表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

あなたの存在

作者: 佐倉硯
掲載日:2013/08/20

「えっ――」


突然の相談に思わず言葉を失った。

相談というより突然の暴露に、自分はかなりショックを受けていることに気が付く。

なぜショックなんて受けなければならないのかと認めたくはなかったものの、目の前で頬を赤らめて困ったように小さく首を傾げている彼女を見て、俺はその戸惑いを必死に隠して冷静を装った。


「だぁーかぁーらぁっ! ……っ告白されちゃった」


されちゃった……じゃねぇよ馬鹿野郎。

思わずゲームのコントローラー落としちゃったじゃないか。


頬を赤らめながら話す彼女――前原麻美(まえはらあさみ)は家が隣同士のいわゆる幼馴染みという立場だ。

保育所から小、中、高校までずっと一緒の腐れ縁で、だからこそコイツの事は誰よりも知っていると自負している。


人の部屋に入ってくる時は挨拶もないし、それがお互い当たり前。

口が一等悪くて、何もしていないはずなのに顔を合わせる度に喧嘩腰で話してくるから、俺もムッとして言い返し、結局はそのまま怒鳴りあうような喧嘩になることが大半だ。

前日喧嘩していても翌日には謝罪の言葉一つなしに普通に話しかけてくるから、かなり気が抜ける。

あの喧嘩は一体なんだったんだと思えてしまうほど、麻美はあっさりとしてて、むしろ喧嘩したことすら忘れてしまっているのではないかと、彼女の記憶力を毎度疑ってしまうのだが。

喧嘩になる原因なんて、くだらないことや些細なことが多いから、俺もそんな麻美の態度に合わせてしまい、謝るタイミングを失ってしまうから、少しだけ気持ちにわだかまりが残ってしまい、結局謝るのは自分からで、けれど麻美は俺が謝ってようやく「ああ」と思い出すのだ。


なんだかんだ言って、俺は麻美に弱いらしい。


そんな麻美の相談内容に、俺は頭の中で様々考えが駆け巡り、どういった言葉をかけてやったらいいのか考え込んでいると、テレビの中の主人公が雑魚キャラにやられてしまい、ゲームーオーバーの文字が虚しく俺の心境を表してくれた気がした。

俺は冷静を装いながら、コントローラーを自分のあぐらをかいた足の上から拾い、ゲームを再開する。

ゲームをしている場合じゃないだろうと思うけれど、麻美の話を真正面から受け止める勇気がないから、こういう逃げ道は確保しておいたほうがいい


「どこの物好きだよ」


こんな嫌味を言うのがやっとな自分がなさけないけれど、自分の胸にモヤモヤしたものがあって、でもそれがなんだかわからないまま、そのイライラを麻美にぶつけるような形になってしまった。


「何その言い方、ムカつく」


麻美は俺の言葉がよほど気に入らなかったのか、眉を潜めて心なしかムスッとした表情を浮かべる。

その表情は、麻美がよほど腹が立ったときに見せるもので、麻美の心理状況が手に取るように分かったけれど、俺は横目でそれを見ながら馬鹿にした様に笑ってみせた。


「麻美みたいな女好きになるなんて、よっぽど女に飢えてるんだなソイツ」

「違うもん……里見クンはそんなんじゃない……」


その名前を聞いて再びコントローラーを手放す。


里見健太郎(さとみけんたろう)に告られたのか?!」


これは、さすがに俺も驚きを隠せなかった。

麻美は俺の反応が当然だと、予想通りだとでも言いたげに、先ほどの不機嫌な表情から一変しニッと笑って、コクリと頷いてみせた。


里見健太郎と言えば、学年で――否、学校で知らない人間はいないのではないかと言うくらい有名な男で、俺と同じクラスにいるクラスメイトというやつだ。

いつも一人で過ごしていることが多いけれど、決して一匹狼というわけでもない才色兼備な嫌味な同級生。


頭脳明晰、運動神経抜群、容姿端麗と揃いながら、それを鼻にかけることもなく控えめで、硬派で無口なところが女子には人気らしい。

そこまで備わっている男なのに同性に敵ができないのは、それなりに愛想がいいからだ。

真面目な奴だから冗談で告白したりなんかはしないだろう――と言うより、アイツから告白なんて想像ができない。

いつも告白される側の里見は、告白された相手がどんな女だって揺らぐ事なく、断り続けてきた。

あるときは学校一の美少女であっても、どれだけ裕福な家庭に育ったお嬢様でも、里見は全く相手にせず、まさに難攻不落の男だ。

うらやましいくらい贅沢な話だが、そんな里見に想い人がいるらしいと噂だったのはつい先日。

しつこく交際を迫った女子に「好きな人がいるから」と断ったのが噂の発端。

里見ほどの男が惚れる相手なんているわけがないと、彼に想いを寄せる女性達は冗談や嘘と、自分達に都合の良い解釈をしていたらしいのだが、まさかその好きな人が麻美だとはお釈迦様でも気づかなかったことではないのか。


「ね、どーしようか?」


困った表情で、でもうれしそうに麻美が聞いてくる。

どうするって言ったって……コイツは俺にどう答えてほしいのだろうか?

ただの幼馴染みに、そこまで決定権はないのだし、付き合う付き合わないにしても自分自身で決めることだ。

俺が里見と付き合うわけでもないのに、俺が決めるというのは間違っているだろう。

それに麻美とは長い間、幼馴染みではあるけれど、恋愛話は一度もしたことがなかったことを思い出す。

自然と避けていたのか、それとも恋愛話なんて男女の幼馴染み相手では相談役には適さないと分かっていたからなのか、相手の恋沙汰には今まで全く無関心だった。


「お前が決めるべきだろう。俺が何て言おうが、結局最後に決めるのは自分なんだから」


こう返すのが精一杯で、麻美を見ることも出来ずにゲームに集中していると、麻美は「わかった」と小さな声で呟いて、ベランダから自分の部屋に戻っていった。

一体そう答えたとき、麻美はどんな顔をしていたんだろう。


胸がチクッと針に刺されたような痛みを覚え、俺はその痛みの原因を知ろうともせずにコントローラーを投げ出した。



 ◇◆◇



人の噂ってどんな足の速い人でも、どんな交通機関よりも迅速で、瞬く間に広まるものだから恐ろしい。


麻美が里見健太郎と付き合うことになったという話は、俺が相談を受けた翌日には学校中に知れ渡たり、麻美と俺が幼馴染みという立場を知る友人達が、事実を確かめるために俺の元へ慌てて来たのは一人や二人の話ではない。

高校生という自分の年代は恋沙汰に人一倍敏感な年頃で、恋愛に疎い俺が嫌というほどそのことを実感する羽目になるとは思ってもみなかった。


「よっ吉倉! 前原の奴、里見と付き合い始めたって? 振られたんだなお前」


うれしそうに俺に話し掛けてきたのは高校に入ってから仲良くなった悪友の笹木健吾(ささきけんご)だった。

人懐っこい笑顔と明るい性格が特徴にあげられる人物で、彼を動物に例えるならば犬と即答する人が大半だ。

俺から言わせてもらえば、ただの犬ではなく大型の狂犬である気がするのは黙っておくけれど。

ワックスでツンツンに仕立てた明るい茶色に染めた短い髪を、ゆらゆらと穏やかに揺らしながら笑う笹木を横目に、俺は不愉快丸出しの声で言った。


「振られてねぇ、ってか付き合ってもねぇよ」


俺は片肘をつきながら読みもしない雑誌をパラパラとめくる。

自分でも不機嫌なのはわかってる。

でもそれが麻美と里見が付き合いだしたからなんて意地でも認めたくない。

笹木と違って俺の髪は金髪だ。

部活や勉強、私生活でも人並みに多忙な俺は髪を切りに行くという行為をいつも後回しにしてしまうため、いつの間にか普通の男より長くなってしまっている。

そんな長い髪がうっとおしくて邪魔になるから後ろで縛っているけれど、この学校の校則は他の学校と比べると厳しくないというより甘いのではないかと思うほど自由で、だから俺の髪の色や長さを叱る先生はほとんどいない。

