悪役令嬢と秘密の扉
これは、扉の物語
ある悪役令嬢の、孤独の扉の物語
1.
「貴方も、私のせいで周りが不快な思いをしているとお考えなのでしょう?」
校舎の本館へと続く外回廊。差し込む日の光越しに少し遠くを見ながら、私のお仕えする方は薄ら笑いを浮かべてそう仰いました。
その言葉を待っていたかのように風が吹き、お召しになっている黒いドレスの裾を撫でていきます。
「い、いえ、そのようなことは決して。ただその、貴女様に関する不穏な噂を耳にしたものですから。お耳に入れておくべきかと」
直立したまま、レオン様は慌てたように仰いました。端正な顔立ちに焦りの色が見えて、少し気の毒です。
「まあいいわ。噂というより、ほぼ事実だものね。由緒あるアストラリス魔法学園の理事の孫娘という立場を利用して――好き放題にしてるもの」
遠くを見つめていた澄んだ紫色の瞳が自分に向けられると、レオン様は少しばかり顔を紅潮させて俯かれました。
学園直属の近衛兵団――若くしてその師団長をお勤めであるレオン様も、この方の冷たさを感じるほどの美貌には慣れない――のでしょう。
――真っ白な肌に漆黒の髪をお持ちでした。その髪は夜の帳のように艶やかで、微かな光にも銀を溶かしたように輝きます。
瞳は氷を閉じ込めた蒼――見つめられた者は、まるで心の奥まで透かし見られるような錯覚を抱きそうです。ちょうど、さきほどのレオン様のように――
微笑まれるだけで息を呑むほど美しいお方。
けれど、その微笑の奥には、鋭い刃がひと筋――隠されているようにも感じます。
ですから――人々は憧れながらも、決して触れようとはなさらないのでした。
「平民あがりの者たちの戯れ言など、いちいち気にしている暇はないわ。他に聞くべきことがないのなら――失礼するわね」
「は、お引き留めして――申し訳ありません」
冷たさだけで出来たような言葉を残されると、さっそうとその場を離れられます。
私も慌ててその後に続きました。
侍女の下司な勘ぐりと誹られるかも知れませんが――レオン様は密かにご好意を持たれているようです。
けれどもその想いは――私の前を歩く方には届かないでしょう。
私がお仕えするアストラリス魔法学園のご令嬢・セラ様――
セラフィナ・ディアロウ様には。
2.
実守消防署緊急通報センターの通話記録(2021.9.23)より
――はい、実守消防緊通センターです、火事ですか救急ですか?
――あ、あの、住宅なんですけど、市営の。あの、倒れてるんです、何人も。
――落ち着いてください、場所はどこですか?
――外にも――か、階段にもいる!いったい何人――
3.
アストラリス魔法学園は、誰もがその門をくぐることができるわけではありません。
ある程度の潜在魔力と資質、そして表だって言われているわけではありませんが――容姿家柄も大きく影響するのだと聞いたことがあります。
セラ様のように、素養も家柄も申し分ないお方にこそあるような学園です。
ただひとつ――セラ様は問題を抱えていらっしゃいました。
月並みな言葉でいえば――とにかく意地が悪くいらっしゃるのでございます。
ある時など、落とされた花束を拾おうとしてくださった同級生に「触らないで下さる?貴女の香水の臭いが移ると困りますわ」などと仰いました。
魔法実技の試験中に術式の順番を間違えられた方に対して、あんな不格好な術では、こちらの魔力も乱れてしまいますわね、と聞こえよがしに仰いました。
もう、あの場の空気を思い出すだけで凍えてしまいそうです。
さらには、これはお噂ではございますが――舞踏会の席で、ある公爵様に笑みを向けられたご令嬢に、「まあ、公爵様もお優しいこと――どなたにでも同じ笑みをお向けになるのですね」と囁かれたとか。
まるで、態と周りの方から嫌われるようなことを――嬉々としてなさるのです。
そんな気質でいらっしゃるからか――その美貌にも拘わらず、どなたもセラ様に近寄ろうとはなさいませんでした。
いえ――どなたも、というのは間違いです。
例えば先ほどのご様子からも判るようにレオン様はセラ様に想いを寄せてらっしゃるようです。
それに、このヴェルンハイト公国にその名を轟かせる若き王太子――クラウス・ヴェルンハイト様もまた――
「エリス」
急に名前を呼ばれて、私は思わず転びそうになりました。セラ様は急に立ち止まる癖がおありなのです。
「は、はい!なんでございましょう、セラ様」
セラ様は、学園の庭に咲き誇る花をご覧になっていました。
「あの花壇――見えるでしょう?また青い花が咲き始めているわ。摘んでおいて」
それだけ言うと、またセラ様はつかつかと歩き始められました。
「はい、かしこまりました。あのう、摘んだ花は如何様に――」
「ゴミ捨て場にでも捨てておきなさい。青い花なんて気味が悪いわ。」
ひらひらと手を振りながら、セラ様はそう仰いました。
その後、小さく――
彼岸花のほうがまだマシよ――
そう呟かれました。
ヒガンバナ――
私には――
セラ様が何を仰っているのか判りませんでした。
4.
