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手記

作者: Janpon
掲載日:2026/04/15

 部屋の整理をしていたら、懐かしい字が目に入った。手記だ。手記と言ってもノートに書いた日記のようなものだが、日付はない。その時その時思いついたことを書き綴ったようなものだ。流れゆく時間の中のわずかな残滓のように、少しだけ熱を帯びた手記。短い文の羅列。

 この書き主には申し訳ないが、少しだけ公開させていただこうと思う。


 手記


 満員電車が嫌でスクーター通勤をしているが、妻はそれがベスパという存在だと知らない。スクーターはスクーターなんだろう。二段階右折しなくていいスクーター。調べればわかるが、調べるほどに興味はない。それでいい。通勤の足である内はコイツとおさらばしなくていい。



 ピート・タウンゼントのようにやれはしないが、ポール・ウェラーのように皮肉は言える。ナロータイを緩めたら、キーを回す。今朝方の紫煙占いは凶だった。いつでも凶だが、少なくともテレビの星座占いよりは当たる。不機嫌な吹け上がり。合格だ。



 深夜帯の良いところは道路が空いてることだ。点滅に変わった信号、飛ばすだけ飛ばすトラック、壁のように閉じた脇道。休日のセレナでは鬱陶しいだけの道も、残業に疲れた身を乗せる場所としてはこれ以上ない。

 セレナの荷台に置いたベスパのクランクケースはもう半年も配達されたままで眠っている。開封するのはいつになるやら。俺にもわからない。



 朝。一度目が覚め、二回目の起床。リビングでは息子がテレビを占有していた。テーブルにコーヒーを置き、カゴに入った惣菜パンを齧る。画面の中のアイアンゴーレムは鉄屑になるために生まれては溶岩に落ちていく。存在意義は守り神だが、用途は鉄の家畜だ。人の扱いと同じ。平日の俺の業務だ。勘弁してくれ。



 教えるまでもなく、生き方に効率化が浸透する。そう考えれば、まぁ出来の悪い息子じゃないな。チラシの中の新春セール。スクーターの売り出しが迫る。壊れないってのは、まぁ効率が良いな。



 キース・ムーンのバスドラがエレガントさも無くドタドタ鳴る。何が正しいのか?キース・ムーンは自分で決める。ピートはそれを求めた。

 今日も靴底の音に怯えた新人の席は空いたままだ。買った革靴はすり減ることなく役目を終えたんだろう。そろそろ電話が鳴るな。退職代行とはもはやソウルメイトだ。



 業績悪化。俺が入社してから常に業績悪化だ。具体的な数字は明かさぬままいつも業績悪化で正念場だ。背もたれの布が薄くなったが、毎年タイムカードだけは新品最新鋭だ。17:30で固定されている。深夜の牛丼屋でふとそんなことを思い返し、ワンオペの中年店員を見る。無言の空間。最近は支払いまでもが機械音声だ。



 この世にパワハラなんてものはない。存在しない。理不尽さが1発目のベースのように存在を宣言しているが、パワハラなんてものはない。あったら惨めな気分になるだけだ。だから、ない。



 チャイムを鳴らしたが音沙汰なし。だから大家を呼んだ。新人の席が正式に無くなった。次の新人の為にデスクは空けておかなきゃな。

 その日はベスパは歩道を進んだ。押して歩くにはベスパは少し重い。等間隔の街灯は、ところどころ消えかけて、点滅信号のビートを際立たせる。トラックの風に揺れて光も揺れた。



 久しぶりに電車に乗る。瓶詰めのピクルスか、日本なら塩辛か。おじさんばかりだから塩辛だな。

 足元にはスニーカーが目立つ。これも効率化か。美学がねえよ。革の艶と光、踏み出した時の硬質な音。煙草を擦り潰す所作。

 そんなこだわりを捨てるべきなんだろうな。

 相変わらず紫煙は凶だ。加熱式に囲まれて、いよいよここも居心地が悪くなってきた。



 外回り。まずはパチンコ屋の駐車場へ。待機場所として優秀な場所だ。少なくとも同じようなヤツらはいる。トイレが綺麗なのは助かるからな。

 倒したシートに寝転がりスマホを眺める。外を眺める。繰り返す。トイレに行く。

 歩道に赤い靴を履いた子供、そしてその母親。気づくか?気づいて欲しいような、欲しくないような。もう俺があげたアクセはつけていない。当たり前だ。当たり前なんだ。今でもフーを聴いているか?