行き過ぎた格好をしたらそれはそれで叱られてしまうけれど、ほとんど黙認されているのは“自己責任”だからだ。

笹木の髪型を見ていると、ついつい自分の髪型が気になってしまい、雑誌に視線を落としたまま自分の髪を撫でる仕草をしている俺を、笹木はニヤニヤしながら見つめてきた。


「心、ここにあらずって感じ?」

「はぁ?」

「吉倉、雑誌逆さま」


思わずハッとして雑誌を荒々しく閉じる。

言われるまで気が付かなかった自分のアホさに恥ずかしさがこみ上げてくるものの、指摘されたことに対し、苛立ちを覚えたのも否めない。

まぁ、笹木の言うとおり認めたくはないけれど、ここ数日、麻美が里見と付き合い始めてからは面白くなかった。


麻美は学科が違うから、当然クラスも別になるのだが、学科の専門教科以外、普通教科の教科書なんかは学年共通だ。

理数科や普通科はそれに付け加えていくつか普通教科のものを所持しているらしいが、俺は情報処理科で麻美は会計科だから専門教科が授業の大半を占めている。

けれど普通教科がそれほど重要ではないかと言われてしまえば、答えはNOであるから、麻美が教科書を忘れた時なんか、いつもは俺に頼っていたのに、今じゃ里見に頼りっぱなし。

帰りだって、いつも麻美と二人で帰っていたのに、麻美は里見と手を繋ぎながら、照れくさそうに仲良く帰っていく。

里見、あんな奴だったか?って思うくらい、麻美に優しくて、麻美は女子から羨ましがられていたのも事実だ。

里見健太郎という男は憶測ではあるが、学校一モテる男だから、女子達からの嫉妬ややっかみがあっても可笑しくないのに、今のところ麻美に被害が出たという話はない。

たとえそんなことが裏で起こっていたとしても、麻美には何らかの変化が見られるはずだし、それを幼馴染みの俺が見逃しているとも考えにくい。

つまり、女子達は麻美を里見の彼女と認めているのだろうということだ。


実に面白くない。


「まぁ、でもあいつらお似合いだよなぁ」

「どこが」


突然の笹木の意見に、俺は吐き捨てるような荒々しい返事をする。

自分でも無意識にイライラしていてるらしく、そんな俺をなだめながら笹木は企みある笑みを浮かべて話した。


「まぁ、お前としては、前原は近い存在だったから見えすぎててわかんなかったかも知れないけど、前原ってモテるんだぜ?」

「はぁ? お前何言って――」

「まぁ聞けって。お前は、前原の事わかってるようでわかってねぇんだよ。まわりの男に聞いてみろよ。今まで散々前原と一緒にいたお前を、羨ましがる奴はいなかったか?」


そんな笹木の言葉に俺は思い返してみた。

そう言われると何気ない日常会話にそんな話があったかもしれない。


時々、麻美が俺を訪ねて教室に来ていたのを見て、クラスメイトの男子が麻美を可愛いと言った時があった。

目の前でそんなことを言われた麻美は照れくさそうに笑って、お世辞でもありがとうと笑顔を向けた時の、クラスメイトのだらしない表情と言ったらかなり笑えたのを覚えている。

あの時、クラスメイトがなぜ世辞なんて言ったのかは分からなかったし、麻美もなんでそんな相手にわざわざ笑顔を見せているのだと、麻美の愛想の良さに腹立たしさがこみ上げてきたことも確かにあった。

そんな麻美の表情を見て、他のクラスメイト達がこぞって麻美に可愛いだの付き合ってだの、冗談ぽく言い争っていたのを見て、麻美は困惑したように苦笑いを浮かべるだけだったけれど。


あれはつまり、冗談じゃなかったのか?


人前だから冗談ぽく聞こえていただけであって、本当は本気だったのかもしれないと思うと、今まで感じていた苛立ちとは別の何かが自分の心に生まれ、眉間に寄っていたシワが、ますます深く刻み込まれていく。


「思い当たる節があるだろ?」


黙ってしまった俺に、笹木は様子を見るように覗き込みながら、さらに重ねて言った。


「いつまでも幼馴染み気分でいるから見失うんだぜ。たまには離れてみないと。ま、今回がいい機会だな。もう戻ってこないかもしれないけれど」


楽しそうに話す笹木の言葉が、ズッシリと、重く俺の心に落ちていった。



 ◇◆◇



とにかく麻美と話がしたかった。

特別な話をするでもなく、ただ普通に話がしたかった。


里見と付き合い始めてから、麻美と話す機会がめっきり減った。


毎日のように、向かい合ったお互いの部屋のベランダを渡って俺の部屋へ来ては、麻美にはわかりもしないサッカーの話だとか、難しかった授業の話だとか、面白い先生の話だとかをしていた。

今ではそれもすっかりなくなっていて、家へ帰ってから寝るまでの時間がなんだか長くて、好きなテレビを見ていても物足りなさがあった。

きっとチャンネルを取り合う相手がいないからだ。

そんな他愛もないごくごく日常の中にある交流が、いつのまにか習慣になっていて、それがプツリと途絶えてしまったから。

寂しくないなんて言ってしまえば嘘になって、けれど素直にそう言えないのは麻美が相手だからかもしれない。

自分の弱みを見せると延々とそれをネタにされてしまいそうで、男としてのプライドなのか、多分そう言うものが邪魔していて素直になれないでいる。

それでも今の俺にはそんなことを考える余裕なんてなくなっていて、とにかく部活が終わったら早々に帰宅するつもりでいた。


今日は幸いにも監督が休みだからミーティングなしに部活が終了する。


部活はサッカー部に所属しているけれど、それほど強いチームでもない、毎年ある地区予選で二回戦、三回戦で敗退してしまうような部だ。

体を動かすのは嫌いじゃないし、運動ができたら何でも良かったと言ったらサッカーに失礼かもしれないが、幼い頃に両親がたまたま手に入れた試合のチケットで、本場のサッカーを間近に見た機会があった。

フィールドを縦横無尽に駆け巡る選手達の強い眼差しや、スタンドの熱気ある声援が幼い頃の自分を魅了した。

偶然と年月というものは重なり、自分という人間を形成していき、いつの間にか運動の中でならサッカーが一番好きだというだけの話。

理由なんてそれだけあれば充分だ。


それほど厳しくもない部活を終えて、グラウンドの隅で帰り支度をしていた。

麻美も部活に入っているが、彼女は文化部なので運動部の俺よりも早い帰宅だ。

多分もう家に帰っているだろうと頭の中で考えながら、練習用のユニフォームのまま白いエナメルのバッグを担ぐと、ふと自分の前に一人の女子生徒が現れて俺は足を止めた。


「お疲れ様、吉倉君」

「ああ、お疲れ」


声を掛けられることなんて滅多にない相手だったから、少し驚きながら返答したものの、彼女は笑みを絶やすことなく俺の前に立っている。

同じクラスの清水(しみず)だった。

特に仲がいいというわけでもないが、時々話す程度のクラスメイト。

容姿は平均より少し上ほどで、性格もさっぱりしていて学年の男子生徒に少しだけ人気がある。

俺の場合は育ちが育ちのせいか、女性に対して異性を感じることがほとんどなく、むしろ異性を相手にするのは苦手だ。

早々に帰りたかったのに、こんな風に足止めを食らうとは思っていなかったけれど、自分の目の前から全く動こうとする気配がない彼女に、俺は未だに滲み出る汗を拭うように、頬を自分の肩で拭った。


「お前部活なんだっけ?」

「吹奏楽なんだけど、今日は顧問が居ないから結構暇で、校内うろうろしてたの。そしたらサッカー部終わるの見て、何となく」

「はよ帰れ」

「じゃあ吉倉君、送ってよ」

「なんで?」

「いいじゃん、同じ方向なんだし」

「清水って、どこに住んでたっけ?」

東町(あずまちょう)の方、吉倉君って東西(あずまにし)だったよね」


まあ確かに近いなと考えながら彼女を見ると、彼女はすでに自分のカバンをその手にぶら下げて、俺を上目遣いで見つめてくる。

この手の女は本当に苦手だ。

周囲には結構疎いとか鈍感と言われるが、ここまで露骨に行動されると、気づかないはずかない。

むしろ女のこういった感情には敏感に反応し、あえて期待を持たせないように行動していることが多いのに、それを誰もわかってはくれず、周囲の友人達は鈍い奴だと俺を罵倒するのだ。

ああ、俺のそういうところに気づいている人間が一人だけ居る。

何を隠そう、あの楽天家思考の笹木だ。

馬鹿だし何を考えているのかは分からないような奴だけど、頭の回転と洞察力は人一倍たけている奴だから、俺が意図的にそういう行為をしているということに、即座に気づいたのはあいつだけだ。

そういう面ではアイツのことを凄いと思うし、その分信頼もしている。

決して良い奴とは本人の前で言いたくないから、悪友という位置付けで付き合いを続けているのだが。


とりあえず、早く帰りたいという一心で、どう断りを入れようかと考え込んでいると、ふと校門の前に見慣れた人物の姿が瞳に写り、俺は目の前に居る清水の存在を忘れてそちらを見た。