ニュースサイト「Not so to late (ノーストレート)」2021.9.24 号より抜粋
『住民多数が同時に自然死? 塚を遷した祟りとの声も』
害獣による被害も増えている中、それに追い打ちをかけるような報が届いた。
実守県羽狭市の市営住宅で、多数の遺体が発見されたというのだ。
本誌の取材によると、死亡したのはいずれも市営住宅に住んでいたという8名。職業、性別、年齢に共通点はなく死因も現時点では不明とのこと。
取材に応じた目撃者の証言によると、遺体には目立った外傷もなく、中には寝ているだけかと思った方もいたそうである。
詳しい死因については警察による捜査を待つよりないが、ここで不穏な噂をご紹介する。
実は、昨年この市営住宅の敷地内にあった古い塚を移設したのだという。住宅敷地縮小のため、もとあった場所から里山のほうへと移設したらしいのだ。
『インタビューに答えてくれた住民の方は――』
ええ、私が子供のころからあったんですよ。え?いや、何が祀ってあるのかは――そもそも塚って何か祀るものなの?まあ、とにかくよくは判らないんだけど。でもねえ、何かあるから残してたんでしょ?それをむやみやたらに動かしたものだから、怒ってるのかもねえ。
今時流行らないでしょうけど、祟りっていうのかしら、そんな感じでね――
5.
「あきれたものね、この程度の魔法もまともに使えない分際で、よくこの学園へ入れたものだわ」
セラ様の能く通る声が、修練場内に響き渡りました。
セラ様に目を付けられているのは――ミレイユ様とおっしゃる 1年生の女生徒でした。
聞けば、平民でありながら類い希なる魔力をお持ちとのこと。元素に魔力を以て働きかける生徒さんは大勢いらっしゃいますが――空間そのものを操作干渉出来る方はそうそういらっしゃいません。ミレイユ様は――その素質がおありとのことでした。
この学園に入学できたのは、その素質に加え――有り体に言えばその愛らしさも一因でしょう。
ミレイユ様のそれは――いかにも「貴族のご息女」という気取った美しさとは違っていました。けれども、ミレイユ様の頬に浮かぶえくぼも、栗色の髪の柔らかな揺れも――不思議と目を離せなくなるのです。華やかさと言うより――ひだまりのような愛らしさ。
同じ女性である私から見ても、つい笑みを返したくなるほどでした。ミレイユ様が笑うと、花壇の花達まで、一緒に首をもたげる気さえ致します。
そんなミレイユ様が一方的に叱責を受けるお姿にも、わたしは同情してさしあげることしかできませんでした。
それに加えて――
修練場を後にする時、私は聞いてしまいました。
「ほんと、あいかわらずね「氷のセラ」様は」
「自分より目立つ子がいると、邪魔でいらっしゃるようね、余裕がないったらないわ」
「私達のおべっかを、本気に取ってらっしゃるんじゃなくて?そうだとしたら――笑えるけれどね」
それがいいことなのか悪いことなのか――お仕えするセラ様への陰口には随分慣れたものです。それでも――やはり私の心は痛みました。
本当は――優しい方なのです。お仕えしたばかりのころ、失敗ばかりしていた私を温かく励ましてくださったのはセラ様です。
周りの目ばっかり気にしては駄目よ――
何があろうと、あなたはあなた。胸を張りなさい。
大袈裟に聞こえるかもしれないけれど――運命だって変えられるのよ。
運命だって変えられる。その言葉が、私を何度も支えてくれました。
セラ様の運命も、周りから見るほど順風ではありません。
