ぬれ落ち葉
雨上がりの庭で康平は、竹箒を握っていた。
ぬれ落ち葉、かつて定年後の男を無様に揶揄したその
言葉がまさか自分にまで貼り付く日が来るとは思っても
みなかった。
妻の佳子は、朝からパッチワーク教室へ出掛けている。
玄関先で「お昼は、適当に済ませてね」と背中越しに
放たれた声は、見えない羽が生えたように軽やかだ。
康平は、40年勤めた中堅企業を去ってから自分の
輪郭が酷く曖昧になったのではと毎朝鏡とにらめっ
こするのが日課になってる事に気が付いた。名刺と
いう社会へのスイッチを失った途端に世界にどう
係留してよいのか皆目分からなくなったのだ。
さっ、さっ、さっ。力任せに竹箒ではらう。しかし
昨夜の冷雨をたっぷりと含んだ落ち葉は、アスファ
ルトに黒ぐろとへばり付き、箒の先をヌルリとすり
抜けていく。無理に掃き集めようとすると、今度は
箒の細かい枝に執拗に絡みつき、鬱陶しい塊となっ
て康平の手を重くした。
なんか俺みたいだな。
自嘲気味にこぼした声は湿った空気に瞬く間に吸い
込まれ誰の耳にも届かない。
現役時代彼は、佳子にとって間違いなく頼れる大黒
柱であった筈だ。だが今、1日中リビングに陣取り
テレビのニュースを眺めて過ごすだけの自分は、妻
の確立された生活の動線を塞ぐただの障害物でしか
ない。妻が淹れる珈琲の薫りを待つだけの時間は、
ひどく長くそして息苦しかった。
ふと、箒の先から剥がれ落ちた1枚の葉を素手で
拾いあげてみた。泥にまみれてるがまだ葉脈は、
微かに生命の意地を残し濡れているからこそ朽ち
る前の鮮やかな赤褐色を放っている。乾いて粉々
に砕け散る前の最後の執念。
康平は、箒に張り付いた葉を丁寧に指で剥がし、
そっと土の上へ戻した。
しがみつくならアスファルトでも箒の先でも、妻
の背中でもなく、もう一度自分自身の新しい庭を
見つけなければならない。
風が吹き抜け、雲の間から冷たい秋の陽光が射し
込んだ。足元の水たまりが微かに光を反射してい
る。康平は、泥のついた手をスウェットのズボン
で無造作に拭い、箒を壁に立て掛けた。
とりあえず1人で昼飯を食いに出掛けよう。
ゆっくりと佳子の居ない静かな家の中へ財布を取
りに向かう足は、数分前よりも少しだけ軽やかだ
った。
今日の新聞で見つけたぬれ落ち葉文字からインスパイアされて産まれた短編です。