もう随分前に部活動が終了しているはずの麻美の姿がそこにあったからだ。

麻美は部活動を終えたらすぐに帰宅する習慣があるのは、幼馴染みである自分がよく知っている。

家の門限がそれほど厳しいというわけでもないのだが、何しろ彼女の両親は麻美を溺愛していて、小さなことで心配することが多くある。

麻美には二人の兄が居るのだが、麻美の母親がどうしても女の子が欲しかったらしく、ようやく自分の元に生まれてきた麻美の存在が、息子達よりも大きいのだ。


二人の兄もまた麻美のことを溺愛し、彼女に軽い気持ちで近づいてくる男達を、彼らが陰で一掃していたのも知っている。

箱入り娘と言われても可笑しくないくらい、家族からの溢れんばかりの愛情を受けて育った麻美だが、女らしさというものは一つも持ち合わせていない気がする。

兄達の影響があって、ガサツで男勝りな性格に育ってしまったようだ。


そんな環境を知っているせいか、俺は麻美を異性として意識することは一切なかった。

気兼ねなく話せる兄妹みたいな存在で、喧嘩するほど仲が良いと言われては照れくさいような、それだけの関係だ。


校門の前に立つ麻美は、自分が知らない人物のような立ち振る舞いをしていた。


少しだけ強めに吹く冷たい風に髪をなびかせ、しっかりと背筋を伸ばしてその場に立っている。

一体、なぜこんなところに麻美が居るのだろうと考えていたのだが、その答えはすぐに麻美のもとへ駆けつけた。


ソイツの姿を視界にとらえた瞬間、麻美はあどけない笑顔を向けて、自分よりも遥かに身長の高いソイツを見上げる。

麻美のもとへ早足で駆け寄ったソイツは、他の女子生徒が見たら悩殺してしまうのではないかと思うほど、穏やかな笑みを浮かべて麻美を見下ろしていた。


ああ、そうか……里見が部活を終わるのを待っていたのか。


少し考えれば分かることなのに、なぜ思いつかなかったのかと自分の思考能力の浅さに恥ずかしさを覚える。

それどころか、自分の部活が終わるのを待っていてくれたのではないかと淡い期待を抱いてしまったことが馬鹿らしい。


俺が呆然とその二人の姿を遠巻きに見ていると、俺の正面に立っていた清水がそれに気づいて二人を見つめ、遠方に居る彼らに声をかけた。


「あー、前原さんと里見君!」


余計なことを……思っていると、二人は清水の呼びかけに気が付いてこちらを振り返る。

それほど面識もない清水に声を掛けられた二人は、一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、麻美だけは清水の横に並ぶ俺の姿を見つめ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。


何で――そんな顔するんだよ。


喉の奥まで出掛かっていた言葉を飲み込むと、清水はそんな麻美の変化に気づきもしないで二人にバタバタと歩み寄る。

俺はどうしたらいいのかと一瞬と惑ったのだが、ここで幼馴染みである麻美の存在を無視するなんて、そっちの方が可笑しいだろうと、清水の後を追うように二人に向かって歩みだした。


「今帰りなの?」

「う、うん」


清水の嫌味のない質問に、麻美が戸惑いがちに答えて、恐る恐る里見を見上げる。

里見は穏やかな表情を浮かべながら、自分達に歩み寄ってきた清水に声をかけた。


「清水も、今帰り?」

「うん、そろそろ帰ろうかなって。いいなぁ、二人で帰るの?」

「羨ましい?」

「すっごく」

「あははっ、清水は正直者だな」


なんつーフレンドリーでムカつく話をしているんだお前ら。


そして里見、お前ちょっと爽やか過ぎやしないか?


それほど仲がいいわけでもないのに、気兼ねなくそんな話をできる――失礼な言葉を用いて言うなら、無神経な会話を繰り広げられる二人に脱帽したくなる。

まあ里見と俺と清水は同じクラスの人間だから分からなくもないのだが、麻美と清水に面識はないと思う。


色々ツッコミを入れたいのは山々だったが、あえて言葉をつぐんで清水の背後に立つと、俺は怯えるように萎縮している麻美をあえて見ないまま、静かに清水に声をかけた。


「じゃあ俺、帰るから」

「えー、送っていくって約束は!?」

「誰も、んな約束してねーだろうが」

「夜道危険! 女の子一人で帰らす気!?」

「襲う方だって、襲う相手を選ぶ権利はある」

「ちょっ、もー、ひどーい」


俺がシレッとそう言うと、清水とのやり取りを見ていた麻美が、若干震える声で俺に言った。


「送っていってあげなさいよ」

「……は?」


何でお前にそんなこと言われなきゃならねぇんだよ。


そんな気持ちになって眉を潜めたが、麻美はそんな俺の気持ちの変化を汲み取ることすら拒んだように、視線を合わせないまま続けるように言った。


「世の中物騒になってきたし、自分達が住む場所が本当に安全かって尋ねられたら、即答できる時代じゃないのよ。この時期だとすぐに暗くなるし、本当に危ないんだから」


麻美の言葉に、俺だけじゃない――里見や清水も驚いた表情を浮かべていて、それに麻美が気づいたのはそれからすぐだけれど。

場の雰囲気がおかしい方向に向かっているのを察した麻美は、慌てて里見を見上げて言い訳をしだした。


「あ、えっと、智樹は――」

「知っている。幼馴染みでしょう」


麻美の言葉を遮って、里見が穏やかにそう言うと、今度は麻美が驚いた表情を浮かべてみせる。


「結構有名だよ。前原さんと吉倉が幼馴染みっていうの」

「そ、そうなの?」

「私も知ってたよー」


驚きを隠せない麻美の疑問に、清水が付け加えるように答える。

麻美は俺との関係がこれほど学校の人間に知れ渡っているとは思ってもいなかったらしく、表情を変えないまま俺を見ると、俺は小さく頷いて、里見の言葉を肯定して見せた。


「お前、自分の噂は知らないんだな」

「だって教えてくれなかったじゃない」

「周知だから知っているものだとばかり思ってたよ。何だ、麻美、知らなかったのか」


俺が呆れたように返すと、麻美はその回答が不愉快だったのか、少しだけムッとして俺を睨んでみせる。

どうやら俺の言い方が悪かったらしく、麻美は俺に馬鹿にされたと勘違いしたようだ。

けれど俺はそんな麻美よりも、里見や清水の視線の方が気になって、それを丸々無視すると、後頭部で縛っていた髪を解きながら、清水に言った。


「帰るぞ」

「送ってくれるの?」

「お前が言い出したんだろ」


麻美に言われたから仕方なくとは、口が裂けても言わない。

俺がため息交じりに髪を留めていたゴムを手首に巻いて、縛っていた髪に跡が残らないよう、何度も撫でながらそう言うと、清水はいきなり空いていた俺の腕に抱きついてきて、正直その時はかなりビビった。


「おいっ! ちょっ、離せよ!」

「いいじゃん別に」

「いや……ほら、俺、部活終わってから何もしてないから、汗臭いし」

「気にしないよぉ」


出来れば気にしてくれ。


女が身だしなみを気にするように、男だってそれなりに身だしなみを気にするものだ。

本来ならば直帰して、自宅でシャワーを浴びる予定だったから、本当になにもしていない。

タオルで汗を拭い、一応の名目で制汗スプレーも施したが、思春期の男が流す汗の匂いを隠しきれるわけもなく。


一向に離れようとしない清水に俺は諦め、せめてこれくらいは、と自分の願いを口にした。


「もういいから、体重かけないでくれ。重い」

「女の子にその言葉は禁句だよ」

「あー、はいはい。分かったから」


何を言ってもきいてくれない清水を放置し、俺は里見に振り返ると冷静さを装って言った。


「じゃあ里見、麻美をヨロシク」

「言われなくても」


肩をすくめながら言った里見の態度に、俺は少しだけ苛立ちを感じながらも、それを表には出さないまま、まとわり付く清水と並んで歩き出す。

あえて麻美に声をかけなかったのは、俺なりの配慮。


あんな敵意むき出しの里見と、こんなところでやり合うなんてご免だ。


第一、そんな風に敵意を持たれる筋合いなんてないのに。



 ◇◆◇



清水を送り届けて、ようやく自宅に戻り、汗のべたつきを一刻も早く流したかった俺は、夕食より先に風呂場へ駆け込んだ。

シャワーを浴びてようやくサッパリしたところで、濡れた髪をバスタオルで拭きながら脱衣所から出ると、すでに家族は夕食を済ませてテレビに夢中になっている。

俺が出てきたのを見た母親が、すぐに立ち上がって俺の夕食を準備すると、俺は食卓にある自分の席に座って、家族が二人増えていることに気が付いた。


姫姉(ひめねえ)篤姉(あつねえ)来てたんだ?」


ソファを占領するようにゴロリと横になって、テレビを見つめている女性に俺がそう言うと、彼女はテレビを見たまま気だるそうに答えた。


「居ちゃ悪いの?」

「別にそんなこと言ってねぇだろ。旦那は?」

「出張中」


なるほど、という言葉はあえて口にせずに納得していると、母親が次から次へと料理を食卓に並べ始め、俺は自分の箸を食卓の脇にある箸置きから抜き取ると、即座に料理皿にそれを突っ込む。

