、所詮は人の身。できることと、できないことがあります。ですが、できるだけの協力はしましょう。して、相談事とは何ですか?」
エルマンが困った顔で告げる。
「実は私の友人にアリという男がおります。アリが私から多額の金を借りたいと申し出ています。アリがきちんと金を返してくれるのか、わからないでしょうか?」
(おかしいな。商売上の知恵なら、エルマンのほうが持っているはず)
アレンは警戒心を隠して訊く。
「返済計画や事業計画の内容の相談ですか?」
エルマンが渋い顔で打ち明ける。
「私もプロの商人なので、両方の計画内容は確認しました。計画には問題ないのですが、アリの事業は運が大きく絡む。成功すれば莫大に儲かるが、失敗すれば大損する」
「私は占い師ではないのですが――」と言葉を濁す。
同時に頭の中で「開け、スキル・ブック」と念じる。
頭の中に渋い男の声が響く。
「どのようなスキルを、お探しですか?」
(金の返済が可能かどうかを知るスキルがあるか)
「スキル『金銭返済可能確率の啓示』『利用計画の予測』『未来視』があります」
(ここは、ぴったりな『金銭返済可能確率の啓示』だろうな。『利用計画の予測』は違う気がするし、『未来視』では役に立たない)
アレンは頭の中で念じる。
「スキル『金銭返済可能確率の啓示』の発動条件について教えてくれ」
【発動条件。対照者の経済状態の把握・禁酒状態・必要アイテム・算盤・女湯での瞑想】
(経済状態の把握と禁酒、それに算盤の入手は、問題ない。だが、女湯での瞑想って、何だ? 俺のスキルって、数が多いけど、時にこういう、わけのわからない条件が来るのが厄介だな)
エルマンが柔和な笑みを湛えて尋ねる。
「どうしました、賢者様? さすがに賢者様でも、これは不可能ですか?」
「そんなことありませんよ。少し考える内容があったものですから。いいでしょう。予測を立ててみましょう。ただ、アリの経済状態に関しては、教えてもらわなければいけないですが」
エルマンがにこにこした顔で約束する
「いいですよ。アリの経済状態に関して、書類をすぐに用意してお持ちしましょう」
「情報なんですが、紙ではなく薄い木の板に印してください。風呂場でも読めるように」
エルマンが怪訝な顔をして確認してくる。
「風呂場で読むんですか? そんな場所で読まなくてもいいでしょう?」
「どこで、何をして結論を出すかについては、任せてもらわないと、この仕事は引き受けられません。俺は自由を尊ぶ賢者です」
エルマンは真面目な顔で、すんなりと条件を飲んだ。
「わかりました。こちらも多額の金が掛った懸案なので、協力をします」
エルマンが帰って行くと、イリーナが関心を示した顔で訊いてくる。
「エルマンからの依頼っすけど、できそうっすか?」
「スキルに『金銭返済可能確率の啓示』とあった。だが、発動条件に『女湯での瞑想』とある。ここさえクリアーすれば、問題ない」
イリーナが疑わしい顔を向けてくる。
「『女湯での瞑想』が発動条件って、とんだエロ・スキルっすね。その発動条件は、本当っすか? ただ、単に御主人が女湯に入りたいだけっすね」
「頭の中を見せるわけにはいかないから、疑うのなら、どうとでも疑え。それより、気になる情報がある。エルマンなる男はどんな人物か、調べてくれ」
イリーナが、あっけらかんとした顔で、流暢に語る。
「調べるまでもないっすよ。この街で一番の金持ちで、穀物商っす。軍にも顔が利き、戦争の度に兵糧を集めて莫大な利益を得ているっす。摂政のヤウズとも繋がりがある御用商人っすよ」
(中央と結びつきがある商人か。戦争を終わらせる協力者として、確保しておきたいところだな)
「なるほど。できれば、お近づきになりたい人物だな」
イリーナが穏やかな顔で教える。
「おそらく、エルマンも、ご主人の実力を知りたいと思っているっすよ。利用できるなら、どこまでも利用する。それが御用商人っす」
「別に、いい。俺だって、エルマンを利用したいと思っている。無害なお友だち関係など望まんよ。時に利用し、時に利用される。それでいい」
イリーナが表情を軽く曇らせる。
「何か、寂しい人間関係っすね。でも、御主人が望むなら、うちが口出しする話ではないっす。女湯の件は、どうするっすか?」
「そんなもの、風呂屋と交渉すればいい。広い風呂に一人で入りたくなった、とか何とか理由をつけて借り切りにする。金さえあれば、早い時間に店を開けさせて、女湯だけを借り切りにできるだろう。スキルの発動条件に一緒に入浴の記述はなかった」
イリーナが明るい顔で唸る。
「なるほど、御主人もちゃんと考えていたっすね。なら、さっそく街中の風呂屋を当って、借り切りに応じてくれる風呂屋を捜してくるっす」
「よろしく、頼むぞ」