ヴェルンハイト公国でも有力な御家の末女としてお生まれになり、幼少の頃はお辛い思いもされたと聞きました。ご長女のクラリス様と、次女のカトレナ様もお優しい方だったと伺っていますが――不幸な事故が重なりご逝去されたとのことです。
愛するご家族を喪ってなお――セラ様は気丈に振る舞っていらっしゃいます。
まるで、そうすることが――周りを気高さで制することが――ご自分の使命であるかのように。
それでも――やはり寂しさをお感じになる時があるのでしょう。
ある夜、お部屋から、セラ様の泣き声が聞こえたことがありました。
きっと、普段は隠していらっしゃるご自分の弱さを吐き出していらっしゃったのでしょう。
その声を聞いたときは、私も胸が張り裂けそうになったのですが――
それよりも気になることがありました。
泣いているセラ様の声に交じって――
誰かの声が聞こえたような気がしたのです。
最初は――不埒な想像をしてしまいました。
レオン様か、あるいは他の殿方が、お部屋の中に――けれど、その考えはすぐに消えました。
相手の声もまた――女性の方のものだったのです。
まるで――押し殺した笑い声のような。
セラ様は、お優しい方です。
普段の悪役令嬢としての顔は、ただの仮面だと思います。
でも――仮面は、ひとつだけなのでしょうか。
あの夜、セラ様は――
いったい何と話されていたのでしょうか。
6.
実守県警・羽狭市松里駐在所の調書より抜粋
日時:2020 年 6 月 2 日(金) 午前 10 時 3 分
天候:曇りのち雨
羽狭市松里地区南端の笹目塚神社にて盗難(空き巣)が発生したとの通報あり。
現場検証の結果、賽銭を含む金銭的被害は確認されず。
施錠された書物庫内が荒らされた形跡があり、犯人がどのように侵入したかは不明。
管理者である神主の男性によると、幾つか古文書が無くなっているようだが、数が多いため特定は難しいとのこと。
実質的な被害と言えるものが無いため、被害届は提出されないとの意向。
ただし神社周辺の警戒パトロールの強化を依頼されたところであり――(以下略)
7.
「あら――エリスさん」
ミレイユ様に声をかけられたのは、花壇の青い花を摘んでいる時でした。
「これは、ミレイユ様。このようなところをお見せして、お恥ずかしいかぎりです」
「いいのよ、花を摘んでいるんでしょう?私も――花は好きだったから」
好きだった。過去形です。今は――お好きではないのでしょうか。
そう問うと、ミレイユ様は寂しそうに、何かを懐かしむように微笑まれました。
「今は――花をみる余裕もないかもしれません。この間も、セラ様に随分と叱られましたしね――」
「それは――」
私は言葉に詰まりました。叱られたと言うよりも――虐めとさえ思えたのです。
「セラ様にも――お考えがあるのだと思います。本当は」
お優しい方なのです、そう言おうとしたのですが――なんだかセラ様に黙って告げ口をしているように思えて、何故か言葉にするのが憚られました。
「そうね、私は平民の出でしょう?だからセラ様にとっては目障りなのかもしれません。けれど――」
ミレイユ様は凝とご自分の両手を見つめていらっしゃいました。
「私には、私だけの魔力がある。最初にお会いした時、セラ様はそう仰いました。あなただけの――力がある、と」
――何があろうと、あなたはあなた。
――胸を張りなさい。
ふう、と息を吐くと、ミレイユ様は空を見上げられました。
「育てるしか、ないですよね。私にしかない力なら――私が育てないと」
そしてその後、少しだけ意地の悪い表情をなさって――