振り返った母親が「行儀が悪い」と叱咤するも、俺はそれを無視して料理を口へと運んだ。


「家族全員が揃うのも珍しいわね」


茶碗にご飯を盛りながら母親がそう言うと、俺はそう言えばそうだなと気づかされる。


他の家より姉弟が多い我が家は、地元でも結構有名な一家だ。


末っ子長男姉三人、それが俺の置かされた境遇。


末っ子長男とは俺のことで、つまり俺には三人の姉が居る。


姫姉こと姫乃は、俺との年齢が十歳も離れている長女で、仕事命のキャリアウーマン。

三年前に結婚して家を出て以来、お互いのタイミングが合わず、あまり顔を見ていなかったけれど、相変わらず元気そうでよかった。


先ほどの俺の質問に対し、全く反応を見せずに姫姉の隣でクッションを抱えてテレビを凝視しているのは篤姉(あつねえ)こと、篤美(あつみ)

彼女は姫姉と年子で、吉倉家の次女だ。

社交的で饒舌、お洒落が得意中の得意の姉で、俺も彼女からお洒落というものを学んだ。

若干、無理矢理の部分は否めないが、抵抗すると後が怖いので素直に言うことを聞いている。

篤姉もつい最近結婚したばかりで、家を出た人間だったから、この家にいることは珍しい。


「智樹、テレビの音量、上げてくれない?」

「ん」


料理を口にしたまま短くそう答え、食卓の上にあったテレビのリモコンを操作して音量を上げると、一定の音量に達した瞬間「OK」という言葉を頂き、俺は再びリモコンを置いた。


俺にそう指示したのは吉倉家三女の満姉(みちねえ)こと、(みちる)だ。


俺とは三歳しか年が離れていないせいもあって、満姉が一番話しやすい。

この人は他の姉とは違い、ちょっと変わった思考の持ち主で、唐突に変わった行動をすることが多い、吉倉家の問題児だ。


とりわけ美人でもない、どこにでも居るような一般女性三人が俺の姉達なのだが、腐っても俺の姉。

そう簡単に扱える人間じゃない。


俺を含めて四人の子供を育て上げた母親は本当に凄いと思うし、それを養ってきた父親も尊敬している。

ただ、女家系な手前、俺と父親が萎縮しているのも否めないので、同情を誘っておくとしよう。


ようやく揃った食卓の料理を、俺は部活で空かせた腹を満たすようにガツガツと平らげていると、満姉が「そういえば」と思い出したように顔を上げて俺を見た。


「智樹さ、さっき誰を送ってたの? 知らない女の子と歩いてたでしょ?」


満姉の言葉に、過敏に反応したのは他の家族達だ。


弾けたように顔を上げて、ご飯の盛られた茶碗を片手に硬直している俺を、家族はエサを見つけたハイエナのように目を輝かせて爛々とした表情で見つめてくる。


「……どこで見た?」

「学校から帰ってくる時、アンタが歩いてるのとすれ違ったのよ。最初、麻美ちゃんかと思ってたのに、まったく知らない女の子だったから驚いたわ」


しまった……見られていた。


よりによって家族に、しかも全員揃っている時になんて話題を持ち出すんだと満姉を睨んでみるも、満姉はまったく悪びれる素振りも見せず、俺と一緒に帰宅した清水の正体を聞きだそうと身を乗り出している。

唯一の味方であるはずの父親でさえ、興味深々の表情で俺を遠慮がちに見ているのを知り、俺は食事を続けながらぶっきらぼうに答えた。


「別に、送ってくれって言われたから送っただけ。ただのクラスメイトだよ」

「腕組んでたじゃん」

「あれはアイツが勝手に――」

「なんて破廉恥な。そんな子に育てた覚えはありません!」

「姫姉に育てられた覚えはねぇよ」

「アンタが赤ん坊の時にオムツ替えてあげたの誰だと思ってんの?」

「赤ん坊だから覚えてなかったのよね。私だってお風呂に入れてあげていたのに」

「篤姉……」

「二人が面倒見てくれていたから、お母さん助かっちゃった」


昔を思い出すように母親がケラケラと笑いながら言うものだから、俺はますます萎縮してため息を漏らした。


……だから嫌だったのに。


俺が異性を苦手とする原因は、他でもなくこの家族にある。

年の離れた上二人の姉は、俺が幼い頃よく面倒をみてくれたらしい。

“らしい”というのは篤姉が言った通り、赤ん坊だったころの記憶なんてないからなのだが、それだけが原因じゃない。

俺は少し特殊で、記憶が“六歳”からしかないのだ。


家族はその原因を知っているし、俺自身もその原因を知っている。

けれどそれを口に出さないのは吉倉家暗黙のルールみたいなものになっていて、むやみに過去を引っ張りだすことはない。

こういう冗談を言えるのも家族だからと分かっているのだが、記憶のない頃のことを言われては、俺だって少しだけ傷つく。


そんな俺の気持ちを察してか、満姉は「話が反れている」と話題を変えてくれたのだが、俺の立場が苦しいのには変わりなかった。


「で、誰なのその子」

「だから、本当にクラスメイトだって」

「麻美ちゃんが聞いたらなんていうか」

「何でそこで麻美が出て来るんだよ」


俺がぶっきら棒にそう言うと、家族はやれやれと興味深々の表情から、温かい眼差しに変わって俺を見つめる。


やめてくれ……そんな温かい目で見るな。


何だか居たたまれなくなって、俺は思わず事実を口にした。


「第一、麻美は付き合ってる男いるんだし」

『えぇっ!?』


鼓膜が破けるのではないかと思うくらい、声の揃った悲鳴。

何も三人の姉だけではなく、両親も同じく驚いたらしい――テレビそっちのけで、食事中の俺を囲み始めた。


「何で!? 麻美ちゃん、付き合ってる男いるの!?」

「嘘でしょっ!? だってアレじゃん! (たまき)(ひびき)が何で黙ってるの!?」


環と響って言うのは、麻美の双子の兄だ。

彼らが麻美の周囲から男を一掃していたのは姉達も知っている。

というか、周知だと思うし、それを知らないのは麻美本人だけのような気もするが。


「結構いい奴だよ。頭脳明晰、運動神経抜群、容姿端麗、まさに才色兼備。だから環や響も黙ってんじゃねーの?」


何で俺がアイツのフォローをしなければならないのだと思いながら、口が勝手にそう話し出すと、家族達は呆れた顔を浮かべてそれ以上何も聞かないまま、再びテレビに集中し始める。


一体何だったんだと、こっちが問い詰めたくなったのだが、これ以上この話をする気にもなれず、食事を再開し始めた俺に、満姉がポツリと漏らした。


「智樹さぁ、本当にそれでいいの?」

「は?」

「他の男に麻美ちゃん取られちゃって、本当にそれでいいの?」


いつも冗談やおどけたことしか言わない満姉が、真面目にそう尋ねてきたのを聞いた俺は、箸を休めて静かに考え込む。

いいとか悪いとか、そういうのは俺が決めることじゃないと思う。

麻美には麻美の恋愛があるわけで、幼馴染みという立場の俺が立ち入るのはおかしい話だ。

多分、家族の誰もがわかっていることのはずなのに、何故改めてそんなことを聞いてくるのか分からない。


何も答えようとしない俺に対し、それが答えだと受け取ったのか、満姉はそれ以上なにも言わないまま、他の家族達と同様、テレビに集中した。



 ◇◆◇



食事を終えて、他の家族より一足先に自室へ戻ると、麻美が当たり前のように人のベッドでゴロリと横になり、俺の愛読しているファッション雑誌を眺めていたのを見た瞬間、かなり脱力した。


