灰色の海
1分で読めるショートショートです。
どんよりとした灰色の空の下、今日もまた俺は海に潜る。
その空よりも何倍も濃い灰色で澱む、まるでオイルのような海に。
俺の仕事は海底サルベージ……。
遠い昔、まだ空と海が青かった時代、このあたりはたくさんのビルが立つ大都市だったらしい。
でも、いまは海の底。どうして沈んだのかはよくわからない。潜水夫仲間の中には「大昔の戦争で海面上昇兵器が使われたのだ」というヤツもいるが、さすがにそれはないだろう。
とにかく、このあたりの都市遺構に潜って、クレジットになりそうなもの拾い上げるのが俺の仕事だ。
政府の回収船で沖に連れ出された俺たちは、管理官から潜水区の地図を受け取ると、バッグと工具を腰に括り付けて海に飛び込んだ。
酸素ボンベや潜水服は使わないのか、って?
見りゃわかるだろ。俺たち潜水夫はみんな、水中呼吸装置と対水圧組織の移植を受けている。まあ俺たちは「エラ」と「ウロコ」と呼んでるけどな。
実は、手足の指の間には薄い膜「ヒレ」も移植されている。だから装備で身を固めることなく、海にドボンできるってわけだ。どうだい、便利だろ。
陸の連中は俺たち潜水夫を「半魚人」とバカにするが、気にしちゃいない。望んで受けた改造だし、仕事にも困らない。すばらしいことだよ。
海に飛び込んだ俺は、オイル臭い海水を搔き分けながら、深く深く潜った。なるほど、たしかにこのあたりは巨大都市だったらしい。海底には、20層以上もあるビルがひしめき合うように沈んでいた。
ぱっと見たところ数万人、あるいは数十万人がここで暮らしていたんだろう。そんな巨大な都市があったなんて、実物を見ても信じ難い。
水没したビルの部屋を順に巡る。どうやらここは住宅だったようだ。割れた皿や錆びた工具、よくわからない機械などが沈んでいる。ただのガラクタだ。どの部屋もひどく荒れていて、クレジットになりそうなものはひとつもみつからなかった。
「沖合まで駆り出されたってのに、今日は大ハズレじゃないか」と落ち込んだ俺だったが、なんと最後の部屋で金庫を発見した。中には大切なものが収められているに違いない。
もしレアメタルのインゴットや未使用の集積回路が出てきたら、一攫千金も夢じゃない。俺はエラをゴボゴボさせながら、ヒートカッターで金庫に穴を開けた。
金庫の中は小箱がひとつ。想定外の結果にしばし困惑したが、その小箱が丁寧にシールされていることに気がついた。であれば、中は封じられた当時のままだろう。ここで開けるわけにはいかない。
小箱をバッグに入れると、俺は回収船を目指して浮上した。
小箱の中にはなにが? 船に戻った俺は急いで検品室に入り、工具を使って小箱を開けた。
出てきたのは小さなカードが1枚。旧時代の立体写真だ。これ自体はさほど珍しいものではなく、ほぼ無価値といっていい。今度こそ俺は、本当に打ちのめされた気分になった。
「まったく、なんて日だ……」
そういってカードを破り捨てようとしたとき、思いがけないことが起きた。
立体写真が動いたのだ。
「パパ、大好き!」
写真の少女は、頬を染めて「パパ、大好き!」というと、小首をかしげてニコッと微笑んだ。
その向こうに映るのは、奇妙なほどに青い空と、その空よりも何倍も濃い青色の海。
かすかに波の音を響かせながら、立体写真は「パパ、大好き!」と何度も繰り返した。
ふと気が付くと、俺の目から大量の涙が溢れ出していた。
理由はわからない。
見も知らぬ少女。見も知らぬ世界。
見たこともない青い空。見たこともない青い海。
なのに俺は、懐かしさと寂しさに胸が締め付けられるように感じた。
あの風景を昔どこかで見たような、そんな気がしたのだ。
俺は報告書に「回収物、立体写真1枚。無価値。廃棄済み」と記載して、検品室を後にした。
骨折り損の1日だったが、疲れは感じていない。明日もまた、あの場所に潜るつもりだ。
小さく揺れる回収船の船べりから、俺は灰色の海を見つめる。
胸のポケットに手を当てながら。