「でもさあ、あんなにひどく言わなくてもいいじゃない、ねえ?皆の前でさ。あんなんだから、周りから悪口ばーっかり言われるのよ。氷のセラとか、氷河期セラとかさ」
氷河期セラというのは――初めて聞きました。思わず吹き出すと、ミレイユ様も笑顔に戻られました。
「なんてね、セラ様には言わないでね。この言葉遣いも疲れるのよ。あたし平民だっつうの」
「えぇ――あの、ミレイユ様、そのようなお言葉遣いをされているところを先生方に聞かれたら――」
「いいのいいの、セラ様に比べたらね、先生達は易いものよ。空間魔法の先生なんてさ――」
――話に夢中になっていると、校舎の陰から誰かが近づいくる気配がしました。
はっとして顔を上げると、そこにはレオン様がいらっしゃいました。
帯剣もされておらず、鎧もお召しになられていないところを見るに――任務外中なのでしょう。兜も身につけておられないため、美しい銀髪が微かに風に靡いています。近衛兵師団長という肩書きでありながら、いつも優しげな鳶色の瞳に――今は少しばかり驚きの色をたたえてらっしゃるようです。
「あ、いや失礼。話し声がしたものですから。盗み聞きするつもりは――なかったのですが」
ミレイユ様はというと――ひどく慌ててらっしゃるようでした。
「れれれ,レオン様!?いつからそこに!?」
「や、ですから、今です。今来ました。話し声が――」
「どどど、どの辺りから聞かれたのですか!?否、聞こえてたのですか!?」
「はあ、氷河期のお話をされて」
ぐいと、ミレイユ様はレオン様の顔にお近づきになりました。
「忘れて下さい」
「はあ、氷河期をですか?しかし氷河期があったことは事実で――」
私は――思わず吹き出しました。1日に2回も吹き出すなんて、滅多にないことです。
「いやあの、ミレイユ様。おそらくなのですが――レオン様は「氷河期」という言葉だけ――お耳にされたのではないかと」
私が申し上げると、ミレイユ様は虚を突かれたように一瞬私の方をご覧になりました。
それから――レオン様の顔が目の前にあることに、ようやく気づかれたようでした。
「あ――ご、ごめんなさい!いえ、申し訳ございません!近衛兵師団長様――レオンハルト・オスカー・アントン・グレイヴナー様に、とんだご無礼を――」
飛び退くようにレオン様から離れると、ミレイユ様は何度も頭を下げられました。
その様子に、思わずレオン様も笑みを零されます。
「いえ――元はと言えば、ご婦人方に不用意に近づいた私の落ち度です。どうかお気になさらずに――」
ふとミレイユ様を見ると、お顔を真っ赤にされていらっしゃいました。
これもまた、勘ぐりと誹られるのでしょうが――ミレイユ様はレオン様のことを好いてらっしゃるようです。
それが証拠に、というほどの根拠では無いですが――レオン様のフルネームは、さらりと言えるようなものではありませんから。
切掛はともかく――楽しげにお話をされるお二人を見ていると、私もまた笑顔になってしまうのでした。
そしてふと思います。セラ様はこうなるように――否、こうなることを、密かに願ってらっしゃったのではないでしょうか。
籠の中に摘み入れた青い花は、日の光を浴びて瑞々しく輝いていて――
セラ様のお言いつけ通りに捨ててしまうのが、少しだけ惜しく感じられました。
8.
読建新聞(実守地方版・2021.10.24)5 面より抜粋
9 月 24 日に実守県の羽狭市営住宅で多数の遺体が発見された件について、実守県警は自殺と断定。事件性無しとして立件を見送ると発表した。
9.