「あーさーみー」


恨めしいような低い声でそう言うと、麻美は雑誌から顔を上げて俺に言う。


「これの新刊は?」

「明日発売――って、そうじゃなくて、人の部屋に来て、勝手に暖房入れんなよ」

「いいじゃない。智樹が寒い思いをしないよう、部屋もベッドも温めておいたわ」

「いらんことすんなよ」


里見の隣に居た麻美は、別人のように思えたけれど、目の前にいる麻美はいつもと同じで、少しホッとする。

つまらなそうな表情を浮かべる麻美を放置して、俺は机に座って今日出された課題をするために、専門教科の教科書を開いた。

課題っていうのは、一般で言う宿題のことで、俺達の通う高校――神市高等学校かみいちこうとうがっこうではそう言う。

見た目とは裏腹に真面目な奴だとよく言われるのだが、そうしなければならない理由がある。


通称、神高(かみこう)は、前にも言った通り、他の学校よりも校則がかなり緩く、“自由”という校訓を掲げて個性を大切にする高校だ。

それほど偏差値が高いわけでもなく、だからこそ人気のある学校なのだが、入学してからでしか分からないようなことが山ほどあった。


たとえば、校訓を重んじているのは、神高の創設者であり、理事兼校長だけで、他の教員達は納得していないものの、仕方なしに従っているという感じ。


俺みたいに常識はずれの度の越した容姿――金色の長髪、ピアスをしたような生徒なんかは、職員に目を付けられることが多いため、ほとんどの生徒は常識の範囲内でお洒落を楽しんでいる。


俺の場合は“必要あっての金髪”なのだが、ピアスは言い訳の聞かないお洒落アイテムだ。

俺みたいに容姿を派手に着飾る生徒は、教員達に腫れ物のように扱われ、だからこそ努力を要することになる。

それなりに成績を残しさえすれば、教員達は何も言わない。


実際、里見がいい例だ。


アイツは元々持ち合わせていた容姿がかなり目立つ。

身長が馬鹿でかいくせに、細身の筋肉質――男にとってはまるで理想の体型の持ち主だ。

それだけでも充分に目立つのに、里見は短くもサラサラと揺れる髪を青に染めている。

人間、青色の髪を持って生まれてくることなんかありえないから、それは確実に染めているのだと誰もが分かる。

アイツもアイツなりに気を使っているのか、真っ青ってわけではなく、黒みを帯びた青なのだ。

藍色と言った方がいいのか、けれど言葉で表現できないほど複雑な色をしている。


俺達の学年が入学した当初から、里見健太郎はかなり目立っていて、入学式が始まる直前、今は俺達の学年主任をしている教員が、保護者や新入生達を目の前にして、里見に怒鳴り散らしたことがあった。


「いくら我が校の校訓が“自由”だからと言って、入学式早々、髪を染めてくるとはどういうことだっ! 首席で入学したからって許されるわけではない!」


そのとき、髪を派手に染めていたのは決して里見だけではなかった。

俺も同じく“そう”だったし、他にも里見以上に派手な奴だって居た。

叱られる対象になりうるのは里見だけではないはずなのに、学年主任はなぜか里見を選んだのだ。


その理由は考えないでもすぐに分かる。


格好良くて首席で入学、目立つ新入生だった里見が気にくわなかったのだ。


学年主任は、里見とは正反対の三拍子を揃えた男――つまり、デブ・チビ・ハゲが見事なコラボレーションを遂げた中年男。

単純な男としての嫉妬だったのだろう。


周囲を騒がせたその怒鳴り声に、里見は一瞬唖然とし、そんな里見を見て、言い返すことが出来ないと勘違いした学年主任がフンッと鼻を鳴らした時だった。


「でも先生、髪がある内は自由にしたいじゃないですか」


かなり爽やかに、穏やかな笑みを浮かべて淡々と述べた里見の言葉に、周囲は絶句し、保護者達は学年主任の姿を見、堪えながらも結局は吹き出した。


学年主任はワナワナと震え上がり、顔を真っ赤にして握り拳を作る。


他の職員達も保護者同様、笑いを必死に噛みしめていたのだが、校長にいたっては腹を抱え、遠慮なしに悶絶するほど笑っていた。


さすがに首席で入学しただけあって、頭の回転が早い。

恥をかかせたくて怒鳴った学年主任を、たった一言で返り討ちにしてしまった里見は、以来、職員から目を付けられ、生徒達からは英雄のように讃えられた。


そんなエピソードも含め、里見は好成績を守り続け、未だに学年トップの座を誰にも渡したことがない。

まさに有言実行の里見を尊敬するのは、同級生達だけに留まらなくなっていた。


時々、そんな里見が息苦しそうに見えるのは気のせいじゃないと思う。


周囲の期待に応えようとか、そんな律儀な男ではないものの、やはり無意識に投げかけられるプレッシャーに押し潰されそうになっているのが目に見えた。


しかし、誰もそれに気がつかない。


あんなにわかりやすいのに、周囲はまるで気づいているのに気づかない振りをしているようで、アイツの取り巻く環境は居心地が悪い。

同じクラスなのにあまり接点を持たなかったのは、そんな雰囲気に巻き込まれるのをあえて避けていたからだ。


課題を終えた俺は、使っていた教科書類を片付けて、椅子に座ったまま背伸びをした。


「課題、終わった?」

「……ああ、まだ居たのか」

「失礼な」


俺が課題をしている最中、まったく音を立てなかったから、麻美が居たのを忘れていた。


麻美はガサツな奴だが、こういう風な気の回し方は上手だ。


人が集中しているときは決して邪魔をしないよう、物音一つたてずにそこに居て、終わった頃を見計らって声をかけてくれる。


俺が麻美に対して「課題をするから自分の部屋へ帰れ」と言ったことがなく、また麻美も俺に対して「課題するなら部屋に帰るね」と言ったこともない。


部屋の行き来はベランダが向かい合っていて数十センチしかないため、お互い自由にしているのだが、高校生になってからは麻美が俺の部屋に来ることが多くなった。


幼馴染みとはいえ、お互い思春期を迎えた高校生。


中学に比べて、少しだけ大人に近づいた俺達は、目に見えない気恥ずかしさにとらわれて、それが暗黙のルールみたいになっている。


高校生になって一年近くが過ぎようとしている。


あと数日で三年生は卒業し一ヶ月も経たない内に、俺達は新しい学年にあがる。

高校に入学してからまったく麻美の部屋に足を踏み入れていないから、それを考えると麻美との付き合いも長いものだと自分自身、感心せざるを得なかった。


麻美との出会いは、俺達家族がこの家に越してきたのが最初だった。


とあることをきっかけに、地元を離れなければならなかった俺達家族が、永住先に選んだ場所がこの家だ。

当時、俺と麻美は六歳――小学校に上がる年で、互いの両親が同じ年の子供を持っていると知ると、瞬く間に家族ぐるみでの交流が始まった。


こんな状況になると、大抵の親は自分の娘と息子をくっつけたがるのだが、互いの両親が標的にしたのは俺と麻美ではなく、麻美の双子の兄と俺の姉である満姉だった。


麻美の兄貴達は俺より五歳年上で、現在二十一歳。

満姉は現在十九歳で、年齢としてはちょうどいい。


しかし、面白いのはここからだ。


妹を溺愛する、まさにシスコンと呼ぶに相応しい息子達の将来を案じていた麻美の両親だったが、満姉がそれを一刀両断。

バッサリと二人の度の過ぎた愛情表現を叱咤し、以来、双子の兄は麻美への態度を改め、年下の満姉に頭が上がらなくなっていた。


惚れた惚れていないは別としても、麻美の両親は大層、満姉を気に入り、是非嫁にと俺の両親に懇願した。

俺の両親としては、突拍子もない発言と、常識では考えられない思考の持ち主である満姉の将来を案じていたため、願ったり叶ったりだ。


当人達の互いの気持ちなど丸々無視しての縁談話は、現在も有効だ。


俺からしてみれば標的が自分でないだけありがたいのだが、満姉や麻美の兄達にその気が全くないので、少し同情する。


そういう経緯があって、俺と麻美は何の問題もなく、着々と幼馴染みという立場を確立した。


それからもう十年、さすがに長いなと思い、あの幼い頃の面影を少しだけ残した麻美の成長に、少しだけ戸惑いを覚えたのも事実だ。


ふと、麻美を見ると、相変わらずベッドに寝ころんで、俺の枕を抱えながら、暇そうに寝返りを打っている。


部活をしているときは、あんなに話したいと思っていた麻美が目の前に居るのに、いざとなったら話題が浮かばない自分のボキャブラリーの少なさを叱咤したくなった。


「あの後、さ……どうなったの?」


突然、麻美が天井を睨みながらそう尋ねてきたのを聞いて、俺は何のことを問われているのか分からず、素直に聞き返した。


「あの後って?」

「いや、だから彼女――清水さんだっけ? ちゃんと送り届けたの?」


麻美の質問内容がようやく理解できた俺は、「ああ」と思い出したように呟いて、淡々と言った。


「まぁ、普通に送り届けたけど」


俺の答えに、麻美は少しだけ戸惑いを見せ「そっか……」と呟いて、枕に顔を埋める。

麻美の様子を見ながら、小さくため息をついた俺は、立ち上がって麻美の寝ころぶベッドに腰掛けた。


「お前は? 里見とは順調そうじゃん」


何気なく聞いたつもりだったのに、自分の発言に対して何故かモヤモヤとした気持ちが浮上してきたのだが、俺は自分に気のせいだと言い聞かせて、冷静を装う。


すると麻美は予想に反して黙り込むと、いきなり恥じらいを見せるように頬を紅潮させてポツリと呟いた。


「その……ね、……キスされちゃった」


頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


いや、何で俺はそれを聞いてショックを受けているんだ?