 セレナってのは人も荷物乗せられる完璧なファミリーカーだ。非の打ち所がない。満たすべきものを満たし、満たさなくても良いものは満たさない。そして、現状セレナは3人で使うにはちょっと広い。満たしてやらなくてはならないのだろう。

 2人なのは、当初の予定通りだ。当初のな。わかってる。時間は有限だ。未来を確定できないほど破綻はしてない。そうだ、破綻しない生き方は知っている。



 端的に言えばヤクザだ。足を洗ったヤクザ。元ヤクザだ。目だけが笑わない男、それが代表取締役だ。8:30の始業だが7:30に朝礼を行う。空白はなしだ。

 だが、今日は違う。知らないヤツが朝礼している。わかってる。売ったんだろ。ブラック企業を売るヤツも、買うヤツも同じようなものだろう。



 アットホーム。使い古されたタイヤみたいな言葉をぬけぬけと使う、古いタイプの男。このタイプは変わらない。地獄が地獄を維持するだけだ。アットホーム。奉仕の心。全員がリーダー。まるで便所の落書きだ。

 この手の人間は顔で仕事を取ってくる。受け取り手のない仕事をな。そしてまた顔を作る。永久機関。車に搭載したら革命的だろうな。



 タガログ語が受話器から聞こえる。平日午後3時。配った名刺の電話番号に掛けたんだろう。女に太ももを触れさせて威張るのが好きな男だ、多国籍パブの良いカモだ。元金貸し屋らしく、見栄を張るのがステイタスということだな。ままならねぇ。とんでもなくアットホームだ。夜の多国籍と地続きだ。



 誰かのオススメするモッズはモッズじゃない。少なくとも俺はそうだ。派手なミラーもライトもつけないし、連みもしない。定番のコートも着ない。ナロータイを締めてベスパに乗る。自分の中のピートが叫び、キースがカウントを取る。それだけだ。

それだけでいいんだよ。それだけでな。



 クランクケースを開封した。段ボールの内側の匂いに鼻腔が疼く。梱包の先には硬い鉄の手触り。キンという残響。また元に戻す。まだその時じゃない。いつかくるハズだ。いつかな。


 

 ガシャンガシャンという一定の音がリビングを占めている。画面の中、異界より連れてこられたピグリンが、ピストンで押され串刺しになっている。そしてその魂のような光る球を、放置されたスティーブンがひたすら受け取る。

 息子は宿題をしている。効率化は自動化を経て同じ時間軸で異なることを成立させる。連れてこられたピグリンはスティーブンの経験になり、息子は勉強で経験を得る。

 遊びと勉強の両立をこんな風に成立させるとはな。俺はピグリンはじゃない。じゃないハズだ。剣を取り、盾を構え、暗闇に松明を灯しながら、未知へと踏み出すんだ。そうだろう?それが冒険だろ?



 インターホンが鳴り、カメラにはサングラスをした男が映っていた。

 アーモンドのようなヘルメットを被った友人はロードバイクで家を訪ねた。全身ピチピチで、派手にスポーツブランドっぽいロゴが走っている。街で見かけるロードバイク乗りまんまの格好だ。

 白いロードバイク。メタボ対策、健康志向、唯一許された趣味。コイツにとって今はこのロードバイクがホワイトファルコンなんだろう。満を持して買ったホワイトファルコンは満を持して手放した。供養だな。俺も供養が迫っている。手放せるのか?手放すのか?



 金がない頃はそれっぽいことを本気でそれっぽく頑張った。それが本物だった。

 家のカブをピンクのスプレーで塗りたくった。その何がモッズなのかは今でもわからんが、俺たちの中では最高にモッズだった。

 どこに軍手とゴーグルで決めたモッズがいるのか?わからん、わからないが本物だ。

 だから、dioに乗ってモッズと言い張っていたアイツも本物だったんだろう。今は赤い靴の母ちゃんだ。



 パトカーが赤色灯を回している。いや、そんなのは珍しくない。そこまで田舎じゃない。ただ、それが10台だと話が違うよな。貼られたロープを潜らなきゃベスパは止められない。

 何も悪いことはしてないが、自覚がないだけのパターンもある。穏やかではない朝に限って、排気音はご機嫌だった。紫煙占いはもちろん「凶」だった。


 厳つい顔とオーラに身構えたが、驚くべき丁寧さで事情を話す警察。免許とこの会社との関わりを説明しながら、とにかく終わりだってのは理解した。

 タガログ語の電話はピンクな営業トークに見せかけた、シャブの話だったんだろう。隠れ蓑の会社として元金融屋のアイツは買ったんだな。幹部は所持じゃなくて使用者か。

 白い粉の色からこの事件をホワイトファルコン事件とでも呼ぶべきか?何にせよ、「こだわり」とはなんとも贅沢な身分に真っ逆さまだ。



 俺の中のモッズじゃない部分は「同業他社」を強くオススメしてきた。少なくとも薬物汚染はないだろう。こんなことは稀であって欲しい。俺の中のモッズは黙ったままだ。

 妻のなんとかするだろ?という眼差しは、刃こぼれしたナイフでグリグリと刺してくる。わかってる、これは俺がなんとかする話だ。手放せないものが増えた。わかっているんだよ。



 今度は俺がインターホンを鳴らした。ホワイトファルコンを横目にな。他人の家って空気が肺に流れる。ここでもマイクラがリビングに流れていた。

情報量が多めの訪問だったが、持つべきものは友という結果だ。これからはホワイトファルコン部長と呼ばなくては。



 足元はニューバランスに、ナロータイは太くなった。部長の顔を潰すワケにもいかない。中年の中途採用の意味は、まぁ俺がよく知っている。リビングのマイクラの音を絶やすことなく前に進む。


さらば青春の光だ。

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