その日は、アストラリス魔法学園の創立記念日でした。
各界に有能な魔法士を排出している学園のことですから、さながら舞踏会の如くきらびやかな式典が催されています。
豪奢な会場――古代の神殿を改修したセレモニー用の特別な建物には、多くの要人、著名人が来賓としておいでになっています。
その中には、当然あの方も――
ヴェルンハイト公国の若き王太子――クラウス・ヴェルンハイト様のお姿もありました。
煌めくシャンデリアの光を受けて、セラ様は会場の片隅に立っていらっしゃいました。セラ様のこと、片隅といえど、そこだけ青白い光が立ち昇っているようにさえ見えます。
そこへ――
「やあ、これはセラフィナ殿。久しぶりだな」
予想通り、クラウス様は青白い瞳でセラ様を見下ろされました。
「お久しぶりですわ、クラウス殿下。どうして私がここにいるとお判りになったのですか?」
「青白い光に包まれていたからな、君は直ぐに判る」
「ふん、ご冗談を――私の周りには誰もいない、だからお判りになった。それだけでしょう」
セラ様が氷の蒼ならば、クラウス様はそう――静かに燃える炎の青。
冷たいお言葉を意にも介さず、青い炎はセラ様に近づかれました。
「いや、それは違う。君と話したくて――ただ、それだけだ」
セラ様の頬に、ほんのわずか朱が差した――ような気がしました。
纏われていた凍気にも似た気配が、少しだけですが緩んだようでした。
「私――私には――わたくしの側におられると碌な事になりはしないのでは?ヴェルンハイト公国の獅子、その武名と誉れに――氷はお似合いになりませんわ」
「私は」
クラウス様はセラ様の手をお取りになりました。
「貴女の本当の心を知っている――つもりだ」
「わたくしの、心――」
セラ様の、あのようなお顔を見たことはありませんでした。
嬉しさと恥ずかしさ、そして、理解者を得たかのような安堵にも似た――
クラウス様のお手をそっと振りほどかれると、セラ様はいつもの口調で仰いました。
「私の評判を、ご存じないわけではないでしょう?」
そしてそのまま――会場を後にされました。
哀しさと愛しさを混ぜたような瞳でセラ様の後ろ姿をご覧になるクラウス様に一礼さしあげ、私は急ぎ足でセラ様の後を追いかけます。
その間にも、私の耳にはセラ様への辛辣な言葉が囁かれているのが聞こえました。
クラウス殿下に対してなんてことを――
品位の欠片もお持ちじゃあないのね――
仕方ありませんわ、所詮氷ですもの――
できれば聞きたくはありませんが――聞こえるのは仕方ありません。
セラ様のお耳に、入ることがなければいいのですが。
会場を出ると、月明かりの空の下、セラ様はテラスに一人佇んでいらっしゃいました。
お顔を空に向けて、月を――ご覧になっているのでしょうか。
それとも、零れそうになるものを抑えていらっしゃるのでしょうか。
私は遠慮がちにセラ様にお声をかけようと、そっと近づきました。
セラ様は――
笑っていらっしゃいました。
月を見ながら、満面の笑みを。
もうすぐ――彼岸花が咲く頃ねえ――
私、私は――
背中が冷えるのを感じました。
10.
「決定版!恐い話&都市伝説 最強辞典」(2020.4.10 初版)より抜粋
●バードマン(ばーどまん)
インドに出現したという、鳥の翼を持った怪人。若い女性の前だけに現れ、鋭い爪で襲いかかるらしいぞ。
(→オウルマン・モスマン)
【ヒ】
●彼岸の法 (ひがんのほう)
彼岸花を用いたおまじないのひとつ。墓場の周りに自生した彼岸花の花弁とお札を壺に入れ、それに憎悪や悪意を込める事で呪力を増強する。憎悪や悪意は、壺の中でお互いに戦って、生き残った悪意を使えばどんな願いも叶えてくれるらしいぞ。
(→呪い・蠱毒)
●ヒサルキ(ひさるき)
山の中で出会うという怪異。声を聞くと魂を抜かれると言われ――(以下略)
11.