そもそもその反応自体間違っているじゃないか。


考えは自分が思っていたよりも冷静だったのだが、戸惑いや驚きは自分の範疇を越えるほど大きくて、素直に表面に出してしまう。


「マジ……で?」


冷静に聞いたつもりだったのに、声が震えてしまったのだが、麻美はそれを分かっていないのか、恥ずかしそうに小さく頷くだけで、俺を見ようとはしなかった。


聞くんじゃなかったなんて後悔は、本当に今更で、何故こんなにも自分が戸惑っているのか分からない。


俺は俺で、女と付き合ったことは何度もあった。


どの女も長続きはしなかったが、それなりに恋人らしいことはしてきた。


ファーストキスだって随分昔に済ませているし、デートも数え切れないほどしている。


ただ、体の関係だけは絶対に持たないようにしていたのは、あの姉達に厳しく教育されていたから。


性欲を満たすためだけなら女を抱くなと言われ続けてきた。


俺にだって性欲はあるし、いくら異性が苦手でも、女性の体に興味がないわけではない。


けれど、俺が付き合った女は皆、告白してきた相手で、体の関係に至るまで好きだと思える相手ではなかったのだ。

最後に泣くのは女の方だと、昔から口酸っぱく言われてきたから、俺なりの配慮だったのだが、いつまでも行為に踏み切らない俺を奥手と勘違いし、甲斐性なしというレッテルを投げつけて、女達から別れを告げられる。


俺にとってはそれが当たり前になっていたから、気にしていなかったのだが、麻美は俺と違って、異性と付き合うのは里見が初めてだ。


俺の記憶が確かで、麻美が俺に隠していない限りはそれが事実。


だから戸惑うのかもしれないと思ったが、その答えを素直に受け止めても、心の中のわだかまりは残ったままだった。


なんて言ったらいいのか分からなかった。


俺も頻繁に付き合っている女の話を麻美にしていたけれど、麻美も同じような気持ちで聞いていたのだろうか。

そんな複雑な感情から逃げるように、俺は麻美を見ないまま小さく呟いた。


「よかったじゃねぇか。貰い手が見つかって」


冗談で返すことでしか、自分の戸惑いを隠せない器の小ささに呆れてしまう。

麻美は俺の言葉を聞いて、顔を上げて反応すると、――あの時と同じように、今にも泣き出しそうな表情で俺を見つめた。


「智樹は――何とも思わないの?」

「……え?」

「智樹は何とも思わないの? それが本心?」

「何言って――」

「私、バカみたい。変な期待して、やっぱり無駄だった」


次第に口調を強め始めた麻美の言葉に、俺は戸惑うしかなく遠慮がちに麻美を見つめる。


「麻美?」

「智樹っていつもそう。相手を傷つけないように気づかない振りをしてるけど、結局は自分が傷つかないように逃げているだけじゃないっ!」


言い捨てるように、吐き出すようにそう叫んだ麻美は、抱えていた枕を力一杯、俺に向かって投げつけた。


「卑怯よ! そうやっていつまでも自分の気持ちすら誤魔化して! 私の気持ちに気づかない振りをしてる! 私が分からないとでも思ってるの?! 何年アンタの幼馴染みしていると思ってるのよっ!」

「麻美、落ち着け」

「冷静にならないでよっ! ……私が惨めじゃないっ!」


枕を投げて、武器をなくしてしまった麻美が悲痛に満ちた声をあげて、なおも俺に殴りかかろうとしてくる。


咄嗟だったけれど、俺は麻美の振り上げた手首をつかみ、自分の元へ引き寄せて、抵抗しないように抱きしめた。


「ごめん」

「っ――!」

「ごめんな……」


自分でも何に対しての謝罪か分からなかった。

麻美は俺に抱きしめられたことに戸惑い、驚きのあまり言葉を失ったようだが、現状を受け入れたらしく、抵抗することはない。


久しぶりに触れた麻美の温もりは新鮮で、昔とは全然違う麻美の体格に、俺は初めて麻美に対して異性を意識した。


男の自分とは似ても似つかぬ華奢な体。

力を入れてたら折れてしまうのではないかと思えるほど小さな温もり。

柔らかな肌も、耳元にかかる麻美の吐息も、理性をなくしてしまうほど魅力に溢れていて、自分の中の雄の部分が素直に反応してしまう。


俺は人よりそういう感情に敏感だ。


だから気づかないはずがなかった。


麻美が俺に対してどんな感情を抱いているのか、俺自身が麻美にどんな感情を抱いているのかも。

けれど、俺はずっと気づかない振りをし続けていた。


――怖かったんだ。


幼馴染みとしての立場を失いたくなくて、自分の気持ちに嘘を重ねてきた。

麻美が言うとおり、俺は卑怯だった。

何かが変わってしまうなら、このままでいいと願い、逃げていた。

幼馴染みという存在を失うことが怖くて、向き合おうとせず、結果、それが麻美を傷つけていた。


それでも――俺は麻美に自分の気持ちを伝えることが出来なかった。

変わる勇気のない俺は、また逃げている。


気持ちを口にするのがこんなにも恐ろしいだなんて思わなかった。


でも、これだけは知ってほしい。


麻美――俺は、お前を失うのが怖いんだ。


何も話さないまま、抱き合って数秒。

それは随分長い時間に感じられたのだが、現実と感覚が一致した試しはほとんどない。


俺の腕の中で静かに涙を流す麻美を、俺は静かに盗み見た。


「泣くな……、俺はお前に泣かれるのが一番苦手だ」


困ったように笑いながら麻美の頬を伝う涙を拭うと、麻美は鼻をスンッと鳴らしながら、睨むように俺を見上げる。


「泣かせたのは誰よ」


相変わらずの憎まれ口が存在したのを確認すると、何だか急に安心して、思わず笑い声をこぼした。


刹那――、麻美の顔が近づいたかと思うと、唇に柔らかなものが触れる。


突然のことに俺は目を見開いたが、途端に、歯止めを利かせていた理性が吹っ飛んで、麻美をベッドに押し倒すと、深く刻み込むように麻美の唇にキスをした。

何度も角度を変えて麻美のすべてを欲するように、キスの嵐を麻美に捧げる。

次第に深くなっていく行為に対し、麻美は抵抗をするどころか、俺の首に両手を巻き付けて、キスをせがむ。


可愛い……麻美、麻美、麻美、麻美、麻美……。


舌を絡め、息も出来ないほど繰り返される唇への愛撫。


感情がむき出しになり、恥を捨て、幼馴染みという立場さえ考えられなくなっていた俺がようやく我に返ると、即座に麻美の上から飛び退いて、麻美を直視することができず、片手で目元を覆った。


