思い出の丘
14.12.04 推敲(微細)
14.12.06 推敲(微細)
これが放り出された未来なのか。
俺は懐かしいこの丘の頂上で独りきりで思った。
極北から吹き渡る夏の風が、ぼうぼうと俺を過ぎていく。眼の前に眩しく輝く銀色の海は、遥か水平線の彼方まで何一つ遮るものがない。足もとにはくるぶしを少し越える長さに伸びた若草が、俺の立つ丘の上の穏やかに起伏する一面に、風になびくまだ若い緑色の絨毯のように広がっている。ちらちらする色に目をやると、あちこちに白や薄黄色やコバルトブルーの小さな花が咲いていた。
振り返って見下ろすと、緑の若草の中に様々な彩りの小さな花たちの交ざった斜面の上を、海から吹いてくる気まぐれな風たちが別れたり交差したり合わさったりしながら光輝く波になって、さーっと静かに時々勝手な方向転換をしながら滑るように降りていく。
駆け下りていく緑の光の波たちに弄ばれる小さな楚々とした、あるいは鮮やかな色の花たちは、強い緑の糸のような細い茎の根本を軸として、思いもかけない方向へ激しく振り回されて続けていた。
風の起こした白銀の波は、この頂上から下っていくあるかなしかの道を軽々と渡っていく。俺と友達たちはこの丘の麓と頂上とを導く一本だけの道を何度登り降りしただろう。
陽のよくあたる南側の麓から少し急な斜面を真っ直ぐに登ると、傾斜は緩やかになりながら今は青々と葉を茂らせたソメイヨシノの並木の間へと入って行く。この桜並木は俺の小学校の古い先輩たちが卒業記念に植えたという。春になれば薄緑色の斜面に、満開の桜の木がひとかたまりになって咲き誇り、遠くから眺めると海の青さのなかに緑とピンクの島が浮かんでいる様にも見える。もちろんこの桜並木は俺たちの町で人気の花見スポットになっているから、春になれば俺の家族や近所の友達の家族とも誘いあってこの丘に花見にやって来たものだ。俺たちがいつものようにふざけ合いながら満開の桜のトンネルへ入ると、黒々とした桜の枝越しに見える空は薄いピンク色に霞んでしまっていて、仄かに桜の薫りが漂うその空間はそこであってそこでないような、幻の世界に入り込んでしまったような不思議な気持ちになったものだ。
この桜たちを両側に見ながらその間をゆるく左へ曲がりながら登っていくと、もう蝉がとまって鳴き始めているごつごつとした太い幹とざわざわと騒ぐ木陰の列の終わりに、不意に明暗のくっきりとした影と陽の境界が現れる。そこから一歩外へ出ると、影に慣れた目には、はっきりと明るすぎる空が眩しくて一瞬目の前が真っ白になってしまう。思わず目を瞑りながらしばらく立ち止ってから見上げると、そこからは真っ直ぐ空へと登るような急勾配が続いている。そこを登りきるとようやくこの胸のすくような展望の開けた頂上へと辿り着く。俺たちはだれが一番先にこの頂上に辿り着けるかをいつも競っていた。誰もが一番だった。みんなここから見る雄大な景色とこの風が大好きだった。
俺の家はこの丘の東側にあたる町にあって、そこには俺の幼馴染みたちの家もあり、丘の反対側にある小学校までみんな一緒に通っていた。今見下ろす丘の南側をぐるっと半円状に巡るような通学路を、みんなでふざけ合いながら通ったものだ。
毎日何かがあった。昨日の野球中継であの選手が打ったホームランの角度が最高だったとか、流行のテレビゲームの隠れキャラが恰好悪いだとか、全員が夕方のアニメの主人公に成ってしまって結局ヒーローだけの訳の分からないふざけ合いになったりだとか、そんなたわいもないことたちが子どものころの俺たちには嬉しくて堪らなかった。
時々は些細なことから喧嘩になったりもしたが、誰かが楽しそうに話を盛り上げると、知らず知らずに肩や背中を叩きあったりして、何時の間にか笑いあっていた。
今思うと恥ずかしい位のあのばかばかしさこそが、あのころの遊びの一番大切なことだったような気がする。
幼馴染みのみんなとは、それぞれ別々の高校に行っても時々は集まってはいたが、高校を卒業した後の進路はみんなそれぞれだった。この町に残る者も半数はいたが、残りは離れて行った。俺も東京の大学へ進み、この町を離れて向こうで一人暮らしを始めた。
上京してから三か月が経ち、ようやく夜の明るさや喧噪や電車通学時のラッシュアワーにも慣れて、大学での友人にできそうな奴を何人か見つけたころ、突然にある差し迫った事情により帰省の話が決まった。せめて夏休みまで待ってくれと言いたかったが、文句を言えるような状況ではなく、否応なしに今回の帰省となってしまった。
この丘を下る道を下りて桜並木の間を通り抜けて麓まで下りてしまい、後は左へ道なりに行けば実家の前へ出る。開け放たれているだろう門をくぐり抜けて玄関前に立ち、その引き戸を開ければ、広い玄関には一族の主だった者たちの靴が集まっているだろう。靴を脱ぎ上がれば奥の座敷へ導かれ、そこで俺は全員の前に座ることになる。しばらく歓談の真似事をした後には、おもむろに恐らく大叔父よりある重大な選択を迫られるだろう。俺はその選択のためにここに立ち、迷いを振り切ろうとしている。俺は、今のまま赤家 壮士として生きるか、それとも違う道を選ぶのか。一旦は決めた決意が、この丘の上で海からの風に吹き晒されて、再び激しく揺れて始めていた。
銀色の雨の傘の作中に出てくるグラウス(水無月 恭也)名義の小説でもあります。