セラ様のお部屋に、お掃除に入った時です。
ふと、本棚が目に入りました。セラ様は魔力もおありで、素質もまた備えてらっしゃいますが――大変な読書家でもいらっしゃいます。あの近寄りがたい気高さもまた、この本達による研鑽の賜なのでしょう。
何気なく見た棚ですが――何か違和感を感じました。
並んだ書物の背表紙。その中に――歪んだ黒い線のようなものが見えたのです。
普段ならば、そんな恐れ多いことはいたしません。お仕えする方のお持ち物を、本棚を触るなど。
けれど――あの日、あのセラ様の笑顔を見た日から、私もまた少しおかしくなっていたのかもしれません。
黒い線に見えたものは、なんのことはありません、それ自体が薄い黒ずんだ書物でした。
しかし――何処かおかしいのです。背表紙らしきものはありません。やたらとゴワゴワした手触りの紙の束に穴が穿たれていて、直接紐で綴じられています。こんな本は――見たことがありません。
ページを開くと、また違和感がありました。白紙なのです。不思議に思いながら反対側を開くと――文字のようなものが書かれていました。つまりこの本は――
開く方向が、普通の本と逆なのです。
それだけではありません、さきほど文字と言いましたが――文字かどうかも判らないのです。インクで書いたような黒い文様――とでもいえばよいのでしょうか。しかし、文様にしては整いすぎていて、何かの法則に従って書かれているとしか思えません。ただ、これが文字だとすれば――
どう見ても上から下へ、縦に書かれているようなのです。
開く向きも、文字の方向も、なにもかも反対です。いえ、文字の方向に関しては反対ではなく、横向きではないというだけなのですが――
これは――なんなのでしょうか。
さらにページをめくると、不思議な模様が描かれているページがありました。
――不思議な模様、としか言いようがありません。
ディアロウ家の紋章、ヴェルンハイトの公国旗、アストラリス魔法学園の校章。
それらとは明らかに異なります。異質、といえばよいのでしょうか。
四角形、それも歪んだ四角形を描こうとして、最後の線――四角形の底辺――だけ描くのを止めた。そんな形です。その代わりなのか――四角形の上辺は2本も描いてあります。しかも2本のうち、上の線はほかの線より長く描かれています。中途半端に描かれた、底の抜けたような四角形。
その箱の中には――
花のようなものが描かれていました。
針のように尖った花びらが、何本も伸びています。それは途中でくるりと弧を描き、花の真上を閉じるように集まっていました。まるで、花弁で出来た檻のようです。
花弁で出来た檻の中には――
誰かが近づいてくる気配を感じて、私は慌てて本を元の場所に戻しました。
部屋にお戻りになられたセラ様は、私のほうを見ると――
いつもありがとう、エリス。
そう、仰いました。
あの、氷のような蒼で――
12.
実守県羽狭市不審死事例に関する検死解剖記録より抜粋(録音日・2021.9.25)
胸部切開完了。ええ、これより臓器の状態を確認する。
口腔から食道、呼吸器に異常なしっと――ん?おい、ここ写真撮っといて。
心臓に著しい硬直が見られる――点状出血もだ。血液が暗赤色に見えたが――酸素濃度か。
おおい、刑事さん。これ、一応見といて――あん?いや見るのが仕事だろ。袋ならそこのやつ使えばいいから。
(一部省略)
肝臓と腎臓にうっ血を確認っと――こりゃあ――中毒かな。植物性の、ジキタリスみたいな。
あん?いやそうだよ、注射痕はないよ。うん――うん、経口摂取、としか思えないが――
いや刑事さんな、こんだけ症状が丸出しになってんだぞ、福寿草にしろ夾竹桃にしろ――どんだけ食ってんだって話だろ。胃の中にもそれらしいものは残ってないし――ジゴキシンの処方歴も無いって話だったろ?
(一部省略)
まあなあ、報告書は悩むわな。どうやって毒性のあるもんを体内に入れたのか――
でもコロシってことはねえだろ。うん――や、あのな刑事さん、プロの方にこんなこと言ったら怒られるかもしれねえけどよ。
ホトケさんは、ホトケさんなりに声を遺してくれてるもんなんだ。俺はこうやって死んだんだ、私はこんなふうに殺されたんだってな。その声を聞くのが――俺達の仕事なんだけどな。
でもよ、このホトケさんは――
声を遺してねえ。
遺す暇もなく――体の中の空間に、毒がぽんと出てきたみてえだ。
なんなんだこりゃ――
自殺には間違いねえ。自然死なんてわけあるかよ。
なあ刑事さん、俺が言う事じゃねえけどよ――あの市営住宅の周りな、一応調べた方がよくねえか。
そうそう、あの辺り、彼岸花が咲いてる一帯をよ――
13.