「悪い……」


俺が謝ったのを聞いた麻美は、しばらく呆然としていたが、立ち上がるとベランダに向かって歩き出す。


「このヘタレ!」


そんな捨て台詞を残して、自分の部屋に戻ってしまった麻美の後ろ姿を見つめ、カーテンが閉められた麻美の部屋を凝視しながら、俺は思わず苦笑した。


「まったくだ……」



 ◇◆◇



翌日、いつも通り学校に通学した俺は、昨夜起こった出来事に頭を抱えて悩んでいた。


やっぱりアレはまずかった。


いくら互いの気持ちを知っているとは言え、気持ちを伝えていない。

それどころか、麻美は里見と付き合っていて、下手をすると浮気だと罵られる。


自分のせいで麻美が悪く言われるのは困る。


たとえ事実が周囲にばれたとして、里見が麻美を責め立てるような器の小さい男でないことは確かだ。

問題は周囲の反応で、仮にも里見は学校一モテる男だ。

麻美を妬む奴もいるだろうに、麻美が二股をかけたなんて噂が広まってみろ――袋叩きにあってもおかしくはない。


二人きりで犯してしまった行為だから、自分や麻美が口にしなければ問題はないのだが、やはり罪悪感は拭い切れるものではなくて。


「吉倉」


ふと、声をかけられて顔を上げると、そこには笹木が立っていた。

いつもはふざけた態度をとっているのに、目の前にいる笹木は神妙な面もちをしていて、逆に不気味だ。

昼休み中ということもあって、隣のクラスである笹木がここにいることを誰も気にとめていなかったのだが、俺は笹木の異様な態度に眉をひそめた。


「何だよ?」


俺がようやく聞き返すと、笹木は少し躊躇してあたりを見渡し、かがみ込んで俺に近づくと、周りに聞こえないよう、小さな声で話し始めた。


「俺のクラスの奴らが噂していたんだけど、昨日、里見と前原が一緒にいるの見たって」

「それくらい当然だろ。付き合って――」

「それだけじゃないんだって。なんか、話によると嫌がる前原に、里見が無理矢理キスしてたって話だぜ?」

「――何だって?」


俺は一瞬、耳を疑った。


昨日、その事実は確かに麻美の口から聞いたが、今聞いた話と随分異なっている。

気恥ずかしそうに麻美が暴露していたから、てっきり合意の上で行為に至ったものだとばかり思っていたのに。

しかし、麻美がその事実を俺に知られたくなくて、自分の都合のいいように話をねじ曲げて語ったのなら、納得もいく。

それより驚いたのは、誰に対しても紳士的で優しい里見が、そんな強引なことをするだなんて信じられなかった。


何で、麻美を傷つけるような真似するんだよっ!


一気に血の気が上がり、俺は笹木の胸ぐらを掴んで、怒りを露わにした表情で尋ねる。


「校内で泣き叫んでもバレない場所ってどこだ?」

「えっ――と、放送室とか? あそこ、防音だし、人目に付かないけど」

「ちなみに里見の居場所、知ってるか」

「職員室前で女子生徒に捕まってたの見たなぁ」

「行ってくる」


俺は笹木を突き放すように胸ぐらから手を離し、一目散に里見を探しに出ると、残された笹木は乱れた制服を直しつつ、小さくせき込むと、ニヤリとほくそ笑みながら、小さく呟いた。


「俺、俳優に向いてるかも」



 ◇◆◇



職員室前で女の群の中、愛想笑いを浮かべている里見を無理矢理ひっぱって、放送室に押し込めたのは、笹木からの報告を受けて数分もしない間の作業だった。


突然俺が無理矢理呼び出したにも関わらず、里見が素直に応じてついてきた時には心底腹が立った。


放送室の思い鉄の扉を閉め、里見は初めて放送室に入ったらしく、あたりを物珍しそうに見渡しながら、マイクの目の前にある椅子に腰掛ける。


回転の効く椅子で、座ったまま俺に振り返った里見が、「それで?」と切り出した。


「回りくどいのは嫌いだから単刀直入に聞く。お前、麻美に無理矢理キスしたって本当か?」


相当怒りを含んだ言葉で尋ねたにも関わらず、里見は俺の質問を聞くと「そのことか」とあっさり認めてしまった。


「それで、何で吉倉がそこに出てくるわけ?」

「麻美と幼馴染みなのはお前も知ってるよな。別に誰と付き合っても麻美が選んだ奴なら文句は言えない。けど、アイツを傷つけるような真似をする奴だけは認めない」

「へぇ、前原と付き合うのには吉倉の審査が必要なんだ?」

「そういうことを言っている訳じゃねぇだろっ!」


淡々と冷静に毒を吐く里見に、俺は次第に冷静さを失って怒鳴りながら里見を睨む。

そんな俺の態度が気にくわなかったのか、里見は目を細めて冷たい視線を投げかけた。


「それって所詮、お前の自己満足だろ? 当人達の問題に、お前が入ってくること自体おかしいじゃないか」


里見の言葉が余りにも的確で、俺はぐっと溢れ出そうになる感情を飲み込んだ。


本当はわかっている。


自分がどれだけ理不尽なことを言っているのか。


けれど言わなければ気が済まない――それはまさしく自己満足で、八つ当たりに近いもの。


ただ純粋に麻美を守りたい。


麻美がどんな男と付き合っても関係ない、ただ彼女の幸せを願うことしかできないから。


「ああ、そうか。吉倉って、前原のこと好きなんだ?」


突然投げかけられた疑問に、俺は一瞬驚いた。


けれどまっすぐ自分に挑んでくる里見を見ていると、自分もそれに答えなければ男じゃない。


「ああ、そうだよ」


俺がはっきりと肯定すると、今度は里見の反撃が始まった。


「自分の気持ちも伝えないで、彼女の相手である俺に八つ当たり? どれだけ器が小さいんだよお前。それってただの弱虫じゃないか」

「自分の気持ちなんて後回しにしたって、守りたいんだよアイツを」

「吉倉は、一体何から前原を守りたいの?」


俺の答えに里見がすかさず尋ねてきたのを聞いた俺は、一瞬躊躇したものの、今まで誰にも言えなかった不安をぶちまけた。


「アイツと俺はただの幼馴染みってわけじゃない、家族ぐるみでの付き合いがある。もし、仮にうまくいって付き合うとしても、何かのきっかけで別れてみろ。居心地が悪くなって麻美が傷つく。俺だけじゃないんだよ。麻美は俺の姉弟とも仲がいい。俺のせいで麻美が俺の家族とギスギスした関係になるのが嫌なんだよ……」


初めて漏らした不安は、すんなりと口から滑り出た。


ずっと幼馴染みでいようと決めたのはそういうこと。

だからせめて幸せになってほしいと思う俺のワガママを、押しつけているだけ。


俺の言葉を聞いた里見は、ため息を漏らして静かに語り出した。


「そうやって最初から諦めてるんだ。前原を幸せにする自信がないから逃げてるだけ。志は立派だよ。けど、女を幸せに出来ないのは男として失格。前原が本当に望んでいる関係に、お前は気づいているはずだろ。だから言うんだ、お前は弱虫って」


まったく、その通りだ。


結局俺は、自分を守ることに精一杯になっていて、弱い自分を認めることが出来なくて、悪足掻きをしていただけなのだ。


正面からぶつかることを怖れ、家族を言い訳にしてきた。


自信なんてこれっぽっちも持ち合わせていなかった。


喧嘩するのが当たり前で、麻美が居るのが当たり前、そこに変化が生まれるのが恐ろしくてたまらない。


里見のしたことはやはり許せないけれど、一番許されないことをしていたのは他でもない自分自身。


優しさを強さとはき違えて、一歩引くことで自分の立場を守ろうとしていたんだ。


何も言えなくなった俺に対し、里見はもう一度ため息をもらすと、いきなりマイクに向かって話し出した。


「そういうわけで全校諸君、昼休みの貴重な時間、静聴していただいて感謝します」

「……なん?」

「ここで吉倉君に種明かし」


そう言って里見はもう一度俺に振り返ると、ケロッとした表情でとんでもないことを言ってくれた。


「今の会話、全校放送で流してみました」

「はぁっ?!」


種明かしにも度が過ぎる。

突然の暴露に俺が絶句していると、里見は続けるように言った。


「吉倉、単純でよかったよ。言い訳しておくけど、俺が前原にキスしたのは合意の上。お前が笹木から聞いたのは嘘。好きな女に嫌な思いをさせたくないのは俺も同じだし。実はその後、俺振られてんだよね前原に。告白した当初から好きな人がいるって聞いていたし、それを承知で強引に付き合ってくれって言ったけど、結局駄目だったみたい。まぁ全校生徒の前で告白したようなもんだから、すでに度胸はついたんじゃない? キスしたことに関してはそれくらい許してよね。付き合ってたんだし、こんな形でも協力してやってんだから」


淡々と語る里見を呆然と見つめるしかない俺。


って事は何? 俺、ハメられたの?