あの日以来――
セラ様の纏う氷のような冷たさは、少しずつ薄れていくようでした。まるで、春先の雪解け水が流れ落ちていくように――
周りの方々の戸惑いと言ったら、少し可笑しくさえありました。
氷のセラ、氷河期セラ。
凍てつくほどの気高さで周りを制していた方が、穏やかな笑顔でお声をかけてくださるのです。
「ずいぶん腕を上げたわねミレイユ。やっぱり私の見込んだとおり。貴女には、立派な才能があったのよ」
「あ、ありがとうございますセラフィナ様!あの、あの、もったいないお言葉で――」
「セラでいいわ。正直ねえ、氷の女なんて言われるのはもうたくさん!こりごりだわ。――ごめんなさいね、辛く当たってしまって――」
以前のセラ様からは、考えられない光景です。もちろん周りの方は、最初の方こそ口さがないことを仰っていました。
クラウス殿下との婚礼が近いらしいわよ――
きっと人気取りよ。すぐに化けの皮が剥がれるに決まってるわ――
今までの仕打ちを思ったら、あんなもので済むわけないじゃない――
けれども――本来セラ様は優しい方なのです。
今のお姿こそが――セラ様の本当の姿。
きっとセラ様は――ディアロウ家を守るために必死でらっしゃったのでしょう。弱みを見せることで、本当に弱くなってしまう。そんなお考えから、あのような振る舞いを――「悪役令嬢」としての振る舞いをなさっていらしたのでしょう。
セラ様の心の氷を溶かしたのは、やはりクラウス様の献身的な愛であったと、私は思います。
あの日の出来事――月夜の下で見たセラ様の笑顔は、ようやく本当の自分を理解してくださる方を見つけることができた、そのことに対する――溢れんばかりの喜びだったのです。
やがて時が流れ、セラ様への悪評も鳴りを潜めた頃――
ヴェルンハイト公国王太子である、クラウス・ヴェルンハイト殿下とセラ様のご婚礼が正式に決まったとの報せを聞きました。
もう、悪役令嬢として虚勢を張っていたセラ様の面影はありません。眩しく日の光が煌めく青空の下――セラ様はにこやかな笑顔を私にも見せて下さいました。
まるであの――青い花のような笑顔を。
14.
環境保全省ホームページ「外来種対策に関して」より抜粋
■このページに掲載されている外来生物の写真はご自由に転載・引用を行う事が出来ます。
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オオキンケイギク
ミズヒマワリ
オオハンゴウソウ
名称不明 (ここをクリック)
■特定外来種に関する記者発表
環境保全省では、昨年発見された新種の外来植物に関する注意喚起を行っております。
種の特定には至っておりませんが、ネモフィラに酷似した青色の花の繁殖が確認されています。繁殖力が非常に強く、既存の除草剤に対するある程度の耐性も確認されています。
環境保全省では、現在関係機関と連携の上対策を進めているところです。
本外来植物(以降、セラフィナと呼称)については、強い毒性が確認されており、皮膚接触・経口摂取による健康被害が懸念されます。セラフィナを発見された場合、管理者又は行政機関へ連絡してください。ご自身で除去することは絶対に行わないで下さい。
セラフィナの毒性は空気中に散布されることでも発現する可能性があり――(以下略)
15.
私――私は、恐い。
ミレイユ様にも、レオン様にも、ご婚礼の儀を終えられたクラウス様にも、そして学園の皆様にも。
皆様の首や手に――あの紋様があったのです。
あれは、なんなのでしょう。
あの不思議な本に描かれていた紋様と同じものでした。
針のような花弁の檻に閉じ込められた、黒い鳥。
あれは――なにを閉じ込めているのでしょう。
あの日、セラ様のお部屋から聞こえていた声。
あれは、本当にこの世界のものの声だったのでしょうか。
セラ様の部屋は――何処に通じているのでしょうか。
あの本も、セラ様の仰る「ヒガンバナ」も、あの紋様も――
誰も知らない、何処かからこの世界に――
私は考えないようにしていました。
なぜ、セラ様は周りの方に悪意を振り撒いていたのでしょう。
なぜ、ご自分に悪意と憎悪が集まるような真似をなさっていたのでしょう。
そして――なぜクラリス様とカトレナ様は相次いでご逝去されたのでしょう。
本来であれば、クラウス様と結ばれるはずだったのはご長女の――
私は、恐い。
あの青い花は、摘んでも摘んでも生えてきます。
あなたがもしもこれを読んでいるとしたら――セラ様の部屋とそちらを繋いでいる扉があるということです。
どうかおねがいです。
扉を閉じて下さい。
セラ様の■■■が、そちらへ漏れ出す前に。
あの青い花が
これは、扉の物語
ある悪役令嬢の、蠱毒の扉の物語