ブチンッと自分の中で何かが切れて、さっきよりも大きくなった怒りを、俺は里見の横からマイクに口をかざすと、大声で怒鳴った。


「笹木! てめぇ! 後で覚えてろ!」

「負け犬の遠吠えのようだ」

「黙れ里見!!」


半泣きになって抗議するも、効力はまったくなく、里見はさっぱりとした表情を見せてにっこりと悪意に満ちた笑顔を向けると、マイクを切って俺に言う。


「早く前原の所に行けよヘタレ。また逃げられるぞ」

「っ、言われなくても!」


殴りたいけど殴れない。

最初はどんなに泣きわめいたって半殺しにしてやろうとすら思っていたけれど、結局助けられることになってしまった。

悔しさを押し込めて放送室を飛び出すと、その界隈に居た生徒達がニヤニヤと俺を見ていたから、俺は思わず言ってやった。


「男は度胸」


途端、爆笑と賞賛、沢山の応援の渦が俺に捧げられる。

放送を聞いていた先生までもが俺を冷やかすけれど、ここまで恥をかいたら恐れるものは何もない。

いくつもの声援を背に、俺は麻美の元へと駆けだした。



 ◇◆◇



静まりかえった放送室の中、自分なりの復讐を終えた里見が、静かに息を吐いた。


「おっつかれー」


そんな重苦しい雰囲気を打ち破るように現れたのは、陰の功労者である笹木だ。

笹木の屈託ない笑顔を見た里見が苦笑いを浮かべると、笹木は静かに里見に歩み寄って肩を軽く叩いた。


「男前だったよ里見」

「当たり前。自分の株上げとかなきゃ、何の為にこんな面倒なことしたのかわからないじゃないか」


様子とは裏腹に、憎まれ口を叩く里見の言葉に笹木は苦笑するも、すぐに真顔になって里見に言った。


「前原じゃなくてもいいなら、俺、付き合ってあげるよ?」

「冗談。こっちから願い下げだよ。それに……しばらく恋愛はいいや」


里見が切なげに呟いたのを聞いて、笹木は居たたまれず目を細めて同情する。


里見なりに本気の恋愛だったのだ。


告白されたことはあっても、告白したのは初めてだったのだろう。

異性と付き合うことすら初めてだったのに、結局こんな形で終わってしまった。

付き合っている内に、自分に振り向いてもらえるだろうと思っていた、浅はかな思考が身を滅ぼした。


自分の好きな相手が、全てをかね揃えていたはずの自分より、別の人間を選択したことに、深くプライドが傷ついたのだ。

それなりにプライドがある自分。

そんな自分が初めて好きになった相手。

いい意味で自分のプライドをねじ曲げてくれたような気がした。


「とりあえずさ、しばらくは吉倉をからかおう」


笹木がニンマリと企みある笑顔を浮かべたのを見て、里見は同じように笑い呟いた。


「だな」



 ◇◆◇



「麻美っ!」


階段を駆け上がり、麻美が居るはずの教室を覗くと、そこに麻美の姿はなく、生温かい目で俺を見つめる同級生達の眼差しを受けたのだが、俺はそれを無視して、麻美と仲がいい女子生徒に勢いで尋ねた。


「麻美は?!」

「逃げたわよ」

「押さえといてくれよっ」

「無理よ。あんな青春満載の大告白を受けたのに、麻美じゃなくても逃げ出すに決まってるって。でも鞄持って行かなかったから、多分まだ校舎のどこかに居るはずよ」

「サンキュ」

「頑張ってねー」

「激励感謝」


俺は大ざっぱに返答すると、周囲のざわめきを無視して再び走り出す。


麻美の行きそうな場所なんて学校内に絞られたなら限られてくる。


幼馴染みをなめんなよっ!



 ◇◆◇



いくつか思い当たる場所を探したがどこも空振りで、俺は額に浮かぶ汗を拭いながら必死に次の捜索場所を脳内検索していた。


麻美もあれでいて結構頭がいいし、昔からかくれんぼは得意な奴だ。

そのかわり逃げ足は遅いから、鬼ごっこは苦手。

見つければこっちのもんだとわかっている手前、午後の授業が始まっても、俺は探すのを諦めなかった。


残す場所はあと一つ。


多分、“あの人”ならこの状況を楽しんで、授業をサボっている俺や麻美を叱るどころか、協力してくれるはずだ。

そんなことを考えながら、俺は目的地にたどり着くと、閉ざされた扉を静かにノックした。


「はい、どうぞ」


扉の向こうからくぐもった声が聞こえ、俺はゆっくりと扉を開ける。


「失礼します」

「やぁ、いらっしゃい」


俺を出迎えてくれたのは地味めに派手な矛盾した校長先生だった。

校長だというのに、この学校指定の体操服――つまりジャージを着ていて、その顔にはピンク色のハート型フレームのサングラスをかけている。


まるで最初から俺が来るのを分かっていたように、穏やかに微笑む女性に、俺は肩で息をしながら尋ねた。


「居ますよね」

「うん、それはどうかな。自分で確かめてみる?」


自分の席に座りながら、試すような物言いに、俺は苦笑して歩み寄り、立派な机の向こうを覗き込むように爪先立ちをする。


校長の座る黒くて重い色をした椅子の隣で、机の陰に隠れるように身を屈めていた女子生徒の姿を見つけた。


「見つけた」


安堵しながらそう言うと、校長はニコニコと嫌味のない笑みを浮かべながら立ち上がり、静かに告げる。


「校舎内であることと、授業中であること、この二点を忘れないよう節度ある行動をとるように」

「はい」


校長は最低限の注意だけを述べると、静かに席を外してくれた。

麻美と俺以外に校長室の中に人気はない。


もう見つかっていると分かっているはずなのに、ピクリとも動こうとしない麻美に、俺は机の前から回り込んで、静かにしゃがみ込んだ。


「麻美」


俺が声をかけると、麻美はようやく反応し、ゆっくりと顔を上げ、真っ赤な顔で今にも泣き出しそうな表情で俺を見る。


「もう……恥ずかしくて死んじゃいたい。明日からどんな顔して学校に来たらいいのよっ」

「不可抗力だって。俺も知らなかったんだし」

「だからってあんなっ――! もう知らないっ! 智樹なんて大嫌いっ」


勢いで泣き出してしまった麻美を目の前に、俺はどうしようもなくなってがっくりとうなだれた。


「もー……本当、お願いだから泣かないでくれよ。泣かせたくて、あんなことになったわけじゃないんだから」


全面的に自分が悪いのは分かっているが、やはり目の前で好きな女に泣かれるのは辛すぎる。


俺は顔を上げて、ボロボロと流れる麻美の涙を、賢明にワイシャツの袖で拭うが追いつかない。

涙を拭うことを諦めた俺は、麻美の頬を両手で包み込むように触れ、自分に視線を向けさせて言った。


「俺さ……麻美に言ってないことがあるんだ」


そう切り出した時、麻美は一瞬不安そうな表情を浮かべたのだが、俺はそれ以上怖くて事実を話すことができなかった。


それは告白以上に辛い話。


自分の身の上に起きた幼い頃の事件。

消し去るために生まれ故郷を離れて、家族でこの土地に越してきた。


今は言えない。


まだ言うべきでない。


本当は俺が“六歳からの記憶しかない”のではなく、“生まれた時にはすでに六歳だった”ということ。


きっと嫌われてしまう。


せっかく手に入りそうな麻美を、失いたくないから。


「まだ今は言えない。言う時期じゃない。けれど必ず話すから……。隠しごとをしているような俺だけど、お前や里見が言うように、俺はヘタレでどうしようもない男だけど」


言葉を詰まらせると、麻美はいつの間にか泣きやんで、真剣な表情で俺を見つめている。


「好きだ」


このたった一言を言うだけで、随分と時間を要してしまった。

自分が一体いつから麻美のことを好きだったかなんて分からない。

いつの間にか麻美の存在が当たり前になっていて、いつの間にか好きになっていた。


それだけじゃあ理由が不足しているかもされないけれど、今の俺にはそんな理由がどうでもよくなるほど、麻美を好きだと言う自信がある。


本当は叫びたいほど何度も言いたいけれど、校長の言いつけは守らなければならないから、それはまた次の機会に。


こんなに緊張して、心臓が飛び出るんじゃないかと心配するほど激しい心音。


俺の短い告白に、麻美は数年間秘めていた俺への感情をめい一杯詰め込んだ笑顔で、小さく頷いてくれた。


天の邪鬼でガサツな女だけれど、照れくさそうに素直な感情を表に出してくれる麻美は、これでもかというほど可愛かった。


「私も好きよ」


麻美の言葉を合図にして、俺は静かに唇を重ねた。





*後書き*


久しぶりに書いたthree knightの話は新鮮で、かなり楽しんで改訂版を執筆させていただきました。

あなたの存在はthree knight誕生秘話みたいなもので、かなりの思い入れがあるため、すごく大切に書かせてもらえたと思います。

改訂前と比べ、かなりの加筆をしましたが、全体的な雰囲気はまとまったかなと。

同著者執筆作品、揺れる眸では智樹達のその後を少しだけ垣間見せましたが、話をここで暴露しますと、佐倉が執筆する作品の中で、もっとも過酷で残酷な話になるため、とある場所で数時間公開後、抹消し、今まで日の目を見ることはありませんでした。

しかし今回の作品で、続編を垣間見せてみました。

内容を少しだけ変え、いつか執筆できたらいいなぁという気持ちからの加筆です。

いつになるかは分かりませんが、智樹の過去を書きたいなと思っています。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


2008.5.7改訂版執筆了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